3、燃え立つ願い
「いらっしゃいませ」
店員のお姉さんは、そう言って笑顔で出迎えてくれた。黒いスーツに黒い髪、全身真っ黒であるはずなのに、喪服という感じはしない。
「カードショップ"運命の女"へ、ようこそ」
そう、確かにカードショップだ。俊之にとって、馴染み深い空間。
狭い店内にガラスのショーケースが並び、レジ前のカウンターには売り出し中のパックが並べられている。奥まった場所にはわざわざデュエルスペースが設けられ、一瞬ここが異世界であることを忘れそうになる。
店内には自分とクーリ、そしてお姉さん以外、誰もいなかった。
「……なんか、すごいごつい時計だな」
店の壁に、ひときわ目立つ形で掛けられているのは、巨大な柱時計、の様なものだ。
砂時計やデジタル時計、ダリの"記憶の固執"から取り出してきたような、溶けた時計などが、細い棒に鈴なりになっている。
「あれは"刻の裁鎌"。命と世界の始まりと終わりを司るものですか」
「ご機嫌麗しゅう、"八瀬の踊鹿"様。此度は遊戯へのご参加、おめでとう御座います」
「世辞はいいでした"刻の女神"。貰うもん貰ったらこんなとこ、さっさと出るでしょう」
クーリは苛立ちを隠しもせず、吐き捨てた。
例のパーティ会場でこの場所を教わってから、彼女はずっとピリピリしていた。
そんな無礼な発言など無かったように、お姉さんは笑顔のまま店の奥へ去っていく。
「もしかして君、あの人のこと嫌いなの?」
「大っ嫌いですか。大神にへつらう幇間、忌々しい下種の覗き魔でしたから」
「訂正させていただきますが」
唐突に、声が背後から掛かった。
笑顔のお姉さんが、ウィズのパックを手にして、そこにいた。
「私は道化を自認しておりますが、いずれの方々にも肩入れしたことは御座いませぬ」
「あーあー、よく知ってるですか。肩入れどころか輿入れまでして、神々を焚きつける売女でございましょう」
「ちょ、ちょっとクーリ」
どうやらこのお姉さんも神様の一人らしい。状況から考えて、おそらく時間を司っているようだが、あまり喧嘩を売って得するような存在ではない。
「と、とにかく、パックは頂いていきます。あと、そこのテーブル使わせて貰っていいですか?」
「はい。そちらの飲み物は無料になっておりますので、どうぞご自由に」
デュエルスペースには、ご丁寧にドリンクバーまで据えつけてある。適度に静かで室温も保たれていて、うっかり長居してしまいそうだ。
「なんですぐ出ないでしょう。カード見るなら外でもできるですか!」
「外でなんて、落ち着けるわけないだろ。そもそも僕達、宿に泊まるお金だって持って無いのに」
『では最後に、今回の運営委員よりお知らせがありまーす』
今回のカードゲーム大会を仕切る"愛乱の君"という女神は、パーティの終わりにこんなことを言い出した。
『みんなの初期資産は、最初のカードパック十個のみです。あとは町で仕事の依頼を請けるなりして、がんばって稼いでね』
壇上で繰り広げられた、ドラゴンと女神のバトルに心を奪われていた集団は、その一言で現実に引き戻された。
確かに、カードゲームをモチーフにしたコンシュマーゲームには、良くある設定だ。それを、まさかリアルにやらされるなんて。
『カードの売買は"時の狭間"に専門のショップを用意したから、そっちでやってね。当座の資金に困ったら、いらないカードを売るのも手だよー。では、健闘を祈るっ!』
その言葉を最後に、自分たちは見知らぬ町の前に立っていた。勇者達は、自分の神様と連れ立って、町に入っていく。例のコボルトたちは、知らない間に姿を消していた。
「それにしても、まさかこんな古臭いパックを使わされるなんてなぁ」
現実のカードショップではお目にかかれない、十年以上前の基本セット。ただし、包装は新品同様で、つやつやと輝いていた。
「古くて悪いことないですか。おいしいお酒、古いほどおいしいでした」
「カードゲームの場合は逆なんだよ。確かに、昔のパックには、調整が必要なほどぶっ壊れたカードが入ってたりするけど、パック自体で見れば新しい方がいいんだ」
などと言いつつ中身を確認する。古いカード群は俊之の予想通りで、自分の判断は間違っていなかったと確信した。
「やっぱりね。すごい"バニラ"の山だ」
「"バニラ"!? アイスクリーム、どこ入ってるでしょう!?」
「アイスなんて知ってるんだ。いや、そのバニラじゃなくて、能力の無い、使えないカード……って言えばいいのかな」
クーリは目を丸くし、それからきゅっと眉根を寄せた。
「あの店員、そんなもの掴ませたですか! 許す! マジ! 断固栽培するですか!」
「あー、もう! 別にこれは店員さんが悪いんじゃないんだよ! そういうもんなの! ちょっとそこ座って!」
あの不思議な空間に拉致されて、脅かされ、すかされ、さらには懇願、泣き落しまでされて、俊之はクーリの勇者になることを引き受けさせられた。
その判断は、やっぱり失敗だったかもしれない。ぷりぷり怒り続ける幼女にメロンソーダを与えてなだめると、何とか分かりやすいように解説を始めた。
「聞いた話だと、このカードが出たあたりから、ウィズは初心者対策を熱心にやり始めたらしいんだ。その一環として、基本セットの内容も一新した」
「それとバニラがどういう関係でした? 大人の関係?」
「使うのが難しいカードや、効果のややこしいカードを、極力入れないようにしたんだ。それじゃ、このカードを見て」
パックから数枚のカードを出し、テーブルに並べると、一つ一つ指差して違いを教えていく。
「このクリーチャーカードがいわゆる"バニラ"。攻撃力と耐久力以外、何もない」
「ちゃんと能力あるですか。トシユキ嘘っ八野郎でしょう」
「……こっちが"飛行"持ち。ウィズでいう能力ってのは、こういうのが書かれている奴を言うんだよ」
「うわぁ、めんこいでしたか! わたしこれ、きにいるでしょう!」
鳥やペガサス、天使の絵が描かれたカードを、小さな手が摘み上げる。そのいくつかがお気に召したのか、感嘆の声を上げて眺めていた。
「飛行を持ってるクリーチャーは、持って無い奴だと、原則的には止められない。飛んでる鳥を人間が捕まえられないようにね」
「でも鳥、弓とか網で捕まえられるでしょう。トシユキ、嘘つきの上に馬鹿でした」
いちいち物言いがムカッとくるが、ここで怒ってみても仕方ない。そのうち口のきき方について、訂正を求めた方がいいだろう。
「クーリの言うとおり、たとえばこっちの"投げ網"のカードを使えば、こっちのイノシシでも飛行持ちをブロックできるようになる」
「すごいですか! なんか数字が大きいし強いでしょう! イノシシ最強ですか!」
「でもこの魔法、別の魔法で消せるんだよね」
「え……?」
無邪気に喜んでいた幼女は、不安そうな表情を浮かべて問いかける。俊之の内側で、思っても見なかったサディスト的喜びがうずいた。
「瞬間的に掛けられる魔法があって、この"投げ網"を消しちゃうと、また飛行がブロック出来ない状態に戻るよ」
「え、そんなぁ、酷いですか! 鬼でしょう! 悪魔でした!」
「さらに、相手の掛けた魔法を妨害する魔法もあるから、ブロックできなくなると思ったら出来るままだったり」
「ひ、ひいっ! わ、わけが、わけがわからないでした! どうしてできないこと、できるようになるでしたか!?」
場に出ている物を除去し、あるいはその除去を妨害するのは、ウィズにおいて基本の攻防だが、クーリはその"複雑さ"に囚われて、頭を抱えていた。
「ちなみに、それを使うためには、あらかじめ"マナ"を準備する必要があるからね」
「もしかして……このゲーム、ものすごく、複雑、でしたか?」
「そんなことも知らないで、やろうとしてたの?」
小さな両手でぎゅうっと頬を押しつぶすと、小さなケモノ神は絶叫した。
「こ、こんなの詐欺ですか! 神に理解できないこと、神去の子供、平気で遊ぶ! 絶対に、頭おかしいでした! トシユキ変態! 変態でしたから!」
「だ、誰が変態だぁっ!」
我慢の限界。
猛然と立ち上がり、俊之は無礼なケモノ娘に指を突きつけた。
「そっちこそ、ぎりぎりアウトな格好してる癖に! 俺が変態ならそっちは痴女だろ!」
「わ、わたし! 痴女じゃ無いでした! 痴女って言うヤツが痴女ですか! トシユキの変態! 痴女変態!」
「どさくさにまぎれて、変な属性付け足すなぁっ!」
それからしばらく二人は泡を飛ばして罵りあい、やがてどちらともなく黙り込み、椅子に体を沈めた。
「……やめよう。こんなことしてる場合じゃないし」
「そうでした。タイムイズバニー、時は早く過ぎ行くでした」
「っていうか、ほんとに大丈夫なの? こんなゲームに参加しちゃって」
泣きそうな顔で机に這いつくばっていた幼女は、それでも体を起こして、握りこぶしを固めた。
「これはおひいさまがくれたチャンスでしたから! 物にする手はないでしょう!」
「チャンスって……そもそも神々の遊戯って、なんなんだ?」
「……わかったでした。ヒジの裏かっぽじって良く聞けでしょう凡俗」
小さなケモノの女神は、精一杯の威厳を発散しつつ、神様の興じるゲーム大会について説明してくれた。魔王という存在をダシに使った権力闘争、おおむね予想していた通りの内容だ。
「そういうわけで、わたしもおひいさまの力で、遊戯に参加できたでした。めでたしめでたし」
「それはいいんだけど、なんで今まで出られなかったのさ」
「神々の遊戯、色々決まりあるでしたから……獣神、扱いが、うぎゅうだったでしょう」
クーリの話では遊戯に参加できるのは、『同じ種族を祖に持つ知的生命』がいる星だけらしい。そのため、獣や鳥由来の神は、参加できる世界が限られていた。
「それってズルくない? パーティ会場には人間型じゃない神様も一杯いたのに」
「そうでした! でも、そういう神、メジャーじゃないですか! だから信者、少ないでした……発言権、すごくすごく小さいでしたから……」
脅威の格差社会、富める神はますます栄え、弱小の神は信者を吸われて衰退する。なんとも世知辛い話を聞き、俊之はお代わりのメロンソーダを、クーリの前に置いた。
「じゃあ、今までずっと、遊戯から締め出されてたってわけ?」
「一応、抜け道はあるでした。参加する神と祖を同じにする同じ種族を『仲間』として扱える場合、参加を許すと。勇者は星の命を守る者、それに協力するなら、その者も勇者というわけだったでしょう」
「召喚士とかモンスター使い限定、ってことか」
ため息をつきつつ、クーリはぐっとソーダを飲み干し、荒々しくカップを突き出す。まるで飲み屋で管を巻く、酔っ払いみたいだ。大人しく、新しいのを注いでやる。
「仮に、参加したでしょう。わたし、小さい神、勇者に掛けられる加護、少ないでした。弱いモンスター使い、弱いモンスターしか、扱えないですか」
「しかも、自分の属する種族か、それに似たやつを仲間に入れる必要があるんだろ。弱い上に縛りプレイって、そりゃ参加もしたくなくなるか」
「それでも、ちょっと前に、ものすごくうまいことやったヤツ、いたでしたが」
疫神イヴーカス。モンスター使いの少年勇者でエントリーした、ネズミ型の生き物を祖に持つ小さな神。
彼は自分の神威を"神のルール"として展開し、モンスターコロッセウムの世界を具現化してみせたらしい。
「後でいろいろ聞いたでした。もんころ、すごい強い魔物、手軽に仲間にする宝具、あるでしたから」
「"けんじゃの石"か。なるほど、確かにいい手だね。でも、そいつも小神なんだろ?」
「あいつ、疫神やってたですか。世界の嫌われ役、トシユキの国もあるでした、節分、豆まき、鬼はお外で庭かけまわるでしょう」
追儺の鬼を引き受け、その汚名を糧に、強力な神規を展開してみせた神は、中堅どころの神々を打ち倒し、一気に大神の座に登り詰めた。
「はずだった、でした」
「負けちゃった、のか」
「しかも、負けた相手が、最悪だったでしたから!」
その相手こそ、会場で紹介されていたコボルトを操る女神、サリアーシェだった。
「あれ? でも、あの人別に獣じゃないよな? それと、コボルトって魔物じゃ」
「魔物を懐柔して使うのも、一応許されているでした。でも、コボルト、腰抜け、よわっち種族でした! 誰も使うとか、思わないでしたから!」
「それでどうやって勝ったんだ?」
三杯目のメロンソーダを飲み干し、クーリは糖分をたっぷり補給した口から、苦みばしった言葉を吐き出した。
「あれ、絶対どっかでズルしてたでした。でなきゃ、あんな奇跡、なんども起きないでした。いつの間にか竜神の加護まで受けて……あんなのズルでしたから!」
小さな神は、問わず語りにこれまでの経緯を話してくれた。
そして、その話を聞き終え、俊之は呟いた。
「わけが分からないよ」
「そう! 分からないでしたから! どこを間違ったらああなるだった!? しかも、あんちくしょう、遊戯を止めるとか言い出してるでした!」
結果だけ聞けば、出来レースにしか思えない連勝。その上サリアーシェという女神は、遊戯自体をやめさせようとしているらしい。
「とんだ勝ち逃げ野郎でした! ちょっとでもうらやましいとか、おこぼれ頂戴とか思ったわたし、いいツラの側でしたから!」
「本音がだだ漏れてますよ、女神様」
「うっさい変態人間! トーフの角で顔洗って、明日出直して来いですか!」
思う存分吐き出したせいか、クーリはそこそこ落ち着いた風になった。
うまくやった同輩と、それを打ち破った廃神の女神に不満を抱きながら、何も出来ない自分。だが、そんなクーリにもチャンスが訪れた。
「それが、今回おひいさまの展開された神規なのでしょう! 勇者を選定し、参加するだけで、掛ける加護も少なくて済むでしたから!」
「しかも、カードゲームならよほどのことが無い限り、自分と同じ種族がいないってことも無いだろうしね。ちなみにクーリのご先祖様は?」
「お前のとこで言う、マヌルネコに近いでしたから!」
ウィズの世界に、マヌルネコはいなかったはずだ。いや《種族:猫》であれば問題は無いだろう。そうに違いない。
微妙な気分を漂わせる俊之を構いもせず、女神はもう一杯注げとカップを突き出した。
「そんなに飲んで……その、大丈夫なの? おなかの調子、とか」
「わたしは神でしたから、花を摘む必要はないでした。でも、出そうと思えば出せるだったが……」
不信そうな顔を向け、クーリはとんでもない言葉を口にした。
「もしかしてトシユキ、わたしの花摘む、見――」
「はいダメ! それ以上禁止! なんかその話題、掘り下げるの禁止!」
「……自分で、振っておいたでしたから」
じとっとした目でこちらを見ると、幼女はぽつりと呟いた。
「変態」
理不尽、あまりにも理不尽。
こっちが色々気を使って、ご機嫌を取った挙句がこの仕打ち。いや、見た目はこれでも中身は神なのだから、理不尽な存在には違いないんだろうが。
「ちくしょー、誰かチェーンソー、チェーンソー持ってきてー」
「うわっ! わたしそれ知ってるでした! さすが"神去"の子! 神をも畏れぬ書状!」
「……気になってたんだけど、なんでクーリは地球のこと"神去"って言うんだ?」
これまで幾度となく使われてきた謎の呼称。それが地球のことだとは理解できるが、頑なにそう呼ぶのを避けているようにも感じられた。
指摘を受け取った神は、そんなことかと言わんばかりに呆れてみせた。
「"神去"とは、神がいなくなった世界の事を言うでした。トシユキの世界、神はいないでしたから」
「え……なんでいないんだ?」
「いないのは当然でした。だって、神去とは忌語」
その顔にかすかな哀れみと同情の念を浮かべ、神は厳かに告げた。
「祖たる神を弑殺せし、呪われた民。それらが住まう地を、神去というでしたから」