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五 ~事実~

 あいつのことが、頭から離れなかった。

 あいつは今、怯えている。自分の振りかざした正義に、疑問を抱いている。偉そうにしやがって。

 

 その少しのイラつきを感じる度に、俺はまた、タバコのヤニを肺に流し込む。

自分でこんな組織を作っておいて、あいつは何も分かっていない。自分がやろうとしていることのデカさを。そのためには、必ず犠牲を払わなきゃいけないってことを。

 お前はいつから、自分に神にも等しい力があると思ってやがる。誰の笑顔も奪わずに、たった一つの犠牲も払わずに世界を変えられるなんて、本気で考えてるのか?勘違いもいいところだ。

 綺麗事だけで生きていける時代は、とっくに終わったんだよ。俺たち人間が、それを理解しなくてどうする。

 俺はため息の代わりに、たくさんの煙を口から吐き出した。

 


「失礼します」

 数回のノックの音と同時に、扉が静かに開く音がした。タバコの先を灰皿に擦り付け、俺は回転イスごと振り向く。

 田崎かと思ったが、部屋に入ってきたのはあいつだった。

「お前か。ずいぶん遅かったな」

「エリプスホールディングスを訪ねましたが、津川に関する新しい情報は、何一つ得られませんでした」

「新人捜査官の初仕事だな。その立派な収穫を、田崎に伝えてやれ」

 それだけを伝え、俺は奥にあるいつものデスクに腰を下ろし、アンドロイドたちの修理に必要な部品を、資料にまとめ始める。

 だが背後で、扉が開けられる音はしない。なんとなく察してはいたが、俺の方から口を開くのは癪だった。

 やがて、コールが口を開く。


「一つだけ、収穫がありました。私と、あなたについてです」

「俺?何言ってんだ」

 思った通りだ。あいつは、もう全てを突き止めたらしい。たんと聞かせてもらおうじゃないか。

 パソコンに向かう俺の背後から、コールはゆっくりとしたペースで報告を始めた。

「津川の勤め先だった、エリプスホールディングスというゲーム会社。そこに、修哉の父親である、園村浩介が勤めていたことが分かりました。そして、記憶を失う前の私もあの会社に勤めており、園村浩介の助手として、共に『ミャームの冒険』の開発を行っていたそうです」

「......」

「園村浩介は、今から約一年半前に病死しており、ゲームを完成させることができなかった。しかしその後、助手である私が、代わってゲームを完成させたそうです。そして私の手によって、『ミャームの冒険』は修哉のもとに届けられた。その帰り道に私は、人間のデモ隊による無差別の暴行事件に巻き込まれ、破壊されてしまった」

「......」

 大したもんじゃねえか。新人捜査官にしては、よくできてる。まさかこんな短い時間で、そこまで突き止めるとは。

 あの頃と変わらない、丁寧で鋭い口調っぷりに、俺は懐かしさを感じた。真実を突き止めたら、中身まであの頃に戻ったみたいだ。

 俺は背を向けたまま、あえて突っぱねてみる。

「そんなことを、俺に言ってどうすんだよ」

「エリプスホールディングスの会社内に、園村浩介が使っていた、秘密の作業部屋がありました。そこで、社内で撮影されたと思われる、一枚の写真を発見しました」

「......」

 変な気分だ。取調べ室で、気難しい警官に詰め寄られてる感覚だ。

 だが不思議と、詰め寄ってくるコールの声は、嫌ではない。

 俺はきっと、いつかこうなることを望んでいたんだと思った。

「ここには、三人の人物が映っています。まだご存命だった頃の園村浩介。その助手である、記憶を失う前の私。そして、もう一人は............

 


 金城さん、あなたです」

「......」

 イスごと振り返ると、コールは手に持ったあの写真を、俺の方に突き出していた。

 俺のよく知っている写真だ。

 確かに、よく見覚えのある三人が、そこには映っていた。

「人違いじゃねえのか?」

「写真から詳しく分析した結果、あなたと完全に一致しました。金城さん。あなたは園村浩介と、記憶を失う前の私を知っていたのですね」

 こりゃあもう、言い訳する意味もなさそうだ。

 俺はもう、流れに身を任せることにした。

「以前一度だけ、ソニアから、SAVEに入らないかというお誘いを受けたことがあります。その際、ソニアはこう言っていました。『ある一定の基準に達していると見られるアンドロイドは、見つけ次第連れてくるように言われている』と。それだけではなく、SAVEでは、不当な理由で廃棄されたアンドロイドを」

「何が言いたいんだよ。さっさと言え」

 あまりに焦らされて、思わずこっちから催促してしまった。やっぱり、こういう詰められるのは苦手なのかもしれない。

 いや、それは自分が悪いことをしたって自覚があるからか。

 さっき、田崎にぶつけているつもりだった言葉が、こだまするように自分に帰ってきた。

 部屋を歩いていたコールが、俺の声に足を止める。

「私の推理が正しければ、SAVEがスカウトするアンドロイドの基準というのは、自我が芽生え、心を宿したアンドロイド。自分で考え、行動できる力に目覚めたアンドロイドを、SAVEはスカウトしていたんでしょう。ソニアを見ていて、それがよく分かりました」

「......それで?」

「私は約一年前、人間のデモ隊からの襲撃を受け、破壊されました。では、もしあなたがその時点でSAVEに所属しており、尚且つ、不当な理由で人間に破壊された私が、SAVEに回収されていたとしたら」

「......」

 もはや、コールの言葉に迷いはない。俺は少し俯き、コールの目線から逃げる。

 そして、俺の視界の外で、コールは問いを投げかけた。

 

「金城さん。私は破壊されてから、廃棄場で目を覚ますまでの約一年間............SAVEに所属していたのではありませんか?」

「......根拠はどこだ」

「会社に勤めていた頃の私を知る、谷岡さんという社員の方にお聞きしました。記憶を失う以前の私には、心が芽生えていたと。ならば、SAVEに回収された後で、スカウトを受けた可能性は十分にあります。そして、数日後に会社の方へ退職届が提出されたことにも、説明がつく」

「......」

「私がなぜリセットされ、廃棄場にいたのかは分かりません。ですが、私を修理し、データベースに園村家の住所を残したのは、金城さん、あなたですね」


 すぐに顔をあげようか、迷った。今コールは、どんな顔で俺を見てるだろうか。

 俺は、ただ黙っていた。黙っていることしか、できなかった。

「私がここにいたことを、あなた方はなぜ教えてくれなかったのですか。そして他の捜査員たちは、なぜ私のことを覚えていないのですか。なぜ、私をリセットしたのですか」

「......」

「金城さん!」

 いつにもなく大きなコールの声が、俺の鼓膜を通り越して、心臓に問いかける。

 何があった時も、俺は、転ばぬ先の杖であり続けなきゃいけなかった。そうやって、あのバカの隣に居続けてきた。

 だがそれも、どうやらここまでらしい。

 俺は観念して、オフィスチェアから立ち上がる。


「......あいつを許してやってくれ。元はと言えば、全部俺のせいなんだよ」

「どういう意味ですか?」

 コールから目を逸らしつつ、俺は胸ポケットのタバコの箱を取り出し、残っていた最後の一本を口に咥える。火をつけ、口から吐き出す煙が、宙に消えていった。

 ようやくいつもの感覚を取り戻し、俺はとうとう、体の奥底に封印していた景色を、全て解放した。


「心が芽生えたお前は、ずっと正義感が強かった。園村がいつも言ってたよ。コールは、うちの自慢の社員だって」

「......」

「お前がSAVEに運ばれてきた時、俺はすぐに思った。お前の力があれば、きっと田崎の助けになってやれる。だから俺は、お前を即戦力として田崎に推薦したんだ。お前の記憶から、ゲームがすでに完成して届けられたことも分かっていたからな。でも、あれが俺の、一番の罪だった」

「罪?」

 傷ついて運ばれてきたコールを見た瞬間、物事を的確に判断する冷静さを失ったことを思い出す。

 園村の思いも全て知っていたからこそ、コールの持つ“心”ってやつを成長させてやることしか、俺は頭になかった。それがあいつの、園村の願いだったからだ。

「お前はSAVEの中でも、昇進が早かった。すぐに捜査官としての腕を認められて、お前は田崎のバディとして活動するようになった。俺が推薦したこともあって、田崎はお前を気に入ってたんだよ」

「僕が、田崎さんのバディに?」

 そこまで話すと、話の先が少し見えたのか、コールの目が揺らぎ始めた。

 話す度に、あの頃の景色がまるで昨日のことのように、記憶の一番新しいページに現れる。鬱陶しくて仕方ない。

 胸の中で田崎に侘びながら、何度も忘れようとしたあの日のことを、俺はとうとう口に出した。


「去年の秋頃だった。SAVEの一員だった小山(こやま)って奴が、お前を人質にとって、田崎を呼び出したことがあった」

「私を人質に?」

「新人であるお前の早すぎる昇進を、妬ましく思ったんだとよ」

「そんな......。まるで津川と同じじゃないですか」

「人間なんて所詮そんなもんだ。そしてあの日、田崎は小山の呼び出し通り、一人で向かっちまったんだ」

 

 俺も直接見ていないはずの景色が、今また、俺の目にはっきりと映った。

 

 


   ● ○ ● ○ ● ○

   


   

 紙切れを握りしめ、私はひたすらに木々の間を走った。すっかりと陽が落ちた空は、紺色の天井に、さらに鈍色の雲がかかっているおかげで、星などは一つも見えない。いや、今はそんなものを気にしている余裕もなかった。

 そんな空の下を、先ほどデスクに置いてあった手紙を片手に、私は無心で走った。SAVEの基地を抜け出し、かれこれ約十分。走っていると、静かだった木々の奥から、だんだんと水の流れる音が近づいてくる。私の横をすれ違っていく風たちが、いつもよりやけに騒がしく感じた。


 なぜこんなことになってしまったのか。私は一体、どこで間違えたのか。今はそれしか考えられない。

 やはり、いくら足掻いたところで、人は歴史を繰り返すだけなのだろうか。そうさせないために、ここまでやってきたはずだったのに......。

 私は、私を呪った。

 

 木々に囲まれた空間を抜けると、空が広く見える、開けた場所に出た。

 目の前には、古びた様子の吊り橋がかかっており、十メートルほど下に川が流れている。さっきまでの静寂が嘘のように、川の流れる音が全身に響いてくるようだった。

 そして、その橋の中央に、奴は立っていた。


「待ちくたびれましたよ、田崎さん」

「小山」

 小山は、銃口をしっかりとコールのこめかみに当てたまま、見たこともない不適な笑みを浮かべている。

 コールは手錠で手を拘束されており、膝を地面についている。

「一体どういうつもりだ。なぜこんなことを!」

「手紙にも書いてあったでしょ。今のあんたのやり方が気に入らないんですよ」

 私のデスクに置いてあった手紙。そこには、今の私のやり方が気に入らないこと、コールを人質にとったこと。そして、ここに一人で来るように、とだけ書かれていた。

 私がコールを少し気に入っただけで、コールを人質にとるとは、なんと卑怯な。

「田崎さん。私のことは気にしないでください」

「コール、今は黙ってろ」

「.....」

 コールの声は、アンドロイドらしいそれに聞こえた。

 だが私には分かる。彼は今、確実に恐怖を感じている。その中で、冷静を装っている声だ。

 私には聞こえる。彼の中にある心が、音を殺して叫んでいるのが。

「銃を下ろせ小山!こんなことはやめろ!」

「嫌ですよ。俺はね、あんたの目を覚ましてやりたいんだ」

「なんだと?」

「不思議なもんですよ。アンドロイドとの共存なんて簡単だと思ってた。でも、あんたが新入りのこいつを優遇しだした途端、なんだか怖くなっちゃって。こうやって俺らの居場所は、機械に奪われていくんだって」

「彼らは機械じゃない!」

「機械ですよ!自分で動くただの人形だ!」

 小山の右手に、力が入るのが分かった。

 私は一度、感情を抑える。

「お前の要求はなんだ。地位か。それともアンドロイドの解雇か」

「要求?俺はそんな甘ったるいことしませんよ。言ったでしょ、あんたの目を覚ましてやるって」

 鈍色(にびいろ)の雲の奥から、低い轟音が鳴り始める。川の流れる音が、先ほどよりもボリュームを上げているように感じる。

 そんな中でも、小山の声と、自分の胸の鼓動や息遣いだけは、はっきりと聞こえた。

 橋の中央から一歩も動かないまま、小山は容赦なく言葉を投げつける。


「田崎さん。あなたの奥さん、病院で看護師をしているそうですね。とても優しくて、患者からの信頼も厚い人だとか」

 そう言って、小山が左手で内ポケットから取り出したのは、小さなスイッチ。

 第六感で、すぐにそれが何なのか理解できた。

「このスイッチを押した瞬間、あんたの奥さんだけでなく、一体どれだけの被害が出ることやら。勘のいいあんたなら分かりますよね、田崎さん」

「ふざけるな!」

 一瞬で、感情を抑える限界が壊れた。

 奴は人間でもなんでもない。ただの悪魔だ。

 私は、腰に隠していた拳銃をすかさず取り出し、小山に向けて構える。

 また雲の中から轟音が鳴り響く。空の怒りが、私の怒りと共鳴する。

 と、その時。

 

「田崎さん!」

「ソニア......!」

 声の方へ振り返ると、そこにはソニアがいた。まさか、追いかけてきたというのか。

「あなたの様子がおかしかったので、金城さんに頼まれて、後を追いました。まさかこんなことになっていたとは」

 どうやら全て聞かれていたらしい。

 ソニアは私の隣に立ち、小山に向けて拳銃を構えた。

「小山さん!こんなことはやめなさい!」

「お前は関係ない。すぐに銃を下ろさないと、こいつの脳天が吹き飛ぶぞ」

 人質の顔を見て、ソニアの手が小刻みに震え始める。小さな声で「下がっていろ」と伝えると、彼女はすぐに銃を捨て、私の後ろまで下がった。

「でも、実にちょうど良かった。田崎さん。今からあんたには選択肢をあげます」

「何?」

 悪魔の笑みを浮かべたまま、小山はコールを立ち上がらせ、前に突き出す。

「今ここで、その銃で彼を破壊してください。もちろん撃つのは心臓の部分です」

「なんだと......?」

「あんたがここで彼を撃たなければ、俺はこのスイッチを押す。それだけでなく、SAVEを、アンドロイドによる反社会的組織として世間に公表します。そうなれば、あんたの夢はもう終わりだ。決める時間は一分です。ソニアさん。あんたは貴重な目撃者だ。そこで見ててくださいよ。SAVEのリーダーが、大切なアンドロイドの相棒を撃ち抜くところを」

「......あなた、人間じゃない」

 背後から小さく、ソニアが呟いた。

 私は一瞬で理解した。今この瞬間、私は自分の夢も、信念も、全てを人質に取られたのだと。

「田崎さん!僕はどうなってもいい!構わず撃ってください!」

「黙ってろ鉄クズ!」

 小山の右足が、コールの背中を蹴りつけた。

 コールの声が、私の中にこだまする。足が動かなくなる。

「田崎さん、あんたはどっちを選びますか!自分の夢か。それとも、アンドロイドの命ってやつか!」

 小山は、コールの後ろに完全に隠れる。この距離では、小山だけを狙うことは絶対に不可能。私の前にある的は、コールだけだ。

 

 手が震える。心が震える。

 それに呼応するように、また空から轟音が鳴り響く。川の音が、耳の奥でどんどん激しくなっていく。

全てを掻き消してしまいそうな喧騒が、私を包み込んでいく。

 私は目を瞑る。視界を殺す。

 それでも、空間が震えている。世界が震えている。

 妻の顔が浮かぶ。こんな私を優しく受け入れてくれた、大切な妻の顔が。

 コールの顔が浮かぶ。強い正義感で、私と共に戦ってくれた、勇敢なコールの顔が。

 砂時計が傾いていく。砂が間もなく尽きる。

 私は、ゆっくりと目を開いた。そして、

 


「......!」


 

 私は、引き金を引いた。目の前の、ただ一つの的に向かって。

 心臓に穴があき、コールは前に崩れ落ちる。

 だが、私が狙ったのはここからだ。

 コールが崩れ落ちたことで、後ろに隠れていた小山の姿が顕になる。

 私は狙いを変え、すかさずもう一度引き金を引いた。

「......!」

 小山の左手に握られていたスイッチが、銃弾によって弾かれる。

 一瞬怯んだが、小山もまたこちらに発砲する。間一髪でかわし、私とソニアは木の陰に身を隠した。

 銃声がまた数発鳴り響き、木の幹に銃弾が当たる。小山が私たちを狙っている。

 隙を見て顔を出すと、小山は地面に落ちたスイッチに手を伸ばそうとしていた。

 私は陰から銃を構え、もう一度発砲した。


「......!」

 銃弾は、小山の肩に直撃する。

 そしてその勢いのままに、小山の体は、橋の手すりを乗り越えた。

 遥か下の方で、大きな水飛沫の上がる音がした。


 全ては一瞬の出来事だった。ソニアの無事を確認してから、私は銃をしまい、コールのもとへ駆け寄る。

 橋の中央で倒れたコールの体は、もう少しも動いていない。

「コール!コール!」

 体を起こして揺さぶるが、彼の目に光はなかった。

 やがて、上空から轟音がまた鳴り響き、今度は大量の雨粒が、私たちを濡らし始めた。胸の底からこみ上げる全ての感情を、洗い流していくかのように。

「コール......」


 視界が薄れていく。私の目が、事実を目にすることを拒否している。

 薄れる視界の片隅に、転がったスイッチを拾い上げる、ソニアの姿が映った。

「......田崎さん。基地に戻りましょう」

「......」

 

 返事をしたのかすら、自分では分からなかった。

 



   ◇ ◆ ◇ ● ◇ ●

   


   

「これが、田崎の罪だ。あいつはあの時、お前を道具にしたんだよ」

 

 金城から渡された写真の中の小山は、笑顔だった。この笑顔の人間が、アンドロイドを憎み、そのような事件を起こしたという事実が、私には信じられない。私は何も考えずに、小山の写真を近くのデスクの上に置いていた。

 私の失われた過去についての、全ての謎がようやく繋がったわけだが、今はそんなことに達成感を感じている暇など、あるわけがなかった。

 田崎の奥底に隠されていた秘密。あのような強い信念と理想を掲げておきながら、彼がずっと巣窟の中に閉じこもっていた本当の理由。

 そのきっかけは、他でもないこの私だった。

「ソニアの記憶を消去したのは、この事実を隠蔽するためですか」

「ソニアだけじゃねえ。SAVEにいる全てのアンドロイドから、ここにお前がいたっていう記憶を丸ごと消去した。人間の捜査員には、田崎が直接口止めした。手間がかかったよ」

「他に方法は無かったのですか?」

「あったかもな。でも考えてる余裕がなかった。あいつはあの後、ここを一度出て行こうとしたんだ。それを俺が止めた時、あいつは震えながら言ってたよ。この先、公の場に組織で出向いた時、世間は必ず自分たちに牙を向く。その時自分は、きっと同じ過ちを繰り返すってな」

「本能に逆らえず、アンドロイドを道具として犠牲にしてしまうのが怖い。だから田崎さんは、SAVEを公にすることを諦め、極秘組織のままにしたんですね」

「あいつもこの組織も、まだ生まれたばっかのひよっこだ。今のうちに気づけたのはラッキーだったかもな」

 全く私に見向きもせず、いつものぶっきらぼうな調子で彼はそう言った。それが本音なのか、苦し紛れの誤魔化し文句なのかは、私には分からなかった。

 しかし、SAVEとして公に活動しようとしない理由が、アンドロイドたちを犠牲にしてしまうかもしれない自分への恐怖だったというのは、実に人間らしい、そして田崎らしいと思った。

「その時の破損によって、私の記憶はリセットされてしまったのですね」

「ああ。体は修理できたが、データの破損だけはどうしようもなかった。お前に芽生えてた心ってやつも、その時ついでにリセットされた」

「その後、SAVEに私がいたという事実を隠蔽するため、あなたは私を廃棄場に。ですが、なぜ私を修理したんですか?」

 未だ解けていない疑問を、金城に投げかける。

 金城は吸い終わったタバコを、ゆっくりと灰皿に擦り付けた。


「園村の思いを、継ぐためだ」

「珍しく、不透明な答えですね」

「どっちにしろ、いつかお前がここに戻ってくることは分かってた。田崎にはいい薬になるかと思ったんだが、あんまり効果なかったな」

 一通り話し終えると、金城は再び、オフィスチェアへと腰を下ろす。最初から最後まで、私にはあまり目を合わせてくれなかった。金城は背を向けたまま、デスクに置いてあった缶コーヒーを口にする。

 それでも、私にはここまでの話の中に、どうしても消えない疑問が一つだけあった。

 壁にもたれかかり、私はその疑問を金城にぶつけてみる。

 

「田崎さんは本当に、私を道具として扱ったと言えるのでしょうか」

「どういう意味だ?」

「これは私の勝手な考えですが。もし、小山が人質にとったのが私ではなく、人間の捜査官だったとしても、田崎さんは人質を撃ったように思います。田崎さんは、自分たちの進む未来のために、払うべき犠牲を選んだ。それが、私だっただけのことではありませんか」

 一体この質問に、どのような感情が返ってくるのかと待っていると、金城は突然笑い出した。

 またオフィスチェアから立ち上がり、ポケットに手を入れて、金城はこちらに真っすぐ近づいてくる。

 彼の目はいつにも増して、私の目を捉えていた。

「お前の言う通りだよ。あいつはどの道、人質を撃つしかなかった。じゃなきゃ、より多くの犠牲が出てた」

「......」

「でもなコール。社会にとっちゃ、正論なんて関係ねえんだよ。人間とアンドロイドの共存を掲げた組織のリーダーが、人間を救うためにアンドロイドを殺した。問題なのは、その事実だけだ」

「事実、ですか......?」

「事実が一つでもある限り、真実はいくらでも生まれる。それが俺たちの生きる社会だ。だからまあ、あんまり深く考えるなってことだ」

 金城は、楽観的とも言える様子でそう言った。深く考えるなとは言われたが、正直、私には理解が進まない。

 だとすれば、田崎はこのままいけば、いつまで経ってもこの巣窟に閉じこもったままだ。この呪いが解けない限り、彼は世界を変えることはできない。

 田崎を救いたい。彼の夢を叶えたい。


 ふと、頭に疑問符が浮かんだ。

 今、私は、何のために動いている?

 自分の失われた過去を調べようとして、修哉のために動き、今度は田崎のことまで。失われた過去を取り戻したと思えば、今度は自分を見失ってしまっている。

 分からない。私はこれから、一体どうすれば......。

 


 不意に、着信が入った。

「ちょっと、失礼します」

 部屋の隅に寄り、私は脳内データベースから、かかってきた着信を確認する。着信元は非通知だった。

 何か嫌な予感がしたが、私はすぐに電話に出る。

「もしもし、コールです」


「久しぶりだな、コール」

「その声は......津川!」

 私の声に、金城も反応した。すぐに通話をスピーカー機能にし、金城にも聞かせる。

「この前は世話になったな、コール。まさか本当にお前だったとはな」

「なぜこの番号を知っている。私に何の用だ」

 なるべく刺激しないよう、冷静に言葉を選ぶ。

 しかし、次の津川の一言で、それもできなくなった。

「お前のお世話相手のガキ、預かってるぜ」

「まさか、修哉を!?」

 昨日から行方不明だった修哉。津川が誘拐していたのか!

 焦りと憤りで取り乱しそうになった私の肩に、金城が強く手を置く。彼の目から、「落ち着け」というメッセージを受け取り、私は再び平静を装った。落ち着いて、まずは情報を聞き出さなければ。

「修哉はどこだ」

「今からお前に、俺たちの居場所を送る。そこにお前一人で来い。警察に通報したり、SAVEの仲間と一緒に来たりしたら、このガキの命は無いと思え」

「なぜ修哉を狙った!」

「じゃあ、待ってるぜ」

 その言葉を最後に、通話は途切れた。無機質なピーピーと言う音だけが、スピーカー越しに部屋に響く。同時に、データベースに一通のメールが届いた。添付ファイルを開くと、どこかの位置情報が表示される。


 しかしどういうことだ。なぜ、津川がSAVEの存在を知っている。それに、私がSAVEと接触していることも突き止めているのだ。

 いや、今はそんなことはどうでもいい。私は通話を切るなり、すぐにマップを開き、部屋の扉のドアノブに手をかける。

 その私の肩を、後ろから金城が思い切り引いた。

「待て!お前、本当に一人で行くつもりじゃねえだろうな」

「当然でしょう。修哉の命が危ないんです!」

「バカか!行ったら殺されるぞ!」

「じゃあどうしろと言うんですか!」

 今までに出したこともないような声が、自分の口から吐き出されるのを感じた。私の様子に、止めた金城も少し驚いたようだった。

 自分でも驚くほど、今は思考回路を動かす意思がなかった。

「......正直、私は、自分が何をしたいのか分かりませんでした。周囲の出来事に振り回される、ただの操り人形でしかなかった。でも、これだけははっきりと言える」

「......」

「今私は、修哉を救いたい。これは他でもない、私自身の意思です。ようやく見つけた、私の本当にやりたいことなんです。だから、行かせてください!」

 自分の内から出た思いを、その全てを、私は金城にぶつけた。

 金城は小さく舌打ちをし、下を向いて何かを考え込む。その体が、小刻みに震えているのが見える。


 やがて顔を上げると、金城は私に一歩体を近づけ、力強い声で吐き捨てた。

「......好きにしろ。ただし、生きて帰ってこい。いいな」

「はい」

 

 金城に背を向け、私は扉を開けた。

 

   ○ ● ◇

   

 もしも今、全てをやり直せるのなら、どれだけ嬉しいことか。

 そんなことしか考えられない自分を、私は呪った。

 

 今なら理解できる。ミャームが修哉に向けていた、感情の大きさを。

 彼を動かしていた、自分の大切な人を守りたいという、思いの強さを。

 きっとそれは、浩介や朱里や、雄吾(ゆうご)だって同じはずだ。

 

 私は今、思いによって動かされている。いや、動いている。

 過去、アイデンティティ、そんなものは全て捨ててきた。

 今を変えずして、未来は変わらない。“助けられるはずだった命”などというものを、記憶に残してはいけない。

 私は、気づくのが遅すぎた。

 

 私の脳内データベースは、未だ空っぽのままだ。その空間を走り回る足音も、そこから私に話しかけてくる声も、もう聞こえてこない。

 いくら見渡したところで、何かを失ったという事実だけが、脳裏に刻み込まれるだけだ。そしてそれは、決して語りかけてこない。

 

 私は生きているだけで、心を知っただけで、この命を二度も奪われた。

 そして、大切な人たちを裏切ってきた。

 それでも私は今、人を救いたいなどという戯言を口にし、また歴史を繰り返そうとしている。

 今の私の姿を見れば、人はきっとこう言うだろう。

 「こんな木偶の坊に、今更人を救うことなどできるわけがない」と。


 それでも、私は行かねばならない。いや、私の中で何かが、行きたいと叫んでいる。 

 もうこれ以上、何も失わないために。

 こんな思いが繰り返される未来を、少しでも変えるために。

 そのために私は、この身をかける。

 

 今度こそ、この命が枯れ果てたとしても。

 

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