第5話 リア充大爆発
【登場人物紹介③】
鳴上 康治 (なるかみ やすなり)
ヒロの同僚。優秀であり、その熱意は並でない。しかし、重度のキモ・オタク。3次元の女が苦手。
18:30。アニメグッズ店。
ヒロは今日も運良く会社を定時退勤出来たが、鳴上に昨日のアニメショップに付き合わされることとなり、舞台裏に鳴上と一緒に居た。
「デュフ…………今日もかますでござるよ」
「鼻息荒いなめっちゃ」
コスプレをしてグッズの宣伝をするからどうか一緒に居てほしいというのだ。
ついでに俺にもコスプレしてほしいと頼まれたが、断った。3回くらい粘られたが、断った。
俺は絶対やらん。やるわけないだろ。
今日は渚とも、ここを一緒に見て回る約束をしていた。
合流するまでにはまだ時間があり、渚が来たら鳴上と別れて2人で家電量販店内を見て回る予定だった。
鳴上はふんふんと鼻息をしながら着替えようと昨日同様の魔法少女『甘目まどか』の衣装に手を伸ばしたとき、鳴上のスマホが鳴り、画面を凝視した。
「時枝殿…………スマン。急用が出来た」
「え」
「後は頼むッ!!!!」
「は?」
鳴上はそう叫び慌てて店を出て行ってしまい、まさかのヒロ1人になった。
いやー主役が早々に帰ったし、今日はお開きにするしかないな。
心のどこかで安堵したヒロはそのまま場を去ろうとした。
しかし、店員も宣伝への熱意が並々ならぬ男で、鳴上の代わりに俺に店に残りコスプレして宣伝の協力をするようヒロへ願い出た。
ヒロはこの願い出を14回くらいはっきりと断ったが、あまりの強い熱意(ここまで来ると「異常」という表現の方が適切かもしれない)に押され、結局アニメグッズコーナーに『悪役』の付け髭と黒スーツのコスプレを押し付けられてしまったのだった。
そんなこんなで、今俺はコスプレをして白目を剝きながら、グッズコーナー前に立っている。
頭には長さ20cmくらいの、大きな悪魔の角が飛び出ている帽子。
悪役の付け髭。
片手に魔法のステッキ。
近くにあった鏡を見ると、まさに『悪役』という雰囲気を醸し出していた。
持たされた武器である30cmくらいのステッキの材質はポリエチレンで、仮に誰かを叩いても怪我する心配はない。
頼むから魔法少女のコスプレをしてくれと言われたが、
それだけは何が何でもの勢いで断り、尊厳を死守した。
鳴上に次会ったら絶対何か奢ってもらおう…………。
ヒロはそう心に誓った。
あと、渚にこれを見られる前に何か理由を付けて脱がせてもらおう。絶対に。こんなの見られたら爆笑されてしまう。
しかしパタパタと足音が近づいてきたので振り返ると、まだ30分くらい先の合流の予定だった渚が何故かこちらに向かって小走りして来ていた。
渚はヒロのそばまで駆け寄ると、そのコスプレ姿をもの珍しいものを見るかのようにじろじろと観察しだした。
勘弁してくれ。
「渚?早くない?」
「今日は用事が早く終わったんだー。というかヒロ……いくら仕事で疲れたからって、異世界に転生しちゃダメだよ」
渚はそう言い、コスプレを指さして笑った。
「仕方ないだろ。毎日のようにストレス抱えて働く毎日なんて、もうゴメンなのさ」
「ウケる」
「これからは甘目まどかを倒すために奮闘する日々を送るからよろしく」
「このステッキ弱そうだね。5秒で負けそう」
「今はまだ仮の姿だから」
渚は楽しそうに笑ってコスプレと、派手なステッキを手に取って眺めている。
どうやら爆笑はされずに済んだようだ。
それにしても。やっぱり可愛いなー……。渚。
この子と一緒にいるだけで、俺は。
ヒロと渚がくだらない会話で盛り上がっていると、昨日嫌という程聞いたアニメソングを歌う声がスタッフルームから聞こえてきた。
突如響き渡る野太くてボリューミーな声量に、ヒロと渚は同時に振り返る。
その雄々しい声は、歌い手がこちらに近づくにつれ大きくなっていく。
「Ah〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!秩序と歓喜を願い創られたッ!結晶と袋小路……………。肉身を削ぎその勇気と期待を注ぎ込んだのに………どうして忘れてしまうのォoh〜〜〜〜〜〜〜!!!!真実は残酷だけどッ!目を逸らさないでェ〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」
スタッフルームから、急用で帰ったはずの鳴上が出てきた。明らかに男が歌いこなすのが難しそうなトーンの歌を歌いながら。
昨日同様、魔法少女『甘目まどか』のコスプレをしている。
お前いつからスタッフになったんだよ。
そう思ったが、昨日と同じだ。あまりの圧倒的な存在感を前に言葉が出てこなくなる。
渚は異様な成人男性を目の当たりにし、プッと吹き出してしまった。
「砕け、砂となった時ィ………切なる思いはッ!果たされ……………ッ…………!?!?」
鳴上はドヤ顔をしながらヒロの方を見たが、その背中に隠れるようにしている渚にも凝視されていることに気づくと、ぎょっとした顔をして歌うのを辞めた。
お互い硬直したまま、気まずい沈黙が2、3秒流れた。
すると鳴上は腹あたりで両手を合わせ俯き、右足に体重を乗せて左足を遊ばせ、頬を赤らめモジモジし始めた。
渚はヒロの背中に隠れたまま、ヒソヒソと話し始めた。
「ねえ?ヒロ」
「どうした」
「ほら。甘目まどか来たよ。倒さなきゃ」
「負けるんでやめときます」
「逃げちゃダメ」
「いや、あの筋肉は無理です」
鳴上がモジモジし始めて15秒くらい経った。
てか、え?なんであいつずっとモジモジしてんの?気持ち悪…。昨日子供や親御さん達に見られて何ともないどころかノリノリだったし、コスプレを見られて恥ずかしいなんて今更抜かさないだろう。
もしかして渚がいるから?
脳内で思慮を張り巡らせるが、結局よく分からない。あの親御さん達に見られるのと何が違うんだろう。
鳴上はずっとモジモジしている。目線が泳ぎまくっており、何かブツブツと独り言を言っているようにも見える。挙動不審に1歩届かないレベルの、歯がゆい様子だ。
そして鳴上は意を決したのか観念したのか分からないが、叫んだ。
「ブモオオオォォォォォォォォォォ!リア充、許すまじ!爆発!リア充は大爆発ブッヒッヒ!」
そう叫ぶと、スタッフルームに逃げるように戻って行った。
再び数秒の沈黙が流れた後、俺と渚は小声でやり取りする。
「勝った?」
「勝ったかもしれない」
「よかったね。甘目まどかに勝てて」
「うん」
渚は背中に隠れる体勢のままクスクス笑っていた。
何なんだこの状況は。
ヒロは心の中で突っ込みを入れたのだった。
------------------------------
後日、19:00。
ヒロは例の大型商談とは別件だが、完全に仕事でやらかし、絶望の表情で会社を出た。
あまりにも忙し過ぎて期日までの取引先への連絡を失念し、取引停止になってしまったのだ。
またもヒロは、葛木にこってり絞られてしまう。
『こんなゴミみたいなミス出来る理由って何?』
『はい………すいません………』
『いつまで経ってもレベル低いの辞めろって。な?』
心にぽっかりと空いた穴。
普段自然に聞き流している車が走りゆく音を聞いて威圧されているように感じた。
他人の楽しそうな笑い声は俺を嘲笑っているように感じた。
蝕まれていく。錆び付いて広がっていく。
大雪のように真っ白が視界を覆い尽くしていく。
会社に迷惑かけて、せっかく契約しようとしてくれた会社にも迷惑を掛けた。
俺は要らない存在なんだ。
その時、俺の名前を呼ぶ声が後ろから聞こえた。
「…………渚?どうして」
「お家にいても暇だったから迎えに来たよー」
振り返ると渚がぱたぱたと走り寄って来ていた。そしてヒロの顔を覗き込んで、ゲラゲラと笑い出した。
「あっははは!!まだ火曜なのに顔死にそうだけど大丈夫?賢者タイム?」
「…………」
渚はむせて呼吸出来ないくらい笑いながら、ヒロの背中をバシバシと叩いた。
更に面白がってスマホで写真を撮りだした。
普段の俺ならまずどつくところだが、心にぽっかりと風穴が空いた俺は何も反応する事が出来ない。
俺は気づいたら渚に手を引かれて街を歩いていた。
導かれるままに電車に乗って歩いた。
真っ暗で何も分からない中を、渚が案内をしてくれているかのように。
そしてヒロは気づいたら手を引かれるままに渚の住むマンションに入り、テーブルの前に座っていた。
「何か食べる?」
「………いや。お腹、空いてなくて」
「そっか。じゃあお茶出してあげるね。お腹すいたら言って?」
渚はお茶のカップをかちゃん、と静かにテーブルに置くと、あざとい仕草でヒロのすぐ隣に座り、ぴたりとくっついた。
「そういえばさ。本ストのガチャ引いた?」
「………まだ引いてないよ。そもそも最近はログインも出来てないし」
本ストとは、今大ブレイク流行中のソシャゲ『本当にストライク』の事だ。爽快かつスピーディに進められるひっぱりハンティングゲームで、多くのユーザーが中毒となっている。
まだ元気を完全に取り戻せていないヒロは、渚の質問の意図が全く理解出来なかった。
「だよね。実は、聞いて欲しい話があります」
ヒロが顔を上げて渚の顔を見ると、まるで急所をぺちぺちと叩かれているかのように大きく目を見開き、汗をたらたらとかいて頬を真っ赤に染めていた。
そして恥ずかしいのかテンパっているのか、今にも飛び上がりそうに口を最大まで大きく開けて話し出す。
「わっ。笑わないで最後まで聞いてね?……………わ、私、限定のサオリちゃんが欲しくて。一昨日15万円課金しました!!!」
「…………」
「そっそそっそして!!…………全部すり抜けました。私はショックで昨日1日ほんとに体調を崩し、寝込みました」
そして渚は部屋の隅から真っ二つになった新品らしきピカピカのキーボードを持ってきた。
「ほらこれ。ショックで八つ当たりしたやつ」
「…………」
見るも無惨に叩き割られたキーボード。片割れが首の皮一枚というようにぶら下がる。
見る限り購入して1ヶ月も経っていない。相当強い力で叩きつけなければこうはならないだろう。実際に叩き割る光景を想像したらちょっと面白い気がしたけど、直に見たら到底笑えないだろうな。
キーボードを元の場所に戻してきた渚は俺の隣に再びすとん、と座ってヒロの顔を覗き込む。
ふざけている様子も恥ずかしがる様子もなく、いつにも無く真面目な表情をしている。
「呆れたでしょ?」
「…………」
「こんなに滑稽な事をしても、私はこの先を何食わぬ顔で生きる気満々な訳」
「…………」
「だから、毎日一生懸命頑張ってるヒロが落ち込む必要なんて無いんだよ。誰だって失敗はする。絶対、皆もヒロが頑張ってるところを見てるもの」
「…………」
21:00。
ヒロはお茶を飲み終わりシャワーを借りて浴び終え、渚の寝室にいた。
息抜きに2人一緒に本ストをプレイするが、元気を取り戻しきれていなかったヒロはさっぱり楽しくなくてアプリを閉じてしまった。
その後、ゲーム機を引っ張り出してきた渚はコントローラーをヒロに押しつけた。
懐かしの名タイトルを数作一緒にプレイするが、結局ヒロは続けられずにコントローラーをがちゃりと下に落としてしまった。
ヒロは仕事でやらかし絶望した瞬間の感覚と、葛木の叱責に支配され続けていた。
意気地が無い態度なんて分かっていた。だけど。
心を大雪が覆い、視界が再び真っ白になっていく。
世界から自分が消えていく。
「ヒロ。今日は寝ていきなよ」
「…………ありがとう。今日は帰ってゆっくり」
「だめー。帰ったら寝ずにお仕事するつもりでしょ?」
バレていた。
失敗を捲る為に動く必要があるが、会社では時間が取れないので書類を持ち帰ってきていた。
「寝れないならさ。寝れるまで一緒にアニメ見ようよ?最近出たやつがね」
「ダメだ………そんな事してる場合じゃ」
血液に不安と焦燥が入り混じっている。
心臓が鼓動を打つたびに全身に不安と焦燥を巡りめぐらせる。
俺の吸う空気にも吐き出す空気にも不安と焦燥が入り混じっており、肺いっぱいに満たした。
とにかく帰らないとと思い説得するが、渚は意地でもという様子で譲らない。
「このままじゃ不味い状況なんだ。分かってくれよ。帰ったらちゃんと寝るから」
「ううん。休まないで動く時の顔してるからだめ」
次第に言い合いになり、お互いに少しずつ声が大きくなっていく。
「会社に迷惑かけろってことか?俺1人のせいで大勢の人が困るんだよ!」
「休みもせず体調崩す方が迷惑に決まってるでしょ!」
「とにかく今までそうやってきたんだ……。口出して来るなよ!」
「落ち込んだ時は寝るのが1番って、ヒロが教えてくれたんじゃん!!!」
大きな声にハッとして渚を見ると、俯いて拳を握りしめたままふるふると震えていた。
数年前の記憶。高校時代確かに渚にそんな事を言ったような気もするが……。
ぼんやりとしか思い出すことが出来なかった。
ゴメン。
ヒロは心の中で謝りながら逃げるように渚の寝室を出て、リビングに置いておいた鞄を探した。
無い。あれ?確かこの辺に鞄を置いておいたのに。
無い。
無い。
見つけられない。
その時、何故か渚が俺の鞄を持ってリビングの奥へ入っていくのが見えた。ヒロは慌てて渚を追いかける。
バチャン!!
音の聞こえた浴室を見ると渚は俺の仕事の書類が入った鞄を、湯が張られた浴槽の奥に沈めていた。
ヒロはその衝撃の光景に、呆然と立ち尽くした。
そしてゆっくりと振り返って俺を見据える、渚のその表情に見覚えがあって。思わず尻もちをついた。
「ごめん。手が滑っちゃった」
「………………」
″鎖″。
高校時代。物心ついた時からヒロを苦しめ続け、どう逃れれば良いかも分からなかったそれを、渚が目の前でぶっ壊した。
『人は自由に生きるべきなんだよ!ヒロがヒロ自身を壊しちゃう、その前に』
ぶっ壊して振り返った渚はそう言って、嬉しそうに微笑んでいた。
だけど人じゃない何かが乗り移ったように、目の奥に黒い炎が蠢いていたような、そんな気がして。
「ねー。分からず屋のヒロ君」
四つん這いになってゆっくり迫り来る渚に、ヒロは尻もちをついたまま後ずさる。
しかし壁にぶつかり、もう後退出来ない。
「…………ねぇ。辛いんでしょ?苦しいんでしょ?我慢したらダメ。溜め込んだら身体に毒だよ」
あと数ミリで鼻と鼻が擦れそうな程すぐ目の前までズイッと迫ってきた。
………悔しいけど、渚は本当に可愛い。
その度に、俺は渚が好きなんだって思い知らされる。
不躾に高鳴る鼓動。血流が倍の速度で駆け巡って。
「さっきキーボード見せたよね。………ヒロも私に、ああいう風にしていいんだよ?」
「…………!?」
渚は何を言っているんだ…………?
浴室内を柔らかく照らす灯り。その影になった渚の瞳はぬかるんで、何かを期待していた。
渚は僅かに肩で呼吸を乱しながら、混乱の眼差しのヒロの両頬を両手で優しく包みこむ。
お互いの唇が、小指関節くらいの距離まで近づいた。
その時、ヒロの足首に気色の悪い感覚が走った。無脊椎動物。蜘蛛が無秩序に這い巡っている感覚。
「あっ!!!ああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁあっ!?!?」
実際には服の繊維の切れ端が何かの拍子に宙に舞ってそれが足首を撫でるように着地しただけであった。
しかし蜘蛛が大の苦手なヒロは情けない叫び声を上げ、脊髄反射で頭を上げた。
ゴチン。
渚のおでこに勢いよく、思い切り頭突きをしてしまった。
渚はぎゃん!!と悲鳴を上げて、おでこを抑えてうずくまった。
「渚!!あ、えっと……ゴメン!ト、トイレそっちだよね?ちょっと借りるわ!」
四つん這いで肘をつき俯いたまま両手でおでこを抑えながらぷるぷると震える渚を横目に、ヒロは尿意を感じて立ち上がりトイレに駆け込んだ。
ヒロが立ち去って数秒後、渚は仰向けにごろんと寝っ転がり、何が何だか分からないというように目を見開いてぱちくりと瞬きをした。
21:30。
ヒロは再びリビングに戻り、テーブル前に座っていた。小腹が空いたと伝えると、渚が何か作ってくれるというのだ。
「何食べたいー?またカレー?」
渚はキッチンで背を向けたまま尋ねてきた。ヒロは今これという食べたいものが無く、一瞬困った。
「…………甘いものが食べたい」
「甘いもの?デザートってこと?」
「うん」
「杏仁豆腐でいい?」
「杏仁豆腐?……イタリアンからチャイナに趣向変更してたの。草津主任」
「まぁね。最近ハマってて作り置きしてある」
渚は料理が超絶得意で、高校時代は何度かご馳走になっていた。
その腕を活かし、卒業後は高級イタリアンで主任シェフとして働いていたらしい。
渚は作り置きしていた杏仁豆腐のお皿をテーブルにごとりと置いた。早速ヒロはスプーンを手に取って1口食べた。
「おぉ!?んだこれ美味すぎる!!仕事で失敗しても美味ぇもんは美味ぇんだよな」
「美味しい?ひひ。やったぁ!」
「ああ!!やっぱり俺は、渚が一緒に居てくれなきゃダメなんだ」
杏仁豆腐を勢いよく頬張るが、突然渚が何も喋らなくなってシンとした空間に、違和感を感じたヒロは顔を上げた。
ヒロを見つめる渚は頬を紅潮させて目を見開き、時が止まったかのように全身固まって息を呑んでいた。
「? 渚っ!!おかわり!!!」
キッラキラニッコニコの笑顔でお皿を差し出すヒロに、渚は勢いよくズッコケた。
少しずつ元気を取り戻していけるような、そんな気がする。
ありがとう。渚。
杏仁豆腐はあっという間に全部無くなってしまった。
日に日に、逃れようもなく気づいていく。俺はやっぱり渚が好きだって。