5、道の探求者
そのこじんまりとした店には、店主以外、誰もいなかった。
白々と輝く人工の明かりと、見えない場所から送られてくる冷風で、部屋の空気がかすかにかき混ぜられている。
「いらっしゃいませ、ようこそお出でくださいました、"斯界の彷徨者"様、そして"平和の女神"様」
「審判役だけでなく、カードショップの店主までやらされるとは、そなたもとんだ面倒を背負い込んだようだな、"刻の女神"よ」
同情とも揶揄ともつかない竜神の指摘に、黒髪の女は楚々と頭を下げる。その視線がちらりと、シェートに走ったのをサリアは見逃さなかった。
「こちらがお渡しするカードパックとなります。お納めください」
「"オルタ"版か。なるほど、この時期のセットであれば、カード資産の差はつきにくいというわけだ。あの女神め、なかなか考えておるな」
「なにそれ、なんか違いがあんの?」
分厚い包み紙に入った紙の束を抱え、竜神は店の端にある机の方へと歩いていく。そして、細い金属の椅子をぎしぎしといわせて、その一隅に陣取った。
「ウィズの基本セットには、通称がついていてな。こいつは"オルタネイティブ"、それまでの基本セットにあった煩雑なカードを取り除き、初心者向けにシフトした版だ」
「昔聞いたことがあるんだけど、これの古いやつって、売値が何十万もするカードが入ってんだっけ?」
「ああ。この店の奥の倉庫にも、β版のボックスがあったからな、そっちを買えば手に入る可能性もあるぞ」
物欲しそうな顔で店の奥を見つめるフィーに取り合いもせず、竜神はばりばりと袋を剥いて、中のカードを慣れた手つきで振り分けていく。
「ウィズのカードは、基本四つの色に大別される。それ以外は大抵"マナ"と"コンストラクト"だ」
「四つの色はいいとして、コンストラクトってのは?」
「魔法の道具、ゴーレム、あるいは砦や城塞などを示すものだ。四つの色に属さず、どの色のマナでも使用できる」
分厚い紙の山が五つ出来上がり、そのうちの四つが横一列に並べられ、太い指が一つ一つを指し示した。
「渾沌、無垢、生命、霊素、それぞれに特徴があり、使える魔法も違う」
「さっき俺が使ったのは、この黒いのと赤いのが入ってたな」
「黒の渾沌は死と腐敗を象徴し、いわゆる死霊術を得意とする。赤の生命は誕生と活性を表し、攻撃呪文や野蛮な魔物を行使する」
ぼんやりと説明を聞いていたシェートは、その内の一枚に目を留めた。白い枠で縁取られた札には、狼が描かれていた。
「それは無垢、秩序と浄化を司り、精霊や動物を扱う魔法に長ける」
「気になるのか?」
「うん……ちょっと、グート、似てる」
名前を呼ばれた狼は、ぴくりと耳を動かしたが、どうでもいいというようにあくびを一つして寝こけてしまった。
「カードゲームと言うのは、カードの強さもさることながら、本人の気に入ったものを使う方がいい動きをすることもある。良かろう、シェートのデッキはアルベドをメインカラーに据えよう」
「じゃあ、俺はルベドかな。ダメージ呪文一杯の方が派手でいいし」
「四つの色には『相補』と『対立』という概念が設定されている。力を合わせることで強くなる関係と、互いの足を引っ張る関係だ」
白と赤のカードが、動物や魔物のカードとそれ以外のカードに選り分けられ、更に同じ絵柄どうしてまとめられていく。
「破壊という概念で結びつくニグレドとルベド、秩序と知性を司るアルベドとスマラグディは、相補関係にある。また、生命と活性を司るルベドとアルベド、英知を用いて世界を操作するニグレドとスマラグディも相補だ」
「じゃあ、対立は黒と白、赤と緑か」
「現在ではその枠も緩くなり、大まかな指標として残っているだけだがな」
ずっと話題に上がらなかった緑色のカードは、脇に取り除けられていた。そちらには、海蛇や翼竜、巨大な魚などが描かれている。
「霊素はこの世ならざる秘密の知識を扱う色だ。デッキからカードを引く、敵の呪文を妨害するなどを得手とする」
「日美香が使ってたな。俺もカード一杯引きてぇ」
「ならばルベドとスマラグディの混色にするか。大分テクニカルになるが」
そして、その紙切れたちが一つところに集められ、二組の束になった。
「とりあえず、こんなところだろう。サリアよ、悪いがこちらの残ったカード、全て売却してきてもらえるか」
「よろしいのですか?」
「儂らには必要が無いか、実用に耐えないカードばかりだからな。金に換えて新しいパックでも買えれば御の字だ」
「ってかおっさん、手馴れすぎだろ……」
自らの独壇場で辣腕を奮った竜神は、出来上がったばかりのそれをシェートとフィーに手渡した。
「すでに儂らのアルコン能力も設定済みだ。後は、そなたら次第」
シェートは、手の中に納まったカードの束を見つめた。
こうして手に取ってみると、酷く小さい。一枚一枚は軽く、これが本当に魔法の力を秘めているのかさえ疑わしい。
「本当は、一から十まで細かく手ほどきをしてやりたいが、そうも行くまいからな。実戦の中で、覚えていくが良かろう。すでにサリアも、ある程度内容を把握しておる」
「……分かった」
めくっていくと、さっきの狼や鳥などのカードが現れる。それぞれの動物達が、生き生きたした姿で描かれ、なんとなく親しみを覚えた。
「フィーの方はこれをベースとして、様々なタイプのデッキを扱ってもらう。儂が直々に鍛えこんでやるからな、覚悟せよ」
「望むところだよ。今回の攻略は、俺がメインになりそうだしな」
この前の模擬戦でだいぶ勘所を掴んだのか、フィーはすっかりこのゲームに馴染んでいるようだった。手にした紙束をめくっては、書いてある内容を読んでいる。
「こちらも同じカードプールでデッキを組む、少し待っておれ」
竜神は大きな箱から大量の紙片を取り出し、虚空に浮かべて吟味を始めた。
「私は、シェートと出てきます。ついでに皆の昼食も見繕いましょう」
「よかろう。カードの方はこちらのケースに入れておけ。フィー、ケイタ殿から譲られた金があったろう。サリアに渡してやれ」
皮袋を受け取ると、サリアはこちらの肩を叩いて誘う。
互いの作業に熱中する二人を背に、シェートは店の外へと向かった。
手札と場に出たカードをもう一度確かめ、フィーは問いかけた。
「で、これからどうすんだ?」
「戦って、勝つ。それしかあるまい」
平然と言い放ち、竜神は手札から一枚、切り出す。
「《雷撃》を、《北風追いの飛竜》に」
「【スタック】。ちょっと、待ってろよ」
こちらの前言に従って、竜神のカード使用が一時停止される。
微妙なところだ。竜神の手札は残り三枚、マナは赤と緑が三点づつで合計六点、その他には何も無い。
対するこちらの手札は二枚、内一枚はマナで、もう一枚は全ての呪文を打ち消せる《呪文破砕》だ。クリーチャーは《北風追いの飛竜》と、攻撃に使えない《濁流の障壁》が一枚づつ。
相手のライフは残り六点。飛竜の攻撃力は二点だから、三回通せばこちらが勝つ。
だが、相手の手札は三枚残っている。もう一発除去を打たれれば、防ぐ手段は無く、勝ちが遠のくだろう。
通すか、見送るか。
「《雷撃》を《呪文破砕》でカウンター」
マナを支払い、相手の呪文を打ち消す。もし、相手も打消しを握っていたら。
「通し」
対抗する行為が無いことが示され、それぞれの呪文が、墓地と呼ばれる捨て札置き場に置かれる。
その全てを確認してから、竜神は口元を緩めた。
「《飛竜》に《謀反の書状》を付与」
「げ」
「対抗は?」
何も出来ないまま、フィーは無言で処理を促し、味方だったはずの飛竜が竜神の支配下に置かれた。
「儂はターン終了だ」
これまでの攻防で、自分のライフもあと五点になっている。《濁流》は"飛行"を持っていないから守りには回せない。
それでも、この次に何かが引ければ、
「くそっ、良いの引けっ! ドローッ!」
祈るような気持ちでめくった札を確認、ギリギリと歯軋りが漏れた。
「だ、か、ら! なんで三ターン連続でマナなんだよ!」
「いやぁ、ご愁傷様。本体に《雷撃》」
「はぁっ!?」
雷撃のダメージと次のターンに来るであろう飛竜の攻撃、計算するまでも無く、負けは確定だ。
「投了……です」
「うむ」
肺に溜まった緊張を吐き出すと、仔竜は机に突っ伏して丸い男の顔を睨んだ。
「ずっこい」
「何を言っておるか。儂、いかさまなんぞしとらんよ?」
「いや、だって、さっきのアレ!」
「別に、ごく普通のやり取りでは無いか。そちらだってカウンターを握り締めておったわけだしな」
仔竜は頭を抱え、さっきまでの棋譜を思い出していく。人間の時ならとても覚えていられないゲームの展開も、竜の記憶力をもってすれば造作も無いことだ。
「さっきのが二十七ターン目だっけ。もしかして、二十三ターンの時、《濁流》でそっちの《生ける火砕流》をブロックして、《雷撃》温存しとけばよかったのか?」
「それもあるが、そなたの引きが悪かったというのもある。儂の方は、除去系が良く回ってきたしな」
「てか、何で最後までマナなんだよ。あそこは逆転のカードを引くところだろ!」
遠慮なく爆笑すると、竜神は席を立ってドリンクバーに向かった。
「どこのアニメを見たか知らんが、そんなもの百回デュエルして、三回四回あればいいほうだぞ。大抵はそなたのように、何もできぬまま終わる」
「それじゃ困るだろ。今は模擬だから良いけど、マジでやるとなったら、負けは許されないんだぜ?」
「ゆえに、そなたは数をこなさねばならん。ちなみに先のデュエル、正解は『除去を切らせてカウンターを温存、ターンエンド』だ」
痛いところを突かれて、フィーは息を詰まらせた。《裏切りの書状》は戦えるモンスターがいなければ役に立たない。飛竜が倒されるのに任せれば、数ターンは稼げただろう。
「相手の行動が本気か振りか、その見極めは実戦の数で培われる。まして、日美香殿は日本大会の三位入賞者、一朝一夕で乗り越えられる相手ではないぞ」
コーヒーとメロンソーダを手にした男は、驚くフィーに片目をつぶってみせた。
「実力者だとは思ってたけど、そこまでなのかよ……これ、真面目にゲームに参加しないで、暗殺したほうが良くないか?」
「できればそうしたいが、成功の可能性は無きに等しい。デュエルで勝負を挑む方が、よほど現実的な勝利に近づけるだろうな」
安っぽいソーダを舐めながら、フィーは竜神の顔色を眺めた。"知見者"の時には嬉々として策謀を述べた唇も、今は苦い液体を飲むことだけに使われている。
「まさか、今回は普通に相手に合わせる以外に策がない、ってんじゃないだろうな」
「そんなことはないさ。ただ、今回の相手は『面倒』なのだ」
意外な一言を述べ、竜神はコーヒーをすすった。どこか遠くを見つめる風にして、手元のカードをいじっている。
「そんなに強いのか?」
「強いのではなく『面倒』。もちろん、強くもあるがな。奴は四柱神の第二位、英傑神に次ぐ地位と加護を持っている」
「あれで?」
シェートに因縁をつけた時は多少恐ろしかったが、そのあとは総じて、ノリの軽そうな女という印象だった。今回の一件にしても、面白い余興ぐらいの気持ちでいるようにしか
見えなかった。
「なぜあやつが、今までこの神規を隠し通していたと思う?」
「言えない理由があった、ってことだとは思うけど」
「そなたらが魔王の城に招かれる前では、あやつは決して神規を公開しなかったはずだ。それをヒントに考えてみよ」
魔王の城に招かれる前、自分達はベルガンダの軍にいた。
その時と今と、違うところは。
「"知見者"か。あいつがいたらダメだったんだ」
「ご明察。奴は儂ほどでないにしろ、勇者の遊びにも通じている。まず間違いなく、専門のデュエリスト部隊を養成して、日美香殿にぶつけたであろう」
「うわぁ最悪だぁ。でも、絶対やったよな、それ」
"愛乱の君"の目的は、あくまでデュエル大会を開くことであって、神規で優劣を決めることではない。子供のゲーム大会に、ガチガチのプロが割り込んでくるようなマネをされたくなかったんだろう。
「ふざけてんのは見た目だけで、中身は色々考えてるってか。ますますおっさんと同類って感じだな」
「誰が同類か。儂の方がはるかにまじめで、良識を心得ておるぞ」
仏頂面の竜神に笑いを浴びせると、フィーはデッキケースを差し上げた。
「シェートたちもまだ帰ってこないだろうし、もう一回やろうぜ」
「ふむ、そうさな」
あいまいに返事をして席を立つと、竜神は意外な一言を告げた。
「ただゲームをするのもいいが、そなたにはもうひとつ、課題を与えるとしよう」
「課題?」
「"刻の女神"よ、この領域を一部借り受けたいのだが、問題はないか?」
座席で何かの本を読んでいた女神は、顔を上げてわずかに頷く。
「念のため、他の方々の意識に触れぬようにしていただければ」
「それは案ずるに及ばぬ。ではフィーよ、こちらへ」
中年男は『Staff only』の札が付いた扉に歩み寄り、向こう側へと出て行く。
その後に続いたフィーは、目の前に広がった光景に言葉を失った。
天井も壁もない、真っ白で広大な空間。背後には入り口になった店のドアが、何の支えもなしに立っている。
そして、黄金の鱗をさざめかせたドラゴンの巨体が、こちらを見下ろしていた。
「我が神威より生まれし仔、問いを追う旅人、星辰を擁く翼、目覚めし者なりし、"青天の霹靂"よ」
それは、紛れもない賛辞だった。
フィアクゥルという仔竜の、逸見浩二という人間の道程を、心から褒め称えていた。
「これより先の試練には、真の竜たる力が必要となろう。そして、そなたはそれを受くるにふさわしき資格を得た」
謳い上げ、寿ぎながら、竜神は青き仔竜にむけて、厳かに告げた。
「これより汝に『竜聲』の教導を行う。その身、その魂魄、その六識の一切を以って――存分に喰らい尽くすがいい」