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三 ~嘘~


 一つ、思い出したことがある。

 私が目覚めた時、一瞬感じたものについてだ。

 

 あの時、記憶を失った私の中に、蠢くものがあった。感情などという大袈裟なものではない、何かが。

 私はそれを、反射的にこう解釈した。

 “痛み”であると。

 

 気づけば、私が廃棄場のフェンスを潜ってから、二週間が経過している。

 修哉との出会い、ミャームとの出会い、SAVEとの出会い。すでに時間と全く比例しないほどの出来事に、私は巻き込まれている。

 ただ一つの住所を訪っただけなのに、私はいつの間にか、自分の失われた過去についての興味など、二の次にしていた。

 

 その中で、私の中に記録された、多くの言葉たち。それをデータベース上で眺めているうちに、私はあの痛みを思い出した。

 そして、見当がついた気がした。

 リセットされる以前、どこかで何かをしていた私が感じた、痛みというものを。

 確信はなくとも、自信はある。今の私も、同じようなことを考えてしまったからだ。

 

 命と命。

 一体、何が違うというのだろうか。

 

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ● ◇

   

   

 迫りくる生徒たちの雑踏に巻き込まれないよう、私は校門から少し離れた場所の木陰に立っていた。

 私の前を通り過ぎる人間たちは、案の定私をジロジロと横目に見ている。いつもはいないアンドロイドが学校の前に立っていれば、そんな目をしたくなるのもよく分かる。こんなことは、当然ながら人間もアンドロイドも関係のないことだ。

 空を見上げると、校舎の屋根越しに、陽の光が半分だけ顔を出している。温玉の黄身が溢れ出すように、夕陽は空に美しく溶けていた。

 チャイムが鳴ってしばらくすると、生徒たちが一斉に校門から流れ出てきた。

 学年も入り乱れているため、私は絶対に彼を見逃さないよう、目を凝らす。

 

「ねえ〜、本当にSAVEの連中とはもう会ってないの〜?」

 集中しているという時でも、彼の声は相変わらず遠慮がない。

「何度も言っているだろ。私は一度接触しただけの部外者だ。そこまでの関係値には至っていない」

 私の素っ気ない答えに、小さく「ちぇっ」という声が聞こえた。

 ミャームに話したのは、あくまでSAVEという組織の理念についてと、津川について私が聞いた詳細情報のみ。あの部屋で見せられた、アンドロイドの悲しき事件に関しては、一切話していない。というより、話す理由がない。


 よく考えれば、最初こそ、ただのやかましいデータが居候してきたように感じていたが、ミャームはいつも私に愛想よく振る舞い、時には修哉の話も聞かせてくれた。さすが主人公キャラクターということもあり、根はしっかりと優しい心の持ち主だった。

 これから一生こんなことを続けるつもりは、私にはさらさら無い。

 だが、こんな日々も悪くはないと、いつの間にか思うようになっていた。不本意ながら、ミャームの陽気さに、私はどこかで救われていたのかもしれない。

 ミャームにバレないよう、これは静かに思考の中で留めておいた。

 


「あ、来たよ!」

 私が完全に油断し切っていた時、ミャームの方が先に気づいた。

 校門から、一人で下を向きながら歩いてくる修哉の姿が、下校の波の中にあった。周囲の生徒たちが、いくつものグループで固まって出てくる中で、修哉は一人だった。

 それどころか、状況はもっと酷いようだ。

「修哉ー!お前、また風呂入ってないのか?」

「修哉くっせえ!近寄るなよ!」

「早くクラス替えしてえなー!お前の顔見ないで済むもんな!」

 我慢できず、私は木陰を飛び出して歩き出す。「やめときなよ」というミャームの声も聞かず、歩いてくる生徒たちの波に逆らい、私は校門の前に向かって足早に進む。

 修哉に向かって、まだ罵詈雑言をぶつけている様子の男子生徒三人。校門越しに、その背後に私は立った。いつもの表情を保ちつつ、修哉に向かって穏やかに、そして強く言った。

「修哉くん、待っていたよ。さあ、帰ろうか」

 修哉も他の三人も、私を見て怯んだように動きが止まる。私が大きく目を見開いて顔を向けると、三人の方は小さく「行こうぜ」と声に出し、逃げるように校門から走り去っていった。何か起きたのかと、周囲を歩く生徒たちも、チラチラとこちらを見ている。アイデンティティも使いよう、というものだ。

 困り果てた表情の修哉に、私はもう少しだけ近づいていく。

「たまには、お迎えに来てみるのも良いかと思ってね。君がどのような学校生活を送っているのか、知っておきたいしね」

 私はあくまで、何も知らないふりをする。そうでなければ、私の思うように事が運ばない。今の私は、修哉の学校でのことも、家庭のことも、”何も知らない“。

 私の言葉に、修哉はまた下を向く。こめかみにある新しい絆創膏が、前髪で隠されていた。


「......一人で帰る」

 周囲の喧騒に掻き消されかけた小さな声が、聴覚ユニットの性能によって拾われる。ある程度予測済みの答えだが、私はまだ、修哉と一度もまともに話していない。

 思い切って、私は修哉に語りかけてみる。

「朱里さんも、私も、修哉くんの味方だ。苦しんでいるのなら、私たちに頼ってほしい。どうかな?」

「......」

 結果は同じだ。

 私には理解できなかった。味方なら、これほど近くにいるというのに。

 脳内から「修哉、大丈夫かな」というミャームのぼやきが聞こえる。それに乗せるように、「大丈夫ですか?」と口から出ていた。

「......僕に関わったら、みんな不幸になっちゃうよ。コールだって壊されちゃうかもしれない」

「それは君の優しさかい?だとしたら、そんな優しさは捨てるべきだ。君は君の言葉で、君自身を救えるんだよ」

「......いいからからほっといて」

 なるほど。これが修哉の本音というわけだ。

 やはり、私でも修哉を救うのは不可能なのだろうか。

 修哉は無言で、私の横を早歩きで通り過ぎていく。振り返るべきかどうか、その一瞬で私は思考を重ねていく。

 その答えが出る前に、その場で一際大きな声が聞こえた。


「修哉ー!」

 明らかに修哉を呼ぶ声だ。その初めて聞く活力あふれた声の主は、輝かしい笑顔で、修哉を目指して駆け寄ってきた。

 すれ違いざまに、私は彼の物体認識を試みる。ツーブロックのショートヘアーに、やや着崩した制服。整った体つきの割には、体のキレはあまりよく見えない。それになぜか、右足の靴だけを履いていなかった。

 少しよろけながら、彼は修哉の前で立ち止まる。修哉が無表情で見つめる中、彼は「悪い悪い」と小声に出しながら、肩で呼吸を整えている様子だった。

「何?」

「いや〜、今日こそは一緒に帰ろうと思ってさ!」

 彼に関してはいろいろとツッコミどころがあるが、今は全て後回しだ。と考えた矢先、脳内でミャームが「何あの変なやつ」とこぼした。代弁者がいるのはありがたい。

 修哉の友人かと思ったが、修哉の表情があまりそれらしくないように見える。その上、彼の「今日こそは」という言葉が引っかかった。

「靴、どうしたの?」

「これか?な〜に、大したことねえって。それより一緒に帰ろうぜ!な?」

「......ごめん」

 あっさりと彼に背を向け、修哉は背中を丸めて歩いていった。私にも背を向けていたため、断られた彼の表情は確認できない。そして彼は、カートゥーンアニメのように、大きく肩をガックリと落としてしまった。

 おおよそだが、彼の人間性は把握した。さて、私はどうするべきか。

「何を迷ってるの?コール」

「どうすべきか分からないんだ。選択肢はあるが、私にできることは限られている」

 なぜだろうか。気づけば、ミャームに何かを期待している自分もいた。

 いつから私は、彼を頼れる存在として認識していたのだろうか。こんな、やかましくて胡散臭いお調子者を。

「じれったいな〜!こういう時こそ僕の出番でしょ!早くしないと、あの子が帰っちゃうよ?さあコール、早く!」

「......分かった」

 この思い切りが、私を補ってくれる。思えばいいバランスだと、私はその時思った。

 私は彼を信じ、自分の電源を落とした。

 


   ○ ● ◇

   


「ねえ、そこの君〜!」

 しゃがみ込んでいる彼に、僕は素早く近づいた。

 彼の人間性は分かっていたから、僕はなんの迷いもなく両手を思い切り広げ、バレエを踊るように話しかける。

「僕はコール!修哉のお友達アンドロイドさ!」

 変な幻覚でも見ているのかと疑う表情で、彼はぽかんと口を開けて僕を見上げる。実に正直な感情が伝わってくる、いい表情だった。

 ここまで来たら、僕も引き下がるつもりはない。

 体にリズムを感じ、心の内側から体を弾ませて、さっき見た彼のペースを引き出す。

「修哉くんについて、ちょ〜っとお話聞きたいな!」

「あんた......なんか面白いな!いいぜ!」

 彼は思い切り立ち上がると、笑顔で僕と一緒に体を動かしだす。

 近くで見たら、彼の笑顔はとても素敵だった。本能のままに、潜在的なリズムを体から感じる。心の底から、この状況を楽しんでいる。

 なんだか楽しくなってきて、僕まで体が止まらなくなっていた。僕らは学校の前で、一緒に体を弾ませた。


「ちょっといいですか」

「なんですか~?」

 背後からの声に、僕は勢いをつけてターンを決める。

 そこには、ジャージ姿でやたら顔の怖い男性が、腕を組んで仁王立ちしていた。

「あ、鬼瓦(おにがわら)先生......」

 ......僕は、コールにバトンタッチした。

 


   ◇ ● ◇

 


 私は、変なポーズで静止していた。

 そして、何やら強面なジャージ姿の男性が、目の前で私を睨みつけている。

 すぐに何かを察知し、私はゆっくりと手足の力を抜き、背筋を伸ばす。

 その男性が、低く響く声で、私に問いかけた。

「うちの生徒に、何か御用ですか」


 ミャーム、絶対に許さないぞ。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ● ◇

   

「ごめんね、巻き込んでしまって」

「いいよいいよ。鬼瓦先生は、いつもあんなんだから」

 座って足を揺らしながら、彼は軽い調子で答えた。

 以前ミャームと来た時と、同じベンチに私たちは座っている。横断歩道の音響式信号機の音に混じり、遠くの遊具で遊ぶ子供たちの声が聞こえてくる。

 彼に話を聞きたいとは考えたが、結局考えがまとまらず、曖昧なまま彼を連れてきてしまった。不審がられる前に、聞くべきことを聞いておかなければ。

「コールだっけ?なんかさっきと感じ違うな。そういうタイプのアンドロイドもいるの?」

「事情があるだけさ」

「ふ~ん」

 カバンを漁り、彼は学校からの支給品と思われるタブレットを取り出す。ページをめくっていき、国語の問題に手をつけ始めた。

 初めて見た時点で、理系ではないことは予測できていたが、案外真面目なようだ。

雄吾(ゆうご)くん、だったね。君は国語が好きなのかい?」

「好きっていうか、一番簡単だから。だってさ、ここに答え全部書いてあるじゃん」

 そう言って雄吾は、タブレット端末に映された、長い文章を私に見せる。それは宮沢賢治の小説、『銀河鉄道の夜』の一部分だ。

「数学とか化学は、自分で計算とかして答えを出さなきゃいけないけど、国語は読めば答えが書いてあるじゃんか。だから俺は好きなんだ」

 その言葉に、彼の全てが詰まっている気がした。

 垣間見えた彼の人間性を、私は“素敵な人”であると、言語化することにした。

「雄吾くんは好きなんだね、物語を読むのが」

「大好きだよ!修哉も多分、こういうの好きだと思うんだけどな〜」

 雄吾の口から、流れるように修哉の名前が出る。やはり、彼との接触は正解だったようだ。

 脳内の誰かさんから、「コール、そろそろ本題に」という催促が入る。どこから何を聞けばいいのか、まだまとまっている訳ではないのだが、これ以上は時間の無駄だ。

 脳内でミャームに返事をし、ようやく私は本題に入った。


「雄吾くん。君に少し、聞きたいことがあってね」

「聞きたいこと?俺インサイダー取引とかやってねえよ」

「何それ?」とミャーム。

「インサイダー取引ではなくて、修哉くんについてだ。君は修哉くんと仲が良いように見えたから、話を聞きたくてね」

「......仲良しかどうかは分からねえけど、分かった」

 一瞬で、雄吾の表情が曇る。それでも、タブレットに問いの答えを入力する彼の手は止まらない。

 話のテンポを止めないよう、私は即座に質問を始めた。

「修哉くんは、学校ではどんな様子だい?」

「よく一人でボーッとしてて、周りがそれを見てこっそり笑ってる。そんで、たまに机に落書きしたり、靴を隠す奴がいる。そんな感じ」

 今この一瞬で、私は、この話をやけに落ち着いて話す、雄吾の方に興味が湧いてしまった。彼の様子は、私の予測からは外れていた。

 雄吾を観察しつつ、私は質問を止めない。

「先生方は?」

「多分気づいてるんじゃね。この前修哉の母さんが学校に来てて、先生と何か話してたから。でも手が出せないんだと思う。学校は、家族側に訴えられたら終わりだからな」

 これはおそらく、私が家で鉢合わせたあの日のことだ。だとすると、担任が話していたのはおそらく、学校でのことではなく、家庭での問題についてだ。

 待て。そうなると、この前の朱里の話からするに、学校での修哉の問題については、担任は気づいていない可能性がある。もしそうならば、あまりにも絶望的だ。修哉自身が話さない限り、修哉は衰弱していく一方だ。

 こんな問題、私に手を出す隙はあるのだろうか。

 それはそうと、先ほどからとても違和感がある。この話にも、雄吾の話し方にも。

 しかしこの違和感は、どうにも言語化が難しかった。

 

 不意に、雄吾の足元に、小さな紙飛行機が不時着する。雄吾はタブレットを片手に、それを拾って紙を広げる。横目で私も確認すると、中には鉛筆で、大きく文字が書かれていた。


『ゆーご、アンドロイドとデートか?笑 バカ同士、話が合うといいな笑笑笑笑笑笑』


 飛んできた方角に目を向けると、雄吾と同じ制服の数人の男子たちが、木陰から固まってこちらを見ていた。全員揃って、まるで小学生のような、目を細めた笑みを浮かべている。

 小さく「言ってろ」と呟き、雄吾は紙を両手で丸め、リュックの中に押し込んだ。

 彼がタブレットを手に取ると同時に、すぐさま私は話のペースを戻す。

「君と、修哉くんの関係は?」

「修哉はいっつも一人だから、一緒に図書館行こうって、俺から話しかけた。案外息があって、何回か一緒に遊んだりしたけど、途中から俺のことも無視するようになった。さっきみたいに」

「君はなぜ、修哉くんと仲良くなろうと思ったんだい?」

「友達が欲しかっただけだよ」

 この答えに関しては、もはや説明要らずだ。たった今目の前で、あんなものを見てしまったばかりなのだから。

 修哉ほどではなくとも、学校では雄吾も同じ状態なのだろう。

 脳内で、ミャームと共に予測を並べていると、雄吾が小さな声で何かを呟いた。

 

「ま、別にいいんだけどさ。全部あいつが望んでやってることだし」

 その一言で、私はハッとする。

「なぜ、そう思うんだい?」

「修哉が何も言わないから、今こうなってるわけだし。それって、あいつはこのままでいいって思ってるってことじゃん。だったら、俺らが何かしても意味ないよな〜って」

 なんとも驚きだ。いや、これは雄吾の持つ国語力ゆえのことか。

「ねえ、待ってコール。意味が分からないよ」

 脳内で困惑している様子のミャームのために、私は意識を一瞬、データベースに移す。

 


「どういうこと?修哉が望んでるって、そんなわけ......」

 真っ白な空間の中で、立ち尽くすミャームの後ろ姿があった。

 私はここで、自分の見解をミャームに伝えることにした。

「修哉はもう、諦めているんだ。全てを」

「諦めてる?」

「ああ。修哉は全てを諦め、社会のサンドバッグになることを選んだ。自分だけが我慢して、少なくとも、これ以上状況が悪化しないように」

 これが私の結論だ。

 後出しジャンケンでどうにでもなる世の中になってしまったからこそ、今この状況で、最も必要なのは、“修哉自身の言葉”。それが失われたせいで、おそらくは先生方も手を出せないのだろう。その結果、家での虐待には直接介入できず、学校で嫌がらせを受けていることにも気づいていない。

 そして何より、その全てを修哉が受け入れてしまったことで、周囲が手を出す隙がなくなってしまっている。

「雄吾は、修哉の友達なんじゃないの?どうして友達を見捨てるんだよ!」

「修哉の考えに気づいているからだよ」

「どういうこと......?」

 首を傾げるミャームに見せつけるため、私は意識を本体に戻した。

 

 公園の環境音が、私の耳に戻ってくる。先ほどよりも、道の交通量が増え始めている。

 周囲の騒音に掻き消されないよう、私は声のボリュームを少し上げ、再び雄吾に問いかけた。

「君は、とても友だち想いで、優しい子なんだね」

「......何でそう思うの?」

 雄吾の手が止まった。

 彼はわざとタブレットに顔を近づけ、私と目を合わさないようにしている。

「自分と一緒にいれば、君まで周囲の嫌がらせに巻き込んでしまう。だから修哉は、わざと君を突き放した。そして君は友人として、そんな修哉の考えを尊重したいと考えている。違うかい?」

「......コールって面白いこと言うな。俺がそんな頭よく見えるか?第一、それならいまだに一緒に帰ろうとするかっての」

 雄吾は貼り付けた表情で、私を笑う。隠しきれていないその嘘でさえ、もはや微笑ましい。

「それが、君の優しさの証だ。諦めていないんだろ?修哉のことを」

「そう思いたいなら、好きにしろよ」

 そう吐き捨てると、雄吾はベンチから立ち上がり、タブレットをケースに入れる。全身で伸びをし、彼の影が長く長く伸びた。

 こちらに振り返った彼は、澄ました笑顔で私に言った。

「あいつに言っといてくれよ。そんなんじゃ、いつまで経っても友達できねえぞって」

 彼はタブレットをしまい、重そうなリュックを片手に、「じゃあな」と軽く手を振る。私も手を上げて返事をした。彼が公園を出るまで、彼の背中を見つめていた。

 

「変な奴だったね」

「ああ。だからこそ、修哉も彼を大切に思ったんだろう」

 雄吾という存在の余韻に浸り、橙色のフィルターがかかった公園の景色を見渡す。気づけば、遊具で遊ぶ子供たちもいない。公園は私とミャーム、二人で一人きりだ。

「でも、ちょっと好きだな。あいつのこと」

「私もだよ」

 初めは不安だったが、収穫はあまりにも十分すぎた。

 いや、それだけではない。

 彼に出会えた時、修哉はさぞ幸せだったのだろうと確信できたことが、今の私には、何よりも喜ばしかった。

 

「ねえコール」

「何だ?」

 改まったように、ミャームは私を呼んだ。

「ずっと考えてたんだけどさ、僕はどうして、コールの中にアクセスできるようにプログラムされてたんだろ」

「それについては、私も考えていたよ」

 核心をつく質問だった。しばらく考える余裕が無かったが、やはりミャームも気になっていたようだ。

 私はベンチを立ち上がり、その場をゆっくりと歩き始める。二の次にしていた自分の過去と、『ミャームの冒険』の謎について。ようやく私たちはコマを進めた。

「最初からおかしかったんだ。リセットされた私が、唯一記憶していた住所の家に向かうと、そこには販売履歴のない謎のゲームがあった。そして、なぜかそこにプログラムされていた私へのアクセス権限によって、私は君と出会った。よく考えれば、何もかもが出来すぎている」

「それってさ、コールは僕と出会うためにここに来た、ってことなんじゃないの?」

 考えていることは同じようだ。

 私は人のいなくなった、広い公園の敷地内へと足を進める。冷たいそよ風に運ばれた枯葉たちが、私の足元を潜り抜けていく。ぐるぐると大きく円を描くように、私は足を止めることなく歩き回った。

「ああ。その可能性が高い。もし、私の過去に繋がっている手がかりが、園村家ではなく、あのゲームの方だったとしたら」

「誰かが、僕たちを引き合わせようとしたってこと?」

「分からない。だが、一つだけ確実なことがある。この全てを仕組んだのは、おそらく、あのゲームの開発者だ」

 私が追っている謎は全て、『ミャームの冒険』に繋がっていた。

 それは紛れもなく、私をミャームと引き合わせようとしたことも、ミャームに私のアクセス権限をプログラムしたのも。全て、あのゲームの開発者の仕業だということを物語っている。

 私は、初めて修哉の部屋に入った日の記憶を引き出す。あの時修哉は、『ミャームの冒険』について、こう話していた。

 

『......これ、アンドロイドが家のポストに入れていったんだ』

 

 あのゲームは、アンドロイドによって修哉のもとに届けられた。もしそのアンドロイドを見つけることができれば、有力な情報となり得るはずだ。

 新たな手がかりに辿り着き、興味という名の呪いに取り憑かれた気分だ。

「修哉に、もう一度話を聞いてみようよ」

「ああ。でもその前に、ミャーム。一つ頼みがある」

「ん?」

 

 

   ◇ ● ◇

   


 修哉は、家に帰っていなかった。

 

 帰宅後、昌美に悟られないよう、私たちは真っ先に二階の修哉の部屋に向かった。

 扉の前に立った時、中から何も音がしなかった時に察しはついたが、部屋の中には誰もいなかった。

 相変わらずカーテンは閉めきられ、窓との隙間から、外の淡い光が部屋に差し込んでいる。クローゼットの取手にかかったハンガーには、学校の制服はかかっておらず、床のどこにもリュックは置かれていない。テレビの電源も、今はつけられていない。

「私たちよりも先に学校を出たのに、随分と遅いな」

「女の子とデートしてたりして」

「その可能性は無いだろう」

「一番言っちゃいけないよ、それ」

 ミャームの言葉はピンとこなかったが、昌美が二階に上がってこないことを確認し、私は静かに部屋の扉を閉める。そして、テレビの電源をつけた。

「ミャーム、頼むよ」

「仕方ないな〜」

 いかにも面倒くさそうに言いながら、ミャームは私の脳内から姿を消す。私はリモコンを持ってテレビのチャンネルを変え、ゲーム画面を表示させる。一度聞いたあの音楽が、小さな音量で流れ始める。

 布団の下に隠れていた薄型のコントローラーを手に取り、私はミャームを動かして、『ミャームの冒険』をプレイし始めた。

 


 約三十分ほどプレイしたところで、私はコントローラーを床に置いた。

「やはりそうか」

 テレビの電源を落とすと、再び脳内に彼が飛んでくる。この感覚にも、もはや慣れたものだ。

 『ミャームの冒険』を一度プレイさせてほしいと頼んだ時、ミャームは不思議そうに「なんで?」と聞き返した。もちろん理由はあったが、正直それは、好奇心としか言いようがない。

「修哉よりつまんなかったな〜。第一、コール全然楽しそうに見えないし」

「そのつもりでプレイしたわけじゃない」

 また小さく「ちぇっ」と聞こえた。

 このゲームの開発者が全ての鍵を握っていると分かった時、私には確かめたいことができたのだ。修哉の元に送られてきた、このゲームについて。

「それで、何か分かったの?」

「モンスターに支配された世界で、出会った二人の仲間と共に、自分の母親を探すという物語。予測はできていたが、プレイして確信した」

 私の推理は、今のプレイを持って完全に立証されたと言っていい。理解できていない様子のミャームに、私はゆっくりと自分の立てた筋書きを話した。


「このゲームは、『家なき子』という作品を元に作られている」

「家なき子?何それ」

「一八七八年に、フランスの作家エクトール・アンリ・マロが発表した、児童文学作品だ。小さな村に暮らす少年レミは、ある日自分が捨て子だったことを知らされ、人買いに出されてしまう。そこでレミを拾ったのは、旅芸人のヴィタリス。時に悲劇や別れに見舞われながら、旅の中で本当の家族に出会い、新たな人生を歩み出すまでの物語。それが『家なき子』のあらすじだ」

「......確かに似てるけど、気のせいじゃないの?」

 ミャームの声に、動揺が感じられる。まだ疑っている様子のミャームに、私は証拠となる情報を話した。

「このゲームの舞台となる場所には、動物をデフォルメしたキャラクターが登場している。そして、君の仲間になる動物は、猿と犬。これは『家なき子』の中で、レミが拾われたヴィタリス一座にいる、二種類の動物と一致する」

 ミャームの声は、返ってこない。

「そして、このゲームのメインテーマとして流れている楽曲。主旋律に使われている楽器は、ヴァイオリン、ハープ、笛の三つ。これは全て、ヴィタリス一座が演奏に使っている楽器と同じだ」

「......何が言いたいの?」

 ミャームの声が、力なく返ってくる。

「このゲームは明らかに、修哉のために作られたものだ。本当の家族を探すという筋書きも、今の彼には強く重なる。おそらくこのゲームの開発者は、彼に新たな人生の一歩を歩み出させるために、このゲームを作ったのだろう」

 憶測による部分も大いにあるが、現時点ではこうとしか考えられない。

 このゲームが世に出たものではないというのも、これならば納得がいく。そしてこの推理が正しければ、開発者もある程度絞り込むことができる。これでまた、私の過去に大きく近づいたと言っても過言では、

「なんていうか……その言い方、ちょっと嫌かも」

 さっきよりも弱々しい声が、脳内から返ってきた。彼がここまで小さな声を出したのは初めてだったため、さすがの私も、彼に思考を向けざるを得なかった。

 その言葉の真意を聞く前に、別の声がそれを途切れさせた。


「騙したわね!」

 それは一階から聞こえた。

 昌美の罵声と、それに重なるように、大きな物音がした。

 私は、急いで部屋の扉を開け、廊下に出た。



 それは、既視感のある状況だった。

 薄暗い階段を駆け下り、すでに電気が付けられたリビングへと足を踏み入れる。そこにいたのは、昌美と朱里だ。

「何が違うのよ!あたしをずっと騙してたのね!」

「違う!」

「女手一つで、あんた達を育ててやったってのに、二人してあたしを裏切って!誰があんたらをここまで!」

「昌美さん!」

 叫んだのは私だ。割り込んだ私の声に、昌美の声が止まる。

 目線を移すと、朱里は床に倒れ込んでおり、その周囲に、タンスの上に並んでいたインテリアたちが散らばっていた。ガラスのスノードームは粉々になり、小さな観葉植物の土が、絨毯を黒く染めている。

 そしてその側には、鬼の形相で朱里を睨みつける昌美が立っている。よく見ると、その手には銀行の通帳らしきものが握られていた。

一体、何があったというのだ。

「昌美さん、何があったのですか」

「この子が悪いのよ。私に黙って、この家を出ていこうとしてたの。ここに残ってくれるって言ってたのに、母親を裏切るなんていい度胸ね」

「あんたは母さんなんかじゃない!」

「.....!」


 気づいた時には遅かった。

 パチンという大きな音が響き渡り、朱里の左頬が真っ赤に染まっていく。

「あんたは私の子。どこにも行かせたりしない」

 昌美は、持っていた通帳を床に叩きつけ、大きく足音を立ててリビングを出ていく。その後、廊下を足早に歩く音、玄関ドアが勢いよく開けられる音、ドアが静かに閉まる音が順に聞こえた。

 リビングは一度、静寂に包まれる。脳内にいるミャームがぶつぶつ言っているのも、朱里には聞こえない。かける言葉が見つからない私は、もう一度周囲をゆっくりと見渡す。

 すると自分の足元に、何やら書類らしき紙が、クリアファイルから落ちて散らばっていることに気がつく。その中の一枚をそっと拾い上げると、そこには『居住用建物賃貸借契約書』と書かれていた。

「引越しなさる予定だったのですか?」

「......修哉と一緒に、逃げるつもりだったんです」

 震える声で、朱里は口を開いた。その目からは、すでに涙が溢れて止まらない様子だ。俯いている彼女の涙が、絨毯に一滴ずつ落ちていく。

 次に私は、昌美が床に投げ捨てた通帳にゆっくりと近づく。それを拾い上げようと手を伸ばした時、その隣に落ちていた一枚の紙に目が留まる。


「退学届?」

 それは紛れもなく、大学の退学届だ。ボールペンで書かれた日付は、令和二十四年八月二十一日。今からおよそ一年半前の日付だ。

朱里は今まで、大学に通っていたのではなかったのか。

 顔に影を落としたまま、朱里は答えた。

「......母さんが修哉に酷いことをし始めた時から、ここから二人で逃げるって決めてたんです。でもお金が無かったし、バレるるわけにはいかなかった。だから、わざと母さんについたふりをして、一緒に修哉に酷いことをしてました」

 確かに、最初に私が三人の修羅場に鉢合わせた時、昌美の前では、朱里も修哉に暴言を浴びせていたと記憶している。そして昌美がいなくなった後で、朱里は修哉を抱きしめていた。

「大学を辞めたのは、引越しの費用を稼ぐためですか?」

「もともとの貯金は、全て母さんに取られてたので、ゼロから稼ぐ必要がありました。だから大学を辞めて、ずっとバイトしてお金を貯めて、もう少しでここを出られるはずだったんです。でも今日、大学を辞めてたことが、母さんにバレて.....」

 私は、床に落ちている通帳に手を伸ばす。表紙の名義は、『園村 朱里 様』となっている。間違いなく彼女の口座だ。

 開いて中を確認すると、差引残高の欄にあった七桁の数字が、今日の日付で0に変わっていた。

「引越しのために貯めてたお金、全部持っていかれた......。大学も辞めて、修哉のことも傷つけて、それでもずっと頑張ってきたのに、ずっと、ずっと............」

 朱里の涙は、永遠に絨毯に落ち続けている。スノードームの割れたガラスの欠片で、右手の甲にできた小さな傷から、血が少しずつ滲み出ている。

 いつの間にか外から、窓ガラスを叩きつける雨粒の音が聞こえていた。朱里の啜り泣く小さな声を、掻き消していくかのように。

 私は心底思った。ここに、修哉が居合わせなくて良かったと。

 私の予測の限りでは、今の心理状態で、修哉が姉のこのような姿を見てしまったならば、もはやそれが最後。彼らはいよいよ、跡形もなく崩壊してしまうことだろう。


「コール」

 ミャームの声が、私を引き戻した。

 立ち尽くしていた私はすぐに、自分が次にすべき行動を思考する。

 その結果、私は持っていた居住用建物賃貸借契約書と通帳を、ひとまずテーブルに置く。そして、ダイニングテーブルに置いてある小さなビニール袋を一枚広げ、床に散らばるガラスの欠片を入れていく。

「コールさん......」

 朱里の声がした。顔を上げると、くしゃっと歪んだ顔で、朱里が私を見ている。名前を呼ぶのみで、その後に言葉は続かなかった。

 彼女が一体、私に何を求めているのか、分からなかった。とりあえず、自分の中でまとまっていた答えを、私は朱里に示してみる。


「朱里さん。今の状態のあなたを、修哉くんには見せない方がよろしいでしょう。しばらくはお部屋にいてください。それから、今の私には何もできることがありません。別の誰かに、助言を求めるのがよろしいかと」

「......別のって、誰ですか?」

「どなたか、いないのですか?」

「............」

 朱里は、私の問いに答えなかった。それだけでなく、それまで全く動く様子がなかったのが、すぐに立ち上がり、二階の部屋へと足早に戻っていった。二階から、扉が強く閉められる音が聞こえた。

 何が起きたのか、正直私には分からなかった。

 

「コール、一回こっち来てよ」

 ミャームの声だ。脳内に来るように私を呼んでいる。

「先にここを片付けなくては」

「いいから来て」

 声色が、いつもの彼らしくない。

 何事かと思い、私は脳内データベースへ意識を移した。

 

   ◆ ○ ◆

   

「どうしたんだ、ミャーム」

 真っ白な光に包まれたデータベースの中に、ミャームは立っていた。

 彼は私に背を向けたままで、こちらを見てくれない。いつもの跳ねるような身軽さも、今の彼にはない。

 顔を俯け、何も言わずに不動を貫いていた。やはり、今の出来事が身に応えているようだ。

「気持ちは分かるよ、ミャーム。あの母親はやはり普通ではない。修哉もそうだが、朱里さんのことも助けられるよう、協力して」

 言い終わる前に、ミャームはくるりこちらに向けて歩き出す。彼らしくない表情を見せながら、私に向かって早足で歩いてくる。

 そして立ち止まることなく、勢いに任せて、彼は右の拳を思い切り振るった。

 

「!」

 頬にクリーンヒットし、私は後ろに吹っ飛ばされる。

 痛みは感じないが、私は驚きのあまり、床に倒れ込んだまま動けなくなった。

 彼の顔は、怒りの感情そのものだった。

「......分かってたまるかよ。ただの機械なんかに、今の僕の気持ちが分かってたまるかよ!」

 理解できなかった。彼の言動が、私には理解できない。

「何を、言っているんだ?」

「僕とコールは、似てるって思ってた。でも全然違った。同じプログラムの塊でも、僕にはあって、君には無いものがあった」

「私に、無いもの?」

 少し言葉を詰まらせた後、ミャームは小さく言い放った。


「......心だよ」

 心?

 ミャームは一体、何を言っているのだ。さっきの光景を見て、おかしくなってしまったのだろうか。

 私は、あくまで冷静に話を進めようと試みる。

「待ってくれミャーム。私はアンドロイドだ。心など元から存在していない。君だって」

「僕は、確かにプログラムされた存在だよ。でも同時に、あの世界の中で生きて、母さんを探してずっと戦ってる人間。この意味が分かる?僕はプログラムの塊である以前に、一人の人間なんだよ!」

 ミャームはどんどん激昂していく。その彼を止めることを、私はすでに諦めていた。

「コール、さっきゲームをプレイした時、何かおかしいと思わなかった?」

「......そういえば、前に修哉がプレイしていた時よりも、セーブデータが戻っていた気がしたよ」

 そうだ。これも先ほど、私が目を逸らした違和感だ。

 初めて修哉の部屋を訪れた時に見たセーブデータよりも、さっきのゲーム画面は進んでいなかった。それどころか、前に戻っていたのだ。

「修哉はね、あのゲームが手元に来てから、一度もゲームをクリアしてないんだよ。修哉はクリアの直前までいったら、必ずデータを消して、最初からやり直すんだ。もう一年以上同じことの繰り返し。僕は永遠に母さんに会えないし、ラスボスも倒してない。世界はモンスターに支配されたまま、苦しみ続けてるみんなを永遠に救えない。そうやって僕は、ひたすらに同じ人生を辿ってるんだよ。早く前に進みたいのに。早く母さんに会いたいのに!」

 彼の言葉に、彼の言う“心”を感じる。それは確実に、プログラム上から出た言葉ではなかった。

 暴れ回るように叫び続けたミャームは、燃え尽きたように一度腰を下ろした。私はそんな彼を前にしても、ただ見ていることしかできなかった。

 それはそうだ。私は、ただの“機械“なのだから。

 

「......ミャーム。君はずっとそんなことを抱えながら、私と一緒にいたのだね。本当にすまなかった」

「やめてよ。コールに僕らの気持ちなんか分からない。どうせ全部、分かったふりでしかないんだから。じゃなきゃ、朱里さんにあんなこと言えないよ」

 私はすぐさま、先ほど朱里に言った言葉を思い出す。

 

『私には何もできることがありません。別の誰かに、助言を求めるのがよろしいかと』

 

 彼の言う“心”を意識した上で、この言葉を客観的に見つめ直す。

 そして、やっと気がついた。あまりにも遅すぎた。

「全てを捨てて、一人で戦っていた彼女に、別の誰かなどいるわけがない。絶望した彼女は、最後に縋る思いで、私に助けを求めた。それを私は......」

 相手の言動に対し、あの一瞬でここまで理解を進めることが、彼の言う、“心”というものなのだろうか。機械の私には、そこまでの思考が限界だった。


「ねえコール。君には心は無いかもしれない。でも僕と違って、君は誰かに手を差し伸べることができる。だから託したんだよ。コールなら、誰かを救えるって思ったから。......でも、間違いだったみたい」

 腰を下ろしたまま、ミャームはずっと動かずにいる。

 私から見える彼の横顔は、とても綺麗だ。テンガロンハットから覗かせる、少し太い眉がとても凛々しい。そしてアニメ調の瞳は、少し潤って見えた。

 ミャームの言葉の一つ一つを記憶していく。これもあくまで、聴覚ユニットを通して聞こえた音声を、本体に搭載された高度なAIによって文字に変換し、記憶媒体に保存するというのが正しい。

 私は“機械“だ。何があってもその事実は揺るがない。

 やはり私に“心”はない。

 その事実が今、私の中に“痛み”として記録された。

 

「ミャーム。確かに私は、ただのアンドロイドだ。君の言うような、人間らしい感情は搭載されていない。だが、修哉を助けたいと思っていることは本当だ。それだけは信じてほしい」

「......自分の過去が知りたいだけでしょ」

 感情のない自分が、唯一アップデートした“痛み”という感情だけが、降り注ぐ大雨のように、一気に私に降りかかる。

 もはや、返す言葉も失っていた私に、ミャームは何かのデータを差し出した。目の前の空間に、それは表示される。

「......さっき頼まれてた、もう一つのやつ。SAVEとかいう組織の基地の場所だよ」

 それは、公園から帰るときに、私が頼んでいたものだった。

 SAVEの基地に運ばれていったあの時。私は停止していたが、脳内にいたミャームが道中を見ていたのではないかと思い、基地の場所の特定を頼んでいたのだ。

 その場では開かず、私はデータを受け取った。ミャームの瞳は、何もない空っぽの空間で、永遠に何かを見続けていた。

 

「ありがとう。......ミャーム、私は、」

「もういいよ。あとは好きにして」

 その言葉を最後に、データベース空間から、ミャームは姿を消した。

 ただでさえ広いその空間が、今まで以上に広く思えた。


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