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第71話 激しい戦場の真ん中

流血、そこそこエグい表現含みます。

苦手な方はご注意ください。

ヒロが気絶して30分程が経過した。ハジメは既にヒロの身体をアパートから運び出し、そこから徒歩5分程の場所にひっそりと佇んでいる屋根無しの駐車場、その奥端の角の部分に引きずり込んでいた。成人男性の平均身長+10cmの高さを1.5倍した程度の高さのコンクリートの塀で囲まれた駐車場であり、それにヒロがもたれかかっている形だ。


電灯が当然いくつかあるが、ヒロ達がいるのは奥なだけあり届く光は弱く、暗いが勝つ。そしてあたりにはポツポツと住宅があるといったところだろう。

真紅の飛び散った顔と鼻、眠るように瞑目した瞳。その顔つきは先程の状況から考えれば穏やかすぎるものだった。


ハジメはヒロの表情を蔑む瞳でしばらく見下ろし………やがて小さく、悔しげな舌打ちをした。


「いたぶり足らない」


そう零し、憎しみの表情を変えぬまま振り返り、血に染まったような声で待機中の4人グループに命令を下す。


「葛木の自宅も訪問してるが奴はいなかったようだ。奴の通ってるらしいパチンコ店やキャバ、牛丼屋にもな。ということはまだあの会社にいるだろう。なので、今から僕が向かい会社ごと潰す。そこにくたばった愚かな末路を辿る虫螻以下の男を、殺さない程度にここでいたぶり待っていろ」


男性グループ4人は御意、とだけ返事をすると、ハジメは呼び出した車にさっさと忙しそうに乗り込み、4人に一瞬も振り向く事すらせず置き去りにし、風の如く走り去って行った。


薄暗く詰めたい駐車場のコンクリートの角。

丁寧な素振りで直立していた4人グループだったが……ハジメが去ったのを見て、安堵したように背を丸くして息を吐き出し、


「はぁ………やっと行きやがった」

「疲れちまったよもう」

「こいつこのまま置いて、俺達は逃げようぜ。あんな狂った奴、付き合ってやる義理ねーじゃん」


細身の3人が疲れ切り、くたびれもう散々という様子で吐き出す。しかしその嘆息は、突如として響き渡った、固定された硬い金属が大きな衝撃を受けて振動する音によってシャットダウンした。

金属の車止めを、あと少しで抉れるのではないかと思う程の力で蹴りつけたのは最後の1人の、凶暴な巨漢男だ。首に巻いて固定された左腕のギプスを眺め、憎しみを露わにし、


「クソッ!ムカつくぞ!」


巨漢は逃げることに反対はしないが、ハジメに対して一矢報いる事が出来なかったのが納得出来なかったようだ。足元の車止めを、そのやるせなさを発散するかのように何度も何度も蹴りつける。


3人が巨漢の暴走を、やや困惑気味で黙って見つめていると……後方から物音がし、4人は一斉に振り返る。


「な………ぎさ」


塀に寄り掛かるようにもたれていたヒロが意識を取り戻し、膝に手をついて立ち上がっていた。虚ろな瞳には光が無く、膝も肘も笑うのをやめず震え続け、それでも………前だけを見て。


「なぁ……あんたもさっさと夜間病院で治療して、ここから逃げた方がいいぜ。奴が追ってくる前げぷっ」


細身の1人がそう言ってヒロに歩み寄るが………次の瞬間に、細身の左腕目掛け、巨漢男の極太鉄パイプのような凶脚がめり込んだ。

喋っていた最中の細身から惨い音が奏でられ、舌を噛み、肉が潰れるような音を立てて壁に激突し、うつ伏せに倒れ込んだ。両腕がだらんと変な方向へ伸び、頭から血を流して………。


細身2人は理解不能というように巨漢を見上げる。巨漢の表情は…………壊れるまで好きなだけ遊べるオモチャを見つけた子供のように、無邪気で残酷な瞳でヒロを見つめていたのだ。


「………行こうぜ」

「ああ」


肉塊となった細身の1人を見捨て、残り2人は恐怖に足をもたつかせ、今にも転びそうになりながら駐車場を走り逃げていった。そしてゆっくりと、残忍な笑みでヒロの元へ歩み寄る巨漢男。


ヒロはもたつく足に決死の力を込め走る。………しかし、巨漢男は巧みな足使いを駆使してヒロの行く手を阻んだ。


「俺を行かせる気は無しか。あー。たまんねえ。ここで死ぬんだとしたら、俺はマジで何のために生まれてきたんだよ」


涙を浮かべて空を仰いだその刹那………躊躇なき巨漢男の拳がヒロの頬を捉えた。

鼻血を吹き出しながら吹っ飛ばされるヒロ。クレーターが出来たのではないかと思う程の衝撃に、不可逆的な窪み方を想像させる程、頬の筋肉が元の形に戻らない。


「お前弱いなぁ。弱い。弱くて勇気もなくて取り柄も無いなんて可哀想だなぁ。生まれてこなけりゃ、そうならずに済んだのにな?なぁ?」


殺人鬼のような笑みで、再び1歩1歩、確実に距離を詰めてくる巨漢男。

ハジメに蹴られた部分の肋骨からよく分からない音が聞こえ、視界は霞み、立ってられてるのも何故なのか分からない。


こちらから一切目を逸らさず見つめてくるそれには、全く隙がない。ヒロは生きられる最後の時を足掻くように心臓をバクつかせながら、


「あ、おい!小圷戻って来たぞ」

「何ッ?」


巨漢男は募らせた焦燥のままに、突然ヒロが突拍子もない声で指さした後方を振り向き、額に汗が浮かぶのを感じながら、視線を高速で行き来させて車や人を探した。

しかし、ハジメらしき人物はどこにも見当たらない。


疑問に思った巨漢男が振り返ると………ヒロは塀をよじ登り、駐車場を脱出しようとしていた。


うわ……!んだよこれ!いけると思ったのになかなか登れねぇ!


1歩よじ登ろうとする毎に腹に穴が空いたような痛みが走るんだけど。


自分の身長1つと半分程度の塀。これなら行けると思い懸命によじ登ろうと足掻いたヒロだが、想像を絶する痛みに足と手を止めざるを得ず、


………………やがて後ろから、この世の終わりのように駐車場に響く足音が、ほとんど間を空けないスピードでこちらへ近づいてきた。


ーーーーーーーーーあ。終わ。


「ーーーーーーーヒャッハァーーー!」


巨漢男はその立派な筋肉の腕で、ヒロの体躯を残された右腕だけで掴み切ると、その身体を高く掲げ、駐車場内の方向へ身体を向けて、空目掛けて勢いよくぶん投げた。


だぁぁぁぁーーーーーーーーー!


高ぇ。高ぇよ!

鳥はこれより高いところを飛んでんだぜ。信じられないわ。


悲鳴を上げる体力すら残っていないヒロ。平泳ぎのような体勢のままゆっくりと宙を舞い、やがてその体勢のままコンクリートに叩きつけられた。

前半身の全ての骨が悲鳴を上げ、肉が浅く切り裂かれて、ヒロは言葉にもならない悲鳴を上げた。


ダメだ、死ぬ。本当に、死ぬ。



------------------------------



本社付近、能間の運営する老舗バー。

カウンターに座り、普段通りの飄々とした横顔で水を飲む柳と、至って普段通りに仕込みをする能間。二人の間に会話はほとんど無かったが、ある時不意に柳が意を決したように立ち上がる。


「りりっち」

「この姿の時にその呼び方は勘弁しておくれよ。美夏子ちゃん」

「………やすっちをさがしにいくわ」

「鳴上君の事か?………しかし室君も言っていたが、彼は心配要らないのではないか?」

「マリーがみつけられないなんて、なにかおかしいわ。それに……ぶじならぶじで、かえられるまえにこっちにもどってきてくれたほうがあんしんよ」


バーの扉を、大きな音を立てて乱暴に開け放たれたのはその数秒後であった。柳はその愛らしい外見からは想像もつかせない、ヤクザのようなやり方で扉を蹴り開ける。


それを見ていた能間は厳かに眉に皺を寄せ………案ずる瞳で見つめ返す。


「美夏子ちゃん。君は紛れも無く必要な存在だ。………分かっているな?」


それに対して柳は能間を振り返る。少し眠そうに目を細めていたのをにこり、とキュートな笑顔に変えて、


「すこしねむいわ。さっさとかえってくるから、ほっとみるくをよういしておいて」


あっという間にバーから遠ざかり、暗い夜道を走る柳。サリーとマリーをバーの中に置いて、大人しく待っているように伝えて。


飄々としたその表情は相変わらずだが………柳の心の中は既に、内臓にまで重くのしかかるような不安に押し潰されていた。

胸のざわめきが大きい。柳の直感の切れ味はもはや常人のそれではない。外に出た瞬間に柳の全身を満たした大量の不安が、決して小さくない音で警鐘を鳴らしていた。


このじょうきょうで、サリーはつれていけない。あぶなすぎる。


かといってわたしひとりで、どこまでやれるか。


柳は道の脇にある暗い雑木林に目を付けた。真っ直ぐ突っ切れば住宅街方面に抜けることが出来る。所要時間は……柳の短い足であれば、10分といったところだろうか。


やすっち………。

どうせ、あにめしょっぷにでもいるんでしょ……。

こんなときにのんきね。


この雑木林を抜ければ、アニメショップに近い。何度も通ったことがある。足も道の凸凹に慣れている。


『お前こそ、くれぐれも今晩は気をつけろ。そんじゃ、明日な』


『美夏子ちゃん。君は紛れも無く必要な存在だ。………分かっているな?』


葛木と能間の言葉が頭をよぎって、柳は一瞬躊躇った。


そして……………胸の奥深くにしまい込んで、


雑木林に、その小さくて軽い足を踏み入れた。


走る。走る。走る。

硬い葉が時に頬を切り裂こうとも、硬い木の幹に足をぶつけようとも走った。


その時だった。

無慈悲な破裂音が夜空に響き渡り………柳は自分の左足の感覚が無い奇妙な状態であることに気づいた次の瞬間、感覚を喪失した左足が木の幹に激突し、柳は頭から地面に勢いよく、草木に擦り付けられるような音を立てて、突っ伏していた。


柳は擦り傷を作り、顔を顰めながらもすぐに上半身を起こすが………左足の感覚が一切無く、動かすことが出来ない。そして雑に放られた左足を見ると、思わず信じられないものを見るように目を見開いて、その色を絶望に染めた。

細いふくらはぎの筋肉が引きちぎれ、穿たれた風穴から勢いよく生命を吹きこぼし、もはや足として機能はしない。


…………!?

まさかちょっかんがきかないなんて。


こんなにはやくて、ぎじゅつもたかいものなの?


エージェントの、想定よりも遥かに早い居場所特定と襲撃。

へたりこんだ体勢のまま、やがて込み上げた、全ての思考も感情も奪い去っていく激痛に………柳は気づけば頬に涙を流す以外に何も出来ることが無いことを悟った。


「ヤナギ ミカコ。発見しました」

「悪いがここで死んでもらおう」


やくそく。まもらなくちゃいけないのに……。


草木を踏み、重厚な音を鳴らして林の葉を掻き分け、柳を取り囲んだのは………ハジメの派遣したエージェント達、総勢8名。彼らの構える計8の銃口が、俯いた柳の頭部へ真っ直ぐに向けられる。


エージェントの冷たい声に、死の覚悟が………決まり切る訳のない柳。突然死を突きつけられ、覚悟など決まる訳が無い。

今にも腹奥から悲鳴という悲鳴と、生まれてきた事への後悔でも叫びそうな程柳の頭の中はパニック状態となり、見開かれた目から透明な血液が、小刻みで短い呼吸と共に排出されていく。


「………大丈夫だ。一斉に撃つ。君に痛みは無い」

「3。2。1…………」


風が吹いた、0の寸前だった。

軽くて硬いものが地に落ちるかのような、質素で小さな音。それがまるで無数にも感じるほどのスピードで聞こえ、それが大きくなった刹那、迅雷の如きスピードで、白くてデカくてもふもふで暖かい大きな犬が柳の上空を舞い…………8人のうちの1人の手に噛み付いた。


「サリー…………!!きちゃだめって、いったのに」


柳の目が、希望を秘めて晴れやかになっていく。

夜の闇に溶ける、獣の怒れる双眸は躊躇いもなくエージェントの手を噛みちぎり、たちまち阿鼻叫喚が響き渡る。


「な、なんだぁーーーーーー!」

「うわっ!でけぇ………!夜行性か!?」

「殺せ!」


しかし、サリーの暴走は止まらなかった。

犬とは思えないほどの力と知恵を備え、俊敏に、無数に迫り来る銃弾を全て躱し、1人、また1人と拳銃とそれを持つエージェントの手を木っ端微塵にする。


しかし。


「……………!サリー!!」


1人のエージェントがサリーの動きを学習し、1発の凶弾がサリーの足を貫いた。

瞬間鮮血を吹きこぼし、あまりにも虚しくて短い鳴き声と共に頭から地面に転げ落ち…………今だ、と言わんばかりに即座に銃口を向けるエージェント達。


「やめて………!おきて!おねがい…………!サリー!サリーーーーーーーーーーーッ!」


悲痛に掠れた、柳の叫び声に…………


力を失いかけたサリーの双眸は再び光を取り戻す。


「なんだ………?速さが段違いに?うわぁぁぁッ」

「対処不可!撤収!てっあぁぁぁぁああーーーー!」


血肉に飢えた猛獣にしか見えないそれは、負傷したにも関わらず力を増した…………愛する飼い主に危害を加えた憎きものを砕き、ちぎり、たちまち無力な肉塊へ変えていく。


響き渡る大の男の情けない悲鳴は、もはやこの世の終わりのようだった。


「来るな…………!うっ!うわぁぁぁぁぁぁああぁあぁーーーーーーーっ!」


やがて、1人残らずエージェントを始末する音が鳴り響いた。


サリーは片足を撃ち抜かれたことも忘れ、褒めてとばかりにしっぽを左右に大きく振り、嬉しそうな顔で柳に駆け寄るが…………


柳は既に、深紅の草木を枕にして静かに横たわり、その目を瞑っていた。

激しい戦場の真ん中で動けずにいた柳。足だけではなく、腹部にも凶弾により風穴を開けられ、溢れ出る深紅の海の中で既に意識はこと切れていたのだ。


サリーは倒れる柳を見つめ………その目と鼻を天高く仰ぎ、鳴いた。


悲痛と怒りに満ちた鳴き声が、夜空に響き渡った。



------------------------------



上空200mといったところだろうか。

黒いヘリコプターが、月明かりと星空の光を遮るほどの怨恨を孕んで空を闊歩する。

ハジメはヘリコプターの窓から外を眺めながら、閻魔大王のように両腕を広げた。


「遂に、遂にッ!この時がやってきたッ!あいつらの全てを壊して僕の人生は始まるッ!復讐。復讐だ!僕の邪魔をするという事は社会に仇なすことだ。そして社会に仇なす害虫共は全て僕が屠るよッ!これはもはや慈善事業だ。どうして僕のような素晴らしい人間がノーベル賞を受賞出来ないんだ?甚だ疑問だッ!!」


何が起きるかも知らぬ人々の暮らす俗世を見下ろし、昂る感情のままの叫ぶようなハジメの演説が、空高く溶けていく。


やがてヘリコプターが………その地域にしては高々としたビルの直上で止まった。ヒロ達の務める本社が、出る杭は打たれるという言葉を全否定するかのように立派に、図々しく、煌めいてそびえ立っている。


「準備は出来たか?」

『No.2。問題ありません』

『No.3。問題なし』

『No.4…………』


一人一人の返答は単純極まりないにも関わらず、全エージェントの返答まで約1分を要す程の、大掛かりな人数が動員し、これから引き起こされる『ユートピア』に…………ハジメは息をのみ、高揚し、頬を吊り上げた。


「突撃ッ!!」


鋭い眼光で見開かれた瞳のハジメの、怒りと興奮に満ちた号令が空と調和した、その約3秒後………

ヒロの本社ビルは上から下まで、窓という窓から光を放った刹那、竜巻の真ん中にいるかのような風と轟音を起こして、たちまち倒れそうな程に揺れ、黒煙を放ち始めた。




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