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第9話 探している人

12:15。


息を切らしてマンションへやってきたヒロを、渚は悲痛な叫び声を上げて拒んだ。ずっと進めてきていた大型商談も結局進めることが出来なくなり、生きる気力を失ったヒロは、ゆく宛も決めずに呆然とした表情のまま、マンションを出てとぼとぼとおぼつかない足取りで歩いていた。


全部もう、どうでもいいや。


何とでもなってくれ。


ずっとずっと、渚のことを考えていた。


ヒロはもはや、これまで足を運んだことの無い土地まで歩いてきていた。目的も意志も失って、考えることを放棄していた。


ビビーーーーッ!!!


耳を劈くクラクションの音。突然の音にびくりと身体を跳ねらせ、振り返る。ヒロはいつの間にか車道を歩いており、後方に迫る車に気づくことが出来なかったのだ。


心地の悪い感覚に、足早に歩道に退避したヒロは走り去っていく車をじっと睨みつけ、舌打ちをした。


ふと前を見ると道端に空き缶が転がっている。普段のヒロなら拾い上げゴミ箱に捨てるが、今は違った。


走り寄り足を振り上げて、力いっぱい蹴り飛ばした。


草村にがさり、と紛れ込む空き缶。


ん?なんかまるで、俺の人生みてえだな。


ヒロは立ち止まって天を仰いだ。


何とも言えない薄みがかった青空と、そこを何にも干渉されず浮いているヘンな形の雲を見て、思わず鼻で小さく笑った。


この世界がこんなに虚しいのはこの空のせいか?


『何してんの?マジで。こんな初歩で足引っ張られても困るんだよ』


『そんな事自分で考えろよ!全く、考える力も無いのか。吐き気がするよ。AIじゃねんだからさぁ』


『馬鹿じゃないの!?今更『ずっと』、とかさ!!!』


なんで皆して俺にそんな事言うんだよ。


俺が何したっていうんだよ。前世海賊だったんなら前世のうちにシバいといてくれよ。


誰かのこんなどうしようもなくて下らない感情を吸収したから、空は青いのかもしれないな。


…………楽しかったな。渚と一緒にいれて。


瞼に今でも鮮明に蘇る、図々しくて自分勝手で。それでいて俺を癒してくれた、大好きな笑顔。


お前がいてくれたおかげで、今まで俺は。


「……………あれ。これはもしや、時枝さんかい?」


ヒロはふと後ろから聞こえた、どこか聞き覚えのあるような、親しみのある声に疑問を抱き眉をひそめた。


この声はここで聞ける声じゃ無かったような。


違和感を拭えないが顔に力が入らなかったヒロは、虚無に満ちた表情で振り返る。


ちょうど今ヒロの右横にある、小さな民家。


ヒロは心底驚いて大きく目を見開き叫んだ。


その玄関から少しだけ顔を出しているのは、ヒロが大型商談の取引先に顔を出す度に、まさに毎回やり取りをしていたお爺さんだった。


「早坂さん!?!?」


その青ざめ震える顔と身体を、ヒロはすぐさま駆け寄り支えた。


「早坂さん!どうしてここに。……! 顔色、すごく悪いですよ!!熱もありますし………」

「すまないね、わざわざこんな所まで来てもらって。実は、今までにないくらい苦しいんだ。職場にも行けずにいてね。私は長くはないだろう……。最期に息子達と婆さんに会いたいと思ったが、こんな時に電話も壊れたのか誰にも連絡出来なくてね。頑張って今起き上がって出てきたんだが、ふらついて」

「っ!!!救急車呼びます!その後でも、息子さんとお婆さんには逢えますから!!どうか動かず、安静にしててください………!!!」


ヒロはスマホを取り出して救急車を呼んで、早坂を病院へ送り届けた。



------------------------------



あれから1週間が経った。

20:00。ヒロのボロアパート。


葛木は会社に戻ったヒロの表情を見て、すぐに何かを察したように1週間の休暇を与えた。


休暇を摂ることとなったヒロはずっと家にいたものの、何もする気になれなかった。布団に横になって惰眠を貪り、時折スマホを開いてyeartubeを眺めた。


猫、可愛いなあ。


飼ったら楽しいかな。


………それにしても、あのタイミングで葛木さんが休みをくれなかったら本当に危なかったな。


あの精神状態で続けてたら何らかのインシデントを起こしててもおかしくなかった。


脳みそが痺れ息が詰まる感覚がずっと拭えないヒロは、ため息をついてスマホを閉じ、再び目を瞑った。


結局あの出来事以降、渚から連絡が返ってくることは無く今に至る。


クーポンを見た瞬間の、渚の激怒に震えた表情を思い出すだけで未だに胸をぶん殴られたような感覚に陥って悲しくなる。


明日から仕事にまた行かなきゃいけないだと……?


俺は今後、やっていけるのだろうか………。


やっとこれから、俺の人生は楽しくなっていくと思ったのに。



------------------------------



13:00。会社。


久しぶりの出勤。変わらずの慌ただしさに、ヒロの胸のうちの虚しさなどとっくに消え去っていた。


休んでた間の更新のチェックなどをして昼休憩をとったヒロは、葛木に呼び出され管理室の扉をノックした。


管理室には葛木と、先日救急車で運ばれた早坂、そしてあろうことか、ヒロと鳴上を怒鳴りつけた中年男性が立っていた。


早坂は穏やかにヒロに笑いかけた。中年男性はヒロを見るやいなや、頭をぺこりと下げた。


怒っていると思っていた葛木は普段と何も変わらない、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。


ヒロはどこか怪訝さを含んだ笑顔で3人に会釈する。


なんだ?これ。


どういう状況…………?


「お世話になっております………。早坂さん、ご無事で良かったです」

「時枝さん。父を助けていただきありがとうございました。先日の多大な無礼をお許しください。何歳になっても恥というのは重ねるものですね」

「ち、父!?」

「時枝さん。息子がすまなかったね。そして君があの時来てくれて良かった。本当に、ありがとう」

「い、いえいえ!!そんな」


改めてかしこまり、真剣にヒロへ深く頭を下げる早坂。ヒロは戸惑いながら手を横に振る。


「もう担当は、時枝さん以外は考えられないよ」

「えっ?それって。商談の方も」

「もちろん契約するさ。他でもなく君を待っていたんだよ。是非、こちらから頼みたい」


おぉぉぉ!!!!これは奇跡だぁぁぁぁ!!?


こんなこと有り得るのか?


ヒロと鳴上を怒鳴りつけてきた中年男性は、大型商談で何度も話してきた早坂さんの息子にあたる方だったようだ。


渚に拒絶されてショックのあまり知らない土地をさまよい歩いた結果、たまたま病状の悪化した早坂さんを発見し、命を救うこととなったのだ。


出来ないと諦めていた大型商談は、無事にヒロの手により完了したのだった。


「時枝さん。改めて、無礼をお許しください。つまらないものですがどうぞ」


早坂息子が結構良さげなお菓子の袋を差し出したのを、ヒロは躊躇いながら受け取った。


「そんな。全然いいんです。こちらこそすみません」

「私はあの時他の商談も控えていたのもあり切羽詰まっていて、あなた八つ当たりをした。だが本当は、あなたが羨ましかったんだ。その決断力と思い切りは、紛れもなく『宝』だ。いつまでも大切になされて下さい」

「は、はは……」

「必ず、仕事以外の事でも生きていくと思います。例えば、そうですね。恋愛とか」



瞬時に渚のことが頭に思い浮かぶ。


もう、手遅れだけれど………。


思い切りか。渚に告白さえ出来れば、今頃違っていたのかな。


最後の言葉でヒロがなんだか複雑な心境になったとも知らず、早坂親子は帰っていった。


それを見送り、ヒロと葛木は2人になった。


さて………。取引先へ行けなかった理由について絶対聞かれるだろうから、説明しないと。


『好きな女の所へ行っていた』という理由は、果たして通用するのか?渾身の土下座付きで、許してもらえないだろうか。


腹が痛かった、とか適当に嘘をつく手もある。でもそんな状況でどう早坂さんを助けたのか?と聞かれてしまうだろうし、うーん。


結局ヒロは経緯をどう葛木へ説明するのかを未だに決めかねており、焦りだけを募らせていた。


「結果はオーライだな。かといってだなァ……時枝クン?何があったか知らねぇけど、取引先をバックれるのは許されねぇぞ?」

「はい………すいません。え、えっと………。えっとですね。実は………理由を説明しますと」

「めんどくせぇからもういいわ。代わりにお前には、『罰』を受けてもらう」

「は、はい。げ……減給ですか」

「いやいや。あ、ちょうど時間だわ。今研修室に居る奴の手続きをしてきてくれ」

「え?それだけ、ですか?」


ポンポンポン。


葛木のパソコンから大きな通知音が鳴り響く。


面倒くさそうな仕草で画面を覗き込み、葛木は肺の空気全部無くすくらいの大きなため息を吐き出し、まるでこの世で最も嫌なものを見たかのように大袈裟に項垂れた。


「神松のカスから緊急の通信だ……。時枝!!もう行け」

「は、はい」


手続きって?なんの手続きだ?


葛木さん普段から雑だけど、今回はあまりにも雑な気が………。


管理室を走り出たヒロは、指示を受けた通りに研修室へ入室した。


するとそこには、見慣れた顔の男が待ち構えるように先に座っていた。そしてヒロの顔を見て、不敵ににやりと笑った。


ヒロは心底驚いた声を上げた。


「鳴上!??」

「久しぶりでござるな!!時枝殿。やはり貴殿こそ″真の漢″という訳だな。まさか黒を白にしてしまうとは」


早坂息子の丁重な謝罪があったことにより、葛木の手で辞表が揉み消されたという事だった。


手続きというのは諸々の再引き継ぎのようだ。


「時枝殿。明後日は『甘目まどか』の過去作品のセール、つまり″″″宴″″″だ………よって宣伝の声がけをせねばならぬ。なに、そこまで心配しなくとも良い!!時枝殿の為に、特注の甘目まどか魔法少女衣装を用意済みだ」

「着ねえよ?心配してねえよ?」

「フリフリの衣装に………思い出したッ!!ピンクのリボンもきちんと用意したでござる。宣伝大成功は約束されたも同然だァッ!!ワハハハハ!!!」

「着ねえって言ってんだろ。なんで着る体になってんだよ」


そんな話をしていると、ガラガラと戸が開いた。ヒロの部下の1女性社員だ。


「鳴上さん。お久しぶりです。こちらの資料をどうぞ」

「ありがとうございます。お変わりないみたいですね」

「はい。相変わらず大変ですが」

「ええ。そういえばこちらの提出がまだでした。葛木さんに渡していただけますか?」


ヒロは女性社員と話すキリッとした顔の厳かな鳴上を、興味深く眉をひそめて見つめていた。


ギャップあり過ぎだろこいつ………。


まるで別人みたいだ。



18:00。


ひたすら甘目まどかの話題で口を挟んでくる鳴上のせいで、引き継ぎだけで1日が終わってしまった。


許さんぞ、こいつ。


「また明日からもよろしく頼むぞ、時枝殿」

「へいへい」

「急いで行った方が良いのではないか?」

「?」

「時枝殿の探している人物が、待っているでござるよ」


俺が探してる…………?


次の瞬間に、ヒロは鳴上を置いて帰り支度を一瞬で済ませ、エレベーターへ向けて走り出た。


定時のエレベーターは満員だ。毎回毎回息が詰まる思いになって小さなストレスが溜まり、苦手な場所だった。


しかし、今のヒロはもはやそれどころでは無かった。


エレベーターが1階へ到着した。周りの人を乱暴に押し切って前へ出て息を切らしながら、ビルの中からガラスの入口外を見据えた。


外で待っている人物は、柄にもなく申し訳なさそうに目線を下げ、お腹の前で手を組んで立っていた。


「渚っ!!!!」


ヒロは叫び、走り出した。




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