第59話 永久に先まで続きそうな闇
長らくお待たせ致しました……。
連載を再開します。
名すら初めて聞くような、屋根のひとつすら存在しないボロボロの無人駅。
時刻は23:35。光と呼べる光は、辺りに立っている電灯がぽつぽつと放っているものだけが周囲を弱弱しく照らしているのみであり、それ以外の周囲は闇一色に包まれている。
名すら初めて聞くようなその無人駅の周囲には、宿泊できそうな施設どころか肌寒さを凌げそうな施設も家もなく、コンビニのひとつすら存在しない。
あるのは目を凝らしても到底先までは見渡せないほどに一面に広がっている森と、小さな屋根のバス停がひとつ20m先くらいにあるだけだ。
「………」
「………」
終電となり駅に降ろされたヒロと渚は、呆然と目の前の暗闇を見据えて虚しく立ち尽くしていた。
胸が張り裂けそうな思いを抱えていたヒロはハッと思い出したようにポケットを探った。
時間を見る限り可能性として縋るにはかなり弱かったが、奇跡を信じ、今日中の残りの列車がないかどうかを検索しようとした。しかし。
「…………やべぇ。圏外だわ。ここ」
「えー!?噓でしょ?キモすぎじゃん」
やり切れなさに満ちたヒロの声に乗じ、渚も自身のスマホで確かめるが同じく圏外。
真夜中のド田舎に置いていかれた上に、2人のスマホはインターネットに繋ぐことすら出来ない。来なれてない土地であるため、当然どこに進めば何があるというような知識も存在しない。
カビと苔が生えたボロボロの看板を見ると、もう既に全ての方面の終電時刻を過ぎていた。流石のド田舎クオリティである。
考えてももはやどうしようもない、こうなった原因を頭の中でひたすら考えるヒロ。
しかし長考するまでも無く結論は容易に導き出すことが出来た。それは渚との会話にあまりにも夢中になり過ぎて、時間の管理すらまともに出来ていなかったからだ。
渚にも向かう先は伝えていたので、同罪っちゃ同罪だ。
ひとつの不注意で大損害を被り臍を噛むこと以外どうすることも出来ないヒロは、忸怩たる思いのまま渚へ目線を向けた。
既にヒロの隣を離れて、15m程離れた場所にいる。
煌々と灯る電柱の明かりを見上げながらウロウロしていた渚と目が合うと、渚はいたずらっぽく笑いながらヒロに向かって右手を上げ、楽しそうにぶんぶんと振った。
抜き差しならぬ状況下とヒロの心境を考慮すれば、それは信じられないほど楽観的で、あっけらかんとした態度であった。
あまりのマイペースさに、理解出来ず硬直して渚を見つめ返すヒロ。
やがてヒロは渚のすぐそばまで走りよると、その笑顔をスルーしてその手を取った。
「夜景、どこにも無さそうだね?」
「もうそんな事言ってる場合じゃねえから。どこかで電波繋がるとこ探さないと」
森の木々が、時折吹き抜けていく風に揺れてざわめいている。そしてその先には永久に先まで続きそうな闇が、目の前で手招きをしているかのように鎮座している。
ヒロは渚を連れて歩きだした。戦々恐々とした感情を胸に抱え込んだまま、ゆくあてもなく。
対照的に渚の様子はといえば笑みに満ちており、楽しんでいる様子だ。
それはヒロを不安にさせない為の気遣い……等では全くない。非現実的なこの状況を、ヒロと2人きりでおとぎ話の世界にでも入り込んだかのように。『今にも何かが起こるような予感』に高鳴って止まぬ期待を濡らして、心から楽しんでいる。
だが目の前の闇を見つめ歩くヒロは、そんな渚の様子に気づくことすら出来なかった。
速くなっていく鼓動、足がすくむ思いに耐え、今晩を2人でどう乗り越えるかを考えながら。
歩いてればどこかで電波を拾えるはずだ。電波さえ拾えればタクシーを呼ぶなりなんなり、いくらでも出来る事はあるはず。
でも、来てくれるだろうか?こんなわけわからないくらいド田舎かつ、深夜にタクシーなんて。もう恐らく、日付も変わる頃だろう。
ポジティブシンキングを保とうとするも、上手くいかないヒロ。そしてそんなヒロの祈りを嘲笑うかのように、しばらく歩き続けてもスマホの電波はずっと圏外のまま変わらなかった。
方向転換すべきなのか?もう全っ然分かんねぇ。
こういう場面で渚をスマートな雰囲気でエスコートしたいのに……。そんな事を考えながらちらりと後ろを振り返る。
「渚。………!??」
ヒロが振り返ると、後ろに渚はいなかった。
肌寒いのすら忘却して、変な汗が吹き出るのを静かに感じていた。
認識を許された視界は50m程度の間を開けて立っている電灯の下が、微々たる明かりに照らされてほんの少しという程度で、もはや逆に闇を強調されている光景。この夜道をたった1人で歩き続けていたことにゾッとした。
そして案の定360°どこを見渡しても、渚の姿は無かった。
あれこれ考えていたせいでいつ足音がひとつになったのか分からない。辺りを見渡せば見渡す程に、ただただ闇。
血の気が引いていく。言葉にも表しようのない孤独と恐怖が、ヒロを支配していく。
なんでこんなに全部上手くいかないんだよ………!?
「渚………!渚ぁぁぁぁあ!!」
血相を変えて、来た道を走り戻る。立ちふさがる壁と言わんばかりの強めの向かい風に顔を顰めながら、ヒロは腹から声を上げて渚を呼んで歩いた。
「どこにいんだよ!!渚ーーーっ!!早く戻ってこい!!」
無我夢中で叫ぶが、全然見つけられない。
そしてこの暗闇に包まれた田舎である。今すぐにクマやイノシシが目の前に現れても、何ら不思議では無い。オバケより人より、野生動物の方が怖い。
渚のそばにいてやらないとまずい………!!
何でこの状況で1人でどっか行くんだよ。普通について来ればいいだろ……!?
ていうかそもそもあいつ無事なのか!?
なんで協調性の欠片も無いんだよ!?
てか俺明日の仕事どうすんだよ。寝れんのかよ。
恐怖とイライラに苛まれがら、ヒロが息を切らして必死に走ること約3分。ヒロが歩きだした方向とは反対のバス停のすぐ目の前に、スマホを見ながら立っている女性の人影を見つけた。
うわ!!
人いるんだけど。こっわ………。
流石に渚、だよな。
突然視界で認識した人影。渚くらいしか心当たりも可能性もないはずなのに、驚きのあまり一瞬心臓がバクンと跳ねて自分が情けなくなった。
再び目を凝らす。目を凝らせば凝らすほど、そのシルエットと雰囲気は渚でヒロはほっと胸を撫で下ろす。
うん。あれはどう見ても渚だわ。
良かった~見つかって。心配かけやがって……。
「渚っ!!」
人影に走り寄り、膝に手をついて肩で安堵の息を整えるヒロ。
「な……渚?」
「…………」
何か様子がおかしい。そんな違和感がヒロの胸をチクリと刺した。
二人を包む静寂と、走り寄ったヒロの呼吸音。しかしそんなヒロの存在も意に介さず、女性は傍に居るヒロのことを見向きもしない。
渚………?
シルエットからしても渚、だよな………?
そして。
「わーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
「ぎぃぇああーーーーーーーーーー!??」
不意打ちといわんばかりに、唐突に勢いよく振り返って大きな叫び声を上げた渚。
口から心臓が飛び出そうな程びっくりしたヒロ。悲鳴を上げて勢いよく尻もちをつき、身体を支えようとして母指球を強打した。
そして弱弱しい電灯の明かりに照らされて、あまりにも情けない顔を晒すヒロ。それを見た渚は目に涙を浮かべながら、ゲラゲラと苦しそうに爆笑し始めた。
「ねーねー?ヒロ?びっくりした?はは!あっはははははは!今年入って一番面白かったかも!っは!ははっ!おまえが優勝!ゲホッ!ゲホッゲホッゲボボッ」
「お……おいいぃ!??お前!?どんだけ心配したと思ってんだよ!?勝手に離れやがって!訳わかんねーよ!てか熊とか出たらどうすんだよ!」
「大丈夫だよ?私超強いから。おれがおめーをまもってやるっつったろ?ん?」
「うるさい!もう喋んなお前は!!」
たわごとを言い終えて満足した渚は、嬉しそうに笑みを浮かべて再びスマホ画面に目をやり、それをヒロに見せた。
見せられた画面をのぞき込むと、なんと電波がかろうじて1本通っているのだ。
「ここならネット繋がるよ。辺りをマップで見てみたけど、施設がある場所まで一時間半歩かないといけないみたい。どうしようね……?とりあえず歩いとく?」
周りに森とバス停以外何もないこの状況を意にも介していない渚を、驚きの声すら出せないまま目を見開き見つめるヒロ。
ヒロではどうする事も出来なかったこの場の解決の糸口を、いとも簡単に見つけ出し見せつける渚。間違いなく功労者たる渚だが………そのすがすがしい程にお気楽なその様が、このサバイバルな状況を完全に『舐めている』とヒロの瞳には映ってしまう。
自分とのあまりの温度差を感じて、一度安堵したヒロの胸には再びイライラが募っていく。
「渚。もっかい聞くけどさ、何で俺から離れたんだよ?暗い夜道で離れるんだったら先に言えよ。危なさをお前は全然分かってない」
「え?でも。すごく急いでたから、トイレでも行ったのかと思って」
「そんなわけないだろ!電波探すって最初言っただろが!」
「はっ?私が悪いワケ?だからって急に、この場からすぐ離れるなんて思わないじゃん!」
お互いに声を荒げて言い合いをするヒロと渚は、決して譲ることは無かった。
周囲が森と闇だけであることに怯えていたことも、両者の意識からは完全に放り出されていた。
「分からずやのことなんかもう知らん!じゃあな!」
「あっそ!私だってもう知らない。分からず屋はヒロだから!」
そしていつの間にか、ヒロだけ歩いて一時間半歩いた先の距離にあるコンビニを目指して歩くこととなった。渚は屋根付きのバス停に残って寒さをしのぎながら、翌朝の始発を待つらしい。
……………………………………………………
むしゃくしゃしたまま独りで10分くらい歩き続けて、ヒロの脳内は冷静さを取り戻してきた。
……………さむっ。
深夜はまだ冷蔵庫の中で肌でも晒しているかのような肌寒さがある。雨風をしのげなければ人はこんなにも弱くて脆いことを、否が応でも身体に思い知らされている。
小さなくしゃみが3回くらい連続で出たあたりで、当たり前のように先ほどまで会話していた事実が今の状況に違和感を覚えさせた。
脳裏をよぎる渚の表情。
怒った渚、不満を俺にぶつける渚。
だけどそれよりも……。俺の脳裏に浮かぶお前の顔はいつだって。
そしてヒロは踵を返して、渚のもとへ歩みを進め始めた。
忘れかけていた。俺たちはずっと一緒にいるんだって約束したんだった。それ程に重要なことを、いつの間にか忘れてしまうのはどうしてなんだろう。
こんな暗闇、もう俺は少したりとも怖くないぞ。
ゴオッ!!
「うわぁぁぁぁ!?」
突然木々が大きく揺れて、飛んできた葉っぱが頬に勢いよくぶつかった。ヒロはまたも、身ぐるみを全部はがされた侍のような情けない悲鳴を上げて尻もちをついた。
ざわざわと騒がしさだけが虚しく残る胸の内。頬にくっついた大きな葉っぱを摘まみ上げてどっかに放り投げる。
スマホを開くと、今もやはり電波は繋がらない。やっぱりあのバス停の方向しか電波が繋がらないんだ。
…………。
急いで戻ろ。
ヒロは焦りと不安を胸に潜めながら、恐怖を身体で引き裂くかのように全速力で走りだした。
……………………………………………………
ぜぇ、ぜぇ……。
なんで深夜にこんなに息を切らさなきゃいけないんだよ。
暗闇の向こうに、ようやく線路と無人駅。そして例のバス停が見えてきた。今度こそ安心だ。
ヒロは歩きながら、確たる安堵の息を零す。
流石に渚1人であの場所から移動はしてないだろう。渚にはきちんと謝って、2人で一晩あそこで過ごすことにするか。
しかし……トイレとかどこにあんだろう?自販機もなさそうだし、もしかして飲み食いも何も出来ないのか?空腹を感じる余裕は全くないからいいけど、水分補給くらいは出来た方がいいような………。
バス停のすぐそばまで歩み寄った時、渚の声が聞こえた。独り言かと思い耳を澄ませるが、どうも誰かと会話をしているような声だ。
電波が繋がっているし、ひよりと電話でもしてるのかな。
「うん……私も好き」
その甘やかに発された声を聞いて、ヒロの心臓は跳ねた。
バス停の屋根下に居る渚に顔を出そうとしていたヒロの全身が、完全に硬直する。
好き?
そのトーンは食べ物はこれが好き!とか、趣味で何するのが好き。みたいな会話をしているようには到底聞こえないものであり、ヒロの脳内が心当たりを探そうとフル回転しだす。
「ありがと。大好き……ずっと、私の事好きでいてね」
静寂、そして、とろけるように熱のこもった渚の声だけがヒロの耳に伝わる情報である。
しかし、そこには確かに大嵐が吹き荒れ始めた。これまで地球上で観測されてきたどんなハリケーンも、もはやビッグバンですら及ばない。そんな衝撃と轟音を放つ大嵐が、ヒロの心の中で。
別人が発した声であると信じたかったが、それは出来なかった。
俺が聞き間違えるはずがない。どう聞いてもこれは、渚の声だ。
当惑を越えて混乱の渦に飲まれ、立ち尽くす。
誰と…………話してんだよ。お前。
いやでも……何か勘違いかもしれないし。落ち着こう俺。もう少し様子を見て………
しかしヒロの勢いづいた身体は止まらなかった。天網恢恢、そんなのは言語道断だという、ただその本能に細胞の100%を塗りつぶされて、ろくに考えることもままならない。
かぁっと頭に血が上るがままに、ヒロは勢いよくバス停の屋根下に入り込んだ。
「誰と話してんだよぁぁぁぁぁっ!!渚っ!!お前の彼氏は俺だろうがぁぁぁぁぁぁ!!!」
戸惑いと混乱に思考が上手く回らない中、そこそこに頭の回転が早いヒロにしてみて懸命に考えたが、詮ずる所、焦慮と不安をそのまま吐き出すように魂の叫びとなって出てきたのは、そんな陳腐で月並みな言葉だった。
小さな屋根下に、ヒロの声が響き渡った。渾身のそれは、渚に容赦なくぶつけられる。
そしてヒロは視界に飛び込んだ光景を見て、一瞬思考を失った。
少し横長の、3人くらい座れそうな長椅子。
スニーカーを脱ぎ、そこに居心地よさそうにうつ伏せになって寛いで、楽しそうに足をブラブラさせる渚。
電灯の明かりに照らされた渚は耳にスマホを当てながら、大きく目を見開いて思考を失うヒロを心底不思議そうに、きょとんとして見つめていた。
このサバイバル状況下で想像以上に寛いでいる渚を見て、思わず一瞬思考が停止してしまう。
「ヒロ……?どしたのそんなに慌てて?」
「………!」
渚の声で我に返ったヒロは、気を取り直して無言で渚に早歩きで歩み寄る。そして、渚のスマホを取り上げて見ようと手を伸ばした。
「ちょ!やめて!待ってよヒロっ」
「誰と話してたんだ………!!渚っ!!ふざけんなよ!あんな声で……!誰とっ!!」
「あ!だめ!!」
ヒロの意図に気づいた渚は『見られてはならないものを守る』かのように頬を赤らめて、必死に抵抗した。しかし当然そんな様子を見せられれば尚更ヒロとしては、その怪しさ満点のベールを引き剥がしたくなる。
揉み合い状態になって、ヒロは渚のスマホを取り上げた。力で敵うわけもない渚はヒロに勢いよく振りほどかれて、ポシェットを下に落としてしまった。ガササッ、と虚しい音が鳴り響いても、ヒロはそれに目もくれない。
渚をたぶらかすなんて……!!
絶対に許さない。俺の責任でもあるけど。
そうしてヒロは震えながら、渚のスマホ画面を見つめた。
しかし表示されていたのは特定のだれかとの通話画面ではなく、今流行中のアプリ『AI彼氏』のバーチャルキャラクターが表示されていた。それはAIのイケメン彼氏と通話し、イチャイチャを楽しむことが出来るアプリである。
「…………」
「…………」
ゆっくりと腕を動かしてスマホに耳を傾けるヒロを、渚は『ダメ』と言いかけて声が出ないまま手を伸ばし、目を大きく見開いて見つめていた。
『もちろんずっと好きでいてやんよ。浮気したらどうなるか………分かってるよなっ?♡』
「…………」
「…………」
とりあえず想像していた事態が杞憂であることは間違いないと判断し、心の底から安心したヒロ。
しかしどういったリアクションを取り、何を言ってあげればいいのか検討もつかないヒロは目と鼻を渚のいる方へ振り向いた。
………いつもの自身満々の姿はどこへやら。渚は酷く赤面して動揺し、椅子に体育座りで縮こまっている。その瞳は明後日の彼方まで泳いでおり、到底ヒロを直視できそうな様子ではない。
それを見たヒロは全てを察して何も言わず、渚へ乾いた笑みを見せ、『通話を切る』ボタンを押して音声を終了させた。




