14、崩壊
満身から放散される、魅力と光輝。
無邪気な笑みをたたえた彼女を目にしているだけでも、同性であり同格の神威を持つはずのこちらさえ、魂が引き込まれるような錯覚を覚えた。
「おやめください、"傾世の艶妃"」
"愛乱の君"の別銘を口にしつつ、サリアは進み出た。
それまで不安そうにしていたフィーも、一瞬だけその威に触れたシェートも、その視線に潤みを混じらせている。
「あら、ごめんあそばせ」
途端に、むせ返るような神威は消え去り、距離を置いて控えていた竜神は、嫌そうに鼻を鳴らした。
「無用な雌臭さを放つな、"放埓なる聖牝"よ。そういう仕儀は豊穣の祝祭の折に、存分に行えばよかろうが」
「いやいや、処女で少女で娼婦で淑女たる私といたしましては、たまにはこういう、暴力的な勧誘もやってこうかな、ってことでね」
白い手袋に包まれた右手を口元にあて、楚々とした笑みを浮かべると、幾分か表情を引き締めて、女神は語りだした。
「今回私が出向いた理由は二つ。一つは、シェート君のスカウト。もうひとつは、サーちゃんの今後の身の振り方を聞きに来たの」
「私、ですか?」
「"虹の瑞翼"の勇者に、二回も負けたんでしょ? そういう敗北を経て、気分的にはどうかなーって」
自分達の実力が、敵に対して遠く及ばないと実感している今、"知見者"に掛けられた以上の揺さぶりを掛けてきたということだろう。
反射的に、サリアは拒絶を口にしていた。
「それは……そちらには関わりの無きこと」
「もちろんその通りよ。でもさ、こっちは大会運営も兼ねているわけで、参加者の意向や不満は、常にリサーチしておかなきゃだから」
「要らぬ心配です。私は――」
「シェート君はどうかな?」
"愛乱の君"の問いかけに、コボルトは言葉を詰まらせた。いつもなら、掛けられた挑戦の言葉に反駁の一つも唱えているところだ。
だが今は、竜神の問いのせいか、すっかり生気を失っている。
「知ってると思うけど、神々の遊戯はあくまで勇者が主体よ。彼が遊戯を降りるといえばそれは認められるわ」
長い口吻が頼りなく開かれ、シェートはそれでも、否定を口にした。
「俺……辞める、言わない。お前のもの、ならない」
「まーた振られちゃったか。まあいいわ、竜神の口車にのってゲームから降りるんじゃなければ、なんでもね」
「人聞きの悪いことを。儂は口車など乗せておらんぞ」
「弱みに付け込んで意識を揺さぶってる以上、その言い逃れは聞けないなっと」
あたしも同罪だけどね、笑いながらそう付け加えると、マクマトゥーナはくるりと身をひるがえして、こちらに向き直る。
「まあ、あたしとしてはリタイアしなくて良かったけどね。あなたをスカウトしたいのはホントのことだし」
「何をたくらんでおいでなのですか」
「企みー? それはもう全部終わったよ。事態は次のステップに移行中」
「つまり我らは、罠に掛かった獣にすぎぬ。そういうわけですか」
「ん? んー……そういう解釈に、なっちゃうよねぇ。やっぱり」
"愛乱の君"の言葉は、心から残念な風だった。無論、技芸の神たる彼女からすれば、それもまた演技なのかもしれないが。それでも、こちらの様子を眺める目には、こちらを気遣う雰囲気があった。
「例えばね、あたしの今まで言ってきた事が、全て本心からのものだ、って考えてみて」
「……どういう意味でしょう」
「意味も何も、質問してるのはこっちよ? あとね、あたしって、秘密を作るのは好きだけど、本心を偽るのは好きじゃないの。この口から出た言葉は、全部ほんとのこと」
サリアは、これまでの彼女の言動と行動を思い出してみた。
本来、この神規はイヴーカスの勇者と同じく、ギリギリまで隠し通さねばならないもののはずだ。その種が割れれば対策を取られ、悪くすれば自分が敗北する。
日美香という少女の実力は高いものなのだろうが、それを信じているなら、"知見者"との戦いも行っていてもおかしくは無い。
その上、自分の神威を担保に、数多くの神を再び遊戯に招き入れている。サリアたちの敗北を聞きつけ、その意思を確かめた理由が、こちらの不戦敗と切り崩しを狙ったもので無いのだとしたら。
『目立ちたがり、祭り好き、楽しみのためなら労苦を惜しまない。生まれながらの享楽主義者よ』
「"愛乱の君"……まさか、あなたは」
それが彼女の本意なら、どうかしているとしか言いようが無い。
サリアは恐れを抱きつつ、問いかけた。
「皆で、この新たな遊戯を楽しむためだけに、このような大仕掛けをなさったのですか」
「そうよ? 理由は数あれ、一番大事なのはそこ」
童女の無邪気さで、女神は笑った。
信じられないという思いと、妙に納得する気分が、胸の中で入り混じる。
「あたしはね。常々思ってたの。神々の遊戯は、とてもつまらないって」
崩れかけた家屋を背景に、真紅のドレスを纏った彼女は、大きな身振りを交えつつ、朗々と演説を開始した。
「遊戯と銘打ちながら、やっていることは人間達の宮廷闘争と変わり無い、事前の打ち合わせと根回しがうごめく出来レース。その上、少しでも上位に食い込むものがあれば、談合して叩き落す、見苦しいだけの三文喜劇」
長い嘆息と、いずこからとも無く取り出した象牙の扇をひとあおぎ、ぱちりと閉じて、その先をサリアに突きつけた。
「ところが、ここに来て思いも寄らないことが起ったわけ。それが、サリアーシェ・レッサ・スーイーラ、あなたの活躍! ほんと、胸がすく思いだったわ! まぁ、イヴちゃんには、ちょっとかわいそうな結末だったけどね」
「貴女にとって、我らの足掻きなど、喜劇に過ぎぬと」
「『人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットなら喜劇』って奴よ」
悪びれもせずに言ってのける顔は、年頃の少女の笑みを浮かべていた。おそらく、日美香という少女と、変わらないほどの。
「そうそう、もう竜のおじさんにも伝えたから言うけどね。現行の遊戯システム、今回で撤廃するつもりだから」
「な……!?」
「四柱神のみんな、それぞれ思うところがあってねー。勝った神が好きにしていいってことで納得して、それぞれ競い合うことになってたの」
驚きではあったが、その発言には納得の行くところもあった。"知見者"にせよ"愛乱の君"にせよ、それぞれの神規は大規模で、有無を言わせぬ力を付与している。
全ては勝ちに行くために、ということなのだろう。
「"知見者"殿の言動には、そのような背景があったのですね」
「あいつが最後の最後で勝負を降りたのは、サーちゃんと泥仕合を演じて神威を減らしたくなかったから。その後の発言権が減るし、そもそも、サーちゃんが私達に敵うわけが無い、と思ってたんでしょうね」
「やれやれ。あの男、どこまで行っても引き算でしか策を考えられぬ奴だ」
竜神の揶揄に"愛乱の君"は笑い、それから顔を引き締めた。
「今回のカードゲーム大会、本当は石になっちゃった子も誘って、大々的にやるはずだったんだけど、結果としては満足がいくものになったわ。だって」
「このゲームこそが、そなたの思い描く次世代の遊戯、その形を示し、天界全体に協力者を広く募った、というわけだな」
「その通り!」
なんという、ばかげた話だろう。
壮大というべきか、誇大妄想もはなはだしいというべきか。だが、その取り組みは天界を巻き込み、今後の世界を左右しかねないものとなっている。
「フルカムトはもう終わりよ。ああして野心をむき出しにしてしまった以上、今後も強硬策を取るしか無い。そして他の小神達や、これまで遊戯に参加できなかった獣神、異形神たちは彼を否定し、私の遊戯を支持するでしょう」
「勇者の能力はカードの腕前に依存するが、それも初期の手札を一律にしてしまえば、不平等は限りなく低減できるか。なるほどな」
「そういうこと。あたしの策、ご理解いただけたかしら」
語り終えた"愛乱の君"は、スカートのすそをつまみ、優雅に一礼して見せた。
我が演目を得とご照覧あれ、そんな思いを浮かべてこちらを見つめる目には、限りない自信があった。
「もちろん、暗闘や談合は消えないと思うわ。それでもカードゲームというルールなら、神威の多寡は意味をなさない。純然たる実力と運を比べ合い、覇を競い合う。本当の意味での神々の遊戯を、私は実現してみせる」
「なるほど。"panem et circenses"か」
太い手が乾いた拍手を打ち鳴らし、前に進み出る。それまで独演を続けていた女優の傍らに、太った喜劇役者然とした男の姿が並び立った。
「我は遊戯の庇護者なり。我がスカートの裾に縋り、老いも若きも快悦を貪るがよい、と言うわけだ」
「ちょっと寸評が下品すぎるんじゃありませんこと? "斯界の彷徨者"様?」
「雅に言おうが野卑に言おうが、結果は変わらぬであろうが。そなたのやっていることは遊戯の独占だ」
確かにそうかもしれない。
だが、そのことに反論するだけの言葉は、今のサリアには思いつかなかった。
彼女はここに至るまでの間、自らの才知を使ってこの場を作り上げた。神規の力だけではなく、世界がどのように変わるか、どのように変えるのかを具現化したのだ。
「でもね、おじいちゃん。その謗りは意味を成さないってこと、分かってるでしょ?」
「新たな秩序を建てんとするものが、自ら戦場に立ち、将器を問うているのだ。その点に関しては、全く曇りなく、そなたは公平だ」
「日本のトップデュエリストを引っ張ってきておいて、公平かよ」
「ヒミちゃんのこと? ああ、あれは別件」
観客から飛ばされた野次をからりと笑い飛ばし、女優は一枚のカードを取り出した。
その図柄を隠しつつ、秘密の一端を告げる。
「今回の計画にはね、私と息が合って、かつゲームに習熟している子が必要だったの。そして、その協力者の願い事も、叶えてあげるつもりだった」
「それが、あの日美香って子なのか?」
「胸に切実な思いを秘めた、若き決闘者。そして、神の世界を刷新し、みんなを笑顔にしたいと志す美貌の女神」
自分で言うなというフィーのぼやきに耳も貸さず、彼女はカードを虚空に消し去った。
あの一枚が、その願いを体現しているというのだろうか。それとも、別の意図があるというのか。
「あたしの神規を原型にして、新たな神々の遊戯を創り出す。そして、みんなが楽しく決闘できる世界を創ること。それがあたしの、唯一無二の願いよ」
その言葉は、真っ直ぐにサリアを射抜いた。揺るぎ無い信念に基づいた行動には、虚心や謀略とは無縁の力強さがあった。
「師、曰わく。之を知る者、之を好む者に如かず。之を好む者、之を楽しむ者に如かず、と言ったところかな」
こちらを見つめる目に、明らかな哀れみを浮かべて。
「さて、サリアよ。そなたにも、シェートと同じことを告げようか」
「私に……遊戯から降りろと?」
「然様」
いつか、滅びかけたサリアの星の上でしたように、男は穏やかな言葉を連ねてゆく。
「所領を重ねて大神と成り、自らの星も潤った。これ以上を望むべくもないと思うが」
「利得ではありません! 遊戯の欺瞞を正すこと、そのために私は!」
「改革を成したいというなら、遊戯を降りて後、儂が知恵を貸そう。暴力ではなく対話で変化を呼ぶこと。それがそなたの願いではなかったのか? "平和の女神"よ」
言い返せない、返す言葉が見つからないこちらに、なおも竜神は畳みかける。
「"愛乱の君"の手法、確かに優れているのは事実だが、そう簡単にみなが納得するわけでもあるまい。大神の儂ら二柱が嫌だといえば、方向修正を余儀なくされような」
「なーんで今、そういうこと言っちゃうかなぁ? だからリタイアなんて真似、されたくないんだってっばぁ~!」
竜神の言葉は正論だった。
彼女の神規に勝てない以上、戦いの場を切り替えるのは有効な手段だ。彼が協力してくれるなら、難しい交渉も腹芸も、なんなく乗り切っていけるだろう。
「シェートにも言ったが、彼の者に安住の地をもたらすことも、儂ならばたやすい。封じられた星に、コボルトだけの楽園を築くこともできよう」
懐柔の言葉が、砂の城のように戦いの意志を突き崩す。
それはとても優しく、傲慢で、神の御業に満ちた宣言だった。
「なによりもだ。そなたのクソ意地に、これ以上シェートを巻き込んでよいのか?」
とどめのように放たれた一言が、サリアを貫いた。
小さな狩人、異邦の友、大切な恩人。
あの小さなコボルトのためなら、なんだってしよう。そう思っていたはずだ。
なにより彼は、もう十分傷ついてきた。
こんな運命から解き放ってやるのは、正しい道のはずだ。
「わ――私は」
「御注進いたします、"愛乱の君"」
いかなる思いを乗せたものであれ、サリアの言葉は永遠にさえぎられた。
"刻の女神"の姿が、マクマトゥーナの真紅の傍らに侍る。闖入者の存在に迷惑そうな顔をしたものの、仕方ないというように女神は報告を促した。
「"峰槌の細石"様、決闘にて敗退、石化なされました」
「あらら、ミスっちゃったか。そういううっかり死があるのも、カードゲームの怖いところよね。で、相手は?」
その不思議な色合いの瞳をサリアに向け、まったき笑顔で答えを告げた。
「対手は――魔王軍、でございます」
呆然とした"愛乱の君"に対し、サリアは慄然とした。
同じ思いを抱いたシェートとフィーが視線を交わし、竜神は、爆笑した。
「ちょっと、魔王軍が、なんで」
「ショウは終わりぬ、だ。"愛乱の君"よ」
いずこからともなく取り出したシルクハットを胸にあて、軽快に一礼すると、竜神は微笑をたたえて宣言した。
「さて、ここからはそなたの夢の強度が試される時だ。抱いた願いと理想、どの程度のものか、得と拝見させて貰おう」