第56話 鬼に金棒。虎に翼
一時はどうなるかと思われた、渚とうーさん。
結果的に俺は渚を″ぱる″から無理やり、力づくで連れ出した。
『まだ芽瑠に、ヒロに謝ってもらってない!!』と、不服の声を叫び散らかす渚のその肩と腕を掴んで。
連れ出した理由は、そもそもあの勝負は圧倒的な差をつけて渚の勝ちであったため、渚が守る約束なんて無かったから。
そして、崩れ落ちて俯く芽瑠はもはや喋れる状態じゃ無かったからだ。
俺はいいんだよ。渚の心を守ることが出来たなら。
うーさんは身を守る武器を手に入れた事で、新たな統括官として飛ぶ鳥を落とす勢いで実績を作り始めた。
本格的にあの子の時代が、これから始まるんだろうな。
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本社、屋外休憩所。
ヒロは珍しく、1人でコーヒーを飲んでいた。
うーん!
外の風に当たりながら、やり切った余韻に浸って飲むコーヒーは美味すぎる。
しかし、今度こそ本当に良かった。
これだけの達成感と嬉しさを味わってる時は、人と話さず1人で居るのが1番だ。
あー。本当に。
渚とうーさん、無事で良かった。
正直今にも泣きそうだもんな、俺。
渚はあれ以降露骨なくらいに元気を取り戻し、ライヌの返信が早くなり、また頻繁に電話で話すようになった。
今回も、色々な人に助けて貰ってここまで来れた。
ところで……………。
渚が芽瑠に言われていた『だっさいパーカー』という一言が、気になっていて仕事に手が付かなかった。
今にして考えてみれば、渚なんてどう考えても可愛いのに、どうしていつも真っ黒のパーカーに真っ黒のスカート、黒タイツなんだろう。もっと普通の格好をしたらいいのに。
俺はその謎に迫るべく、アマゾンの奥地へと向かうのだった。
というのは冗談で、俺はある事を考えた。そして珍しく、俺から次の休みを渚に空けておくように伝えた。今から楽しみだ。
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10:00。
今日はヒロとデート。
今回はヒロからアプローチをしてくれた。
それだけでも嬉しいのに、行く場所は秘密と言われている。あいつの性格を考えると何かサプライズの予感がする。
今から楽しみで落ち着かない。
ヒロと合流すると、珍しく何か企んでるような顔をしている。ヒロは私に手を差し伸べてくれて、手を繋いで街を歩いた。
こんな純粋で男の子みたいなヒロの顔、久しぶりに見たかも。
初めて出会った頃のヒロみたい。
いつものかいしょーないけど優しいヒロが大好きだけど、このリードしてくれるカッコいいヒロも大好き。
「ひひ」
「どうしたんだよ笑って」
「何でもないよー?」
「そっか」
その背中を見ながら、この先何が起こるのかを想像してドキドキしていた。
着いた場所は……イオンモール?
「わー。イオンなんていつぶりだろ」
「久々だな」
中をあてもなく見て回って、ダラダラと喋って、一緒にご飯を食べて。
あれ?普段遊んでた時とあんまり変わらないや……。
と思ったけど変に調子狂わないから、これでいいのかも。
順調に店内を歩き回り、ヒロがある場所でふと足を止めたので見てみると、お洋服屋さんだった。
しかも、結構いいお値段のお店。
普段の私たちなら何事もなくスルーするのだが、今日は違った。
「ヒロ、お洋服見たかったんだ?それなら言ってくれればいつでも付き合ったのに。そしたら、良さそうなの選んであげるねー」
「勘違いしてるみたいだけど、お前の服だよ」
「え?」
「ほらっいくぞ」
「へ?えぇぇぇぇ!?私はいいって!」
「良くない」
「ちょ、急すぎない!?」
あまりにも予想外過ぎた。何で急に?まさか、この間の芽瑠の悪口気にしてるの?
いやいや、いいって。こちとら好き好んでウニクロの安くて質素かつシンプルな服装してるんだから。
それに私は、黒が好き。黒じゃないとダメなの。
ヒロの悪魔になるって決めた、あの日から。
そう思って、必死にヒロを説得した。
ウニクロisベスト。黒isベスト。
ウニクロはいいぞ。
そして黒を全面的に推していきたい。
もうなんなら、ヒロも私と一緒に黒の服着たらいいじゃん。
初めてのお揃い!そうしようよ。そうしよ?
しかし、説得するもヒロが1ミリも引き下がる気配が無いのでやむを得ずお店の中へ。
ヒロが選んでくれたのは、ベージュと紺色を基調としたコットンのニットと膝丈のスカートだった。
「か……可愛いお洋服だね」
「だろ?」
本心だった。
今から夏にかけて大活躍間違い無しの、涼しくて肌触りの良い材質。出不精の私ですらお出かけのモチベーションが上がりそう。
そして、ちょっと大人な雰囲気で落ち着けるデザイン。正直ヒロのセンスなんてたかが知れていると思っていたので、かなり驚いている。
それに、まさかヒロが私のためにお洋服を選んでくれるなんて。
だけどね?だけど、待って。
これは街中で見かける度に苦手意識しか感じない、量産型キラキラJDのような雰囲気……。
別にキラキラのJDに恨みがある訳でも、ベージュや紺色が嫌いとかでもない。
しかしどうしてか何となくでしかないけれど、これを着た瞬間に私は何かに敗北を認めたような気がするし、私はもう私で無くなってしまう気がする。
「許して。私は黒の服しか着ないのー」
「うーん、この色しかないなぁこの服は。だから、な」
「待ってよ。わ……私は、ウニクロの服が好きで着てて」
「自覚無いだけで、本当は自信無いんだよ。こんな大人な雰囲気のお洋服私には似合わないから、自分は安いウニクロで充分って心のどっかで思ってるんだ。だけどそれは、大きな間違いだ」
渚はヒロの言葉に、表情に出しはしないがドキリとした。
『本当は』自信が無い。
その通りだね。ヒロのくせに。私の事、よく分かってるね?急にどうしたんだろう?
どうしてそんな事思ったんだろう。このたかが数日で、ヒロは何を見て、何を考えたんだろう。まるで人が変わったみたいで。
ヒロの真剣そのものの眼差しに、どうしようもなく魅入られる。
……でも。
「………やっぱり、ごめん。私はこのお洋服は」
「なあ渚。お前、俺に連絡もせず退院した時の事覚えてるか?」
「!」
「あーあ、苦労したなあの時は。突然お前が居なくなって、そのタイミングで異動だなんて言われて。体力限界になりながらずっとお前を探してたんだぞ。それなのに、気休めに俺好みの服を着た渚とデートしたいと思っても、それも叶わないのかぁ。俺はツイてないなぁ〜」
ヒロは見るからにわざとらしくそう吐いて項垂れた。
あの私の過失のせいで、ヒロに要らない苦汁を飲ませる羽目になったのはよく分かってた。
「………ズルいよ。ずっと気にしなくていいなんて言ってたくせに、今になって掘り返してくるなんて」
ヒロは私に選んでくれたお洋服を持たせると、そのまま試着室に押し込んだ。
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「ヒロさん。上手くいったみたいですね」
「ああ。芽瑠のおかげだ。ありがとう」
俺は電話を切り、再び店の中、渚を押し込んだ更衣室の前へ戻る。
服選びのセンスなんて当然俺には無いため、渚には悪いが芽瑠と連絡を取り、お店と渚に似合う服選びを手伝ってもらった。
社会人になって以降俺と会う時の渚は毎回あの服装だったので、好きで着ているというのは嘘じゃない。
それだけに、今回の説得は大変だった。
きっかけは、ふと営業回りをしてる時にオフの芽瑠に会ったことだ。
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……………
俺を見つけた芽瑠が声をかけてきた。
だがコック帽を付けてないから誰だか分からず、何秒か凝視してしまった。
コック帽を付けていない時の芽瑠は、至って普通の女の子だ。小さな身長だが、髪は腰まで伸びていて長い。
だけどやっぱり、その瞳には野心のようなものが灯っている。きっと熱心な子なんだろうな。
育ちがそもそもいいのだろう。
言動や行いのひとつひとつから品行方正のお嬢様という雰囲気を醸し出している。
「先日は、本当にすみませんでした………。失礼ばかり働いて。しかも約束も守れずに」
「いや、いいよ。逆にごめんね約束の為にわざわざ」
芽瑠は何かを悟り切った人のように、天を見上げて話し出した。
「草津先輩は私にとって目標であり、尊敬と憧れの的でした。いつもいつも、私の目には彼女が幸せそうに映りました。しかしそれがいつの間にか、草津先輩に勝ち、草津先輩より上と誇示することが自分の幸せだと信じるようになってしまっていたんです」
ヒロは芽瑠の話にしっかりと耳を傾けながら、何ともなしに、忙しない喧騒と街並みを見つめていた。
『まさってる点が無い奴はやがて嫌味や陰口を言う。そういう奴らにとって嫌味や陰口は『食事』や『睡眠』みてぇなもんだ』
ふと、葛木さんの言葉を思い出した。
そして芽瑠の瞳にはもう、曇りは無い。
「自分が本当に望むことが何なのかに気づけたなら、良かったんじゃない」
芽瑠はハッとしたように、そう言ったヒロの瞳を見つめた。
歪んだ世界から、芽瑠は自分自身を取り戻せた。
きっと芽瑠は、自身を不幸に陥れる苦しみのスパイラルから解放されたということなんだろう。
勝つことと幸せなことは全く関係ない。渚はそういう自身の価値観をはっきりと自覚してるから、あの金バッチを受け取らなかったんだろう。
立派な実績があるにも関わらず、自慢するどころかむしろ俺に知られて恥ずかしがっていたし。
気にしないで自慢してこいよ。全く、渚のくせに俺にまでお高くまとまって……。
だけど、だからこそ芽瑠と衝突したんだろう。
芽瑠の料理に掛ける気持ちが本物だって、渚に宣戦布告したあの時の目を見た瞬間に分かったから。
芽瑠は俯いて、小さな声で言った。
「………ヒロさん。不躾を重ねてしまうようで恐縮なのですが、お願いがあるんです」
そのお願いとは渚に、『たまにで構わないから料理の評価をしに″ぱる″に来て欲しい』と伝えてくれないかいうものだった。
そのお代は取らない、寧ろ払う。
来てくれる時は事前に連絡をくれれば、専用席を用意すると。
俺はそれを伝書鳩するのが面倒くさ……ゲフン。大変だと思ったので、渚に断りを入れて了承を得た上で、連絡先を芽瑠に渡した。
そして、そのお礼に洋服選びも手伝わせたという訳だ。
……………
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さて、そろそろ試着し終えた頃だろう。
真っ黒じゃない渚なんて、高校時代の制服の時ぶりだ。どんな風だろう。ほとんどあんまりイメージがわかないな。
俺と芽瑠が似合うはずと思っただけで、実際全然似合ってなかったら何て言ってカバーしよう。
一応予備のプランを何着かは考えてはいるが……。
そんな事を考えながら試着室へ行くと、選んだ洋服に身を包んだ渚が頬を真っ赤に染め、俯いてもじもじとしていた。
俺が戻ってきている事に気づいた渚はびくりと反応し、目線を咄嗟に向こうへ逸らす。
「………な、何か言ってよ?」
「な…………………渚。これはダメだ。戻してこよう」
「えっ、えー!?」
「かっ………」
「?」
「可愛すぎんだよ!!こんなの買って着て、間違って街中でも歩いてみろ!ナンパなんかされたらどうすんだ!!」
「!??」
何だこりゃ!?俺は、渚が世間にバカにされたりしないようにあくまで、「普通」な女の子の洋服を着せてお互い安心出来るようにしたかっただけなのに。
大人ファッションに身を包んだ渚はまるで、俺とは違う世界にいるかのように綺麗だった。
本当に悔しいけど、渚はそもそもウニクロを着て街を歩いてても辺りの人間が男女関係なく振り向く程の美人なのだ。
にも関わらずそんな渚が普通の女の子が着るような洋服で飾った事により、それは凶悪で、暴力的なまでの可愛さへ変貌した。
だけどそれは、高嶺の花や薔薇のようなんて、そんな高尚な表現では到底言い表すことは出来ない。鬼に金棒。虎に翼。吉田沙〇里にデ〇ノート。
それは急に不安をどっと呼び寄せ、俺の心を一方的に、荒々しいまでに侵食し焦燥を募らせる。
俺が今のこいつを見て真っ先に想像した隣にいるべき人間は、芸能界で一世を風靡でもするくらいの美男子だ。俺な訳ない。
というか世の中に俺よりカッコいい男児なんか何人いると思ってるんだよ。
今まででさえ俺がこいつと釣り合うのかと疑問視していたのに、もはやシーソーゲームなんて成立する訳がねえ。
「ほら早く脱いで。いつものウニクロに戻るんだ!さあ!」
焦り散らかし、必死に渚に服を脱ぐようせがむヒロ。
しかしそんなヒロの縋るような態度と不安そうな表情を見た渚の瞳の奥は、どうしようもなく『何か』を刺激されてしまったかのように、ゆらゆらと揺れて。
やがて困惑していたはずの渚は、やがて頬を赤く染めたまま何も言わず、悪戯っぽい笑みに、挑戦的な眼差しに変わっていく。
そしてヒロを見つめたまま、ぺろりと舌なめずりをした。
な。渚……………?
何でそんな、顔…………?
その笑みは、いつも渚が見せるいたずらっぽい笑みとは何かが異なっていた。ほんのりと紅い笑みの中に、激しくも静かな情動を秘めた、本能的な瞳があった。
ヒロのバクン、バクンと音を鳴らす心臓の音は、どんどん大きく、心地悪く高鳴っていく。
渚はヒロの胸をつんつん、と優しく人差し指でつついて、耳元で優しく、甘く囁いた。
「すっごく可愛いお洋服ありがと。ヒロの為なら何でも全部全部、『お望み通り』にしてあげる♡」
呆然とするヒロを横目に、渚は一瞬で着替え終えて洋服を会計しに行った。
あれ?俺が買ってあげるはずだったんだけどな……。
散々嫌がってたわりにノリノリじゃん……。
と思ったけど、俺はもはやもうそれどころでは無かった。
あいつ、可愛すぎ………。そしてそれが余計に胸の中の不安をめちゃくちゃに掻き回すのを加速させて。
俺は今にも頭がおかしくなりそうだった。
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イオンを出た俺たちは無言だった。
紙袋を持った渚はるんるんと嬉しさと楽しさが滲み出ており、そして対照的に俺の今の表情が死ぬ直前とでも言うかのように絶望しているのは自覚済みである。
「ねー。次のデートいつにする?もう待ちきれないよ。………どうせならさ。ヒロの新しいお洋服もこのまま一緒に買いにいかない?」
ずっと前を見て歩いていた渚は、そう言って不意にこちらを楽しそうに振り返った。
そして俺の顔を不思議そうに覗き込むと、ゲラゲラと笑い出した。
「ヒロ!?どうしたのその虚無感に満ちた顔ー?死ぬ?死ぬの?」
「うるさい!俺は今如何に切り詰めて貯金をし整形するか考えてるんだ」
「えー?いいよしなくてそんなの」
ヒロはさりげなく小走りをして、渚のすぐ隣に寄り手を掴んだ。渚はその手をしっかりと握り返す。
「そう?じゃあいっか」
お互いが決して離れないようにと願うかのように、手をぎゅっと繋ぎ合った。そして再び、2人同じ行く先を見つめて歩き出した。
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本社。
どうしても柳にお礼を改めて伝えたかったヒロは、柳を探して人事部へやってきた。
柳は笑顔で駆け寄ってくるヒロを、普段と何ら変わらない飄々とした瞳で見つめていた。
ヒロは柳の手をぎゅっと握った。
「いやぁ!!柳さんの直感って凄いんですね……!おかげで、渚とうーさんの窮地をどうにか乗り越えることが出来ましたよ!!」
「……………?」
「柳さんが居なかったら、俺……。………柳さん?」
ヒロの晴れ晴れとして感謝に満ちた瞳に映る柳の表情は、困惑と疑惑に満ちていた。
「…………ううん。なんでもないわ。よかったわね」
そしてにこり、と笑った柳。ヒロは一瞬違和感を覚えたが、スケジュールが詰まっておりそれ以上会話することが出来なかった。
柳は今のヒロの、あからさまに晴れ晴れとしたメンタルを守りたいがあまり伝える事が出来なかった。
先日バーで伝えた直感が、その時よりも大きくなってきていることを。




