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物語のはじまりに還る夜

カラン――。


静かにカフェの扉が閉まり、看板が「CLOSED」に裏返された。

閉店後の『KIRABOSHI』には、ほのかに甘いバニラとスパイスの香りが漂っていた。暖かな光に照らされたテーブルの中央には、今日の売上がぎっしり詰まった革袋。その膨らみに、誰もが思わず笑みを浮かべた。


「やりましたね、先生っ!」


リアが両手で湯気の立つティーカップを抱きしめながら、頬を紅潮させて声を上げる。


「これで、借金返済も現実味を帯びてきました! ちゃんと計算しましたよ! 手形の分も税金も込みで…!」


「はは、リアは本当に数字に強いなあ……俺は、そのへん全部“ご祝儀袋感覚”で使ってたわ」


「それがダメなんですってば!!」


リアがぽふんとオタクミの額をスケッチブックの角で軽く叩いた。セラはその様子を横目に、ぶっきらぼうな口調で呟く。


「……まあ、悪くない結果ね。立ち退きの心配も、これなら当分ないし」


だが、その横顔はどこか穏やかで、頬はほんのり紅い。接客中ずっと“塩対応”だった彼女が、黙々とリアの焼いたクッキーをもぐもぐ頬張っている姿は、もはや“癒し枠”とすら言えた。


「ふむ。客単価、リピート率ともに上々。とくにランダム特典による収集欲の刺激が功を奏しているな。あのコースター戦略は、なかなかに優れている」


アーグは、冷静にカフェの経営状況を分析しながらティーカップを傾ける。元転売魔とは思えないほど理知的なその姿は、すっかりこのカフェの“頼れる顧問”と化していた。


「ははは! これもすべて、我が推し――ミスティア・ルミナス様の尊さのおかげだッ!」


オタクミはハーブティーのカップを掲げて高らかに笑う。誰もがその余韻に浸っていた。

――いや、正確には、一人だけが違った。


オタクミは、笑顔の裏で、その胸の奥にじわじわと広がる違和感に気づいていた。


(……なんだ、この引っかかりは)


異世界で推しの布教を始め、リアの絵は“可愛い”と絶賛され、セラは“クール”な店員として大人気。特典目当てにリピーターも増え、経営は右肩上がりだ。


――それでも、何かが足りない。


(皆、ただキャラの見た目やグッズを“消費”してるだけなんじゃないか? 本当に“推しの尊さ”を感じてる奴なんて、いないんじゃ……)


まるで、自分が憎んでいた「転売屋」と同じような構造の中に、いつの間にか組み込まれているような――そんな不安が、胸の奥を圧迫していた。


と、その時だった。


リアが、カップを両手で握りしめながら、おずおずと口を開いた。


「……あの、先生……。私、たくさんの人に自分が描いた絵を見てもらえるのは、本当に嬉しいんです。でも……」


彼女は言葉を探すように視線を泳がせた。


「みんな“可愛い”って言ってくれるんです。でも、“この子って、どんな子なの?”って……そういうこと、誰も聞いてくれなくて……。

……私の絵は、ミスティア様の魅力を、本当の意味で伝えられてないんじゃないかって……」


その言葉に、オタクミの胸が刺されたように痛んだ。


(……やっぱり、俺だけじゃなかったんだ)


その時、静かに脳内に響いた声があった。


『――オタクミ殿』


それは、いつものお調子者な軽口とは違う。

どこか重く、真剣な響きを帯びた、鞘神ゴルドスの声だった。


『君たちの活動で、ラザリス周辺の“正のエネルギー”は確かに回復している。だが、それに抗うように、この世界の深部に眠る“淀み(よどみ)”……負のエネルギーもまた、目覚めようとしている。』


「……“淀み”?」


思わず口に出したその言葉に、アーグがティーカップを静かに置いた。


「なるほど。確かに“文化”というのは、民の心を照らす光だが、それは同時に、眩しさを妬む闇も生み出す。君たちが創り出した“尊み”の火が大きくなるほど、より大きな影を落とすのだ」


彼は言葉を選びながら、静かに続けた。


「今の客は、“かわいい絵”という結果を求めているだけだ。その背景にある“物語”――ミスティアという存在そのものへの共感が生まれていない。このままでは、君たちの創った文化は、飽きられ、消費され、終わる。今こそ“ファン”を、“信者”へと導く段階に入るべきだ」


その言葉に、リアもセラも黙り込んだ。


(そうか……。ただ商品を作って売るだけじゃダメなんだ。尊みを、物語として“語り継ぐ”必要があるんだ……!)


オタクミの胸の奥に、小さな“焦り”が芽を出し始めていた。



重くなった空気を変えるため、一行は夜のラザリスを散歩することにした。


昼間の喧騒が嘘のように静かな石畳の路地。魔法の街灯が淡く辺りを照らし、夜風が頬を撫でる。


やがて辿り着いたのは、小さな広場だった。


その片隅に、老いた吟遊詩人がいた。

古びたリュートを爪弾き、しわがれた声で語るのは――名もなき騎士の物語。


「一人の騎士がいた。

 竜に挑み、仲間を喪い、

 それでも民を守るために――剣を取り続けた、哀しき英雄の歌」


観客は数人。物売りの少年、衛兵、老夫婦。


華やかさも、光もない。


だが、その場にいた誰もが――その物語に、心を奪われていた。


冒険者の少年は拳を強く握り、老婆は目元をそっと拭った。


オタクミは、まるで雷に打たれたようにその光景を見つめていた。


(これだ……これが、“物語の力”だ)


高画質な映像も、派手な演出も要らない。


人の心に宿る“想像力”が、最も鮮明に、最も尊く“キャラクター”を生かす――

それが、本来の“推し活”の姿だった。


(俺は……ミスティア様のこと、ちゃんと“語って”なかった。グッズで満足してた。

でも本当は――あの尊さを、皆にも伝えたかったんだ)


オタクミの胸に、ひとつの新たな決意が生まれていた。


「俺たちは次の段階へ行く。キャラを消費されるだけで終わらせない。

“語られ、紡がれる物語”として、この世界に残してみせる!」


その目が、夜の星空に燃えていた。

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