〜腐〜覚醒
午後の《Twinkle☆Cafe 『KIRABOSHI』》は、いつにも増して静かだった。
普段なら店内に響いているオタクミの早口講義も、ゴルドスのツッコミも、今日はない。
彼らはアーグと共に、ギルドへの報告と市場の仕入れへと出かけていた。
カフェに残されたのは――リアと、セラ。
二人きりだった。
「……」
「…………」
絶妙に気まずい空気が、テーブルの上にぽっかり浮かんでいた。
リアは何度も同じ場所を拭いては手を止め、セラは腕を組みながら窓の外に視線を泳がせていた。
誰も何も悪くないのに、なぜか「間がもたない」のだ。
リアは内心、(何か話さなきゃ……でも、セラさんってちょっと怖いし……)と焦りながら、お湯を沸かしてお茶を淹れ始めた。
対するセラも、(この子……別に嫌いじゃないけど……何を話せばいいのか……)と、思考を空転させていた。
――耐えられない。
いたたまれなくなったリアが、唐突に言った。
「……あ、あのっ……絵の練習しても、いいですか……?」
そう言って、リアはカウンターの下からスケッチブックとペンを取り出した。
それを見て、セラはホッとしたように小さく頷く。
「……うん。好きにすれば」
「ありがとうございますっ!」
そこから、沈黙の意味が変わった。
リアは、黙々と絵を描き始めた。
モチーフはもちろん――ミスティア・ルミナス。オタクミの痛武器に描かれた、彼女の大切な“推し”。
けれど、今日のリアの心には、ちょっとしたイタズラ心が芽生えていた。
(もし、ミスティア様が“男の子”だったら――)
ふと思いついたその発想は、瞬く間にリアの中で形を成していく。
髪は少し短く、目元には凛とした陰影。
肩幅は広く、でもどこか儚げで、優雅な雰囲気。
それでいて、戦場では鋭い剣技を操る、孤高の魔法剣士――
そんなイメージを、リアはペンでさらさらと描き起こしていく。
――セラの視線が、それをとらえたのは、偶然だった。
「……なに、それ」
横から覗き込むようにして、セラがリアの手元を見つめた。
そこには完成したばかりの“男体化ミスティア”が、凛々しく立っていた。
「えっ!? あっ、これは……その……ミスティア様を、男の子にしたらどうなるかなって……す、すみません、変なことして……」
リアが焦る横で、セラは動かない。
「……誰?」
その声には、これまでにない熱があった。
「え……?」
「この人、誰……?」
その瞳は釘付けだった。
セラの中に、“何か”が生まれていた。
(……なに、これ……)
それは衝撃だった。
これまで表上は「可愛いもの」や「オタク文化」に距離を置いてきた自分。
けれど、このイラストの放つオーラ――
“強さ”の裏に隠された“弱さ”。
“孤高さ”に宿る、“誰にも言えない寂しさ”。
そして、そこに“触れたい”という衝動――
「……もう一枚。描いて」
「えっ?」
「お願い。もっと……見せて」
まるで魔法にかけられたように、セラの声は静かに震えていた。
その表情は、まさに“推し”を知った者のそれだった。
リアは驚きつつも、嬉しそうに頷いた。
「じゃあ……今度は、戦ってるとこ、描いてみますね!」
会話が弾み始めた。
セラは食い入るようにリアのペン先を見つめながら、次々と質問を投げかけた。
「こいつの武器は?」
「えっと……魔法剣! 細身の黒い剣で、でも詠唱と斬撃を同時にできるタイプです!」
「得意技は?」
「空中連撃と、魔法爆発です!」
「甘いもの、好きそうだな」
「そうなんですっ! スイーツに目がなくて、戦闘後にこっそりカフェで食べてる設定なんです!」
二人は、気づけば夢中になっていた。
――そして、リアが新たなひらめきを口にした。
「そうだっ……!ライバルキャラも描いてみよう!
… オタクミ先生が男の姿だったらどうなるんだろう……?」
彼女の手がまた動き始めた。
描かれていくのは、金髪碧眼のやんちゃな少年。
笑顔の裏に知識と情熱を秘めた、ちょっと皮肉屋で、でも不器用に優しい――男体化オタクミ(見た目が女なだけで元から男だけど!!)。
「こっちも、いいね……」
セラがぽつりと呟く。
リアは完成した二人のイラストを並べて眺めた。
それはまるで、互いを意識するかのような、張り詰めた空気をはらんだ一枚。
「…………待って」
セラの声に、リアが振り向く。
「この子と……さっきの“男ミスティア”……一緒に描いてみて」
「えっ!?」
「……二人が、出会ったら……どうなるのか、見たい」
リアはドキドキしながら、もう一枚、紙を取り出す。
男体化ミスティアと、男体化オタクミが、背中合わせに立つ――そんな一枚を描き上げたときだった。
――何かが、リアの中で“爆発”した。
(この二人……なんで、こんなに心がざわつくの……?)
そして、こっそり描き足したもう一枚――
二人が目を見つめ合い、なぜか上裸でほんの少し距離を詰めた一枚。
そこには、まだ始まっていない物語の“予感”があった。
リアは、自分の内側からこみ上げる創作欲の奔流に震えながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
「…………ふへっふひふひひっ……」
その奇妙な声に、セラが怪訝そうに振り返る。
「なっ、なに!?」
「い、いえっ、なんでもありませんっ!」
二人の間に、確かな「沼」が芽生えた瞬間だった。
――そのとき、カフェの扉が開いた。
「ただいまー。あれ、二人とも……なんの話してるんだ?」
のんきに首をかしげるオタクミ。
二人はおかえりと言いながらも、目を背けるのだった。
その裏で――
彼は、自身の“男体化バージョン”がリアとセラによって熱く語られていたことなど、知る由もなかった。




