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第63話 ウェディングドレスじゃん!!

渚は昨晩ヒロと一緒にお酒とラーメンを購入したコンビニの目の前に立ち、人を待っていた。眉間に皺を寄せ、到底現実を飲み込む訳にはいかないとでもいうような、そんな表情で。


胸の中をざわめかせていると、やがて身に覚えしかない、大きな黒い車がこちらへやってきたのを見てなお息が詰まるような思いになった。


丁寧という概念からは大きくかけ離れた、猛スピードで躊躇ないドライビング。

そしてバック(後退)してるとは思えないスピードで急カーブしだした車は、タイヤのゴムが平坦なアスファルトと勢いよく擦れ、甲高い音を鳴らして勢いよく渚の目の前に停まった。


扉が開き降りて渚と対面したのは、そんなワイルドな運転をかました車から降りてくる人物とは思えない程の優雅さで、おとぼけ顔な表情をしていた。

そして渚を見て、その瞳がぱぁっと明るく輝く。


「やぁやぁ渚さん!昨日ぶり。顔色も良さそうだねっ!あーー!今日も会えるなんてうっれしいよ僕は」


爽やかな笑顔の小圷は、本当に嬉しそうな声のトーンでそう言い渚を見つめた。しかし渚は腕を組んで不審者を見るような目で小圷を見つめ返し、ため息をつく。


「あんたってつくづく最低だよね」

「はて?何の事だろうな。僕が考えているのはいつだって世界平和だけだ」

「○んでもらっていい?」

「せっかくコンビニに来たし、コーヒーでも買ってくるよ」

「勝手にしたら」


満面の笑みでコンビニに入っていく小圷を嫌悪感いっぱいに冷たくあしらった渚は、さっさと小圷の車に乗り込んだ。

小圷と会うのは死んでも避けたかった渚だったが、今こうして合流し彼の車に乗り込むのには理由があった。


つい先ほどスマホショップから出てまず目に飛び込んできたのは、ブロックしたはずの小圷からの通知だった。調べてみるとアカウントを変更したらしい。


そのアカウントもまたブロックしてしまえばいいものを、


でも……。運転してもらったしなー。


いやいや!関係ないでしょ。なんで迷ってんだろ。あんな奴………


そんな風に迷い躊躇って、結局返信してしまったところから始まった。


『なんか用?』

『一緒に遊ぼう。退屈なんだ』

『絶対ヤダ』

『そんなことを言っていいのかな』


そんなやり取りの末に送られてきたのは………先日ヒロの家付近まで送迎された際に過ごした、後部座席での時間。そしてその時に車の中でぐっすりと眠る自分と、ぴったり身体を密着させて手を優しく握り、こちらに微笑む小圷の写真だった。

つまり、寝ている間に無断で撮られていたのである。


『これをヒロ君に見せて楽しむとしようかな。一体彼は何て言うだろうね』


それを見た渚はブチ切れるあまり、無事である事を確認して胸を撫で下ろしたばかりのスマホを思い切り地面に叩きつけそうになったが、後先の事を色々と考えてどうにか堪え冷静になった。

そしてその恐喝まがいの行為に屈して、渚は小圷と再び合流することを選んだのだった。


コンビニから帰ってきた小圷から淹れたてのコーヒーカップを受け取った渚は、ひとまずそれを脇のホルダーに収納した。


「どこに行くつもり?」

「景色のいいところに行こう。目の保養は大事だよ」

「それはそうだけどさ……」

「僕が渚さんに保養してもらってるようにね」

「ふーん」

「お酒、飲ませてあげるからね。現地で買えるから」


ほぼ自業自得である状況と理解していながらも、渚は追いやられた今の状況に不満を隠せず、小圷の調子のいい軽口に素っ気ない返事をして眉を吊り上げていた。

そのまま何気なく首を動かして視線の先はバックミラーへ。そして渚は表情を一変し、大きく目を見開く。


…………昨日まで飾られ揺れていた、シューロランドのアクセサリーが、無くなっていた。


明らかに女物であったアクセサリー。貰い物って言ってたけど……平気そうなフリして、やっぱり私に見られるのが恥ずかしかったのかな。


バックミラーを見つめる渚、その瞳孔の先を小圷は運転しながら横目に眺めて………口端をふ、と上にあげた。


「あぁそうだ。そこに行く前に、一旦寄りたい所があったんだ」

「いいけど別に」

「渚さんにも喜んで貰えると思うよ」

「そうなんだ。今私を喜ばすのハードル高いけど大丈夫?」

「うん!かなり自信あるよ!」


弾けるかのような喜色満面、意気軒昂、自信満々で言い放った小圷に、渚はへー。と温度差のある関心なさげで、力のない返答をした。


どっからそんな自信湧いてくるんだろう。


その胸に胡散臭さを鼻で笑う気持ちと……微かながら確かに漂う、期待を秘めて。



------------------------------



何でまたここにこなきゃいけないわけ〜〜〜!?


小圷に誤魔化し誤魔化し再び連れてこられた、『城』と呼ぶに相応しいヨーロピアンな大豪邸。一般人から見たそれは聖なる雰囲気すら漂わせており、入口の門を直視することすら躊躇われる。


敷地に引きずり込まれた渚は、ひとつまみの粗すら見つからない程に手入れの行き届いた広い広い庭の中で、1人ぽつんと寂しげに立ち尽くし、今にも叫喚しそうな表情で目を見開いて小圷が戻るのを待っていた。

ベンチが幾つか備え付けられており、座って待つようにと言われたが従わずに立っていた。


緑が茂る中に存在感をもって佇む噴水から勢いよく水が吹き出すのを、何ともなしに見つめている。

客観的には良い天気なのも相まってのどかな光景だが、その中に居る渚の心情はどこかやきもきしていた。


あんまりいい思い出がある場所じゃないのもあって、なんだかな。


今日は黒くて怖い人達がいない。非番?休憩中?

どっちにしてもこんな豪邸のお庭に1人で居るって、こんなに孤独感があるもんなんだ。


そんな事をぼんやり考えていると、ふとゆっくりとした足音が聞こえて渚は後ろを振り向いた。渚を見つめ歩いてくるのは小圷ではなく、使用人らしき老婆だ。


銀バッチのおばちゃんと年齢近そうだけど……全然雰囲気違うな。


「案内しますから、付いてきてください」

「は……はい」


何が起こるのか全く想像出来ない状況に、思わず返事をする声が掠れた。


そんな老婆から案内されたのは、小圷邸内の小さな間取りの一室。入ってすぐ目の前に丁寧に壁に掛けられていたもの……それは、縹色を基調とした高貴なドレスだった。

オフショルダーの艶めかしさにAラインの壮麗さを兼ね備えた、『ドレス』と言われた時に想像して真っ先に頭に浮かぶタイプの、まさにドレス。


「うん。貴女なら似合うわね」

「いやえっと。………え?」


渚の心臓は驚愕により、小刻みに小さく跳ねていた。


いつかきっと着るが、それは遠い未来と心のどこかで思い続けてきたもの。それが今、目の前にある。


ま………待って。


こんなのまるで……ウェディングドレスじゃん!!


渚は突然見せられた豪勢で美しいドレスに、自身の感覚が狂わされていくのを感じていた。幼き頃からの憧れを目の当たりにして………それを着てみたいと、念願にも近い切望を心に疼かせて。


「気に入って貰えた?渚さん」


目の前の高貴なドレスに驚く渚の背中を、不意打ちで撫でる声。振り返ると小圷が落ち着きがありながらも、自信を感じさせる瞳で微笑み立っていた。


「全然ついていけないけど……どういうつもりなの?」

「明後日の夜。うち主催のパーティがあるんだ。ウチの一族と来賓、あとは知り合いがぼちぼち来るかな。渚さんも来てよ。これはその時の衣装だ。サイズは君にピッタリ合うはず」

「パーティ……?何で私が?」

「僕が渚さんに来て欲しいからだよ。………それ以上の理由は必要かい?」


普段わりかし理屈っぽい小圷の口から出た、素直で虚心坦懐な言葉。ただ純粋に渚にパーティに来て欲しいのだと、そこには何の下心も思惑も感じさせない。


「仮に行くとして、私はどこで何してたらいいの?」

「僕の隣に居て食事をしたり、自由に楽しんでくれればそれでいい」


『即断る』という、こういう調子の良い男にいいように操られない為に、いざとなったら容赦なく断行出来るよう瞼の奥に刻みつけておいたはずの選択肢。

それはフローリングの傷に補修が施されたかのように、渚の中から綺麗さっぱり無くなっていた。目の前のドレスの魅力と魔力という、補修剤によって。


だけど。


ここで頷いたら、またヒロに迷惑を掛けないだろうか。


しかし小圷はそんな渚の心情をとうに理解し、慮るかのように畳み掛ける。


「もし何なら、ヒロ君も一緒に招待するよ。一緒に参加するといい。僕としても是非1度会ってみたいんだ。………君程の女性をそこまで夢中にさせる、その男にね」


渚は眉をひそめ、目線を下にして押し黙る。小圷は息を呑み、渚から刹那も目を逸らす事なく見つめ返答を待った。


数秒の沈黙ののちに、渚は重い口を開いた。


「………ううん」

「?」

「参加、したい。参加は私だけでいいから」


渚は振り絞るようにして、そう返答した。自分で自分の思いと返答が到底信じられないと、肝を潰しながら。


これだけ綺麗なドレスを着れる機会はそうそう訪れない。


いざヒロの前で着た時に失敗したくないし……ね?


そんな苦し紛れな気持ちをそのまま言い訳の形に作文されたような思いに、判断の舵を取られていた。


どうせこの男は喜ぶだろう。そうとばかり忖度して、目の前の微笑んでいるであろう男の顔を見た。


しかし………渚は目を白黒させ、何か変なことを言ったりしたりしたか脳をフル回転させて顧みる事となった。

どれだけ意図的に心無い言葉をぶつけようとも決して崩れることの無かった彼の温和な表情が……真剣に何かを考えるように眉をひそめていたのだ。


そしてやがてハッと我に返った小圷は笑顔に戻って、優しい微笑みを渚に向けた。


渚はそれが何かの感情を押し殺して取り繕った笑顔と一見して見抜いた渚は、そこを問わなければならないと考えた。

しかし………その小さな違和感はドレスを目の前にして得た高揚感によって無理やり力強く押し流されて、抵抗虚しく遠くへ消えていく。


「ありがとう……!そうしたらそうだな……折角だし今日、予行練習を兼ねてそれを着て出掛けよう」

「エ?」

「羽織さん、お願いします」

「分かりました。それじゃ渚ちゃん。早速着替えようか」

「エ?エ?」

「階段とかトイレの時とか気をつけないとダメよ?全部今からちゃんと教えるから」

「エ″エェ〜〜〜!??ってちょ!?待って!あきゃ〜〜〜〜!」


羽織と呼ばれた、ここまで案内してくれた使用人の老婆は次の瞬間、呆気にとられたままの渚のパーカーを容赦なく脱がせにかかり、一室に悲鳴が響き渡る。


顔を真っ赤にした渚に弁慶の泣き所を蹴られ、小圷は痛みに飛び上がりながら部屋を出たのだった。


………つまるところ、今すぐにでもドレスを着てみたい願望を持っていた渚にとってその提案は願ったり叶ったりであり、断る理由はなかったのだ。



------------------------------



「わぁ………」


編み上げを結び終えた羽織に、着替え終わったよと背中をポンと叩かれて、大きな鏡を見据えた。


渚は鏡に映る想像以上の仕上がりとなった自分自身に、言いようの無いほどの高揚と感動を得て頬をほのかに赤らめ、放心しかけた。

まるで本当に『お姫様』になったかのよう。煌びやかに肩を出したことで、本当の意味で大人の女性になれたような気になってくる。

そしてそれは、背丈が今の半分程度しかない頃から夢に見てきた『憧れ』そのものが実現した瞬間であった。

しかし。


なんか…………見た目の8倍くらい動きづらいなぁ、これ。


お姫様って窮屈なんだなー。

これ毎日着るくらいならパーカーの庶民でいいや。


そんな小言を心の中で垂れていると。


「お、おぉぉぉーー!すっげぇ綺麗だ………!すげぇぇ!すげぇよ渚さん!!」


着替え終えて部屋に戻ってきた小圷はドレス姿の渚を見た瞬間に語彙力を大気圏までぶっ飛ばされ、渚を勢いのままに褒めちぎる。タキシードを着こなした小圷は、普段以上に紳士的な雰囲気に身を包んでいた。

それでいて無邪気な少年のように取り乱す小圷を、渚は頬を赤らめたまま見つめ返す。


「ゴホン。いやぁやっぱり凄いや……渚さんは。ラフなのも正装も、何でも着こなせるんだね」

「………変じゃない?違和感あったらダメ出ししてよ」

「まぁ間違いなく僕が見てきた中で1番似合ってるし、綺麗だ。間違い無く、ね」


太鼓判を押され、渚はなおも気分が高揚していく。一族のパーティに招待した張本人が奥歯に物を挟むような評価をするメリットが無い以上、流石に今回は小圷の発言を信用し、『着こなせている』と判断して良いだろう、と。


普段決まって野暮ったい安物のパーカーとスカートばかり着ている渚がそれを脱ぎ捨てて、今美しいドレスを着こなした事により、その美貌が余すことなく強調されていた。

その姿は、


「まさに一顧傾城だよ。渚さん」

「いっこ?」

「つまり………こういう、こと」


頭の上に疑問符を浮かび上がらせてきょとんとする渚のすぐ目の前に歩み寄った小圷は、王冠と小さな花を象った檸檬色の髪飾りを見せた。

そして渚の頭頂部に付けて、肩をつかみ再び鏡を向かせる。


「……………!…………!?」

「やっぱり渚さんはこれだと思ったんだ!!わぁ………!やべー………。すっごい似合ってるよ」


あっ!え!ま、まって!!


本当の本当にお姫様じゃん、私!!!


鼓動が早くなっていく。タキシード姿の小圷と並んだ渚は、完全に新郎新婦そのものだ。内心取り乱しに取り乱し、今すぐ何もかも全てをぶちまけるかのように騒ぎ立てたいところを何とか喉元で押し殺す。


隣に居るのがヒロなら、何も考えないで騒げたのに。


こいつと一緒だとちゃんと考えて会話しないといけないから、めんどくさいな。


心の中でそんな悪態をつきながらも、大いに胸を満たす満足感に渚は身体を震わせる。


しかし………結局、罪悪感はどこか拭えないままだ。


涙ぐましい程の努力を重ねた過去が、渚の脳裏に浮かぶ。

容姿や振る舞い方を徹底的に磨いて、内面以外は見事に垢抜けることに成功した。そしてそのモチベーションは、無尽蔵に燃え上がり溢れ出る、他でもないヒロへの恋心から捻出されたもの。


毎日誰かしらに可愛いだの綺麗だのと言われるけど、それはいっつもヒロじゃなくて。


その度に悲しくて、悔しくて。時々ひとりで大泣きしたりして。


…………今に始まったことじゃ無いけどさ。


渚は小圷と目を合わせる。黒のタキシードに身を包む小圷は、光る八重歯を渚に見せて笑った。


嬉しそうな小圷の様子に、渚も胸を高鳴らせて微笑みを返す。


「僕もかっこいいでしょ?渚さん。僕も」

「うん」

「えっ?」

「かっこいいよ。すごく」


皮肉で返されるとばかり思っていた小圷は渚の返答に、大きく目を見開いた。その様子を見てきょとんとする渚に、小圷はすぐ我に返って手を差し伸べた。


「もう僕の彼女になっちゃえよ。な?」

「やだ」

「だめ。今日から僕の彼女ね」

「ひひ」


渚はその手に取った、先をゆく小圷の手に真っ直ぐ導かれるままに、一緒に豪邸を走り出た。




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