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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~挿話編・その弐~
119/256

意外な授かり物

 石造りの牢の中、ベーデは奇妙に静かな気持ちのまま、事態を眺め続けていた。

 仔竜を取り逃がして以降、自分に接触するものは誰もいなかった。牢番さえあてがわれることも無く、時折食事が差し入れられ、汚物入れが取り替えられただけだ。

 そして一時、城内が激しく揺さぶられた。

 巨大な破壊の振動と、あわただしく走り回る衛視たち。彼らは混乱し、口々に何かを叫んでいた。

 あの仔竜にまつわる事であることは想像に難くなかった。その騒動を耳にするたびに、いっそのことここで自害しようかとさえ思った。

 そして今。

 全ての騒ぎが収まり、落ち着きが取り戻されると同時に、ベーデの中に深い諦観が根ざすようになっていた。

 自分は確実に罪を問われ、魔王によって処断されるだろう。

 ほんの少し、分不相応な望みを抱いたために。

「あいつ、死んだか?」

 自分が連れ去られる前、仔竜は必死に抗っているように見えた。しかし、万が一にも魔王が敗れるなどと言うことはありえない。

 こうして城が何事も無く活動している以上、自分をだました報いを、あいつも受けたことになる。

 短い間だったし、最悪の形でこちらの思惑を裏切った存在だが、死んでしまったと考えると、不思議と気持ちは湿っぽくなった。

 自分も、あいつとのやり取りを、楽しんでいたということだろう。

 物思いにふけっていた耳に、誰かの足音が届いた。

 扉の外に誰かが近づき、鍵束がまさぐられ、錠が開く。

 もう食事の時間なのか、そんなことを考えつつ、扉を眺めたベーデの前に、

『生きていたか』

 現れたのは、不気味な存在だった。

 真っ白な仮面を着けた、灰色のローブ姿。全身が隠されているために、雌雄の区別もつかない。

『その身に待つ先行きに絶望して、自害してしまうものも少なくないのだが、生き汚いというのは、良い性分だ』

「お前、誰だ?」

 相手の異様な姿に、急激に恐怖がこみ上げてくる。

 感情を感じさせない無貌は、死刑の執行者を称しても過言ではない威圧を感じさせた。

『ついて来い。これから貴様の査問を行う』

「さ、さもん?」

『来れば分かる』

 牢から出され、手足の拘束を解かれたベーデは、大人しくローブの後に続いた。

 廊下に衛視の姿はない。静まり返り、二人分の足音だけが嫌に響く。

 そしばらく歩き進めると、仮面は何もない壁の前で足を止めた。

『ここだ』

 懐から小さなカードを取り出し、壁の一部にあてがうと、目の前に暗い穴が開く。その向こうには、城内とは全く雰囲気の違う、金属的な通路が広がっていた。

「これ、上級の奴、通るとこか」

『その通りだ。査問は下層のフロアで執り行う』

 ベーデにとっての未知の領域。衛視たちはもちろん、一般の研究職員も入ることは許されていない。

 そのまま長い通路を進み、エレベーターで城の下層へと降りていくと、想像もしていなかったフロアにたどり着いた。

「俺……これから、どうなる?」

『そのことに関しては、魔王様が決定を下す。お前は問われたことだけを答えればいい』

 そういえば、連行されていく間、魔王は一言もこちらに声を掛けなかった。

 怒っているというよりは別のことに心を奪われていたという気がする。そして、今日に至るまで、誰からもあの一件について質問されなかったのだ。

『ここだ』

 長い通路の先に設けられた、黒に近い灰色の扉。圧縮された空気が吐き出される音と共に開き、促されるままに室内へと押し出された。

 中央には円の一部が駆けたような形をしたテーブルがあり、白い仮面をつけたローブたちが座を埋めている。

 城に勤める者の制服とは違う、異様な風体。ここまで自分を連れてきた仮面は、その一隅に腰を下ろし、こちらを見つめる側となった。

 奥の壁際には大きく重厚な机が設置され、すでに着席していた魔王が、無感動にこちらを眺めている。

『番衛視ベーデ、中央に進み出よ』

 言われて気が付いたが、席の中央には壇が設けられており、そこで証言をすることになるようだった。周囲から押し寄せる無言の圧力を肌に感じながら、ベーデは壇に着いた。

『当委員会の目的は今回発生した"第一次勇者襲撃"において重要な役割を果たした、番衛視ベーデに対する、質疑応答である』

 仮面の一人が手元の紙を読み上げる。

 そういえば、こうした場に来るのは生まれて初めてだ。そして、ここで自分のすべてが終わるかもしれない。

 だが、宣言者の声は、そんなゴブリンの心を、思いもよらない発言で突き崩した。

『ただし、本件はあくまで事件の状況確認と、本人の心理状態を誰何すいかするものである。本人の行動・発言に対し、一切の譴責けんせき、処罰等の裁定は一切行わないものとする』

「……え?」

『どうした証人。何か質問が?』

 自分の罪が問われない。それではあの一件は、どういう扱いになるのか。

 不安に思いながら魔王の顔色を伺うが、席に収まった青年の顔は、小揺るぎもしていなかった。

『では証人、これから今回起こった事件に関し質疑を執り行うが、我々の質問に対し、嘘偽りのない証言をすることを誓えるか?』

「そ、それは……」

『本件における貴様の体験は、魔王様にとって有益な情報だ。それを正確に証言することで、貴様の今後にとっても、悪くない結果をもたらすと約束しよう』

 こいつらは、そして魔王は、自分が犯した失敗を、余すところ無く話せといっている。

 それと引き換えに、自分の罪が軽くなる可能性もあると。

「ち、誓います。俺……嘘とか、隠すとか、しない、です」

『よろしい。では質疑に移る』

 仮面の集団は、手元に用意されていた用紙を見つめ、隣り合ったものたちと相談を交し合う。内容がまとまると、その中の一人が立ち上がり、質問を開始した。

『では、例の仔竜、"フィアクゥル"と最初に接触したときのことを、話してください』

「え……っと、その、最初て、どこ、から?」

『日誌によれば、貴方は早番で牢番の勤務に着き、十二時四十七分ごろ、番衛視グリュンに対して緊急事態発生のコールを送っています。その時、仔竜がどのような行動を取ったのかを説明していただけますか』

 仮面の連中は、妙に丁寧な喋り方でこちらに質問を投げかけてくる。面の下の表情は分からないが、声の調子は研究者のそれだった。

「えっと、あいつ、メシ食ってるとき、腹痛い、言い出した。それで……俺、連絡した」

『なぜ連絡をしたのですか?』

「き、決まりだから。マニュアル、書いてある通り、した」

 質問者はちらりと手元の紙を見つめ、疑問を投げてきた。

『他の衛視から、掛け金のやり取りをしたという報告が入っていますが、本来、認可されていない金銭の賭博は、認められていないと、理解していましたか?』

「お、俺! その、分かってた! でも、みんながやるって! だから!」

『落ち着いてください。これは責任追及ではありません。単なる質問と確認です』

 異様な空間と、自分の置かれている状況が、どうしても神経に障る。何度か深呼吸をして、ようやく平静さが返ってくる。

 こちらの高ぶりが収まるのを見計らうと、仮面たちは再び質問を開始した。


『仔竜を対象とした賭け事ですが、それはどのような条件で行われたものですか?』

『自分の思惑が外れた後、仔竜はどういう態度を取りましたか?』

『彼に対し、支給品のチョコレートを与えたのは、いかなる意図と感情によるものでしたか?』

『仔竜から持ちかけられた"取引"に対し、貴方はどう感じましたか?』

『宿舎に戻った後、貴方はその一件を誰かに相談する気はありましたか? またはしていたとしたら、誰に対してですか?』


 微に入り細に穿ち、質問者たちは次々と、こちらの心に分け入る問いかけを浴びせてくる。気が付けば喉は渇き、頭も空っぽになるほどに、何もかも吐き出してしまっていた。

『一旦休憩にしましょう。証人はそのまま待機、十分間の休憩とします』

 目の前には水差しとグラスが置かれており、ベーデは何度も水を飲んだ。

 仮面たちも魔王も、全て退席し、残されたのは自分一人だ。

 さっきの質問で、話すべきことは全て話した。フィーにだまされて研究所まで案内したこと、パソコンをいじらせたこと、魔王に見つからないよう、本棚に逃げ込むのを手伝ったことまで。

 そういえば、あいつはあの後、この城で何をしたのだろう。城内のあわただしさは感じていたが、詳しい状況は一切聞かされていなかった。

 自分がこんなところで取調べを受けている以上、あの仔竜はとんでもないことをしでかしたに違いない。この査問できちんと証言しても、死刑になる代わりに地上勤務に回される程度の減刑にしかならないかもしれない。

 そんな鬱々(うつうつ)とした物思いなど知らぬ顔で、仮面と魔王が再び室内に戻ってくる。

『休憩時間終了です。問題が無ければ査問を続けます』

「あ……あの!」

『なにか』

 何を言ったらいいだろう。

 床に頭をこすり付けて、どうか許してくれと泣き付くか。

 例の仔竜から貰った映像で、罪を減刑してくれと願い出るか。

 席に着いた魔王は、何かを探り当てようとでもするように、じっとこちらの顔を見つめている。

「な……なんでも、ない、です」

『よろしい。では』

 まだ何かあるのか、うんざりした気分のベーデの目の前に、輝く画像が投影された。

「これ、は?」

『その画像の内容を確認してください。質疑はその後行います』

 投影されたのは、仔竜が衛視たちの手から逃げる姿。姿消しの神器を使い、研究室内を走り回っていく。どこから持ち込んだのか、ロープを使って追っ手を転倒させ、本来は決して入ることのできない、上級職員専用通路に侵入していた。

「どうして、あいつ……こんな」

『彼がこのような能力を行使できることを、貴方は知っていましたか?』

「し、知らない! 俺、そんなの聞いてない!」

『安心してください。そのことに関しては、すでにこちらで検証してあります。これはあくまで形式的な確認です』

 映像の中の仔竜は追っ手の炎を操り、敵を焼き払っていた。ほんの数日前、必死に外に出ようと策をめぐらせ、自分に泣かされていた相手とは思えなかった。

『この体格から推察されるに、せいぜい一年から二年の幼生かと考えられますが、この年齢の仔竜は、ここまで自在に鳴唱を操れないとされています。この能力については?』

「し、しらない。あいつ、魔法使えない、言ってた」

 これをずっと隠していたなのら、自分はあいつに完璧にだまされていたことになる。仮面のうちの一人は、軽く首をかしげて異常事態を吟味しているようだった。

『天界における竜種の統括者、エルム・オゥドから遣わされた者だと判明しているので、それだけの能力を秘めていたとも考えられますが』

「"神々の遊戯"における規約では、竜族の参加は基本的に認められていない。それをすり抜けるには、若輩で"聲"の何たるかも知らない、幼生を送り出すしかないはずだ」

 それまで沈黙していた魔王が、目を細めて仔竜を語る。

「実はな、ベーデよ。あの仔竜は、天に輝く星の炎を招来し、この俺の身を焼いたのだ」

『その一件で魔王城の城郭部分が一部消失し、現在も再建が終了していません』

「そ……そんな……っ」

 うれしそうに笑う青年に、ベーデの体は自然に震えだした。

 魔王を害するような者を解き放った罪。そんなものは、さっきの証言だけで覆せるはずがない。その上、城砦まで破壊されているなんて。

「で、でも、あいつ、もう死んだんじゃ」

「まんまと逃げおおせたぞ。エファレア大陸中央部、バルジャサルンの礫砂漠付近で、こちらの観測範囲から消失した」

「う、ううう……」

 絶望しきったこちらを見て、魔王はいよいよ楽しそうに笑う。この後いったい自分がどうなってしまうのか。想像することさえ恐ろしい。

「査問はこれぐらいでいいだろう。本委員会の終了を宣言する」

 その言葉で仮面たちは一斉に立ち上がり、胸に手を当てて一礼すると、資料を手に部屋を出て行ってしまう。

「え? あ……な、なんで?」

「なぜと問われても、委員会の仕事が終了したからに決まっているだろう。これはお前から詳しい情報を聞き取るための査問だ。それに、連中とて暇ではない」

 青年はそのまま座席に体を預け、そっと息を吐いた。

 その仕草は、とても健康なもののそれではなく、重く患ったときのそれに似ていた。

「ま……魔王様、どこか、悪いん……ですか」

「あれから三日経ったのだが、未だに本調子ではない。悪いが俺の側に来てくれんか。声を張るのも、実は大儀でな」

 ベーデは、恐る恐る魔王座る机へと歩み寄った。

 まさか――。

「力を取り戻すために、お前の命をよこせ、とでも言うと思ったか?」

「ひ……っ!」

「案ずるな。俺は夜の一族の洗礼など受けてはおらん。滋養を取るなら、普通に飲み食いするほうを選ぶ」

 近づいて顔を見てみると、細身の顔は酷くやつれているように思えた。

 頬や目の辺りを白粉で装い、口に紅を薄く差して、ごまかしている。

「魔王、様……」

「分かったか? お前らの頂点に立つ主が、どういう存在なのか」

 詰め物のされた座席に深く背を預けた青年は、自嘲を口元に浮かべた。

「力ばかりは歴代にも及ぶよう、あらゆる手を尽くしてきたが、調整が不十分でな。一度全力を奮えばこの通り。数日はまともに動くこともできん」

「フィ……あ、あの仔竜、そんなに、強かった、ですか」

「望外にな」

 魔王の言葉には、喜びが漂っていた。

 自分をここまで痛めつけた相手の存在を、喜んでいる。

「俺の魔王としての能力は、ほぼすべてが後天的、つまり後付けのものだ。肉体的にはゴブリンにも劣り、魔法を扱う力はインプにも劣る」

「そ……そんな……」

 信じられなかった。

 魔王と言えば魔物の総代であり、神の操る勇者にも比肩するほどの実力を持つはず。

 そんな存在が自分よりも弱いという。

 しかも、それを高々牢番に過ぎない自分に語って聞かせるなど。

「い、いいん、ですか。俺、そんなの、知ったら」

「構わん。それで俺に愛想を尽かすなら、直ちにこの城から出て、野に下ればいい」

「俺……殺さない……ですか?」

 首を振ると、魔王はベーデに顔を向けた。

「俺が、シェートとフィアクゥルをこの城に招いた理由がなんであるか、分かるか?」

「……勇者、研究、するため」

「だが奴らを呼んだのは、その能力を知るためだけではない。俺はな、ベーデ。お前たちの能力も調べるために、奴らを招いたのだ」

 くつくつと笑いながら、魔王は机からモニターを競り上がらせて、映像を流し始めた。

 そこには、牢番である自分が、仔竜と語り合う姿が映っている。

「ま、魔王様、これ!?」

「俺も見るのは初めてだ。これはあくまで検証用、答え合わせの映像だからな」

 自分たちのしていたことは全て監視され、記録されていた。しかし、こんなものがあるならば、なぜ。

「全てお前たちの育成のためだ」

「俺たち、の?」

「俺が欲しいのは、自分の意思で考え、行動する領袖だ。上から命令され、マニュアル通りにやってます、などという、でくの坊の作業者ではない」

 そして、魔王は隠されていた意図を、明らかにし始めた。

「勇者がこの城にやってきて、この城を攻略すると言うのは、今後も起こりうることだ。それにどう対処するか、という全員の対応を見ることが、今回シェートを招き入れた本当の狙いだ」

「もしかして……俺が、仔竜、逃がすのも?」

「ああ。誰かがそういう手に引っかかることも想定済みだ。その失敗をケーススタディとして、牢番にも経験を積ませようという算段だった」

 だが、その結果は、想像をはるかに超えた被害。

 首をすくめたベーデに、魔王は意外な言葉を掛けてきた。

「お前の行動には、何も問題は無かった。業務は正確に遂行していたし、あの程度の賭け事ぐらい、刃傷沙汰にならなければ見過ごしてもいいレベルだ。マニュアルを熟知し、仔竜の誘いも一旦は退けて見せた。合格点をやってもいい」

「で……でも、俺」

「その後の行動も問題はない。お前は自分の欲望のため、俺に有益な情報を献上しようとしただけだ。こうした抜け目無い態度も、評価に値する」

 信じられない、という思いが再びこみ上げた。

 図書館でのひと時のように、魔王は懇切に解説を続けている。こんなこと、想像もしなかった。


 ――これまで生きてきて、たぶん初めてのことだ。


「どうした、何か気になることでもあるか?」

「俺、こんなの、されたことなくて」

 群れの中で、自分はどこか浮いた存在だった。

 考えるよりも先に手が出る仲間とは違い、自分はふとしたきっかけで、物思いにふけることが多かった。

 そのおかけで助かったことも多かったが、大抵は"のろま"とか"ぼんくら"と呼ばれ、いつもぞんざいに扱われるのが常だった。

「"他者を指導する"というのは、手間の掛かる作業だ。生きとし生ける、思考する霊性を持った命は、己だけの"指向性"を持ち、誰にもまつろわぬという根本原理で動いている」

「えっと……?」

「要するに、生き物と言うのは生まれながらに、聞く耳を持たぬ性分だということだ」

 流れていた映像を消すと、魔王は目を閉じて語り続けた。

「俺は評価する。自分の向上心に素直になり、ルールと違法の狭間をすり抜けようと知性を用い、慣れない身でありながら、この俺と話術で渡り合おうとした、お前をな」

「あ……」

「俺の求めているのは、まさしくそういう存在だからだ。与えられた課題を、より高い完成度で提出しようとする、ベーデよ。お前の為そうとしたことは、そういうことだ」

 魔王が話していることは、半分も理解できなかった。

 だが、たった一つだけ確実なことがある。

 彼は自分を、取るに足らない魔物でしかない自分を、褒めているのだ。

「無論、荒削りではあるし、不注意も多い。結果的には、すべてが俺にとって有益となったが、一歩間違えば、致命的な被害を生んでいた可能性もある」

「は……はい……」

「まあ、その点は、あの頭の固い参謀殿にも問題がある。お前だけの罪ではないぞ」

 青年はおもむろに机の一部に手を掛け、引き出しを開けた。

 その中には、平たい大き目の箱が一つ。

「ベーデ、お前は俺に命を奉げられるか」

「命……を?」

「俺の申し出を受ければ、お前はこの日を限りに"死ぬ"」

 ごくりと唾を飲み込むベーデの前に、それは置かれた。

 異国の細工で作られた、黒と金の箱。確か"マキエ"という技法であったはずだ。

「その中身を受け取ったとき、お前と言う存在はここで死ぬ。その代わり、俺の影と成って生きることになる」

「影……俺、影に?」

「俺は今、勇者を殺す、最後の計画を進行させようとしている。お前にその手伝いをしてほしいのだ」

 魔王は箱を押し出し、開けろと指で示す。

 ベーデは縁に手を掛けて、封を解いた。

「これ……!」

 目も鼻も口も無い、無貌の白仮面。

 一切の個性を否定するようなそれが、静かにベーデを見返していた。

「"影以かげい"の面。この城の中では俺と参謀殿しか知らない、極秘の特設部隊が身に付ける物だ」

 説明を受けながら、ベーデは全てを悟っていた。

 彼らがなぜ、顔の無い面を付け、白でも黒でもない灰色の衣を纏っているのかを。

 影となって仕えるという魔王の言葉の意味を。

 そして、その役目を負えば、今日を限りに自分は、"ベーデ"ではなくなるのだ。

「でも、俺、大きい失敗、した……」

「失敗は、そこから正しく学ぶことで、有益な"経験"に変わる」

 その口から流れ出るのは、肯定でしかなかった。

「交渉から得ることの重さと、騙し取られることの重さ、二つながらに理解したはず。お前は同僚の持ち得ない、経験という"武器"を手に入れたのだ」

 犯した失敗でさえも成果として評価し、その先に進めと示唆している。

「例え牢番に戻ったとしても、お前は他の者のように出し抜かれることはあるまい。その恐ろしさを知り、どのような手練手管を使われるかを、身をもって知ったのだから」

「は……はい」

「だが、お前は俺に言ったはずだ。上級の職に就きたいと」

 頭の中が一瞬白くなり、それから体が震えだした。

 仔竜を隠すためにしていた、時間稼ぎの会話。そんなことまで、魔王はしっかりと聞き覚えていたのだ。

「向上心を持ち、己の分を超え、更なる高みを目指したいと願う者。俺はそんな者を何より愛する」

 穏やかな笑みを浮かべると、魔王たる青年は、ベーデに向き直る。

「番衛視ベーデ」

「は……はい」

「俺に、お前の全てを奉げよ」

 有無を言わせぬ令だった。

 そして、是非を論ずるに及ばぬ令だった。

「魔王様」

 片膝をつき、こうべを垂れ、ゴブリンの衛視は静かに告げた。

「この俺の命、自由に使ってください」

「ではその面を取れ。今日よりお前は、我が"影"だ」

 箱の中に納まった面を手に取り、被る。

 不思議と視界は遮られず、すべてがくっきりと見える。その代わり、まるで自分が別の生き物になったように感じた。

「とはいえ、まずは三ヶ月の新人研修が待っているがな。毎日血の小便を流すほどの過酷さだが、耐えられるな?」

 脅すような、からかうような言葉に、背筋がピンと伸びる。

 それでも、いまさら引き返す気は無かった。

「俺に命を奉げる前に、死ぬなよ」

「い、命に代えても、やりとげますっ!」

 矛盾したベーデのいらえに、魔王は楽しげに笑った。

 


 夜半の中庭、空には無数の星が瞬いている。

 仔竜が呼び覚ました劫火は城の上部を等しく焼いたが、それでもこの庭は比較的無事な形で残っていた。

 自分を煩わせるものの無い、静寂の空間に、魔王がまどろむように憩う。

 傍らに侍った執事は、湯気を立てるカップをテーブルに置いた。

「嫌味のつもりか?」

「何のことでしょう」

 漂う湯気は甘い。

 普段のコーヒーではなく、カカオを原料にしたホットチョコレートが、小さなチュロスを添えられて供される。

「これを愛飲した国とその王が、寡兵の侵略者コンキスタドールに攻め滅ぼされたこと、知らなかったとは言わせんぞ」

「滅相もございません。滋養を高く、胃にも口にも優しいものをと選ばせていただいただけのこと。カカオは控えめに、泡立てたミルクを多めにしております」

 口をつけると、香ばしいカカオとミルクの風味が、疲れた体にしみこむように感じた。

「なるほど。まるで子供に飲ませるような味だ」

「お気に召しませんか」

「いや。これはこれで味わい深い」

 静かにカップを干す側で、執事は黙ってこちらの様子を伺っている。澄ました黒い顔に向けて、青年は問いかけた。

「お前の方はどうだった」

「どう、と申されますと?」

「初めての客をもてなした感想だ」

 目を閉じ、僅かに喜色を浮かべながら、執事が口を開く。

「大変、有意義でございました。願わくば、あと一日ばかりご逗留いただければ、心づくしのおもてなしを味わっていただけたものと、それだけが心残りです」

「フィアクゥルは満足していたか?」

「はい。はばかりながら、大層気に入っていただけたご様子でした」

「では、あいつにも様々な便宜を図ってやったのだろうな」

 切り出した一言に、執事の気配がすっと冷える。

 首を振ると、たしなめる様に、執事は軽く片手を挙げた。

「それ以上はお伺いになりませぬよう。魔王様御自ら、布告された約定でございます」

「合格だ」

 この城が成立するために定められた役割。どれほど奇妙に見えようとも、それは全て、最終的な勝利のための布石だ。

「どうやらお前たちは、俺の望んだとおりに、自らの役割を果たしているようだ」

「恐れ入ります」

「とはいえ」

 瞑目すると、魔王は苦い笑みを浮かべた。

「世の中、思うとおりに行かないことも、あるものだ」

「コボルトの勇者殿、でございますか」

 細い指が、夜の帳に撒かれた砂子すなごに伸ばされる。

 色鮮やかに、大小さまざまに、瞬き煌く天上の灯火。

「彼方の光に手を伸ばした傲慢を、お前の客人にたしなめられた」

「フィアクゥル様が、でございますか?」

「シリウスの劫火で以ってな」

 思い返すだけで、笑いがこみ上げてくる。

 大気どころか瓦礫さえプラズマの噴流と化しめる、膨大な熱。本来地表にはあってはならない、数千度の蒼き炎が脳裏に浮かんだ。

「"焼き焦がすもの"光り輝くもの"という意味を持つ恒星。東洋においては、天狼の名で呼ばれる星、ですね」

「竜の力にて宿せし天狼の牙で、不遜なる魔王を打ち倒す。全くもって愉快な話だ」

 皮肉交じりに事態を評すると、テーブルに置かれた資料の束に手を伸ばす。

 そこに書かれているのは、抜け目無い敵が、唯一残した失態だ。

「不思議に思わないか。齢百年どころか、十数年も生きた様子の無い仔竜が、あれほどまでに鳴唱を使いこなし得たことを」

「さあ、わたくしからは何とも」

「その上、勇者たちの世界に通暁する、妙な偏りのある知識」

 研究室と資料室は、下層の退避ブロックに移動させていたため、無事だった。

 同時に、外部から干渉を受けないよう、回線を物理切断してあった。

 だからこそ残ったのだ、この痕跡が。

「鳴唱とは、世界のこえを感得する力と、それに自由な形を与える発想が必要とされる」

 生まれたばかりの仔竜は、周囲の竜たちが発する聲を頼りに鳴唱を聞き覚え、やがて風を操り、炎を吐くという。

 力ある竜とは、そこに自分の知識や経験を付け加え、自在に世界を改変する者だ。

「経験さえその頭に詰め込むことができれば、幼き竜とて古き竜のごとき力を振るうこともできるのだ」

「"見た目は子供、頭脳は大人"というわけですか」

 執事の謂いは、ある意味真実を捉えていた。

 あの仔竜が為しえた奇跡も、同じ根を持つからだ。

「勇者たちの好む小説に、面白いジャンルがあったな」

 資料の一部は、プリントアウトされたブラウザの画像だ。

 匿名掲示板のスクリーンショット、"異世界の勇者"という『コテハン』で書き込まれた部分に目を留める。

「異世界転生物」

 ベーデのIDを使い、書き込んだ内容は、ごく短かかった。

 おそらく竜神に宛てたであろう、わかるものにしか分からない暗号めいた代物だ。

「現実社会で報われなかった主人公を異世界に転生させ、さまざまな優遇措置を与えて冒険させる物語、でしたか」

 だが、もう一枚のプリントアウトにおいて、彼はとても雄弁だった。

 自らが起こしたスレッドに、異世界の勇者となって冒険を繰り広げた様子を、克明に書き記していた。

「"審美の断剣"ゼーファレスの勇者、逸見浩二」

 目を細めて、魔王は資料に添付されていた、二つの写真を撫でる。

 一つは、美々しく青い鎧を身に纏った、生意気そうな青年。

 今一つは、青い肌をした、快活な仔竜。

「これがお前の秘密か、"青天の霹靂"よ」

 異世界からの転生者。

「なぜお前は、そんな道を選んだのだ」

 自らを誅した存在を支えるため、異形となった青年。

「この体に傷痕を刻み、今また我が心に、解きがたき謎をもたらした者よ」

 こみ上げる愛おしさに、笑みがこぼれた。

 最も弱き反逆者と、罪に穢れし同盟者。その奇妙な取り合わせを思うと、心が温められる思いがした。

「次に出会うのは、いつであろうな」

「その折には、わたくしも同席をお願いしたく存じます」

「良かろう。せいぜい腕によりを掛けて、もてなしてやるがいい」

 再び、深い闇の懐へと、顔を上げる。

 尖塔を失った城砦から望む空は、文字通り天蓋てんがいそのものだ。

 幾筋も流れ行く箒星ほうきぼしを眺め、零れ落ちてくる欠片に、再び手を伸ばす。

 すり抜け、消え去っていく輝きを、魔王は求め続けた。

 やがて来る払暁の時まで。


本編更新はまだ先なので、外伝めいた短編を時々上げていきます。今回は、五章の拾遺をぽつぽつと。次回は未定です。

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