6、狩人狩り
店の外には、町並みが広がっていた。木材や石、土壁で出来た通りは雑然としていて、人々が行き来している。
「私から離れるな。もう少し側にな」
短く声を掛ける女神に従って、なるべく間を空けないよう、連れ立って歩きだした。
住民達の視線がサリアに集まり、コボルトであるこちらに向けられる。その取り合わせにいぶかしそうな顔をするものもあったが、大抵は気にも留めず去っていった。
「街中、落ち着かない。人間、一杯だ」
「お前には悪いが、私は少なからず嬉しく思っているよ。こうして一緒に歩くことなど、想像もしていなかったからな」
自分よりも頭二つ分上にある表情は、申し訳なさそうな笑顔があった。
これまで、表情さえ見ることが叶わなかった存在が、手を伸ばせば触れられる距離にいる。生身の暖かさや本人の匂いさえ、感じ取れる気がした。
「腹は空いていないか?」
「……少し」
「では、あまり時間を掛けぬほうがいいな」
適当に当たりをつけつつ通りを進むと、市場が見えてきた。昼下がりの店舗は雰囲気が緩んでいて、物売りの声もどこか気が抜けていた。
「連れを待たせているので、適当に持ち帰りしたいのだが」
塩気を感じる湯気を漂わせた、煮売りの屋台に入ると、奥で肉をさばいていた親父が、口の端を吊り上げた。
「こいつはえらい別嬪さんだ。あんた、魔術師かい?」
「まあ、そんなところだ。こっちは私の使い魔、気にしないでくれると助かる」
外に出る時には、魔術師と使役された魔物という関係で通す。あらかじめ相談しておいたことだが、実際にやってしまうと、なぜか気恥ずかしい気持ちになった。
「モツ煮にパンを付けてニガルテ、入れ物があるなら一ガルテでいいよ。ちょっと待ってくれれば串焼きが出せる」
「すまない。少し前にモラニアから渡ってきたばかりでな。今はあちらのベルメ銀しか持ち合わせが無いのだが、釣りがあるか?」
「ちっと見せてくれ」
商人は受け取った銀貨を手にし、手触りを確かめ、断りを入れてから端を噛み、満足そうに頷いた。
「どうだい、モツ煮の残りを鍋ごとに串を十五、パンもあるだけ付ける。買わねぇか」
「鍋は後で返そう。代わりに三十ガルテほど釣銭にしてくれ。それでどうだ?」
「分かった。使い終わったら、通りの端にある"エジュラン"って酒場に預けてくれ」
流れるような滑らかな商談。完璧なやり取りを見せたサリアは、驚くシェートに対して軽く胸を張ってみせた。
「サリア、取引得意か?」
「私の神格は、農耕と旅の商人に加護を与えるものだ。こうしたやり取りも、それなりに経験がある」
「そうか……」
親父は串肉と平パンを焼くのに没頭している。売れ残った物を一気に片付けられるとあってか、その動きはさっきまでと違い、きびきびとしていた。
「俺……なんか、ダメだ」
「どうした、いきなり」
「人間の世界、勇者の世界、コボルト、ぜんぜん、役立たない」
ゲームではフィーに敵わず、人間の世界ではサリアに従って動くしかない。何も出来ない自分に、気が滅入っていた。
「……親父さん、すまないが、ここの席を借りるぞ」
シェートに意味ありげな視線を投げた店主は、肩をすくめて仕事に戻った。輪切りの丸太に板を渡しただけの席に座ると、サリアと並んで腰を下ろす。
「新しく物事を覚えるのは、難しいものだからな。あまり気負うな」
脂を含んだ煙が漂う中、女神はそっと呟いた。
気を遣われている。こちらを責めるでも、激励するでもなく、ただ労わろうとしてくれている。
「気負う、違う。勇者の力、俺、辛い」
「シェート……」
勇者の力はコボルトが決してたどり着くことの無い、異世界の知識を源泉にしている。幾度も敵対し、破ってきたが、それでも限界は感じていた。
「勇者の力、ただ戦うだけ、違う。何度もやり直す力。紙切れ、書かれた魔法、扱う力。俺……頭おかしくなる」
「確かにな、私も頭がどうにかなりそうだ」
「でも、サリア、人間の世界、知ってる。俺、魔物。知らないこと、できないこと、たくさん」
こうして町の中にいることを許されても、シェートにとっては敵地だった。ここにいる人々が、コボルトという存在を許さない以上は。
「俺、やっぱり、弱い」
わだかまっていたものが、零れ落ちていた。
これまでたくさんの勇者を狩った。
復讐を果たし、追い落として殺そうとするものを退け、十万の敵を破った。
そして、魔王とまみえてなお生き延び、ここに座っている。
「進むたび、勝つたび、できないこと、一杯増える。俺、どんどん小さく、弱くなる」
ただの狩人だったころ、シェートにとっての世界とは、故郷の山だった。
村を焼き出され、荒野を超えて空を渡り、海を隔てた見知らぬ大陸に降り立った今、シェートにとっての世界は、無限の広がりを持つに至った。
「俺、怖い」
戦う時の恐怖とは違う、漠然とした恐れ。
「俺、何戦う? 何狩る? どうしたら、全部終わる?」
新しく提示された戦場と、新たに呼び集められた勇者。その全てが、シェートに囁いている気がした。
お前は永遠に、戦い続ける定めなのだと。
「惑わされるな」
気が付くと、サリアが目の前に立っていた。その手がこちらの肩を支え、優しくさすってくれた。
「我らの目的は、あくまで"愛乱の君"を倒すことだ。カードはあくまでついで、可能ならば、一度もゲームで戦わずに済む方法を考えよう」
その声に、確信は無かった。何かに頼み込むように声を振り絞っていた。そのようにあって欲しいと、心から願っていた。
『繰り人形か』
ふと、記憶の底から、別の声が蘇る。
魔王の嘲りが、木霊する。
だが、
「そんな顔、するな」
表情を緩めると、シェートはそっと、サリア右手に、自分のものを重ねた。
「俺、戦える。ちゃんと、自分で」
本当にサリアが自分を繰る者であるなら、こんな風には嘆かないだろう。本来神とは、泰然として揺るがない者であるはずだ。例えば竜神のように。
魔王は、何も知らなかった。
この頼りなく、とても情の深い、女神とは思えない女神の事を。
「だから俺、助けてくれ、サリア」
「助けるとも」
女神は目で頷き、その指でシェートの頬を撫でた。
「必ず、助けるとも」
できあがった料理を受け取ると、シェートは往来を歩き始めた。
往路では気が付かなかったが、通りはかなりの賑わいを見せていた。先ほどの煮売り屋のような屋台が並び、日用品を扱う店が売り声を上げている。
人々が身につけている服も、染め付けしているものが目立つ。裕福で平和で、自分のような魔物でさえ、鷹揚に許してしまいそうな空気を感じた。
そんな日常の道行きに、一人の少年が立ちはだかっていた。
髪型も服装も、明らかに周囲に人間とは違う。自然とにらみ合う形になった自分たちの周りから、人の影が絶えていく。
そんな雰囲気を気に留める様子も無く、相手は堂々と宣言した。
「俺と、決闘しろ! コボルトのシェート!」