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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~archenemy編~
102/256

9、機知の戦い

 姿を消したこちらを見て、魔物の集団が一斉にどよめきをあげる。それでも、魔王の声は冷静に指示を飛ばした。

「仔竜はお前達の中にまぎれ、脱出するつもりだ! "魔法の目"による探査を行え! 敵の背は小さい、足元を抜けられぬよう、互いに密集しろ!」

 あっという間に魔物たちの足が閉じられ、お互いの距離を詰めて隙間を生める。本棚の間を肉の壁が埋めて、通路が塞がれてしまう。

『"光韻の理法により、開け正眼。我が双瞳は茂み穿つ狼の如く、其の一瞥は無窮の空往く鷹の目の如く"』

 一斉に唱えられる詠唱に、大気が火花のように沸き立つ。物理的な感触さえ伴うような視覚の探査が、フィーの皮膚をなぶった。

「そこだ! 中央から右二列目の通路!」

 誰かの叫びがこちらの居場所を指摘し、足音が地鳴りとなって押し寄せてくる。

 背後には魔王、目の前には魔物の群れ。

 フィーは歯を食いしばり、手近な棚に掛けられたはしごに飛びついた。

「逃がすな! はしごごと棚から引き摺り下ろ――」

「棚を壊すのは許さん! 本もだ! 一冊たりとも損壊するな!」

 追跡者達がぎょっとしたように動きを止め、その間にフィーは手の届かない高みまで一気に駆け上った。

「この場にある資料は、俺の財貨そのもの。それを損なう者は、その命を以ってあがないとさせるぞ!」

 棚の上に姿を現したフィーを眺め、魔王は笑っていた。

 酔狂。

 その言葉の意味を、仔竜は初めて理解した気がした。この男は、面白いと思えば効率など平然と切って捨てみせるのだ。

「ルールは制定された。あとはそれに則り、楽しく遊ぼうではないか」

「余裕ぶっこきやがって! 油断してると足元すくわれるぜ!」

「油断?」

 魔王は肩をすくめ、出口へ向かって歩き出す。その側に付き従う女と、そいつに拘束されたベーデの姿。

「これは現状に対する、正当な評価だ。お前を捕縛するのに、器物の損壊を伴うのでは対価が釣り合わんからな」

「俺の価値は本以下ってことかよ!」

「そういうことだ。後は貴様らに任せる、吉報を期待しているぞ」

「ま、待ちやがれ!」

 魔王がガラス戸の向こうへ去り、女に拘束されたベーデが、憎しみと悲哀の入り混じった視線を残して引っ立てられていく。

 シェートのために、もう少し足止めがしたかったが、今の自分ではこれが限界だ。

 神器の効果が消えて、姿が見えるようになったこちらを目指し、ゴブリンたちがはしごを上り始める。

 棚自体の幅は狭く、一度に通れるゴブリンの数は一人ぐらいだ。両脇の棚に飛び移るのは可能だが、縦方向に飛ぶには間が開きすぎている。

「こんなとき、空でも飛べたら楽なんだけどなぁ」

 最初の一人が棚の上によじ登り、じりじりと距離を詰めてきた。猫のように身をかがめて、両腕を差し伸べる魔物。

 飛び降りるには高すぎる、残る逃げ場は、一つ。

 フィーは天板をつかみ、一段下の棚に飛び込んだ。上の方には書籍の数が少ない。十分自分なら通路代わりに利用できる。

「ま、待てっ!」

 あわてたゴブリンが次々と手を突っ込んでくるが、棚の背板に体を押し付けるように必死にかわす。

「おい! はしごもってこい! そこらにあるの全部!」

 下で群がっていた連中が、一斉にはしごを取りに走る。このままでは、すぐに追い詰められて捕まってしまう。

「何かないのか、何かっ」

 上ずった叫びをもらして、フィーは必死にあたりを見回した。

 姿消しをしたところで、敵の目をごまかすぐらいしか使えない。この場にあるものといえば、立派な装丁を施された数冊の本だけ。

「――そう、か!」

 しつこく突っ込まれるゴブリンの手をよけると、一冊の本に飛びついた。

「動くな! 動くとこの本、ばらばらに食いちぎるぞ!」

 恫喝が、騒がしい資料室に響き渡る。

 それまで必死にうごめいていた魔物たちが、息を詰めてその場に硬直した。

「魔王が言ってたろ! ここの本も、棚も、ぶっ壊したら殺すって! それって、俺がやったことも、お前らの責任ってことだからな!」

「ふ……ふざけるな! 破ったのお前なら、お前が悪いだけだ!」

 ごもっとも。だけどそんな話、あの魔王に通じるわけがない。

「お前らに任せたって言ってたろ! 要するに、お前らなら、何も傷つけずに俺を捕まえられるって、そんなの当たり前だって言ったんだよ!」

 はったり同然の言葉。だが、あいつなら確実にそう考えているだろう。そして、こいつらだって、それを分かっているはずだ。

「一冊ごとに、誰かが必ずぶっ殺されるぞ。くじ引きとか、ルーレットとか……誰かの推薦で、死ぬ奴を決めるとかな!」

 見る見るうちに、ゴブリンたちの顔が青ざめていく。その様子に、フィーは少しだけ連中を気の毒に思った。たぶん、同じようなことが何度かあったんだろう。

「死にたくなかったら道空けろ! でないと」

 大きく本を開き、ぐっと力を込める。途端に、無数の手が戸棚から引っ込み、はしごを上りかけた奴が、その場で硬直する。

「早くどけ! 俺が降りるまで誰も近づくな! 早くしないと……」

「わ、分かったっ!」

 安全を確保すると、フィーは小脇に小さめの本を抱えなおし、はしごに片手と片足をかけた。そのまま手足を離し、一段ずつ飛び跳ねるように降りていく。

 ここまではいい。それでも床に下りたら、魔物たちは一斉に飛び掛って、こっちを取り押さえにかかるだろう。

 逃げ道は一つ、透明なガラス壁に設けられたドアだけだ。厚手のガラスは、こんな小さな体が突進したところで砕けない。ここから出るには、あいつらが思いもよらない方法を使うしかない。

 視線が見える範囲の全てをそうざらえする。

 ここは自分の世界の図書館に似ていた。本棚と高い書棚から物を取るはしご、脚立に、壁際に置かれた椅子、係員が返却された本を載せて運ぶための台車が置かれている。

 緊張で乾いた、ひり付く喉を潤すために、唾を飲み込んだ。

 台車は人垣の向こう、壁際によけられたままだ。

 やるなら今しかない。

「おい! お前ら!」

 はしごの中途で動きを止めると、フィーは群集に絶叫した。

「しっかり、受け止めろよ!」

 片手に持った本を宙を投げる。同時に、仔竜の青い体が群集に向かって飛んだ。

「"透解"!」

 決して壊してはいけない本と、空中で姿を消した仔竜。魔物たちの視線が、驚愕と戸惑いであさっての方向に散乱する。

「ぬあああああっ!」

 フィーの手が、真向かいの本棚の横板をつかみ、一気に体を引き寄せてしがみつく。そこから更に、棚を蹴って大きくジャンプした。

(頼むっ、ちょっとでも助けになってくれぇっ!)

 滞空時間が延びるよう、翼を広げまっしぐらに台車へ飛翔する。小さな体が群集の上を飛び越え、騒音と共に台車の上に墜落した。

「ぐはっ! くっ……そおおおおおっ!」

 台車にしがみつき、近くの壁を大きく蹴る。仔竜を乗せた台車は、意外な軽やかさで本棚の間を走り出した。

「どっ、どけええええっ!」

 必死に本棚や壁を蹴り、台車のスピードを上げていく。ようやく事態に気づいた連中が後を追ってくるが、フィーの蹴りで揺らいだ本棚から、無数の本が床に降り注いだ。

「早く止めろ! 本が、本棚が壊される!」

 散乱した本を拾うものと、こちらを追いかけるものとで数が分散し、辺りが一気に騒がしくなる。しかも、こちらの透明化を受けた台車は、魔法の目でなくては確認できない。

「このまま……一気にっ」

 あっという間に台車が入り口方面のガラス壁に近づく。疾走する台車に併せるように、ゴブリンたちが終点へ先回りしていく。

 これではまだ足りない。台車で素早く移動できても、集団で押しつぶされれば苦もなく止められてしまう。それでも、連中の視線が逸れている今、脱出の機はこのタイミング以外ありえない。

 覚悟を決めると、フィーは台車の上から近くに本棚に飛び移った。

 コントロールする者のいなくなった質量が、ガラス壁にぶつかって激しく横転する。

「今だ! 取り押さえろ!」

 どっと集まるゴブリンたちを尻目に、必死に本棚をよじ登る。その視界の端で、激突によって薄くひびの入ったガラスが見えた。

 あの強度なら、それなりの勢いで硬いものをぶつければ、壊せるかもしれない。

 台車はもう使えない、本を投げつけたぐらいでは力が足りない。

 フィーは入り口近くの本棚、その端に掛けられたはしごに近づいた。横にスライドするタイプで、金属のフックで軽く引っかかっているだけだ。

「……やるしか、ないか」

 もう、後には引けない。

 フックを外し、自分の背丈と同じぐらいの大判書籍を半開きにすると、はしごの一番上の部分に設置する。

 はしごの片足を動かし、正面の扉に向けると、フィーは盾代わりに構えた書籍に、思い切り体当たりした。

「どけええええええええええええええっ!」

 はしごが前のめりになって倒れ、ガラス壁へ落下して行く。

 急激な加速に、仔竜の全神経が悲鳴を上げる。

 ゴブリンたちが絶叫して逃げ散り――。

「うがああああああああっ!」

 ガラスが粉々に砕け、フィーの体が地面に叩きつけられた。衝撃で視界が歪み、細かな光が水滴のように流れ去る。

「ぐはっ!」

 そのまま横転、近くの壁にぶち当たって、さらに意識が遠のく。

「と、"透解"っ!」

 必死に姿を消し、同時によろめきながら立ち上がる。ひどい痛みと吐き気で、まともに立てているのかさえ分からない。

 それでも、資料室は何とか脱出できた。

「き、緊急警報! 直ちに研究所、食堂、喫茶室の通路側出口を施錠! 全職員は逃げた仔竜の捜索に当たれ!」

 希望を打ち砕く叫びに、フィーは顔をしかめた。本のおかげで致命的な傷はないが、頭痛と打撲でまともに動くのも難しい。

 それでも今逃げないと、姿の消えているうちに。

 走り回る職員の避けながら、フィーは必死に考えた。

 正門の出入り口は、最初から通れないと分かっていた。ついさっきの命令で、食堂と喫茶室から外に出ることもできなくなった。

 姿消しはあと数分しか持たない。

 どこかのブースに隠れるか? 時間が経てば敵の統制が取れて、しらみつぶしに探されたら終わりだ。

 機材を壊して騒ぎを大きくする? 一人でできる混乱程度じゃ意味はない。

 混乱する頭と裏腹に、視界がだんだん戻ってくる。

 今、自分がいるのは、資料室と研究所の中間、無数のソファーが置かれた休憩所のような場所だ。ガラス壁で仕切られた先には、喫茶室と食堂が見える。

 どちらの部屋も人は少なく、一気に駆け込めば妨害なく侵入できるだろう。

 逃げ込むとすればどっちだ。食堂か、喫茶室か。

「"魔法の目"が使えるものはすぐに使え! 絶対に逃がすな!」

 痛む体に鞭打つと、フィーは走り出した。

 次第に仕切り壁が視界に広がり、二つの入り口が見えてくる。

 右の喫茶室か、左の食堂か。

 その時、フィーの視線が最後の希望に吸い寄せられた。後は、あれがうまく機能することを祈るだけだ。

「あそこだ! 喫茶室の方に向かってるぞ!」

 ゴブリンの叫びと同時に、透明化が切れて、自分の姿があらわになる。

「逃がすな! 全員で囲め!」

 勝負は一瞬、そのままフィーは喫茶室に駆け込むと、

「"透解"!」

 もう一度姿を消し、くるりと反転した。

 殺到する魔物たちを尻目に、そのまま食堂に入り込む。足音をしのばせ、机の下を通って、配膳用のカウンターへ近づく。

 調理室の中には誰の姿もなく、辺りにはうまそうな匂いが漂っている。そのいくつかは自分が良く知っているものだった。

「ま、まさか、ゴブリンがカレーとか食うのか?」

 大きな調理台、格子がはめられた排水溝、湿った水とわずかなかび臭さ、そんな厨房の奥へ抜けると、それはあった。

 できた食事を別の階に運ぶエレベーター。背伸びをして取っ手を押し上げたが、カーゴスペースが来ていないせいか、ロックが掛かっている。

 素早く辺りを見回し、適当な鍋をひっくり返してその上に立つと、インターフォンを押した。

「おい! 今すぐエレベーターを、こっちによこしてくれ!」

「……どうかなさったのですか?」

「捕虜が脱走して、調理場に火をつけたんだ! 大事なものを移動させたいから、すぐに頼む!」

 こんなずさんな嘘で上手く行くだろうか。いや、ダメなら本当に、ここを火事にしてでも脱出するしかない。

「消火活動はどうなっていますか?」

「今やってる! それでも……レシピとか燃えたらダメだろ!」

 ダメなのか、やっぱりこんな発言じゃ信じてもらえないのか。

 だが、金属製の扉の向こうで、確かにモーターが動く音が聞こえた。

「扉を閉めたらすぐに動かしてくれ!」

「分かりました。そちらは大分、騒がしいようですね」

「そ、そうなんだよ! だから早く!」

 食堂の入り口で、こちらを指差し叫ぶ魔物が見える。百名近い姿が、椅子やテーブルを蹴散らし、のんきに食事をしていた連中を跳ね飛ばして迫ってきた。

 チン、と、短い音と主にカーゴが到着した音。

「すぐに出してくれ!」

 中に滑り込むと、フィーは勢いよく扉を閉める。

「まちやがれぇっ!」

 わずかに遅れ、くぐもった怒声が迫ってくる。

 誰かの手が勢いよく取っ手を掴んだ瞬間。

 エレベーターは静かに、下に向かって移動を開始した。

「っはぁ……」

 急激に騒音が遠ざかり、フィーはどっとため息をついた。とにかく逃げられた、あそこからは。

 しかし、出口には別のゴブリンたちが待ち構えているだろう。いきなり姿を消して移動しても良いが、一瞬ぐらいは場の状況を確認しておきたい。

 相手から掴みかかられないよう、背中を奥の壁に押し付けると、フィーは到着するのを待った。

 わずかな振動と共にカーゴスペースが止まり、扉が開かれる。

「おや」

 その向こうで待っていた者は、フィーの想像を遥かに超えていた。

「困りますね。このエレベーターは、生き物を運ぶようには、できていないのですが」

 黒くもこもこした巻き毛と、伸びた鼻面、側頭部でぐるりと巻いた二本の角。

 身につけた燕尾服に黒い棒タイ、糊の利いた白いシャツをアクセントにしたそいつは、もごもごとマズルを動かした。

「なにやら事情がおありのようですね。とりあえず、出てきてくださいませんか」

 そこは、やはり調理場のようだった。ただし、上の食堂っぽいものではなく、どこかのお屋敷のような、レンガでできた一室。

「あんた……一体、なんなんだ?」

 二本の足で立った真っ黒な"羊"は、慇懃に会釈をしてみせた。

「私はこの城の"執事"でございます。以後お見知りおきを」

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