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第50話 最低でごめんね

本社、管理室。

時刻は17:00。


定時まであと1時間という、普段であれば嬉しさを噛み締める時間だ。


しかし、管理室内は重苦しい空気を醸し出していた。


「お前さぁ……。ナメてんのか?この席を」

「………そんなつもりは、無いです」


統括席に俯いて座り叱責を受けるうーさんと、それを怠そうな態度で見下ろす葛木。


今日の葛木はうーさんに対しての当たりがかなり強かった。その責任の重さゆえと理解しているヒロは、その様子を、傍で肝を冷やしながら見つめていた。


俺の時と、おんなじだ。


葛木さんは怒鳴ったり声を荒らげることは一切無いけど、その淡々としていて怠そうな低い声には明確に、胸を抉ってくるような鋭さを秘めている。


うーさんが叱責されているのは、ヒロ達が元々配属されていた支社でインシデント発生の報告が入った為だった。


本社のみならず、国内全支社の現場指揮責任も今やうーさんにある。本社がいくら完璧であり不祥事が一切起こらなかったとしても、国内どこかの支社の不祥事の火種ひとつでも見逃せば、全社の経営根幹に関わるのだ。


本社1位のスーパーエースとして型破りな実績を山のように持つうーさんであったが、想定を遥かに上回るタスク量が毎日のように降り注ぐ統括席に、慣れるのは当分先になるであろうことを悟っていた。


まだ昇格したてとはいえ、そんな言い分が通用するポジションでもない。


うーさんも分かってるから、無駄な言い訳をしないんだろう。

俺だったら絶対無理だ……。責任の範囲が広すぎる。


俺がここで変に口を出さない方がいいだろうな……。

うーさんの神経を逆撫でするような事はしたくないし。


「俺はマドリード支社とシドニー支社の立て直しがかなり時間がかかるから、まだお前を手伝ってやれねぇ。マジで頼むぞ……大丈夫なのか?」

「配分人員の品質と、原因は既に特定してます。対処にはそう時間は掛からないかと……ごめんなさい」


めんどくせぇな……と言わんばかりに、顔を顰めて頭をボリボリと掻きながらうーさんに言った。


「鹿沼……。お前、次こんな事があったらもうこの椅子から降りろ」


え?


うーさんを……統括から降ろす?


他に適役が存在しないって、葛木さんは分かってるはずじゃないのか?


ヒロは到底納得しかねる瞳で葛木を見つめていた。


「同レベルのくだらねぇ事を次も起こすようなら即、降りてもらう。いいな」

「…………」


葛木はそう冷たくうーさんに言い残し、返事を待たずに乱暴な足取りでさっさと管理室を出ていった。


取り残されたヒロと何も返答出来ないままだったうーさんは、あまりにも重苦しい空気に包まれていた。


「………ごめんね。ひーくん。情けないところ見せちゃった」


眉をひそめ、俯いたまま口を開くうーさん。


しかし、同目線で話をすることが出来ないと理解しているヒロは、なかなか言葉が出てこなかった。


「そんな事ない。………ほら。俺達が出来ることなんてさ、ケツ拭きくらいしか無いだろ?うーさんがその場にいなかったインシデントの事なんか、重く受け止める必要ない」

「ありがとう……。やっぱりひーくんは優しいね。…………わたしじゃ、なれないかも。神松さんや、葛木さんみたいには」


弱音を吐いたうーさんを、ヒロは真っ直ぐ見つめたまま口を噤んだ。


うーさんは自分の吐いた言葉にハッとして、再び口を閉ざし黙りこくる。


しばしの沈黙が2人を包んだ後、うーさんは素早くバッと立ち上がり、無理やり明るい表情でヒロに笑いかけた。


「ごめんなさい。忘れて」

「………」

「………ちょっとわたし、お手洗いに行きたいから」


笑顔で管理室を出ていくうーさんの背中を、ヒロは黙って見送る事しか出来なかった。そして、見逃さなかった。その肩が微かに震えていたのを。


あのうーさんが、弱音を吐くなんて……。


うーさんは、神松さんと葛木さんの背中を追いかけているんだ。


きっと内心は余程だ。今すぐにでも泣きたい思いを、その胸に堪えている……。


だけど、どうしたら俺はうーさんを助けてやれる……?分からない。


うーさんがあの2人のようになる必要なんか、全然無いじゃんか。

いいんだよ。うーさんは、うーさんのままで。


だけどうーさんの今の心情を汲み取るに、今それを言ってもきっと素直には受け取ってくれない。


何か方法を考えないと……。



------------------------------



本社、管理室前フロア。


猛ダッシュをしたのか、エレベーターを降りた新山と向井は肩で息を切らしていた。


そしてこちらに走り寄ってくる2人を、須藤は腕時計を人差し指で何度も突き、圧のある態度で出迎えた。


「おい!新山、向井!!お前達2分遅刻だなァ?ぶちのめされてェの、カナ?カナカナ?カタカナ?ヒラガナ?」

「はぁ……はぁ……!す、須藤さん……!!すいません……」

「ギリギリのご来客の対応がありまして……申し訳、ございません。ゼェ、ゼェ……」


しんどそうに息を整える新山と向井を引き連れ、管理室の扉を目指し涼しい顔で歩く須藤。


そして、管理室の扉がすぐそこにあるフロア。その陰に、隠れるようにして鳴上が既に立っているのを見つけた。


管理室の扉を、ただ見つめながら。


「鳴上氏!何故入らずにそんな所に居る。先日の″″″″″″成果″″″″″″を、他でもない君が誰よりも楽しみにしていたじゃないか!」


『成果』という単語を大いに強調する、ワクワクを抑えきれない声で問いかける須藤に、鳴上はただ『シッ』と、口の前で人差し指を立てた。


バン!!


管理室の扉を見ていると、やがて猛烈に機嫌の悪そうな葛木が乱暴に管理室の扉を開け、ガツガツと足音を立てて去っていく姿が見えた。


こちらまでビリビリと感じる程の威圧感を放つ葛木に、新山と向井は息を呑む事しか出来なかった。


「…………須藤殿。ここは一旦退くのが懸命のようだ」

「うーむ………。だがまさか、諦める事はしないだろう?」

「当然でござる。我々の″″″悲願″″″の達成は、果たされなければならぬからな」


真剣な鳴上の眼差しに須藤は腕を組み、眉に皺を寄せて俯いた。



------------------------------



管理室。


帰り支度を整えて帰ろうとするヒロだったが、うーさんがずっと自席のパソコンを真剣に見つめているのが気になって、何ともなしに声をかけた。


「見逃しなんて無かったはずって、実はわたしずっと違和感があったんだけど……もしかしたら、あの時」

「あの時?……………!」


ヒロはここ最近の出来事を思い返す中で、ピンとくるものに辿り着いた。


うーさんがいつも通りの不運に見舞われて、管理室内全席がダメになったあの時か。


「多分サーバーじゃなく、あの端末自体に保存したデータがあったせいだと思うんだよね。それにちゃんと気づいてれば……はぁ……」

「原因が今もう分かったなら、大丈夫だよ。次からやんないようにすればいいじ……」


ヒロはうーさんに絶対に言ってはならない言葉を口にしていた事に気づいて、慌てて口を閉ざした。


しかし、時は既に遅かった。うーさんは俯き、ぷるぷると身体を震わせていたのだ。


「………………うん。そうだね。わたし、疫病神だから。迷惑ばかりかけて、ごめんなさい……っ!」

「う、うーさん!!違う……!!ごめん!!待って!」


ヒロは咄嗟に、血相を変えて呼び止めた。


しかしうーさんはそれを聞き入れる事はなかった。


鞄を持って立ち上がり、ヒロを置き去りにしてそのまま管理室を走り出ていってしまった。



------------------------------



辺りは既に暗くなっている。


夜空の下、会社を出たヒロは自宅のアパートを目指し歩きつつ、眉をひそめて考え続けていた。


絶対、渚とうーさんを助けなくちゃ。だけど、一体どうやって?


渚は既に″ぱる″への復職が約束として決まってしまった。


うーさんは次同じような事があれば降ろす、と釘を刺されている。葛木さんは、一度やると言ったら本当にやる人間だ。


一体どうしたらいい………。


ヒロはいつもの癖でスマホを何ともなしに開いた。しかし、渚からのライヌの返信は来ていなかった。


あれ………?俺からライヌを送ったのは午前中だよな?


いつも送ってから10分以内に、すぐ返事を寄越す渚。


今日は返信遅いなくらいにしか思ってなかったが、まさかこんなに返信が来ないなんて。身に何かあったのかと心配になってしまう。


ヒロは渚に電話を掛けた。


しかし、いくら待ち続けても渚が応答する事は無かった。


くそ。くそ…………!俺は2人を助けたいのに。


何で2人とも、俺から離れていくんだよ!!!


俺じゃ、助けられないっていうのか?


くそ…………。


ヒロはぶらりと腕を下ろした。


脱力した手からするりとスマホが落ちて、ガチャンと音を立てた。しかし、それを拾う気力はヒロの身体に存在しなかった。


暗い空と街並みの遠い向こうを眺めて、ヒロは呆然とその場に立ち尽くしていた。



------------------------------



渚のマンション、渚の寝室。


″ぱる″への復職が近づくにつれて、強いストレスに全身を蝕まれ、気が狂いそうになりそうな思いの渚。


インドアの渚だが、気を紛らわせなければ本当におかしくなってしまうと強く感じて、珍しく外出して散歩をした。


その他にも映画を見たり、いつもよりもゆっくりとお風呂に入ったり、ひよりに電話を掛けて雑談をしたりと、やれる事は全て試した。


しかし渚のメンタルは、どん底に叩き落とされたまま変わる事は無かった。


渚は既に、壊れる寸前まで追い詰められていた。


ヒロからの電話でライヌの着信音が部屋中に鳴り響いても、渚は応答しなかった。


「ふぅ。ふぅ。ふぅ。はぁ。はぁ…………」


渚の部屋は、混沌に包まれていた。


ベッドにころりと横向きに転がり、頬を紅潮させ、大きく目を見開き息を乱す渚。


渚は電話がヒロからのものであると、はっきり認識していた。


しかし渚はその上で電話に応答するばかりか、すぐにその画面表示を『写真』に切り替えてしまう。


渚が見つめて目を離さないスマホの画面には、小圷と手を繋ぎ合う写真が全画面表示されていた。


小圷君の連絡先は、当然もう消してあるけど。


本気出したら復元出来たよね。確か。


……………だめ。そんな事したら、私本当に……。


『その先』を一度想像してしまった渚は、動かし続けているその手を止める事が出来なくなった。


ごりっ。ごりごりっ。


溜まったものを放出しても放出しても、永遠に溜まり続ける無限ループ。


ごりごりごりっ。ごりっ。ごりっ。


何度出して何度入れても、足りない。

何度えぐってえぐって満たされたとしても、全然足りない。


甘い声も手も、止める術を考えることが出来なかった。


バチバチ。バチバチッ。


私の脳みそ、ショートしちゃう………!!


「ふ………んで。お願い。私の、こと…………!」


溜まり、凝縮し、呼吸出来ない程に膨張していく意識。


苦しさに舌が下品に垂れて、現実からどこか遠くへ飛んでいく。


満たされていく。侵食され、膨れ上がり、乱れ飛ばされるようなそれに身を委ねて。


「最低でごめんねっ♡ ヒロ…………。私、負け………。っあ……ぁ」


!!!!!!


頂上に達した渚の、まるで下腹部から発されたかのような、甘くてどろどろとした嬌声が部屋中に響き渡った。


それはずっとずっと、長い時間部屋を満たし響き渡り続けていた。


ずっとずっと鳴り続けているヒロの着信音では、掻き消す事が出来ないまま。




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