8、心理的打撃
"虹の瑞翼"、ヴィースガーレの神座は、その主星にある、峻険な霊峰を模して作られていた。
希薄な大気と、切れ切れに流れる幾筋もの雲。雪をかぶった岩肌を背景に、日差しに温められた僅かな盆地が、時知らずの草花を生い茂げらせている。
そんな高峰の座に、幾柱もの神が集っていた。
「みな、"愛乱の君"の呼びかけ、集うですか」
「後は主だけだ、"虹の瑞翼"」
大岩のごとき山の神は、重々しくこちらの返答を促す。その背後には、見知った顔があり、見知らぬ顔があった。
「これは我らに与えられた好機ぞ。今を逃せば、今後遊戯に参ずることは叶うまい」
「"愛乱の君"、確実に何か、策があるですね。わたし、それ気になります」
「だが、座して待つのは下策だ。先の"知見者"と"平和の女神"の決闘、忘れたわけではあるまい」
敗れはしたものの、"知見者"は今後の遊戯を独占する野心を顕にした。小神を完全に閉め出し、自分に都合のいい世界を創るつもりだ。
そして、勝った平和の女神は、遊戯の廃絶を宣言していた。
遊戯に勝利するかは未知数だが、大神を打ち破り、更なる加護地を得て発言権を増している以上、その存在は無視できない。魔王城からの帰還以後、天界はあのコボルトの行動に注目していた。
これまでの遊戯とは明らかに違う流れ。その状況に、気が騒がぬわけでも無い。
だが、
「あまり身の内、熱くする。良くないです、"峰鎚"殿」
「主こそ、ここで日和見を決め込めば、乗るべき風を失おうぞ!」
あえて諫言を述べるこちらに、大岩は表面に亀裂が走るかと思われるような、強い怒気を放った。
「参加のための掛け金は、本人の"銘"のみ! その後、参加したものには等しく約定を結び、彼の女神の伴神として、他の世界にも信徒を増やせるという! いかな企みがあったとて、動かぬ手はあるまい!」
「……はっきり言います。わたし、あの方、恐ろしいです」
口元を翼で押さえ、ヴィースガーレは本心を明かした。
「あの方、享楽好きです。そのため、なんでもします。"滔血の凶姫"、その銘、違わぬ方ですね」
「遊戯に参加せし我らの、骨身を粉にする苦闘を眺め、快悦を得る腹積もりだと?」
「それさえ、口実、思います」
遊戯に参加できぬ自然神や獣神、特殊な祖霊神を招いての、盛大な遊興。そんな見かけの裏で、どんな企みが編まれているのか。
「何より、これ、結局遊戯ですね。我々戦う、負けるとき失うもの、必ずあるですよ」
「元より承知よ。それに、伴神としての加護地が増える分を考えれば、勝っても負けても釣りが来る」
すでに彼の計算は、己の利得のみに収支を合わせているらしい。だが、あの女神は自身の信仰を、他の神に分散させさせる危険を冒してなお、何かを得ようとしているのだ。
その企みは、高峰に座していては分からぬままだ。
「分かりました。わたし、参加するですね」
「快諾、感謝する」
重々しく、山の神が肯い、背後に連なった者達も、安堵の顔を見せた。
"愛乱の君"から、こちらを口説き落とすよう言われていたのだろう。その見返りも含めて、彼らはこの神座に押しかけたのだ。
「賛同の報、わたし直接、お伝えするですね。いいですか?」
「無論だ。主が来てくれれば、座も一層華やごう」
神々が去って行き、神座はまた、静穏を取り戻した。
その身を大鳥の姿へと転じたヴィースガーレは瞑目し、思考を凝らす。
もし、自分達が等しく負ければ、参加した小神は事実上、"愛乱の君"の配下となる。例え銘を取り戻したとしても、彼の女神が小神たちに与える影響は計り知れない。
しかし、このルールには大きな落とし穴がある。
もし、"愛乱の君"を、いずれかの小神が打ち破ったとしたら、それは"平和の女神"が起こした以上の奇跡となるだろう。
「流れる川、溺れること怖がる者、魚得ることできない」
故郷に伝わる昔ながらの謂いを口にすると、鳥の神はひとりごちた。
「鷲鷹、籠に飼う。易々できる思わないことです、女神よ」
七枚の手札をもう一度確認すると、伶也は虚空にカードを放った。
場に出した赤いマナの光が、自分を慕うように周流する。決闘の場の展開といい、マナの表現といい、いちいち凝った作りだ。
「俺はルベドをセットして……ターン終了だ」
先行はドローなしで、後攻はファーストドローの権利を得る。現代のTCGで常識になっているルールも、ウィズを参考にしていると聞いていた。
「思ったより、できることが無いな……」
自分の場ががら空きのまま、相手にターンを回すのは、正直緊張する。相手がどんなモンスターで殴ってくるか分からないからだ。
「焦らないで、レイヤ。初心者なの、彼も同じです」
「そう、だよな」
コボルトの方は背後の女神と相談しつつ、白のマナを出して、狼を召喚している。こうしてコストを払いカードを出すのが、ウィズの手順だ。
「モンスターをばばっと出して、でかいのを釣る、ってわけには行かないんだよな」
「いいですか、絶対あなた、ウィズ初心者いうこと、悟らせないように」
「分かってる――俺のターンだ! ドローして、メインフェイズに移るぜ」
元々、自分は日本のカードゲームを中心に遊んでいた。ヴィースと出会い、勇者に選ばれたことをきっかけに、初めて触れたのだ。
「もう一枚ルベドを出し、二マナ使って《卑怯者のオーガ》を召喚! バトル……っ、は当然なしで、そっちのターンだ!」
特殊な能力を持たないモンスター以外、召喚されたターンには防御以外の行動を行わせることができない。いつもの癖で、攻撃宣言を出すところだった。
行動にワンクッションが置かれるのも、ウィズの特色だ。カードの行使にはマナを要求され、デッキにもマナを出すだけのカードを入れなくてはならない。
「こういうのが面倒で、ウィズって好きになれなかったんだよな。絵柄もいかにもアメリカンで濃いからさ」
「そうですか? わたし、この絵、好きですね。とても上手、活写している思います」
示されたカードは、燃え盛る不死鳥が描かれている。持っている能力も使えそうなので入れてみたが、同じ鳥ということもあって、ヴィースも気に入っているようだ。
相手はまたマナを出し、何もせずにターン終了を宣言する。こちらのオーガは狼よりも攻撃力が大きいから、戦闘を控えるのは当然だろう。
こちらのターンになり、失われたマナの光が回復する。メインフェイズに移って、更にもう一枚、ルベドをセットした。
「さて、どうするかな」
補充されたカードを確認し、思案する。
最初にこのコボルトを相手に選んだのは、初心者狩りだけが目的ではない。自分も同じぐらいウィズには経験が無く、カードの機能も、使うタイミングも理解し切れていないからだ。
『勇者の世界、カード使う遊び、たくさんあるですね。わたし、驚きました』
『こっちだって、いきなりウィズで戦えって言われて、びっくりしたよ』
『わたし、遊戯自体、参加初めてです。わたしたち、似たもの同士ですね』
初心者のゲーマーと初心者の神のコンビとか、カードゲーム物のアニメみたいだ。そうなると、目の前のコボルトはライバルキャラ的な感じか。
「迷ってる場合じゃねぇ、最初から思い切り行くぜ! 俺は三マナ使って手札から《熱砂のフェニックス》を召喚! 《オーガ》と二体で攻撃だ!」
向こうの女神が何かを叫び、コボルトが混乱した顔で、手札とこちらを見比べている。
「おっと、悪い。俺の召喚に対して、何か対応あるかい? 無ければバトルだぜ」
「す、少し待ってくれ。その【スタック】宣言だ。シェート、スタックしろ」
「え……えっと、ス、ストップ?」
惜しい、微妙に惜しい。なんでストップが分かって、スタックが言えないのか分からないが、こちらの召喚が一時停止される。
「なぜ彼ら、もめているですか?」
「割り込み用のカードでもあるんだろ。それか、アルコン能力が」
「《フェニックス》、"飛行"と、出してすぐ戦える"即応"持ってますね。そして、墓地落ちても、ルベドのマナ、出るたび手札戻る力、あります」
復活再利用が可能なカードに、普通の除去やカウンターを打つのは悪手に近い。見過ごせなくなったら永久に除去するか、手札やデッキに戻す効果、いわゆるバウンスを使うのがカードゲームの基本だ。
「このフェニックス、結構いいカードだな。気に入ったよ」
女神の説明にコボルトが不安そうな顔で首を振り、一向にゲームが進まない。どうやら向こうは初心者以下だと、はっきり分かった。
「申し訳ございません、サリアーシェ様。【スタック】宣言をしたままの長考は、遅延行為と見なし、ペナルティを掛ける場合がございます。判断はお早めに」
審判役の女神に促され、相手側がスタックを解除する。
赤いマナの力を帯びて召喚されたフェニックスは、燃える翼を翻して、自分達の目の前に舞い降りた。
その羽ばたきごとに、かすかな熱風がこちらに伝わってくる。その隣には、筋肉で盛り上がった肩を上下させ、厳つい顔で敵を睨み据えるオーガ。
どこまでもリアルに仕上げられた世界に、伶也は笑みを深くした。
「それじゃ、攻撃だ! 行けフェニックス、オーガ!」
攻撃したモンスターは行動済みになり、自分のターンが来るまで防御に使うことが出来ない。だが、相手が混乱している今、一気に畳み掛けるべきだ。
思ったとおり、相手は狼を防御に回すか、それとも自分で喰らうかでもめている。とはいえ、向こうの相談する声は全く聞こえてこない。
「内輪の話は通さないけど、こっちへの宣言はちゃんと聞こえるとか、ほんと良く出来たデュエルスペースだな」
「"刻の女神"、公正な審判ですね。互いの声、作戦、聞こえないようしてます」
「でも、あいつら、本当に大丈夫なのかねぇ」
結局、コボルトが全てのダメージを引き受け、二体のモンスターの攻撃で、コボルトのライフが減少する。
敵のライフは残り十五、こちらは二十。同じ攻撃を、あと三回通せばこちらの勝ちだ。
「俺はこれでターン終了。そっちの番だぜ!」
この世の終わりの様な顔でこっちを見る対戦相手に、伶也は笑顔で続きを促した。
余裕たっぷりの勇者とは裏腹に、シェートは動揺しきっていた。
訳のわからない内に相手が大きな鳥を呼び出し、どうすればいいのかも理解できないまま、攻撃を喰らってしまう。
「とにかく、まずは落ち着け」
そういうサリアの顔も、落ち着きとは程遠い表情を浮かべていた。竜神から戦い方は聞いていたようだが、初めての実戦のせいか指示がぎこちない。
「何度も言うが、このゲームは互いにカードを出し合い、その内容で勝敗を決める。そのために、様々な手順があるのだ。そこまではいいな?」
「お、おう」
「まず、こちらのターンになると、場に出した全てのカードが使用可能になる」
場というのは目の前の狼や、敵の火の鳥などがいる場所のことらしい。石蹴りや、的当ての場所と同じことだろう。
「同時にマナが使用可能になる。それで魔法を使ったり、魔物を呼び出したりする」
「えっと、マナ、魔物呼ぶ、魔法使う、うん」
手の中の札をじっと見つめ、必死に教えられたことを頭に詰め込もうとした。だが、サリアの方は次から次へと、新しい知識を伝えてくる。
「次に、魔物や魔法を使うのに、何らかの使用料を払うフェイズがあるのだが、それは今は関係ない」
「な、ないのか? 狼、あのままでいい?」
「ああ、うん。そうだ、そのままでいい」
しかし、あそこにいる狼も、喉が渇いたり、腹が減ったりすることもあるだろう。その時は、こちらで何かしてやるのだろうか。
「では、メインフェイズ……色々やれるようになる時だ」
「サ、サリア、その前、カード引く、しないか?」
「え……ああっ、そうだった! その前にカードを一枚引け!」
教えることに必死になり、女神も全く状況が見えていない。とりあえず、新たなカードを引き、それを手札に入れた。
「では改めて、メインフェイズだ。このときに、まずマナがあれば出せ」
「メインフェイズ……マナ……出す」
マナを示す絵柄はすでに覚えている。白いが紋章が大きく書かれたそれを、つかみとって目の前に放り投げ――。
「一ターンに出せるマナカードは原則一枚です。お忘れなきよう」
審判の厳しい声に、思わず手が止まる。仕方なく、一枚だけ選んで場に出しておいた。
「何をやっているのだ。マナは一ターンに一枚だけと言っておいたろう」
「で、でも、一枚ずつやる、面倒。全部出したい」
「ルールで決まっているんだ、こらえてくれ」
なんだか段々、気分が滅入ってきた。何かしようとすると、ルールで押しとどめられ、訳のわからないうちに話が進んで行く。
「……次、何する、俺」
「今のマナでは、手札のカードは何も使えんようだ。次のターン、四マナ以降ならば」
またルールか、シェートはいらいらした気持ちで、成すべき事を口にした。
「じゃあ、俺! ターン、終わり!」
「あ、ちょっと待――」
サリアが静止するよりも早く、向こう側が明るさを増す。行動の権利が移った証拠だ。
「何をやっているのだ! さっき、狼で攻撃できるところだったのに」
「す……すまん」
「まあ、いい。次のオーガの攻撃は、狼に受けさせよう」
「でも、狼、オーガより弱い。そういうの、やりたくない」
絶句し、額を押さえた女神は、無言でこちらを睨む。サリアの気持ちは分からないでもないが、相手から攻撃を喰らっても大して痛くないし、何より無力な狼を盾にするのが気に食わなかった。
「今はそんな事を言っている場合ではないのだ。これはあくまでゲームであって」
「でも……」
「おい! ちょっといいか?」
いつの間にか、対面していた勇者の少年は、構えていたカードを降ろしていた。快活だった顔に、どこか哀れむような表情を浮かべて。
「なんかもめてるみたいだけど、そんな調子でまともにデュエルできんのか?」
「そ、それは……」
「……審判さん、ちょっとタイム」
少年はカードを収め、魔物の間を抜けて、目の前までやってきた。それから、こちらをじっと見つめ、バリバリと頭を掻いた。
「やっぱダメだ。俺、今のお前とは戦えない」
「……え?」
「あのさ、審判さん。インテンショナル・ドローってありかな?」
勇者の提案に、黒い髪の審判はわずかに目を見開いた。相手の意図を掴みそこね、当惑した顔でかぶりを振る。
「確かに、カードゲームにおいて、そのようなルールが適用されることは存じ上げておりますが、これはあくまで神々の遊戯であり」
「そんなこと言ったって、さっきからぜんぜん戦いになってないだろ。こんなんじゃ俺、ちっとも満足できないぜ」
「わたし、レイヤの意見、賛成ですね」
背後に控えていた大鳥は、人型の姿に立ち返っていた。戦意が消えて、こちらに向ける視線も、穏やかに凪いでいる。
「勝ちやすい戦、選んで勝つ、常勝の道理ですね。それでも、最初の遊戯、こんな形で進める、残念思います」
「……了解しました。では、そちらで協議をお願いいたします」
少年はこちらを睨み、少し怒ったような口調で喋りだした。
「はっきり言って、今のお前じゃ弱い以前の問題だ。そんな相手に勝っても、俺はぜんぜん嬉しくない」
「お前……勇者。俺、倒す。目的、違うか?」
「勘違いすんなよ。俺は勇者である前に、デュエリストだ!」
一体、何が違うのかは分からないが、少年は背筋を伸ばし、シェートに向けて指を突きつけた。
「今回のデュエル、仕切りなおしだ! 一週間後、もう一度俺と勝負しろ。その時までにお前もちゃんと戦えるようになって来い!」
「そ、そんな、お前、勝手!」
「だったら、このまま続けて俺に勝てんのか?」
口にしようと思った反論が、喉の奥に滑り落ちて行く。勝手の分からない戦場で、サリアとの意志の疎通もままならない状況。相手に勝つことなど、夢のまた夢だ。
「今回、勝負は引き分け。後日改めて、対決するですね。よろしいか、小さき魔物殿」
鳥の神に問いかけられ、シェートは今更ながらに思い出していた。
戦いを選ぶのも、降伏を宣言するのも、神ではなく勇者の側がやるべきことなのだと。
「……分かった」
苦々しい思いで、シェートは口にした。
「俺、引き分け、認める」
それが、シェートにとって初めての、神々の遊戯における"敗北"だった。