第6話 『にっこり』笑顔
【登場人物紹介④】
葛木 室 (くずき むろ)
ヒロの恩師であり統括官。計算高い。酒、タバコ、ギャンブル依存症。重度の寝坊癖がある。
10:00。
会社、管理室。
ヒロは渚の手によって水でビッチャビチャになった書類を葛木に見られ、再びこってり絞られる事となってしまった。
「時枝ク〜〜〜〜〜ン。これは1日お世話になった書類さんの″お洗濯″か?立派な心がけじゃねぇか。あァ。いい心がけだわ」
「す………すいません………本当に………」
「次やったらただじゃおかねぇぞ」
相変わらず口調はだるそうで淡々と話しているだけにも関わらず、キレ顔で目の前に迫り来た葛木はとてつもない威圧感を放っており、ヒロは怯え震えた。
何度怒られても、これは慣れそうにないな………。
12:30。
待ちに待った土曜、会社は休みだ。
ヒロと鳴上はTVアニメ『甘目まどかの照り照り魔法少女記』の新作映画を観に、一緒に映画館へ来ている。
そしてその帰りにでも、葛木から貰った飲み屋の半額券で飲みに誘おうと目論んでいた。
『甘目まどか』を超簡単に説明すると、クソ上司にクビにされた腹いせに、突然現れた変な生き物のお願いを聞いて魔法少女になったけど、その生き物の趣味で変身中は毒舌以外吐けなくなった。という内容の異世界ファンタジーだ。
土曜ということもあり、映画館の中も外も人だかりが出来ていた。
鳴上は休みにも関わらず、まさかのスーツだった。好きなキャラとデートをする気持ちで引き締めたとの事。
清々しすぎる……。
チケットと飲み物を購入し終えるが、上映まであと20分くらいありヒロと鳴上は近くの椅子に座って待機していることにした。
「このシリーズは、毎度毎度ヒロインの変身シーンでお色気要素をぶち込んで来るでござるよ。デュフw 股間にキたらシ〇っていいでござるか?」
「ダメです」
「加え、『You4 テーブル』の躍動感と迫力満点の演出でござるから、期待しかないのでござる。躍動する女体w ブッヒw 股間がもたぬでござるよォブッヒヒw」
「ダメです」
そんな会話をしているとヒロのスマホが鳴り、見ると渚からライヌが届いていた。
「お?まさか……この間の子でござるか」
「うん。今から遊べないかって」
「ウグッ!リア充……爆発……ガク」
「死ぬなそんなことで」
渚はすぐ合流出来る場所におり、飲みの半額券は3枚。
ちょうどいいかもな。
そんなことを考えていると、そのまま渚から電話かかってきた。
『甘目まどかの映画観たいー!私も行っていいよね?』
「別にいいよな鳴上?」
「ちょw リア充見せつけるつもりじゃないでござろうな!?非リアの拙者のガラスのハートが死ぬでござるよw」
「ツレも大丈夫だって」
「ちょww 露骨なスルーやめw」
合流する事になった。
13:00。
鼻息を荒くして映画の上映を心待ちにする鳴上を横目に静かに座っていると、渚が走ってこちらへやってきた。
「お待たせ〜!」
「渚。めっちゃ息上がってるじゃん」
「はぁ、はぁ。面白い映画の鑑賞に遅刻は許されないから。仕事じゃないからね」
「遊びじゃないって言いたいのね」
息を切らしてパタパタ走ってきた渚は両手を膝について呼吸を整え、ヒロの顔を見上げた。額に汗をかいている。
「ヒロが映画って珍しいね?」
「確かにあんまりないね」
鳴上は今日も渚を見てモジモジしている。
これは初対面の人だからなのか女だからなのかは明確には不明だが、先日のグッズ店のくだりを思い返すと後者の可能性が高いと勝手に推測していた。
加えて渚はこの可愛さだからな。多分初対面は誰もが緊張するだろう。俺も今ですら少し緊張する。
そんな事を考えていると、渚は鳴上を指さして目を見開いた。
「あっ!この間の甘目まどかの人!」
「あ、甘目まどかを知ってるでござるか?」
「知ってるよ。fuluで全部観た。とんでもないスピードで成長して怪人をけちょんけちょんにするまどかがコワ可愛いよね」
笑顔で語る渚。そして鳴上は趣味の理解者に目を輝かせていた。
この2人の繋がり、なんか不思議な光景だな。
「オォ!!まどかの魅力を理解してるでござるな!ユニバースと初めて交信した時は、涙しそうになったでござる」
「分かる!!昨日の夜もヒロとエピソードについて語り合ったからバッチリ……♡」
「あぁぁぁぁ!!!リア充エピソードはダメでごさるぅ!
心が!心がぁぁ!」
白目でぶっ倒れそうになる鳴上を、渚はきょとんと見つめていた。
通話を繋いで一緒にゲームしながら、アニメの感想言い合ってただけだけどな。
そんな事をしている間に上映時間が近づき、会場が開いた旨のアナウンスが流れた。
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15:30。
映画を観終わり、渚は満足したのか嬉しげに出口へ躍り出た。
ヒロと鳴上はつかの間の余韻に浸った後、この後どこかに遊びに行くか、このまま飲みに行くかを話し合っていた。
結果、どこかいいお店があれば遊びに行こうという話になり、鳴上が近くのお店探しに名乗り出た。
早速スマホを開き、マップ機能でサーチを始める。
「ねぇ、聞いた?パズゴラと『甘目まどか』コラボするんだって」
渚は瞳をキラキラさせながら、ヒロと鳴上に問いかけた。
「ブッ、ブッヒィィッ!?まどかたんが、パスゴラにッ」
それを聞いた瞬間に鳴上はそう叫ぶと、光の速さでマップアプリを閉じてソシャゲのインストールを始めた。
「あ、コラ。店探ししなさい店探し」
「時枝殿。お店探しの大役、託したでござる。キリ」
「自分からやるって言ったんじゃん」
「拙者は″漢″。″漢″たるもの、時に譲れない事もあるのでござるよ。オ、オォォォッ!!パズルを運び、次々と消していくまどかたんッ!!ンン〜〜!これで生きる活力1ヶ月分ゲッチュなw」
「お前もう1ヶ月何も食うなよ」
仕方ないなこいつ……。
ヒロは小さくため息を吐いて、代わりにマップアプリを開いた。
「やっぱり2人仲良いんだね」
渚はヒロと鳴上のやり取りを見て、クスクスと笑っていた。
俺と2人でいる時は見られないレアな、控えめで女の子っぽい笑い方だった。
「ねー。どういう関係なの?」
「会社の同僚」
「キューティクル・ユニバースされてない?大丈夫?」
「会社では真面目だから」
ソシャゲをプレイしながら大袈裟に一喜一憂する鳴上を少し離れた距離から見ながら、ヒロと渚は会話を続けていた。
「リア充、爆発。リア充は、爆発……!!!!オオオォオォォォォォォォ〜〜〜〜ッッッ!!!雑魚めッ!拙者の″往く″道を塞ぐでないぞォォォォ……………!!!!」
鳴上は未だにその場で立ったままソシャゲに熱中し、叫び声を上げていた。
19:00。
土曜も終わろうとしている。
ヒロと鳴上、そして合流した渚は映画を観終わって良さげなお店を探すが、結局特別行きたいところが見つからなかった。
なのでいつものヒロと渚のノリのまま、アニメショップの他、本屋や家電量販店を興味の向くままに3人で適当に見て回った。
そして足が疲れたという理由で、葛木からもらった半額券の対象となる居酒屋に入った。
掘りごたつがあり、敷居と襖でスペースが明確に区分けされていた。
いい感じの狭さというか余分な広さのない、3〜4人がリラックス出来るスペースだ。
ヒロと渚で隣同士、鳴上は向かいに着席した。とりあえず備え付けのタブレットにてビールを注文すると冷えたビールとお通しの漬物の皿が届いた。
「おっとォ!19:00なので、本ストのデイリークエストの時間でござるゥ!!ちょいと失礼失礼」
鳴上はわざとらしい素振りと口調でスマホを取り出すと、そのままソシャゲを起動した。
「え!本ストやってるんだ。一緒にやろうよ」
「俺もやるわ。確か今、素材ドロップ2倍やってたよな」
「いいでござるな。2人とも、フレンド申請を送ってくだされ」
そのまま、俺らは3人ともビールに口を付ける事無く30分くらい経過した。完全にゲームに熱中しちまってるな……。
鳴上と渚が廃課金廃ステータスの為、無課金で普通程度のやり込みだった俺は突っ立ってるだけでクエストが終わっていた。
厳密には鳴上は渚の倍くらい課金しており、所謂ランカーだった。
「鳴上君……強すぎでしょ」
「草津殿もなかなかでござるよ」
「お前ら2人ともステータスおかしいだろ」
「ヒロはそのまま立ってればいいんだよ?♡」
「どうせなら俺も活躍したい……」
「時枝殿。まずはやる時間を増やすでござる」
「家帰ったら疲れてすぐ寝ちゃうからなぁ」
「拙者はどうしてもの時は仕事を無断で2〜3時間くらい
抜け出してやってるでござるよ」
「え?なんか俺とんでもない事聞かされてる?」
「その日の仕事がもう終わってるんだから問題ないでござる」
「いやダメだろ」
「ヒロもサボってやり込むしかないね、もう」
「あのね?きみらのように器用じゃないの、俺は」
俺らはビールをちびちび飲みながらゲームを楽しんだ。
次第に全員、ゲームに熱中するあまり飲み屋にいることを忘れつつあった。
そんな時、スペースの仕切りをノックする音が聞こえた。
仕切りが開き、居酒屋の店員がグラスを持って現れた。
なんか、ギャルっぽくてサバサバした女の子だ。
学生さんっぽいな。
やたら甲高い発声に絶やさない笑顔は、恐らくこの場所で身につけたものだろう。
「失礼します。追加のご注文の焼き魚と唐揚げです♡」
「あれ?これ誰頼んだの」
「拙者でござる。すまないが更に追加で枝豆ともやしナムル、ローストチキンも頼む」
「かしこまりました〜♡」
店員のアルバイトらしい女の子は鳴上に小さく頭を下げて去ろうとするが、自然な流れでヒロの方を見た。
すると目を輝かせ、ヒロに擦り寄るようにしゃがんだ。
「お兄さんは追加注文大丈夫ですか?♡」
「あ。ありがとうございます。大丈夫ですよ」
「しばらく注文されてないようですし。遠慮なく、申し付けください〜♡」
「うん。親切にありがとう。気遣い出来るのはいい事ですね」
「そうですかぁ?ありがとうございます!♡」
女の子は上目遣いで、嬉しそうにヒロに笑いかけた。ヒロも自然に笑顔を返し、笑い合う。
なんだこれ。結構気分いいなぁ〜。居酒屋の店員さんにこんなに綺麗な人がいるなんて……。テンション上がってきた〜。
しかし、気のせいだろうか?
俺の隣、渚の方から、ドス黒い殺気を感じる………。
「分かりました!もし何かあればいつでも………あっ♡」
店員の女の子はつまづいてしまい、他のテーブルに持っていく予定だったであろうビールをヒロのスボンにぶちまけた。
ガチャガチャン!!
グラスが床に落ちて、大きな音を鳴らした。
「ごめんなさぁい!♡ すぐ、拭きますね♡」
店員は俺の足元に膝まづいて、タオルを持った手をびちゃびちゃになった俺のズボンに伸ばす。
「あ……大丈夫ですよ。俺が拭き……」
ダァァァン!!!!!!
ガチャガチャガチャーン!!!
テーブルが2つに割れたんじゃないかってくらいの大きな音を立ててテーブルを拳でぶっ叩いたのは、俯き怒りに震えている渚だった。
それによってテーブル上に既にあった渚とヒロのグラスも音を立ててひっくり返り、大きな音を立ててテーブル下に落ちた。
店内がシン……と静寂に満たされたのが、はっきり分かる。
個室内が渚の殺気で充満しており、ヒロと鳴上は思わず息を呑む。
店員の女の子はその瞬間ビクリとして動きを止め、半分パニックになり恐怖で青ざめ、震えながら渚を見つめている。
零れたビールで2人のスマホが浸水していくのを、ヒロはあまりにびっくりして呆然と眺めることしか出来なかった。
「私たちで拭くので結構です。早く空いたグラス持って行ってくれませんか?」
きつく拳を握り小刻みに震わせながらそう言い、店員に無機質な笑みを投げかける渚がいた。
表情こそ『にっこりと』笑顔。
だが低く発せられた渚の声にははっきりと、胸にずしんと重く残る怒気が籠っていた。
拳の下からテーブルがミシミシ言ってる音が聞こえる。
渚にあからさまにビクついた女の子は、顔面蒼白になりすいません……とだけ超絶小さな声で言うと、グラスを急ぎ拾い上げて逃げるようにスペースから出、パタンと仕切りを閉めた。
「ヒロ、だいじょーぶ?」
そう言ってこちらを見た渚はいつも通りの表情に戻っていて、ヒロと鳴上は安堵の息を吐き出した。
「全然大丈夫だよ、こんなの」
「全く、お茶目な子もいるもんでござるな」
渚はヒロの足元にしゃがみ込んで、足元と、ヒロのズボンとその周りを綺麗に拭き始める。
「俺が拭くからいいのに」
「気にしないでー」
俺はテーブルの上と、俺と渚のスマホをしっかり拭いておくか。
それにしても………。なんかさっき、この世が終わるんじゃないかってくらいドス黒い何かを感じた気がする。
「ところで渚。何であんなに怒ったんだ?ズボンがビールで汚れただけなのに、そんな」
「時枝殿」
何食わぬ純粋な表情で話をするヒロは、咄嗟の声量と勢いで遮られた。
鳴上の方を見ると、『マジで勘弁してくれ』とでも言うかのように眉をひそめてヒロを見つめ、首を小さくブンブンと横に振りまくっている。
渚はそんなヒロと鳴上の様子を見て、にこにこと笑みを作っていた。
え……?どういうことだ?
ズボン汚れたくらいでそんなに怒らなくてもいいじゃんか。俺、間違ったこと言ってるか?
2人とも、今日なんか変だぞ?
ヒロは、胸の内の疑問をぬぐい去ることが出来ずにいた。
3人は居酒屋から出た。
結局ビールを零した1件の後はなんとも微妙な空気のまま、飲み放題の時間が終了したのだった。
翌日、11:00。
会社、管理室。
例の大型商談はあと一息の段階まで来ている。あとは先方のお偉いさん次第、といったところだろう。
葛木は嬉しそうに頬を釣りあげ、ヒロと一緒に関係書類を眺めていた。
「おいおいおい。順調だなァ〜。早坂さんと相性いいみたいじゃん」
「はい、どうにか。俺的にはすごく話しやすいです」
「そっかそっか。時枝に任せて良かったわぁやっぱ!!!ハッハッハッハ!!これ決まったら、デケェぞ〜!!」
「いえ、そんな」
葛木が大笑いするのを、ヒロは微笑み見つめていた。
いよいよあと一歩で、デカい仕事クリアか。
胸がワクワクするのを感じる。
「今日もまた行くんだろ?」
「はい。16:00ぐらいに」
「じゃあ今日明日で決まりそうだな。しっかり頼むぜ」
「分かりました」
「俺は午後出張でいねぇけど、ここはお前と鳴上で指揮してくれ」
「はい」
ここまでの道のりかなり頑張ってきた訳だし、達成感半端ないだろうな。
絶対やり切って、葛木さんと皆を喜ばせるぞ。
この3年間での成果を見せるんだ!!!
17:00。
葛木から任された大型商談を予定通り順調に進め、取引先から戻ったヒロは緊張の表情を崩さないまま会社の入口をくぐった。
このまま絶対に成功させよう……。
そんな思いで業務フロアに戻ると、ヒロの目の前には地獄の光景が広がっていた。