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第46話 リストランテの元主任シェフ

こうこうと真上で輝く太陽は、歩き回って疲れ始めた俺に、まだまだ1日は続くのだと言い聞かせているようだった。


今日は現場の人数が足らず、ヒロは本社へ異動してきて初の外回りへ駆り出される事となったのだ。


相変わらず外回りはしんどいな……。


『今日は他にもやる事が山積みだから。早く帰ってきてね。わたし、ひーくんが隣に居てくれないと困っちゃうから』

『う、うん……。うーさん、なんか今日元気だね』

『そうかな?ふふ。ほら、早く行った行った』


いつも控えめでお淑やかなうーさんが、やたらにこにこと笑顔でアグレッシブだった。口調や声色こそ静かで変わらないものの、今日は明らかにいつもと違う。

一体どうしたんだろう?


そんなうーさんに対する小さな疑問も、この後の予定の詰まり具合を考えるだけで脳みそから追い出されてしまう。外回りを終えて会社に戻ったら、うーさんの言う通り書類の処理に会議、取引先の対応。

やっぱりやることが無限にありすぎる。


うーさんの影響で、俺のレベルは支社にいた頃より格段に上がったような気はしてるけど、結局しんどいものはしんどいままだ。


そんなことを考えるヒロは項垂れそうになりながら歩いていると、地面に落ちているチラシに気づいて、何ともなしに拾った。そのチラシは洋食屋の広告であり、パスタやハンバーグ等が写真付きで載っていた。


そして写真を見ていたらどうしてもパスタが食べたくなったヒロは、今日の夕飯にすると心に誓ったのだった。


その時、ヒロの頭にとある一つのお店が浮かぶ。


結局その日は俺の多忙が重なり、うーさんは葛木さんと重要な会議が終日あるということで、うーさんのアグレッシブさについて迫ることが出来ずに1日が終わった。



------------------------------



時刻は19:00を過ぎている。


どうしても今日『お目当て』のパスタが食べたいと思ったヒロは、渚と夕飯を一緒に食べる約束を取り付け、新幹線に乗って移動し渚と合流した。


そして早速その話をすると渚は勢いよく噴き出し、混乱を灯した瞳を見開いてヒロを見つめた。


「今から”ぱる”に行きたいって……ほんとに……?」

「ああ。結局1回も行ったことなかったからさ」

「高いよ?ていうか、そんなとこわざわざ行かなくたって私がお家で作ってあげるって……!」

「行ってみたいんだよ。奢るから。な、お願い」

「お金の問題じゃなくてさ……。うーーーん…………」


渚はかなり抵抗がある様子だったが、説得しまくった結果、一緒についてきてくれる事になった。


”ぱる”は、今年の冬終わり前まで、渚が高校卒業後から約3年間勤めていた日本指折りの高級イタリアンレストランだ。

つまり渚がニートになるまさに直前まで働いていた、『元職場』である。


もともと料理が超絶得意であった渚は、若くして主任シェフを任されていたらしい。

なお、現在は既に渚は退職しており、『とにかくブラックだった、出勤が毎日のように嫌だった』と評している。


これまでもヒロはそんな″ぱる″に興味を持っていたが、なかなかきっかけが無かったのと、持ち前の先延ばし癖が連続発動した事により、足を運ぶに至らなかったのだ。



------------------------------



ヒロは渚と一緒に”ぱる”に入店した。高級を謳うだけあり、先日入ったバーとは天と地の差を感じる程にオシャレで明るい外観のレストランだ。


店内を見渡したヒロは一瞬、ここに来たいと提案した事を後悔した。


自分の身の丈に絶対合わないと思わせる格調高い調度品がずらっと並び、上品に小さい音量で流れるジャズ。そして明らかに自身の2倍くらい良い暮らしをしてそうな、高級感溢れるスーツや時計を身にまとう如何にも上級国民といった雰囲気で、上品に食事を楽しむお客さん達。


あ。ごめん。帰っていいかな?

身の丈が違いすぎるわマジで。


思わず引き返したくなる程に、とてつもない緊張感がヒロを襲う。

しかし、渚の方を見ると肩の力を抜き切って猫背になっており、ため息でもつきたそうにじとっとした目をしていた。


おぉぉ!?めっちゃ力抜いてるぞこいつ……!?


ヒロはきょどり慌てふためきながら、店員と渚についていき窓際の小さな丸テーブルに向かい合わせで着席した。


こいつ、こんな所で働いてたんだな。

俺だったら肩身が狭くて、3日でギブアップだ……。


渚はいつもの楽しそうな表情とは対照的に「無表情」であり、肘をついてスマホをいじっている。しかし、スマホからは犬のキーホルダーが垂れ下がっており、首にはプレゼントしたチョーカーを忘れずに付けていた。

今日のスカートはきちんと膝丈だから分からないけど、きっと脚にはレッグチェーンを付けている。


どんどん自分との思い出のものが増えていき、それを渚が欠かさずに身につけてくれている光景に、ヒロは胸が暖かくなっていくのを感じた。


それだけに、そんな渚が全然楽しそうじゃないのは堪えるな……。


「渚。来たくなかった?」

「ん?んーん」

「ごめんね」

「んゆ」


あまりにも適当な返答でお茶を濁す渚。


ここで何か、嫌な思い出でもあったのかな……。

申し訳ないことをしたのかもしれない。


「渚はどれにするか決めたの」

「ん。ヒロとおんなじの」

「そか」


メニューはどれも、その辺のファミレスの倍を軽く越える値段であった。コース料理にするとなると桁がひとつ増える。


すごいなぁ。これはこれで新鮮だ。


ヒロがそんなことを考えていると、明らかに偉い雰囲気の、長い帽子をかぶったコックらしき男性がこちらをしばらく凝視した後、小走りでこちらへやってきた。


それを見た渚がげっ、という表情をする。


「渚くん!やっぱり渚くんじゃないか……!!久しぶりだね。元気だったかい?また会えて嬉しいよ。予約の電話さえくれればお連れの方も、特別席でもてなしたというのに」

「はは……。どうぞお構いなく……」

「今日はどうか楽しんでいってくれ。あと、主任シェフは渚くんの永久欠番になっている。待遇も以前以上を約束するから、いつでも戻ってきてくれよ」


熱量高めの雰囲気のコックらしき男性は嬉しそうにそう話すと、ヒロにも軽く一礼をして去っていった。


「今の人って?」

「店長。ウザい。キモい」


渚のズバズバッと容赦なく切り捨てるような口調に、ヒロは顔を引き攣らせた。


酷い言いようだ……。

渚、好き嫌いがすごくハッキリしてるからな。


今聞いていた会話の通り、店長は渚が”ぱる”のシェフに返り咲くのを今でも心待ちにしているらしい。しかし、渚的にはもう戻る気は1ミリもないようだ……。


「惜しいことしたなぁ。お前がここで働いているとこ、一目でいいから見たかったわ」

「絶っっ対やだ」


目を細め、肘を着いて露骨に嫌そうな表情でヒロを軽く睨む渚。


こんなに嫌そうな渚は滅多にお目にかかれないので、これもこれで新鮮だ。さっきのうーさんといい、今日は新鮮さに触れる日のようだ。


その時、ふと渚の後方に目線をやると写真立てがいくつも並んでいた。何やら色々な表彰を受けているレストランというのが見て取れるが……。


その写真には先程の店長と、もう1人。渚ではないが、見たことの無い女の子が映っている。そして、山のように連なるどの写真を見ても、同一の2人が写っているものばかりだ。なんかすごいシェフの人なんだろうな。


注文したパスタが運ばれてきたので、ヒロは早速一口食べた。


うん、美味い!………美味い、けど……。


結局ヒロには、他の料理店との違いがあまりよく分からなかった。

味わいが整っていて深いと言えばそうなのかもしれないが……やはり自分の舌がThe・庶民であることがよく分かった。


渚をふと見ると、フォークを繊細な手使いで用い丁寧に巻いてパスタを食べている。


普段至って普通に食事をしている渚ばかり見てきたヒロは、目を丸くした。渚って、あんなに丁寧な食べ方が出来るんだ。


普段の発言や態度からどうしてもがさつな印象があるが、目の前の光景は丁寧そのもの。振り返ってみると、渚は学生の頃から所作が上品で丁寧な女の子だった。


眼鏡を掛けて制服も髪もボロボロで、暗く、ずっと独りぼっちだった渚。だけど俺が思わず渚を目で追っていたのは、自分の芯をしっかりと持っていること。

そしてもうひとつは書いた字の綺麗さだったり、身の周りの教科書や、備品などの物の使い方が丁寧で品がある所だった。

今にして考えれば昔の俺はそんな渚を、内側が綺麗な子なんだろうな、なんて想像して見ていたのかもしれない。


だけど今では、ソシャゲで目当てのキャラが出なかっただけで腹いせに新品のキーボードを叩き割ってしまう程度には、激情的でガサツだ。

そう考えると、単に元気が無かっただけかもな。


ヒロも渚の真似をして丁寧なフォーク使いでパスタを巻こうとするが、何度試しても渚のように綺麗には巻けず、麺がだらりと下に伸びてしまう。


後でやり方を教えてもらおうかな?


「草津ぅぅぅ…………!なぎさぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」


ヒロと渚は余計なことを喋らず黙々と食べていたが、厨房から飛び出てきた一人の女コックがその静けさを引き裂いてそう叫び、2人の座るテーブルの前に勢い良く走り寄ってきた。


突然の騒ぎに、当然周囲の目線はヒロのテーブルに集まる。


女コックはその小さな身長もあり、ヒロや渚を基準にすると一回り年下の風貌で、女性というよりは女の子という感じだが……。


渚をじっと睨みつけており目線を外さない。


「私と勝負しなさい……!あんたに勝たないと、私は店長に……父に、認めてもらえないのよ!!」


コックさんらしき女の子の、凛々しくもどこかヒステリックを含んだ叫び声の宣戦布告に対して、渚は勘弁して……とでも言うような表情で、目線を明後日の方向へ逸らした。


”ぱる”内に突如響き渡った宣戦布告。

いったい何が始まるのかと、他の店内の視線が一気にこちらに集まりざわつき始める。コックの小さな女の子は、渚を指さしてそのまま微動だにしない。


「あんたさ。私が話しかけてるんだから何かいいなさいよ!」

「………」


まだ幼さを残しながらも、堂々とした口調で渚に話しかける女の子。


しかし渚は顔を引きつらせながら、あくまで女の子を相手にせず、目も合わせずに静かにパスタを口に運んでいる。


俺はこの状況に一体どんなリアクションを示せばいいんだ?


……!!その時、ヒロはハッとしてさっき眺めた写真立てに再度目線を移した。

やっぱりだ。この子、さっきの写真に店長と写ってた子だ。父って言ってたけど……ということは、親子?


しかし、何でそんな凄い人が渚に突っかかるんだ?


「大体、何!?その恰好。安そうでだっさいパーカーね。ちょっとここに来ない間に暗黙のドレスコードも忘れたの?それでもリストランテの元主任シェフなのかしら?」

「………」

「正直、呆れたわ。どうやらあなたは過去の栄光にあぐらをかいて、勝負どころか話しかける価値すら無くなってしまったようね」

「………」

「……これでも返答無し?でも安心していいわよ?わざわざあなたに様子を見に来てもらわなくても、”ぱる”は私がいれば安泰だもの」


過去の栄光?何の話だ?

渚からまだされていない話があるであろう可能性に、ヒロの表情は真剣さを帯びる。


元主任シェフという単語によって、お客さん達のざわつきが大きくなる。


「草津シェフ、退任していたのか?いつの間に……彼女の料理を食べに来たというのに」

「確かに最近、ここの味ちょっと変わったなぁと思ってたんだ……」

「厨房で何度か見たことがあったが、普段着の草津シェフをこの目で見れるなんて!」


あちこちからお客さんが渚について話しているのが聞こえる。


常連以外にも県や国を跨いでわざわざやってきた客もおり、渚が辞めているのを落胆し、もっと早く来ておけば良かったと言っている声すら聞こえた。


そして次第にお客さん達の話題は、渚に宣戦布告をした女の子にも移っていく。


「なぁ。今話してるのって、芽瑠(める)コックじゃないか?」

「芽瑠?」

「知らないのか?店長の娘だよ。本場のイタリアンを直に学んできた帰国子女。若くして今、すごく勢いがあるコックだ。その腕は既に超一流以上。今の”ぱる”の味は彼女が支えてるといって過言じゃない」

「日本各地の有名店の店主にも、顔が利くって話らしいぞ」


ヒロは騒然とするお客さんたちの会話に、一生懸命聞き耳を立てる。

この芽瑠と呼ばれる子が、かなりの力があるコックとして料理界に頭角を現しているという事を感づき始めた。


改めて写真立ての方を見つめると、確かに芽瑠は賞を沢山受賞している。そればかりか界隈の有名人や著名人と写った写真も沢山収められているようだ。


確かにそんなすごい子がいれば、”ぱる”は安泰なのかもしれない。


であれば、なおさら分からないな。

何故渚を目の敵のように?


ヒロが疑問に思い考えていると、芽瑠は今度はヒロは方に目線を向けてきた。突き刺すような目線に、ヒロは本能的に嫌悪と苦手意識を感じて固まり、動けなくなった。


苦手なんだよなー……。パッと見て分かる。血の気が多くて、一方的に怒りを顕にして責めるタイプの人。


芽瑠は硬直したヒロをしばらく観察すると、露骨に見下すような声で言って嘲笑した。


「まさか、フォークの使い方すらまともに知らないような男と交際しているのかしら?見るからにみすぼらしくて、程度の低い男ね。あぁ、伝説のシェフの名も地に堕ちたものだわ」


はい。すいませんでした……。


無配慮にも静かな嘲笑を見せる芽瑠。

心の中で身の丈に合わぬ無作法を素直に謝罪するヒロだったが、渚はそれを聞いた瞬間に、目にも止まらない速さでテーブル上のスプーンを手に取って芽瑠に向かってぶん投げた。


ごちん!!


「ふぎゃ!」


速すぎてヒロはそれを止められず、スプーンは芽瑠のおでこに命中し、痛烈な音を立てた。芽瑠は痛みを堪えられず、悲鳴を上げて尻もちをつく。


からんからん、と小さく音を立てて床に落ちるスプーン、それを見たお客さんによって更にざわつく店内。


もはや事態を収拾するのは難しいほどの騒ぎになっていた。


「認めてもらえない?ばかみたい。何でそれをとっくに辞めてる私のせいにされるのか知らないけど、分かった。勝負してあげるー」

「…………っ!」

「座ってないでさっさと来てくれる?」


尻もちをついたまま睨みつける芽瑠に対して、渚は冷静さに棘を含んだ口調で吐き捨て、さっさと厨房の入口へ歩いていった。

そしてヒロはその時の渚の表情に、ドキリとした。


渚が、『にっこり』笑っていたのだ。




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