ご注文は推しですか? その2
ラザリスの裏通りにある老舗カフェ《Tea & Treats エルマ》は、いつもと違う空気に包まれていた。
店の入り口には、淡いパステルカラーで描かれた大きな看板が掲げられている。
Twinkle☆Cafe 『KIRABOSHI』
「ようこそ、あなたの“推し”が待つ場所へ」
看板の下には、ぎこちない笑顔のウエイトレス姿のオタクミが立っていた。
「おいでませ! 輝星の世界へ!! 推しと癒しのフルコンボ!!! ここでしか味わえない、尊みの五感爆撃を体験してください!!!!!」
周囲の通行人たち──
「……なんか叫んでる……」
「またあの人か……この前も市場で声張ってたよね……」
「えっ、なんか今、推しの五感爆撃って言った?」
店の外には、見事に誰も入っていない。
「くそっ……どうしてだ……俺たち、昨日まであんなにがんばったのに……!」
中では、リアが必死にラテアートとパンケーキを作り、セラは恥ずかしさに顔を赤くしながらも着替えを済ませていた。
「……誰も、来ないじゃない」
「ははは……最初はこんなもんだよ……じわじわ来るタイプ……のはず……」
『いや、ぜってーお前の呼び込みが原因だよ! “五感爆撃”とか言うな!』
⸻
昼前。
誰も来ない状況に、空気が重くなりかけたその時――
カラン、とドアの鈴が鳴った。
「あ……っ」
入ってきたのは、あの時市場でアクスタを見つめていた、小さな女の子だった。
「こんにちは……あの、これって……お店、やってるの?」
「い、いらっしゃいませぇぇ!! ようこそ!! いらっしゃいませえええ!!!」
「ちょっ、落ち着け!」
リアが笑顔で出てきて、女の子に優しく声をかける。
「はい♪ 今日から始まったんです。よかったら、ミスティアちゃんのラテアートもありますよ?」
「ミスティアちゃん……! 見たい!」
リアは丁寧にミルクを泡立て、泡の上に小さなSDミスティアを描き始める。
くるり、くるりと線を描き、ちょんちょんと瞳を加えて――完成。
女の子は、ふわっと笑顔になった。
「かわいい……! すごい……! 飲むの、もったいない……」
一口飲んで、目を輝かせる。
「お姉ちゃん、絵も描けるの?」
「うん。絵を描くのが大好きで、このお店も、そのきっかけにしたいんだ」
女の子はパンケーキもぺろりと平らげて、帰り際に小さく手を振った。
「また来るね!」
その言葉に、全員の動きがピタリと止まる。
そして――
「……ふっ」
「う、うおおおおおおおおおおお!!!!」
「うるさい!! うるさいわよ!! なんで泣いてんの!?」
「だって……だって今、“布教成功”したんだよ!? 推しが、誰かの心に届いたんだ……!」
『お前、涙の角度が尊みに沿いすぎてて笑える』
⸻
午後になると、あの女の子の口コミがSNSならぬ**「街の井戸端会議」**で一気に拡散されていた。
「ミスティアっていう子のラテが可愛い!」
「パンケーキもふわふわで最高!」
「店員の一人がめっちゃクールビューティーだったんだけど……」
そして夕方には、ついに行列ができるほどの客が店の前に並び始めた。
「え、なにこれ? 超混んでるんだけど」
「ラテにキャラが描かれてるってマジ? すご!」
「えっ、あの人がミスティア様!? マジ!? 塩対応すぎて……逆に刺さる……!」
そう、塩対応なセラが、まさかの人気を集めていた。
「ご注文は?」
「え、あ……じゃ、じゃあパンケーキを1つ……」
「……はい。以上?」
「(内心)くっ、最高……! 冷たくされる悦び……!!」
「対応が雑なのに……! ツンの奥に、ほんのちょっとの“デレ”が垣間見える……!」
セラは完全に困惑していた。
「な、なんであんたたち、そんなに喜んでるのよ……!?」
「ツン顔のままパンケーキ置かれた瞬間に心臓撃ち抜かれた……!」
「すごい……! あれが“ギャップ萌え”か……!」
⸻
夕方、空気が最高潮に盛り上がっていたそのとき――
突然、店内に怒鳴り声が響いた。
「ちょっとアンタたち!! こんな騒ぎを起こして、近隣の店に迷惑だってわかってんのか!!?」
入ってきたのは、近隣の商店街にある老舗パン屋の店主だった。
「この道で何十年やってきたんだ! 若造が派手な看板と女の子で釣って、ふざけるなよ!!」
空気が、一瞬で冷えた。
リアがびくっと震え、セラは睨みつける。
オタクミが立ち上がろうとした、そのとき――
「まあまあ。せっかく来てくださったんですから、まずは温かいお茶でも」
そう声をかけたのは――エルマさんだった。
優雅な笑顔のまま、お茶と菓子をそっと差し出す。
「若い子たちの試み、見守ってやるのも年寄りの役目だろ?
それに、どんな店も最初は“話題性”から始まるものでしょ。ね?」
その物腰に、怒鳴っていた店主も思わず黙る。
「……ちっ、まぁ……菓子だけは、うまいな……」
ボソリと呟き、彼は帰っていった。
空気が戻ると同時に、オタクミがニヤリと笑った。
「さて、お客様! ご注文の中に“特典付き”が含まれてましたね!!」
「……へ?」
「おめでとうございます! ミスティア様のホログラム限定アクスタ“光翼覚醒ver.”、当選ですッ!!」
「えっ!? なにそれ!? そんなのあるの!?」
「なんとこのアクスタは、背景がキラキラしてて、見る角度によってウインクするのだ!!」
店の外でこっそりメモしていた偵察らしき男たちが、ざわつきながら走り去っていく。
『おい……あいつらって!?』
「いいんだよ! 転売魔に混乱を! 」
⸻
閉店後、夜。
照明を落とし、静けさを取り戻したTwinkle☆Cafe『KIRABOSHI』。
イスにもたれて放心する三人。
「つ、疲れた……」
「私も……足がパンパンです……」
「こんなに接客が大変だなんて……二度とやらないからね……」
だが、その顔には、疲労以上の達成感が宿っていた。
「売上……すごい額になってたな。
このまま行けば、借金も返せる……!」
「先生、また明日もがんばりましょう!」
「……ま、少しは悪くなかったかもね」
外からは、まだ客たちの声が聞こえてくる。
「明日も絶対来ような!」
「またあのクールな店員さんに会えるかな!」
「ラテにまた新しい絵があるといいなぁ」
その声に、オタクミはそっと微笑んだ。
(ラザリスに、“推し文化”の風が吹き始めてる……)
しかし。
その光景を、薄暗い路地から見つめる一人の男の影があった。
「ほう……これは、実に、実に面白い……」
不気味な笑みと共に、ゆっくりとその場を去っていく。




