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第47話 綺麗なカウンターを顔面にお見舞い

ライバル意識むき出しの店長の娘、芽瑠からの突然の宣戦布告により、渚と芽瑠は同一の食材を用いて料理勝負することになった。


勝負の公正を期すため、勝負の判定はその時たまたま来ていた、グルメ界におけるなんかよくは分からないけど有名で権威的な資格を持つという別料理店のオーナー3人にやってもらい、票の数で勝敗を決することとなった。


厨房には関係者以外は本当は入れないが、店長の粋な計らいにより俺は特別に調理風景を見物させてもらえることになった。


「今話題沸騰中の、経験才能双方を持ち合わせた稀代の天才児。そして今もなお生ける、″ぱる″の伝説の幕開けを作った元シェフ……週刊誌に載ってもおかしくない大勝負ですねこれは」

「もう今から勝敗が気になって仕方がない!」


それっぽくて偉い感じの雰囲気の男性審判3人が、興奮気味に料理の到着を待っている。勝負の話を聞きつけたであろう好奇心と興奮に満ちた表情の他のコック達も、見物しにぞくぞくと厨房に集まってきた。


そして、ついに渚がコック帽と”ぱる”のエプロン制服を身に着けて更衣室から出てきた。

渚はその引き締まった制服姿とは裏腹に、ぼーっとした表情をしている。あれ?これから勝負をするんだったよな?と一瞬考えてしまう程脱力した態度に表情。


やっべぇ……。

渚から、今までに感じたことの無い風格のようなものを感じるぞ。俺まで畏まってしまいそうだ。


でも、あんなに力を抜いてて大丈夫なのか?少し心配だな……。


その時、コックの1人の大御所っぽい中年女性と、それの取り巻きらしき女性コック達が奥から現れた。大御所らしき女性は、特徴的な大きな銀のバッチを胸に付けている。バッチには何かの模様が刻まれているが、銀色の鈍い輝きが邪魔をして、何の模様かがパッと見では分からない。

ただ、″ぱる″において何かしらの地位にある人なのは間違いないだろうというのは伝わってくる。


銀バッチは偉そうに腕を組み、渚を侮蔑と嘲笑の瞳で見つめ喋りだした。


「あら草津さん?お久しぶりじゃなぁい。相も変わらず何も世間を知らなそうな……じゃないわ。無垢で可愛らしいお顔ねぇ」


クスクス……。


銀バッチと取り巻きによって、周囲は抑え気味の笑い声に包まれる。ムッとした表情をするヒロにも構わず、銀バッチは渚に語りかけ続ける。


渚は脱力したまま銀バッチを見つめ、表情をぴくりとも動かさない。


「彼氏さんもご一緒のところ悪いけどぉ……。今更になって一体何をしに来たの?特別ここの料理が好きでも無かったじゃなぁい。いつも独りだったあなたが、ここに仲良しの人がいる訳でもあるまいしねぇ……?」


クスクス……。


再び巻き起こる、静かな嘲笑。場の雰囲気は銀バッチによって支配されていた。


嫌味かよ……!何のつもりだよ。久しぶりに顔出した渚に……!


普段あまり露骨にマイナスの感情を表に出さないヒロだが、この時ばかりは怒りに眉が吊り上がる。


「すいません。誰でしたっけ?」


しかし渚は、銀バッチに無情な問いを投げかけた。首を僅かに斜めにして、困惑するように眉を垂れ下げた『とびっきりの笑顔』で。


渚はどうやら銀バッチの女性を本気で覚えていないようで、その笑顔からはなんなら申し訳なさすら漂わせていた。

銀バッチはその返答と渚の笑顔を見て、たちまち怒りに表情を歪ませた。それはまさに、『右ストレートを避けて綺麗なカウンターを顔面にお見舞い』したような光景であった。


しかしこいつ、こんな時の笑顔まで可愛いから困るんだよな……。これが天性のあざとさだろうか?3年振りに再会した時、その可愛さに疲れが全部ぶっ飛ぶ程見とれ、時が止まったように感じた感覚が脳裏に蘇る。


銀バッチは怒り心頭で渚に向かって叫ぶ。


「あんたねぇぇっ!?散々世話してやった私を半年で忘れるなんて、海馬に栄養が行き届いてないんじゃないかしら!度を超えた愚かも裁かれるべき罪だわぁ!」

「いや……お世話になったのは店長だけなんで」


よそよそしすぎる苦笑いでそう答える渚に、銀バッチの怒りはヒートアップしていく。今にも殴りかかりそうな勢いだ。


「それに!芽瑠さんのおでこ。あれは只事じゃないわよ!店長の娘と知っての事!?それに彼女の知名度は知っているでしょう?本当に馬鹿なことしたわね!もう取り返しはつかない!!」

「………」

「傷害罪で訴えられたら、あなたひとたまりも」

「やめてちょうだい!!!みっともないったらありゃしない!!」


渚に大声で嫌味を並べ立てる銀バッチだったが、意外にも再び現れた芽瑠がそれよりも大きな声で制止した。重くなる空気も嫌味も、その凛々しい叫びに瞬時に切り裂かれる。

芽瑠はおでこに絆創膏を貼り、その瞳には闘志の炎がメラメラと燃え盛っていた。


銀バッチはそれを受けて、かなり不満そうな表情をしながらも従って引き下がった。この明らかに偉い風格の銀バッチも、芽瑠には頭が上がらないらしい。


「自ら耕し、自らの身を賭して進んだ道でしか、望むものを得ることは出来ない。こんな傷はあなたが今ここで勝負する為の代償であるなら何でもないものよ、草津渚……。私は必ずあなたを越えて、証明してみせる!!私と、私の努力が………名実ともに『本物』なんだって!!」


芽瑠はその瞳にメラメラと燃える闘争心をむき出しにし叫び、渚をビッと指さす。


熱いなぁ……。

しかし、すごい子だな。この子が現れて声を上げるだけで、まるで大会の決勝でも始まるかのような熱気に周囲の人も包まれていくのを感じる……。


しかし渚はそれを受けてもなお、脱力しきりノーリアクションであった。芽瑠を見つめるその瞳には、一種の虚しさすら秘めている。

ぼーっと芽瑠を見つめ返す渚に、ようやく姿を見せた店長が声をかけた。


「渚くん。緊張してるかい?」

「してないです。職場でする料理で緊張したことないので」

「くぅ~!この強者オーラ、やっぱり渚くんだなぁ〜。あぁ!それとそれと」


渚の冷えきって淡々とした態度と返答に、店長は嬉しそうにしている。そして思い出したように慌ただしくポケットをがさごそと漁った。


そして取り出し、渚に差し出したのは『金色のバッチ』だった。銀バッチよりも一回り大きく、傷1つなく透き通る黄金の輝きを放つバッチ。


銀色のバッチでは分からなかったが、この金色のバッチならはっきりと模様が分かる。″ぱる″のトレードマークである、王冠を付けた厳ついオオカミが刻まれていた。


「今日くらいは付けてくれるだろう。渚くん」


その輝きに、ヒロは思わず宝物を見せられたかのように目を見開いた。


「前から言ってますが、いらないです。あの人にあげたらいいと思いますよ」


しかし渚はそれを興味の無さそうな瞳で見つめ、退屈そうに吐き捨てた。顎をくいっと動かして、芽瑠を指しながら。

店長は残念、というように肩を落とし俯く。


それを見た芽瑠は、小さく俯いて部屋に響き渡る程の舌打ちをした。


主任シェフに返り咲くのを心待ちにする店長。

渚が来ていると知った途端に、人目をはばかる事もせず宣戦布告をしてきた芽瑠、今の舌打ち。


ヒロは状況を整理し、察した。

主任シェフは店長の計らいで、今本当に渚の永久欠番になっている。あの金色のバッチは、主任シェフに与えられるものなのだろう。

そして向上心と熱量の段違いな芽瑠は、名実共にその座を何としても奪おうとしている。


という事は、あのバッチを拒否した渚の行為は芽瑠にとって屈辱でしかないだろう。その上、あからさまに興味が無さそうな姿勢を見せるなんて。

形だけでもそれを受け取っとけば、芽瑠の余計な怒りも買うことなかったものを……。


ヒロは苦笑いをした。しかし同時に納得もしていた。渚が他人の圧力で簡単に自分を曲げる女じゃないことも、そこまで大人な対応が出来る人間じゃないことも知っていたから。

多分うーさんが同じ場面になったら、察して受け取るんだろうな。


″ぱる″にはさっき突っかかってきた中年女性といい、若いスタッフはほとんどいない。そして比率は7:3で女性の方が多い。


お店に入る前に、新幹線の中で暇つぶしにホームページから眺めたスタッフ紹介ページでは、大半以上が勤務年数10年を越えるベテラン揃いだった。


渚は、銀バッチを中心とした女性スタッフ達の反感を買い続けたのだろう。

恐らく話はこうだ。若くして短期間で結果を出しまくって、店長に気に入られて可愛がられる。それを見た他のベテラン達は面白くない思いをさせられ、渚は毎日のように嫌味の標的になり、出勤するのが嫌になっていた。大方そんなところか。


『高級イタリアンの主任シェフだった』としか俺に話さなかったのに。

渚は、ヤスリに削られるような環境ですごく頑張ってたんだ。俺だけが頑張ってるなんて、とんだ勘違いをしていた。


「店長?ただ勝負するだけでは面白くないんじゃないかしらぁ?」

「ん?そう?」

「何か賭け事をするなんてのはどうかしらぁ?例えば、そうねぇ……?店長と私たちへの、小馬鹿にした態度を謝罪してもらう、とかね」


銀バッチがクスクスと微かに笑いながらも、恨めしさを隠しきれない声色で店長に提案をした。それを聞いたヒロは若干呆れ顔になる。


小馬鹿にした態度はそっちだろ?鏡も見れないのか?何でそんなに嫌味ったらしくなれるんだろう?高級店シェフのプライド故なのだろうか?


ヒロは声に出さないが、あまりにも人格の捻くれた銀バッチにイライラし始めた。銀バッチの提案に考える素振りをした店長は、渚に目を向けて言った。


「うーん。僕は謝罪とかよりも、やっぱり渚くんに再び戻ってきて欲しいんだよなぁ。芽瑠が勝ったら、″ぱる″に復職する!それでどうだろう」

「はい。いいですよそれで」


!??

渚は脱力した表情を変えないまま即答。ヒロと店長は大きく目を見開いた。

店長はこんなにあっけなく受け入れられるとは夢にも思わなかったのか、感情を処理しきれないというように表情が固まっている。


何考えてんだよ……?渚。

あれだけブラックだった、嫌だったって言ってたのに。

今日だって、この人達にキツく当たられて……。


それだけ勝つ自信があるってことなのか?いや、だとしてもリスクがあまりに大きすぎる。


「あ、ありがとう……!!!な、渚くんはどうしたい?何か、勝った時のこちらに対する要望はあるかな?」

「ヒロに謝って」


シンプルかつ、端的な一言。しかしその短い一言に、渚の今の感情をハッキリ伝えるに充分過ぎるほどの鋭さを秘めていた。そして、渚の視線の先は芽瑠だった。


芽瑠は何も言わずに、しかしどこか不服そうなのを隠せない表情で渚を見つめていた。


「随分お熱いのね……。いいわ。失礼な言葉を吐いたのは謝ってあげる」


芽瑠は渚とヒロを交互に素早く見て、眉をひそめ、呆れたように両手を上げて返答した。


プライド高い女王のテンプレみたいな返答だな……。別にいいけどさ。

だけど。


「あの、すいません!いいでしょうか」


目線が、一気に咄嗟に口を挟んだヒロに集中した。ヒロが挙手した瞬間に、渚はハッとしたように目を見開く。


流石に渚がこんなリスクを背負って、こちらの要求は謝罪だけなんて有り得ないだろ……!


考え無しに、その感情のみで挙手したヒロ。しかし、言葉を用意していなかったヒロは若干挙動不審になる。



渚はある意味平常運転な様子のヒロを見て、ほんの僅かにだが、笑みを浮かべていた。そして、瞳にほんのりと温かさを帯びている。


渚……。


それに気づいたヒロは、普段通りの冷静さを取り戻して話し出す。


「2つ目になっちゃうんですけど……。これは俺の希望で。良ければ、渚がここでどんな活躍をしたかを聞かせて頂けませんか?少しでも、抽象的な事でも構わないので……」


ヒロは焦りと緊張を含んだ声で提案をした。


そして内容を聞いた店長の熱量多めの瞳は、嬉しそうに微笑んでみせた。


「おぉ!もちろん。渚くんの魅力なら3日3晩でも話せるぞ。誰かに話したくても話せなくて辛い思いをしていたんだ。こちらからお願いして語り尽くしたい程だっ!任せてくれたまえよ!!」


店長はヒロの要望を聞いた瞬間に熱量ある声で二つ返事し、腕を上げて輪っかを作った。もはや渚のファンクラブ1号のようだ。恐らく、″ぱる″側の要求の大きさに渚の要求がつり合わないのを察して、俺の2つ目の要求を飲んでくれたのだろう。


会話を聞いていた渚はマジでか……。と言わんばかりに立ち尽くしている。


「そろそろ茶番はいい?始めましょ。時間がもったいないったらないわ」


芽瑠は腕を組み、退屈そうにこちらを見つめていた。

そして改めて渚のすぐ目の前に歩み寄り、渚の顔を睨みつける。


「ほんと………気に食わない澄ました態度ね。さっさと私の方が上って刻みつけて、泣かせてあげるわ」


渚は芽瑠の瞳をまっすぐに見つめ返して、微笑み、小さな動物にでも話しかけるかのような口調で言った。


「何でもいいしどうでもいいけど、絶対ヒロに謝ってもらうから」


こうしてバチバチと散った火花のもとに、渚の命運を賭けた勝負の火蓋が切って落とされた。




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