2、狼狽の嵐
会場は、一枚のカードを得たことで騒然となった。
シェートも手の中の紙片とこちらを見比べ、無言のまま問いかけるような視線を送ってくる。だが、説明して欲しいのはサリアも同じだった。
その混乱を片手を挙げて制し、マクマトゥーナは口火を切った。
「みんな、カードは受け取ったわね? それはまた後で説明するから。まずはうちのヒミちゃんの神規についてね。んじゃ、お願い」
解説役として押し出された少女は、今度は腰のポーチから小さな箱を取り出し、更に数枚の紙片を引き抜いた。
「私の神規はこのカードゲーム"wizdom;the glorious"を使うものです」
特徴的な記号が書かれた背の印刷と、表に描かれた絵と文字列を見て、足元の仔竜がなんともいえない苦々しい声を出した。
「今度はカードゲームかよ。しかもウィズって、すげー難しいんじゃなかったっけ?」
「すげー、と言うほどでもないがな。四半世紀に届くほどには、歴史がある代物だ」
「わたしの神規は、ウィズで決闘出来る人か、そうでないかで効能が違ってきます」
少女の解説にシェートは顔をしかめ、唸りを上げた。
「俺、やな予感、する」
「多分、そなたが考えているとおりだ。残念ながらな」
これからの先行きに待つものに対し、すっかり気分を沈ませてしまったシェートに構うこともなく、説明が続く。
「デッキを持っている人同士は普通にデュエルしてください。一応、ワンデュエルで済ませるようにしてますけど、お互いの合意があればマッチでも大丈夫で――」
「すいませーん! デッキの持ち込みオッケーですか?」
「もしかしてリアルアンティありっすか?」
「レギュレーションはスタン? それとも」
「制限禁止はー!?」
さっきまでの沈み込んだ雰囲気とは裏腹に、勇者達は我先にと質問を繰り出す。壇上の日美香はうろたえ、助けを求めるように女神の方を向いた。
「ちょ……ちょっとマーちゃん! これ、やっぱり無理っぽい!」
「ああ、めんどくさい! ちょっとー、みんなに大会規約を配ってあげてー!」
「最初からそうすればいいものを。段取り悪い大会運営よなぁ」
端女たちが紙の束を持って走り回り、サリアたちにも配って去っていく。受け取ったシェートは悲しそうな顔で、こちらを見上げた。
「俺、文字、読めない」
「分かっている。私が確認しておこう」
その内容を一瞥し、サリアは言葉を詰まらせた。
文字は読める。だが、その意味するところが全く分からない。
「……うむ、その……竜神殿」
「分かった分かった。ざっと読んで聞かせてやるから、分かるところだけ理解せよ」
手にした紙片を示しながら、竜神は紙に書かれた内容を語り始めた。
■神々の遊戯・デュエル大会 レギュレーションver1.03
・参加者は全ての戦闘行動を"wizdom;the glorious"によるデュエルで行うこと。
ただしカードを所持していない敵に対しては、ノーコストであらゆるカードを
行使できる。
・デュエリスト各位は大会本部から配布されたスタートセット十パックを使い、
最初のデッキを組むこと。マナソースは基本であれば何枚でも請求可。
・新規のパックは中央大陸各地に設けられたカードショップにて購入のこと。
#過去から現在に至るまで、全てのパックが購入可能です。
・勇者同士のデュエルに関しては、事前に対戦形式、参加人数、アンティを決めて
行うこと。ただし、相手を倒す宣言をした場合、アンティに「敗北した神を石化
する」が追加され、負けた勇者は失格となり、送還される。
・ダンジョンハックなどで手に入れた現地のマジックアイテムや、同行者をカード化
することも許される。その際は運営委員と交渉し通常通り加護として購入のこと。
・各神格が所持するアルコン能力を、大会開始までに設定すること。
設定していない場合はなしとして処理する。
気が付くと、シェートは苦虫でも口に突っ込まれたような顔で、押し黙っていた。
コボルトにとっては異世界の遊びであり、前情報も全く無いままの代物なのだ、当然の反応だろう。サリア自身も、シェートと似たり寄ったりの状況ではあったが。
「まあ、いきなり理解しろというわけにはいかんからな。シェートはとりあえず置くとして、フィーはどうだ?」
「なんとなく、雰囲気だけは掴んだと思うけど……カードゲームって、ほとんどやったこと無かったからなぁ。それに、このアルコン能力ってなんだ?」
「おおっと、いい質問来たねー。じゃあ、シェート君とフィー君、あと、そこのしょぼくれおじさん、こっちに来てもらえるかな?」
「誰がしょぼくれおじさんか」
当惑したコボルトと怪訝そうな仔竜、仏頂面の竜神が壇上に上がると、主催者の女神は三人を指し示して、高らかに紹介を始めた。
「新しく入った勇者のみんなに紹介しておくね。こっちはコボルト族のシェート君。色々あって女神サリアーシェの勇者をやってるわ。これまでたくさんの勇者を倒し、ついこの間、魔王城から無事生還したばかりなの! まさに歴戦の兵ってやつね!」
好意的に紹介されるということに慣れていないせいか、落ち着かない様子でシェートは周囲を見回していた。ああいう姿を見ると、初めて出会ったころの気弱さは、まだどこかに残っているのだと感じる。
「こっちの青い仔竜がフィアクゥル君。女神サリアーシェの勇者に協力する、なかなかの実力者よ。魔王から"青天の霹靂"って二つ名を授かっちゃったんだって。すごい!」
フィーの方はこういう場でも物怖じせず、軽く聲を操って中空に浮き上がり、その体を衆目にさらすほどの余裕を見せた。生まれて始めて見るドラゴンの幼体に、勇者達から小さくない歓声が上がる。
「で、これが保護者のおじさん。以上!」
「だから儂をオチ要員に使うなと。頭から丸かじりするぞ」
「それじゃ、まずは手始めに非デュエリストとの戦いを見てもらおっかな。シェート君」
マクマトゥーナは気軽に呼びかけ、自分の勇者を指差した。
「悪いんだけど、君の神器でヒミちゃんを全力で射抜いてくれない?」
提案の意味するところを飲み込み、コボルトの顔が引きしまる。自分の手首に付けられた腕輪を見つめ、それから壇の下に残されたこちらへと視線を走らせた。
「言われた通りに、シェート。彼女の神規を量る機会でもある」
「分かった」
迷いなく片手が振われ、虚空から一張の弓が取り出される。勇者達がどよめく中、コボルトの狩人が弓弦を引き絞る。
輝く光箭が番えられ、三段の加護と二つの魔法を撚った一矢が、
「しっ!」
大気を弾いて虚空を駆けた。
八つの銀光は少女の両肩と両膝、顔と腹部をそれぞれ狙い、黄金の一撃が、迷いなくみぞおちを射抜くべく殺到する。
その全てが、音もなく霧散した。
「……っ!」
それでもコボルトの手は滑らかに番え、二射、三射と立て続けに魔法を叩きつける。
結果は、最初と変わりなかった。
勇者の目の前に浮かぶ一枚のカードによって、完璧に無効化されていた。
「一応、この神規にも隙はあってね、全ての行動はカードでまかなう決まりなの。冒険が始まる前に、必ずデッキから"アクティブ"状態にして、必要なカードをセットしておいてね。でないと、普通に死んじゃうから」
「お勧めはカウンター系の魔法一枚と、"瞬唱"持ちの壁クリーチャーを一枚セットすることですね。後はダメージ無効化と全体除去を一枚かな」
こちらの攻撃を苦もなく跳ね返し、何事もなかったように説明を続ける二人に対し、シェートはそれほど動揺していないようだった。ただ、未だ彼女達を守るべく輝き続けるカードに対し、鋭い一瞥を投げていた。
「次はお待ちかね、アルコンについての説明だよ。んじゃ、フィー君、これ持ってね」
手渡されたカードの束を受け取ると、仔竜はその数枚をめくって中身を確かめた。
「これって、いわゆる"デッキ"って奴だよな」
「わたしが即興で組んだ奴なんで、そんなに強く無いですけど。アルコンの説明にはデュエル形式にする必要があるから」
「なるほど。では、専用のデッキケースでも作らせておくか」
頷くと、竜神はなぜか、仔竜から遠ざかるように肥えた体を後退させた。
「折角だ、そのデッキを使って模擬デュエルもやってみようではないか。アルコン能力は抜きにした、素のやつでな」
「やり方は教えてくれんだろうな」
「無論だ。そうでなくては、アルコンなどと言う、忘れられた特別ルールを引っ張り出す理由にはなるまい。そうだな?」
意地の悪い笑みを浮かべる男に、マクマトゥーナは肩をすくめた。
「何でもお見通しってわけ? やーな感じ。そういうドヤ顔、女の子から嫌われるわよ」
「ぐちぐち言っとらんで、さっさと始めんか。観客を待たせても良いのか?」
「それもそうね。んじゃヒミちゃん、アルコンセット」
日美香は頷き、ケースの一番上から一枚のカードを引き抜く。そこに描かれたのは、豪奢なドレスを纏った"愛乱の君"。
「来たれ、我がアルコン、"愛乱の君"マクマトゥーナ!」
壇上が輝き、それまで解説の場に立っていた女神が、勇者の背後に現れる。カードの姿そのままの盛装を身にまとって顕現していた。
「なにそれかっけぇ! そんじゃ、こっちもやるか!」
勇者と同じ目線に舞い上がると、仔竜は手にしたカードを放り上げ、高らかに叫んだ。
「来たれ我がアルコン、"斯界の彷徨者"竜神エルム・オゥド!」
さっきよりも更に強い輝きが、周囲にほとばしる。群集をなぶる大風を巻き起こし、蒼空をふさぐがごとき、黄金の巨竜が姿を顕した。
勇者達が割れんばかりの喝采を送り、会場が盛り上がる。その様子を眺める竜の視線には、濃厚な優越感が浮かび上がっていた。
「ほんと、ずっこいなー。あたしの見せ場なのに、全部引っさらっちゃって」
「若いのを釣るに美女は有効だが、ドラゴンのインパクトはそれに勝るのだ」
「はいはい。それじゃ、折角だからそっちのドラゴンさんに、アルコンについて講釈でも垂れてもらいましょうね」
解説役を振られた竜神は、臆面もなく解説を始めた。
「アルコンとは、ウィズの勃興期に提案された、公式の特別ルールでな。魔術師たちが信奉する、異界の神を模したカード群の総称だ。だが、ゲームバランスを損なうと判断されて、今は使われておらん」
「カミサマのカードか。どんな効果なんだ?」
「デッキに入れて使うものではなく、互いに自分のアルコンを提示することで、ゲーム開始から機能する。それぞれに、最初から手札を一枚増やす、初期ライフを増加させるなどの特別ルールが設定されており、それに従ってゲームを進めるのだ」
二人のやり取りの影で、取り残されたシェートが所在なさげに立ち尽くしている。少し迷った後、軽く手招きをしてみせた。その姿がいきなり壇上から消え、ややあって狼の背に乗ったまま現れた。
「ありがとう、グート。迎えにいってくれたのだな」
「悪いな、面倒かける」
労われたグートは鼻を鳴らし、胡散臭そうに壇上の彼らを見た。
すでにシェートたちに注目するものはおらず、今しも戦いを始めようとするフィー達に集中している。
「なるほど。私達がこうして下界に呼ばれたのも、あのカードのためか」
本来の遊戯であれば許されない、勇者との同行も、神規による特別なルールがあるために成立したというわけだ。
「サリア」
コボルトの顔には、今まで見たことも無いような狼狽が浮かんでいた。
この旅が始まって以来、初めて見たような、強い不安の色があった。
「俺、あれ、できる気、しない」
竜神の手ほどきを受けつつカードを繰るフィーは、早くも内容を理解しているようだった。だが、おそらくシェートは、そうはならない。
サリアは黙って、コボルトの肩に手を掛けた。
それが、同じぐらい不安を抱えている自分に、唯一出来ることだった。