20、有為転変
エファレア大陸は、その大半が平野と礫砂漠で覆われた地であり、そこを走る大河と、幾世紀にも渡って敷設され続けた街道によって、人々の命脈を保ってきた。
その街道のひとつ、オッホス街道の宿場町ザルテン。
近隣の村で作られた麦や蕎麦が主な交易品であり、それ以外には取り立てて見るべきものもないはずのこの町に、今、広い大陸の各地から、続々と人々が集まりつつあった。
その理由こそが、旧市街に現れた、巨大な建築物だ。
外壁は緩やかな円を描き、その中央にある舞台を取り囲む形で構築されているという。 一階と二階部分は壁自体がなく、梁と柱が交差する角の部分が、緩やかな弧を描き、扉のない城門のような形状に整えられている。
実際、一階の開いた部分は入り口として利用され、入場券を手にした観客たちが続々と中に吸い込まれていた。
周囲は緑の芝生が敷かれ、ここが数週間前まで、打ち捨てられた旧市街だったことを感じさせるものは微塵もない。
物見遊山のために集まった人々は、騒然としながら異様な建築を見つめ、感嘆の声を漏らしつつ、この後に来る祝祭を待ち焦がれているようだった。
「まんず、神さんちゅうのは、えらいことやるでらすなぁ」
そろそろ、別の町へ移動するつもりだった矢先、この建物の出現と共に空から不思議な紙片が降った。
そこに書かれていたのは、想像もしなかった祭りの開催を謳う内容。
神々の力を一堂に集め、その勇者たちが覇を競う姿を闘技場で見せるという。"知見者"の勇者が東のモラニアで討たれて後、平穏を保っていたエファレアに、文字通り降って湧いた椿事に、人々は驚きと興奮で色めきたった。
「あん人ら、だいじょうぶ、らすかなぁ」
この町の人々は、小さなコボルトが神の勇者の一人と戦う姿を見ていた。その噂は風よりも速く伝わり、それ目当てにここへ来るものが増えつつあった矢先のことだ。
そして今日、大陸各地から集められた勇者が、ここで戦いを繰り広げるという。
「まぁ、おらにとっても、ここが稼ぎどこだ。あやからせてもらうらすけ」
顔見知りではあるが、何ができるということもない。自分は自分のことをやり、ささやかながら善戦を祈っているぐらいが丁度いい。
「えーぃ、串焼きいらんかぃー! 今なら焼きたて一ガルテ! 水いらんかぃ、冷たいハッカ水いらんかぃー!」
急ごしらえの屋台の中から、商人は調子の良い売り声を上げた。
その薄暗い空間には、いくつもの影が思い思いの姿でたたずんでいた。
格子状に仕切られた天井からは細い光の筋が漏れ、彼らの姿を浮き立たせていた。誰も一言も口を利かず、ただ静かに、時を待っている。
隙間を通して降ってくるのは日の輝きばかりではない。詰め掛けた群衆の話し声や叫びが、遠い滝つぼの落ちる音のように、この狭い穴倉へと注がれていく。
その全てがシェートの胃を、きゅっと締め上げていた。
これから始まることを思うと、落ち着かない気分になる。自分がこんな場に出ることなど、考えたことさえなかった。
こちらの憂いを察したように、肩に触れてくる女神の手。その温かみを感じると、軽く息をついて、弱気を肺から押し出す。
『れでぃーす、えーんど、じぇんとるめーん! って、こっちの人間にゃ通じないか~、悪い悪い』
気の抜けた声が、群集の騒音を制する。わずかな間を置き、声の主は口上を続けた。
『会場にお集まりの、貴顕ならびに、別にそ~うでもない市民の諸君! 大変長らくお待たせしたな~、いよいよパーティの始まりだー!』
暗い部屋のどこかで、巨大な何かがうごめく音。同時に、天井の格子が左右に開き、床が震えて、次第に空に向けて体が押し上げられていく。
『エファレア大陸中から集められ、きびしぃ~予選を勝ち抜いてきた、選りすぐりのデュエリストたちが、その頂点をかけて競い合う』
今まで頭上にあったはずの地面が目の前を通り過ぎ、均された土の地面が足元の床と一体になる。
『wizdom;the glorious、ディメンショナルカップ"エファレア杯"、開幕だぁーっ!』
口上が終わった瞬間、大気が沸騰した。
こちら囲むように作られた階段状の観客席。空いた席などひとつもなく、最上段の通路に当たる部分や一番下段の柵の部分にも、人々が鈴なりになっている。
「耳、痛いぞ、これ」
「おそらく、数万はいるだろう。"知見者"殿の軍勢と同じか、それ以上かもしれん」
とはいえ、あのときの整然とした鬨の声とはわけが違う。めいめい勝手に、好きなことを吠え立てているせいか、ひたすらにうるさかった。
『おけー、もりあがんのも分かるけど、ちょーっと静かにしてくれ~。せっかく選手たちが出てきたんだ。あいつらの紹介からな!』
広い会場に目を走らせると、北側の客席の中に広く取られた専用の空間があり、そこに声の主が座っていた。黒くて丸いその姿は、おそらくドラゴンの一種なのだろうか、手前に置かれた棒のようなものに向けて喋りかけている。
その隣には、だいぶすらっとした姿の赤いドラゴンが座っている。そちらは目を閉じたまま、一言もしゃべろうとしない。
『まずは、大会前からど派手なデュエルで、大衆を魅了したヒーロー。"虹の瑞翼"ヴィースガーレとその勇者、紫藤伶也!』
いきなり呼びつけられた少年は、それでも動揺を押し込めて一歩進み出る。肩に止まっていた小鳥が真の姿を現すと、会場が一斉に沸いた。
その中には、少なからず黄色い声援も混じっている。どうやら街中での戦いで知名度と人気が上がっているらしい。
『聞けば、ウィズはこっちに来てから初めてやったらし~ぞ。天性のデュエル勘でどこまで勝ちあがれるかに注目しよう! ついでに言うと、この大会最年少だ!』
なぜそんなことを言う必要があるのか、その疑問はすぐに拭われた。
『じゃあ、せっかくだから、次は今回最年長の参加者をご紹介だ! "護民官"フェム・ゲユーグル・ベファウ・ルージとその勇者、首藤勇実!』
無精ひげを生やした中年男が、むっつりとした顔で進み出る。痩せてひょろりと伸びた長身と、そのあたりの古着屋で買ってきたような麻布の上下。勇者という華美な称号をまとうには、いささかお粗末な容姿だ。
その背後に付き従うのは、金属の塊でできた巨人のような神。身動きするたびに、きりきりと金属のきしる音が響き、目と思しき部分には、丸く切り取られた雲母のような石が埋め込まれている。
異様な姿の神と冴えない風采の男に、先ほどまでの盛り上がりは薄れ、観衆の歓声が少しばかり小さくなった。
『へいへーい、露骨に空気冷やさない! 当年とって三十二歳、まだまだぴちぴちの男盛りだぜー? ちなみに勇者になる前は、しがないSEをやってたそうだ。って、会場のみんなにはわかんねーな』
「あの糞デブドラゴン、機会があったらしばく」
小声で憤った男は、それでも平静を装って観衆に手を振ってみせる。それなりに顔は知られているのか、一部から声援も上がっているようだった。
『んじゃ、一番最後に回しちゃいけない人が紹介し終わったところで』
「そういう意図か! MCだったらいろいろ拾って盛り上げろよ!」
『しょうがねーじゃん。この中で、あんたがいっちゃん華ねーんだもん』
「覚えてろテメェ! 後でぜってーしばく! しばきまわす!」
思わぬやり取りに会場が沸き、怒りをあらわにした中年男を置いて、黒ドラゴンは紹介を続行した。
『お次は"嵐群の織り部"女神サドゥルとその勇者、天羽駆斗だ。狩をする群れの統率者で、よその世界じゃ結構メジャーな狩猟の神なんだぜ~。以後お見知りおきをってところだな』
伶也と同じ歳くらいの少年が、伴った女神に押し出されるようにして進み出る。女神のほうは一見すると人間のようだが、手足の形が人のそれではなく、何かの獣のような形状をしていた。
「あはは、ど、どうも、よろしくー」
「気の抜けた挨拶をするな、しゃんとしろっ」
様になっていない挨拶と、呆れ顔で叱咤する姿に、普段の力関係が目に浮かぶようだ。
『どんどん行くぞー。次は"玩弄せし者"ザルタンヴァルと竜崎剣のペアだ。天界には"審美の断剣"や"覇者の威風"みたいな軍神が数いるけど、この神もそういう一柱だ。とは言え、その出自がちょっと変わってるけどなー』
紹介された勇者の少年の背後には、身の丈ほどもある巨大な剣が背負われている。つまり、あれが彼の神ということだろう。勇者自身も皮鎧を身につけ、剣士のような装いだ。
『幾多の戦場で鍛え上げられた一振りの剣が、信仰を得て軍神となった。その切れ味を、カードゲームって戦場でも、見せ付けることができるか~』
少年の表情は硬く、緊張が見て取れた。剣の神の方も朴訥な性格なのか、語りかけている様子もない。さっきの女神と少年とは別の意味で心配になる組み合わせだ。
『んで、次の選手なんだけど~、しょーじき、オレとしてはあんまり紹介したくないって言うか、今すぐ仕事にもどれって感じなんだけどな~』
「余計なこと言っとらんで、さっさとやらんか」
竜神の声に、黒い小竜はやけくそ気味に叫んだ。
『ええい、もういっちゃうぞー! 我が竜洞の恥さらし! アホの主様こと"斯界の彷徨者"にして"万涯の瞥見者"、竜神エルム・オゥドと"青天の霹靂"フィアクゥルだぁっ!』
大またで進み出ると、竜神は自らの本性を、降り注ぐ日の下に惜しみなくさらけ出す。
その途端、会場は悲鳴と歓声であふれ、気の弱い者はその場に倒れ付した。
『主様ー、ちょっとは人の迷惑とか考えろよなー。観客に被害出してどーすんだー』
「馬鹿を言え。ここで慣れておかなかったら、後々の試合が面倒になろうが。それに、まずは観客のハートをがっちり掴みに行くのが大事なのであって」
「おい、おっさん! 主役の俺より目立ってどうすんだよ!」
ひどい身内の揉め事を、観客も勇者たちも、どこか胡乱な顔で眺めている。サリアはつくづくとため息をつき、シェートは全て見なかったことにした。
『主様はともかく、うちの仔竜は結構優秀だから、見といて損はないんじゃないかなー、はい次』
「なんで儂らの紹介、そんなぞんざいなの」
『MCが身内びいきしてどーすんだって話なの! さっさと次行くぞ! 時間押してんだから!』
何も紹介していないも同然のやり取りだったが、ドラゴンという最強の異種に対する恐れや警戒心はだいぶ薄れたようだった。その分、無くしてはいけない何かが、大量に失われた気もするが。
『ではお次は――』
「はいはい! 次は私、私でしたか!」
「ちょ、ちょっとクーリッ」
褐色の肌をした女の子が、叫びながら飛び上がる。それを勇者が必死に押しとどめようとしていた。
「いい加減、三下の話はいいでしたから! さっさと主役を仲介しやがれでしょう!」
『おっけー。んじゃ、実力未知数、態度のでかさ測定不能、"八瀬の踊鹿"クーリ・スミシェと海道俊之、君らに決めた~っ!』
胸をそらし、鼻息も荒く前に進み出る獣の女神と、周囲に頭を下げつつ後に続く勇者。
どちらが保護者かと聞かれれば、間違いなく少年の方だと答えるだろう。きかん坊の妹を必死にたしなめる兄、といった感じだ。
『"八瀬の踊鹿"はこの大会の主催者"愛乱の君"の側女であり、彼女に舞を奉納する神姫でもある。そそっかしいのが玉に瑕だが、舞は天下一品だと、女神もほめてたぞー』
「え!? お、おひいさまが!? うわぁ、私、ここでもがんばるでしたから! トシユキ、お前も死ぬ気でがんばるでした! むしろ死ね!」
「いきなり死刑宣告!?」
観客たちは、分かりやすい性格と見た目の可愛さからか、女神に好意的な声援を送っている。本来押し出すべき勇者は、完全に忘れ去られているようだが。
「さて、紹介選手も残すところあと三人、次はこの大会のダークホース」
声に導かれるように、冷たい足音が前に進み出る。
そいつは、この多彩な集団の中にあっても異様な存在だった。
『"羊もこもこ神"ブラックバトラーと、謎の仮面デュエリスト、"D"だぁ!』
背丈は、他の勇者たちよりも少し高いくらいだろう。
つややかに光る真紅のマントを背負い、体を締め付けるようなベルトをいくつもつけた上着に、太ももにぴったりとした黒皮のズボンを履き、厚手のブーツで足を固めている。
何より目を引くのが、顔を覆う目鼻のない白仮面。
『本人立っての希望で、素顔は隠させてもらってるけど、実力は折り紙付きだぞ。それにしても、何とも言えないファッションセンス、一体どこのデュエルアニメから沸いて出たって話だぁ~!』
「それ以前に"羊もこもこ神"って……ブラックバトラーって……完っ全に、人を舐めてるだろ、あいつ」
その正体を知っているフィーは、呻きながらよろめいている。派手な格好の主人の足元に、楚々とした様子で引っ付いているのは、二足歩行の黒い羊めいた存在。
一応、他のデュエリストたちも、この大会に魔王が出ることは承知している。知らないのは、これを見に来ている観客たちだけだ。
「しかし、間近で見ていると、何か胸がざわめくような気分になるな」
隠しきれない不安をつぶやいたサリアに、仮面が顔を向ける。
表情はなく、声もなく、視線もない。
だが、その内側に充溢する敵意は、一切隠すところなく伝わってきた。
『さてさて、ここまで引っ張ってきたけど、いよいよメインの紹介だ。はるか東のモラニアより、幾多の戦場を越えて来た猛者』
あまりにも不釣合いな評価に、さすがに苦笑が浮かぶ。それでも、シェートは臆することはなかった。
『"平和の女神"サリアーシェと、そのガナリ、コボルトのシェート!』
紹介されると同時に、観客から少なくない不満の声が上がる。遠くからの声は、確実に魔物という単語が含まれていた。もしかすると、モラニアでの一件を知っているものがいるのかもしれない。
だが、黒い竜の方は、シェートに目をやると、意味ありげに片目をつぶって見せた。
『観客の中には、あいつが魔物だってことに、納得いってない奴もいるみたいだなぁ。だがしか~し、ここはカードの腕前が物を言う戦場!』
座席から勢い良く飛び出すと、黒いドラゴンは棒を片手に、力強くまくし立てた。
『種族の違いも、身分も、守護を担う神格の上下さえ問われない! ただ強くあること! それこそが、決闘者の価値ってもんだ!』
彼の言うとおり、ここで繰り広げられるのは"神々の遊戯"ではない。
集めた札の束で雌雄を決する、全く異なった遊戯だ。
『これからお前たちの常識を覆す、最高の出し物が繰り広げられる。その一翼を担うのがこのコボルトだ。食わず嫌いすると損するぞぉ~!』
司会の取り成しに、不満の声はそれなりに小さくなる。魔物といってもたかがコボルトという思考も働いたのだろうか。
『そして、この場を設え、オレたちに最高の娯楽を提供してくれた、大会の主催者様のご登場だせ! ぜーいん、空に注目っ!』
突然、雲ひとつない快晴の空が、闇に覆われた。
あたりが急に薄暗くなり、人々が再び悲鳴を上げる。その怯える者たちをなだめるように、一筋の光が競技場の中央に降り注いだ。
その煌きに彩られ、降臨する姿がある。
「皆の者、良くぞこの地に集った」
これまで見てきた薄手な衣ではなく、たっぷりとした裾と袂を持つ、豪奢な衣装に身を包んだ"愛乱の君"は、中空にその身を遊ばせながら微笑みを浮かべた。
「戦うべきものは存分に戦い、楽しむものは存分に楽しむが良い。喜悦と快楽を担うもの……"愛乱の君"の銘の下に」
神々の前で見せた、砕けた調子は微塵もなく、冷たいとすら思える美しさを惜しげもなく放ちながら、女神は地上に降り立つ。
その片手を取って導くのは、彼女の勇者である三条日美香。細身の体と、きびきびした物腰のせいか、どこか少年のような振る舞いを感じさせた。
『これで、今回の出場者、九名が出揃ったわけだ。さっそく対戦方式について説明しちゃうぜ~。んじゃソール、後は頼むわ~』
それまで、彼の隣でむっつりと黙り込んでいた赤い小竜は、不機嫌そうな顔つきで目の前の棒を掴んだ。
『このたび大会運営委員を仰せつかりました、竜洞の管理者、"瞋恚焔"のソールと申します。簡単にですが、今回の試合形式について解説させていただきます』
黒いドラゴンと違い、今度の赤いドラゴンは、情感を込めずに話していく。こんな役割は早く終えたい、そんな気配さえ感じさせる口調で。
『形式はシングルエリミネーション、一対一の勝ち抜き戦で、最後まで生き残ったものが優勝者となります。対戦相手の組み合わせはこちらの図をご覧ください』
赤いドラゴンの説明に合わせ、虚空にこれから戦うべき相手が表示される。読み取れないシェートに代わって、内容はサリアが説明してくれた。
「我らは一回戦。最初に戦うことになる。相手はフェム殿の勇者と決まったようだ」
先ほどの中年男が、こちらをじっと見つめている。勇者といえば少年少女ばかりだったせいか、ひどく異様な存在に思えた。
「フィーとレイヤは?」
「フィーの相手はサドゥル殿の勇者だ。そして……伶也殿の相手、なのだが」
伶也は、自らが戦うべき相手と対峙していた。
視線の先にたたずむのは、無貌の仮面。
「大会開催はこれより一時間後。開始十分前に再度連絡いたしますが、試合開始後は一切の入場を禁止いたしますので、お早めに席へお戻りください」
赤い竜が淡々と説明を続ける中、勇者たちは互いの対戦相手を見つめ、静かに闘志をたぎらせていた。