市場調査と言う名の観光
「まあまあ、まずはお店の準備からだね、ミルシア!」
そう言ったひなたに、ミルシアはじとっとした目を向けた。ついさっきまで異世界の街を案内してもらい、この国の毛並み文化や通貨の価値を聞いていたばかりだ。勢いで「ここでお店をやろう」と口にしたものの、実際に何をどう始めるのかと聞かれれば、まだ曖昧なところも多い。
「準備って言っても、お店の中はほとんど揃ってたよね」
もっともな指摘に、ひなたは少しだけ視線をそらした。
「街のことも知らないといけないし。資材とか道具とか、どこで買うのか調べないといけないんだよ」
「それひなたが観光したいだけでしょ」
「……いや、市場調査だよ」
「違う。観光だね」
「市場調査!」
「か・ん・こ・う!!!ね!」
すっぱり言い切られ、ひなたはとうとう笑ってしまった。
「まあ半分くらいはそうかな」
「半分じゃないと思うけど」
呆れたように言いながらも、ミルシアの尻尾は機嫌よさそうに揺れている。
「じゃあ中心街まで行こうよ。あっちはお店もいっぱいあるよ」
そう言って先に立って歩き出すのを、ひな
たも追いかけた。
大通りを進むにつれて、街の雰囲気が少しずつ変わっていく。外れに近かった自分の店の周辺よりも、建物は大きく、看板は立派で、通りを歩く獣人たちの服装にも余裕がある。毛並みもやはり違った。
「この辺りは、さっきの通りより毛並み整ってる人が多いね」
歩きながらそう言うと、ミルシアはすぐにうなずいた。
「中心に近いからだよ。中心街に近づくとお金持ちの人も多いの」
たしかに、前を歩く犬系の獣人は首元まできれいに整い、屋台の前で買い物をしている猫系の獣人も頬まわりの毛がきちんとそろっている。
もちろん全員ではない。よく見れば、耳のあたりだけ乱れている者もいるし、尻尾の毛先が少し広がっている者もいる。けれど、外れの通りより全体的に整っている者が多いのは一目で分かった。
ひなたは歩きながら、つい周囲の毛並みばかり見てしまう自分に気づいた。完全に職業病だ。だがその視点があるからこそ、この国の価値観も見えてくる。
「あれはっ!」
思わず足を止めたのは、通りの角にあった一軒の店を見つけたからだった。建物は他よりひと回り大きく、入口には手入れの行き届いた植木まで置かれている。看板には、堂々とこう書かれていた。
《毛並み整形専門》
「ちょっと見てみたいな……」
ひなたがそうつぶやくと、ミルシアは横から店を見上げた。
「入るの?」
「中がどんな感じか見たいし。やっぱり競合店の調査って大事だから」
「おぉ!今のは市場調査っぽかったよ」
「でしょ?」
少しだけ胸を張って、ひなたは店の入口へ向かった。だが、扉をくぐる前に、きっちりと身なりを整えた店員に止められる。
「お客様、ご予約は?」
低く落ち着いた声だった。
ひなたは一瞬ひるみつつも、笑顔を作っ
た。
「予約はしていませんが、見学だけでもできますか?」
店員は表情ひとつ変えずに答える。
「もちろんです。見学料は銀貨十枚になります」
「え?」
ひなたの口から、間の抜けた声が漏れた。
横のミルシアも、同じ顔で固まっている。
「え?」
二人そろってそんな声を出したものだから、店員の眉がほんの少しだけ動いた。
ひなたは慌てて財布を確かめる。入っているのは、あの変換箱から出てきた銅貨だけだ。銀貨どころか、その足元にも届かない。
「ええと……銅貨じゃ駄目ですか?」
聞きながら、自分でも駄目だろうなと思っていた。案の定、店員はきっぱり言った。
「すみませんが、銅貨は受け取れません。無ければ帰っていただきたい」
そのまま、これ以上取りつく島もなく、ひなたたちは店の外へ出ることになった。
通りに戻ったところで、ひなたは小さく肩を落とした。
「んー、やっぱり銅貨はダメだね」
言ってから、すぐに気づいた。隣でミルシアがぴたりと足を止めている。
じっとこちらを見てくる目が、なんとも言えず痛い。
銅貨一枚は……
それはつまり、ミルシアの毛を変換箱に入れて出てきた金額だ。
「……」
短い沈黙のあと、ミルシアがしょんぼりした声で言った。
「ん!さすがに泣いちゃうよ」
怒鳴るのではなく、本当に少し傷ついたような言い方で、ひなたは慌てた。
「ごめんごめん! そういう意味じゃなくて!」
「わかってるけど!わかってる…けど……」
ミルシアは少し頬を膨らませたまま、ふいと顔をそらした。ひなたはどうしようもなくなって、そっとその頭を撫でる。
「ミルシアの毛はすごくいい毛だよ」
「……ほんと?」
「ほんと。尻尾なんて特に、あれだけ形がきれいに出るのはすごいことだから」
少しだけ考えたあと、ミルシアは小さくうなずいた。
「じゃあいいの」
完全に機嫌が直ったわけではなさそうだが、それでもさっきよりはずっとましな顔になった。ひなたがほっとした、そのときだった。
通りの向こう側から、一団が近づいてくるのが見えた。
周囲の獣人たちより明らかに質のいい服を着ていて、歩き方にも余裕がある。両脇には護衛らしい者がついている。その中心にいるのは、灰色がかった耳と長い尻尾を持つ狼系の獣人だった。
ひなたは、例の貴族かな、と思った。中心街に近いのだから、そういう者がいても不思議ではない。けれど、だからといって自分に関係があるとも思わなかった。少し道をよけて通り過ぎるのを待とうとした、そのとき。
「おい、そこの人」
不意に声が飛んできた。
ひなたは反射的に振り返る。
狼系の獣人の貴族が、まっすぐこちらを見ていた。




