13、啓示の解読
大きく、くり貫かれた洞窟の中に、まばらなタイプ音が響く。
大雑把な長方形に整形された洞内には、長テーブルの上に十数台のデスクトップが置かれ、数匹の小竜たちがモニターと向き合っていた。
空間の奥にはガラス壁で仕切られた部屋があり、数百台にも及ぶ巨大な金属の箱が、静かに明滅を続けている。
竜神、エルム・オゥドの神座、その奥に設置された『電算室』と呼ばれるエリア。
その管理統制を司るソールは、黙然とニュースサイトを眺め続けていた。
すらりとした四肢としなやかな尾、赤い鱗を持つ小竜は、静かにマウスを動かし情報を流し読みしていく。
勇者達の世界を監視し、遊戯への影響をチェックするのが、自分に与えられた任務だ。 本来的には、竜神の趣味を満たすための作業でしかないのだが、手に入れた情報の中には遊戯に益する事柄も多い。
そういった情報を取引することで、竜の一族は神々の遊戯が敷衍した天界でも、変わらない発言力を保持していた。
【ヴィト】:そういえば、主様はどうしている?
画面の右下に、小さなメッセージボックスがポップアップした。
別の場所で端末を使っている仲間からの発言。チャット用のソフトをアクティブにすると、返事を打ち込む。
【ソール】:珍しく、気を揉んでおられるようだ。酔狂が鱗を生やしたような方だが、さすがに自身が面倒を見た者だからな。
【ヴィト】:それは女神の方かい? それとも変り種の仔竜のほうかな?
おそらく両方だろう。
とはいえ、ソールからしてみれば、重要視して欲しいことは別にあった。
【ソール】:もしあの仔竜が死んだら、不当に元勇者を使役したことで、主様も問責を免れまい。何とか脱出させて、こちらで保護しなければな。
【ヴィト】:ずいぶん冷たい物言いだね。サリアーシェ様は、曲がりなりにも主様の同盟者なのだけれど。
【ソール】:知ったことか。あれは主様が勝手になされたことだ。
正直、ソールにとってあの女神は、疫病神以外の何者でもない。
竜神が遊戯へ参加することを禁じられて以降、自分達も遊戯とは中立の立場を取り続けていた。情報収集や、神器・神規創造のためのアイデア供出などは行ったが、それ以上の干渉は慎重に避け続けてきたのだ。
それを、よりにもよって――
『これから儂、サリアの側につくから。よろしくの』
主自身が、破却してしまった。
なんの断りもなく女神との盟約を取り付け、おまけに元勇者の少年を秘密裏に仔竜として転生させ、コボルトの助力にするべく送りつけた。
おかげで神々との友好関係は一気に険悪となり、積み上げてきた外交の蓄積も、色々台無しになってしまった。
ソール自身、いい加減な主に代わって外交の矢面に立っていた手前、正直腹に据えかねるものがある。
【ソール】:私としては、あの女神がさっさと遊戯から降りて、元通りの天界に戻ればどうでもいいのだ。
【ヴィト】:まだ根に持っているのかい? 君もしつこいね。
【ソール】:そもそも! 主様は毎回毎回、ご自身の酔狂がどういう事態を招くかということについて、無頓着に過ぎる!
【グラウム】:おーい、今だいじょぶか?
気の抜けたSEと共に、別のメッセージが浮かび上がる。
そちらのウィンドウを開くと、返事を送りつけた。
【ソール】:主様のアホさ加減について話していた所だ。何か用か。
【グラウム】:またかよ。そんなのより面白いのみっけたぞ。
発言とほぼ同時に、どこかのサイトらしいアドレスが送られてくる。
また、くだらないジョークサイトか何かだろう。そう思いながらも、ソールはURLをクリックした。
以前、地上の活動を流していたとき、偶然発見した匿名掲示板が映し出される。
その一番最後の書き込みを見て、小竜は瞠目した。
244:異世界の勇者◆zE8er.qb:2013/07/15(水) 14:31:02.00 ID:roWqrtyd
おっさんへ
これ見たらレスくれ
【ソール】:発信者の特定は? IPは取ったか?
【グラウム】:まだー。いたずらかもしんないし。でも、九分通りあいつだと思うぞ。
【ソール】:少し待て。主様に報告する。
ソールは別窓を立ち上げて、アドレスとメッセージを竜神に送りつけた。
【ソール】:主様、緊急事態発生。フィーからの連絡と思しき書き込みを、ネットで発見しました。サイトを確認し、ご判断を。
わずかな沈黙の後、メッセージは簡潔に届いた。
【エルム・オゥド】:ソール、グラウム、ヴィト、メーレはすぐに儂のところへ来い。電子戦の準備だ。
メッセージを読み終わるよりも早く、ソールは椅子からふわりと舞い上がった。
「ヴィト! グラウム! 主様がお召しだ! 誰かメーレに連絡して主様のところへ参じるよう伝えろ!」
黒い饅頭のようなグラウムが、のそのそとデスクから離れ、ヴィトの白い背中がもう一竜の同僚を探しに飛び去っていく。
首尾を見届けると、ソールはいち早く主の下へ参上した。
「主様! 返信は!?」
「今送った。書き込み反映にはラグがある。すぐには反応できんだろう」
巨大なモニターの前に陣取った黄金竜は、更新ボタンをクリックし続ける。それを見守る女神は、訳のわからないままに事態を見守っていた。
268:名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/15(水) 14:53:02.00 ID:tnahc/8v
>>244
おk把握
「な、何を書いているんですか、主様」
「フィーの奴も大分注意して文面を作ったようなのでな。こっちも気をつけてみた」
そんなやり取りの間にも、掲示板は何度も更新される。次第に野次馬の書き込みが増えるが、仔竜からの返事らしいものはまったくない。
書き込める時間が制限されているのか、何らかのアクシデントが発生したのか。
いずれにせよ、やることは決まっている。
「電子戦に移行しますが、よろしいですね」
「良かろう。慎重に、足跡を残すな」
命を受けると、ソールは主の右手側に飛び、床に手を当てた。
澄んだ鳴唱が大気に響き、床の下から自分専用のパソコンデスク一式が競り上がる。三面のモニターが輝きを取り戻し、ミラーシェード型のHMDを掛ける。
「掲示板のホストに進入して、フィーのIPを辿れ。おそらく二、三本串が刺さっているはず、現地に置かれたダミーサーバにも気をつけろ」
「分かりました。グラウムは私と割り出し作業、ヴィト、"パンジステーク"を頼む」
その向かい側、主の左手の方に、白い翼を生やした小竜が降り立ち、同じような端末を呼び出していた。
「"パンジステーク"? IPを割り出して、敵サーバに侵入するんじゃないのかい?」
「相手の電子戦能力がどの程度か分からないし、私達の存在を知られるわけにもいかないからな。フィーが再度返信してきたら、主様が手はずを整えてくださるだろう」
「了解したよ。では、飛び切り最高のを用意しようか」
打ち合わせの間、黒く丸々としたグラウムが主の正面に座り、モニターを覗き始める。
「相手はあっちの世界から魔力でゲートつないでるんだろ? 痕跡たどった方が早くねーかな?」
「勇者達の世界は"静謐な水面"であるのを忘れるな。わずかな探知でも、能動では気づかれる可能性がある」
「んは、りょーかい。主様ー、これ終わったらカツサンドなー」
「申し訳ない、遅れた」
主の尻尾の辺りに水溜りが現れ、一瞬で青い竜蛇の姿に変わる。メーレは自分の端末を起動させつつ、ソールに問いかけた。
「わたしは何をすればいい?」
「こちらからのアクセス量が増えるから、送受信の秘匿を厳重に頼む。同時に敵のゲート起動による"波"を検知してくれ」
「わかった」
指示を飛ばしながら、ソールは視界に映るデータの奔流を見つめていた。
三面のモニターで他の小竜たちの作業状況を確認しつつ、ミラーシェードに投影した検索情報を確認、冷静にマウスをクリックし、キー操作で修正を加える。
「主様、どうしてこのことを、教えてくださらなかったのですか」
モニター上に、全世界に設置された"敵サーバ"の位置が表示される。数百機にも及ぶそれらは、一朝一夕に据え付けられるものではない。
「暇を見つけては、いいえ、暇でなくても下界に下りていたでしょうに。気づかなかったとは言わせませんよ」
「では、魔王の企みがどんなものかも分からぬまま、正義の秘密情報部よろしく、潰して回ればよかったと?」
「賢しらなことを言っても聞きませんよ。どうせ、このまま放置したほうが面白そうだとか思っていらしたんでしょう?」
竜神は目を細め、それからひどくまじめな顔をした。
「正直、儂としては計算違いが続いた、と言ったところだ。主な原因はサリアが遊戯に参戦したことだがな」
「私が、ですか?」
唐突に話の中心に引っ張り出され、女神が当惑する。
本当に、この女は度し難い。自分がどれだけ周囲をかき回しているかということに、無頓着が過ぎる。
「主様は、傍観者の立場であれば、魔王のたくらみなど捨て置かれるつもりだったのですよ。その目論見は、どこぞの女神様に潰されてしまったわけですが」
「それは、その、申し訳ない……」
「だが、結果的には、それが"不幸中の幸い"であったのだろうな」
竜神の顔は次第に渋いものに変わっていく。先見を約束されたとも言われる神秘の双眸が、この事態の背景に対し、剣呑なものを見出しているのは明らかだった。
「初めは単なる"情報収集"なのだと考えていた。魔界の連中もようやく本腰を入れてきたか、とな」
「目的は別にあるとお考えですか?」
「おそらく、魔王は儂とそっくりの思考をしているはずだ」
その一言に、洞内にいた全ての視線が黄金の竜に集中した。
「最悪じゃないですか、それ」
「ソールよ……お前はもう少し、主に対する敬意と容赦を学ぶべきだぞ」
「私はみなの意見を代弁しただけです」
気まぐれ、自分勝手、いい加減、何より騒動と混乱を好む主の性格を魔王が持っているとすれば、対するこちらとしては頭が痛いことこの上ない。
「つまり敵は、我々の想像の斜め上を裏切りながら、史上最悪な行動を最適解として選択し続けるバケモノであるということですね」
「なぜ儂が、そこまでディスられねばならんのかと小一時間」
「でも、主様には見えてるんだろー? 魔王の思惑ってやつが」
もう一度、全ての視線が集約し、竜神は曖昧に首を振った。
「それを確定させるためにも、フィーと連絡を取らねばならん。それだけではない、魔王城に隠された、あらゆる情報が欲しいのだ」
「主様は欲張りだなぁ。オレもそういうのは好きだけどさ。っと、IP割り出し終わったぞー」
モニターに黒い小竜の検索結果が表示され、同時にソールの調べたデータとの対照が行われていく。そこに、メーレの魔力検知のデータが重なった。
「地球上における魔力活性の検知終了。敵は通信用サーバを分散、別個のゲートを使い、地球と近接する次元を偽装として利用している」
「プロキシサーバならぬ、プロキシプレインといったところだね。仕掛けの構築は完了したよ。いつでも"獲物"を追い込んでくれたまえ」
「主様、準備完了しました」
重々しく頷くと、竜神は洞内を見回した。
「現時点を以って、魔王城内に虜囚となった仔竜、フィアクゥルとの相互通信確立、ならびに魔王本拠の情報管理施設を、我らが制御下に置くことを、最優先事項とする」
そして、何者も侵し難い鋼の号令が、神座に響き渡った。
「ミッションコードは【Find of Xanadu】。皆の者、己の力を遺憾なく発揮せよ」
洞内の小竜全てがいらえを返し、端末に受け持つ仲間達がメッセージを飛ばしてきた。
【メーレ】:近接次元の通信施設を部下に監視させたい、許可を。
【ヴィト】:魔王城からのアクセス状況を割り出して、"パンジステーク"の効果範囲を増やしたいんだが、問題ないね?
【グラウム】:地球にある諜報組織からのちょっかいってことにして、ハッキングできるように準備するぞー
三様の発言を目に留め、ソールは即座に返信した。
【ソール】:承認する。各自、為すべきことを成せ。
久々の大規模な作戦行動に、ソールの気分は図らずも高揚していた。
それぞれの力を有機的に結合させるという行為は、群れで行動することなどないドラゴンにさえ、濃厚な上酒にも似た快悦を覚えさせた。
「私も、主様ばかりを謗れない、といったところか」
苦笑するソールの目の前で、着々と準備がつみあがっていく。
沈黙し、ひたすらブラウザの更新を続ける主の姿を目に留めながら、赤き小竜はじっとその時を待ち続けた。
パソコンは、屋敷に設けられた書斎に設置されていた。
大きな机に重厚な書棚、チェス台の乗ったテーブルや、外につながったテラスなど、普段の生活ではお目にかかれないもので構成されている。
執事が机の端を軽く叩くと、キーボードとモニターが競りあがってくる。どこまでも豪華でかっこいい設備に目を奪われながらも、気を引きしめて席に着く。
「一つ聞いてもいいか?」
目の前で輝くモニターを見つめ、フィーは執事に問いかけた。
「この回線、やっぱり上で監視してるのか?」
「城内のあらゆるデスクトップ、ならびにスマートフォンなどの通信機器は、情報解析室で統括、監視されております」
「執事さんの権限で、閲覧禁止にはできないかな」
少し悲しげに、羊は首を横に振った。
「内部ネットワークのみのやり取りでしたら、この館内への干渉を禁じることも可能でございますが、外部へアクセスとなれば、それは"館外"として扱われますので」
「そっか……」
おそらく、向こうと自由に喋ることはほぼ無理だろう。ほんの数回、言葉を交わせるかどうかだ。頻繁にやり取りをするなら、館の回線を切断してくるはず。
限りなく情報を圧縮し、できる限り内部の様子を伝える必要がある。
「……んー……どうすっかなぁ……」
「何かお困りでしょうか? それとも、席を外させていただきましょうか」
「悪いけど、そこに居てくれるかな。俺一人じゃ、いいアイデアが浮かびそうも無い」
執事は、パソコンのことは分かるのだろうか。いや、ここまで有能な存在なら、おそらく自分以上に知識は豊富だろう。
「秘密の情報をやり取りする方法。接続時間はすごく短くて、サーバ管理してる奴から見られないようにする、って言われたら、執事さんはどうする?」
「リアルタイム、双方向、という条件を除いていただければ、いくらか思いつくことはございますが」
無言で先を促すと、執事はブラウザを開いた。
「まず、現在のログイン状況ですが、わたくしのIDを使っております。わたくしも情報検索やネット通販を利用しておりますもので、別段おかしなことではございません」
「異世界からネット通販って、どこのラノベだよ」
「しばらく、馴染みのサイトをめぐり、管理者への偽装を施しつつ、方法をご説明させていただきます」
ブラウザにはフィーも良く知っている通販サイトが映し出され、調味料や食材の項目が展開された。
「先方の連絡先、連絡方法などは?」
「とりあえず、上のパソコンから、某掲示板に書き込みしといた。目ざといおっさんだから、たぶん気づいてると思う」
「その書き込みを先方がご覧になっていると仮定すれば、同じ場所に圧縮情報を掲示し、それを手にとっていただけるようにするのが、上策でしょう」
そう言いつつ、執事はブラウザに新しいタブを開き、見知らぬサイトを表示した。
「メールで送るには大きすぎるデータを保管、二十四時間引き出せるようにする"データ転送サービス"です。特定の人物にのみ開けるよう、パスワードの設定を行うことも可能でございます」
「なんで、こんなの使ってんの?」
「地球に配属された方々と、情報のやり取りがございますので。時には大きな画像ファイルなども転送していただいております」
来歴を確認すると、現地に居る連中から送られたらしいファイルが、いくつも並んでいる。送信可能な容量も申し分は無いようだった。
「とはいえ、先方にパスワードを知らせる方法は、フィアクゥル様にお考えいただく他はございませんが……」
「ああ、それなら平気だよ。適当にやってもおっさんなら読み取ってくれるから」
「送信内容が整いましたら、このサービスをお使いください。不審に思われますので、一旦パソコンの電源は落とさせていただきます」
執事は部屋の隅からノートパソコンを探し出し、フィーに手渡した。
「報告文章などは、こちらでおまとめください。スタンドアローンでLANにも対応しておりませんので、外部の監視を受ける危険性もございません」
「作文とか苦手なんだけど……なんとかやるしかないか」
「文章校正には多少覚えがございますので、お手伝いさせていただくことも可能ですが」
にこやかに提案する執事に、フィーは感嘆を漏らした。
何から何まで有能すぎる、彼にできないことは無いのかもしれない。
「……執事さんってすごいなー、あこがれちゃうなー」
「ここは謙虚に"それほどでもない"と、お返しするべき場面でしょうか」
「そんなネタまで拾えんのかよ」
行き届きすぎた有能さに苦笑しつつ、フィーは必要な情報を盛り込むべく、テキストエディタと悪戦苦闘を始めた。