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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~archenemy編~
107/256

14、汚染

 薄明かりが点るばかりの部屋の中で、魔王は執務を続けていた。

 モニターに映し出されるのは、虜囚となったコボルトの経過。日ごとに変わって行く態度と、その様子から察せられる性格を、列記して行く。

 テーブルの上には飲みかけのコーヒーと、茶請け代わりのカロリーバーが渇いたまま置かれている。こういう情景も、自分の中ではすでに日常だ。

 勇者達の世界に関しては、魔界でも多少理解は進んでいた。

 ただし、それはあくまで上級の魔物や、一部の知的好奇心を"糧"とする、特殊な存在が要求するだけの珍品でしかない。

 欲しければ奪い、無くなれば別の地に移る。そういう蛮族的な生活を可能とする、膨大な魔力や特殊能力は、文明というものを必要としなかった。

 逆に、神が治める地でも、文明の発展はほとんど行われないか、いびつなものにしか進化しない傾向にある。導くものと直にふれあい、その恩恵にあずかれる以上、複雑な手順と人間の不安定さで維持する科学技術など、無駄遣いもいい所だからだ。

 科学と言うものは、神も魔も存在しない世界でしか、発展しない。

神去かみさりの地、か」

 それは、忌むべき言葉だ。

 治める神も無く、崇める魔も無い、あらゆる神秘から見放された場所。

 そこでは信心が息絶え、魔法が消え失せ、神霊が泡沫と溶けて行く。

 卑しむべき穢れの地、汎世界の鬼子。

 それが、勇者達の住む地球の、本当の姿だ。

「もし、この世界が、全て勇者達のいる世界のようになったら、どうであろうな」

 律儀に職務を遂行する参謀は、デスクから顔を上げた。

「どう、とは?」

「神と魔を滅ぼしたいなら、この世の全てを神去の地にしてしまえばよい。誰も神を信じず、誰も魔を崇めない。勇者達の世界を全体に広げることで、神秘が根絶される」

「それは、単なる自死の拡大です。魔王たる御身の、成すべきこととは思えません」

 気の無い答えを返すと、参謀は自分の仕事に戻っていく。手元の資料を手繰り、この城の運営に目を光らせるのも、彼女の役目だ。

「それが俺の願いだとしたら、どうする? 世界と共に滅ぶことが」

「でしたら、そのようにお命じください。私は貴方を守り、その目的が達成されるまで、お側に在りましょう」

「お前にはもう少し、かわいげのある返答を覚えさせるべきだったな」

 ため息をつくと、魔王はテーブルの隅に置かれた、長い器物を手にした。

 灰色と白で構成されたプラスティック製のボディと、小さな液晶画面。勇者達の世界では相当昔に販売を終了した、携帯ゲーム機だ。

 電源を入れ、セーブデータをロードすると、無言でキーを叩きはじめた。

「魔王様、お仕事はもうよろしいのですか?」

「ああ。シェートの篭絡は、ほぼ終わった」

 手元で鳴り響く曲が変わり、事態が最終局面に移ったことを教えてくれている。

 長い前口上の末、画面の向こうのラスボスは、最終戦闘の画面に現れた。

「後は、最後の詰めを誤らなければ、問題は無かろう」

 魔王は、自身と同じ立場に立つ"ラスボス"を、目を細めて眺める。

 彼の命は、もう風前の灯と化していた。

「昼間、練兵場でのいきさつを拝見しました」

「来ていたなら、顔を出せばよかったものを」

「コボルトの怯えよう、とても篭絡されているようには見えませんでしたが」

 参謀の言葉に口元を緩めると、魔王はアイテムを使った。

 あっけなく、ラスボスは真っ二つに引き裂け、消えて行く。

「哀れな奴だ」

 魔王は消えていく同輩を眺め、呟いた。

「私は、何か哀れまれるようなことを申し上げましたか?」

「お前にではない。人の都合で生み出され、人の都合で"バラバラになった"、虚構の超越者に対する哀悼だ。それと、シェートの篭絡、いや"攻略"は、順当に進んでいる」

 あえてゲームのように、魔王は言い換えた。

「練兵場での一件は、純朴な山育ちのコボルトが、ようやく自分の立場を理解したために上げた、ただの悲鳴に過ぎない」

「分かりません。あれで本当に、あのコボルトが魔王様に従うのですか?」

「従わないだろうな」

 要領を得ないこちらの返答に、部下は怪訝けげんな顔だ。

 参謀には、魔物の理法で物を考えさせている。その観点から言えば、こちらが考えていることは、理解に苦しむだろう。

「俺がやっているのは、あくまで攻略だ。手順を踏み、フラグを立て、一つのゴールを目指して進む」

「勇者達の世界の、ゲームのという奴ですか」

「アドベンチャーゲーム、いや恋愛シミュレーション、と言ってもいいかもしれん」

 参謀を招き寄せると、魔王は目の前の画像を指し示した。

 モニターに表示されたコボルトの顔。その表情の変化や視線の動きが、動画や静止画として表示される。

後光効果ハローエフェクト

 初めてシェートと出会った場所は、自分の玉座の前だ。

 中天の太陽が天窓から降り注ぎ、魔王たる存在を光り輝くように見せている。

「自分の背後に光源、もしくは明度の高い背景がある場合、対話者はこちらに対し、威厳や崇高さといった印象を"勝手に"持つようになる。という心理効果だ」

「例の心理学、ですね」

「ああ」

 画像の中の自分は、ほぼ光源を背にしている。対するシェートはこちらを見上げ、その輝きに戸惑い、表情をこわばらせていた。

「知性体、視覚を感覚器の主幹に置き、上下関係、統制といった概念を理解し、神性者、超越者に対する畏敬を有する者には、概してこの手が効く」

 実際、ゴブリンなどには総じて効果を上げたし、オークのような素朴な思考の存在に対してもそれなりに通用した。 

「俺という存在を印象付け、心に焼き付ける。一つ目の楔だ」

 初めは恨みと憎しみに駆られていた顔が、画像が進むにつれ、次第に緩んでいくのが分かる。コボルトのくつろいで行く様が、手に取るように分かった。

「警察や諜報機関の古い手口に"良い警官・悪い警官"というものがある」

 次の画像で、シェートは参謀と共に居た。

 常に仏頂面で、融通の効かない彼女に、コボルトは嫌悪を示している。

 その次に表示されたのは、参謀を伴いつつ、シェートと魔王が歩く姿だ。

「この立ち位置を見れば分かるが、シェートはお前を嫌っている。蛇蝎の如くな」

「理解しています」

「そして、それに比べれば、俺のほうがまだ親しみやすいと、肩に触れるかぐらいの位置に並んでいる」

 説明を受け、参謀は珍しく眉間にしわを寄せた。

「つまり私は『悪いケイカン』というわけですか」

「周囲に敵ばかりの状況で、親しみを込めて発言をしてくれるものを、味方と錯覚するのは当然のことだ。主に尋問で効果を発揮する技術だな」

 その後の画像では、常にシェートは一人だった。部屋でも、廊下でも、喫茶室で食事を取った時でさえも。

 その孤独は、命令によって作り出された人為的なものだ。魔王である自分の、理解者としての側面を刷り込むために。

「奴には俺以外、交流をもてるものがいない。ゆえにシェートは"良い警官"を頼らざるを得ない。二本目の楔だ」

「威光を発し、親愛を示し、そして、篭絡するのですか?」

「それでは足りぬ」

 その次の画像は、シェートが迷宮から救い出された時のものだ。

 魔王の腕に抱かれ、眠りについている。

「吊り橋理論」

 恐怖から解き放たれた犬の顔には、安らぎと親しみだけが見えた。救い出された直後の動きは、まるで親に縋りつく、迷った子供だった。

「生死に関わる体験をした際、自身を支えてくれた存在に対して、強烈な親愛の感情が発生するという。男女間の色恋沙汰が成立しやすい状況、という形で取りざたされることが多いがな」

「先ほどの"ケイカン"では、不十分だと?」

「強烈な経験が根底にあれば、親愛の情は別ちがたくなるということだ。三本目の楔」

 魔王はモニターから視線をそらし、冷めたコーヒーをすすった。

「新しいものを持って来させましょうか」

「いや、缶コーヒーを頼む」

 参謀は内線を繋ぐと、主の酔狂に答えるべく注文を伝えていた。

 今日は気分が良い。こういうときには、いたずらにチープなものが口にしたくなる。

「だが、攻略は飴ばかりでは成立しない。鞭が必要だ」

「それが、昼間の一件なのですか?」

「心理操作の要は、抑圧と開放を使い分けることにある」

 昼間のシェートは、面白いほどにうろたえていた。

 自身も気づかないまま育てていた獣性、それを暴かれ、うろたえていた。

「抑圧とは、恐怖・苦痛・不安などの"存在を脅かすもの"からもたらされる。命を害される恐怖、飢えや渇き、痛みによる苦痛、自身の存在や先行きに対する不安」

 シェートにはそれらを、満遍なく与え続けてきた。魔王として威圧し、城の仕掛けを以って責め苦を与え、知識と言葉で精神を揺らがせ続けた。

「開放とはその逆だ。安心・満足・希望、そうした感情を適度に与えてやればいい」

 枷を外し、衣食を整え、相手の立場に理解を示す。たったそれだけで、驚くほどにコボルトは心情を変化させた。

「あるときは善意の援助者、またあるときは絶対的な暴君。俺の動き一つで、シェートは喜び、あるいは怯えすくむ。奴の操作など、捕らえたときに完了していたのだ」

「それが四本目の楔、ですか」

「と言うより、基幹となる技術だな。楔の表現は、便宜的なものだ」

 石工が巨岩を割る際、目に沿って無数の楔を打ち込むように、心理を操作するためにも無数の手管が必要となる。

「今まで説明した技術、それらを包括した心理操作法を、俗に"洗脳"という」

「魔法を持たぬ者たちの、心を操る技ですか。ずいぶんと迂遠で、面倒なものですね」

「だが、そうバカにしたものでもないぞ?」

 確かに、この程度の精神操作は、魔法を使えばいくらでも再現可能だ。時間も掛からずに操り人形をこしらえることができる。

「魔法は優れた回答だが、術に気づかれ打ち破られるという可能性がある。だが、心理操作による"洗脳"には、それが『ない』」

「なぜ、ないと言い切れるのですか?」

「洗脳は、あくまで"自発的"なものだからだ」

 参謀は当惑し、かぶりを振る。給仕が運んできた缶コーヒーを手に取ると、魔王はタブを開け、中身を流し込んだ。

 味としては二級品だが、適度な甘みと冷蔵による冷たさが、喉を心地よく過ぎた。

「先ほどの心理効果は、俺がこうしろとシェートに命じたわけではない。状況に応じて発生した"自然な心の動き"に過ぎん。意識しなければ、罠であるとさえ気づけない」

「あのコボルトは、この城に滞在し続ける限り、魔王様の干渉を受け続ける。知らずのうちに、無数の楔を打ち込まれ続けると」

「同時に俺は、シェートの性格を調べ続けた。効果を最大限に引き上げるために」

 改めて、まとめ上げたデータを確認する。

 きわめて単純で誠実、他者に関する精神的な共感力が高い。反面、相手を疑うという思考に乏しい。

「コボルトは小集団で行動し、他の世界との交流はほぼ無い。そして、狩猟採取の生活は群れの仲間を信頼することが前提だ」

「一つの嘘、一つの裏切りが集団を危険にさらす。ゆえに嘘や不誠実は忌まれる、と言うわけですか」

「それは転じて、誰かにだまされる、という思考が希薄になるということも意味する」

 シェートの感情は、粗野であけすけなものだ。喜怒哀楽を自然に示し、心を隠すことはほとんどない。

「奴にとって、群れや仲間と言うものは命に等しい。それを利用すれば、心理的な障壁を突破することなどたやすい」

「死んだ仲間のことを尋ねたのは、そういう理由があったのですね」

「おかげで、奴の神を類推する情報が、湯水のように手に入った」

 すでにシェートの神に対する分析も進んでいる。

 あのコボルトに共感する以上、善良さを重んじ、天界の現状に義憤を感じるだけの知性を備えている。魔物の存在をある程度肯定し、自身も交流の経験があると考えられる。

 シェートに高度な神威を与えていない現状を鑑みれば、名も無き小神か、最近神格化した存在だろう。

「例の仔竜、フィアクゥルが、竜神エルム・オゥドの配下である以上、奴と懇意の神格である可能性が高い」

「では、竜神の縁故をたどれば、神名を明らかにできると?」

「残念ながら、該当する神格はすでに盤面から消えている。シェートがみな、殺してしまったからな」

 魔王は手にした缶を置き、嗤った。

「だが、あと一息だ。明日にでも、その名を口にさせることができるだろう」

「それは、コボルトの洗脳が完了する、ということでしょうか」

「洗脳には、完了も完成も存在しない」

 全てのデータを保存すると、魔王は電源を落とした。

 そのまま椅子に背を預け、うっとりと言葉を解き放つ。

「洗脳の究極とは、それが『日常』となることだ。カルトにおいて、下級信者が自己を否定され続け、最高指導者によって"救済"され続けるように」

 それは言葉による束縛、本能に訴えかける呪詛だ。

 シェートは今、眠りについている。

 自分の心と体が、魔王という毒に侵食され続けているとも知らずに。

「俺の打ち込んだ楔によって、シェートの精神は脆くなり、崩れかけている。それを支えているのは、命を救ったという神の存在だ」

「その神を貶め、信頼を揺らがせると?」

「そんなことはしない。俺はただ、シェートに事実を伝えてやるだけだ。そいつの為したあらゆる行状をな」

 神とは所詮、魔の反転存在に過ぎない。

 どれほど麗らかに、己の清浄と崇高を謳ったところで、埃や穢れなど、叩けばいくらでも湧き出てくるだろう。

「あるいは、懇意である竜神の悪童ぶりでも伝えてやろうものかな。シェートは遊戯を憎んでいる。そのもといを創造したのが奴であると知れば、どんな顔をするだろう」

「かの竜神が、遊戯の創造者、なのですか?」

 魔王は曖昧に瞳を揺らし、思索を虚空に放った。

「少なくとも、創始に携わったのではないか、とは聞いている。しかし、最初の遊戯において……」

 そっと息を詰めると、右手を顔に当てた。

「魔王様?」

「いや、これは悪手だな。不確定な情報では反論の余地が出てしまう。洗脳の要諦は、自身の問題に焦点を当てさせることだ」

 気持ちを切り替えると、魔王は答えを導いた。

「まずはシェートから神の名を引き出す。そうして、奴に考えさせ続けるのだ。その神が本当に信用できるのかをな」

「最後のよりどころに楔を打ち、コボルトの精神を壊す、ということですか」

「洗脳とは、破壊と創造からなる技術だからな」

 心を揺らがせ、壊し、思うとおりに再構築する。

 本人が"納得"する形でだ。

「俺には、神に対する絶対の利点がある。それが、なんだかわかるか?」

「……いいえ」

 神とは天に侍り、あらゆる奇跡を可能とするものだ。その力は絶大にして、無限ともいえるだろう。魔王である自分など、本来比較にならない。

 だが、

「俺がシェートの側にいる、と言うことだ」

 対する神は、ここにはいない。

 シェートにとっては幻のような存在であり、苦しみを聞いてもらうことも、不安を抱きとめてもらうこともできない。

「俺はただ、こう問い続けるだけでいい」

 まるでコボルトが目の前にいるように、優しく言葉を掛けた。

「シェートよ、お前の神とは、本当に信ずるに値するものなのか? とな」

 何度も確認されることによって、その事実に対し、心は不安を覚えるようになる。

 それがたとえ真実であっても、疑問を呈されるたびに心は穢され続け、疑いが根を下ろしていく。

 対する自分は、真摯さを提示し続けるだけでいい。

 神を倒し、遊戯を廃し、コボルトに安寧を与えると。

「洗脳は常識を塗り替え、心には疑念が降り積もる。いずれシェートは俺を友と呼び、神を敵と憎むようになるだろう」

 必要なものは、ほとんど手に入れた。

 後はシェートの神の名を、聞きだすだけだ。

「勇者をたおすに、刃は要らぬ」

 参謀の、とがめるような視線に苦笑すると、魔王は立ち上がった。

「分かっている。シェートの攻略など、所詮は余技だ。本当の敵は、そうたやすい存在ではない」

 いつの間にか置かれていた資料、写真入りで送られてきたそれを一瞥した。

「明日、シェートを壊す。終わり次第、対英傑神プロトコルを、最優先事項として一般職員に周知せよ」

 資料が燃え上がり、青年の顔が火炎の熱でどす黒く侵食されていく。

 この遊戯における最大の障害、是が非でも打ち倒さなければならない大敵。

「岩倉悠里」

 "英傑神"より遣わされし、最強の勇者アークエネミーを睨み、魔王は告げた。

「お前は必ず殺す。俺の持てる全ての力で以ってな」

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