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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~挿話編・その弐~
123/256

風信

 圭太が目を開いたとき、目に入ったのは古い木目の天井だった。

 築三十年の我が家の、嗅ぎなれた空気を吸いながら、落胆がこみ上げる。

 体感からすればほんの一秒前、世界は荒れ狂い、高揚していた。

 生まれてはじめての、命を賭けた戦い。体を無数の魔法で貫かれ、片手さえ切り落とされてなお、必死に食い下がり、知見者の勇者を追い詰めていた。

 いや、追い詰めたと思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。

 勇者の陣は分厚く堅牢で、最後の隠し玉に取っておいた自爆でさえ功を奏さなかった。

 もし自分の目論見が叶っていたなら、目を覚ますべき場所は自室の一隅ではなく、名も知らない異世界の、小さな幕屋の中のはずだ。

 それでも、もしかしたら今すぐにカニラの声が――。

「圭太!」

 その呼びかけに、体がびくりと跳ねた。耳慣れた女神のものではない、自分の良く知っている人物の声。

「起きないと遅刻するわよ!」

 飛び起きると、あわてて周囲を確認する。窓側に建った雑居ビルのせいで、昼でも薄暗い室内。敷きっぱなしのカーペット、小学生のころから使っている木製のベッド、パソコンの乗った勉強机。

 気温も湿度も向こうより高い。季節が一巡りぐらい違うような感じだ。

「早く朝ごはん食べちゃって! 出る前に片付けていきたいから!」

「い……今行く!」

 とっさにそう返事をしてから、圭太はとまどいいつつクローゼットの前に立って、中身を確認した。

 出した覚えの無い夏物の制服が、しわも無い状態でかけられている。あちらに召喚された時は桜の季節で、まだ冬服だったはずだ。

 手にしたブレザーの手触りは、生成りの麻や皮で出来た服とは全く違う。きめ細かで、縫い目も丁寧だ。文明レベルの違い、そんな言葉が思い浮かぶ。

 机に貼られた時間割を確認し、今日が何日の何曜日なのかさえ分からないことに気が付いた。

「か……」

 こんなこと質問して、変に思われたらどうしよう。代わりの答えを求めて、圭太は置きっぱなしになっていたスマホを手に取った。

「……充電が、切れてる」

 おそらく、自分がいなくなっている間に電池切れを起こしたのだろう。

 充電器にかけようとして、そのままポケットに突っ込むと、そのまま下に降りた。

「今日は早出だから、早めに起きてって言っておいたでしょ? ほら、さっさと食べちゃいなさい」

 台所から出てきた母親が、何気ない調子でテーブルの上を示す。茶碗に盛られたご飯と味噌汁、焼き魚と昨日の残りらしい煮物が並んだ朝食が、目に飛び込んできた。

「ちょっと……どうしたの?」

 それまで、意識したことも無かった、家の食事。

 代わり栄えのしない、手抜きなメニュー。

 そんな風に思っていた。

「ご、ごめん! ちょっと、顔洗ってくる!」

 怪訝そうな母親を残して、そのまま洗面所に入る。蛇口をひねり、強めに水を出すと、圭太はむきになって、必死に顔を洗った。

 それでも、時折鏡に映る赤くなった両目は、中々治らなかった。



 季節は、いつのまにか夏になっていた。

 こちらを出た時は、校庭の桜につぼみがいくらか残っていたはずだが、すでに緑の葉が青々と茂っている。

 それでも町並みは以前と変わらず、そこに存在していた。見知っているはずの、どこか遠い情景として。

 両親も数少ない友人も、圭太がいなくなったことに、誰も気付いていない。

 カニラから、その仕組みについてレクチャーされていたが、実際に体験してみると、戸惑いの方が大きかった。


『"晦魄かいはく"と言ってね、召喚された勇者達の存在は一時的に「なかったこと」にされるのよ』

『なかったこと、って僕が消えちゃうの?』

『正確には「あなたが存在した因果世界」を、あなたの存在ごと別の世界に移植する、といった感じかしら』


 存在を因果ごと取り除くことによって、勇者が元いた世界では、彼らは『存在しない人物』となる。

 存在しないものは心配しようが無いし、彼らの存在ごと因果が戻ったなら、異常は存在し得ないというわけだ。


『どうしてそんな大掛かりなことを? 因果の操作なんて大変じゃない?』

『神威に関しては遊戯の参加者全体で分割しているし、この方が何かと都合がいいのよ』

『神様の存在を知られないようにするため、とか?』

『それもあるけど、一番大きな利点は、勇者が勝者の権利として、別世界への移住を願った場合よ』


 本人、あるいは神が望んだ場合、勇者は遊戯の終了後、その神の従者となるか、あるいは異世界での生活を続けることが許されている。

 つまり、晦魄しておけば、残してきたものに対しても気兼ねなく、異世界に移住することが出来るということらしい。


『圭太さんは、どうする?』


 カニラの問いかけに、自分は首を横に振っていた。

 確かに別世界で生活することは魅力的だが、元いた世界から存在が消える、ということが、単純に怖かった。

 だが、

「やっぱり、お願いしておけば良かったかもな」

 校舎の外に広がる、白砂の運動場を眺めつつ、圭太はそう呟いた。

 昼休み。

 教室に残っているのは仲のいい女子のグループがほとんどで、他の生徒は部室や食堂、図書室などに散ってしまっている。

 帰ってきて気が付いたのは、結局自分は、生きながら晦魄している存在なのだ、ということだった。

 教室の中では喋りかけてくる人間もなく、別のクラスに友人がいるわけでもない。

 むしろ、異世界にいたほうが、誰かと繋がることができていた。

「……フィー、どうしてるかな」

 驚くべき秘密を抱えた、青い仔竜の顔を思い出す。初めてリンドルで言葉を交わし、一緒に死地を潜り抜けた仲間。

 そして、大きな秘密を抱えた、元勇者の少年。

「どこに住んでるんだろうな」

 召喚されたのが同じ地球であるなら、きっとこの世界のどこかに、逸見浩二という少年が住んでいる家があるはずだ。もし、彼が帰ってきたら、こちらでも友達になることが出来るかもしれない。

 とはいえ、いつ帰ってくるかも分からないし、晦魄されている現状では探しようも無いわけだが。

「二人とも、大丈夫かな……」

 気が付けば、ずっとそのことばかりを考えていた。

 自分は戦争のさなかに脱落してしまったから、シェートとフィーがどうなったのかさえ分からない。一応、その後の流れについては竜神が全て語って聞かせてくれたが、実際にうまく行くかは状況次第、とも言っていた。

「僕の弓、役に立っているといいな」

 魔狼双牙フェンライトゥース、自分が創り上げた、最初で最後の魔法の武器。

 自分の力を形見に残していく、というのは、なんだか誇らしいような、切ないような気持ちになる。本当は、あれを使うシェートの隣で、一緒に戦いたかったけど。

 そんな夢想を打ち払うように、チャイムが鳴り響いた。

 休み時間終了の予鈴、教室の中に生徒達が戻ってきて、辺りが急に騒がしくなる。

 途端に、それまで高揚していた心が、しぼみ始めた。

 周りに合わせて教科書を出し、やがてやってくる教師を呆然と待ちながら、その無味乾燥さに気持ちが暗くなる。

 彼らは、今もあの世界で冒険しているのだろうか。

 シェートにとっては命がけだし、フィーにも辛い事情がある。衣食だって不自由で、周囲には敵しかいない状況だ。

 それでも、充実しているだろう。少なくとも、今の自分よりは。

「竜神様に、お願いしておけばよかったな」

 せっかくあの時、願いを聞いてくれると言われていたのに、何の返事も出来ないままこっちに帰ってきてしまった。

 叶うなら、今からでもいいから、フィーのように別の姿でシェートの味方について冒険したい。

「はぁ……」

 遅きに失した願いを抱えながら、圭太は空を見上げた。

 強く輝く太陽と、ぼんやりとにじんだ青、かすかな雲の流れ。そのどこかに、神の世界が少しでも垣間見えないかと目を凝らす。

「三枝、今は授業中だ。天候の観察は別の時間にやってくれ」

 教壇からの一言に、クラスが一瞬の笑いで沸き立つ。あわてて黒板の内容を書き写しながら、圭太は再びため息をついた。



「そういや、夏休みどうする?」

 放課後、帰り支度を始めていた圭太は、そんな会話を耳にした。

 少し離れた席で話し合うクラスの男子が、あと二週間後に迫った夏休みについて、互いの予定を披露しあっている。

「俺、塾の合宿で二週間はつぶれんだよな……泊りがけで軽井沢だって、だりー」

「うちは田舎のじーちゃんたちんとこ行くぜ。でも、すっげー何にもねーの。スマホも電波が悪くて途切れがちだし、今時コンビニ無いとか、秘境だよなひきょー」

 夏休み、という言葉を聞いても、圭太の中には何も浮かばなかった。

 うちは両親とも田舎が都心で、海や山に行くというイメージではない。塾通いは母親にも勧められたが、勉強が出来るわけでも、好きなわけでも無いので断ってある。

「うちの部は毎日練習。あと、合宿あるとか言ってた」

「そういや、うちのガッコって野球部とかないのな」

「何年か前に顧問の先生がやめて、自然消滅したらしーよ」

 部活動、という響きにあこがれたこともあるが、運動は苦手だし、文系の部活は女子の数の方が多いせいか、気後れして入るのをやめてしまっていた。

「中坊のときの方が、まだ自由があったよなぁ」

「うわ、なんか無性に懐かしくなるなー」

「つか俺、小学校に戻りてぇー、あん時はまいんち友達の家にいって、ずっとゲームばっかやってたもんなぁ」

 そういえば、自分は友達の家に遊びに行く、という経験もした覚えが無かった。

 いつも一人で、家の中で本を読んだりゲームをしたりしていた。

 夏休みはいつも静かで、ガラス戸の向こうを笑いながら駆けていく子供の声を、他人事のように聞いていた。

 彼らは、こちらに気付くことも無く外に出て行き、教室が静けさに包まれる。

 取り残された圭太は、苦笑いを浮かべ、呟いた。

「ああ……そうか」

 自分が晦魄しているのは、自分のせいなのだ。

 何かをやる前に諦め、自分には関係ないとガラス戸の中に引きこもった。そんな人間に誰かが手を差し伸べてくれることなど、本来はありえない。

 カニラが自分のところに来てくれたのが、幸運だったのだ。

 向こうで冒険を経験して、何かが変わったかもと思えた。

 竜神が言ったように、自分で決断したことによって、勇気が身についたかもしれないと期待もした。

 それでも、三枝圭太という人間の根本は、何も変わっていなかった。

 向こうでは勇者という役割があり、魔法という能力が備わっていた。だから、自分でも何かが出来ると信じられた。

 でも、こちらの世界にはそんなものはない。ただの気弱な高校生でしかなかった。

 だいぶ日の傾いた校庭にからは、生徒の影が消えている。隅のほうで陸上部が活動している以外は、動くものは見えない。

 つくづくとため息をつき、圭太は教室を出た。

 このまま家に戻っても、結局は同じ日常の繰り返しだ。あるかも分からない異世界からの呼びかけを待っていても、状況は変わらないだろう。

 そもそも、シェートたちがどうなっているのかさえ分からないのに。

 考えれば考えるほど、気持ちが暗くなっていく。

 もし、竜神の目論見が外れて、シェートが負けてしまったら、自分が向こうに呼ばれることは永遠に無い。

 せめて、向こうの状況が分かる方法でも無いんだろうか。

「フィーの電話番号、聞いておけばよかったな」

 そうすれば、あちらと電話が繋がる可能性もあったかもしれない。

 考えるほどに後悔ばかりが募って、自然に視線が下向きになっていく。

 だから、その影が目の前に出てくることにさえ、気付かなかった。

「うわあっ!?」

「っおっ!」

 とりあえず、相手が素早く下がってくれたので、ぶつかることは無かった。彼はくるぶしまである袴を翻しつつ、軽く頭を下げた。

「悪い、先輩がうるさくてさ。トイレからはダッシュで戻んないとなんないんで、気がつけなかった」

「え……うん。こっちこそ、下向いて歩いてたか……ら」

 紺色の胴着に袴、頭には手ぬぐいで髪をまとめ、全身から剣道部独特の異臭を漂せたその少年に、圭太は見覚えがあった。

「あ、え、えっと……! 君は」

「あ……あー! あ、ほら、お前、あの、あそこの村の!」

 信じられない思いで、ようやく彼の名前を搾り出した。

「君は遠山君、だったよね」

「あ、ああ。わりいんだけど、俺はちょっと、そっちの名前、覚えて無くてさ。でも、分かるよ」

 やっぱり、こんなところでも影が薄いのか。そんな自嘲を喉の奥に押し込め、圭太は改めて名乗りを上げた。

「三枝圭太です、改めて、よろしく」

「えっと、遠山文則っす。なんか、ちょっと照れんな、こういうの」

 自然と差し出された右手を、圭太はおずおずと握り替えす。

 握り返された掌は、思ったよりも薄かった。



「世間は狭いって言うけど、マジ狭すぎだろ。ネコの死体ぐらいの広さってやつ?」

「それ、額だからね。それと、場所考えて」

 文則の部活が終わるのを待って、二人は駅近くのファーストフード店にやってきた。さすがに運動部らしく、彼はセットに安いハンバーガーを二つ追加していていた。

「わりぃ、なんか癖なんだよな。間違えて覚えるの」

「それにしても、本当に奇遇だね」

「ああ。まさか、同じ学校に異世界の勇者が二人もいるなんてな。ってか元、か」

 クラスが違えば当然顔を合わせる機会も減るし、相手は部活に入っているから、よほどの偶然でも無い限り、互いを知らずに卒業していたかもしれない。

「んで、そっちはいつまで生き残ってたんだ? もしかして、優勝したとか?」

「残念だけど、そうじゃないよ。こっちに戻ったのが一週間前くらいかな。僕が帰る直前には、勇者は五人まで絞り込まれてたけどね」

「五人……って、もしかして、あのコボルトも残ってんの?」

 その問いかけに、圭太は笑顔で頷いた。

「マジかぁ。それじゃそっちは、あのコボルトにやられて帰ってきたってこと?」

「そこはその、話せば長くなるんだ」

 それから先は、とめどなく言葉があふれた。

 村にやってきたシェートと知り合い、結果として知見者の軍に村が奪われたこと。長い放浪を経て、シェートたちに協力するようになったこと。そして、自分の最後の戦いまで話して聞かせた。

「結局、僕もそこで負けちゃったから、後はどうなったかわからないんだけどね」

「ほんと、すげーな。俺とは大違いの大冒険じゃん」

「僕は、その……たまたま運が良かっただけで」

「いや、問題はそこじゃない」

 手にしたハンバーガーを二口で食べ終わると、文則は拳を握り締めて唸り声を上げた。

「異世界に召喚される時は、やっぱり女神様一択ってことだ! ヒゲオヤジとかマジでねーよな、クソが!」

「あ……あはは」

「でも、なんか無事で帰ってこれてよかったな。最後の方なんて、いくらなんでも無茶しすぎだろ」

「そうでもないよ。あの時はなんか、こう頭の芯が熱くなって、訳わかんなくてさ」

 本当に無我夢中だったと今では思う。普通に考えれば、自分の体を中心に爆炎を巻き起こすなんて、正気の行動じゃない。

「でも、なんかわかるわ。俺も、綾乃……さんがやられた時、めっちゃキレたしな」

「綾乃さんって、あの港町の勇者の人だよね。そういえば、そっちはどうだったの?」

「俺の方は、そっちのよりもしょっぱいオチだよ」

 文則は肩をすくめて、討伐の顛末を語ってくれた。

 シェートから大まかな話は聞いていたが、実際パーティを組んでコボルト討伐に当たった彼らの様子は、色々と興味深かった。

「んで、例のガキが、モンコロの神規使いだってわかったんだけど、もう割りと詰み状態でさ。生き残った俺と綾乃さんで抵抗したんだ」

「シェート君は、フィーをビーストテイマーに設定して対抗したみたいだよ」

「そんなことが出来たんかよ。それを知ってりゃ少しは……いや、こっちは二人しかいなかったし、割とダメだったか」

 ぎゅっと顔をしかめると、文則は食いしばった歯の間から、悔しげな声を漏らした。

「俺さぁ、マジで守ろうと思ったんだよ。綾乃さんも俺に答えてくれてさ。でも……ぜんぜん足らなかった」

「仕方ないよ。敵とのレベル差があるんじゃ……」

「でも、そのシェートってコボルトは、勝ってんじゃん」

 その目は悔しそうだったが、まだ何かを求めて、ギラギラと輝いていた。

 拳の中に、くしゃくしゃに丸めた包み紙を握りこんで。

「あれさ、レベルってあくまで外付けの能力を買うスキルポイントを集める要素で、肉体とか頭の良さとかは、本人もちなんだよな」

「……そうだね。だから、僕も戦闘はなるべくしないようにしたし」

「俺さ、中学ん時までは親に言われて、剣道やってたんだよ。それでも、あんまり真面目にやってなくて。高校ではやらないつもりだった」

 鞄の隣に立てかけてあった竹刀のケースを引き寄せると、文則はそれを握り締めた。

「もう少し、俺が真面目にやってたら、なんか違ったのかなって」

「でも、相手はゴーレムとか、ワイバーンとかだったんでしょ?」

「怪物に人間の立ち回りは通じないって、分かってるよ。でも、根本的な体力とか、気構えとか……いや、とにかくだ!」

 もどかしげな顔は、心の中にわだかまった何かをつかみ出すように、ぐっと圭太に向き直った。

「次にこういうことがあっても、ぜってー後悔したくないんだ! だから、帰ってきてからすぐ、部活に入れてもらった!」

「でも、もう一度呼ばれるかなんて」

「じゃあ、呼ばれたらどうすんだよ。また、綾乃の時みたいになったら嫌だろ」

 ものすごく明快で、単純な答えだった。

 やるかやらないかを考えるより、とにかくやれることはやる。それが、あの冒険を経た彼の思いなんだろう。

「遠藤君は、すごいね」

「いや、最初からやっとけよって話だろ。人間万事塞翁が馬、って奴だよ」

「それはちゃんと覚えてるんだ」

 軽く突っ込むと、彼は思いのほか真面目な顔で反証した。

「綾乃さんに教えてもらった奴だからな、絶対、忘れねぇよ」



 駅前からの帰り道を歩きながら、圭太は手元のスマホに視線を落とした。

 久しぶりに入れた親以外の連絡先が、アドレスに記載されている。また暇があったら向こうの話をしようと、彼は言ってくれた。

 いずれは、このアドレスにフィーの分が追加されるかもしれない。ただ、そのことは、彼の正体も含めて、文則には告げずにおいた。


『そういや、お前も来いよ。うちの部活』

『け、剣道かぁ……なんか、きつそうだだね』

『大丈夫だって。先輩もみんな面白いし、部活の間にあっちの話とかできるじゃん』


 結局、答えは先送りにしたまま、考えておくとだけ言っておいた。

 それにしても、本当に前向きというか、ノリのいい人だと思う。多分、自分はあまり付き合いが無かったタイプだ。

 でも、彼と友達になるには、剣道をやらなければならないだろう。

 出来るだろうか、そもそも今まで運動らしいことなんてやったことが無いし、まともに勤まるとも思えない。

「……またかよ」

 うじうじと悩んでいる自分が、心の底から恨めしかった。

 文則なら、こういうときはやってから決める、とでも言うだろう。シェートはそんなことを考えることも無いだろうし、フィーは文則と変わらない答えを出すと思う。


『やるかやらないか、それはそなたが決めることだ』


「分かってますよ、そんなこと」

 竜神の、深くてどこか飄々とした声音を思い出しながら、圭太は揺れる心を抱えて、家の玄関をくぐった。

「今日はずいぶん遅かったじゃない。どこ行ってたの?」

「友達と会ってた。連絡しなくてごめん」

「友達って、以前連れてきた子?」

 何気ない母親の問いに、過去の傷がかすかに疼いた。それでも、言葉にした時、心に暗さは宿らなかった。

「違うよ。別の友達」

「そうなの。ご飯できてるから、早くいらっしゃい」

「うん」

 いつもと変わらないやり取りの最後に、母親は奇妙なことを付け足した。

「そういえば、その友達って手紙とか書く子?」

「いや……無いと思うけど、なんで?」

「圭太宛に変なはがきが来てたの。一応、ダイレクトメールじゃないみたいだから、机の上においてあるけど、変だと思ったら捨てちゃいなさい」

 誰だろう、自分に手紙をくれる人間など、思い当たる節が無い。

 いや、しかし、もしかすると――。

 大急ぎで階段を上がると、圭太は薄暗い部屋の中に飛び込み、机の上のはがきを毟り取るようにして掴んだ。

 この家の住所と自分への宛名、差出人のところに書いてある名前は。

「山海……佳肴?」

 確かに、思い当たる節が無い。そもそも綺麗な毛筆で書かれたそれは、明らかに大人からの物だとわかる。

 裏返してみると、そこには同じく軽やかな筆遣いで、こんなことが書かれていた。


『圭太殿へ

 我が友とその配下が、無事危難を乗り越えたことをここに記す

 そなたが産み出せし神器も、よい助けとなった


 改めて助勢に感謝を

 二人はいまだ健在、また何かあれば文をしたためよう


 それではまた、いずれ                    竜翁』


 おそらく本人、いや本竜が書いたものであろう手紙を、圭太はじっくりと眺めた。

 自分が今、知りかったことの全てが書かれているそれを。 

「圭太ー、早く降りてきなさい。ご飯冷めちゃうからー!」

「うん。今行くよ」

 その大事な宝物を机の引き出しにしまうと、圭太は窓に近づいて、雑居ビルのはるか上にある、夜空を見上げた。

 こうしていることも、きっと向こうから見ているだろう。それとも、今はシェートたちの冒険にかかりきりだろうか。

「がんばってね、みんな」

 遠く離れた友達に向けてエールを送ると、そのまま食堂に向かう。

「ねえ、母さん」

「なに?」

 そして、台所に入って味噌汁をよそっている背中に向けて、圭太は声を掛けた。

「僕、剣道部に誘われてるんだけど、入ってもいいかな」

 

今日は私の誕生日なので、記念に短編を一本投下しました。本編の更新ですが、1月31日より開始予定です。お楽しみに。

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