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第58話 ポジティブになれるところ

くぅ。くぅ。


……………寝息が、聞こえる。


横向きに眠っていたヒロは暗闇の中ハッと目を覚まして、首だけ起こし動かして辺りを見渡した。


渚はヒロの胸の中で、静かな寝息を立てて眠っていた。

さっき握られた手はずっと離すことなく握られたままだ。


外は完全に暗くなっていた。スマホを確認すると既に21時。


俺……あんな風に言われた傍から、また寝ちまったのか。


寝て休日が終わった。せっかく渚が来てくれたのに。


名残惜しく渚の手を離して冷蔵庫を開けると、半分まで減った2Lの水とおやつのプリン。そして渚が買ってきたであろうもやし野菜の袋詰めと、半額シールが貼られた豚のハツが入っていた。


水をコップに注いでグビグビと飲むと、ふと外が気になって窓を開けた。すると夜景という名の風情も何も無いただの住宅街と、その灯りの数々が目に映る。

高所に建つアパートの為、ささやかながら綺麗な景色を見ることが出来るのだ。


窓を開けた今、寝覚めがとてつもなく良い事に気づき始めた。全身が軽く、やたら頭も目も冴えまくっているのを感じる。

夜景の灯りの数々が鮮明で綺麗だ。あたかも綺麗な世界みたいに輝いている。クソゴミの代名詞たるこの世が。


しかしこの過去最高のコンディションは、今の俺には逆に皮肉にしかならない。


ごそごそ、と後ろから音が聞こえて振り返ると、渚が半開きの目で起き上がっていた。


「な、渚……!ごめん!気づいたら寝てた」


慌てふためいたヒロ。咄嗟に口をついて出てきたのは、そんな間抜けな言葉だった。我ながら情けなさを感じる。


「…………夜景見たい。私も」


カーテンがふわりと風に揺れた。目をほぼ閉じている渚は夢うつつ状態にも見えたが、その声にははっきりと意思がこもっていた。



------------------------------



渚に夜景を見せるためにスマホで検索し、良さげなスポットを見つけ出したヒロは、渚とふたりで電車に乗った。

日曜とはいえ、夜10時の電車はガラガラであった。広々とした電車の中、2人は肩を並べて隣合い座った。


ガタンゴトン。ガタンゴトン。


静かに音を立てて揺れながら走る電車。いつもうんざりしながら乗っているはずなのに、人が少ないこの時間は自分たちが独占しているようで気分が高揚した。


ヒロが着ている薄青色のポロシャツを、渚はふと興味深そうに目を見開き見つめ言った。


「この色可愛い」

「ん?ああ。去年くらいに買ったやつなんだ。落ち着く雰囲気でいいだろ?」

「そうなんだ。なんかヒロっぽい色かも」

「そう?」


ヒロも何ともなしに、渚の服装に改めて目を向ける。

暑い季節に衣替えをしたからか、黒のシャツにパンツという格好になっていた。茶髪もあいまって、やはり存在感がある。


「なんか………ライブ好きの女の子みたい。すげー似合ってるよ」

「ありがと。でもバンドあんま分かんないし陰キャだよ」

「大丈夫俺もだから。俺たち陰キャ同盟」

「きゃ♡」

「お願いだから電車では静かにしてくれ」


その首と脚には変わらず、ヒロがプレゼントしたチョーカーとレッグチェーンが付いている。やっぱり似合ってるね!と言っていい類かが分からないけど、欠かさず付けてきてくれるのがヒロにとっては嬉しかった。


「それ、やっぱり気に入ったんだな」

「うん」


端的にそう返事をし、ひひ。と笑った渚。声色から本当にお気に入りなのが伝わってきて、ヒロも思わず微笑んだ。


「ねー。見て」


渚はそう言うと、黒シャツの裾からほつれた糸をびっと引っ張りちぎると、つまんでヒロの鼻の前に突き出した。


色が薄くなった縮れ毛のような糸を堂々と見せられ、露骨に反応に困るヒロ。渚が自信満々のドヤ顔なのが、逆にヒロの困惑ポイントを上げていく。


「あげるね」

「要らないよ」

「飾ってよ家に」

「マジレスするとそのうちどっかに吹き飛ぶよ」

「メルカリで売ってもいいけど」

「誰が買うんだよ!?」


膝上に落とされた1本の糸。ヒロはそれを指で摘み上げ、渚のお腹らへんに擦り付けた。それを渚はすかさず摘んで、ヒロのポロシャツに擦り付け返す。


お互いに熱が入り、1本の糸を無言で、無心で、高速で擦り付け合う戦いが幕を開けた。2人の表情は至って真剣そのものであった。


そんな戦いが繰り広げられ、最終的に今、その糸はヒロの髪の上にちょこんと乗っている状態となった。


メルカリで売れるわけないだろ。


やがて渚は落ち着きの無い様子で、スマホを横にしててけてけとゲームをやり始めた。ヒロも画面を見たことで触発され、ゲームを起動した。


「鳴上君からアイテム貰ったよ」

「あ、俺も届いてる。あいつどんだけアイテム持ってんだよ」

「可愛い限定キャラも来てたし、私も課金しなくっちゃ。だけどお金がな。………?」


渚はそれ以降突然挙動不審となり、スマホ画面を見せてくれなくなった。余計に気になってヒロは覗こうとするが、渚は身体をよじらせて決して見せてくれない。


「なんだよなんだよ?気になるじゃんか」

「ひひ。後ちょっとで見せられるから待って」

「後ちょっと?」


全然意味が分からないまま、ヒロはぼんやりとライヌを眺めた。


しまった……。うーさんが心配の心象で送ってきてくれたであろうライヌを20時間近く放置してんじゃん。これ以上心配かけないように返信しないと。


確かにさっきまでほんとにしんどかったけど、渚の存在が本当に心の救いだ。


ヒロが返信の文章を売っていると、やがて渚は得意げに画面をバッと見せてきた。


「じゃじゃん!課金額抑えなきゃ問題、解決しましたよっと」

「え?どゆこと?」

「ちょうどこんなメールが来てたんだー」


渚が得意げに見せてきたメールは、市民ランダム宝くじ当選という題目のメールだった。


嫌な予感がしたヒロは、渚からスマホを取り上げる。


「ちょっと貸して」

「えー?何?そんなに羨ましいの?」


渚のスマホに届いたメールを隅から隅まで読み込んでいく。


読めば読むほど羅列された日本語の精度は高い。市役所管轄で行われている事業で、当選した方に現金配布。定期的に開催することで経済潤滑化を目指します、か……。


だけど、メールアドレスのスペルが明らかに怪しい。これでググってみてと。


ヒロは自身のスマホで検索をかけると、嫌な予感は的中することとなった。複数のブログで注意喚起が行われていた。最近流行りの、いわゆる詐欺メールだ。


更にとどめの一撃と言わんばかりに、メールのリンクから誘導されたとおりに進んでいくと、便利に買い物が出来るようにとクレジットカード番号と暗証番号の入力欄があるらしい。


「なぁ渚。まさかこれに番号を打ち込んだりしてないよな?」

「え、打ったよ?打つと今だけのチャンスでゲームに課金できる額の割合が増えてお得なんだから、打たないわけないじゃん」


ヒロを堂々と見据えてあっけらかんと言い放った渚。


そんな渚を見て、ヒロは一筋の汗をかき息を呑んだ。


こいつ………。マジかよ。


「いい?これは詐欺メールだから。番号打っちゃったなら仕方ないから、今すぐにメールと、明日には朝すぐに電話で問い合わせしてカードを止めてもらわないと駄目だよ」

「えーっ!?現金出さなきゃいけないの?なんで?」

「だから詐欺メールなんだって。渚のカードが、悪いやつに不正利用されるんだよ」

「何言ってんの?市が経済を回すために公的にやってる事業って書いてあるじゃん」

「だから!それが手口なんだって!」


明らかにそういった事に慣れてなさそうな渚を見て、思わず声を荒げるヒロ。


しかし渚はもはやヒロが何を焦っているのか全く理解できず、何でちょっと怒ってんの……?とでも言わんばかりにきょとんとした表情をしている。


ヒロが代わりに問い合わせしてあげようとするも、渚は頑なに応じようとしなかった。


「代わりに問い合わせるからカード貸して」

「嫌に決まってるでしょ!使えなくなったら困るもん。課金も出来ないじゃん」

「早く貸せって!!極度額全部使われて泣いてからじゃおせぇから!」

「やだやだ!別にいいけど、せめて新しいカード作ってからにして!」

「バカか!?新しいカード作る前にリテラシーを学んでくれ!!あぁもう!!分かれ!??」

「何で急に怒ってそういう事言うの?リテ?とか分かんない言葉使わないで」


焦慮に支配されて、思わず熱くなって強い言い方をしたヒロ。


そしてヒロを見つめる渚の目と表情は曇っていく。


何故ヒロがこれだけの剣幕になっているかを全く理解していない渚は、電車の窓から遠くを見つめ露骨に落ち込みだした。靴を脱いで膝を抱え、不貞腐れた態度を取り出す。


「ごめん。渚」

「…………」


不貞腐れた渚はぷいっと窓の向こうを見て、ヒロに見向きも返事もしなかった。


何で俺が謝ってるんだ?


まぁ会社でもそういう場面ごまんとあるから、別にいいんだけど……。


誠意を込めて、強い言い方をしたことを謝るヒロ。そして詐欺メールの特徴を丁寧に説明された渚は、ようやく渋々だがカードを止めることを決意した。


渚からカードを受け取り、種類を確認して代わりにカード会社に問い合わせをメールとチャットで送信した。渚はその様子を隣で真剣に見守っていた。


結局、それに40分近くの時間を要することとなった。


「カードしばらく使えないからな。一応、明日は朝イチで電話でも問い合わせしろよ」

「分かった……いつまで?」

「どんな対応になるかは知らないけど、一度流出しちゃったカード番号じゃない番号に切り替えは必要だろうし、どんなに短くても1週間は見た方がいいんじゃない?」

「えーーーっ!不便じゃん!……新しいカード作ろっと」

「待て!待て待て待て待て!ていうかもうお前はカード使うな!」

「何でそんな事言うの!!」


あぁーーーーーー!!!めんっどくせぇ!!!


何回説明すりゃいいんだよ。


ほとんどの乗客が消えた列車の中で、ヒロと渚の車両だけがやたらと騒がしいのは誰も知る由もないことであった。


言い合いの末にヒロは冷静になって、渚に注意喚起のブログを見せた。そこには今回受け取ったメールが詐欺である理由や、他の詐欺メールとの特徴と酷似している点も詳しく画像付きで記載されており分かりやすくなっていた。


渚はようやく徐々に状況を理解し始めたのか、顔色が青ざめていく。


「ね、ねぇ……。ヒロ?で、電話今すぐできないの?ヤバいじゃんこれ!!」

「だから言ったでしょ……今は営業時間外だから。明日平日だから9時からつながるよ」

「いや!ねぇ!今すぐ電話出来る方法ないの?」

「あるわけねーだろうがい!」


ガタガタと震えが止まらない様子の渚。


しかし渚は、その後1分くらいでケロッとし始めた。何事も無かったかのような表情の渚は、身体をヒロに寄りかからせて再びゲームし始めた。


「ま、いっかー」

「え?どんだけ前向きなんだよお前。俺だったら不安で仕方ないよ」

「大丈夫だよ。今ヒロがお問い合わせしてくれたし。それにもう明日の朝まで私が出来ることはもう無いんだから、いつまでも考えたって仕方ないじゃん」

「まぁそうだけどさ……」

「最悪の時は、もうその時はその時。恵まれないてめーに、私がカードで奢ってやるよってな♡ サービス精神旺盛でしょ?」


そう言って顔を上げ、本当に今までと何も変わらない様子で『にっ』とした笑みをヒロに見せる渚。


その時、ヒロが夢でも見るかのようにその脳裏に浮かんでいた光景は、会社で上手くいかず落ち込んでいた自分自身だった。


嫌味ったらしく怒りをぶつけてきた森家。

それをいつまでもいつまでも気にして不貞腐れてたように1日中寝てた自分自身が、とてつもなくちっぽけに感じたのだ。


考えてみれば俺、まだ現場入って2日だぞ?


なんであんなに気にしてたんだろ?土曜丸1日、もったいなかったな。


すぐに明るい部分を信じてポジティブになれる、そんな渚に俺は。


ヒロは、寄りかかってきた渚の頭を撫でた。


優しく撫でられた渚は、嬉しそうに笑う。


「ひひ。なあにー?」

「やっぱり俺、渚と一緒に居れて良かったって」

「この流れで?なんでー?変なの」


渚は、誰が何と言おうと俺の誇りだ。


そしてやがて、アナウンスが流れ始める。


『まもなく、終点です。ご乗車いただきありがとうございました。お荷物を忘れずにお降りください』


揉み合いにも近い口喧嘩をしていたヒロと渚はそのアナウンスを聞いて、同時にハッと我に返った。


そしてヒロは慌ててスマホを確認すると、現時刻23:30。


2人とも会話に夢中になるのと詐欺メールのくだりで完全に夢中になっており、20分乗ってれば着く夜景のスポットの最寄り駅をとっくに乗り過ごして、1時間半という長い間乗車していたのだ。


そしてヒロと渚は呆然としながら、顔を見合わせた。


「終点……?今終点って言ったよね?ほんとに?」

「う、嘘だろ……?」


夜景のスポットを通り過ぎるだけならまだ可愛かった。


俺明日仕事あるんだけど。


というかそれ以前に、終点ということは……。確かこの路線って。


非常に嫌な予感がしたヒロは、マップアプリで周囲を検索した。


辺りにはコンビニひとつ存在しなかった。あるのは一面に広がる森と小さな屋根付きのバス停。そしてその周囲にぽつぽつと、電灯があるのみだった。




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