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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~挿話編・その弐~
122/256

未来視


 そのメッセージがウィンドウにせり上がってきたのは、一週目の狩りを成功させ、アイテムの分配も終わった時だった。


らっきー☆ストライク:わりぃもう時間だ そろそろ落ちるは

ヴォイドルーン:結構時間掛かったもんな、乙

暗黒魔道士ζ:らっきーさんおつー

ブレイクブレッド:おつっしたー

アンチエイリアス:またな


 モニターに映っていた鎧騎士が光のエフェクト共に消失し、木々もまばらな緑の平原に残された残りのメンバーも、どこか気の抜けた感じで立ち尽くしている。

 モニターに集中していた浩二も、ヘッドフォンを外し、椅子に体を預けて背筋を伸ばした。

 部屋の壁にかけられた時計は一時を回っている。流れすぎるチャットの内容も、ゲームとは関係の無い雑談になりつつある。そろそろ解散だろうか。

「おい、コー」

「うおっ!」

 いつの間にか隣に立っていた姿を、浩二はまじまじと見つめた。

「あ……兄貴、か」

「何ボケてんだよ。さっきから声掛けてたぞ」 

 兄の伸一は、手にしたカップをパソコンデスクの端に置いた。湯気の立つインスタントコーヒーには砂糖もミルクも入っていない。

 カップの端に唇を付けると、用心しながら中身をすすりこむ。

「苦っ! だからコーヒーの量は少なくしろって言ってるだろ!」

「淹れてもらってるくせに文句かよ。気に入らなかったら自分でやれ」

「……分かったよ」

 あまりの苦さに閉口しながら、開いておいたポテチの袋から一枚取り出す。物欲しそうな視線でこちらを見ていた伸一は、何も言わずに自分のカップに顔を向けた。

「そういや明日も仕事だっけ?」

「急に休出とか言われてな、あー、あんな会社辞めてぇ」

「乙っすよ、らっきーさん」

「うっせ」

 自分より五つ年上の兄は、大学卒業と同時に市内の会社に就職していた。そのせいで、以前よりもネットゲームに費やす時間が減り、たまの土日も削られることが多かった。

「コー、俺の"アカ"、いるか?」

「やっぱ……ゲーム辞めんの?」

 それは以前から時々話題に上っていたことだ。大学卒業の時は冗談半分だった兄の発言が、最近ではため息混じりのほのめかしに変わっていた。

「インできる時間も減ってるし、ブレイクさんみたいに寝る時間削ってまでやるのは、ちょっとな」

「あの人、マジで変な時間に入ってるもんな。朝の四時とかさ」

「栄養ドリンクの飲みすぎで、変なゲロ吐いたってつってたし、命かけすぎだろ」

 歳が離れているとはいえ、浩二にとって兄は、ほとんど友達と変わらなかった。一緒にゲームをやり、兄の友人とも一緒に遊ぶことが多かった。

 こんな風に馬鹿話をしながらゲームをする機会も、これからは減るかもしれない。

 そんな不安を隠しながら、浩二は明るく請け負った。

「……二アカぐらいなら、レベリングすんのも苦じゃないし、適当にやっといてやるよ」

「サンキューな。でもこのゲーム、今年一杯でサービス終了とか聞いたぞ?」

「マジで!? 二年持たずに終了とか……結構気に入ってたんだけどなぁ」

 こちらの話題にあわせたように、モニターの向こうの仲間達も、別れを告げながらログアウトしていく。人数分の『乙』を打ち込むと、浩二は冷めかけたコーヒーをすすった。

「んじゃ、俺もそろそろ寝るわ。多少遅出にはなるけど、寝不足はきついし」

「うん。おやすみ」

 軽い足跡と共に伸一が部屋を去り、夜が静まり返る。

 置かれたヘッドフォンから流れる軽快なゲーム音が、どこか白々しく感じた。

 画面の向こうで、新たなエリアボスが湧くエフェクトが掛かり、あわててキャラを移動させる。自分の魔法使いと入れ違うように、別のパーティが敵に群がり始めた。

 この時間から攻略に掛かるなら、彼らは二時ぐらいまではここで遊び続けるだろう。

 浩二はログアウトし、そのままパソコンをシャットダウンした。

「なんかなぁ……」

 自然とそんな呟きがもれる。これまで感じたことがなかった感情が、自分の生活に入り込んでいた。

 兄と遊ぶ時間は少なくなり、兄の友人達も自分達の生活に追われて顔を合わせることもなくなっている。学校には自分の友人がいるが、彼らはスマホのゲームに夢中で、パソコンの方に興味を広げることはなかった。

「俺も、そろそろ引退かな」

 確かにゲームは楽しい。

 ただし、一緒に遊ぶ人間がいれば、の話だ。

 夏休みや冬休みがくると、兄と二人で寝る間も惜しんでログインしていた。親に叱られても、必死に言い逃れをして、遊び続けていた。たくさんの人と知り合って、一杯冒険をした。

 自分にとってのゲームは、別世界の入り口だった。現実では味わえない体験の全てが詰まっていた。

 そう思っていた、はずだ。

 短いため息を吐き、ベッドに寝転がる。

 少し早いが、たまにはさっさと寝るのもいいだろう。次第に重くなる瞼を感じながら、

浩二はぼんやりと天上を眺めて、呟いた。

「ゲームの世界とか、行けねぇかなぁ」



 紫紺の空に、星が瞬く未明。

 僅かに吐く息が白く見えるような荒野に立ちながら、シェートは目の前の仔竜を見つめていた。

「んじゃ、時間も惜しいし、とりあえずやってみるか」

「お、おう」

 フィーの鳴唱が夜気を震わせ、薄闇の中に猛火の群れが生み出された。仔竜の背後に浮かび上がる無数の炎に、自然と顔がこわばる。

 それでも、自らの闘志を奮い起こして、両手に魔剣を招来した。

「いつでも良いぞ」

「それじゃ……まずは、正面!」

 鼓膜を貫く異音を後に引き、炎の矢がシェートの眼前に突き進む。

「しっ!」

 破術を帯びた一刀が魔法を砕き、火の粉が跡形もなく消えていく。振り降ろした右手に残る衝撃が、さっきの一撃が幻で無いことを示していた。

「この速度なら対応できるみたいだな。んじゃ、どんどん行くぞ!」

 再び火線が虚空を奔る。

「しいっ!」

 炎箭が爆ぜ割れ、その間隙を突いて別の矢が襲い掛かる。

「ぬあっ!」

 その一撃を正確に叩き落し、その向こうから放たれた矢を切り落とす。

 火花が薄暗い夜明けに砕け散り、一刀ごとにシェートの姿が闇から浮かび上がる。

 振り下ろし、切り払い、叩き割り、同時に目の前の仔竜へと踏み込む。

「ストップ!」

 ぴたり、と切っ先が、フィーの鼻面の少し前で止まった。

 どちらともなく息を吐き出し、仔竜とコボルトは、稽古の完了に安堵した。

「案外、うまく行くもんだな。魔法の切り払い」

「飛ぶ矢、速さ、方向、当たりつける。獲物追う時、良くやる」

 逃げる獲物に対して自身の矢の強さを測り、命中を予測するのは狩人として当然の技術だ。それを利用すれば、放たれた矢弾に対し、自分の武器で反応するということも難しくは無い。

「でも、フィーの矢、少し早くする。全部落とす、多分、無理」

「その事はあんまり気にしなくていいぜ。魔王城の護衛隊みたいな奴らの火が、さっきぐらいの速度だったからな」

「それと、矢、同じ方向、来る違う」

 シェートの懸念に、フィーは腕組みしつつ、唸りを上げた。

「まだ練習始めたばっかだし、いきなり変化球に対応するのは、やめたほうがいいんじゃないか?」

「練習、いつも先見ろ、目標、作れ、言われた」

「それ……あいつに、か?」

 仔竜の気遣うような視線に、シェートは微笑んで返した。

「俺、ずっと、あいつ忘れない。教えてくれたこと、全部、大事する」

「辛く、ないか、そういうの」

「うん」

 ベルガンダとの交流とその結末は、今も痛みとなって残っている。導かれた結末が、自分の望むものであったとしても、後悔は消えない。

「でも、コボルト、そうやって、生きる」

 死は終わりだ。

 命の終わり、個としての存在の終わり。

 だが、それが一切の終焉を意味することはない。

「誰か一人、そいつ、忘れない。それだけで、そいつ、生きる。俺達、そうして生きる」 目の前の仔竜は、黙ってこちらを見ていた。

 ドラゴンは悠久を生きるという。

 彼らにとって、コボルトの一生など、午睡の時に見た夢程度に過ぎないだろう。

「フィー」

「……なんだ?」

「良ければ、俺――」

 その先に続く言葉を、シェートは飲み込んだ。

 夢は、醒めれば消え去るものだ。日々の流れに飲み込まれて、消えゆく泡沫だ。

 思うことさえ大それた願いは、口にする必要も無い。

「いや、いい。練習、続き」

「忘れねーよ」

 精一杯、背筋を伸ばして、フィーはこちらを見つめていた。

 目を見開き、その瞳一杯に、シェートの姿を映していた。

「絶対に、死ぬまで、忘れないから」

 ほう、とため息をつき、シェートは頷いた。

「ありがとな」



 巨大なモニターの向こうに映し出された光景を、ソールは律儀に観察していた。

 赤き小竜の顔は、液晶画面の輝きで更に厳つい気配を漂わせ、その内心をくっきりと浮かび上がらせている。

「だいぶ、ご機嫌斜めだね」

「そんなことは無い」

 背後からかけられた白竜ヴィトに、おざなりな返事を投げる。画面の向こうでは、仔竜とコボルトが、川で水浴びをしていた。

「彼らにとっては、いい休暇になっているようだね」

「今朝方、フィーを相手に戦闘訓練をしていた。鳴唱で生み出した火炎弾でな」

「何か無茶なことでもしたのかい?」

 無邪気な問いかけに、ソールは無言で画面を指差した。

 水際で体を洗っているコボルトの肩や背中には、毛の焦げた痕があった。再生の力は体毛にまでは及ばない、おそらく生え代わりが行われるまで、あのままだろう。

「最初は直線的な投射で済ませていたのだが、すぐに曲射を交えたものになってな。破術が間に合わず、ああして損傷を受けた」

「ほぅ」

 だが、こちらの不機嫌とは裏腹に、白い小竜は満足げに頷いてみせた。

「どうやら、彼も大分変わってきたようだね」

「彼とは、どちらのことだ」

「もちろん、コボルトのことさ」

 フィアクゥルの鳴唱を利用し、戦闘力を高める修行とする。それは、あのコボルトから言い出したことだ。

「主様から伝え聞くところによれば、魔将ベルガンダとの邂逅以前は、むしろ近接戦闘を避ける傾向が強かったそうだよ」

「その理由については考察してある。状況の変化が主な原因だ」

 フィーは早々に水浴びを切り上げ、川面を舐めるように飛行しながら、川魚をつかみ取りしていた。一部の水を固定し、無造作に手を突っ込んでは獲物を岸へと放り投げる。

「フィアクゥルと星狼の参入以前、コボルトは常に一人で危険に対応していた。衣食の準備や安全の確保など、生活維持に必要な行動も含めてな」

 コボルトの方も岸に上がり、炉を組み上げて魚に串を打っていた。フィーのブレスが焚き火を灯し、すでに収穫しておいた植物の地下茎などが投じられる。

『これ、ほくほくしてうまいよな。こっちでも生えてて良かったよ』

『魚だけ、飽きる。お前、良く見つけた』

 仔竜の行為をねぎらう獣の顔には、以前とは比べ物にならない、落ち着いた表情が浮かんでいた。

「仲間が出来たことで生活に余裕が出来た、ということだね。良いことじゃないか」

「加えて、魔将との修行、魔王城での経験が、あの魔物に、自身の変化を希求させる原動力になったのは間違いない」

「僕らにとってはいいこと尽くめじゃないか。サリアーシェ様に勝ち残っていただいた方が、今後の竜洞にも都合がいい」

 気楽な同僚の言葉に、思わず愚痴がもれそうになる。

 そうする代わりに、ソールは黙って、額にかけていたHMDを同僚に差し出した。

「サリアーシェ様なら、主様と一緒に神去かみさりの地へお出でだ。それほど気にすることも無いと思うけどね」

「用心のためだ。情報統制は念入りに行う必要がある」

 ヴィトはディスプレイに表示を読み取り、ソートされた情報を瞥見する。

 そして、曖昧な表情を浮かべて、道具を返してきた。

「君の意見は?」

「有り体に言えば、結論を出すにはデータが少なすぎる。だが、予断は許されないレベルだと考える」

「正しい推論だね」

 改めて、ソールはディスプレイ掛け、目前に下ろす。

 表示された"竜樹ナーガルジュナ"のデータを、改めて確認した。

「魔王の城での"六識"覚醒直後、侵蝕率は一時的に五十パーセントを超えた。その後"竜樹"の低減効果により、侵蝕率は一パーセント前後に抑えられていた」

 グラフとなって表示された、魂の侵蝕率。その推移はある程度まで、ソールの言質どおりだった。

「だが、"末期の鳴唱"発動後……侵蝕率は、百分台の微増を続けている」

「安定期の計測値が二パーセント前後か。鳴唱の使用は禁止しないのかい?」

「主様が、その必要は無い、と仰られてな」

「ソール、今、いい?」

 水の小竜、メーレが、小さな水溜りから顔だけを覗かせて現れる。話を続けるように示すと、"竜樹"の画面に新たなデータが追加された。

「次のアップデート。フィーに送って」

「新しいパッチか。この前のものはあまり効果がなかったぞ。整復のためのプログラムでは、そろそろ抑えが効かなくなってきているようだ」

「問題ない。私が設計し、主様が監修されたもの。今度こそうまく行く」

「元々無茶してんだ。こーやって抑えられてんのが奇跡だろ」

 会話の間に丸い体を押し込むようにして、黒竜のグラウムが割り込む。野菜と牛肉を巻いたトルティーヤを貪りながら。

「ドラゴンは何でも食っちまうからなー。そいつが過去、どんなモノであったにせよ、竜と交わったが最後、ただの生きモンとしての生涯は、貪りつくされる」

「竜の血に浴す者、万夫不当の豪傑となり、竜の種を孕んだ者、世界を統べる王を生む」

「そして、世の理を外れ、竜という存在と化す、か」

 フィアクゥルの内に宿る人間の魂が原型を保ちえたのは、彼に掛けられた竜神の強力な加護が、ドラゴンという力を遠ざけていたからだ。

 しかし、その魂が自ら求めた以上、不可逆の変化は時間の問題だ。

「主様も面倒を押し付けてくれたものだ。彼の魂を、原形を残したまま存続させろ、などとはな」

「しかし、ハード面というか、こちらのバックアップは良いとして、フィー自身には何も言わなくていいのかい?」

 食事が終わったのか、仔竜とコボルトは別の方向へ移動していく。日が高くなるまでの時間、採取や日用品の生産に追われるのだろう。

「すでに指示は与えたそうだ。後は」

 採取のためにゆったりと大地を歩く姿は、すでに人のそれでは無い。

 目は尋常の生物が見る世界を見ず、風の中に自然の聲を聞き、翼と尾という増感された器官を使って世界に触れる。

 それでもなお、人としての形質を保ちうるのか。

「あの仔竜次第だ」



 欠けている。

 サリアがその町に降りた時、最初に感じたのがそれだった。

 背の高い楼閣がひょろりと天に伸び上がり、目にきつい彩色の看板には、客を呼び込むための惹句が踊っている。

 人波は絶え間なく、金属の車が冷淡な毒素を吐き散らして、街路を横行していた。

「寂しい、世界ですね」

「そう見えるか」

 隣に立つ恰幅のいい男性は、身に着けたコートの襟元を軽く直し、遠くを見るような目つきをした。

「"神去"とは、文字通りの意味なのですね」

「そうだ。この星ではもう、神は生きられぬ」

 人の姿に身をやつしたせいだろうか、竜神の顔には、常よりも露な感情が浮かぶようだった。

「分かるか、サリアよ。この重苦しい沈黙が」

 こちらでは、時刻は夕刻になりつつある頃だった。

 薄暮の町並み、左手に輝く人工の明かりも白々と、かまびすしく鳴り渡る奇妙な音楽。 演出された賑わいに、人々は足を止め、あるいは歩き過ぎ、かすかに酸い匂いのする乾いた大気をかき混ぜていく。

 だが、ひとたび知覚を深遠にめぐらせば、そこにあるのは分厚い沈黙だけだった。

 穢された空も、石で固められた大地も、景観のために据えられた木々も。

 大気に満ちるべき、精妙なる、姿無き者たちも。

 誰一人、謳うものはなかった。

「彼らは……この沈黙に気が付いているのですか?」

「当たり前だ。だからこそ彼らは、ここまで騒々しい世界を組み上げたのだ」

 神去の地とは、文字通り治める神を持たない星を指す。

 そのようになる理由は様々だが、神の去った土地の結末は決まっている。緩やかな腐敗と衰退の先にある死だ。

「祀るべき神を持たぬ者たちの、終わり無き神楽。せめて何処かの、名も知らぬ、未知の神を招来せしめんがため、自覚無く続くハレの世界だ」

「神去の地にいる人共は、神をなみし、摂理を遠ざけ、享楽を良しとするものと聞き及んでいましたが」

「それは神の側から見た事実に過ぎん。彼らの立場は、それより少々面倒なのさ」

 竜神はそこで言葉を切り、歩き出す。

 それにつられて歩き出す頃には、サリア自身も、この地球と呼ばれる星の様子が、次第に理解できていた。

 土地に刻まれた様々な記憶が、時と共に体に馴染んでいくにつれ、それまで朧だったかりそめの肉体が、周囲にあわせたものとなって現出した。

 白のロングコートを選んだのは、普段身につけている薄絹と心持ち感覚が似ていたからだ。往来で広がらないよう、髪を軽く結い上げ馬の尾のようにたらす。

 少しばかり足元が不安だが、周囲の女性にあわせ、膝より少し短い丈のスカートとロングブーツで装った。

「ふむ、なかなか良く似合っているぞ」

「ですが……その、なんというか」

 頬を染めて、サリアは自分の姿をいぶかしむ様に眺めた。

「こういった恣意的な装いを纏うと、身の置き所が無い様に感じられて……」

「一応、そなたも女神の端くれなのだ。その程度の格好で恥らうなど、まだまだ修行が足らぬと自覚せよ」

「そういう性差にかこつけた叱責を、こちらでは"せくはら"と、言い習わすそうですね」

「えー、そういうこと言うわけ? ちょー無粋なんですけどー」

 子供のようにむくれる姿に、思わず笑いが漏れる。そんなこちらの様子を眺め行く人たちの視線に、好奇と羨望の色が見て取れた。

「儂としては傍らに華を伴い、町中の喪男の嫉妬を集めることに、オスとしての優越を感じなくもないのでな」

「そういった艶事に興味関心がおありとは、存じ上げませんでした」

 片目をつぶり、竜神は体を寄せた。むつまじい男女がする、当然の仕草として。

「麗しの美姫を手元に置き、盛りのついた童貞共をなぎ倒すのも、ドラゴンとして当然の務めだ。知らなかったとは言わせぬぞ」

「では、私は声を限りに、勇ましき若者へ救難を請うてもよろしいか?」

「身を縛める氷雪の棺を、己が手槍で叩いて砕く、勇ましき戦乙女ブリュンヒルデには、龍殺しの英雄なぞ必要あるまいて」

 他愛も無い軽口。その結びの言葉に、サリアは少しばかり、顔を曇らせた。

「そのように、思われますか」

「なんだ、まだこの前のことを思い煩っておるのか」

 風の肌寒さに身をすくめるように、我が身を抱き寄せる。憂いが胸の内にわだかまり、じわじわと染み出てくるようだった。

「今や、私は物の役に立ちませぬ」

 魔王城の一件において、自分は何の手立ても打つことが出来なかった。竜神の知恵と、彼の部下達が尽力し、フィアクゥルという奇手があったからこそ、シェートの身を救うことが出来たのだ。

「すでに、我が身が成し得る加護の殆どは、シェートに授けました。私と盟を結ばんとする神も、今や望むべくもない」

「遊戯の廃止を標榜するそなたに、手を貸すものはほとんど無かろうからな」

「そして、フィーを通じて御身が遊戯に参加している以上、知恵に関する部分にも、私の立つ瀬はありますまい」

「やれやれ」

 太い指が緩んだ頬を掻き、竜神は何事かを思案する風だった。

 それから無言で十字に交差する往来を左手に曲がり、すすけた高楼の一つに入った。

「ここに、何かあるのですか?」

「……マクマトゥーナの神規について、どう思う」

 狭い通路の奥の行き止まりに、片開きの扉が見て取れる。それがエレベータと呼ばれる高階層への移動手段であることを、遅まきながら理解した。

「これまで相対した中で、最も奇妙なものの一つでしょう。ただ、イヴーカス殿の勇者が用いたものと、いかばかりかの共通点が見られますが」

「その見解は正しい。次の相手はTCG、トレーディングカードゲームという奴だ」

 狭い箱型から数名の若者が吐き出され、驚いたようにこちらを見つめる。どうやら、サリアの様な存在がいることは想像していなかったらしい。

「ちと狭いが、我慢してくれ」

 良く肥えた竜神の体と共に箱に乗り込み、そのまま上へと運ばれる。こうした利器の類に触れることの少ないサリアにとっては、珍しい体験ばかりだった。

「あの神規に対して、何の対抗手段も講じずに当たるものは馬鹿を見る。おそらく、魔王を名乗る存在が束になって掛かっていったところで、一蹴されるのがオチだろう」

「神の力を後押しにするとはいえ、数万の軍勢をたやすく消滅させるのですからね」

 シェートが帰還して後、天界はマクマトゥーナの停戦を受け入れた。

 その後に発表された、驚くべき宣言もだ。

 闘魔将率いる魔獣の軍団が、その頂点もろとも打ち砕かれるところを見ては、逆らえるものも居ようはずが無かった。

「とはいえ、破り方はイヴーカスの時と変わらんよ。同じ土俵に立ち、それで以って相手を打ち砕けばよい」

「ですが……」

 反論を遮るようにエレベータが止まり、狭い階層の一部へなし崩しに歩み進む。

 その向こうにあったのは、ガラスで覆われた棚が立ち並ぶ店舗だ。

「先ほどそなたは、自らに成し得ることが何も無くなった、と言っておったな」

「え……ええ」

 狭苦しい空間を窮屈そうに進みながら、竜神は壁にかけられた、小さな札の様なものと無造作に手に取った。

 商品そのものではなく、見本の様なものらしいが、こうした世界に不慣れなサリアには見当もつかない。

「すまんが、これらをお願いしたいのだが」

 カウンターに立った店員は、目の前に置かれた十数枚の札を見て、僅かに戸惑ったようだった。それでも職務を全うするべく、質問を口にした。

「こちら、日本語版だけでなく、英語版のボックスも混ざってしまいますが、よろしいですか?」

「ああ。それと、これらを十個づつ頼む」

 その瞬間、店内の喧騒がぴたりと止んだ。

 棚の中の品物を検分していたものも、離れた場所で遊興していたものも、目の前の店員さえも、うろたえたように声を詰まらせた。

「す、すいません。こちらの古いエクスパンションですと、十箱は無理だと思いますが」

「ならば、あるだけ貰おう」

「は……はい! 少々お待ちください、在庫を確認してきます!」

 その全てを、おかしそうに見やっていた竜神は、ポケットから分厚い財布を引き抜き、安っぽい受け皿の上に、札の束をどさりと置いた。

「今のところ、この辺りは治安が良くて助かる。こういうお大尽をやっても、面倒なごろつきがまとわり付かぬからな」

「あ……あの、竜神殿?」

「ここでは山海と名乗っている。そんな痛い呼び方をするでない」

「お、お待たせしました」

 目の前に山と詰まれていく箱を、竜神は丁寧に検分していった。

 そして、全ての支払いを終えると、彼はどこからとも無く取り出したバッグに詰め、サリアに告げた。

「これからそなたには、このゲームの持つ玄妙不可思議な遊興の世界を、とくと味わってもらうからな」

「わ、私がですか?」

 彼は満面の笑みで頷き、告げた。

「少なくとも、今夜は寝かさぬぞ。覚悟するがよい」



 山のセミが無く声は、まるで音の壁のようだった。

 肌にまとわり付く夏の熱気、Tシャツは汗で湿って、ちょっとだけ気持ちが悪い。手にした虫取り網は、網がしおれてくしゃくしゃになっている。

「にぃちゃーん!」

 浩二は、大きく声を張り上げた。

 じわじわと鳴き続ける蝉、ぬるま湯の見えない霧が漂うような森の中。まばらな木陰を貫いて日差しが降り注ぐ。

 目の前の道は少し湿って、山のてっぺんへと続く斜面になっていた。虫取り籠は空っぽで、何か取れた時のために押し込んでおいた木の枝があるだけだ。

「しんいちにいちゃーんっ!」

 必死に先を急いでいるのに、兄の姿は見えない。

 どこに行ったんだろう、もしかしておいていかれたんだろうか。

「にいちゃん……どこなのぉ……」

 暑いし、疲れたし、虫はいないし、もう嫌だ。

 浩二はその場に座り込んで、思い切り叫んだ。

「にーいーちゃぁーんっ!」

「何、叫んでる、お前」

 近くの茂みを掻き分けて人影が進み出る。浩二はそちらに向き直った。

「兄ちゃん! どこ、いって……」

 犬の顔をした生き物が、そこにいた。

「どうした、足、疲れたか」

「あ……」

 親しげに話しかける異形の存在。

 違う。

 これは。

 この記憶は。



「――うわあっ!」

 見開いた目の前に、夜の闇が広がっていた。

 心臓がどくどくと脈打ち、緊張で喉が乾いている。フィーはぎゅっと目をつぶり、近くに置いてあった水袋から、一口飲んだ。

「あ……あー、くそっ! 失敗かぁ……っ」

 下げていたスマホを手に、直通電話を掛ける。十秒ほど待たされた後、声の主はのんびりと問いかけていた。

『どうした、何かあったか』

「記憶が混線した。兄貴が、シェートになった」

『ふむ、ちょっと待て』

 おそらく人払いでもしたのだろう、ややあって竜神は言葉を継いだ。

『未熟者』

「いきなりそれかよ」

『だから言っておいたであろうが。現在のおかれている状況と、かけ離れた過去を想起せよと』

「――そうなんだけどさ」

 叱責を受けながら、フィーはさっきまでの"修行"を思い返していた。

 ドラゴンの記憶力を使い、自分の『過去』を思い出す。そのことによって、自分がどういう存在であるかを焼き付ける。

 ドラゴンの肉体に魂が変容されないように、自身が人間であったことを思い出し、忘れないようにする。

 それが、自分に課せられた、新たな命題だった。

『大方、山の中や野原で遊んだ情景でも思い浮かべたのだろう。それが、シェートと暮らした記憶を連想してしまい、記憶の混線が起ったのだ』

「だって、自分にとって印象的だった記憶を軸にしろって言ってたからさ。特に、子供の頃のことは、早めに思い出しておけって」

『早めにとは指示したが、混線しないよいう、なるべく卑近なところから攻めよとも言っておいたはずだぞ。子供の頃の記憶は容易に書き換わる。まして、今のそなたは肉体年齢が幼年期に戻っているのだ。うっかり感応して、シェートを兄を誤認しかねんぞ』

 スマホに仕込まれた"竜樹ナーガルジュナ"にも限界はある。自分がドラゴンであると思う時間が増えれば、侵蝕率は増加する一方だ。

『ともかく、"幻視"の行は一日くらい中断しておけ。仕事の合間にゲームでもやって、昔の気分を思い出すといい』

「俺、ネトゲ派なんだよな。あんまスマホアプリとか、好きじゃなかったんだけど」

『やれやれ。こんなことなら、タブレットPCでも持たせておくべきであったな』

 そんな言葉を聞きながら、フィーはそろそろと記憶を手繰った。

 兄と部屋で話したこと、アカウントを譲り渡された時のこと、どうやらその記憶の兄に関しては、元の人間の顔として思い出せた。

『言っている側から、勝手にやるでない』

「ご……ごめん」

『まあ、明日からは忙しくなる。しばらくはそちらに掛かりきりになるであろうな』

「例の"愛乱の君"だっけ? そいつと戦うのか?」

 そこで、なぜか竜神はくつくつと笑った。

 意味ありげな雰囲気を漂わせつつ、新たな指示が告げられる。

『そこより北西にある、交易都市グロガドースを目指せ。全てはそこに着いてからだ』

「分かった。シェートには俺から言っておけばいいのか?」

『ああ。サリアは少しばかり"はずせない用事"があるのでな』

 どうやら、またよからぬ事をたくらんでいるんだろう。あの女神も、こんなおっさんに引っ張りまわされてご苦労様なことだ。

「んで? 今回もちゃんと、勝算はあるんだろうな?」

「無論だ。大船に乗った気でいるがいい」

 少なくとも、こいつについていけば問題は無いのは分かってる。

 フィアクゥルはスマホに頬を当て、囁いた。

「頼りにしてるぜ、おっさん」



 ランタンの灯火が照らす部屋の中、日美香は手元のカードを手繰っていた。

 少し手元は暗いが、こうしているだけで、ここが自分の知っている世界とは違うのだと感じることができた。

『ヒミちゃん、今、良いかな』

「うん。何かあった?」

 自分をこの世界に召喚した女神、マクマトゥーナ。その声はいつも優しく、どこか気持ちを湧き立たせる響きを含んでいた。

『サーちゃんたちが了承してくれたよ。これで、あたし達の計画も、最終段階に入るよ』

「そっか……」

 カードの束を手の中に収め、そっと目を閉じる。

 これまで積み上げてきた様々な準備が、ようやく形になるのだ。

『後は、例のコボルト君たちが、この町に着いたら、ゲーム開始だよ』

「なんか、ドキドキしちゃうな」

『あたしも、こんなに興奮したのは久しぶりだよ』

 本当に嬉しそうな声だ。

 初めて出会ったとき、目の前にいるのが神様だとは到底思えなかった。同い年ぐらいの女の子、好奇心で目を輝かせて、私の話を聞いてくれていたことを思い出す。

『絶対勝とうね。あたし達の夢を実現させるためにも』

 火明かりの下、照らし出されたカードを手に、日美香はうべなった。

「うん。必ず、勝ってみせるよ」


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