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二 ~景色~


 平日の昼過ぎとはいえ、テーマパークの入場ゲートは、そこそこの人で溢れていた。


 まだ寒さが緩和していない、晴れた寒空の下。雲間から顔を出しては消える太陽に照らされる中、ダウンコートやジャケット、人によってはマフラーを身につけ、当日券売り場に列を作っている。

 入り口前に来ただけだというのに、先ほどから私の中にいる彼が、それはそれはうるさい。

「でっか〜い!僕の世界で見るより、ずっと大きい!あんな高いところまで行けるんだ!」

 大勢の人前のため、彼の声は聞こえないふりをしている必要がある。変にミャームと会話をして、故障したアンドロイドが一人で喋っていると思われたくはない。

 彼に言われるがままにやってはきたが、当然ながら入場するつもりはさらさら無い。外から見える観覧車と、フリーフォールの塔を視界にしばらく入れた後、私は踵を返して歩き出す。

「なんで入らないんだよ。いいじゃん少しくらい」

「残念ながら、アンドロイドのみでの入場は認められていない」

「ちぇっ」

 実に不思議な感覚。正直に言ってしまえば、あまり心地よくはない。

 私の体でありながら、中にもう一つの人格が誕生したと言って差し支えないのだ。

 脳内から外の世界を覗くミャームの声が、常に私の脳内に響き渡る。ミャームの性格もあり、その声は止まることを知らない。

「コール!あの丸いのって何?」

「あれはたこ焼き。小麦粉でできた生地の中に、タコなどの薬味を詰めて球形に焼き上げる料理だ。本場は関西方面で、」

「じゃあ、あれもたこ焼き?なんかカラフルだけど!」

「あれはアイスクリーム。氷菓子の一種で、」

「じゃあ、」とミャームが次のものに興味を示す前に、やっとの思いで私は話を遮る。

「もう少し落ち着けないのか。大体、さっきから興味を示すものが食べ物ばかりじゃないか。食べられないのだから意味がないだろ」

「別にいいじゃん。僕は薬草とかキノコしか知らないんだよ」

 外の世界を見てみたいと言うから連れてきたのに、これではお昼のグルメ番組と、やっていることが変わらないじゃないか。ついでに何か重要な話が聞けるかと期待していたのだが、彼は外の世界に興味を示してばかりで、私の話など聞こうともしない。

 川を渡る橋の上からの眺め、ビルが立ち並ぶ比較的都会らしさのある通り。そして今は、古びた看板の老舗が並ぶ商店街までやってきたが、ミャームの一方的なトークが収まることはなかった。

「ミャーム。確認だが、まだ時間は大丈夫なのか?」

「大丈夫。修哉がゲーム画面を開いたら、すぐに分かるから」

 それはつまり、その時が来たら私を置いて、君だけ先に帰るということなのではないのか。自分勝手というか何というか。

 商店街の途中に建てられた時計を見上げると、気づけば十五時を回っていた。これだけ巡ってもまだ満足しないとは、好奇心の深さに驚かされる。

 しかし、杖をついたご老人を介護するアンドロイド、たくさんの荷物をアンドロイドに持ってもらっている親子。こういった人間社会の当たり前の日常風景のおかげで、飽きはしなかった。

 商店街を抜けたところで、ミャームの声がする。

「ねえ、あそこの公園で休憩しようよ!」

「休むのは君ではなく、私なんだけどね」

 言われるがままに横断歩道を渡り、私は反対側の公園に足を踏み入れる。

 そこは、坂の途中にあったあの公園とは違い、子どもたちが十分に走り回れる程度の広さがあった。滑り台や鉄棒、ターザンロープといったたくさんの遊具が端の方に用意され、今はそこで数人の子どもたちが遊んでいる。私はその反対側に位置する、小さなベンチに腰掛けた。ちょうど公園全体が見渡せる、絶好のポジションだ。

 座るや否や、ミャームが間髪入れずに話しかけてくる。

「すごいね、外の世界って。僕のいる世界よりもずっと広いし、どこにでも人がいる」

「ゲームは、全ての要素をデフォルメする必要があるからね。プレイヤーの進行を妨げないよう、最低限の人員しか配置されない」

「いちいち分析しなくていいよ。僕からしたら、ただ日常の話をしてるだけなんだから」

 その言葉に、私は初めて、少しだけ罪の意識を感じた。

 似たような存在同士、少しは理解を示すのも礼儀というものだろうか。勝手にそんなことを考えているうちに、ミャームが話を切り出した。

「僕が外の世界に触れることができるのはさ、修哉がゲームをプレイしてくれてる時だけ。さっきコールが言った通り、僕も君と同じ、プログラムされた存在だから」

「そういえば、あのゲームの中での、主人公としての君の目的は何なんだ?」

「モンスターに支配された世界で、自分の母親を探すこと。まあ、僕はゲームのシナリオもオチも、全て知ってるんだけど」

 芝居をする役者は、話の先を全て知っていることと同義だろう。未来が決まっているというのは、演者の宿命だ。

「途中で出会った仲間たちと一緒に、僕は進んでいくんだけど。僕にとっては、画面越しに会える修哉が、もう一人の仲間みたいなもんでさ。僕の気持ちは、いつも修哉と同じ。だから、僕は修哉が大好きなんだよね」

 適当に話しているように見えて、彼の話術は実に達者だ。ただのおちゃらけ主人公を演じながら、彼は私をどこに導くつもりなのだろうか。

 周囲に人がいないのを確認し、私はそのまま対話を続ける。

「君は修哉について、どこまで知っているんだ?」

「部屋の様子を見てれば、大体のことは分かるよ。それに、修哉がゲーム画面をつけたまま着替えをした時に、体に何箇所か、あざがあったのを見つけた」

 やはり最初の時点で、服を脱がせてでも確かめるべきだったのだろうか。いや、結果論からこうすれば良かったなどと言うのは、何よりも不毛だ。

 昌美と修哉の前で、未だ私が気づいていないふりをしているのは、おそらく正しい判断だと信じたい。少なくともこれで、修哉が昌美から過剰な暴力を受けている事実。そして、その事実を隠していることが判明したのだから。昌美を学校に呼び出したという担任の教師は、どこまで気づいているのだろうか。


 足元を見ていると、私の視界にサッカーボールが転がってくる。顔を上げると、小学生くらいの年齢の少年少女たちが、こちらに走ってくる。が、私のことを見ると、怯えるように距離を置いて立ち止まった。先頭にいる少年が「ごめんなさい」と一言だけ言うと、私に合わせていた目を一瞬逸らし、一歩下がってサッカーボールを見つめ出した。

 私はなるべく笑顔を作りながら、自分の足に当たっているサッカーボールを両手で持ち、優しく投げ返した。受け取った少年は、また一言だけ「ありがとうございます」とぼやくように言い残し、後ろにいた全員を引き連れて走り去っていった。

 態度からも、走り去る後ろ姿からも、子供たちの、私への正直な感情が伝わってきた。

「大変だね〜。ただボール返してあげただけなのに」

「仕方ないさ。我々はただの機械だ」

「変なの。こっちが武器とか持ってるわけじゃあるまいし」

 社会構造の中に、マジョリティとマイノリティが生まれるのは仕方のないことだ。時代がどれだけ移ろいゆこうとも、それだけは決して揺るがない。

 遊園地の中で、常に行列の絶えないアトラクションがあれば、いつ見ても閑古鳥が鳴いている場所もある。まさに今目の前でも、サッカーで遊んでいる子供達の反対側で、一人でしゃがんで草いじりをしている少女が見える。

 私は、そのマイノリティであるというだけに過ぎない。周囲からどう見えていようが、そこに私は何も思わない。

 そこまで思考が回ったところで、ようやく私は外れた路線を元に戻す。

「それよりミャーム。君は、修哉を助けたいと言ったね。それはなぜだい?」

「さっきも言っただろ?僕は修哉が大好きなの。助けたいと思うのは当たり前だろ?」

「大好き、か。でも、君にそんなことできるのか?」

 私の問いに、気まずくなったように笑ったと思うと、落ち着いた声でミャームは答えた。

 

「コール。こんな僕に言えたことじゃないかもしれないけど、頼みがあるんだ」

「なんだい?」

「僕はこの通り、所詮テレビ画面の中に閉じ込められた、ただのゲームキャラだ。いくら修哉を助けたくたって、そんなのは絵空事でしかない。分かるだろ?」

 彼の声がだんだんと温度を上げていく。橙色に染まっていく陽の光が、私の影を東へと徐々に伸ばしていく。

「だから、君の力を貸してほしい。君なら修哉のそばにいてあげられるし、修哉をあそこから救い出すことだってできるはず」

「私なんかに託していいのか?私だって所詮、プログラムの塊。ただの操り人形だぞ」

「だから託せるんだよ。僕がこうして、君を操ってやれるからね。お願いだよコール。どうか、修哉を助けてあげて!この通り!」

 あえて人間らしく言えば、それは彼の、心の底からの叫びだった。彼の中に蠢く感情というものを、私は確かに感じた。修哉に対する強い感情を、データベース越しなどではなく、言葉を通して感じ取った。

 その時点で、私の彼への返答は、ただ一つしかなかった。

 

「分かった。君に協力しよう。ただし条件がある」

「何?」

「君も私に協力してくれ。おそらくあの家には、私の過去に関する何かが隠されている。もし何かを発見した時は、私に教えてほしい。いいかい?」

 ミャームの返答は、「もちろん!」だった。

 芝生の上で遊ぶ少年少女たちの影が、先ほどよりも長く伸びていた。気づけば空のいわし雲は、綺麗な夕焼け色に染まっていた。

 


 家までの帰路も、ミャームの希望で、来た時とは別の未知の通りを歩いた。

 先ほどの商店街からは少し離れたシャッター街で、周囲の建物によって陽が遮られている。ひび割れたアスファルトの割れ目からは、ところどころ微かに緑が芽生えていた。

 すれ違うのは、仕事帰りらしきスーツ姿のサラリーマンや、荷物も持たずに歩いている老人。中には、なぜここを歩いているのかも分からないアンドロイドもいる。「なんか暗いね〜」なんてミャームの声をある程度流しつつ、私は早歩きで道を進んだ。

 今日は昌美の帰りが遅いということで余裕を持っていだが、さすがに私も、あまり帰りが遅くなるわけにはいかないのだ。

 

「ん?どうしたのコール?」

 不意に感じた違和感に、私は足を止める。

 そして、すぐさま進行方向を変更した。

 

    ◆ ◇ ◆

    

 陽の当たらないシャッター街は、この世の隅っことも言うべき景色に成り果てている。

 建物と建物の間の通り道では、忘れ去られたゴミたちや、誰のもとにも帰らない野良猫たちが、人知れず鳴いている。そこはもはや、通り道というよりも、その場所に何らかの理由で偶然できた、空間の隙間というべきかもしれない。人通りのないその通り道で、ことは突如として起こる。

 

 シャッター街の一角を歩く、スーツ姿の一体のアンドロイド。鞄を片手に、洗練された動きで、活気を忘れた通り道を進んでいく。通りを吹く緩やかな風に動かされ、彼女は歩いていく。

 不意に、彼女は足元を見る。靴紐が解けたらしい。彼女は鞄を置き、靴紐を結ぶため、その場にしゃがみ込む。

 

 その彼女の背後から、一人の足音が近づく。

 彼女にとってそれは、日常に混じる車の行き交う音や、カラスの鳴き声と何ら変わらない。

 彼女は気づくことがない。

 その足音に秘められた、殺意という名の感情に。

 

 やがて足音は、彼女の背後で止まる。彼女が振り向いた時には、足音の主は、手に持った小瓶の蓋に手をかけている。

 男の手によって、小瓶の中に眠った魔物が、彼女に牙を向こうとした、その時だった。

 


「待て!」

 男は、背後からの不意打ちによって、体が宙にふわっと浮いた。

 

   ◇ ◆ ◇

   

「大丈夫ですか?早く離れてください。」

 そばにいたアンドロイドの無事を確認し、私は男の方へ振り返る。

 私の体当たりで吹き飛んだ男は、いかにも普通ではない様子で、ヨロヨロと立ち上がる。黒いパーカーに黒のスラックス。吹き飛んだ衝撃でフードが外れ、無精髭を生やしたその顔を、はっきりと確認できた。

 アンドロイドではない。紛れもなく人間の男性だ。

 彼が手に持っていた小瓶は手から離れ、アスファルトの上で粉々になっていた。中に入っていた液体が、アスファルトの地面にばら撒かれている。

「それはホスフィンですね。常温でも発火性のある、極めて危険な薬品。それを浴びれば、あのアンドロイドは大変なことになっていました」

 正常な人間のものとは到底思えない、異様に鋭い目つき。そして、怒りの感情を隠すことなく頭を掻きむしる彼の様子を見て、私はストレートに踏み込む。

「先日起きた、アンドロイドの発火事件。あれもおそらく、あなたの仕業ですね」

 私の言葉に、男の口角が片方だけ不気味に持ち上がるのを見て、確信を持った。この場所は人通りも少なく、監視カメラなども設置されていない。おそらくあの事件でも同じように、監視カメラの死角で、アンドロイドにホスフィンをかけておいたのだろう。自分は逃げて、あとは発火するのを待つだけという手口だ。

 明らかな計画性と悪質な手口。実に許し難い。

 脳内にいるミャームが、「なんで気づいたの?」と私に尋ねる。

「先ほどすれ違った時、ホスフィン特有の、炭化カルシウムによるカーバイド臭を感知した。そしてあなたが歩く先には、アンドロイドがいた。この状況に既視感を覚え、もしやと思って追いかけてきたんです」

「......やっぱり面倒くせえな、アンドロイドってのは」

 掠れたような声を出した男は、またしてもポケットから何かを取り出す。

 出てきたのは、透明な小袋だ。中には、白い小さな錠剤がたくさん入っている。

 小袋の口を開けたかと思うと、男は少しも躊躇うことなく、それを自分の口へと運ぶ。中に入っていた十錠ほどの錠剤が、一瞬にして男の胃袋へと運ばれていった。

 小袋を地面に叩きつけ、絞り出すように声を溢しながら、男の足は動き続ける。

 残念ながら、私が危険を察知した時には、もはや手遅れだった。「コール、逃げて!」というミャームの声が脳内に響き渡った時には、男は小さなナイフを手に走り出していた。

「消えろこの鉄クズがぁ!」

 右手のナイフを振り回し、男は私に襲いかかってきた。間一髪で避けていくも、私は戦闘能力など皆無だ。話術で相手を抑える術を探そうにも、そもそも話が通じる状態ではない。

 縦に、横に、ナイフをかわしていく。隙を見て、彼の胴めがけて蹴りを入れる。迫りくる刃をいなし、時には腕を掴んで取り押さえようとも試みる。

 火事場の馬鹿力というものか、思いの外私の体は動いてくれた。

 それでも、男の素早さは異常だった。

 一瞬で間合いを詰められた私の頭目掛けて、ナイフが勢いよく振り下ろされる。間一髪、両手でその手を掴むが、男の力は人間のそれとは思えない。おそらく、先ほど彼の胃袋に運ばれたものの効果だ。男の狂った目が、ナイフよりも先に私をゆっくりと突き刺す。その鋭さは、もはや獣のそれと変わらない。

 ジリジリとナイフが、私の脳天に近づいてくる。機械でありながら力で負け、私はとうとう膝をつく。このままでは、私の頭は真っ二つにされてしまう。

 その時、脳内に予想外の言葉が響き渡った。


「コール!一度電源を落として!考えがある!」

「何を言っている!私を殺す気か!」

「いいから早く!」

 ミャームのことを信じるべきか、少し前の私ならまだ躊躇っていたかもしれない。だが、今の彼ならば信じるに値する。

 私はミャームを信じ、自分の電源を落とした。

 男の手を押さえる私の手の力が、一瞬にして抜ける。



「なんだ、もうぶっ壊れたか。オンボロが調子に乗るからだ」

 男は改めてナイフを思い切り構え、コールの頭目掛けて振り下ろす。

 コールの体は、少しも動かない。

 


   ● ○ ◆

   


 そう簡単にはいかないよ。

「何だと......?」

「僕の友達に、手を出すな!」

 力強く受け止めた彼の右腕を、僕は思い切り押し返す。僕の叫び声は、コールの声帯を通して吐き出された。

 今の僕はミャームじゃない。コールだ。

 思わず後退りする彼の姿が実に滑稽だったのと、自分の考えが上手くいったことに、僕はニヤニヤしてしまった。

さっきまでの気迫が少し消えた彼の口から「何だよお前......」と聞こえ、僕ははっきりと答えてやった。

「もう一人の僕、だよ!」

 外の世界で初めて体を手に入れ、僕は胸の高鳴りと共に、軽やかに動き回らずにはいられなかった。

 僕の高なる気持ちのままに、コールの体は高く跳ね上がる。

 手も、足も、口から出る言葉も、全て僕の思い通りだ。コールには少し申し訳ないけど、一生こうしていたいとまで思ってしまった。

「バカにしやがって、てめえ!」

 彼はまたしても、その殺気をナイフに込めて、僕に襲いかかってくる。

 ごめんね。あんたの動きは、全て見切った。

 彼の振り回すナイフを、僕は自分らしい軽やかなステップでかわしていく。ナイフと一緒にダンスを踊るつもりで、僕はこの状況を心から楽しんでみる。僕がナイフを交わすよりも、ナイフの方から僕を避けていくみたいだ。

 もはや、笑顔が抑えられなかった。

 畳み掛けるように僕は、ナイフのある彼の右手目掛けて、右足を高く蹴り上げた。

 鈍い音と共に、ナイフは彼の手を離れ、アスファルトの地面を転がった。

 彼は右手を押さえながら、また後退りしていく。

「覚えてろ......」

 いかにもな捨て台詞を吐いて、彼は世界の隙間に消えていった。外の人間にバレないように、このシャッター街から抜け出すつもりだろう。でもまあ、証言者がここにいる時点で、警察に通報すれば捕まるのも時間の問題だ。

 周りに誰もいないことを確かめてから、僕は彼に呼びかけた。

「もう起きていいよ〜、コール」

 その声を合図に、コールの体に電源が入る。いつものあの声が戻ってきた。

 


    ◇ ◆ ◇

    


 一瞬の出来事すぎて、私には理解が追いつかなかった。

「こんなことができるなら、もっと早く教えてくれないか」

「知ってたわけじゃないよ。できるんじゃないかって試しただけ」

「試すタイミングがおかしいだろ。もし失敗していたら、私は今頃、廃棄場に逆戻りだ」

 もしミャームが私の体を操ることができていなかったらと思うと、実に恐ろしい。ミャームが私を操ってやれると言っていたのが、本当にそのままの意味になるとは。

「コールも、よくあんなに動けたね。僕みたいな冒険者でもあるまいし」

「気づいたら動いていたよ」

 適当に「すごいすごい」と労うミャームの声をある程度流しつつ、私は改めて、男の持っていたホスフィンに近寄る。アスファルトの地面にばら撒かれた後であれば、被害の心配はしなくてもよさそうだ。

「わざわざホスフィンを使ったのは、あの発火がアンドロイドの不具合によるものだと思わせて、人間の仕業であることを隠蔽するためか」

「でもあの人、どうしてアンドロイドを襲ったんだろう。何か恨みでもあるのかな」

「あってもおかしくはない。両者の間で起こる問題など、いくらでも考えられる」

 そう。自分たちの手で生み出したアンドロイドにさえ、負の感情を持つ人間は多く存在する。ましてや人間の間でさえ、修哉のような子供がいるのだから。

「とにかく、奴の顔は記録に残した。すぐに警察に調べてもらおう」

 私はその場で、データベースから電話機能を引き出し、三桁のプッシュボタンを順に押していく。


 私は、油断してしまった。

 

「......!」

 突然、背中に当てられた何かから電流が流れ、私の意識は、徐々に薄れていく。

 声が聞こえる。「コール!どうしたのコール!」というミャームの叫ぶ声が、脳内に響く。

 その声すらも、遠のいていく。ミャームが、遠のいていく。


 薄れる私の視界に、最後にぼんやりと映ったのは、私を見つめる、赤髪の女性アンドロイドの姿だった。

 

   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇  

   

 また、何かを思いながら、目を覚ました気がする。

 あの時と同じか、はたまた異なる何かか。

 それは、分からなかった。

 

「起きなよコール。着いたみたいだよ〜」

 顔面に衝撃を感じ、私は瞼を開ける。

 何事かと一瞬警戒するが、どういうことか、私の右手が、私の頬を叩いていた。

 いや、犯人は彼だ。

「便利だね〜。こういうことにも使えるのか」

「もう少し、優しさがあってもいいと思うがね」

 私が気を失っていたおかげで、ミャームがまた体を乗っ取ったらしい。だが、ブラウン管テレビじゃあるまいし、叩いて起こすことはないだろう。脳内から呼びかけるのではダメだったのだろうか。

 コメディのような掛け合いを経て、私はようやく、現在地の把握に取りかかる。

「ここは?」

「さあ。車でしばらく移動してきたからね」

 暗闇で周囲がよく見えないが、ここが車の中だということはすぐに分かった。私は、後部座席の左側に座っている。

 私は少々手荒な真似をされて、どこかに運ばれてきたらしい。だが手足にロープが巻かれているわけでもなく、体のどこかが破損している形跡も見当たらない。

 一体あの場所から、どれほどの距離を移動したのだろうか。自分の位置情報を調べようと試みるも、圏外と表示された。

「あ、でも覚悟は決めた方がいいかもよ。君を気絶させたアンドロイドが、『今から基地に連れていく』って、誰かに報告してたから」

「基地?」

 突然不気味なことを言わないでほしいものだ。ここは、どこかの機関に関わる場所なのだろうか。だが、法に引っかかることをした覚えはない。先ほどの行いは、あくまで正当防衛のはずだ。

「まあ、無事に帰ってくることを祈っといてあげるよ。悪いけど、そろそろ修哉がゲームを始めてもおかしくない頃だから、先に帰ってるよ。じゃあ頑張ってね〜!」

「おいミャーム!」

 脳内のやかましさが、一瞬にして静寂へと変わった。どうやら、本当に一足先に帰ったらしい。

 思うことはあるが、彼は修哉の事情もあるので、今は仕方がない。話はまた今度、ゆっくりとだ。

 少し身を乗り出し、前方の座席の方を確認する。現在時刻が分かれば、大体の移動距離も計算できるかもしれない。

 車の小さなスクリーンに、デジタル時計が表示されている。そこで時刻を確認した私は、移動距離の計算をする前に思ってしまった。昌美がまた不機嫌になってしまうと。

 時刻は、午後六時をとっくに回っていた。今頃、昌美が一人で夕食を切り盛りしていることだろう。私がいないことへの苛立ちを、修哉にぶつけてしまうかもしれない。

 不安に駆られて本題を見失う前に、移動距離を計算し始めようとした時、反対側から後部座席のドアが開いた。

 

「目が覚めましたか。では、私についてきてください」

 顔を覗かせたのは、女性型アンドロイドだ。彼女は挨拶も名乗ることもなく、一言だけ言い放ってドアを閉める。私は警戒しつつ、言われるがままに車を降りた。

 外はどこかのガレージ内のようで、横には数台、同じ型の車が並んで停まっている。薄暗いガレージは天井が低く、周囲に人の気配は無い。車と同じ数だけの蛍光灯が設置され、二箇所ほどが切れかかって点滅していた。

「こちらです」

 彼女はやけに丁寧な口調で、私を案内する。私は彼女のすぐ後ろについて、ガレージの隅にあった扉をくぐり、左に続く細い廊下を進んでいく。

 背後から改めて観察すると、彼女はユニフォームらしきジャケットを着ている。その背中には大きな文字で、『SAVE』と書かれていた。

 おそらく、先ほど私を気絶させたアンドロイドは、彼女で間違いない。虚ろな視界でも、このショートカットの赤髪ははっきりと確認できた。

 手荒な真似をした割には、ここまで随分と丁寧な案内だが、彼女は一体何者で、ここは一体どこなのだろうか。そして、なぜ私はここに連れてこられたのか。チラシの一枚も貼られていない、白い簡素な壁に挟まれながら、十五メートルほど廊下を歩いたところで、先ほどと同じ形状の扉が現れる。

 赤髪の彼女は「こちらです」と一言私に言うと、扉に手をかけた。

 開かれた扉の向こうにあった景色は、全くもって私の予想に反するものだった。

 


「ここは......」

 学校の図書室ほどの広さがあるガレージ。

 そこには、あちこちに無数の机や機材が並べられ、甲斐甲斐しく部屋の中を行き交う人間とアンドロイドたちがいた。

 スーツ姿の者もいれば、ある程度カジュアルな服装の者。赤髪の彼女と同じジャケットを着ている者もいる。

 簡易的に作られた、何かの組織の空間なのだろうか。私は、自分がここに連れてこられた理由が、ますます分からなくなっていく。段ボールを抱えたスーツ姿の男性が、私をチラッと見ながら前を通っていく。すぐ手前のデスクで資料らしき紙を広げているアンドロイドたちも、表情もなくチラチラと私の方を見始めた。私は理解を諦め、チュートリアルを進めるように、再び赤髪の彼女についていく。

 いくつものオフィスデスクに挟まれた、少し広めの中央の通路をまっすぐに進んでいくと、奥には、地位の高い人物と思われる男性が腰を下ろしているデスクがあった。男性は紺のスーツ姿で、おそらく二十代後半から三十代前半。凛々しい眉に整った顔立ちで、体も引き締まっているように見える。

 いつ何が起きてもいいよう、卓上ネームプレートに書かれた『田崎(たさき)』という名前を、私はすぐに記憶媒体に記録する。そんな私の様子など気にせず、赤髪の彼女は、田崎と思われる男性に声をかけた。

「田崎さん。新たに一体のアンドロイドをお連れしました」

「わざわざ挨拶はいいよ。アンドロイドへの説明は君の方から............お前は、」

 一瞬、興味も示さない様子だった田崎は、私を視界に入れた瞬間、分かりやすく目つきが変わる。口元の筋肉の緩みが、彼の動揺を全て物語った。

 すぐにメガネを触り、平静を装ったようだが、田崎はおそらく今、私たちに何かを隠した。初対面でこんなことを気にしたくはないが、気にせざるをえない反応だった。

 一度座り直した田崎は、赤髪の彼女へと話しかける。

「このアンドロイドは、どこで?」

「例の事件の犯人と、偶然接触したようです。被害者ではありませんでしたが、犯人を警察に通報するところでしたので、阻止した次第です」

 慣れた口調で報告しているようだが、あの手荒さもここでは普通なのだろうか。

「そうか。君、名前は?」

「コールと申します」

「......コールか。そうか。いい名前だ」

 田崎の口元が、また緩む。生きのいいマグロを見ているかのように、彼の目はわかりやすく泳ぎ始める。

 私に興味を示しているだけなのか、それとも別の何かか。

「初めまして。私はソニアと申します」

「あなたの型で、赤髪は珍しいですね」

「自分では気にいっているつもりです」

 私の方に向き直り、ソニアはそっと微笑む。それがアンドロイドに搭載された、いわゆるビジネススマイルに見えないのは、私の気のせいだろうか。

 ソニアの横に立つように、田崎が私の視界に入り込む。

「私は田崎。ここ、SAVEの責任者だ」

「SAVE?」

 この短時間で、見覚えのある単語だ。そこはかとなく興味が湧いた私は、自ら問いを投げかける。

「あなた方は、何かの組織なのですか?」

「我々は、『Social Accept Various Exterior』。通称、『SAVE』。人間社会における、人間とアンドロイドの正しい共存を目指す、極秘組織です」

 田崎に代わって、ソニアが答えた。

 SAVE。紛れもなく、彼女の着ているジャケットの背中に書かれた文字のことだった。

 未だ警戒心を解いていない私の目を見て、ソニアは淡々と説明を続ける。

「SAVEは、一昨年の四月に設立され、今月で活動一年十ヶ月目を迎えます。国中のあらゆる機関には、我々SAVEの一員が潜んでおり、アンドロイドへの不当な扱いを確認次第、我々に報告が回り、秘密裏に解決に動きます。警察にも、政府にも、我々の存在は一切知られていません」

「要するに、ここにいるのは皆、世界を変えるために集まった、無法者だ」

 国の陰に隠れた極秘組織などというSFじみた存在に、出会うことなどあるわけがないと思い込んでいた。子供ならば誰もが夢見る、大冒険の始まりのようなシチュエーション。とは言い難い景色だが、何かが始まろうとしていることだけは分かった。まだ私の脳内にミャームがいたら、頭の中がさらにうるさくなったことだろう。

「人間とアンドロイドの正しい共存とは、どういう意味ですか?」

「そのままの意味です。人間が、アンドロイドを道具ではなく、一種の種族として認知し、その存在が受け入れられる世界です」

「コール。君はこれまでの生活の中で、経験したことがあったはずだ。人間に胡乱な目で見られたり、道具として扱われていると感じたことが」

 認めたくはないが、その心当たりが、私にはある。

「そもそもこの現代社会は、人間とアンドロイドに対して、平等に作られたものではない。法の適用、雇用の仕組み。そして労働の対価。その全てにおいて、アンドロイドは今や、奴隷とも言うべき扱いを受けている」

「あなたが先ほど、あの男性に対して行った行為。本来なら正当防衛ですが、警察の判断によっては、あなたは廃棄処分になる可能性があります」

「なぜですか?」

 私は思わず聞き返す。

「あの男がもし嘘の証言をすれば、君の証言は一切通らない。それが、今の人間の物の見方だ」

「コールさん、三年前に都内で起きた、こちらの事件をご存知ですよね」

 ソニアが、取り出したタブレット画面に、過去の新聞記事らしきものを表示させる。見出し文字には大きく、『アンドロイドによるテロ行為?』と書かれている。

 しかし当然ながら、私には記憶にない事件だった。

「いいえ、存じ上げません」

「この事件を、ご存じないんですか?」

 らしくもなく、ソニアは目を丸くした。

「私は、記憶媒体をリセットされているんです。その影響かと」

 首を傾げた私を見て、田崎はまた目を逸らした。分かりやすく動揺を隠そうとしているのが、その挙動から確認できる。

 横から、ソニアが事件について、手っ取り早く話してくれた。


「二〇四一年、政府官邸に二人のアンドロイドが不法侵入し、その場で射殺された事件です。当時は、国内で初めてアンドロイドが引き起こしたテロ行為として、話題となりました。さらに専門家の間でも、アンドロイドのテロの動機について、さまざまな可能性が議論されました」

 私はタブレットを受け取り、記事を隅々まで確かめる。

 この痛々しい記事を読みながら、私は聴覚だけをソニアの言葉に傾けた。

「当時、警察はこの事件について、アンドロイドの故障によるものだったと発表し、一方的に捜査を終わらせました。しかし、実際はそうではなかったことを、田崎さんは単独で突き止めたんです」

「どういうことですか?」

 私が問うと、田崎は自分のデスクの引き出しを開け、中から何かを取り出す。

 彼の手に握られていたのは、USBメモリだ。

「ついてこい」

「こちらへ」

 二人に言われ、私は躊躇もなく足を進めていた。

 


 ガレージ左奥の部屋へ案内された。田崎が扉を二回ほどノックし、「失礼します」と言い終わる前に扉を開ける。

 中は、六畳程度の小さな部屋だった。天井には、小さなダウンライトが二つ埋め込まれているのみで、ただでさえ狭い部屋の中には、警察モノのドラマで見るような高スペックの機材が、隅々まで設置されている。

 部屋の中はタバコ臭に包まれており、生活空間として使えそうなのは、一台のノートパソコンが置かれた奥のデスクの、手元のスペースくらいだった。

 そしてそのデスクには、丸い背中の男性が、どっしりと腰を下ろしていた。見えたのは後ろ姿のみで、我々が近づいてもこちらに振り向かず、パソコンのキーボードをタイピングし続けている。

金城(かねしろ)さん、ちょっといいですか」

「なんだ」

 田崎の呼びかけに、金城と呼ばれた男性はパソコンを触る手を止め、椅子を回転させてこちらを見る。睨むような目つきでぶっきらぼうに「今は忙しいんだよ」と低い声を出した。


 不意に、私と目が合う。

 咄嗟に会釈をし、「初めまして」とだけ言うと、金城はやけに急に落ち着いたように見えた。

 濃いめのグレーのジャケットブルゾンに、下はラフなスウェット。白髪混じりの髪に、ややふくよかな胴回り。予想よりも年齢を重ねた人物だった。

 この人もアンドロイドではなく、人間だ。

「用件はなんだ」

 第一声とは機嫌がまるで違う様子の金城に、田崎は先ほどのUSBメモリを差し出す。

「例のデータ、彼にも見せてあげたいんです」

「よりによって今か。面倒くせえな」

 そう言いつつ、金城はUSBメモリを受け取り、デスクに置かれたパソコンに差し込む。目にも止まらぬタイピングの速さで操作すると、パソコンの画面には、動画ファイルらしきデータが表示された。そこで徐に、金城は椅子から立ち上がり、私に近づく。

「自分の目で見てみろ」

 金城は私に、顎で椅子に座るよう促した。何も分からぬまま、私は金城の座っていた簡素なデスクチェアに座り、パソコンと向き合う。背後で腰を叩いている金城を確認し、私は画面に表示された動画ファイルにカーソルを合わせ、再生ボタンを押した。



 ファイルは十秒ほどで、映ったのは、アンドロイドの一人称視点と思われる動画だった。

 場所は、一面がガラス張りになっている広い建物内で、奥に庭園らしき緑が見える。どうやら、政府官邸の建物内のようだ。

 その前で、黒いスーツを着た男性二人が、こちらに拳銃を向けている。

 再生すると同時に、視点の主と思われる、女性アンドロイドの声が聞こえてきた。

 「お願い聞いて......!私たちの声を!私たちは生きているの!お願い、撃たないで!まだ死にたくな」

 

 銃声が鳴る。動画ファイルは、そこで女性の声を途切れさせ、画面は真っ暗になる。

 映像は最後まで、視点が激しくブレていた。



「これは......」

 振り返ると、立ったままの田崎とソニアも、画面からまだ目を逸らしていなかった。

 そして、私の目が確かならば......ソニアの目からは、液体が流れていた。

 一瞬、完全に私は思考を放棄した。

 静かに深呼吸をした田崎が、ようやく話し始める。

「これはさっき話した、政府官邸に侵入したアンドロイドのメモリーに残っていた、最後の映像だ。私はもともと警察の人間でね。射殺されたアンドロイドの中に残っていたデータをコピーし、この映像を手に入れた」

 田崎が警察の人間だったという情報など、今の私には入ってこない。あの映像が、この組織の全てを物語っていると、私はすぐに感じた。

 映像内に記録された女性アンドロイドの悲痛な声が、何度も脳内でリプレイされる。自分でそうしているわけでもないのに、何度も、何度も。

 今度は、ソニアが話を続ける。

「あの事件は、テロなどではなかった。アンドロイドによる、小さな革命だったんです。彼女たちには、自我が芽生えていた。彼女たちは、自分たちを道具として扱ってきた人間たちに対して、命をかけて訴えようとしたんです。自分たちには命があると、知ってもらうために」

「しかし、この事実は政府によって隠蔽され、命をかけた彼女らの思いが、語り継がれることはなかった。この意味が分かるか?」

 田崎の拳に力が入るのが、僅かに視界に映る。

 その横で、私は未だに椅子から立ち上がれずにいた。

「私はこの事実を知ってから、警察を辞職し、SAVEという組織を作り上げた。アンドロイドに対する、人間たちの理解を深めるために。そしてアンドロイドたちが、二度と同じ思いをしないために」

「なるほど。そういうことでしたか」

 私はようやく立ち上がり、背後にいる三人の方へ向き直る。田崎の後ろで、金城は話に入るのを避けるように、背を向けてタバコを吸っていた。ソニアもまた、一言も言葉を発さずにいると思うと、映像が終わったパソコンの画面を、ずっと凝視している。

 かくいう私は、部屋の空気がさらにタバコ臭で覆われていくのを、感じていることしかできなかった。

「あとは外でやってくれ。仕事が進まないんだよ」

「すいません」

 田崎は下を向きながらも、パソコンからUSBを静かに抜き取った。


 すると突然、金城の声が私に向いた。

「お前、名前は?」

「私は、コールと申します」

 私の答えに、金城の眉が少し、ピクッと動いた。

「お前はなんか、仕事とかしてるのか?」

「はい。今は訳あって、とある民家で家事をしながら、お世話になっています。少々、厄介な事情のある家庭なのですが」

「そうか。まあ、頑張れよ」

 それだけ言うと、金城はまた私に近づき、肩に強く手を置いた。

 その手は、とても温かかった。

 

   ◇ ◆ ◇

   

「なぜ目隠しをする必要が?」

「基地の場所は、あくまで極秘ですので」

 再び後部座席に座らされ、今度は目隠しまでされた私は、園村家まで送迎させてもらうことになっている。

 これをされた今だからこそ、気絶させられた最初を尚更疑問に思う。あれだけは納得がいっていない。

 そんなことはともかく、今日は時間の関係もあり、残りの話は車の中でということになった。先ほど田崎に見送られ、私は今、ソニアと帰り道を共にしている。視界が暗闇に包まれる中で、私の隣に座るソニアから、詳しい説明が始まった。

「我々は、今回の連続アンドロイド発火事件の犯人に、目星をつけていました。津川征一郎(つがわせいいちろう)、三八歳。あなたが先ほど交戦した男性で、間違いありません」

「彼はあの時、薬物らしきものを大量に服用していました。その影響による、無差別テロでしょうか」

「いえ、おそらくは特定のアンドロイドを狙った、復讐だと思われます。津川が狙ったアンドロイドたちには、彼と接点がありました」

「それは、どのような?」

「そこまではお答えしかねます」

 ソニアは食い気味に答えた。あくまで信用はないということか。今日出会ったばかりの部外者ならば、この距離の取られ方は仕方ない。

 しかし、私の中には、今に至るまでの時間で見たものの中に、まだまだ疑問点が溢れている。家に着くまでに聞き出せるかは分からないが、一つ一つ確認する。

「ところで、私を連れてくる必要はあったのでしょうか。SAVEは極秘組織なのでしょう?」

「ある一定の基準に達していると見られるアンドロイドは、見つけ次第連れてくるように言われています。我々SAVEの理解者を増やすためです」

「一定の基準?それは一体、」

「お答えしかねます」

 ソニアは食い気味に答えた。

 私は、その一定の基準にどうやら達しているらしい。これは消えた私の過去に、何か関係しているのだろうか。

 そもそも、どこから私を観察していたかは知らないが、先ほどの津川との交戦中にそれを判断されたのだとしたら、余計にソニアの言う“基準“が分からなくなる。

 戦闘力?しかしあれはミャームのおかげ。だとすれば、とんだ笑い話だ。

「次はこちらの質問に答えてください。コール。あなたの現在の住まいを教えてください。働いている場合は会社名も」

「なぜそんなことを?」

「決まりですので」

 こちらの質問にはろくに答えないくせに、なんとも理不尽なものだ。

 だが逆に言えば、これで手がかりを得られるチャンスが増える。少し考えた末、私は正直に答えることにした。

「私は現在、富士宮市内に在住の、園村昌美さん一家のご自宅に身を置いています。以上です」

 私の正直な答えに、ソニアの返事には間があいた。

「......そういえば、あなたはリセットされているんでしたね」

 体をこちらに向けて、座り直したかのような音が隣から聞こえる。それから勢いをつけた声でソニアは、私に詰め寄った。

「それでは、覚えている範囲内で構いません。あなたが今日に至るまでの出来事を、なるべく簡潔にお話しください」

 私はただ、暗闇の中で前方向だけを向き続け、言われた通り簡潔に答えた。


「今から数日前、私は町外れの廃棄場で目を覚ましました。その時すでに、私の中の記憶媒体はリセットされており、自分の名前以外の全てを忘れていました」

「園村家の自宅に向かったのは?」

「私のデータベースの中に、なぜか園村家の住所だけが残っていたのです。そこに行けば、何か手掛かりが掴めるかもしれないと思い、園村家に向かいました」

「なるほど。しかし、どうやって自宅の中に?」

「ちょうど、園村昌美が家事アンドロイドを注文しており、それを私と勘違いしたようです。そこで咄嗟に、私はその家事アンドロイドになりすまし............ん?」

 口で説明したことで、私はたった今、自分がとんでもない問題を放置していたことに気がつく。

 分かりやすく動揺してしまった私の横から、落ち着いたソニアの声が聞こえた。

「まったく。本物の家事アンドロイドが自宅に配送されれば、全てが水の泡ではありませんか」

「私としたことが......」

 これに関しては、自業自得としか言いようがない。同じアンドロイドの前で、自分の不甲斐なさを恥じた。

 しかし、そんな私にソニアがかけた言葉は、意外なものだった。


「でもちょうどいいです。コール、SAVEに入る気はありませんか?」

「SAVEに?私が?」

「あなたには、その資格がある。田崎さんも、他のみんなも、喜んであなたを迎え入れると思います」

「資格、とは?」

「お答えしかねます」

 資格というのは、先ほどの“基準”と同じものを指しているのだろう。

 まさか、最初からSAVEへの勧誘のつもりで、私を連れてきたというのか。あそこにいたアンドロイドたちも、皆こうしてSAVEに勧誘されたのだろうか。考えれば考えるほど、疑問の尽きない組織だ。

 それでも、私は悩んだ。

 あの映像を見てから、自分の中で、何かが蠢いているような感覚に襲われている。その正体に迫るには、SAVEは十分すぎる。

 しかし、私にはどうしても、優先すべき問題があった。


「申し訳ありませんが、今はSAVEには入れません」

「どうしてですか?」

「私には今、こちらでやり遂げなければいけないことがあります。それが終わるまでは、園村家に身を置いておきたいのです」

 やはり、私は修哉を放っておけなかった。というより、ミャームとの約束を破りたくはなかった。

 世界の問題に目を向ける前に、まずは目の前のタスクをこなす。それが私の答えだ。

「分かりました。園村昌美が購入した家事アンドロイドは、我々がキャンセル手続きをしておきます」

「できるのですか?」

「SAVEの一員は、あらゆる場所に潜んでいると言ったでしょう。これくらい造作もありません」

 軽々とそう言ってのけるソニアに、私は恐怖すら感じた。戸惑いながらも、私は一言だけ「ありがとうございます」と伝えた。

 そして間髪入れずに、私は次の質問を続ける。

「話を戻しますが、なぜあの時、私が通報しようとしたのを妨害したのですか?津川は危険人物です。すぐにでも確保するべきでは」

「だからこそです。そもそも世間では、アンドロイド発火事件は、ただのアンドロイドの不具合によるものとしか思われておらず、警察も詳しい捜査は行っていません。つまり今は、我々が津川を確保するチャンスなんです」

「事件性を知られるわけにはいかない、ということですか」

 それならば、警察に通報しようとした私を止めたのも、納得がいく。

 津川の身柄が警察に渡ったところで、下される処罰はたかが知れている。人間とアンドロイドの共存を目指すSAVEからすれば、簡単に渡すわけにはいかない情報のはずだ。津川の捜索も、きっと急いでいるのだろう。

「間もなく到着します」

 運転席から男性の声が聞こえた。気づけば家の近くまで来ていたらしい。限られた時間だったが、最低限の情報を聞き出すことはできた。今日の収穫としては十分だろう。

 しかし、私は欲張った。

「最後に、もう一つだけ」

 納得した上で、私はSAVEという組織について、最も気になっている疑問を、ソニアにぶつけてみる。本当なら、これは田崎に聞きたかったのだが、致し方ない。


「あなた方は、なぜ公に出て活動しないのですか?SAVEの掲げる理念を考えると、堂々と存在を明かした方が、達成は早いと思うのですが」

 ソニアから、返事は返ってこない。視界は遮られているが、隣にいることは間違いないはずなのだが。

 私の問いに、ソニアは黙秘を続けた。「ソニアさん?」と私が問いかけているうちに、車がスピードを落とし、停止した感覚があった。

「到着です。目隠しを取って大丈夫ですよ」

 運転手に言われるがままに、私はとりあえず目隠しを外す。窓の外には、間違いなく園村家の自宅があった。

 右を向いても、ソニアは前を向いたまま、私に目も合わせようとしない。これ以上は無駄だと悟り、私は車のドアを開けようとする。男性の操作で、ドアは自動で開いた。

 車を降り、未だ沈黙を貫くソニアへ一礼し、私は玄関へ向かおうとした。

 


「私も記憶を消されています」

 車の中から、ソニアの声がした。振り向くと、ソニアは変わらず前を向いたまま、私に向けて話を続けた。

「私の中に、一度だけ記憶を消去された形跡があります。昨年の十月頃です。そしてその日から、田崎さんは何かが変わりました」

「何かとは?」

「言語化ができません。ですがもしかしたら、その消去された記憶に、田崎さんがSAVEを公にしない理由が、あったのかもしれません」

 その言葉を最後に、ソニアと私の間に分厚いシャッターを降ろすように、車のドアが閉められた。ソニアの横顔が脳裏に焼きついたまま、私は去っていく車の後ろ姿を見送ることとなった。 

 

 消去されたというソニアの記憶のことはよく分からないが、田崎に対する見解については、私も彼女と同じだ。

 おそらく彼の奥底には、何か大きな秘密が隠されている。それが過去の遺物なのか、未来に向けた企みなのかは、まだ分からない。

 SAVEという組織に出会えたことは、実に幸運だ。

 だが私にとっての収穫は、田崎に出会えたこと。それ以上のことは無いと言える。

 冷たい夜風に吹かれながら、私は園村家の門扉を潜った。

 

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