24、苦悶の記憶
石造りの長い回廊を、フィーは滑るように飛び進んでいた。
聲による飛行に熟達したおかげか、今ではわずかな韻律を口にするだけで、自由に宙を舞うことができる。近頃は、歩くより飛んで移動することが増えていた。
「それにしても、良くこんな大会が成立したよな」
後に続く竜神は、こちらの問いに首を傾げた。
もちろん"愛乱の君"と魔王の会見に自分も立ち会い、休戦条約と魔王の大会参加が認められたの直に見ているが、何もかもがスムーズに行き過ぎている。
「あいつがノリノリで覆面デュエリストなんてやってるのはいいとして、女神様の方も、割とあっさり受け入れてたし」
「"愛乱の君"が考えた、新しい遊戯のシステムは、魔界側が受け入れて初めて成立するものだ。魔王の申し出は渡りに船であったろう」
カードゲームによって勝敗を決める、新たな神々の遊戯。それは、デュエルができないものにとっては一方的な虐殺を余儀なくされるルールでもある。
事実、魔王軍の一角である"闘魔将"が、軍団もろとも日美香のカード一枚で殲滅されていた。その不公平から、新しい遊戯自体が拒絶される可能性もあったわけだ。
「って言っても、所詮は魔王の独断だろ。今回だけ成功しても意味なくね?」
「そこは今後の交渉次第さ。そもそも、これは魔物側にも神規を適用するという申し出なのだ。魔界にとっても悪い取引ではあるまい」
これまで魔物側は、神々の勇者が生み出す神規に対抗できず、敗北を重ねていた。
"愛乱の君"はその不利を是正し、本気で遊戯をより公正なものに作り変える気らしい。
「この計画がうまくいった暁には、カードゲーム物のアニメのような世界が出来上がるであろうな」
「今だって、似たようなもんだけどね」
フィーは苦笑し、尻尾の先にくくり付けたデッキケースを胸元に引き寄せた。
自分の腕では細すぎて収まりが悪く、腰まわりにつけるとドローがしにくいということで、最終的にこんな形に落ち着いていた。
「でも……それも悪くないかもな」
「なぜそう思う」
問う竜神に、仔竜はわずかな悔悟をこめて吐き出した。
「カードの勝負なら、経験値のための雑魚狩りなんて、しなくて済むだろ」
「そうかも知れんな」
こちらの気持ちをゆるく肯定すると、男は太い腹をぽんと叩き、話題を変えた。
「シェートの陣中見舞いに行くのであろう? 早くせんと、試合が始まってしまうぞ」
「ああ」
割り切れ、竜神はそう言っていた。
終わってしまったこと、やってしまったことに悩んだところで、それは愚痴にしかならないと。
それでも――そう思ってしまうのは、自分が未熟だからだろうか。
振り切るように翼を打ち、フィーは先を急いだ。
このところ、シェートとは別行動ばかりだ。ようやく鳥神の勇者を倒せたようだが、自分の助言も少しは役に立ったのだろうか。
こちらも正規のデュエリストとしてエントリーした以上、シェートは対戦相手の一人になっている。裏切ってしまったようで、顔を合わせにくかった。
それでもせめて、激励ぐらいは。
「待て」
竜神の声に、フィーは動きを止めた。
そして、目に映った光景に言葉を失った。
シェートの控え室の戸口を、何のためらいもなく叩く少年。入るように促す声は穏やかで、敵意など少しも感じられない。
「どうやら、先を越されてしまったな」
こちらに気が付く様子もなく、二人は部屋に招き入れられた。
閉じられたドアの向こうから会話が漏れてくる。ドラゴンの明敏な聴覚は、中の会話を正確に捉えていた。
『あのおっさん、どんなデッキを使ってくるか分からないからな。用心しろよ』
『ああ。俺、戦うとき、油断しない』
『俺のデッキと同じに考えんなよ? もしかすると、飛行持ちがぜんぜんいない場合もあるんだからな』
少年の声は本当にシェートを気遣っていた。対するシェートも、その言葉に対して誠実に答えている。争っていた者同士とは思えないほどに打ち解けている。
どうやら向こうも、それほど悪い奴ではないらしい。フィーはそのまま扉に近づき、ノックしようとした。
『俺より、お前、もっと心配』
上げた片手が、途中で止まる。
何気なくシェートが口にした一言に、胸がざわついた。
「どうした、入るのではないのか?」
仕切られた向こう側で、シェートは魔王への対処法を少年に伝えている。会話の端々からにじみ出るのは、まじりっけなしの親しみ。
それは、自分と接するときと、なんら変わらない態度だった。
『よっし! こうなりゃ当たって砕けろだ! まずはシェートが一勝、次に俺が魔王に勝つ。それで行こうぜ!』
少年の宣言にかぶせるように、大会の開始を告げるアナウンスが場内に響いた。
鳥の神が動く気配を感じて、フィーは素早く姿を消す。扉が開け放たれ、向かい合う少年とシェートの姿があった。
相手の拳に応ずるように、コボルトの手が同じように上げられ、軽くぶつけ合う。
「きっちり勝ってこいよな」
「ああ」
二人の傍らにサリアが静かにたたずみ、鳥の神は彼らを守護するように戸口に立つ。
その光景を、仔竜は呆然と眺めるしかなかった。
『第一、第二試合と息づまる熱戦が続くDCE一日目も、残すところ後二試合!』
薄暗い階段を登りきるのと同時に、黒竜がマイクにがなり立てるのが聞こえた。
明順応が素早く働き、午後の日差しが降り注ぐフィールドが、やけに白く浮いている感じられる。大地はきれいにならされ、これまで行われていた戦闘の激しさを感じさせるものは何一つ残っていなかった。
『続いてはわれらが竜種、期待の新星! "青天の霹靂"フィアクゥルと、"嵐群の織り部"サドゥルの勇者、天羽駆斗の対戦だ!』
試合を待ちわびる観客が一斉に歓声を上げ、その音圧にフィーは思わずよろめいた。
「しゃきっとしろ。戦う前からそのような体たらくでどうする」
「……わ、分かってるよ」
そうは言ったものの、どうしても体に力が入らない。できることなら、今すぐ控え室に帰って毛布でも引っかぶりたい気分だった。
反対側に目を向けると、対戦者が元気良く開始位置まで走り寄っているのが見えた。
「ほれ、そなたもさっさと行かんか」
「……っ」
こちらのことなどお構いなしにせっつく竜神をにらみつけると、フィーはやけくそ気味に聲を放ち、風を捲いて対戦者の前に降り立つ。
すでにデッキの準備を完了させた相手は、こちらを不思議そうな目で見つめていた。
「君が、俺の対戦相手、でいいんだよね?」
「……なんか、文句あんのか?」
「そ、そういうわけじゃないんだけどさ! その、まさか本当にドラゴンが相手とか、思ってなくて」
「今更ドラゴンが珍しいってわけでもないだろ。ごちゃごちゃ言ってないで始めろよ」
背後に立っていた獣脚の女神は、軽いめまいを払うように頭を振り、それから険しい視線でこちらを見た。
「いかな幼き仔とは言え、竜種の代表としてこの場に立つのであれば、礼節はわきまえられよ、"青天の霹靂"殿」
「なんで初対面のあんたに、礼儀がどうとか言われなきゃなら――ふぎゅっ!」
いきなり視界が沈み、顎の肉がざりっと音を立てるほどに地面にこすり付けられる。分厚い男の手が、こちらの首筋をがっちりと押さえ込んでいた。
「うちの若いのが失礼をしたな、"嵐群の織り部"よ。どうにもこのぐらいの仔竜は、向こうっ気が強くてなぁ」
「うちの勇者も他人をどうこう言えた者でもないが、顔を突き合わせるなり、売り言葉に買い言葉では、せっかくの『遺恨を残さぬ仕組み』も台無しになろうもの」
「然り。これには良く言って聞かせるゆえ、この場は丸く収めてはくれんかな」
「一つ貸しぞ、"瞥見者"」
女神はそのまま勇者の背後に戻り、ようやく肉厚な首輪が外されると、フィーはどっと息を吐いた。
「なぁ……ほんとにこれから、デュエルしなきゃ駄目か」
「やめたければそれでも構わんがな。そうなれば我らは不戦敗、儂はめでたく石の像となってリタイアすることになる」
竜神のそっけない言葉に、腹の底に鈍い怒りが灯る。
「……分かったよ」
対戦相手の目線に舞い上がると、フィーは尻尾にくくりつけたデッキを胸の前に掲げて構えた。
「やればいいんだろ、やれば!」
投げやりなこちらの発言をさらい取るように、ゲームの開始が告げられる。
やってきたのは、自分の気持ちが反映したような、そっけない手札だった。
序盤から派手に動けるデッキではないが、それでもマナやコンストラクトだらけの内容に気持ちがしぼんでしまう。
初期手札を一枚減らすことで引きなおしもできるが、フィーは続行の意思を示した。
「それじゃ、こっちから行くよ!」
対戦相手は上機嫌で手札を切ってくる。
手札や山札に干渉するようなアルコン能力は設定していないらしい。手札から嬉々としてクリーチャーを呼び出していた。
漫画やアニメじゃあるまいし、試合のたびに声をあげる必要がどこにある。フィーは淡々と手札を切り、使えるマナの量を増やした。
「こっちのターン!《虹織りの鷹》を二枚目、それから、今いる全員で――」
クリーチャーの攻撃が、こちらの視界を鈍く揺らす。
そういえばあの鳥勇者も、飛行持ちを使っていたっけ。苦々しい気持ちと一緒に、適当に除去呪文を発動、敵の数を減らす。
『お前も、楽しんでこの決闘に臨んでるってことだ。そうだろ?』
三度目の戦いも、ずっと見ていた。
シェートの動きが驚くほどに変わっていたことも、二人がどんな気持ちで、あの場に経つことを選んだのかも聞いていた。
『ほんとはな、俺、この遊び、嫌い違う』
シェートはこのゲームを楽しんでいた。楽しむことができるようになっていた。
『俺、戦い、覚えた。お前のおかげ……ありがとな』
ねじこまれる記憶に、息が詰まりそうになる。
ドラゴンに忘却というものはない。思い出す気になれば、いくらでも鮮明に、過去を現実のものとして再現できた。
『お前との決闘、最高に楽しかったぜ』
なんだよ、それは。
お前だって、ただ呼びつけられて、カミサマの権力争いに利用されているだけの癖に。
どうしてお前みたいな奴が――。
「前を見よ、フィー!」
激しい叱責に顔を上げたときには、もう遅かった。
襲い来る衝撃に、顔が吹き飛ぶ。
首がねじれ、体がきりもみしながら宙を舞う。
回る世界の中、鈍い痛みを感じながら、フィーは自分に一撃を食らわせたものを見た。
人間の衣服を身にまとった、四足のオオカミ。
そして仔竜の体は、激しく地面を舐めながら、闘技場の隅に投げ出された。
「う……ぐっ……ぅっ」
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
「来るな!」
駆け寄ってこようとしたオオカミの正体は、どうやら対戦相手らしい。こみ上げる不快感を必死に飲み下し、フィーは重ねて拒絶した。
「対戦相手を心配なんてすんな。いいから、自分の処理を終わらせちまえ」
「う……うん。次からは加減するから、ほんとごめん!」
足早に駆け去ったオオカミがターンの終了を告げる。人間の姿に戻っても、少年は心配そうにこちらを伺っていた。
「くそ……っ」
「心ここに在らずか。情けない」
文句の返しようもなかった。試合中、余計なことに気を回しすぎていた。
そうだ、別にあんなこと、どうってことはない。
とにかく今は、自分のことに集中しろ。
気を取り直して状況を確認する。手札、墓地の捨て札、自分のライフ。
「……残りライフ、四!?」
「なんだ、そこまで呆けておったか」
竜神の声は凍えそうなくらい、冷淡だった。そっけない指摘に、今更のように自分の置かれた状況が見えてきた。
敵の陣地には虹色の鷹が二体と、大きなネコ科の肉食獣が一体、どちらも油断なく、フィーを睨み付けている。
対するこちらには一体のクリーチャーもなく、手にした二枚の手札では敵の攻撃をしのぎきることはできない。
次のターンで良いカードを引けなければ、間違いなく圧殺されて終わる。そんなギャンブルをするのは論外だ。
それなら、手は一つしかない。
「おっさん悪い。あいつのターン終了前に、例のアレ、頼む」
「断る」
その答えは予想していた。でも、よりにもよってこんな時に。
「今は! 修行とか、試練とか、そういうこと言ってる場合じゃ――」
「シェートの時に言わなかったか。儂はつまらない者に、力を貸すつもりはないと」
振り返ったフィーは、自分の行いを心底後悔した。
背後に鎮座した黄金竜は、どこまでも酷薄な顔でこちらをにらんでいた。
「"刻の女神"よ。"斯界の彷徨者"の名において誓約する。この決闘の間、我が権能の行使を封印せんことを」
「かしこまりました」
審判が宣言が受け入れ、フィーの中に何かの鍵がかかる感覚が伝わった。
この試合中、本当に竜神の力を借りられないということが。
「アンタは! ここで負けても良いってのか!?」
「儂は儂のよしとしたことを行うだけだ。無様なそなたに力を貸すぐらいなら、敗北を受け入れることも止む無しだ」
言いたいことを言ってしまうと、竜神は目を閉じ、その場にとぐろを巻いた。
力を貸すことも、助言をすることも、一切する気はないと。
言葉にならないうめき声をもらし、フィーは対戦相手に振り返る。
「えっと、俺は、ターン終わるけど、いいかな?」
悔しさと苦しさでごちゃごちゃになりながら、ぶっきらぼうに頷く。
あらゆる不満を胸の奥にたぎらせながら、フィーは怒りを吐き出した。
「俺の、ターンだ!」