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第8話 『お友達同士』

10:00。


電車に揺られるヒロはいよいよこれから大型商談の取引先へ出向く予定であるにも関わらず、ずっと今朝の出来事を思い返し、気が気でない状況だった。


渚、大丈夫だろうか。


まさか風〇のクーポンを見ただけであんなに怒るなんて。一体、どうして………。


でも確かに、女の子に対してデリカシーが無さすぎたな。


今度から葛木さんから貰った変なものはすぐに捨てるようにしないと。


そんな風に考えていると、渚からライヌが届いた。


ヒロはすぐにスマホを開き内容を確認した。


『もう会いに行かない事にするね。私、邪魔だったよね。迷惑ばっかりかけて、ごめんなさい。さようなら』


ヒロは心底びっくりして、電車内ということも忘れて大きな声を上げた。


「ま、待って………!!」


周囲の乗客に奇怪なものを見る目で見られている事も意に介さず、必死をこいてスマホをタップし文字を入力する。


ズキズキと痛み続ける胸に、ヒロは耐えがたい感情を抱いた。


なんで?


何でだよ。


そんな事、言わないでくれよ。


何を打っても、何度返信しても返事が返って来ない。


『悩んでるからあんなにイライラしてたんでしょ?…………まさか昨日も一昨日も、ほんとに私が嫌いで怒ってた?』


脳裏に蘇る、渚が突然家に上がり込んできた時に言った言葉。


ヒロは何かに気づいたようにはっと目を見開いて顔を上げた。


電車の窓の外を見据えた。まるで今の自分の焦った心を映し出しているかのように忙しない景色が、やたら鮮明に視界に入り込む。


「渚…………!!!」


ヒロは目的地に着く前に焦りのままに電車を降りて、すぐさま渚の住むマンションへ行き先を変更した。


ずっと慎重に進めてきた商談の事など、とうに頭からは消え失せていて。


電車を降りたヒロは全力で走った。目の前だけ、渚のマンションへ辿り着くという未来だけを見て。


汗をかいても、息が切れても、足が棒になっても、人にぶつかって嫌な顔をされても、ヒロは決死の表情で全力で走るのを辞めなかった。


渚と再会するまでの虚しい日々と、その暗くて、断崖に立つかのような感情が胸を掠める。


そして渚と再会した時に、どれだけ俺は救われたか。


そのお礼が、何一つ出来てないじゃないか。


嫌だ。行かないでくれ。


俺は渚じゃないと、ダメなんだ!!!



11:00。


ちょうど商談の取引先に着く必要のある時間をとうに過ぎているが、そんな事も完全に忘れているヒロは渚のマンションに到着し何度もインターホンを押し、名前を呼びドアを叩くが渚が出てくる様子はなかった。


ぜぇ、ぜぇと膝に手をついて呼吸を整える。


視界がグルグルしてる。普段のように上手く立ってられない。まるで脳みそをハンマーで殴られでもしたみたいに。


なんか鼻血出てきた……。喉も乾いた。ティッシュも飲み物も持ってない。


だけど、それどころじゃないし。


くそ!!どこに行ったんだろう。渚。


ヒロはスーツで鼻血を拭いながら、スマホを開いた。


『渚。ずっと部屋の前で待ってるからな。早く戻ってこい』


本当に何か用足しで居ない可能性もある中で多少強引な気がしたが、それでもヒロはそう渚へライヌを送って、部屋の前で待ち続けた。


1分が長い。1秒1秒が長い。


30分ほど待ったと思い時計を見ると、10分しか経っていない。


心地悪く跳ね続ける心臓。


何度深呼吸してもさっぱり落ち着くことが出来ない。


「…………ヒロ」


聞き慣れた声。


振り向くと戸惑いと疑惑の表情で眉をひそめてヒロを見つめる、戻ってきたスウェット姿の渚の姿があった。


「渚!!!」


ヒロはその瞬間に、咄嗟に駆け寄った。


「渚……。渚っ!!お、俺は。………その………」

「…………」

「…………」


言葉が上手く出てこない………。


なんでこんな大事な時にものも言えないんだよ!!俺は!!


「………………で?楽しかった?風俗」

「ちっ!違う!それは違うよ!!あれがポケットに入ってたのにはちゃんと理由があって」


呆れと失望の表情を作っている渚に、ヒロはクーポンがポケットに入っていた事情を説明した。


しかし、渚はどこか納得してなさそうに眉をつりあげて、目線をななめ下にそらした。


「へー……。そうなんだ」

「そうだよ。だからあれは俺のじゃないし、行ってないし、行く気も無い」

「…………」

「だから!!あんな悲しいこと言うなよ。俺は、ずっと……ずっと、渚と」

「勝手なこと言わないで!!!」


渚の悲痛な叫び声が、空気とヒロの胸を引き裂いた。


「じゃあ、何で3年も私と連絡取ってくれなかったの!!!!」


渚は再び泣き始めた。声を殺して、ヒロを睨みつける目から涙が溢れ出す。


…………あ。


俺、謝ろうとしてたのに。完全に忘れて。


「突然ヒロと連絡取れなくなって、私がどれだけ寂しい思いしたか知らないくせに!!!」

「………渚」

「馬鹿じゃないの!?今更『ずっと』、とかさ!!!」


渚の悲痛な表情に、言葉に、剣幕に、涙に。


重く、鋭く胸を抉られたヒロの目にも、じわじわと涙が滲んでいく。


「とってもドンカンなヒロに教えてあげる。……私、ヒロのことが好き」


涙を流しながらさっきまでと打って変わって、消えそうな程小さな震える声でそう言った渚の真剣な眼差しを、ヒロは何も言わず目に涙を浮かべたまま見つめ返した。


「ヒロのこと、誰にも取られたくないの。ヒロが、他の女の子に優しくするのも、本当はイヤ」

「………」

「でも付き合ってもないのにそんな事言ったら、気持ち悪いからっ。だから……」


そこまで言って、言葉が続かなくなった渚は腕で顔を覆って咽び泣いた。


ヒロが何も言えず、何も出来ないまま見つめていると、渚はその横を通り過ぎで自分の部屋に走り戻ろうとした。


ヒロはその手を咄嗟に掴むが、渚は強い力で抵抗し振り払ってしまう。


「でも気遣ってくれなくて大丈夫だよ?もうヒロに迷惑かけないから。これ以上一緒に居たら私、勘違いしちゃうし」

「待って。渚」

「私達、『お友達同士』だもんね?」


顔を涙でぐちゃぐちゃになったまま、そう言ってにこっと笑った渚。


ヒロは走りゆく渚に必死に手を伸ばし、止めようとした。


「二度と来ないで。来たら通報するから」

「…………」


渚は絶望し固まるヒロを放置して部屋の鍵をガチャリと開けた。そして1人中へ入り、施錠してしまった。


ヒロは体力と精神が限界になって、その場で崩れ落ちた。


家に来たら通報するお友達ってなんだよ。


ヒロの目からポロポロと床に涙が零れ落ちていく。


こんな感情が自分を満たしている今この時にも、気味が悪い程にじっくり、ゆっくりと時間が流れていくのを感じる。


今までの人生で1番はっきりと『自分自身が生きている』実感があるという、皮肉な事実に笑えてくる。


ポケットが震えている。


スマホが鳴っている事に気づいた。


葛木さんからだ。そりゃ当然か。


今まで散々重要と話してた商談に行かなかったんだ。もう取り返しはつかないし、何を言われるか分かったもんじゃない。


だけど、出ないと………。


ヒロは身体をブルブルと震わせながら、スマホの応答ボタンを押した。


「…………はい」

『おう。生きてんの?』

「はい………」

『まあ生きてるならいいわ。何してんの?先方からお前が来ねぇって電話来てんだけど』

「すいません………今から」


怒ってる訳でもなく、何にも介していない葛木の口調が、今のヒロの胸には棘になって突き刺さる。


『いやもういいよ。鳴上もいねぇし俺が代わりに行くから』

「……すいません」

『後で説明しろ』


そう早口で淡々と伝えられ、無情にもガチャンと切られた電話に、ヒロは崖から這い上がる為に腕を伸ばし掴んだ手を離されたような感覚になった。


葛木さんのポジションはタイミングによっては本当に忙しないはずだから、今は俺を電話で詰めてる暇が無かったんだろう。


せっかく任せて貰えた大型の商談だったのに………。


愛想も尽かされたんだ。


もう、任せて貰えないだろうな。


鳴上がいなくなって。


渚もいなくなったら、俺はもう………。


『馬鹿じゃないの!?今更『ずっと』、とかさ!!!』


…………そうだな。


俺は馬鹿で救いようの無い、グズなんだ。


もう全部、どうでもいいか。


生きる気力を失ったヒロは、渚の部屋前の通路で崩れ落ちたまま、動くことが出来なくなった。


10分経っても15分経っても、マンションの他の住人から心配の声をかけられても、ずっと反応することもそこから動くことも出来ないままだった。


マンションの外にはいつもと何も変わらない、青空と日常の街並みの風景が広がっていた。




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