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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~archenemy編~
117/256

23、明日の標

 落ちる。

 落ちていく。

 最前まで足元にあったはずの緑の大地が、あっという間に頭上に競りあがり、慇懃に頭を下げた女の顔が遠ざかる。

「ひやああああああああああああああああああ!」

 強烈な風に視界が狭まり、翼どころか両手足をもぎ取る勢いで吹き抜ける。角が空気圧でぱんぱんに張り詰め、脳に激痛が走った。

 それでも必死に目を開き、何とか周囲を確認する。

 灰色の岩肌がはるか向こうに見える。一緒に落ちてきた石橋が、落下の衝撃で粉々に砕け、大気の摩擦でコマのように回転していく。

 どうにか身動きを取ろうとするが、体はがんじがらめに縛られたまま、落下し続けている。シェートとグートの姿も、瓦礫に隠されて目線の通る場所にはいない。

 体感する加速度が上がっていく。魔王城の姿がどんどん小さくなり、ちぎれ雲の塊が視界を閉ざす。

「うぶうっ!」

 このまま敵から逃れられるのは問題ない。魔王の影響下から離れれば、サリアや竜神も自分たちの存在をモニターできるようになるはず。

 だが、魔王城の影響はどこまでだ?

「まさか、あの女っ」

 そこまで計算に入れて橋を落としたとすれば、天界からの奇跡は多分間に合わない。

 竜神の干渉が封じられた今、こちらの状況はモニターできていないはずだ。

「あのクソオヤジッ! 最後の最後でドジしやがってぇっ!」

 雲が途切れ、魔王城の威容が、沈みかけた太陽に照らされているのが見えた。

 下を向けばどこまでも広がる平原。叩きつけられればこんな体、粉々になるだけだ。

 支えるものも、掴まるものもないない虚空。

 神の奇跡も、相手を出し抜く奸智も、文明の利器も役に立たない。

 残されたのは――。


 その時、フィアクゥルは見た。

 無人の交差点を佇む、巨大な黄金の竜の幻を。


「まったく」

 刻々と地面に近づくのを感じながら、呆れと賞賛の混じった声を漏らした。

「どこまで見抜いてたんだよ、おっさん」

 出会ったときから、それは始まっていた。

 竜神は常に言っていた。自分の頭で考え、選択することの大切さを。

 そのために、あらゆるものを見聞きし、考えを深めることが必要であると。

 簡単に答えを教えてくれないメールも、旅の間中、語り聞かせてくれた雑学の類も、スマホに仕込んだアプリさえも。

 全てが、ドラゴンとしての"識"を開くために必要な、教示の積み重ね。

 そして今。

 仔竜の心は、初めての飛翔を、思い出していた。

 覚えている。

 夕暮れの東京の街を、その空を、海原を泳ぎ渡るように昇ったときのことを。

 聲に震えた翼が、皮膚が、骨の髄さえもが、朗々と謳う竜神を覚えていた。

 恐れが、怯えが、消え去っていく。

 ただ一声、呼びかければいいのだから。

 フィアクゥルは、静かに謳い始めた。



 風がシェートの何もかも塞いでいく。

 甲高い悲鳴が耳を貫き、目も鼻も見えない流れに押さえつけられて、まともに息ができない。

 支えも無いまま落ちる、腹の中がかき混ぜられるような不快感。薄く開いた目の向こうで魔王の城と、落ちてくる瓦礫が黒々と見える。

 肺が苦しい、瓦礫に囲まれて、フィーとグートの姿も見失った。

 今まで見たこともの無いような、広大な平野が眼下に広がっている。

 あそこに落ちれば、自分は死ぬ。

 サリアの声は途切れたまま、備わった神器も今は役に立たない。

 地の生き物にとって、空は決して手の届かない世界だ。

 為す術も無く、どこまでも死に向かって落ちていくだけ。

 檻から解き放たれた先にあったのは、無遠慮に広大な虚空。

「サリア……」

 遠くなっていく意識の中、シェートは絶望に体を預けようとした。


 ――聲が聞こえた。


 烈風の壁を突き破り、諦めかけた心を奮わせる、喜びを謳う聲。

 見開いた先、落ちかかる瓦礫の群れを貫き、両手を広げて、それは叫んだ。

「シェートぉおおおおおおおっ!」

 声が身に染みた。

 目じりが緩んで、幾筋もの涙が光になって空に散っていく。

 両手を差し伸べて、シェートは声を限りに名前を呼んだ。

「フィーっ!」

 輝く翼を打ち振るい、仔竜の体が矢の様に飛び込んでくる。優しく暖かな調べが、シェートの体を包み込んだ。

「大丈夫か」

 抱きとめてくる腕は、思ったより力強かった。

 彼はもう、か弱い竜の仔ではない。そのことがはっきりと分かった。

「ありがとな。フィー」

「礼を言うのは、まだ早いぜ」

 シェートの背中に回りこむと、少し照れくさそうにフィーが笑う。

「まだうまく"風"を操れないんだ。グートを見つけたら、お前が捕まえてくれ」

「……ああ。任せろ」

 軽く仔竜の体が身を翻す。

 その途端、シェートの体は、軽やかに宙を滑り出した。

 狂乱の限りを尽くしていた風が、胸が透くような美しい音色を奏でている。水に泳ぐ魚のように、崩落する岩を回り込み、気絶しながら落下していく狼を見出した。

「あそこだ!」

「岩に巻き込まれたらやばい。すり抜けながらかっさらえ!」

 体が前に倒れ、落ちかかるようにグートの体が近づいていく。その胴体を、シェートの腕がしっかりと掴み、

「行くぞ! 絶対に離すなよ!」

 鼻先が歪むほどの加速が、全身をなぶった。

 すばらしい勢いで魔王の城が遠ざかっていく。次第に地上が近づき、広大な荒れ野と、傍らを流れる大河が大きくなっていく。

「おい……フィー?」

 地上の様子が次第にはっきり見えてくる。川はそれなりに深そうで、自分たちのちょうど真下を流れる形になっていた。

 それでも、速度が一切緩まない。

「これ、どうやって、止まる?」

「そ、それなんだけど、さ」

 風の謳う楽しげな聲の響く中、フィーは泣き出しそうな笑顔で告げた。

「止め方わかんないから、水の中、突っ込むわ」

「……え?」

「行くぞ」

 水面が風にあおられ、ざわざわと沸き立つ。

 間の悪いことにグートが目を覚まし、目の前の異常事態に声も上げずに凍りつく。

「着水すんぞぉおおっ! 歯ぁくいしばれぇええええええええええっ!」

「うわああああああああああああ!」

「うおおおおおおおおんっ!」

 そして、爆発した水面が、三匹の体を絶叫もろとも飲み込んだ。



 空が紅に染まっていく。

 川を背に見渡す大地には、思う以上に何も無い。岩とまばらな潅木かんぼくばかりで、人の住んでいる様子も無かった。

 この場所にいるのは、自分と、即席の炉の側で寝そべる狼と、青い仔竜だけだ。

 濡れた体を乾かしている仔竜に、シェートは声を掛けた。

「体……大丈夫か」

「うん。お前は」

「俺も、体、平気だ」

 短いやり取りを交わしながらも、安堵は浮かんでこなかった。

 もう、魔王の城は見えない。遠く彼方の点になり、姿を消している。

 それでも、心には重いわだかまりが残っていた。

「なに考えてんだ?」

「……俺、魔王、一杯話、した」

 あの城で体験した、たくさんのことが思い出される。

 脳裏に浮かぶのは光る箱の向こうでうごめき続けた勇者の姿。

「知ってるか? 勇者たち、本、ゲーム、そういうので、魔王殺す遊び、一杯するんだ」

「ああ……知ってるよ」

「魔王、そういうの、全部、覚える、調べて、勇者殺す、研究する、言ってた」

 今頃、魔王はどうしているだろう。

 あの城の中で、今回の戦いも研究させているんだろうか。

「あいつ、神、殺す、言ってた。それに、強い魔物、みんな殺すって」

「あの魔王、頭おかしいもんな。そのぐらい言うよな」

 シェートは胸の中で、その言葉を否定した。

 あいつは狂ってなどいない。

 本心から、自分を取り巻く全ての抑圧する者を、廃滅するつもりなのだ。

 正気を保ちながら狂う者、それがシェートが見た魔王の、真の姿。

「俺、あいつ、何度も仲間なれ、言われた。勇者、俺の物なれ、って」

「ラノベの読みすぎだろ、あいつ。お前が元ネタしらねーと思って、ドヤ顔で言ってたのが目に浮かぶぜ」

 ひとしきり笑いあうと、シェートは両手を、そっと見つめた。

「俺な、城で、兵士、戦った」

 心の中に詰まっていた、消しきれない罪悪感。

 それを、そろそろと吐き出していく。

「そいつら……弱、かった」

「そっか。んじゃ、次に城に行くときも、雑魚戦は」

「俺、強い魔物だ、言われた」

 これまでずっと、自分は抗う側だった。力で暴虐を押し付けるものと戦ってきた。

 しかし、あの時は、違った。

「強い魔物、弱い奴、いじめる力、使う。魔王言ってた。そういう魔物、俺……同じ、なったって」

「ふざけんなよ! なんだよそりゃ!」

 激高する仔竜に、シェートは首を振った。

「でも、俺、そいつら、叩きのめした。すごく弱い、そう、思った」

「シェート……」

「それに魔王、言った。俺、神、利用されてる」

 本当は、魔王の言葉に揺れ動いていた。

 あの指摘は、根本的に間違ってはいるが、的外れではない。

「俺、サリアの勇者。戦う、遊戯、終わるまで。でも、ほんとは、戦い、嫌だ」

 望まない戦いを続け、強いられ、いつの間にか自分でない自分が、生み出されていた。

「俺、戦う、強くなる。でも、心、変わってく。相手、強い、弱い、分かる。でも、その気持ち、魔物の心だ」

 このまま戦い続け、殺し続けた先に、自分はどうなってしまうんだろう。

 深まっていく闇の中で、体が震えた。

 小さな火明かりでは温まらない、変わっていくことへの不安。

 息を詰め、拳を握ると、シェートは問いを吐き出していた。

「魔王、言うとおり、俺、強い魔物、なる。そしたら、どうなる?」



 小さな焚き火に照らされたコボルトの顔は、泣いているように見えた。

 生きて帰ってこれたことが不思議なほど、すさまじい逃避行の果てに。

 フィーの目の前で、シェートは怯えていた。

 これまで、弱音など吐いたことは無かった。どんな苦境であっても、必死に食い下がってきたし、自分に不安なと口にしなかった。

 魔王の言ったことなど、何もかも嘘っぱちだ。そう言う事もできるだろう。

 元気を出せ、そう言えば、きっとシェートは何事も無かったように振舞うだろう。

 でも、もうそんな真似はできなかった。

「……怖かったんだな」

 犬顔が驚いたように上げられ、まじまじとこちらを見つめる。

「誰もいなかったし、サリアとも話せなくて、すごく、辛かったんだな」

 傷ついた匂いが、疲れきった心の匂いが、感じ取れる。

 ずっと無理をして、必死に立つしかなかった。

 そうしなければ、倒れてしまうから、心が砕けてしまうから。

「ほんと、ごめんな。遅くなって」

 涙がシェートの頬を伝っていく。

 その流れをあわてて拭う仕草に、フィーは立ち上がった。

「フィー……?」

「城でも見ただろ。俺、魔法も使えるようになったんだぜ」

 歩み寄り、不安を抱えた顔を見上げる。

「これからは、お前を一人で戦わせたりしないよ」

「だ、だめだ。お前、これ以上、危ない目、あわせる、したくない」

 悲しみと苦しみが、シェートを包んでいく。

 その姿に、覚悟が決まる。

「なに遠慮してんだよ」

 心からの笑みを浮かべて、フィーは最大の罪を犯した。

「仲間だろ、俺たち」

 無意識にシェートが首を振る。

 それは優しさから出た拒絶、冥府魔道を往く道程に付き合わせたくないという、願いを込められたもの。

 その優しさを踏み越えて、言葉を継ぐ。

「俺が、お前の味方になってやる」

 自らの一言が、針のように胸に突き刺ささる。

「世界中の誰が敵になっても、俺だけは味方でいてやる」

 自らの魂に呪詛を打ち込みながら、それでもフィアクゥルは、震えるシェートの体を抱きとめた。

「俺は、お前の仲間だ」



 小さな体に抱きとめられて、シェートは深々と、息を吐いた。

 この仔竜には、驚かされ通しだった。

 最初は手の掛かる弟分。

 次に出会ったときは頼れる味方。

 そして、今、本当の仲間になれた気がした。

「ほんとに、良いのか」

「ああ。お前が遊戯が勝つまで、ずっと側にいてやる」

 頭を優しくなでてやりながら、シェートは涙声のまま、礼を述べた。

「ありがとな」

 ゆっくりと背中に腕を伸ばし、同じぐらい強く、抱きとめてやる。

 自分の罪を抱くように。

 城での戦いの後、フィーは死ぬ寸前に見えた。こんな小さな体で、あれほどの力を出して、反動が無いわけがない。

 こんな申し出を受けてはいけないと分かっていた。

 縁もゆかりも無い彼を、過酷な旅に付き合せたくない。

 それでも、この優しさを、大切にしたかった。


 ――くるるるるっ。


「お?」

「あ」

 どちらのものとも分からない、腹の虫。

 体を引き剥がすと、フィーはとことこと新しい鞄に走り寄った。

「そういや、執事さんから弁当もらってたんだ。一緒に食おうぜ!」

 屈託ない笑顔で弁当の包みを取り出す姿に、シェートの口元がほころぶ。

「執事、誰だ? 城の奴か?」

「あー、うん。すげーいい人で、ってか羊なんだけど」

「羊? 羊って、あの羊?」

「それもメシ食いながら話そうぜ! って、おおー、すげえ、きっちり無事だ!」

 静かな夕暮れに、仔竜の歓声が響き渡る。

「サリア」

 その光景を目に焼き付けながら、シェートは空を見上げた。

「ただいま」

 久しぶりの呼びかけに、周囲の大気が潤いと香気に満たされていく。

『おかえり』

 女神の声が、優しく降り注いだ。

明日で、第五章エピローグです。

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