第二話:片付けと、静かな決別
退院した加菜恵が最初に向かったのは、会社だった。
「一身上の都合で、辞めさせていただきます」
デスクの上の小さな観葉植物を片付け、同僚たちの驚きの声を背に、彼女は足早にオフィスを去った。続いて向かったのは、三年過ごした自分のアパート。 段ボールを組み立て、服や本を詰め込んでいく。昨日まで「明日も続くはずだった生活」を、自分の手で解体していく作業は、淡々としていて、どこか現実味がなかった。
荷物を実家へ送り終えた後、加菜恵は駅前の喫茶店で恭子と向かい合った。
恭子はいつものストレートのアイスコーヒーを一口飲み、鋭い視線で加菜恵を射抜いた。
「会社、辞めたってどういうこと? あんなに苦労して入ったデザイン会社じゃない」
「……恭子。驚かないで聞いてね」
加菜恵は、窓から差し込む西日を見つめた。
「私、あの事故のときに、本当は死んでるの。今の私はね、四十九日が終わるまで貸してもらってるだけの時間なのよ」
「……は?」
恭子の顔から表情が消えた。
「冗談なら面白くないわよ。あんた、今ここにいて、息してるじゃない」
「息、してないの。……心臓も、動いてない。でも、動けるの」
加菜恵が静かに告げると、恭子は震える手でグラスを握りしめた。氷がカランと乾いた音を立てる。
「バカじゃないの……。そんなの、認めない。科学的に説明しなさいよ!」
「説明できないから、奇跡なんだと思う。恭子……お願い。私、最後まで普通でいたいの。だから、手伝って」
恭子は顔を伏せ、テーブルに落ちた滴を指でなぞった。彼女の目からこぼれたのが、怒りなのか、悲しみなのか。加菜恵はそれを聞くことができなかった。
次の日の昼下がり、加菜恵は恭子と母校の裏手にある公園で待ち合わせた。 恭子はベンチに深く腰掛け、不機嫌そうに空を見上げていた。
「あのさ。あんたが『死んでる』なんて言い出したから、私、あれから眠れてないんだけど」
「ごめんね、恭子」
「謝るくらいなら、さっさと嘘だって言いなさいよ。……ほら、これ」
恭子が差し出したのは、古い写真の束だった。
そこには、十年前、高校の文化祭で泥だらけになって準備をしていた二人の姿があった。
当時、現実派で冷めていると敬遠されがちだった恭子の隣に、いつも変わらない笑顔で寄り添っていたのが加菜恵だった。
「あんた、言ったじゃない。おばあちゃんになっても、あんたがボケたら私が毒舌で突っ込んであげるって。……あの約束、守ってもらわないと困るのよ」
恭子の声が、震えるのを堪えるように低くなる。
加菜恵は目を閉じ、あの頃の情景を思い出した。
放課後の教室、夕暮れの音楽室、二人で分かち合ったコンビニのアイス。
未来はどこまでも続いていると信じて疑わなかった、あの眩い季節。
「恭子。私、神様がくれたこの時間は、きっとその『おばあちゃんになるまで』の時間を、ぎゅっと凝縮したものなんだと思う」
加菜恵が恭子の肩に手を置くと、恭子はビクリと肩を揺らした。
加菜恵の手のひらからは、もはや生きた人間が持つはずの熱が失われ、ただ春の微風のような不思議な温かさだけが伝わっていた。
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