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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~archenemy編~
109/256

16、盗用

 鋭いノックの音に、意識が覚醒する。

 目覚め、視線を走らせる。灰色の壁と薄明の空を映す窓、申し訳程度に寝具を乗せた金属製の臥台がだい、枕元付近のナイトテーブルには、立てかけられた二振りの長剣。

「何事です」

『例の仔竜が動きました』

 短い呼気と共に参謀は起き上がり、壁に埋め込まれたワードローブに歩み寄る。

「対応状況を報告しなさい」

 そのまま夜着を脱ぎ、素肌をあらわにすると、下着を取り出して身につけていく。

 報告者はこちらに踏み込みもせず、ドア越しに報告を始めた。

「三分ほど前、十五階、職員食堂搬送エレベーターより進入。現在、研究所エリアにて、侵入者対応Aが終了、対応Bが進行中です」

 侵入者が発生した場合、状況に応じたマニュアルが策定されている。対応Aは侵入者の隔離と脱出経路の封鎖、対応Bは待機状態になっている衛視を全投入した捕獲、もしくは排除行動だ。

「コボルトのいる南部エリアに通じる障壁を完全封鎖。念のため【迷走機構】のパターンをランダム生成に変更しなさい」

『オペレーターに申し伝えます』

「お前たちは仔竜への対応を油断無く行うように。抵抗が激しいようなら、殺害も許可します」

 この城の要職を預かるものは、それぞれに独自権限が与えられている。

 十三階に設けられたセーブポイントの執事をはじめとして、この城には、それぞれの意思で裁量することが許された存在が何人か存在する。参謀である自分は、その中でも最も強力な権限を有していた。

『魔王様への報告は、いかがされますか』

「……朝食の際、私が行います。」

 部下への指示を終えると、姿見を確認しつつ、身支度を仕上げる。

 銀色の長髪を高く結い上げ、胸元の飾り布ネクタイを直す。折り目のついたズボンを軽く払ってしわを取り、豊満な胸を上着のボタンで拘束する。

 偏執的なほど丁寧に裁断された衣服は、身に付けること自体が儀式めいていた。

 魔王の参謀としての自分を、再認識する行為。

 二振りの剣を腰に吊ると、ドアを抜ける。

 職員専用の通路は、無機質な合金製で照明も弱い。侵入者の視界を制限し、不意打ちや待ち伏せに、有利な状況を作るための仕様だ。

「魔王様の朝食の準備は?」

 扉外に侍っていた侍従は、恭しくお辞儀をしつつ、参謀に付き従う。

「滞りなく」

「朝食の席は中庭に設けて。コボルトには警戒態勢であること気づかせないように」

「はい」

 コボルトは今日中に"壊される"と聞いていた。なおのこと仔竜を自由にさせるわけにはいかない。

 これまでの情報と指示内容を想起し、丹念に確認する。

 自分が為すべきことは、魔王の命令を忠実にこなすことであり、その手を煩わせないようにすることだ。

 長い通路の奥、『情報解析室』と銘を振られた扉を抜けると、すでに部下たちは活発に任務をこなしていた。

 フロアの中心に置かれた円柱形の巨大モニター。地球を模した画像が投影され、アクセスポイントが光点で示されている。それを囲うように置かれた端末では、魔王城内の情報管制に余念が無い。

 奥の壁に埋め込まれた無数の画面には、城内の重要なスポットが映し出されていた。

「状況を」

 その一声に、手近な端末についたホブゴブリンが、顔も上げずに答える。

「【迷走機構】の変更は滞りなく。現在、仔竜は食堂を抜け、休憩エリアにて衛視と交戦に入っています」

 壁のモニターに映し出されるのは、無数の兵士の隙間を縫うように走る仔竜だ。時折姿消しを交え、広い室内を逃げ回っている。

「室内の監視カメラを利用して消失点と移動速度を計算、出現地点を割り出しなさい。魔法の目を使用するものは均等に配置」

「各員に申し伝えます」

「参謀。昨晩のことですが、地球側より数件のクラッキング干渉が行われました」

 別のオペレーターが差し出す報告を、書類と共に受け取る。

 この城で使っているパソコンや通信機器は、異世界である地球と一部つながりを有している。彼らにとっては正体不明のIPアドレスということで、一部の諜報機関からマークされているのは知っていた。

「近接次元のダミーサーバに誘導し、十分程度、侵入対抗措置を行いました。念のため、城内の全機器を完全監視下においてあります」

「その後の干渉は?」

「ありません。その他は通常通りのやり取りです」

 目を閉じ、手に入れた情報の軽重けいちょうを推し量る。

 仔竜が動いたということは、執事の館で助力を得たということだろう。勇者に便宜を図る、それがあの羊に課せられた役割だからだ。とはいえ、執事には館以外の世界に干渉することは許されていない。

「執事の館から、ネットへのアクセスは?」

「はい、いつも通りの閲覧状況です。通販サイト、ファイル転送サイトが各一件づつ、他に変わったやり取りはありません」

「……一般研究員にネット使用の一時停止を布告。解除は仔竜捕獲の時点とします」

「地球側との回線を物理切断しては?」

 オペレーターの提案に参謀はわずかな迷いを感じた。

 地球側との常時接続を解除することは、進行中のプロジェクトに重大な遅れをきたす恐れがある。

 そもそも、たった一匹の仔竜に中枢を侵害されるなど、あってはならない過失だ。

「接続はそのままで。念のため、"万魔殿パンデモニウム"のセキュリティを最大レベルに変更しなさい」

 仔竜の守護である竜神は、勇者たちの世界に詳しいという。万が一の可能性を考えておくことも必要だろう。

 銀髪の女怪は、刻々と移り変わる現場の様子を、黙して見つめた。



「"透解"っ!」

 食堂のドアから飛び出し、フィーが叫ぶ。休憩用のスペースに居並ぶ衛視、手に棒を持ち、食堂方面に向けて突進してくる。

「ったく、俺一匹に大人数で来やがって!」

 厨房の見張りをやり過ごし、なんとか食堂に出たまでは良かったが、通路への出口はシャッターで封鎖されててしまった。

 ここから出るのが先決だが、むやみに飛び出してもトラップの位置さえわからない状態では、まともに動くのも難しい。

「まずは地図だな」

 すばやく長椅子の下にもぐりこみ、"盗賊の七つ道具シーフズツール"を起動させると、制御可能な機器がずらりと表示された。

 大半は研究所の端末だが、このエリアを監視しているカメラまで操作可能範囲に入っている。

「とりあえず、これでいいか」

 端末の一つに電源が入り、ログイン可能状態になったことが表示される。


【パスワードとIDの割り出しに数分を要します。実行しますか?】


「悪いなベーデ、ちょっと借りるぜ」

 ベーデのログインデータを打ち込むと、そのままデスクトップが表示される。

 IDが凍結されていなかったことに感謝すると、フォルダを漁って衛視用のマップデータを見つけ出した。

「よっしゃ! これで――」

「いたぞ! あそこだ!」

 魔法的視覚が全身をなぶる感覚に、背筋が総毛立つ。衛視が叫び、足音が地響きを立ててこっちに向かってきた。

 横一列に並び、こちらが隠れている長いすに向かって、津波のように押し寄せる。その背後には魔法の目を起動しているらしい連中の姿。

 鞄の中に手を突っ込み、ロープを取り出して椅子にくくりつけると、

「きゃー! こわーい! たっけてー!」

 叫びながら椅子の下を縫うように走りはじめた。

 でたらめに足の間を通り抜け、こちらの動きに翻弄された衛視たちが、めちゃくちゃに棒を振るう。

 騒音、絶叫、舞い上がる埃。

「うおー! こええー! マジでたっけてー!」

「逃がすな! 囲んで道をふさ――うわああああっ!」

 声を上げたゴブリンがロープに掛かって転倒し、緩く張られていた一部が、別の衛視を地面に叩きつける。

 長椅子が飛び、衛視がなぎ倒され、思う以上に騒ぎが広がる。

 立ち往生したゴブリン達を尻目に、研究所エリアのパーティションの谷間に走り込む。

 中に誰もいないことを確かめ、フィーは小さなブースで一息ついた。

 とりあえず、ここまではうまく行った。

「ってか、おっさんは何してんだよ。五時に作戦開始じゃなかったのか?」

 てっきり、敵のネットワークに干渉して、こちらに有利な状況を整えてくれるかと思ったのに、全くそれらしい気配が無い。

 愚痴りつつファイルを確かめ、マップデータを"ただたかくん"に放り込む。すぐに更新が行われ、一般職員の出入り可能な場所が全て表示された。

「仔竜はこの辺りに逃げ込んだはずだ! 敵は機材や仕切りを壊して、逃走を計る可能性が高い! 二人一組ツーマンセルで探索を行え!」

 割とすぐ近くで指示の声が飛び、同時に広い敷地のあちこちで、連中が動いている気配を感じる。マップ上にはいくつもの光点がうごめいて、こちらの探索を行っていた。

「出口になりそうなところ……どっかないのか?」

 めぼしい出口は防火シャッターが下りている。まともなルートでは外に出ることさえできないだろう。

「この手のゲームだと、換気ダクトから脱出ってのが良く有るんだけど……」

 ダクトは全て高い位置にあり、自分の背では届かない。はしごをかけている隙に捕まるのがオチだ。

「んじゃ、地面の配線を整備する通路とか……」

 電気工事用に入れるところは存在しているが、外につながっている様子は無い。

「食堂のエレベーターはもう使えないし、喫茶室にはその手の設備は無い……」

「全てのパーティションを探索しろ! 見つけても油断するな!」

 後は行き止まりの資料室と、奥にある謎の小部屋に、司書室だけ。

「あ……なんだこれ?」

 司書室の隅に、隠し扉のマークがついている。"盗賊の七つ道具"の効果で視覚化された電子ロックの存在。その向こう側はマップデータに表示されていない、おそらく一般職員が入れない場所だ。

「こっからじゃ操作できない……近くに行って、介入するしかないか」

 マップの光点は次第にこのパーティションに近づきつつある。魔法の目がある以上、視線が通ったらアウトと考えていいだろう。

「んじゃ、行ってみるか」

 深呼吸すると、フィーはドアを薄めに開けて、その間から外に出た。

 前後の通路には誰もいない。司書室の方は、西に四ブロック先だ。

「"透解"」

 念のために姿を消し、そのまま足音を忍ばせて進む。行く手の十字路手前で止まり、左右を確かめる。右手方向で数人の衛視が周囲を確認している、左手には誰もいない。

 息をつめ、そのまま先の通路に走りこむ。

 たったそれだけで、心臓がどくどくと高鳴った。

『"光韻の理法により、開け正眼――』

 そこかしこの通路で、魔法をかけなおす声がする。魔法の目は持続時間が短く、掛け直しに多少時間が掛かる。その間なら、自分の透明化も完璧に通用するはずだ。

「いわば、リキャストタイム、って奴だな」

 軽口を叩き、自分自身を落ち着かせる。ゲームと思って油断する気はないが、ゲーム的にものを考えたほうが、余計な心配をして固まらずにすむ。

 フィーはすばやく壁のぎりぎりに立ち、左右を見回した。一瞬、ゴブリンの視線がこちらと絡み合う。

「う……っ!」

 すばやく顔を引っ込め、いつでも駆け出せるようにばねを溜める。

 一秒、二秒、ゴブリンの足音が、こちらから遠ざかる。

「本当にこの辺りに逃げたのか?」

 敏感になった角に、衛視たちのぼやく声が聞こえた。

「監視カメラと情報解析班が、こっちに逃げたって予想してんだよ。とにかく、もう少し西側を探してみようぜ」

 どうやら魔法の目を使った奴ではなかったらしい。くずおれそうになる体を必死に鼓舞すると、そのまま三番目の十字路に突進する。

 マップを確認すると、二つの光が自分のいたパーティションに入ってくのが見えた。

 敵を示す光点は、十字路で一旦立ち止まり、周囲を確認すると、進行方向にあるパーティションに入っていくようだった。

 小部屋を中心に、右回りの円を描くように警戒、魔法の目を起動させるときは、その場で立ち止まる。一斉に動かないのは混乱を少なくするためと、わざと隙を作ってこちらを誘う意図があるからだ。

「さて、どうすっかな」

 姿を隠すために新しいブースに入ると、もう一度、マップを確認する。

 扉とは反対側の通路を、見回りのゴブリンが歩いていく。そのアイコンに、新たな表示が浮かんでいた。


【ピックポケット:steal ok!】


「もしかして、これって」

 軽くアイコンをタップする。短いゲージが一杯になり、


【シムカード情報を入手しました】


 どうやら、近距離であるならば、敵のスマホからシムカードのデータを盗むことができるらしい。"多相偽称シェイプシフター"と連動した機能があるとは知っていたが、こんなにあっさりと抜けるとは思っていなかった。

 効果範囲に入ったデータをいくつか抜き取ると、ためしに偽装を発動させる。

「うぉっ!?」

 見たことも無い送信元からのメールが数件、メールボックスに入ってきた。どうやらCCカーボンコピーで全員のスマホに送られたものらしい。


『仔竜はパーティション間を移動中。現在位置はマップ上の光点で示した位置にいる確率が高い。注意して捜索せよ』


「へえ~、なるほど~、これはこれは」 

 仔竜の口が、悪辣に歪む。シムカードの情報はランダムで変更され、周囲の電波状況によっても使うデータを変えるらしい。

「ってことは……」

 司書室を確認すると、常駐の職員らしい光点が三つほど見える。連中のシムカード情報を手に入れられれば、今後の展開に役立つはずだ。

 巡回する衛視の動きをおさらいすると、フィーは行動を開始した。



「南側二十四番ブースに仔竜の出現を確認!」

 オペレータの声と同時に、衛視たちのスマホに指令が送信される。それぞれが持ち場を固め、手近な人員がそちらに急行する。

「敵の透明化を確認しました。予測移動地点を割り出します」

 参謀の目の前で、予測地点の候補が表示された。仔竜の動きは、資料室に入ることを想定に入れたものだ。

「二十三番から十五番までの北側に人員を配置、他エリアへの逃走を封じなさい」

 研究所はこの城における重要施設の一つ、破壊を伴う捕獲は行えない。時間が掛かっても人手を頼み、押しつぶしていくしかない。

「参謀、保安要員の増援、到着しました」

 司書室からつながる職員用通路から、新たな人員が入り込んでくる。これで捕獲の準備は整った。

「全てのブースに一名ずつ、監視に入りなさい。残りは魔法の目によって通路を目視、補充人員は対象の捕獲を優先して」

 カメラに映し出されるのは、小さなブースに隠れて周囲の様子を聞き取ろうとしている仔竜の姿。時折、手元のスマホを確認する姿が妙に気になった。

 敵の透明化は効果消失から再使用まで、わずかな時間のずれがある。それを計測しているとしても、目の動きが頻繁すぎる。

 衛視たちが次々とブースをあらため、仔竜のいる場所に人員が近づいていく。包囲に気が付いた仔竜がドアを開き、すばやく通路を駆け出した。

「仔竜が移動を開始!」

「全員通路を封鎖! 敵が透明化を発動させたらその場で待機!」

 仔竜の動きが光点となり、簡略化されたマップの上に投影される。逃げ道となる通路を衛視がふさぎ、敵が追い詰められていく。

 そして、全ての視線が十字路の中心に向けられた時。

『じ……情報管制室!』

 現場の索敵班が、当惑を叫んだ。

「どうしました?」

『こ、仔竜がいません! 魔法の目にも映らない……どうなってんだ!?』

 魔法の目による探知は、妨害呪文カウンタースペルで阻害することが可能だ。しかし、仔竜が魔法を発動させた様子も、コボルトのような破術を展開させた様子も無い。

「各ブースの内部を確認しなさい! 机や椅子の下にも注意を!」

 あわただしく小部屋が捜索され、衛視たちがうろたえた様子でブースの間の通路を歩き回る。

 騒然とする研究所の光景、それを映すモニターの一枚に、青い姿が突然現れた。 

「索敵班! 敵は資料室の前だ!」

 姿を現した仔竜が、脱兎のごとくガラス壁の向こうへ抜ける。そのまま司書室への扉を潜り抜け、猛然と職員専用通路に突進する。

「なぜ奴があの出入り口を!?」

「いや、あそこは認証コードが無ければ絶対に開かな――」

 まるで魔法のように、電子ロックされた扉が開放された。

 捕獲に回ろうとしていた職員が驚きにひるんだ隙に、青い仔竜は通路の中に逃げ込んでしまう。

「……なんということだ」

 何か異常が起きている、仔竜の動きはそれを実感させた。

 開かないはずのドアを開け、確実に捕らえていたはずの予測を完全に外した力。

「警戒レベルを四から三に変更! 敵は何らかの形で、こちらの電子機器に干渉を仕掛けている! 奴の手口を洗い出し、対抗策を講じなさい!」

 通路に仕掛けられたカメラの前から、仔竜の姿が消失する。透明化によるものか、それとも電子的な攻撃か。

 わずかな判断の誤りが、事態を悪化させかねない。

「十五階の昇降機、階段を隔壁により物理閉鎖。電源を一時カットし、外部からの干渉を遮断しなさい。現地で警戒に当たる人員に、スマートフォンの使用禁止を命じなさい」

「しかし、それは」

「魔法による連絡、および定期的な情報交換で対応します。敵の手口が分からない以上、付け入る隙を与えるわけには行きません」

 命令に従って、十五階の主要な出入り口が隔壁が閉鎖されていく。電源が落とされ、監視カメラと一部の保安機構のみが稼動している状態となった。

「絶対に、逃がすものか」

 見失った仔竜の姿を探すように、参謀はモニターに視線を走らせる。

 薄暗い連絡通路は、不気味に沈黙したままだった。



 アプリの効果時間が切れると同時に、フィーは廊下の隅にある小さな隙間に隠れた。

 今までは石造りの建築物だらけだったものが、突然近未来のSF物に出てきそうな、金属製の通路に変わっている。

「あるよなー、ファンタジーにSFっぽいのをねじ込んでくるゲーム」

 突っ込みもそこそこに、改めてスマホのマップを確認する。

 少し歩いてみて分かったが、どうやらこの通路は、機材の搬入や人員の再配置に使えるよう、中央の施設を囲うように作られているらしい。

 いくつかの出口は喫茶室の裏手にある倉庫や、食堂の向こうにある通路と繋がっているのが分かった。おそらく、勇者が侵入したときにあわせ、兵士をどこにでも送れるような構造になっているのだろう。

「さて、これからどうすっかな」

 いずれ衛視が再配置され、この通路もくまなく探されるだろう。逃げ道のほとんど無いこの場所では、見つかれば終わりだ。

 それに、今回の目的は逃げることではない、仲間を助けて脱出することだ。

 フィーはマップに表示された監視カメラのアイコンをタップする。ゲージが緩やかに満タンに近づき、


【カメラのハッキングに成功しました】


 カメラに"何も無い画像"を映させ、その下を油断無く進んでいく。透明化による視認の阻害と、相手の"目"を盗む機能が有効なのは、すでに証明済みだ。

 これさえあれば、強引にシェートを助けに行くこともできるかもしれない。

「でも、武器も装備も例の保管庫だろうからなぁ。そっちも何とか……」

 通路のかなたから、いくつもの足音が響いてくる。おそらくこちらを捕まえに来た連中だろう。

 この辺りにはドアも無く、隠れられそうなくぼみも見当たらない。

「それじゃ、ちょっと逃げる時間稼ぎでも、させてもらいましょうかね!」

 フィーの手がマップ上にひらめき、いくつかのコマンドが立て続けに打ち込まれる。

 同時に、壁に埋め込まれた警告音が激しく鳴り始めた。


『火災が発生しました。職員は誘導灯に従い、被害エリアから退避してください』


 偽の火災発生情報にアラートが反応し、フィーのいるエリアを隔壁で閉ざしてしまう。

 程なくして天上のスプリンクラーが、霧のような雨を降り注がせ始めた。

「うは、つめてぇっ」

 鞄の中からナイフを取り出し、壁の一部に刃を差し込む。そのまま、じりじりと上下に動かすと、軽い衝撃と共に板が外れた。

 被覆された電線と、水や空気を送るためのパイプで一杯の空間。それでも、メンテナンス用に作業員が動けるくらいの隙間は開いている。

 中に入り込むと、湿った空気と一緒に埃の匂いが鼻をくすぐった。

 気体や液体がパイプを循環する音、それらを送り出すモーターの駆動を感じる。床は網状になった金属の板で、隙間を通して底のほうからかすかに風が吹き上がってくる。

 上も同じような吹き抜けになっていて、中央のエリアを包み込むような感じに張り巡らされているようだ。

「監視カメラもないし、ここを使えば……」

 この城の、ほとんどのエリアに移動することができるはずだ。

 しかし、どこへ行けばいいのかという、具体的な見通しは全く無い。シェートの幽閉場所は分からないし、魔王がどこにいるのか見当もつかない。

 隔壁に施した"七つ道具"の効果もそろそろ切れる。何をするにしても、すぐに決めなくてはならない。

 シェートを探すか、グートを救うか、あるいは荷物を取り戻すか。


『兵は詭道きどうなり』


 迷いに閉じかけた頭蓋の奥で、光が弾けた。


『敵を欺き、裏を掻き、きりきり舞いさせる。それが常勝の秘訣よ』


「……へっ」

 正攻法で動いても、数の暴力に負ける。だとすれば、思い切り意外な手段を取って、敵を翻弄するほうが、まだ勝ち目があるだろう。

 仔竜の体が、決心をはらんで階下へと消えた。



『申し訳ありません。仔竜を……見失いました』

 カメラの向こうに映る水浸しの通路。数名の衛視が開かれたサービスパネルをくぐり、内部を検証していく。

『どうやら奴は、最初からメンテナンスブロックについて知っていたようです。そちらのカメラで追跡は可能ですか?』

「こちらの監視も欺かれています。現在は、目視による確認が、最も効率の良い索敵手段のようです……引き続き仔竜の捜索を」

 苦々しい思いを抱え、参謀は薄暗い空間を映し出したモニターを見つめた。

 カメラによる監視は魔法的なものではない。そのため、進入してきた勇者や魔法使いに気づかれること無く、敵の状況を判断できる有利となる、はずだった。

「参謀、敵の手口が判明しました」

 情報解析を行っていたオペレーターは、中央の円柱モニターに分析結果を投影する。

「スプリンクラー誤作動の際、仔竜のいたエリアの映像に異常なノイズが見られました。おそらく電磁波による干渉が行われたものと思われます」

「それだけで、あんな異常が起こるのですか?」

「その後、一時的に"白紙"になった機器に対し、"乗っ取り"が行われるようです」

 仔竜の持っているスマートフォンを中心に、周囲の機器が擾乱じょうらんされ、敵による"乗っ取り"が行われる仕組みが図解によって説明される。

「防ぐ方法は?」

「対電磁シールドを施した機器であれば問題無いと思いますが、城内の装置はほとんど被覆処理を行っていません。また、電子ロックされた扉を開けたことから、入出力装置のあるタイプの機器は、ほぼ無防備であると考えるべきかと」

 眉根をひそめ、部下の報告を吟味する。

 敵はほぼ無制限に、この城内を動き回ることができると考えていい。城内にいる全ての衛視を配置したところで、全てのサービスパネルを監視することはできない。

 こちらが有利な点を挙げるなら、物理的な手段によるセキュリティを講じられることぐらいだ。

「各フロアの物理隔壁を閉鎖、上下階への移動はメンテナンスブロックを経由すること。電子機器の個人使用は無期限停止。警戒レベルを二に引き上げ、全衛視を配置に着かせなさい」

 指示を済ませると、参謀はきびすを返し、出口へ向かう。

「どちらへ?」

「魔王様に経過報告を行ってきます。何かあれば伝令を」

 現状が、あっという間に悪いほうへ滑っていくのを感じる。ここで意地を張っても、害悪しかもたらさないだろう。

 暗い通路を足早に進みながら、参謀はひりつくような危機感を肌身に感じていた。


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