9、休戦
これは重い。
口に出さないまま、フィーは心の中でぼやいた。
決闘が不本意な形で終わった数分後。一行は当てもなく、町の中を歩いていた。
前を行くサリアとシェートは、言葉どころか視線さえ交わしていない。さっきの引き分けがよほど堪えたんだろう。
コボルトは口を結んで黙ったまま、狼の上に揺られている。乗り手の不機嫌を感じ取って、グートの尻尾も緊張に膨らみっぱなしだ。
女神の方は小声で復唱を繰り返している。切れ切れに聞こえてくるのは、ウィズのターン進行とカードの名称。
何より、自分たちの後ろからついてくる竜神の沈黙が、いっそう不気味だった。
風をまとい、軽やかに飛び進んでいるはずの体さえ、今にも地面にへばりつきそうな不穏な圧力を放つ集団。道行く人々もよけて通る始末だ。
この雰囲気を変えないと、こっちの胃に穴が開いてしまう。
「ま……まぁアレだよ。相手が油断してくれて助かったよな」
誰からのリアクションも拾えるよう、フィーは心持ち声を大きくした。
「デュエリストだかなんだか知らないけど、勝ちに行くところを、わざと引き分けにするなんてな。舐めプもいいところだぜ、うん」
返事どころか、こちらを気にするそぶりさえない。
触れられるぐらいの距離にいるのに、見えない壁が立ちはだかっているかのようだ。
「一週間もあるんだ、その間にみっちり練習して、あいつを負かしてやろうぜ!」
フィーの言葉に、とコボルトの肩がぴくりとはねた。呟くのを止めたサリアが、あいまいな表情でこちらを振り返る。
ようやく、これでまともな会話に入れる。二人の気持ちをほぐすべく、仔竜は思いつく限りの好条件を口にしようとした。
「本当に、そんなことができると思っているのか」
真冬の室外プールより冷たい問いかけに、せっかく緩みかけた空気が凍る。
いらだって振り返ったフィーは、それ以上の反論を引っ込めるしかなかった。
竜神の顔に浮かぶのは、柔和さなど完全に消し飛んだ硬い表情。怒りではない、それは失望に近い感情だった。
「や、やってみなきゃ分からないだろ!?」
「竜ともあろう者が、不確かな希望的観測を語るな。我らに必要なのは、正確な現状把握から導き出す、確固たる理路だ」
口にする一言に、いつもの諭すような調子が混ざりこむ。
それでも、続いた言葉には苦い現実への指摘が溢れていた。
「シェートへウィズの基本ルールを教え、その上でカードの使用方法を理解させ、デッキの構造を把握させる。その上で、あの少年に勝つ。それが、一週間という時間で成さなければならぬ課題だ」
「いくらなんでも、そこまでする必要はないんじゃ」
「シェートに山仕事を仕込まれた時のことを忘れたか。山菜取りの一つさえ、狩人の流儀を漏れなく伝えられたであろう。あれと同じことだ」
何もかも、おっさんの言う通りだろう。
知識を身に付け、己の力にするには段階を踏む必要がある。ドラゴンの『識』に目覚めた自分でさえ、それは変わらない。
指摘されたすべてをシェートが身につけるには、どれだけの時間がいるのか。
さっきのデュエルを思い出し、フィーは黙って顔をうつむけた。
「そう、間に合わぬのだ。そなたにも理解できたようだな」
いつの間にか、前の二人も足を止めてこちらを見つめていた。シェートもサリアも口を開きかけ、語る言葉を失ったまま立ち尽くしている。
「そこを何とかするのが、おっさんの策じゃないのかよ」
「不安を消すために、安易な答えを求めるな。それは道を失うのと同義と心得よ」
突き放され、フィーは現状を思い返してみた。
"愛乱の君"の神規を、直接破ることはできない。暗殺は自動で防がれるし、カードの神規からはじかれてしまえば、こちらはただ狩られるだけになる。
カードゲームに不慣れなシェートは、ルールの把握さえおぼつかない。上達するどころか、どうやって内容を理解させれば良いのかさえ分からないのだ。
その上、倒すべき相手はカードゲームの熟練者。このままでは追いつくことなど、夢のまた夢だ。
「わ、私が、もっと正しくシェートを導けていれば」
「そうだな。具体的には、どのように?」
「それは……」
サリアのあがきを一蹴すると、竜神は心底呆れたというように、ため息をついた。
「どいつもこいつも、落第点ばかり取りおって。これでは儂が力を貸す気も失せようというものよ」
「お……おっさん?」
「もうよい、後は好きにせよ。儂は降ろさせてもらうぞ」
言いたいだけ言ってしまうと、竜神はシェートとサリアを追い越し、ずんずんと先に進んでしまう。
「ちょ、ちょっと待てよ! まさか、こいつらを見捨てるつもりか!?」
「そういえば、そこな仔竜は我が配下であったな。今のそなたらには過ぎた代物、返してもらうぞ」
太い指が、ぱちりと鳴らされる。
気が付くとシェートたちの姿は消え、自分たちも見知らぬ雑踏の中に立っていた。
空間の転移、聲を放つそぶりさえ見せない異能に驚きを隠せないが、今はそれを気にする場合ではない。
「おい! いくらなんでもひどすぎるぞ!」
まるで飽きたゲームを削除するように、そっけなく告げられた破談の言葉。竜神はこちらの憤慨を気にもせず、懐から葉巻を取り出して火を点した。
「タバコなんて吸ってる場合か! このままじゃあいつら」
「無論、負けるであろうな。そんな当たり前のこと、繰り返す必要もあるまい」
「だったら」
「それがどうした」
竜神の顔には、直接的なくらいの不満があふれていた。これまで見せていたものとは違う、あけすけな感情が吐き出される。
「これまでサリアに協力してきたのは、あやつらの行動が面白かったからだ。力を貸すに足りうる意外性と、それを生み出す意思に溢れていた」
「それが無くなったから、もういらないって、そう言いたいのかよ」
「"愛乱の君"に勝つ手段ならあるぞ」
さすがに、その発言を飲み込むには、少しだけ時間が必要だった。
理解したあとに湧いてきたのは、無数の疑問。
ならどうして、いやそれは、このおっさんであれば、つまり。
「……"知見者"の時と同じか。策はあるけど、今使える策はない。そういうことなんだろ?」
「策謀とは、不断の予測と布石を積み重ねたものを言う。場当たりな手当てに気を取られておるようでは、軍師としてはまだまだ未熟よな」
考えてみれば"知見者"軍と相対した時も、魔王城からの脱出も、事細かな竜神の手配りがあった。となれば、今回も同じように何らかの策が『現在も』進行しているはずだ。
「それならそうだって言ってくれよ。てっきりあいつらを完全に見放したかと思ったぜ」
「いや、見捨てておるぞ」
言葉はそっけなく、それでいて冷たく断じられた。
「あやつらが使い物にならない以上、儂は一番の下策を使って勝つつもりだ。ゲームが楽しめなくなったのなら、勝ちを拾って満足するほかあるまい」
「意外ね。こんな段階で、もうサーちゃんを見捨てちゃうんだ」
角に染み込むような甘い声が、背後から掛けられる。
宴会場の派手な姿から一転、全身を黒系のスーツでまとめた"愛乱の君"は、挑発的に腰を浮かせた姿勢で、こちらに微笑んでいた。
「博打は引き際が肝心だ。勝ち逃げを意識してこそ、高い勝率が保てるというものよ」
「一発逆転大穴狙いの博徒が言う台詞じゃないわね。"竜とは貪欲に翼と鱗が生えたもの"って言葉は、あなたのための謂いではなくて?」
「生憎、儂は吝嗇で通っていてな。一度得たものは死んでも失いたくないのさ」
「その割には、あっさりシェートたちを見捨ててっけどな」
吐き捨てたフィーの言葉に、なぜか竜神と女神は、楽しそうに笑い声を上げた。
タイミングも、浮かべた表情も、そこにこめられたであろう意味も、寸分たがわずに。
「そろそろ来る頃だろうとは思っていたが、実に良い潮目だな、"愛乱の君"」
「さすがは"斯界の彷徨者"。その太鼓腹に詰まった腹案には、こっちの動きも織り込み済みってわけね」
「こんなもの、智謀を宿すそなたの双丘と比べれば、益体もない贅肉の塊にすぎんさ」
和やかに語り合う神々。
その声を聞いていたフィーの体に、言い知れない圧力が掛かる。
見えない圧が、軽いはずの仔竜の体を、その場に縛り付けた。
「ねえ、これから一緒に食事でもいかが? もちろんお代はそっち持ちで」
「交渉相手に晩餐を手配させるとは。先の大盤振る舞い、だいぶ堪えたとみえる」
「ええ、その通りよ。おかげで金蔵はきれいさっぱり、砂金の一粒さえ残ってないわ」
冗談めかした女神の物言いに、竜神は笑いもせずに頷く。
「どうせなら、ここではなく別の街にでもせんか。知っての通り、今はサリアたちと顔を合わせる気が起きんのでな」
「いっそのこと、"神去"にでも行く? あそこなら他の神々に聞かれる心配もないし」
「例外を重ねると"刻の女神"が良い顔をせんぞ」
「結果がどうあれ、従来どおりの遊戯は今回で終わるわ。例外の一つや二つ、作ったところで無問題よ」
他愛ない語らい。
その中に混ぜられた真実を、虚偽を、肉厚な拳のように叩き付け合う二人の神。
シェートたちが漏らしていた、幼稚な愚痴の産物とは違う。互いを出し抜き、一撃の下に打倒しようする戦いの緊張感が、大気を圧していた。
「ところで、フィアクゥル君はどうするの? 一緒に連れてく?」
「ふぇっ!?」
いきなり話しかけられ、全身の麻痺が解ける。吸い終えた葉巻を虚空に消し去ると、竜神は詰まらなそうな膨れ面をしてみせた。
「仔連れデートとは、色気もあったものではないな」
「連れてかないならそれでもいいけど、彼なしじゃ済まない話もあるでしょ?」
「そうさな」
楽しげな笑いで唇をゆるめると、竜神はフィーに向かって問いかけた。
「儂はこれから"愛乱の君"と悪だくみの相談をする。そなたが来たいというなら、連れて行ってやらぬでもないが、どうする?」
どうする、だって?
「行く」
シェートのことは気になるが、自分がそばにいてもやれることはない。
だからこそ、竜神は力を使ってまで、彼らと分断してみせたのだ。
右肩上がりの口笛で女神が賞賛を奏で、竜神は満足してうなずく。
「では行こうか。場所は"神去"――」
竜の聲が世界を震わせ、景色がぐにゃりと歪む。
妙なる謳より書き換えられた視界の向こうに、懐かしい世界が広がっていた。
アスファルトと乾いた石材の香り、人ばかりの雑踏、乏しい緑と白々しい青空が、変わらぬまま、そこに在った。
「――惑星地球の一地方国家、日本だ」




