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四 ~在りし日~


 扉を開けた瞬間、冬の冷たい風が、私の足元を通り過ぎていった。

 開放されたシャッターから見える外の景色は、相変わらず緑以外何もない。工具まみれのこじんまりとした倉庫の中は、草木の匂いに混じって、タバコ臭がむわっと広がっていた。

 それを肌身で感じ、私は扉を静かに閉めてから、あの人に近づく。私に気づいているのかいないのか、ひたすらに背を向けて作業を続けるあの人の背中に、私は静かに話しかけた。


金城(かねしろ)さん」

「......今大事なとこだ。邪魔だけはするな」

 いつもの調子であることに安心し、私は扉の横にある、薄汚れたオフィスチェアに座った。床を舞う小さな砂埃たちが、私のスーツの裾を少しずつ汚していく。

「さすが、仕事が早いですね。あんなにボロボロだったのに」

「当たり前だ。何年こんなこと続けてると思ってんだよ」

 工具から飛び散る小さな火花を見ながら、私は今一度、何をどう話せばいいのか、頭の中で整理し始める。

 あの日から、私はまともに物を考えることができなくなった。突然ソニアが連れてきた、彼の瞳を見てから。

 彼の顔は、あの日から少しも変わっていなかった。くっきりとした鼻筋、鋭い目つき、きゅっと力が入った小さな口。怖いくらいに、私の記憶の中の彼と同じだ。

 その姿で、彼は私の目を見ながら、『初めまして』と言った。その瞬間、何もかもが信じられなくなったことを覚えている。

 彼は本当に、あのコールなのか。本当に私とは、「初めまして」の認識なのか。

 私がしばらく考え込んでいるうちに、鳴り響いていた工具の音が止まり、金城さんは溶接面を顔から離す。作業台に乗せられた、大きく穴が空いていたシリコーンの胴体は、綺麗に元通りになっている。

「何しけた顔してんだよ。お前が蒔いた種だろうが」

 少しもこちらに顔を向けずに、金城さんが低い声で呟く。そしてすぐに溶接面を顔に当て、次は左脚の溶接を始めた。

 私は、答えに迷った。

「なぜ、彼がいるのでしょうか。彼はもう、この世を去ったはずです」

「お前を恨んで、化けて出てきたのかもな」

「冗談はよしてください」

「機械だから化けては出ない、ってか?」

 いつもと同じだ。すっかり私は、金城さんのペースに呑まれてしまっている。

 自分の言葉を反省しながら、私は床を見つめ続ける。顔を上げるのが、なぜか怖かった。

「大体、本当にあいつがコールかは分からねえだろ。同じ顔の別個体かもしれねえぞ」

「先日、バレないように彼の内部ネットワークと、私のタブレットでID認証を行いました。彼は間違いなく、あのコールです」

 この前、彼があの事件の映像を見ていた時。私はその後ろで、こっそりと自分の端末でID認証を行っていた。そして私の端末は、コールの内部ネットワークに繋がった。

 決して思い違いなどではない。あれは、私の知っているコールだった。

 だが信じられない。なぜ彼が無事でいる。彼はあの日、確かに私がこの手で......

 考えれば考えるほど、恐怖と不安に心臓が握りつぶされていく。

「もし、彼が全てを覚えていたらどうしますか。ここに来たのも、全て計算だったとしたら」

「......」

 金城さんは、作業の手を止めない。中の配線やらが剥き出しになっていた左脚が、だんだんと綺麗な表面を取り戻していく。

「私がやっていることは、彼への償いのためでもあるんです。今、立ち止まるわけにはいかない」

「そう思ってんのは、自分が悪いことした自覚があるからだろ。いつまでそうやって逃げてるつもりだ」

「ならどうすればいいんですか。あの時、彼を撃っていなければ甚大な被害が出ていた。ああするしかなかったんです!」

 金城さんの手が止まる。溶接面をもう一度顔から離すが、私には背を向けたままだ。

 徐にパイプ丸椅子から立ち上がったと思うと、両手の軍手を外し、近くの作業台に置いてあったタバコの箱を手に取る。

「いるか?」

「結構です」

 一本だけ箱から出し、火をつけた。風向きがこちらに向いているため、タバコの煙がダイレクトに私にかかってくる。

 金城さんは何も言わない。静寂に包まれた倉庫内で、自然の音だけが私の耳に囁いてくる。そんな沈黙が空いた後、金城さんの低い声が聞こえてきた。


「お前、最初に俺に話したよな。自分は、アンドロイドに人生を救われたって。アンドロイドと人間は、共存できるはずだって。あの時のお前は、今よりずっといい目をしてたぞ。いつからそんな、お化けを怖がるガキみたいな目になっちまったんだよ」

「......からかわないでください」

「自分の正義も信じられないような奴に、世界を変えられるとは思えねえな」

 子供の可愛らしい言い訳を笑うように、金城さんは小さく笑った。そしてまた、口から大きく煙を吐く。

 そんなことは分かっている。私だって、自分の正義に胸を張りたい。

 だが、あの日の景色が、今でも夢に出てくる。目から光が消えた彼の顔が、呪いのように瞼の裏に残り続けている。

 あの時の自分の判断を、肯定しようとすればするほど、呪いは強くなっていった。

 


田崎(たさき)さん」

 それは背後から突然聞こえた。聞き慣れた女性の声だ。振り向くと、外から扉を静かに開けたのは、ソニアだった。

 無駄のない一連の動きで、ソニアは私に近づく。「どうした」と聞くと、ソニアは落ち着いた様子で答えた。

「たった今、コールがこちらに訪ねてきました。我々に、協力を要請したいと」

「協力?どういうことだ」

「詳しくは、あなたに直接会って話したいと」

 コールの名前を聞いた時点で、私の足は立ち上がることを拒否している。だが、私に選択肢がないことは、重々承知していた。

 コールがどうやってここまで来たのかは置いておいて、一度話を聞くしかなさそうだ。

 「分かった」と返事をすると、ソニアは頭を下げ、また扉から出ていこうとする。

 

「お前、どこまで聞いてた?」

 金城さんの声に、ソニアの足が止まった。

「......田崎さんが、アンドロイドに人生を救われた、と」

 私は思わず目を逸らす。金城さんは、作業に戻る気配もなく、タバコを嗜んでいる。

「正直、私も気になっていたんです。あの痛ましい事件があったとはいえ、人間であるあなたが、なぜそこまでアンドロイドに肩入れするのか、その理由が」

「......」

「教えていただけませんか?あなたとアンドロイドの間には、一体どのような繋がりがあるのか」

 真っ直ぐな問いかけだった。そしてその真っ直ぐな問いが、私の中に眠る、思い起こしたくない記憶を呼び覚ます。

 話すだけで、思い出すだけで、私はおかしくなってしまうかもしれない。自分の奥底に、ずっとこのまま、しまっておきたかった。

 だが私は、ソニアに心を許してしまった。

 私は、私の物語を話し始めた。

 

「十年くらい前だ。私がまだ、大学受験に勤しんでいた頃。勉強以外に取り柄のなかった私は、学校生活も上手くいかない中、両親に支えられて生きていた。どれだけ苦しくても、両親がいてくれるだけで、私は生きていけた。だが、その日常が、ある時豹変した」

 まるで昨日のことのように、あの時の景色が見える。体が、内側から震え出した。

「この国で、未曾有の大災害が起きた。名前を言わなくても分かるだろ?」

「はい」

 ソニアは短く答える。私に向けられた彼女の目は、私の奥底を見ている気がした。

「絶望以外の感情がなかった。丘の上の学校にいた私は、そこから全てを見てしまった。建物が流されていく景色も、逃げ惑う人々の、狂気に塗れた姿も。自分は今、地獄にいるんじゃないかと本気で思った。どこまで逃げても、どれだけ走っても、逃げ場なんてなかった」

 自分の言葉を、自分でもコントロールできなかった。言葉を紡ぐのが、精一杯だった。

「それでも何とか、私は生き残ることができた。しかし、避難所でいくら探しても、私の両親は見つからなかった。いくら待っても、両親は私の前に現れなかった。長い避難所での生活で、両親が隣にいない私に、生きる意味などなかった」

 倉庫内は静かなままだ。私以外の全てが、音を殺している。

 横目で、金城さんが私に顔を向けているのを感じ取りながら、私は話を続けた。

「とうとう私はある日、命を絶とうと決意した。私は避難所にあったナイフを持ち出し、誰にも見つからない場所で、それを喉に当てた。これで楽になれると、あの時の私は本気で思っていたんだ。だがその時、私の前に、一人のアンドロイドが現れた」

 


 

   ○ ● ○ ● ○ ●


   

   

「ちょっと待って!」

 驚きのあまり、僕は振り向けなかった。見つからないと思っていたのに、最後の最後に邪魔に入られるなんて。

 喉にナイフを当てたまま、ゆっくりと声のする方へ振り返る。そこに立っていたのは、

「......アンドロイド?」

「僕はムーア。この避難所に配属された、生活保護担当のアンドロイドだ」

 汚れたジャケット姿のアンドロイドが、そこに立っていた。ムーアと名乗ったそのアンドロイドは、落ち着いた様子で僕に語りかけてくる。

「君、その手に持っているものを、下ろしてくれないかい?」

 余計に腹が立った。

 孤独の苦しさも、家族のいない悲しみも知らないくせに、適当な言葉を並べて思い留まらせようとしているだけじゃないか。ここまできて、アンドロイドに説得なんかされてたまるか。

「なんだよ偉そうに。機械なんかに、人間の気持ちが分かるかよ」

「落ち着いて。冷静に話し合おう」

 それでもムーアの態度は変わらない。喉にナイフを当てたままの僕に、足をゆっくりと一歩近づける。

 やめてくれ。もう話しかけないでくれ。

「なぜ、こんなことをするんだい?」

「......お前には関係ないだろ。もうほっといてくれよ!」

 何も考えたくない。

 とにかくこのナイフを首に刺して、全てを終わらせたい。僕にはそれしかなかった。

 それでもムーアは、懲りずにまた足を一歩近づける。

「大丈夫。君は一人じゃない。僕が君の話を聞くよ。だから、一緒に生きようじゃないか」

「それ以上近づくな」

「ナイフを下ろすんだ。ほら、僕の目を見て」

「うるさい!」

 埒が開かない。

その瞬間、何もかもがどうでもよくなった僕は、持っているナイフに本気で力を入れ、晴れ渡った青空を見上げた。

 これで楽になれる。父さんと母さんに、会いに行ける。

 

正利(まさとし)くん」

「......え?」

 聞き間違いかと思った。いや、悔しいけど聞き間違いじゃない。

田崎正利(たさきまさとし)くん、だよね?」

 アンドロイドの綺麗な発音と声だからこそ、それが聞き間違いじゃないことはすぐに分かった。

「どうして知ってるんだよ、僕の名前......」

「ホールに出してある、行方不明者が書かれたたくさんのチラシ。ここに来てから、僕はあれを毎日チェックしている。その中に、両親を探しているという一枚のチラシがあった。届出人の名前は、田崎正利、十八歳」

 間違いなく、僕の書いたチラシだ。読まれていたのか。

「両親の特徴の欄に書かれた文章を読んで、すぐに分かったよ。この子は、心の底から両親を愛し、敬っている。あそこに書かれたたくさんの文字や文章を見ているうちに、そういうことが分かるようになったんだ」

 アンドロイドのくせに、人間の気持ちが分かるようになったなんて、信じられない。

 でもなぜか、ムーアの表情や声は、とても嘘をついているようには見えなかった。自分でも、そう思えてくるのが不思議で仕方なかった。

 目の前にいるのは、ただの機械だってのに。

「それから僕は、その田崎という少年を探していた。そしてある日見つけたんだ。避難所の隅で、いつも一人で蹲っている、君の姿を。一度話しかけたこともあるんだけど、覚えていないかい?」

 僕は記憶を辿る。確かに最近、一度だけ大人の男性に話しかけられたことがあった。

 役所の人たちが、支給品の希望を聞いて回っていた時だったか。僕も聞かれたけど、何もいらないとひたすらに答えていた気がする。生きている心地がしない時間のせいで、衰弱していく体が心地良いとまで思えていたから。

 あれがムーアだったのか。

「正利くん。避難所での生活が始まって、どれくらい経ったか分かるかい?」

「......大体、一ヶ月」

「僕は、僕を操る人間に、こう命令されているんだ。『命を救え』って。最初はそれが理解できなかった。食事を支給するとか、傷を手当するとかじゃなく、命を救うなんてさ。何が違うのか、機械の僕には全く分からなかった」

 ムーアの表情が、だんだん明るくなっていく。時より僕の目を見て、ムーアは話してくれた。

「でも、ここでの毎日を送っているうちに、分かったんだ。命を救うっていうのは、向き合うことだって」

「向き合う?」

「言葉を交わし、泣いている人の手を握り、時には助け合う。ただの機械の時は、そんなこと、しようとも思わなかった。こんな状況下でも、前だけを見て助け合う人たちの姿を見て、初めて知ったんだ。これが、命の尊さなんだって」

 このアンドロイド、何かがおかしい。

 鼓膜を塞いでいた壁が溶けてしまったように、ムーアの声は、僕の耳に綺麗に入ってくるようになった。

「そしてそれを知った時、僕の世界は変わったんだ。自分なりのやり方で、たくさんの命を救いたいって、本気でそう思った」

 無意識のうちに、ナイフを持つ右手の力が抜けていく。

 そしてムーアは、僕の方に向かって、また足を一歩近づける。

「世界は残酷だけれど、とても美しい。僕はそれを知って変わることができた。世界はまだ、僕らの知らないことで溢れている。だから正利くん、」

 またムーアは一歩近づく。

 僕は気づけば、ムーアの目をじっと見つめ続けている。

「一緒に信じてみないかい?まだ見ぬ明日にこそ、希望はあるって」

 

 途端に、目の前が霞んで見えなくなる。手に握られていたナイフは、気づけば地面に転がっていた。

 そして、目の前にいるアンドロイドの胸に、ただひたすらに身を任せて涙を流した。

 視界が真っ暗な中でも、朝陽が僕らを照らしたのが分かった。

 

 僕が両親と再会したのは、そこから三ヶ月後のことだ。

 


 

   ◆ ◇ ● ◇ ● ◇


   

   

 ソニアが、田崎を呼んでくると言って私を待たせてから、およそ十七分が経過した。

 決してこの場所の居心地が悪いわけではないが、正直、この時間は少し気まずかった。いや、自分から出向いておいて、こんな文句を言うのは烏滸がましい。

 気まずさをなんとか払拭するべく、私は思い切って、この広いガレージ内を歩いて回った。当然、周囲からは胡乱な目で見られることとなったが、私はあくまで平静を保った。

 綺麗に並べられたデスクの間を、たくさんのSAVEの捜査員たちが行き来している。すれ違いざまに、たくさんの捜査情報が、私の耳にも入り込んでくる。

「Tボックス社での、アンドロイドの労働環境についての件で、」「アンドロイドの不法投棄が発見されたとの報告。地点を送ります」「捜索中の津川は、まだ見つかっていません」

 こうして見ていると、ここでは、人間とアンドロイドの連携がとてもバランス良く取れている。この景色が世界中で実現されたなら、どれだけ喜ばしいことか。

 その瞬間、私は我に帰り、自分を呪った。

 自分がその一員だと錯覚し、簡単に一人の人間を傷つけ、挙げ句の果てには信頼できる仲間にも見放された。

 今の私は、またあの時のように空っぽだ。

 壁伝いに基地の中を歩いていると、ガレージの端に、小さな洗面台が備え付けられていた。蛇口は錆び付いており、年季が入っていることが一目で分かる。

 そこで立ち止まり顔を上げると、壁に取り付けられた鏡に、私の姿が映る。園村家の洗面所でも、よくこの顔は鏡越しに見ていた。

 いつもと何も変わらないように、私には見える。

 しばらく見つめているうちに、違和感を覚え始めた。

 今、この鏡に映っている人物は、一体何者なのだ。君は今、空っぽなただの機械だ。ただ一人の人間も救えない、無力な操り人形だ。君が足掻く理由は何だ。

 私は口に出さないよう、鏡に映る機械に問いかける。


『君は誰だ。何がしたい。なぜ、悔やんでいる』


 鏡に映る人形は、何かを答えようと、一瞬だけ口を開く。

 だが、その口からは、何の音も発されなかった。



「お待たせいたしました」

 横から、ソニアの声とともに近づいてくる、複数の足音が聞こえた。後ろからは、田崎も一緒に歩いてきている。あくまでいつもの自分らしさを持ち直し、私は向かってくる田崎の目をしっかりと見て、会釈をした。

「突然押しかけて、申し訳ありません」

「君は構わないよ」


「それで、我々に何を協力しろと?」

 田崎、ソニア。二人の圧に挟まれながら、私は直球に答えた。

園村修哉(そのむらしゅうや)という、男の子を捜索していただきたいのです」

「男の子?」

「私が家事を手伝っている家の、次男です。昨日、学校が終わっても家に帰って来ず、昨夜、姉の朱里(あかり)さんが警察に捜索願を提出しました」

 あれから結局、修哉は一晩経っても家には帰らなかった。学校を出るところはこの私が見ていたため、おそらく帰り道で何かがあったのだろう。

 周辺はある程度探したが、とうとう見つからなかったため、私は最後の手段に出たのである。

「警察の捜索が始まっているのなら、我々の出る幕はないのでは?」

「それに関しては、私の個人的な理由に付き合ってほしいと、言わざるを得ません。そんなことを頼めるのは、あなた方だけです。どうか、お願いします」

 田崎のデスクに向かい、私は大きく頭を下げる。沈黙が少し続いたが、私はひたすらに頭を下げ続けた。


「頭を上げてくれ、コール」

 田崎の落ち着いた声で、私は頭を上げた。彼の表情からは、何も読み取れない。

 そして、何かを考え込んだ様子で、田崎は私に尋ねる。

「その、個人的な理由という言葉。どうも、らしくない気がするね。アンドロイドに個人的な感情は生まれるのか?」

 田崎の口から出る言葉とは思えなかった。だが、横のソニアが憤りを見せる様子も見えない。私は、田崎の目を見た。

「その言動こそ、アンドロイドを尊重するあなたらしくないと思いますが」

「私は、あくまで君に聞いているんだよ、コール。どうなんだ?」

 瞬時に理解した。彼は、私を試している。

 ここでどう答えるべきか、私は思考した。いや、悩んだ。

 その末、私はついに田崎たちに向かって、あの名前を口にした。

 

「......ミャームの、無念を晴らすためなんです。」

「ミャーム?」

 反応したのはソニアだ。だが二人とも、その名前に覚えがあるようには見えない。

 田崎は机に両手を置き、前のめりになって私の目を見た。

「その、ミャームとは誰だい?」

「修哉が家で遊んでいた、『ミャームの冒険』というRPGゲームの主人公です。信じていただけないと思いますが、このミャームというキャラクターには、命が宿っていました。彼はどういうわけか、私の脳内データベースに入ることが可能で、私はしばらくの間、自分の脳内にいる彼と、行動を共にしていたのです」

 整理してみれば、これほどトンチキに聞こえる話でも、田崎は真剣な眼差しで、私の言葉に耳を傾けている。無論、ソニアも同様だ。

 この胸の内に潜む震え。それが少しでも伝わるように、私は言葉を選び、伝え続けた。

「修哉は、学校では周囲から不当な扱いを受けており、家庭では、母親から暴力行為などを繰り返されていました。それを見ていたミャームは、修哉をプレイヤー以上の存在に感じ、彼を救いたいと考えた。そこでミャームは、私に修哉を救ってほしいと、頼んできたのです」

「それで?」

 田崎の問いは、そのままの言葉には聞こえなかった。私の中にいる何かに、語りかけられているようにすら感じた。


「......私は、ただの案山子(かかし)でした。正しいと思って伝えた言葉が、ある人を傷つけ、それはミャームのことも、裏切ることになりました。私には、人を救うことなどできなかった。ただの空っぽな機械だったのです」

 ガレージ内の喧騒にも、その沈黙が掻き消されることはなかった。私には、その全ての音が、歪んだ音のノイズにしか聞こえなかった。そしてそれが、聴覚ユニットの故障ではないということも、よく理解していた。

「ですから、その償いのためにも、何としてもこの手で修哉を助けたいのです。どうか、あなたの力を貸してください。お願いします」

 溢れる言葉のままに、私はもう一度、深く頭を下げた。頭上から返ってくる田崎の言葉を、私は待つ。

 やがて、田崎は口を開いた。

 

「......分かった。君に手を貸そう」

「本当ですか?」

「ただし、交換条件だ。君にも、我々の捜査を手伝ってもらいたい」

 意外な答えだった。

 田崎が目配せで、ソニアに何かを伝えると、ソニアは田崎のデスクの上に置かれていたタブレットを手に取り、画面を操作して私に見せる。

 画面に映っていたのは、見覚えのある男の顔写真が載った、捜査資料だ。

「以前お話しした、連続アンドロイド発火事件の犯人である、津川征一郎(つがわせいいちろう)。我々は彼を見張っていたんですが、三日前からその行方が分かっていません」

「君が津川の捜索に手を貸してくれると言うのなら、修哉くんの捜索に手を貸す。これでどうだ?」

 田崎は鋭い目で、私に問いかけた。

 答えは決まっている。今の私に、断るという選択肢はない。

「私で良ければ、いくらでも協力します」

「ありがとう。取引成立だ」

 そう言うなり、田崎はまたソニアに目配せをする。それを受け取ったソニアは私に近づき、自分の右手を開いて差し出した。

「修哉くんの顔写真、それから自宅と、通っている学校の住所を」

 差し出された右手に、私は自分の右手を重ね合わせる。データベースから該当するデータファイルを検索し、手の平からソニアのデータベースに転送する。

「受け取りました。各捜査員に転送します」

 ソニアが転送を始めたと同時に、田崎は勢いよくデスクから立ち上がる。そして、ガレージ内を行き交う捜査員たち全員に向かい、力強く声をあげた。

「捜査の依頼だ!市内在住の、園村修哉くん十二才が、昨夜から行方不明で現在も見つかっていない。何らかの事件に巻き込まれた可能性もある。全員、ただちに捜索を開始!」

 ガレージ内に、捜査員たちの返答が響き渡った。一体感のある、しかし機械的には聞こえない、力強いエネルギーの塊だった。

 基地内のアンドロイドたちに、ソニアによって、修哉のデータが一斉に行き渡っていく。それを受け取った捜査員たちが、また忙しなく動き始めた。

「園村修哉くん、十二才。学校からの帰り道で行方不明になった模様」

「自宅までの通学路をルート検索」

「我々が現場に向かいます」

 アンドロイドたちの素早い解析と、人間たちの連携力は凄まじい。その景色は、私の目にはとても美しく映った。

 私がその景色に浸っていると、田崎が私の肩に手を置いた。

 

「コール。頼んだぞ」

「はい」


 田崎の目は、強く、どこか儚げに、私を見つめていた。

 

   ◇ ● ◇

  

 今度は、目隠しをされることはなかった。過ぎゆく人混みの波も、太陽が顔を出す晴れ渡った空も、全てを視認することができる。

 完全ではないだろうが、私も少しは、SAVEからの信頼を受けることができたようだ。そんなことを考えながら、空が広く見える街並みを、私は窓から眺めていた。

「コール」という声と共に、隣に座るソニアからタブレットを受け取る。画面には、先ほどの津川の捜査資料が表示されている。

「捜索にあたって、我々が掴んでいる津川の情報を共有しておきます」

「ありがとうございます」

 顔写真の男は間違いなく、私がシャッター街で交戦したあの男だ。思えばあの時も、私はミャームがいなければスクラップになっていたかもしれない。

 まただ。自分の無力さを痛感するのは。

そのノイズをなんとか振り払い、私は目の前の任務に集中する。画面をスクロールし、情報を一つずつ叩き込んでいった。

「津川は、以前まで勤めていた会社を、一年前に解雇されています。その解雇の理由が、彼の犯行の動機に繋がっていると、我々は踏んでいます」

 ソニアの言葉に導かれるように、私は資料をスクロールしていく。それは、一目見て分かる実に簡単な理由だった。

「アンドロイドの導入による、人件費の削減。特にこの会社は、テクノロジーや技術が主に必要とされているため、その犠牲となった人間も多かったようです。そしてその中に、津川も含まれていました」

「では、津川が狙っていたアンドロイドというのは」

「津川と入れ替わりに、その会社に導入されていたアンドロイドです。おそらく津川は、職を奪われた腹いせに、アンドロイドたちを狙ったんでしょう」

「逆恨みですか」

 こう言ってはなんだが、私がある程度想像していた通りの動機だった。とはいえ、我々からすれば理不尽な話だ。

 アンドロイドの労働の仕組みも、社会構造も、アンドロイドをこの世に生み出したのも、全て人間だというのに。我々はただ、人間の言葉に従っていただけだというのに。

「津川が勤めていた会社というのは?」

「エリプスホールディングス。国内で名を馳せ始めている、ゲーム会社です」

「ゲーム会社......」

 その単語が、どうしても自分の中に引っかかってしまった。もちろん、自分の求めているものとは、何の繋がりもないことは分かっているのだが。どうしてこんな偶然があったものか。

「津川の行方は、いまだに分かっていません。なので今一度、津川の潜伏先として考えられる場所を洗い直します。我々はまず、このエリプスホールディングスの本社へ向かいます」

 私は、返事をするのを忘れていた。脳内の思考を整理することで、精一杯だった。

 その私の様子に気づき、ソニアはいち早く気づいたようだ。

「どうかされましたか?」

 その質問も無かったことにするように、今度は私が尋ねる。感じたままに、ストレートに尋ねる。


「ソニア。あなたは、自分に命があると思いますか?」

 ソニアは困惑した様子だ。運転手の男性も、私の問いを聞いて、バックミラー越しに一瞬こちらを覗き込んだ。窓の外を通り過ぎていく車やトラックたちの騒音に包まれながら、私はソニアの答えが聞こえるまで、あえて口を閉ざした。

「......それを聞くということは、あなたは、ご自分には命が存在しないと考えている、ということですか?」

「言ったでしょう。私はただの機械です。機械には、命も、心もありません」

 驚くほどあっさりと、自分の口からその言葉が出たことに驚いた。

 いや、なぜ驚いている?

 その答えが出ないまま、私は今や、エンストした車のエンジンのように、思考を放棄しようとしていた。

 それを遮ったのは、またしてもソニアの声だ。

「あなたと私では、命の考え方が、少々異なっているようです」

「命の、考え方......?」

 言葉にオウム返しをすることしかできず、私はソニアの話に聞き入った。

「どう足掻いたとしても、我々アンドロイドは所詮、機械です。しかし、一つだけ人間との共通点があるとすれば、自分で考え、行動できるということ。あなたが先ほど、修哉くんのために、我々に頭を下げたように」

「あれは......」

「あなたにはその力がある。自分の手で未来を変える力が、命と言えないのならば、命とは一体何なんでしょうか」

「......」

 

「コール。先ほどのあなたの質問には、お答えしかねます。その答えを見つけるのは、他でもない、あなた自身です」

 それが、ソニアの答えだった。

 それを聞くのと、車が会社の駐車場に停まったのは、ほぼ同時だった。

 

   ◇ ● ◇ 

 

 収穫はゼロだった。

 ここ一週間程度の、社内の監視カメラ映像を確認させてもらったが、どこにも、津川らしき人物は映っていなかった。ここに逃げ込んではいないようだ。

 それにしても、本当に随分な無法ぶりだ。

「コール。もう少し所作に気を配ってください。ここではあくまで、我々は警察の肩書きなんですから」

「入る直前にいきなり説明されて、完璧にこなせという方が無茶です。私は役者ではありません」

 これがSAVEのやり方らしい。入る直前、ソニアから偽造の警察手帳を渡された時は、さすがに正気を保っていられるか心配になってしまった。以前、ここにSAVEが捜査にやってきた時も同じ手を使ったらしいが、私のような新人には、少々荷が重すぎではなかろうか。

 ともかく、おかげで怪しまれることなく捜査も終わり、無事にここを出ることができそうだ。社内の廊下を歩きながら、私は安堵に包まれていった。

「ここではないとすると、津川は一体どこに?」

「もう一つ気になる点があるとするなら、ここ最近で、津川は犯行を一切行っていません。これ以上、何も起こらなければいいんですが」

「そうもいかない気がします」

「私もです」

 あの津川が、簡単に犯行を終わらせるとは思えない。おそらく何かを企んでいる。取り返しがつかなくなる前に、何としても捕らえなければ。そんなことを考えながら、私たちは廊下を進んだ。


 しばらく歩くと、広いオフィスの横に出た。パソコン機材が部屋の隅から隅まで並び、多くの社員たちが画面に向き合っている。社員たちの集中力も、さすが有名なゲーム会社という印象だ。

 反対側のガラス張りの大きな窓からは、少し雲がかかり始めた青空に、緑と建物群が融合したかのような、広大な景色が見渡せた。空へ背伸びしている建物は少なく、この最上階に手が届きそうな建物も数えるほどだった。

「確かに、ここはアンドロイドの社員が多いようですね。思っていたほどではありませんが」

「アンドロイドたちが担当しているのは、主にエンジニアリング職。プログラムの開発などを行う、技術面の部署です。企画やグラフィックデザインを行う部署は、今でも人間の社員が担当しています」

 専門的な知識はなくとも、理解することはできたつもりだ。アンドロイド社員が多く採用されたとはいえ、双方が適材適所にバランスよく取られているようだ。

「確かに、無からアートを生み出すというのは、アンドロイドにはできない。良い労働環境が組まれているようですね」

「ええ。ですが一つだけ引っかかるのが、津川がもともと勤めていたのは、エンジニアリング職ではなく、企画職の方だったそうなんです」

「企画職?それはおかしいですね」

 この事実は、SAVEが見立てた津川の犯行動機とは、大きく矛盾していた。

「はい。津川の犯行動機が、アンドロイドに職を奪われたことだとすれば、エンジニアリング職にいたと考えるのが妥当です。しかし彼は、今でも人間の社員が担当している、企画職に勤めていた」

「その部署にいて、アンドロイドに職を奪われたというのは、明らかに矛盾しています」

 もしかすると、津川の目的は別にあるのだろうか。しかし、彼が狙ったアンドロイドたちがここの社員であった以上、動機はそれ以外に考えられない。

 人間が担当すると決まっている部署にいながら、なぜ彼はこの会社を解雇されたのだろうか。そしてなぜ、アンドロイドたちを狙うのか。

 謎は深まるばかりだが、一つだけ言えることがある。

「どちらにしろ、津川もある意味では被害者だと言えるでしょう。復讐を肯定するつもりはありませんが」

「SAVEも同じ考えです。それでも我々は、津川に罰を与えなければいけません。今はとにかく、そのことだけを考えてください」

 話半分にオフィスを眺めていると、一人の年配の男性社員がこちらに歩いてきた。


「刑事さん。もう終わったんですか?」

「はい。津川さんは、この周辺には来ていないようです。何度もご協力いただき、ありがとうございました」

「いえいえ。早いところ、事件が解決されることを祈っています」

 丸眼鏡をかけたその男性は、微笑みながら我々に会釈をしてくれた。

 白髪混じりの髪に、眼鏡の奥から覗かせる垂れ目。年齢は五十代といったところか。ニットの白いカーディガンに身を包み、首から下げた社員証には『谷岡俊介(たにおかしゅんすけ)』と書かれていた。

 ソニアは以前、ここに捜査に来た時に一度会っていたようで、話し慣れた様子だ。

「津川くんには、悪いことをしてしまったと思っています。しかし、彼も社内では、あまり評判は良くなかったんです。それもあって、アンドロイドという仕事の形に甘えてしまった部分もあります。それが、こんなことになるとは」

 谷岡はオフィスを眺めながら、小さな声で話してくれた。

 彼がこの事件の事情を知っていることに違和感を抱いたのは一瞬で、彼がSAVEの理解者なのだということは、彼の人間性からすぐに納得がいった。

「一刻も早く、解決できるよう努めます。では、失礼いたします」

 我々が頭を下げると、谷岡もこちらへ向き直り、頭を下げてくれた。

 このような人間が増えていけば、社会も少しは見直されるのだろうか。一人でそんなことを思いながら、私はソニアの後ろにつき、谷岡の横を通り過ぎた。会社を出て、次はどこを捜索するのだろうかと、考えていたときだ。 


「あ、あの」

 背後から、小さく声がした。

 振り向くと、谷岡の視線は、おそらく私に向いていた。谷岡は私と目を合わせながら、目を丸くしてゆっくりと近づいてくる。

「私に何か?」

「......すいません。以前ここで働いていたアンドロイドの社員さんに、よく似ていたもので」

「アンドロイドの、社員ですか」

 似ていたとは言うが、おそらく私と同じ型のアンドロイドのことだろう。それにしても、こんなアンドロイドに興味を示すというのも、妙に珍しい。

 そう思った次の瞬間、谷岡の口から出た言葉に、私は耳を疑った。


「コールくんと言って、優秀な社員さんでした」

「コール......?」

 反応したのは、私の後ろにいたソニアだ。私は驚きのあまり、声も出なかったのだ。

「コールというアンドロイドが、ここで働いていたのですか?」

「ええ」

 どうやら聞き間違いではないらしい。

 はやる気持ちを抑え込み、私は冷静を装って、咄嗟に質問をした。

「その、コールという社員は、どのような社員でしたか」

「彼は、アンドロイド社員で初めての出世頭で、社内でも評判になりましたよ。当時はうちの社員の助手を務めていて、とても活躍していました」

 もし、という考えが私の中で上がった。それを確信すべく、私は無駄な予測を脳内に並べる前に、谷岡に尋ねた。

「そのアンドロイドが、助手を務めていた社員のお名前を、覚えていらっしゃいますか?」

「もちろんです。彼を忘れたことなど、一度たりともありません」

 やけに焦らされている気がする。いや、それは私が焦っているだけだと分かっている。

 谷岡は暖かい表情のまま、私の考えを確信へと変える、その社員の名前を口にした。

 


「企画職に勤めていた、園村浩介(そのむらこうすけ)くんです」

 

 ついに辿り着いた。

 私の過去、園村家、『ミャームの冒険』。

 その全てを繋ぐ手がかりを。

 

   ◆ ○ ◆

   

 谷岡に案内され、私たちは会社の地下一階へと赴いた。

 階段を降りた先にあったのは、鍵付きのスチールドア。小窓はなく、『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた紙が貼ってある。

 谷岡によって鍵が開けられ、我々はその奥へと案内された。

 

 殺風景な廊下がしばらく続き、周囲に人気は全くない様子。廊下の天井には蛍光灯があり、端には年季の入った掃除用具が置かれている。おそらく、物置きとして使われていた場所だろう。

 最初にSAVEの基地に行った時に、金城がいたあの狭い部屋と、雰囲気は似ている。先ほどまでのフレッシュさはあまり感じられない、ぼんやりと気分が暗くなるような空間だった。

 なぜここに案内されたのか、私も、隣を歩くソニアも、全く分かっていない。やがて立ち止まり、「ここです」と谷岡が示したその場所には、また扉があった。扉の前にはボードがかけられ、そこには『園村』と書かれている。

「私も来たのは久しぶりだな。あれ以来、手はつけていないはずです」

 ゆったりとそう言いながら、谷岡は財布の中から、さっきとは別の小さな鍵を取り出し、扉の鍵穴へと差し込む。

 扉を開けると「どうぞ」と小さく呟き、谷岡は我々を中に入れてくれた。

 

「ここは......」

 入ると同時に、谷岡の手によって、部屋の電気がつけられる。蛍光灯ではなく、丸い小さな電球が二つ埋められているだけだ。薄暗い部屋は、警察の取調室よりも少し広いくらいで、ここも物置き程度に使われていた場所だろう。

 部屋の中心に設置されたデスクには、部屋の雰囲気には見合わない、大きなパソコンが置かれている。本当にしばらく手がつけられていないようで、画面やキーボードには埃が被っていた。

 そしてここには、デスクの上から床にまで、部屋中に数え切れないほどの紙きれが散らばっていた。

「この部屋は?」

「園村くんが使っていたんです。彼はここで、一人で何かのゲームを開発していました。誰にもバレないように、こっそりと」

 ソニアと谷岡の会話を耳に入れながら、私は床に落ちている紙きれを、一枚拾い上げる。それはゲームの企画書のようで、タイトル部分には大きく、『ミャームの冒険』と書かれていた。

 ようやく、一つの謎の解明に辿り着くことができたようだ。

「『ミャームの冒険』の開発者はやはり、修哉くんの父親だったようですね」

「分かっていたんですか?」

「あのゲームは明らかに、苦しんでいる修哉くんに前を向かせて、新たな人生を歩み出させる目的で作られていた。そんなことをするのは、余程修哉くんの近くにいる人間だと思っていました」

「私は、園村くんがここでゲームを作っていることを知っていましたが、彼はいつも言っていましたよ。このゲームだけは、何としても完成させなければいけないと。持病のある体に鞭を打って、よく夜中までここに閉じこもっていました」

 言われなくとも、この床に散らばった紙きれの数を見れば、すぐに理解できる。彼がこのゲームに、いや、息子に注いでいた強い熱意を。

 部屋を歩き回り、散らばった紙に書かれた情報を確かめる。大量の紙には、ゲームの構想案、ストーリー案、キャラクターデザイン。

 そして、ソニアが拾い上げた一枚の紙には、修哉への想いが込められた、このゲームのメッセージが残されていた。

 

『血の繋がりだけでは成り立たない愛情。世界のあらゆる場所で育まれる、人と人との素晴らしい絆。修哉にはそれを知り、何があっても諦めずに前に進み続ける、強い人間になってほしい。』

 

 全てが繋がった気がした。

 園村浩介はきっと、修哉がこうなることを分かっていたのだろう。そして、自分の先が短いことを知っていたからこそ、自分の死後に苦しむであろう息子のために、このゲームを遺したのだ。

「園村さんは、大切な息子さんのために、このゲームに命をかけたんですね」

 ソニアの言葉が、少し震えている気がした。彼女はやはり、すでにアンドロイドとしての一線を超えているようだ。彼女の機械らしくない表情が、それを物語っていた。

 紙をデスクの上に置き、私は谷岡の方に向き直った。

「谷岡さん。先ほど仰っていた、園村さんの助手だったというアンドロイドについて、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 後ろで眼鏡を拭いていた谷岡は、眼鏡を掛け直し、ゆったりとした声で話し始めた。

「コールくんは、園村くんが自分のゲーム開発に協力してほしいと、自ら助手に指名したんです。それからコールくんは、園村くんの助手として、ここにもよく通っていました」

「なぜそのアンドロイドを、園村さんは指名したのでしょうか?」

 私の問いに、谷岡は何やら自慢げな様子で語り出した。


「実は、コールくんは非常に珍しいアンドロイドで、エンジニアリングしか任されていなかったアンドロイド社員の中で、初めて企画職を担当するようになったんです」

「企画職を?」

 実におかしな話だ。

 先ほど聞いた話では、アンドロイドが任されているのはエンジニアリング職のみで、それ以外の企画職やグラフィック職といった仕事は、全て人間が担当している。アンドロイドに、無からアートを生み出すことはできないのだから。

「異例のことで、社内で疑問の声があがることはなかったのでしょうか?」

「いえいえ。むしろ、みんな興味を持っていましたよ。コールくんは確かにアンドロイドでした。しかし一つだけ、他のアンドロイド社員とは、違う点がありました」

 谷岡が言う前に、私にはその答えが分かった気がした。

 機械であるアンドロイドが、人間にしかできないような仕事を任された理由。

 それはおそらく、

 

「彼には、心が芽生えていたんです」

「心?」

「はい。自分の意思で考え、感情を抱くようになっていった。一度、彼に相談を受けたことがあります。自分の中に、おかしなプログラムが増えたと。しかし、話を聞いていて分かりました。彼には人間と同じ、心が芽生えていたんです」

 信じられない。信じられるわけがない。

 正直なところ、アンドロイドに心が芽生えたという話自体に、驚きはなかった。なにせ、この目でその事例を目にしているから。

 他でもない、目の前にいるソニアのことだ。

 ソニアの方に目をやると、彼女はいつにも増して、人間味あふれる表情をしている。強いて言うならば、それは谷岡の表情と似ていた。

 思わずソニアから目を逸らし、私は谷岡の話に意識を戻す。

「我々は、コールくんを信じてみようと思いました。偏見に囚われず、常識を突き破って前に進む。我々はそうして、これまでゲーム開発と向き合ってきました。同じことです。新たな可能性を信じる。それさえ忘れなければ、文化が(すた)れることはありませんから」

 谷岡の目や、声は、嘘をついていない。アンドロイドに心が芽生えたという事実を、本気で信じている。

 まるで、あの男そっくりだ。

 アンドロイドに情が移り、世界に抗う組織まで作り上げた、あの男と。そう思うと、少しおかしかった。

 またしても私は本来の目的を忘れ、この事実を確認できたことが、嬉しくてたまらなくなった。ここに来ての、何よりの収穫だ。

「ではその後、園村さんはその助手のアンドロイドと協力し、ここでゲームを完成させたんですね」

「はい。でも正確に言うと、最後にこのゲームを完成させたのは、他でもないコールくんだったんです」

「え?」

 予想外の情報に、私は声が出た。

「なぜ、園村さんではなく、助手のアンドロイドの方が?」

「園村くんは、ゲームの完成まで、体が持たなかったんです。持病によって彼は亡くなり、その後を継いでゲームを完成させたのが、助手のコールくんでした。ただ、一年ほど前に、コールくんは完成したゲームを、園村家に届けると言って出かけたきり、会社に戻ってこなかったんですが」

「戻ってこなかった?」

「はい。その数日後に、ネットから退職届が提出されました」

 その助手だったアンドロイドの謎が、私の中で少しずつ解明されつつある。しかし、今はそれについて、谷岡の前で深く言及するわけにはいかない。

 私はあくまで、何も知らない警察官アンドロイドなのだ。

 その時、谷岡のポケットの携帯電話が振動する。「ちょっと失礼」と言い、谷岡は一度部屋の外へ出た。扉が閉まるのを確認し、私は即座に情報整理を始める。


 谷岡の話によれば、助手のアンドロイドが、完成したゲームを持って失踪したのは一年前。

 私は再び記憶データを遡る。修哉が言っていたはずだ。確かこのゲームは、 

「......一年前に、アンドロイドが家のポストに入れていった。では、やはり」

「どういうことですか?」

 尋ねてきたソニアに、私は最後の確証を得るための頼み事を伝える。

「ソニア。今から約一年前、この近辺でアンドロイドが破壊された事例がないか、調べてくれませんか」

 ソニアは一度疑問を持った目をしたが、すぐにデータベースで検索を始めた。

 今は、頼れる存在に頼るしかない。

 検索がすぐに終わったようで、ソニアは持っていたタブレットに検索結果を表示させ、こちらに見せてくれた。

「二〇四二年の十二月。路上で、アンドロイドに職を奪われたと訴える人間のデモ隊が、アンドロイドへの無差別な破壊行為を行った事件がありました。当時の資料によると、この時近くを歩いていた複数のアンドロイドが、デモ隊によって無差別に暴行を加えられたようです」

 タブレットに表示された当時の資料には、暴行を受けたというアンドロイドたちの、破壊された体の画像までが載っていた。シリコーンに穴があき、鉄パイプで殴られた影響で、首が半分ほど千切れている個体もいる。実に痛々しい、悲惨な画像だった。

 ソニアの報告が終わると、私はタブレットの資料から、この事件が起きたとされる地点を確認する。そして、確信した。

「何か分かったんですか?」

 ソニアはタブレットを下ろす。私はソニアに、自分が掴んだ真実について話した。


「修哉にあのゲームを届けたのは、他でもない私です。園村浩介の思いを受け継いだ私は、ゲームを完成させ、それを園村家に届けた。そしておそらく、私はその帰り道にこのデモ隊の事件に巻き込まれ、破壊されてしまったのです」

「では、谷岡さんが言っていたアンドロイド社員は、やはり」

「ええ。この私で間違いありません」

 全ての点が、園村浩介という存在によって、一本の線に繋がった。

 私はかつて、ここで修哉の父親と共に『ミャームの冒険』を開発し、最後には自らの手で修哉に届けた。

 これが、『ミャームの冒険』と私に隠された繋がりだったのだ。

「ミャームに、私へのアクセス権限が備わっていた詳しい理由までは分かりませんが、園村浩介の助手だったとすれば、ある程度は納得がいきます」

「彼は、助手として隣にいたあなたに、何らかの理由でこのゲームを紐付けた。ということですね」

 私は、埃が被ったデスクの上のパソコンに、試しに触れてみる。しかし、電源を入れても、キーボードを押しても、反応はなかった。

 ソニアが、デスクの横に置いてあった、本体の方へ近づき確認する。

「破壊されているようです。起動は不可能かと」

「万が一見つかった時のために、完成後は破壊しておくように指示されていたのかもしれません」

「なぜですか?」

「あくまで推測ですが、自分の子供が、家庭でそれだけ悲惨な未来を歩もうとしていることを、あまり周囲には知られたくなかったのかもしれません。息子のことは、父親である自分の力で解決しようとしていたとすれば、説明がつきます」

 口から発した後で考えた。

 確たる証拠はないが、これはそうであって欲しいという、私自身の願いだったのかもしれない。『家なき子』を原案にとったあのようなゲームを作るほどの人物だ。あり得ない話ではないだろう。

「あなたも、人らしい考え方をするようになりましたね」

「そんなことは......」

「いいじゃないですか、胸を張っても」

 ソニアは、これまで私に見せてこなかったような笑みを浮かべていた。かくいうソニアの方こそ、実に人らしい表情をしている。

「デモ隊の破壊活動に巻き込まれたあなたは、そこで記憶がリセットされてしまった。しかし奇跡的に、廃棄場で再起動することに成功し、今に至った。これで、あなたの過去が判明しましたね」

 ソニアが明るくそう言った。


「いえ、まだです」

「え?」

 ソニアは、分かりやすく驚いた様子だった。

「先ほどの事件の資料。画像からして、デモ隊に暴行を受けたアンドロイドたちの被害は、凄まじいものでした。しかし、私が廃棄場で目覚めた時、私の体には傷一つついていなかった。修復された状態だったのです」

「それは、つまり」

「園村家からの帰り道でデモ隊に破壊されてから、この前私が廃棄場で目覚めるまで。この空白の一年間で、私の身には、まだ何かが起こっていたはずなのです」

「空白の一年間......」

 考えてみれば、リセットされた記憶媒体に、なぜか園村家の住所だけが残っていた。判明していない謎はまだ残っている。

 むしろ私が知りたいのは、私を修復した人物と、その目的の方だ。

 さらに言えば、『ミャームの冒険』と私の繋がりにおいても、やはりまだ腑に落ちないことはある。私は、それが知りたい。

 私は、なんとなくこの部屋を再び歩き回る。もしかすると、ここにまだ未発見の手がかりが残されているかもしれない。ようやくたどり着いた園村浩介という人物には、まだ何かあるような気がしていた。

 私はその可能性を信じ、部屋を調べて回る。やがて、ソニアも私に続いた。

 デスクの引き出しの中には、何も入っていない。落ちている紙きれをめくり、全てを確認していくも、すでに得た情報以上のものは、何もない。

 静まり返った薄暗い部屋には、部屋を調べまわる我々の雑音と、外の廊下で電話越しに仕事の話をしている谷岡の声が、かすかに聞こえてくるだけだった。

 もはや諦めようとした、その時だった。

 

「コール」

 ソニアの声がした。

 ソニアが拾い上げたのは、デスク上のパソコンの下に挟まっていた、小さな一枚の紙きれ。いや、写真だった。裏返っていたせいで、散らばった白い紙との区別がつかず、見つからなかったようだ。

 ソニアは、手にした紙を裏返し、そこに映った記憶の欠片を私に見せる。

「......これは」

 そこに映っていた景色は、一瞬にして私の思考回路を急がせた。

 この会社内で撮影されたと思われる写真だったが、そこには、我々が予想だにしていなかった存在が、はっきりと映っていた。

 もしこれが本当だとしたら......。

 私は考えた末、ソニアに最後の質問をした。

「ソニア」

「はい」

「SAVEに所属するアンドロイドの勧誘方法は、外部でのスカウトのみですか?」

「いいえ。SAVEでは、不当な理由で廃棄されたアンドロイドを、秘密裏に回収し、修理する活動も行っています。そして、再起動後には一度スカウトをし、そのままSAVEに所属するケースもあります」

「その場合、以前あなたが言っていた、“基準”というものは存在するのでしょうか」

「はい、もちろん」

 ソニアからの答えは、完全に私の推測通りだった。

 たった今発見した、この写真。これまでに私が得てきた、数々の手がかり。

 そして、それらの点と点を結ぶ最後の糸が、記憶の欠片により手に入った。

 

「............なるほど。そういうことでしたか」

 私は、とうとう辿り着いた。

 失われていた、己の過去のすべてに。

 

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