第54話 この醜い豚ども
渚が″ぱる″に復職するまで、あと2日となった。
相変わらず、連絡はほとんど返してくれない。だが、ヒロの心に迷いは無かった。
いいさ……大丈夫。
もう俺には考えがあるから。
午前9:10。統括席レイアウト変更の為に管理室を訪れた葛木は、荷物をまとめ切ったうーさんと、ヒロが立っているのを見つけた。
こちらを見据える2人。葛木はすぐに、2人が自分を待っていた事に気づく。
「なんだ?お前ら……。そして鹿沼。お前はもうここに居る資格はねぇぞ」
鋭い口調の葛木。しかしその表情は朝であるにも関わらず明らかに疲労から憔悴しきっており、普段より元気が無かった。
そんな葛木をうーさんは腕を組み、挑発的かつ、どこか自暴自棄な強く光る瞳で見つめ叫んだ。
「言われなくたって出ていかせてもらいますよっ!だけど………最後にご挨拶をと思いまして」
普段と違う様子のうーさんに、葛木は思わず大きく目を見開く。そしてバッと、すぐさま隣のヒロの顔を見た。
葛木さん、俺がうーさんに何か吹き込んだと思ってるな……。
あぁ、その通りだよ。
そして………俺が継いだ。
うーさん思いである鳴上と須藤の、計画と確固たる意志を。
「わたしは確かに迷惑を掛けることもありますけど………その分、貢献出来ていた自信もあるんです。大体わたしは自分のミスくらい、全部自分でリカバリ出来ますし」
「…………」
「葛木さんの事を救った場面も、直近でいくつもありますよね?」
「………何が言いてぇんだ?降格処分の不服申立てなら最初からそう」
「ぜーーーーんぜん!!全然そんな事、ありませんよ?わたしは全然痛くも痒くもありませんから。辛くなるのは葛木さんですしね」
うーさんは意地悪な笑みで葛木を見据えた。
葛木のうーさんを睨む瞳に、一瞬焦りが滲む。
「支社の時にわたしが作ったツールの事だってそう。あれが無かったら全員日付が回るまで帰れなかったはずです。だけど今後は、自分のタスクだけ終わったら定時でさっさと帰らせて貰いますからっ」
「………ま、待て」
「当然の事ですよね?わたし、性格悪いから。言われたこと全部覚えて、根に持ってるんですよ?わたしは『出来損ない』だし、『所詮女』だから。しかも葛木さんに『迷惑』ばっかり掛ける人間ですから!今までありがとうございました!!わたし、葛木さんにずっと感謝してて」
「ま、待て待て待て待て待てっ!!!悪かった!!俺が悪かったよォ!!全部撤回するし、降格処分は無しだ!!………だ……大体よォ!あんな発言、普通に考えりゃ冗談て分かるもんだろォ?ハハ、ハハハ………た……頼む鹿沼!!俺を助けてくれよ!!すまなかったッこの通りだ!!な、なァ………!時枝ァ!?おまっ!お前も黙ってないで、こいつになんか言ってやってくれよォ!!?」
大きく目を見開いて焦り散らかし、管理室中に響き渡る悲痛な葛木の叫び。
そして縋るような、今にも泣き出しそうな瞳でヒロを見つめる葛木を、ヒロは苦笑いで見つめていた。
やっぱり全部自分でやるのは辛いんじゃん………。
「流石にあの温度感と空気で、冗談だったは通じないですよ……。さあ、うーさん」
目で合図を送り『何か』を促したヒロに、うーさんは緊張の表情で頷いた。
うーさんは口をきつく締めて、キラキラと輝く瞳に、大きな罪悪感と僅かな好奇心を滲ませて、葛木のすぐ目の前まで歩み寄りその目を見つめた。
何をする気だこいつ……?そんな戸惑いを含む表情でうーさんを見つめる葛木。
大いに、大いに躊躇い、うーさんは身体をふるふると小さく震わせていた。まるで自分よりも遥かに大きな生き物と対峙する、小動物のように。
そしてついに意を決したうーさんは、スーツの裾をギュッと掴んでキュッと目を瞑り、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「こ……………このっ!!イキるだけが能のパチンカス野郎っ!!!」
ガーーーーーーン。
想像すらしなかった、うーさんからの罵倒。
それは誰が聞いても到底慣れているとは思えない、『不器用で不慣れすぎる叫び』であった。
しかし大声で真正面から決まったその罵倒は、葛木の胸に完全にクリーンヒットしていた。
思い切り殴りつけられたような感覚を覚えた葛木は、開いた口も塞がらなかった。
ガクッ。
そして絶望の表情でその場に膝から崩れ落ち、手をついて床を見つめていた。
や……………やった!!
そう言うように目を一段とキラキラと輝かせて、嬉しそうにヒロに走り寄るうーさん。
ヒロはうーさんとハイタッチを決めた。そして2人は、膝まづく葛木のすぐ側まで歩み寄り見下ろした。
「何も言い返せないんですか?ふふ。弱々なんですね」
「疲れてんのは思いっきり葛木さんの方でしょうが。明日にでもさっさと有給取ってくださいよ」
「さぁ、邪魔なのでさっさと出ていってください。自分の仕事に戻った戻った」
嬉々とした表情のヒロ。
うーさんはもうお前なんか何も怖くないと言わんばかりの『満面の笑み』で、シッシッと鬱陶しそうな手振りをした。
葛木はフラフラと立ち上がり、扉の前まで歩いた。そして振り返り、2人を恨めしそうに睨んだ。
「……………クソ……!覚えてろよ………」
葛木は心底悔しそうな表情を浮かべて、歯を食いしばりながら管理室を出ていったのだった。
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本社、第一総務。
新山と向井は陰で、ヒソヒソと話をしていた。
「滑浦とか言う奴。最近本当に鹿沼統括のバッシングばかりしてるんだ。しかも堂々表立って」
「しかも今日は一段と酷いぞ。ほんと許せないな……どうする?鳴上さんか須藤さんに報告した方がいいんじゃ」
本社、女性管理職の滑浦。
その仕事ぶりは立派なものだが、周囲のメンバーに対しての口の汚さと偉そうな態度で大いにヘイトを買っていた。
そして神松が居なくなったのを火種に、うーさんの評判を落とそうと躍起になる人物の一人だった。
「何陰で話してんの、新山、向井。早く書類持って来いって言ったよね」
滑浦に睨まれる新山と向井。表情は変えずに静かに返事をし動く。
だが、その内心は穏やかでは無かった。
「鹿沼統括ってさ。隣の時枝とかいう新参に仕事押し付けてるって噂だよ?なんか発言も自信なさげだしさ」
「はは。謝ってばっかだしね。こんな環境であんな数字出せる訳無いじゃん。絶対イカサマだよね」
滑浦に逆らえる人物がその場におらず、その周囲の管理職も根拠の無いバッシングに加わっていく。
陰湿な笑い声に、地獄のようなその空気がフロア内を満たす。
バン!!
そしてそれを切り裂くように、総務部の扉が勢いよく開かれた。
「滑浦さんはいますか?」
そう質問をしたのは、勢いよく扉を開いたうーさん。そしてその脇にはヒロの姿があった。
うーさんの表情からは、普段のような迷いや思慮深さは『消えていた』。強い決断力と凛々しさを、その瞳が証明していた。
「か、鹿沼統括……!?何で、こんなとこまで」
増してや、普段とは180°違ううーさんの表情に、滑浦はビビりにビビり青ざめる。
うーさんは滑浦のデスクのすぐ目の前まで足早に歩み寄って、にこりと笑い言った。
「わたしの何がイカサマなのか言ってください。ここで全部」
息を呑んでうーさんを見上げる滑浦。滑浦の味方の振りをしていた管理職は、当然のように誰1人として擁護する者はいない。
うーさんはスーツの裾をギュッと掴んで、周囲に響き渡る程の『不器用な大声』を滑浦に叩きつけた。
「言えっていってんのが…………!!聞こえねーーのかっ!!!」
「すっ!すいませんでした…………!!」
うーさんの不器用ながらも剣幕のはっきり伝わる声色に、滑浦は即座に謝罪をした。
ヒロはうーさんのその後ろ姿を、微笑みながら見ていた。
本当に………全然怒り慣れてないなあ。うーさん。
叫び声からすら、その優しさが滲み出ちゃってるよ。
新山と向井は目を見開いて拳を握り、嬉々とした表情でその光景を見つめていた。
その後、うーさんのバッシングをする者は一切居なくなった。
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うーさんの命令により、ミーティングフロアに全部署の管理職者が集められた。
何が行われるのか一切知らされておらずざわつく管理職者達だったが、登壇するうーさんの凛々しい表情に更にざわつきを極めた。
マイクをきつく握りしめ、話し出すうーさん。
「わたしは………!!わたしは優しい自分を捨て去ることを宣言します……!!ここにいる全員か、覚悟、決めてください………!!!」
しかし約300名を目の前にし、やはり緊張を隠せず声が震え、凛々しい表情が一瞬ブレてしまう。
そして、その先の言葉が詰まって出てこなくなってしまった。
焦りと緊張に満ちた表情で、耐えられないというように斜め下のヒロを見た。
ヒロは登壇したうーさんを真っ直ぐ見つめて、冷静な表情で、ガンバ!と親指を立てている。
ヒロに再び勇気をもらったうーさんは、目を瞑り大きく息を吸い込んだ。
バァァン!!!!
そして腕を上げ、手のひらを教卓に力いっぱい叩きつけて、不器用ながらも腹から思い切り叫んだ。
「お前らぁっ!!減給されたくなかったらっ、その足りてない頭使ってよく考えて、よく働けっ!!この……………このっ!!この醜い豚どもぉっ!!!」
響き渡り空気を切り裂いた、あまりにも不器用で不慣れ過ぎるうーさんの叫び声。
一瞬、シン………とミーティングフロア内は誰1人居ないのではないかと錯覚する程静まり返った。
そして。
ウォォォォォォオオオオオ!!!!!!
ワァァァァァァアアアアア!!!!!!
ミーティングフロア内は本社史上これまでの歴史で一度も湧き起こった事が無い程の、盛大な盛り上がりと歓声、熱気に包まれた。
うぉぉぉぉーーーーー!!!!!
かーぬーま!!
かーぬーま!!
もう1回!!
もう1回!!
ミーティングフロアの全ての人間が、うーさんを崇め奉った。
自分を崇め奉りコールする豚どもを、表情と瞳をキラキラと輝かせて壇上から見下ろすうーさん。
ヒロはすぐ脇で、うーさんを安堵のため息を吐きながら見つめていた。
これで、ほんとに大丈夫そうだな。
さて………。残るはお前だけだ。渚。
そしてミーティングフロアの隅っこで様子を見守っていた鳴上と須藤は、歯をキラーンと光らせ、これまでの人生で1番の輝きの笑顔を見せた。
「「………………全ては、″″″″″″″計画通り″″″″″″″」」
そしてこのミーティングを機に、元々高いポテンシャルであった本社がこれまでの倍の利益を上げるようになったとか、そうでないとか。
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本社、喫煙所。
ガラガラ。
「はぁ………」
スライド式ドアを開いたのは、明日の有給申請が通った葛木だった。疲れ切り、気力を失った表情をしている。
煙草の煙を長く吐いて、天井を見上げた。
イキるだけが能の、パチンカス野郎。か。
はは。はははは。
うーさんの、勇気を振り絞って言い放ったであろう罵倒と、その顔が脳裏を過ぎる。
鹿沼。俺はお前が心配だった。
この場所で無事に、長く働いて欲しかったんだ。本当だぞ?
嫌われ者も、楽じゃねェな。
…………神松。
お前は本当は、ここを辞めたくて仕方なかったんじゃねぇのか?
その時、スライドドアが再び開いた。忙しなくドアを開いたのは新山と向井であった。
「葛木マネージャー!」
「こちらにいらっしゃいましたか……!」
そして死んだ目をした葛木に、新山は手に持っていたペットボトルのハーブティーと1枚の紙を手渡した。
「こちら、鹿沼統括より葛木マネージャーにお渡しするようにとお達しでございました!」
「そ………それでは失礼致します!」
「お、お大事に、なさって下さい!」
そう言い残し、新山と向井は喫煙所から逃げるように走り去って行ってしまった。
走り去る新山と向井にリアクションを取る気力すら残されていなかった葛木は、死んだ顔のまま手を動かしてハーブティーを脇に置き、四つ折りにされた紙を開いた。
『葛木さんに感謝してるのは、本当のことですからね。
明日、ちゃんと休んでくれないと怒りますから。
鹿沼』
読み終えた葛木はデカいため息を吐いて、紙をポケットにクシャクシャとねじ込んだ。
あいつ………結構字汚ぇじゃねぇかよ。
しかし、つくづく意地悪な奴だぜ。
1番気になるのは……時枝。
お前、鹿沼に何を吹き込んだんだ?
葛木は疲れきった瞳で天井を見上げて、今日はパチ屋に寄らず帰宅して寝る事を決意した。




