表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/71

第51話 今までと何も変わらずに待ってる

渚が″ぱる″に復職するまで、残すは3日となってしまった。


あれから、渚とはろくに連絡が取れない。


1日に1回返信が返ってくる程度。そしてその返信で決まってしまった言うのは『体調が悪い』ということだけで、それ以外のことは何も教えてくれない。


うーさんとも、俺が失言をして以降というもの気まずいままだ。


俺の失言に、走り帰ってしまったうーさん。


『ごめんね。………わたし、すごい大人気ないことしてた』

『そんな事絶対ないから。ごめん。俺があまりに無配慮だっただけだよ』


そして、翌朝すぐにそんな会話が繰り広げられはしたものの、以降俺達の間には、どこかわだかまりが出来たような気がする。


ふと目が合っては、すぐにお互いに逸らしてを繰り返す。


一緒に業務をしているのに、ろくな会話も無い。


葛木さんから、『再度下らないミスがあれば統括を降ろす』と宣言を受けている。うーさんはとてつもない緊張感のはず。


1秒でも長く気を紛らわす時間を取りたいはずなのに。ずっと俺に声を掛けてこないままだ。


そんな状況に我慢が出来なかった俺は、昼休憩でうーさんに声を掛けた。


「飯行こう」

「ひぇ?」

「飯!飯食うんだよほら!来い!」

「はひ!う、うん………行く」


気まずくなって以降、ヒロとうーさんはずっと別々で昼を食べていた。そんな中で突然ヒロが誘った状況に、うーさんは目を丸くしていた。


しかし、やがてヒロの瞳や態度からその熱量を感じ取ったうーさんは、縮こまりながらヒロの後ろについてきた。


来たのはうーさんと初めてご飯を食べた時の、大衆食堂。


ここは相変わらず安くて美味い。


カウンターに2人で座った。


思い出して、ヒロは少し微笑んだ。そうだ。あの頃は、吐きそうなほど緊張しながらうーさんと会話してたな。


『だいじなものとだいじなひとをつねにみつめなさい』


ふと蘇る、柳さんの言葉。


渚が小圷の元から戻ってきてくれて、再び俺と交際すると言ってくれて本当に嬉しかった。


だけど、それでもう良いんだと、俺のやるべき事はやり切ったと、全ての山を乗り越えたような気でいたんだ。


渚が戻ってきて。本社勤務になって浮かれて。


大切なものを見つめることをしなかったから、こんな事になったんだ。


横を見ると、うーさんと目が合う。


ヒロはうーさんをしっかりと見据えた。自信なさげにヒロを見つめている猫背のうーさんの瞳は輝きを失いかけて、黒く染まりつつあった。


ヒロはそれを見て、ズキンと胸が痛んだ。


きっと身がバラバラになりそうな程の、極度の緊張に晒されているからだろう。


ふたり揃って注文した、味噌ラーメンがそれぞれの目の前に着丼した。


『ご注文は以上でよろしいですか?』そう問う店員だったが、真剣な瞳のヒロと、それにすがるような瞳のうーさんはお互いに見つめ合って、その声はどちらの耳にも届かなかった。


店員が何か空気を察して立ち去るのも、ヒロは意に介す事はなかった。


そして、先日のデートの渚のわがままっぷりを思い返していた。


『もう待てない。今すぐがいいもん』


あのわがままぶりには正直相当困らされたが、今ならよく分かる。


あいつはいつも、『優柔不断な俺に道を敷いてくれていた』んだ。


わがままを言う渚の顔を大きく思い浮かべながら、ヒロは思い切って、うーさんに向けてその感情のままに口を開いた。


「俺は認めない」


周囲の喧騒によって、逆に静けさを覚える事もある。


静けさの中で放たれた唐突のヒロの言葉に、疑問に溢れる表情をするうーさん。


「うーさんがすごい人間だなんて。本社のエースで、統括として相応しくて、皆に認められていく人間だなんて、俺は認めないって言ってんの」


味噌ラーメンの湯気が、儚く高く高く昇っていく。


味噌の香りが2人の鼻腔をくすぐるのも、麺が時間が経つにつれてどんどん伸びていくのも、どちらも2人の意識には介入しなかった。


若干混乱して、眉をひそめて次の言葉を待つうーさんに、ヒロは吐き捨てるように言った。


「もういっそさ、思いっきりミスしちまえよ」


時が止まったかのように、ヒロを見つめるうーさんは目を見開いたまま固まった。


「統括なんて、自ら降りちまえばいい。降ろされたとしてもその先で俺はうーさんを、今までと何も変わらずに待ってるから」


真っ直ぐ見据えてそう言ったヒロに、うーさんは咄嗟に顔を背けた。


ヒロは顔を背けられた後も、ずっとうーさんの事を見つめていた。肩を震わせて、鼻をすするその背中を。


大丈夫。決して目を逸らすな。


俺のうーさんに対する気持ちは今でもずっと変わってないし、今後もずっと変わらない。


仮に統括を降ろされたとしても、どこに居ても。俺にとってうーさんはずっと尊敬する人だし、目標だから。


「食えよ早く。冷めるぞ」

「……………!う、うん」


慌てて食べて、スープの熱さにむせ返るうーさんにティッシュを差し出した。


ほんとに、世話が焼けるな………。


うーさんの瞳にキラキラとした輝きが戻っている事に、味噌ラーメンをすするヒロは気づいていなかった。



------------------------------



ラーメンを食べ終わったヒロとうーさん。


大衆食堂を出ると、ヒロはうーさんの手をガシッと掴み早歩きを始めた。


「行くぞ!ついてこい」

「ひっ。ひーくん………!どこ行くの?そ、そろそろ戻らないと、休憩時間が」

「黙れ。いいからついてこい?ボケが。てかお前さ、動きも何もかも鈍臭いんだよ。さっさと歩け」

「はっ、はひい……」


ぐいぐいと強引に力強く、うーさんの腕を引っ張りながら街を歩くヒロ。


その様子はまるで、渚がヒロをリードして手を引く時のように自信に満ちていて、力強かった。


普段と違うヒロに、うーさんは戸惑いながらも頬を赤らめ、大人しく手を引っ張られてながら歩いている。


有り得ねぇよ。うーさんが不幸になるなんて。


そんなの俺は絶対に、絶対に!認めないからな!!!


うーさんという美人の手を引いて歩く事で、街中の多くの人の目線を引いている事にも、この時のヒロには気づきようがなかった。


ヒロが連れてきたのは、駅ナカにある甘い和菓子が山のように売られているお店だった。


看板のお菓子を全メニュー1つずつ購入したヒロは、うーさんの両ポケットに無理やり突っ込んだ。


うーさんのスーツのポケットは、左右どちらともお菓子でパンパンに膨れてしまった。


「ひーくん。こんなに沢山悪いよ……どれか1つ、ひーくんが食べ」

「黙っとけ。引っ叩かれてえの?」

「はひゃあ?」

「いいから黙ってそれ食って糖分補給すりゃいいの。これから大事な仕事あんだから。分かったか?」


真ん丸に目を見開いて、ヒロを見つめるうーさん。


はっ。


完全に我に返ったヒロは即座に、目を真ん丸に見開いたうーさんに背を向けた。


さっきから俺、何やってんだ?感情に任せて動いてたら、こんな事に。


こんな事言ってたら、まるで俺、葛木さんじゃん………。


ずっとあの人の傍にいたからかな?思わず……。うーさんに今後口聞いて貰えなかったらどうすんだよ。本末転倒だ………。


ヒロは少々ビビりながら、ギギギ……と音を立てて恐る恐る首を動かし、うーさんの表情を伺った。


うーさんは頬を赤らめて、満足げな微笑みを浮かべてヒロを見つめていた。


「ありがとね。ひーくん……」


ヒロは顔を真っ赤にして、うーさんから直ちに顔を背けた。


は………反則だって!!!


うーさんは分かってない。自分が可愛いという事を。


てか、そんなに喜ぶか?普通。お菓子あげただけじゃん。


会社に戻る為に歩いている間もずっと、うーさんはヒロの隣でほくほくと微笑んでいた。ヒロの腕を捕まえて、自分の大きな胸と胸の間に、むぎゅーっと抱きしめて挟みながら。


周囲の目が痛い。


渚もそうだけどうーさんもめちゃくちゃ美人だから、昼の駅前一緒に歩いてるだけですんげぇ注目浴びてる。


す……すいません!!!俺はパンピーです!


この子と俺は一切関係ありませんからぁぁぁ!!


ヒロはずっとほくほく微笑むうーさんに腕を捕まえられて歩きながら、白目を剥いていた。



------------------------------



本社、管理室。


うーさんがつやつやとした顔に輝く瞳で、微笑みながら仕事をしているのを見て、ヒロは安心の吐息を漏らした。


彼女のデスク脇には、さっきあげたお菓子の山が丁寧にバスケットの中に収められていた。


誰がどう見ても明らかに元気100倍コンディション10000%のうーさん。こりゃあ、見てるこちらまで元気になれそうだ。


これでうーさんのメンタルケアは出来た、はず?もう心配は無さそうだ。


あとは、渚をどうにか出来れば………。


解決のビジョンがようやく見えてきたぞ……!


しかしヒロのそんな淡い期待は、一瞬にして打ち砕かれた。


ビビーーーーッ!!!!


ガシャガシャガシャガシャーーーン!!!!


管理室のPCが全て、エラーを吐き出し動かなくなった。


な、なんだ?この間と何か違う。


あちこちから悲痛な叫びが聞こえる……!


う、嘘………だよな………?ま………まさか。


自分の予感がどうか的中してませんように。


そんな思いでヒロが管理室を出て各部署を見渡すと、『全社全部署のPC』が原因不明のエラーを吐き出していたのだ。


「ぎゃーーーーーーー!!!??う、うそでしょおおお!??」

「だ………!大丈夫だっ!!さっさとひとつひとつ丁寧に対処していこう!!」

「わ………わたし………!!呪われすぎじゃない!??」

「うーさんはもうそんなの今更だるぉぉぉが!??早く対処するぞ!!」


ヒロはうーさんの司令のもと、タスクが滞る本社全体を全身全霊で対処して回った。


しかしこの事件を火種に、最終的にひとつの部署にて重大インシデントを引き起こす事となった。



------------------------------



時刻は定時の18:00。


管理室内は、再び重苦しい空気に包まれていた。


俯くうーさんを見下ろす葛木に怒りは無く、『残念』と言いたげな表情をして頭をボリボリと掻いていた。


統括なんか降りてしまえばいい。

ヒロはうーさんにそう伝えていたが、本心ではやっぱりうーさんが統括から降りる事には納得が出来なかった。


うーさんが降格するとして、代わりが要る………。後任は誰を統括に立てるつもりなんだ?


葛木さんはやると言ったらやるだろう。言い訳すれば経過を見てくれるなんて、そんな甘さを持ち合わせた人じゃない。


次の瞬間、ヒロとうーさんは信じられないものを見るように目を見開いた。


「てめぇには失望したわ」


葛木はうーさんのデスク脇にあったバスケットを持ち上げて、引っくり返していた。


ヒロがうーさんに購入した和菓子が、ボロボロと音を立てて床に叩きつけられる。


咄嗟に立ち上がって、無言のまま葛木を睨みつけるうーさん。


「んだよその面……。文句あんのかよ。出来損ないが。お前自分が何したか分かってんの?やっぱ所詮は女だな。迷惑ばっか掛けやがってよぉ」


そう言って、うーさんを静かに睨み返す葛木。


その瞳と言葉の鋭さに、うーさんは目を見開く。

そして何も言い返せず、再び暗い表情になって俯いてしまった。


何で………。何で、そんな事するんだよ。


何でうーさんに、そんな酷い事言うんだよ。

迷惑をかけてないかって、人一倍気にするうーさんに。


葛木さん。

あんたは………うーさんを、神松さんから守ってくれたんじゃなかったのかよ!??


目の前の光景と葛木の発言を到底信じられず、ヒロは拳を握りしめた。


「明日、降格の辞任を出す。今日中に荷物をまとめてここから出ていけ」


静かに、怒気を含んだ声でそう言い残した葛木は、うーさんをひと睨みして管理室を出ていった。


管理室の扉が閉まったその瞬間に、ヒロとうーさんは腰を抜かしてその場に座り込んだ。


逆らえる訳なんかない……。


「………さっきのさ。ひーくん………わたしを安心させる為に言ってくれたんだよね」


震えたその声に、呆然としたままの顔で、ヒロはうーさんの顔を見た。


ヒロを見つめるうーさんはひしゃげたように顔を歪ませて、ボロボロと涙を流していた。


「わ………わだじっ。嬉しかった、から………。あんなごど、言われだって……なにも、こわぐ、無かった、よ。何が、どうなっても。ひっ……ひーぐんが………っ。ずっと、わだじの、と、隣に、いて、くれるがらっ…………」


ヒロはうーさんの泣き顔を見てその気持ちを想像し、完全にもらい泣きの涙を一筋零した。


助け、られなかった。


うーさん………。

俺は、君を。助け、たかっ、た………。


隣で2人の会話を聞いてるだけで、俺でさえあんなに怖かったんだ。


うーさんは、ぶん殴られたと思うくらい辛かっただろう。怖かっただろう。


これは決してうーさんに実力が無いからじゃない。なんで運命はこんなにもクソなんだよ。


そしてここでふと、柳に言われた言葉を思い出す。


『いわかんにきをつけなさい』


『ちかいみらいよ。こうかいしてももうておくれになってしまうわ。ひろし。あなたをまもるのはちいさなちょっかんだけ』


ヒロは大きく目を見開いた。


思い返せば、そうだった。


渚は俺が″ぱる″に行きたいと言った時、心底迷い嫌そうにしていたじゃないか。


あの時点で俺は、違和感を持つべきだったんだ。


それに、管理室のモニターが最初に落ちたこの間だって、うーさんは俺に何かを言いかけた。


確かに感じた違和感に再度聞き直したけど、『大丈夫だからもう聞かないで』と言われて、俺は信じてあっさり引いたんだ。


本当は悩んでたんじゃないのか?話を聞いて欲しかったんじゃないのか!?


何やってんだよ俺は!??


やっぱりバカだなぁ俺は!??


忠告してもらったって、さっぱり参考にも出来やしない。頭が悪いにも程がある。無能だ。無能の猿以下だ俺は。


バカだから、大切な人ひとりすら守れない。自分が自分を、見限ってしまう。


だけど、それなら…………渚。

渚だけは、助けなくちゃ。


うーさんは、助けられなかったけど。

それならせめて、何としても渚を………。


しかし、ヒロは悲しみの涙を両目からボロボロと零して、その場から動くことが出来なかった。


うーさんはそんなヒロを見て、その背後に回り、後ろから愛おしげにぎゅっと抱きしめた。


「ありが、とう……。ひーぐん……」


ヒロの胸の前に垂れ下がる、咽び泣きながら抱きついてきているうーさんの両腕を、ヒロは情けない顔でボロクソに涙と鼻水を流しながら優しくさすった。


渚を、助けられる訳ねぇじゃん。


すぐ目の前のうーさんを助けられなかった、俺なんかに。


ヒロとうーさんは管理室の統括席前で腰を落としたまま、涙と絶望に飲まれた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ