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かみがみ〜最も弱き反逆者〜  作者: 真上犬太
かみがみ~最も弱き反逆者~
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1、勇ましきものと人の言う

 シェートは、茂みの向こうを透かし見るようにして、獲物を見つめていた。


 緑なす草原に、長耳を揺らして口を動かすウサギ。

 小さな口を小刻みに動かし、柔らかな青物を一心に食んでいる。長い冬枯れの時期はすでに過ぎ、季節は青く萌える春。

 暖かな日差しの中で、心にほんの少しだけ恵みをむさぼるのに集中する。その油断こそが、狩りの絶好のタイミングだ。


 口元を笑みに歪ませると、素早く短弓を引き抜き、矢筒から粗末な木矢を一本取り出して番えた。

 水平に弓を倒し、左手を押し出しながら右肘を体に沿わせて弦を引く。長い口吻マズルの下に矢柄をあてがい、黒く濡れた鼻先に獲物を収める。


 引き絞り、体を充実させる。

 力がみなぎり、矢の先に己の全てが収束していく。

 異変を感じたのか、ウサギがふらりと耳を動かし、わずかに前傾姿勢をとる。

 その瞬間、ひょう、と風を切る音が鳴り――


「キーッ」


 短い悲鳴を上げ、獲物は草地に転がった。

 駆け寄ると、シェートはウサギの足を掴んだ。獲物は大きく、重かった。毛並みも見事だし、締りのいい肉をしている。

 年を越した若い奴だろう。品定めを済ませると、腰に結わえてあった蔓で素早く縛り上げ、背中に背負う。


「これで、よし」


 これで村の仲間達にも言い訳が立つ。草地の中に立ち、シェートはほっと息をついた。

 今日は一人で狩りに出ると言っていたから、このぐらいの獲物を持って帰れば十分だろう。村の誰もが今日の『本当の目的』を知っていたとしても、言い訳ぐらいはさせて欲しかった。


 道らしい道もない草原を、シェートはのんびりと歩き出す。

 吹き渡る風に銀灰色の毛をなびかせ、上機嫌に緩んだ顔は犬に似ていた。服は草で編んだぼろ布のようで、粗末な道具袋と矢筒、短弓と山刀を差している。


 ふと、帯代わりの蔓に引っかかった小袋を取り出し、中身を取り出した。

 摘み上げられ、晴れ渡った空に掲げられたそれは、同じぐらい蒼く透き通った輝石。

 二つ向こうの山の奥、人間達もめったに足を踏み入れない沢。その水底に時々見つかるこの石は、ルーとのつがいの儀式のためにわざわざ取りに行ったものだ。


 儀式と言っても、そんなに難しいことはしない。番となる雄が、雌に対して適当なものを与えるだけ。それを雌が受け取って晴れて番になれる。

 それでもシェートは、一番のものをルーに与えたかった。


 ルーとは長い付き合いだ。それこそ子供のころから知っている。かけっこや、魚獲り、おもちゃの弓で鳥を射る、そんな遊びでいつも一番だったルー。

 彼女が長の娘であり、ゆくゆくは良い雄を選んで、番わされることになると気が付くまで、いや気が付いた後でさえも、シェートは彼女と一緒にいた。

 そして、これからもずっと一緒にいるために、走るのも、狩も、同じかそれ以上になるために励んだ。


 いつの間にか、自分は村一番の狩人と呼ばれるようになり、ルーも自分と一緒になることを望んでくれるようになった。

 大好きなルー。茶色のかわいい、俺の和毛にこげ


「……ん?」


 甘い想像にひたっていたシェートは、いつのまにか姿勢を低くしていた。二つの耳がひくひくと動く。

 音が、聞こえた。

 大きな、何か不吉な気持ちを掻き立てる、巨大な騒音。

 草原の向こうから風が運んでくるのは、きな臭さ。

 黒くたなびく煙が、草原の向こうに雷雲のように沸き立っていた。その根元の方からほとばしるのは、激しく何かが燃え上がる閃き。


「……!」


 弾かれたように走り出す。

 広くもない草原を抜け、シェートはその淵に立つ。

 足下の粗い岩肌の斜面、そのはるか下に自分達の村はあった。


「あ……っ!」


 狭い川を目の前に、切り立つ崖を背にした、狭い土地。そこには粗末な掛け小屋が立ち並び、集会をするために作られた小さな櫓が立っている。

 その全てが、燃えていた。

 距離を隔て、毛皮を通しても分かるほどの熱気と、それに煽られて舞い上がる黒煙。

 麓の村に、長いものがいくつも転がっている。

 それが何であるか気が付くのと同時に、シェートは崖を勢い良く滑り降りていた。


「……ルー!」


 広がっていくシェートの視界に、仲間の骸が嫌になるほどくっきりと映り込んだ。 



 まるで鍛冶場のような熱気。全てが燃え盛り、吼え脅すような絶叫を上げている。

 炎が踊り、天へ伸び、辺りを黒い煙で包み込み始めていた。


「ルー! どこだ!」

「シェート? シェートか!」


 声に振り返ると、こちらを見つけたカイが走りよってきた。


「カイ! だれが襲ってきた!? みんなは!? ルーは!」


 茶色の毛並みをあちこち焦がしたカイは、恐怖に顔を歪めて首を振る。


「知らない! いきなり炎が弾けて村が燃えた! みんな逃げた! お前も早く!」

「わかった!」


 走り去る同族を見送る暇もなくシェートも走り出す。

 襲撃があったときの取り決め。

 全ての家財、食料、金品を家の外に放り出す。

 家に火を掛け、混乱にまぎれて女子供を隠れ家に逃がす。

 戦えるものは襲撃者をひきつけ、それを見届けてから自分が逃げる。

 これだけやっておけば、一族が半分以下になることは無い。


 小銭にも貪婪な目を光らせるゴブリンや、食い気の先走るオークの足は止められるし、体の大きなオーガや皮膚の厚いトロールにも、火という暴力を背にすればいくらか持ちこたえられる。

 相手が人間なら話はもっと簡単だ。やれることをすべてやったら、別々の方向に逃げ走り、峻険な岩山に入り込めばいい。


 ずんっ、と腹に響く轟音がシェートの物思いを打ち破った。

 何かがおかしい。家が燃えている、それはいい。しかし燃え方が不自然だ。

 逃げる時の取り決めでは家の奥、柱の辺りに火を掛けて、燃え広がるまでの時間を稼ぐようにするはず。

 火はほぼ例外なく、屋根から燃えていた。つまり外の攻撃で行われたということ。


「こっちはだめだ! 燃えて通れない!」

「ふもとの方角がひどい! 川へ!」


 燃え盛る炎の壁のどこからか、避難を導く声がする。だが、隠れ家は山腹の隠し洞窟にある。川に行ったのでは遠くなるばかりだ。


「だめだ! 川には行くな! 火をよけて山へ!」

「山は無理だ! 火で道がふさがってる! いったん川へ……」


 振り返ると、自分が来た方向が真っ赤に燃えていた。家どころか、何もない道にすら壁が出来ている。


「火の……壁?」


 自分で口にした言葉に、灼熱の中にさらされたシェートの背骨が凍える。ずっと昔に聞いた、魔法を使う連中の話。

 水や風を操り、雷を降らせ、炎を自在に躍らせる奴らが来ている。


「川行くな! 罠だ!」


 逃げ道を塞ぎ、包囲を一箇所だけ緩ませておく。鹿狩りと同じだ、この襲撃はそういうことを考えられる奴の立てた計画だ。


「罠だ! 川はだめだ!」


 叫び、走り出す。

 でもどうすればいい、川はだめだと言っても、この火が魔法の仕業なら、自分達にはどうしようもない。


「だ、だめ……けふっ……川はっ……」


 世界が熱く煮えたぎっている。突き刺すような光の乱舞に目が眩む。

 いつの間にか炎の包囲がそそり立ち、世界を圧倒していた。赤い壁と黒い天幕に覆われて、現実感が喪失されていく。


「みんな……川は……」


 ぼんやりした頭に乱れた思考が浮かぶ。火を越えるには水がいる、でも川はだめだ。

 それならどうすればいい。

 必死にさまよわせた視線に、素焼きの甕が映った。


「み……みず」


 まだ少し残っているかもしれない。あれをかぶって外に出れば。

 そう思い歩み寄った甕には、誰かが取りすがっていた。その周りに溢れかえった水。


「……カイ?」


 たぶん、それが誰だかわかったのは、幼馴染だったからだろう。

 うつぶせに倒れた犬のような姿、その背中は斜めに断ち割られ、背骨どころか内臓すらはみ出るほどに砕けていた。

 一撃を喰らった時の衝撃が大きすぎたのだろう、目玉が飛び出、舌がだらりと垂れ下がっている。水だと思ったのは、流れ出た血。


 肉塊になった幼馴染のすぐ側に、文字通り真っ二つに裂かれた死体が転がっている。

 木炭の塊と化した小屋の側に別の死体。

 なめした皮を掛けておく物干し台が砕け、その下にも転がる死体。

 煮炊きをする共同の釜場に、併設された鍛冶場に、おびただしい量の死体が倒れ伏す。

 皆悉く、殺しの限りを尽くされていた。


 四肢を切り飛ばされた者がいる。口吻を潰された者がいる。

 いちどきにやったのか、首を飛ばされた死体が累々と横たわったところもあり、何かの魔法で焼かれ、穴だらけになった死体も多くあった。


 逃げるところに追いすがられ、無造作に背中を突き通された死体もあった。そういうやり口をされたものは、大抵子供を抱いて逃げようとした女達。


「あ……」


 ぶるり、と体が震えた。

 狭い村の見知った顔の多くが、この場で殺されていた。

 しかし、これだけの惨状を展開しながら、足跡が驚くほど少ない。自分達を駆逐するために人間が押し寄せたのなら、魔法使いだけでなく鎧で身を固めたものも連れてきているはず。

 だが、それらしい足跡は、たった四つしかない。


(一体……なんだ、これは)


 混乱して固まったシェートの傍らで、家がめきめきと音を立てて燃え崩れた。


「うあああああっ!」


 柱が砕ける、火の粉が羽虫の波のようにシェートに襲い掛かる。


「うわ、うわあっ」


 とにかく、どこかへ逃げないと。

 必死に火を払い落とし、そのまま駆け出そうとした。


「や、やめろっ、近づくな!」


 炎の幕を貫いた声に、シェートの体が止まった。

 聞き間違えようもないあの声。


「ルー!」


 叫んで走り出した胸の中に、安堵と恐怖がでたらめに流れ込む。

 まだ生きていた。しかし、ルーの叫びの中に満ちていたのは、直面した死への恐怖。

 何かに襲われている、それが何であれルーには勝ち目がないのだ。

 なぜなら自分達は『世界で一番弱い』と定められたものだから。


「ルーッ!」


 壁が自分とルーとを隔て、目の前で盛んに赤い手を振り上げる。

 それでも、シェートは走った。

 火山のように燃え上がる家々、その一部にわずかな隙が見える。自分ひとり通れそうな隘路。顔を腕で守り、体を固めて、シェートは勢い良く飛び込んだ。


「あつうっ!」


 自分の右手に燃え移った火が毛皮を、皮膚を焼き焦がす。赤い舌があっという間に腕に広がり体を舐めようと版図を広げる。


「くううああああああっ!」


 それを無理矢理体に押し付けた。じゅうっ、と嫌な音が耳をいたぶるが、痛みも苦しさもかみ殺して走る。


「ルー!」


 声が聞こえない。何度呼んでも返事がこない。

 それでも方角はあっているはず、そう信じて必死に突き進む。いつ終わるとも知れない炎のトンネルを、毛皮を、尻尾を焦がして走る。

 出し抜けに、世界が冷えた。


「え……?」


 今までの熱さが嘘のように、そこはあらゆる燃焼が遠ざけられていた。炎は周りを取り囲んでいるが、決して一定の距離以上は近づいてこない。

 そしてシェートは、そこが村長の家の前であることに気が付いた。

 他のものより少し立派だが、粗末としか言いようのないそれ。

 その周囲に、弓や山刀を手に倒れた仲間達が転がっていた。

 みんな村ではそれなりに『強い』といわれていた連中。


「う……」


 むせ返るような血の臭いのする場所に立つ、四つの影。その一団で一番背の低いものでも、自分の頭二つ分は大きかった。

 それぞれが手に武器を持ち、何かを囲んでいた。

 彼らの前で倒れ付すの、血まみれの毛皮の塊二つ。

 そのうち一つを見たとき、シェートは絶叫と共に弓を引き絞っていた。


「おまえら! よくもルーを!」


 全ての視線が、こちらを向いた。


「あれ、まだいたのか」 


 そう言ったのは、その中でも一番若そうな『人間』だった。

 蒼い輝石を固めて創ったような鎧。装飾のために小さな宝石がいくつもあしらわれ、金で文様が描かれている。手甲もブーツも同じ意匠で、たった今磨き上げられたかのような光沢を放っている。

 片手に携えているのは一振りの長剣。血溝にあたる部分に象嵌が為されており、白刃には血の曇りすら残っていない。

 短めの髪の毛は黒く、瞳の色もそれに近い。顔は平板で肌は白というより、薄い黄色とでもいうべき色合いだ。


「逃げ遅れた仲間を探しに来た、といったところでしょうな」


 その後ろから、鉄の塊のような鎧が進み出た。兜をかぶっているために表情は分からないが、太い声と紋章を施しただけの装甲から、どこかの騎士だと分かる。


「もっけの幸いです。ここで殺しましょう」

「残ったのはあいつだけみたいだし、どう見ても死に掛けだけど?」

「慈悲をかける必要はありません。あれは魔物です」


 皮鎧にケープのようなもので身を飾った女が、そういい捨てる。白金の長髪に細面、鎧の上からでも分かる豊満な胸と、片手に持った銀製らしい法杖。人間の雄の目を惹きつけるだろう容姿のそいつは、嫌そうに眉間に皺を寄せていた。


「一匹でも取り残せば禍根になります。第一、生きていても害悪になるだけの存在、殺すことこそが御心であり、慈悲です」

「魔物に情けなんて、あんた、時々不思議な思考をするよね。それもそっちの世界の常識って奴?」


 結い上げられた赤髪に長いマント、皮の旅行着に長い杖。いかにも旅の魔法使いといった風情の女が付け加える。金髪に比べてこちらの胸は控えめに見えた。


「いや、仮想とはいえモンスター散々狩ってるから、今更そんなこと言うのもなんだけどさ。生きて喋ってるの見ると、ちょっとな」

「では私達で片をつけますか?」

「いや」


 若い男は肩を竦め、剣を構えて、笑った。


「経験値稼ぎはゲームの基本だから」


 弓を引き絞ったまま、シェートはうろたえていた。

 目の前の人間達は、自分のことなど脅威とも思わずに会話をしている。それどころか、青年は防御の構えすらせずに、無造作に歩み寄り始めた。

 確かに自分達は弱い、でもあんな風に兜も付けず、むき出しの頭や首をさらしてくるなんて。


「く、来るな!」

「無駄な抵抗はしない方がいいぜ。苦しむだけだから」

「来るなぁっ!」


 ゆんっ!

 弦が唸り、木矢が唸りを上げる。狙いは間違いなく男の眉間に――


「おっ、あっぶねぇ」


 刺さらなかった。

 何か、堅い何かに阻まれ、力なく転がる一撃。


「最弱って割には、結構やるよなぁ」

「コボルトといえど魔物は魔物。侮らないのが肝要です」


 世間話の合間に、彼我の距離が詰まる。

 身につけた具足の重さも感じさせない、軽い足取りで。


「お……お前……いったい、なんなんだ!?」


 目の前に立ちふさがる恐怖に、膝がくず折れる。

 尻尾が萎えて地面に伏した。

 男の股の向こうに転がる、血袋になった最愛の者すら目に入れられないまま、コボルト族の青年シェートは絶望を見上げる。


「俺の名前は逸見浩二いつみこうじ


 鳥のように軽やかに、切っ先が舞い上がる。


「世界を滅ぼす魔王を倒すために、この世界に呼ばれた勇者だ」


 そして、刃は振り下ろされた。


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ヒャッハー!汚物は消毒ダァ!!
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