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第38話 大好きだって言ってくれたから①

14:05。小圷宅。


約束の時間までにヒロは現れなかった。ヒロへの罪の意識に駆られたままの渚は小圷についていき無理やり部屋のベッドに押し倒され、小圷と身体を密着させていた。


もうヒロに会う資格は無いと思う自分と、必ずヒロは迎えに来てくれると思う自分がぶつかって、渚は感情を揺らされていた。


『渚!!どこでいつなら会える!?』


『………隣に誰かいるのか!?おい!!ふざけた事言ってる奴がもしいるなら電話代わって話させろ!!』


ずっと頭の中に響き続ける、さっき電話で聞いたヒロの声。


………………うーん。何でだろ。


なんで私は今でもなお、ヒロが迎えに来てくれるって信じてるんだろ?


ヒロのこと、何やかんやでもう1ヶ月近く見てないのに。どうしてすぐ近くにいてくれてる気がするんだろう?


「渚さん。あなたはここに来た時点で、もう元彼君の元へは″決して戻れない″んだ」

「…………」

「戻れば今日ここでの出来事を思い返し、苦しむ事になるだろう。だから、また新たに人生を始めていかなきゃいけない。孤独だった僕達が、明るい未来を目指して手を取り合って歩むんだ」


小圷は穏やかな表情で優しくそう言って、手を回して渚の腰をゆっくりさすったが、渚は一切反応を示さなかった。


鬱陶しい手だなぁ………。


「ねぇ。聞いてる?」

「…………」

「僕は無視されるの嫌いなんだよ。渚さん」


小圷の問いに対しても、渚はぼんやりと天井を眺めたままだった。


「渚さん。僕と結婚すれば何でもやりたい放題さ。君の望むものが何だって手に入る。結婚前提に、今後関係を築いていこう」

「…………」

「お互いにとって素晴らしい未来だろ?」


望むものが何だって?手に入る?


「ヒロは手に入るの?」


仰向けで天井を見つめたまま無機質にそう尋ねた渚。


瞬時に小圷は激昂し、馬乗りになって手と首を体重を掛けて抑えつけた。


渚は苦しそうにきゅっと目を瞑り、顔を顰めてバタバタと手足をばたつかせてもがいた。


「…………っ!くっ、苦しいっ!やめて!!」

「はぁ?先週と随分反応違うんだね。このまま首を絞めたっていいんだぞ?」

「痛い!………たっ!助けてっ……!!ヒロ!!助けて!!」

「馬鹿か?そんなのここに来る訳、ないだろっ!!」


パシン。


小圷は右腕を振りかぶり、渚の頬に平手打ちをした。


乾いた音を出して赤くなった頬を抑えて、渚は涙を浮かべて小圷をキッと睨みつけた。


「最低」

「うーん………。何なのかな、その目は。まだ少し躾が必要かな。躾のし甲斐があるのは良いことだね」

「私、ペットじゃないんですけど。どいてくれます?」

「ペットみたいなもんだろ?ここに来た時点で。それに女が嫁ぐなんてのは、男のペットになるようなものなんだ」

「何それ?激キモなんですけど」


パシン。


渚の反対側の頬を再び平手打ちする小圷。


「黙ってろ。黙ってればお前は本当に可愛いから」

「うっ……くぅ……」


鼻がツンとする程強い痛みに、渚は目を腕で抑えて声を殺して、震え泣き出した。


「その痛みを覚えてろ、ずっと。次僕の機嫌を損ねたらまた同じことするからね」


小圷はそう言って、馬乗りのまま上半身を下ろして渚の頭を優しく撫でた。


「今日からここが僕とお前の部屋だ。婚約者として自覚を持て」

「…………」

「マンションは解約して来週までに荷物を全て持ってこい。2年同棲し僕が大学を出たらそのまま結婚する。難しいことは何も無い。好きな時に好きなものを食べて、会いたい人に会い、好きな事をして過ごせ。夜は必ずここで寝ろ。働いてもいいが、子供は3人身篭ってもらうから心の準備をしろ。金の心配は一切しなくていい。あと、僕の父の前では黙って過ごせ」


渚の耳元で小圷は甘く、優しくそう囁いた。


「良かったな?()

「…………」

「会いたい人に会っていいといっても、元彼君だけは辞めてくれよ?そんな事があれば僕は本気で怒るだろうね。頬に2発じゃ済まないだろう」

「…………」

「そもそもお前の男の見る目にも笑えるけどな。仕事で忙しくて連絡を返せないような生活を送ってる時点で、『負け犬』の人種なんだからさ。さっさと忘れろよそんなアンポンタン」


小圷は心底侮蔑的な目でそう吐き捨てた。



何を言ってるんだろう。


ヒロと離れ離れになって苦しくて辛いと思ったとしても、私の自業自得だから受け入れるしかないって思ってた。


だけど。


もしかしてヒロを負け犬って言ったの?こいつ。


この瞬間、渚の思考がかちゃんと停止した。


「僕と一緒に幸せになろう。()


小圷は渚の頬に優しく手を添えて、ゆっくり、ゆっくりとお互いの唇を近づけた。



『るせーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!俺と渚の邪魔をするんじゃねぇーーーーーーー!!!!!!!!!』



さっき電話口で聞こえた、渾身のヒロの叫び声。


それが頭の中でこだまして、渚はハッと目が覚めたように大きく目を見開いた。


ガブッ!!


そして渚は近づいてきた小圷の下唇に、思いっきり噛み付いた。


小圷は鋭い痛みに、口を抑えて激しくもがいた。


「うがぁぁぁっ!!!何すんだよ女の分際で!!!」


瞬く間に出血し、綺麗で真っ白なベッドが紅く染まっていく。


渚は小圷を蹴り飛ばしてベッドから降りた。ギロッと睨みつける目をして立ち上がった小圷を、渚は『にっこりと』笑みを浮かべて見つめていた。


小圷は仕返しに勢いよく殴り掛かった。


しかし渚はその突進に『にっこりと』笑ったまま表情を変えることは無かった。


ガツン!!!


渚はポケットからスマホを取り出し、キーホルダーをヒュン、と振り回して小圷の右目眼球近くに直撃させた。


あまりの激痛に思わずガタンと膝まづき、顔を抑え込む小圷。


ヒロとペアにしたくて一緒に鳴上君に頼んでおいた、可愛い犬のマスコットキーホルダー。


ヒロ……。鳴上君……。守ってくれてありがとう。


可愛らしいデザインとは対象的にやたらと大きくて硬いマスコットの犬は、渚を見て微笑んでいるかのようだった。


愛おしそうにキーホルダーをしばらく見つめてからスマホをポケットに仕舞うと、渚は真剣な眼差しで小圷に向き直り、渾身の声で叫んだ。


「ヒロはね、言ってくれたの………!!!私の事が、『大好き』だって!!!!あんたのほざいた薄っぺらくてカスい好きとは違うの!!バカにしないでっ!!!!」


小圷はガクガクと全身を強い痛みに震わせて充血した右目を抑えながら立ち上がり渚を見据え、口から唾と血を飛ばしながら叫んだ。


「あのさ………!!僕達が義務教育の年齢じゃないのは、分かってんだよな?もしかしてそれも分かってないのか?今後の為に教えといてやるよ……。『好き』だの『嫌い』だの!!そんなもんには何の意味も価値もねえんだよ!!!それに縋る人間で賢い者なんか僕は1人たりとも見た事が無いんだわ!!!君だってそんなものに縋った結果!!それだけ魅力的にも関わらず合コンなんかに来る羽目になったんだろ!?馬鹿か!!永遠に繰り返してろ!!」

「いいよ?本望」


小圷ははぁ?という表情で固まり、言葉を失った。


「耳かっぽじって聞きなさい!!!私はっ!!!ヒロにあの日桜の木の下で呼び止められて。毎日、ヒロの背中を見て生きてきて。陰キャじゃないフリする方法も。容姿の整え方も。いい女でいる秘訣も!全部全部!ヒロの事を考えながら覚えてきた女なんだから!!!」


渚はドヤ、と得意気に仁王立ちをして言い放った。


「そんな肩書きが何の役に立つ!?糞の役にすら立たないことも理解出来ていないのか!?いくら庶民でも!先を見通して考えさえすれば、必要なのは過去の記憶じゃなく『金』と分かるもんじゃ無いのか!??馬鹿丸出しの今の全ての発言を撤回しろぉ!!」

「あんたは私と結婚したら、『俺と渚の邪魔すんじゃねぇー!!!』って、会社の中で大声で叫べる?」

「はぁ!?そんな頭の可笑しい事出来るわけ無いだろう!!僕の世間の評価に傷が付いたらどうするんだよ!!」

「知りもしない人を助けるために、倒壊寸前の火事の建物に自ら命を賭して飛び込んで行ける?」

「それは消防隊員の仕事だろ!というかさっきから今の話と何の関係がある!!話をすり替えるな!!!」


怒りのままに話す小圷を見て、渚は呆れたようにやれやれと両手を上げてため息をついた。


「でしょ?そう言うと思ったよ。つまんない男だよねーあんたって。あー無理無理。私飼い慣らされた男とか無理だから。与えられたレールに乗せられて生きてきた男は頑なに女をレールに乗せることしか考えないのね。かっわいそー」

「人類の歴史と文明の発達が今の便利で快適な社会というレールを作り上げた!!つまり人類の生み出した『業』であり、『秩序』だ!!!誰もがそのレールに乗って生きてきて、それは今ここまで繋がれてきた。当たり前の事だろう!!今のご時世にわざわざ不要に命を賭す等、愛ではない!!!『狂人』だ!!!そもそも過去に生きた者たちと偉人達に感謝と敬意は無いのかっ!?郷に入って郷に従わないなど!!愚か者のする事に他ならないっ!!!!!」


うるさ………。


てか、唾飛ばさないでくんないかな……。


激しく喋り続ける小圷に飛ばされ、顔についた唾と血。渚はそれを鬱陶しそうに顔を顰めて腕で拭い、静かに小圷を見つめたまま口を開いた。


「過去の人は過去の人、私達は私達。時代も親も育ち方も違う。文明発達したから不要だから命賭けませんなんて、私達が軟弱になっていくだけじゃん。それこそ過去の人達は愚か、目の前の人達にも感謝出来てないんじゃないの?」

「何を馬鹿なことを!!寝言は寝て言え!!」

「それに、あんたの言うレールは万人全てが納得出来る世界じゃないんだから、まだ不完全な世界のはずでしょ!!私達はこの世界をありのままに生きて、その中でまた新たなレールが出来ていくの!!!」

「は、はぁ……………?本当に君たちパンピーの考えてる事は理解出来ないよ!!」

「理解してもらわなくて結構です。帰りますね」

「まっ………!待て!ちょっと!待てよ!!」


まだ何かあんの………?という呆れ顔で振り向く渚。


表情に怒りと怨恨を孕みながら、激痛に震え目に涙を浮かべて叫ぶ小圷を、渚は哀れみの目で見つめた。


「さっきも言ったが!!!仕事で忙しくて連絡を返せないような生活を送ってる時点で『負け犬』の人種だっ!!本当にそれで良いのかよ!!見損なったっ!!今すぐ帰ったらいいじゃないか。せいぜい元彼君と一緒に一生負け犬として生活してろ!!負け犬の人生はどいつもこいつも陳腐で惨めで、結局僕らのような『勝ち組』に縋る事しか出来ないんだっ!!君は世間知らずだから知らないだろうが、いずれ気づく時が来るだろう!!!」

「ほんっと薄っぺらいなぁ………。なんかもう、笑えてくるよ。ありがとね?笑わせてくれて。勝ちとか負けが重要かどうかはさ。価値観次第じゃん。少なくとも私は勝ったって負けたって、自分の人生に誇り持ってられたら幸せなの。それを、ヒロが教えてくれたの」

「僕に嫁ぐだけで手に入る『勝ち組』の幸せを自ら放棄する程頭の悪い人間が、まさかこの世に居るとは思わなかったよ!!!」

「そんな考え方してるからろくでもない女しかあんたと関わろうとしないんでしょ?」


ヒロが「誰かのために」身を粉にする姿。


辛くたって決してそれを人に見せず、私にはいつも笑顔を見せてくれた。


それはずっと、私の中で光り輝いていて。


瞼の裏に焼き付いたその姿を頼りに、渚はめいっぱい息を吸い込んで、小圷に向かって叫んだ。


「私は。私は…………!!人の力で勝ち組にしてもらう人生なんて、嫌!!!」

「は、は……………………?」

「人から譲ってもらったアカウントでソシャゲして何が楽しいの?生まれ得たもの使って自分の力で勝ち組になってこそ、人生でしょ!!!」


言い切った渚に、小圷は激昂して手に持っていたスマホを床に叩きつけた。


「はっ………おっ!!!お前は本気で言っているのかぁぁぁ!?!?全く下らない!!!人生なんて親ガチャに過ぎないんだ!!生まれもったもので全部決まるんだよ!!元彼君の所に戻ってみろ!!見つめるのは生まれる自分達の子孫が劣等な環境で生まれる事実だっ!!!それでお前は子孫に申し訳ないと思わないのか!?そんなんでこのご時世にやっていけると思ってんのかよぉぉ!?」

「…………」

「泥水を飲まされるのが確定してる人生!?ハハッ!ハッハハハハハハ!!僕なら到底耐えられないね!!子孫に恨まれて泣きついてきたって、もう絶対助けてなんかやらないからな!!!」


嘲笑ながら叫ぶ小圷を、渚は鼻で笑って冷ややかに見つめて、低い声で吐き捨てた。


「……………私とヒロの間に生まれる子供が、あんたみたいに弱っちい訳無いでしょ?」


さよなら。小さくそう言って、渚は小圷の部屋をバタンと出ていった。


小圷は激痛を堪えながら、呆然とその場に立ち尽くして渚が出ていったドアを見つめていた。


よ、弱っちい……………。


幾多の女が求めてやまないスーパースペックたるこの僕が、弱っちい……………?


小圷は俯き、未だ小さく震える身体と血のついたその手を見つめた。


『生まれ得たもの使って自分の力で勝ち組になってこそ、人生でしょ!!!』


ゾクッ。ゾクゾクッ。


小圷は痛みと、感じたことすらない感動に身体を震わせた。


そしてとぼ、とぼと窓際に歩み寄り、呆然としたまま外の綺麗な草花を眺めた。


…………それを本気で言っているというのなら。


君たちはどれだけの茨の道を歩んでゆくというんだ………。


草花は音静かに小さく揺れていた。まるでいつもの日常を象徴するように。




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