第34話 岐路⑧
11:00。本社、大多目的ホール。
渚と連絡が一度も取れないまま、ついに歓声と共にセレモニーが始まった。
比較的自由な社風でありつつ納期厳守・スピード重視を重んじる姿勢を大いに感じる、ポップで明るい雰囲気の各種報告スライドショーが流されていく。
「セントラルマネージャーより挨拶がございます」
壇に上がった神松による、挨拶が始まった。
役員の中でも上位のクラスの立場に属する神松は、実質的にヒロの会社を牛耳る権力者だった。
そしてその威風堂々たる立ち振る舞いと情熱は社員達の模範となって映り、挨拶終わりは拍手と歓声が沸き起こる。しかし、ヒロは逆の事を考えていた。
この人は上にいちゃいけない人間だ。
あの時、神松さんに傷つけられるうーさんを見ていることしか出来ず守れなかった。悔しかった。自分が罵詈雑言を浴びせられるよりも、余程辛かった。
本社では必ず守ってみせるから。
ヒロは固く、強くそう誓った。
そして遂にやってきた、授賞式。
名前を呼ばれ、俺は登壇し神松さんの前へ歩き着く。
「時枝君。また君に会えて心から嬉しいよ。鹿沼が非常に世話になったと聞いた。感謝しています」
「ご無沙汰しております。いえ。とんでもございません。我が支社に監査の高配を賜り、ありがとうございました」
俺を挑戦的に、冷酷に見つめほんの少しだけ微笑んでいる神松さんは、あの夜出会った時よりも今日はほんの少しだけ嬉しそうに見えた。
あの時のことを未だ忘れていない。鳴上、須藤と共に長い時間をかけて行った県外出張で得た売上を本社に無断で横取りされた事。
そして柳さんと共に発見した、縄で縛られた支社の大口取引先の社長……。
謎は多く残ったままだけど、俺には仲間がいる。絶対に全部明らかにしてやる。
「フッ。いい目だな………。時枝君」
感情がぐっちゃぐちゃで、ろくに表情筋が反応しないからせめてもと思って目に力を精一杯入れているだけだった。
こういう時に限って褒められて、褒めて欲しい時は誰にも褒めて貰えないのは、世の摂理なのだろうか。
神松さんから賞状を両手で受け取り、お辞儀をした。学生時代の卒業式みたいだ。
それと同時に、ホール全体に割れんばかりの歓声と拍手が響き渡る。普段だったら最高に、いい気分になれるんだけどな…………。
そしてとうとうやってきた、本社異動の辞令。今回は俺と鳴上のみが対象だ。
「ひーくん……」
「ッホ〜〜〜〜w 時枝氏と鳴上氏の記念すべき晴れ舞台………ッ。写真撮っちゃおッカナ?w カナカナ?w カタカナ?w ヒラガ」
「だまりなさいふとどきもの」
「ひぇ〜〜〜〜w こっわいw でも柳氏の折檻ならご褒美ッチュw」
ヒロと鳴上は名を呼ばれ、登壇した。神松さんの書類をここで受け取れば、名実ともに本社への異動が確定する。
「なぁ………時枝殿。神松さんのパイ・オツ、大き過ぎぬか……?鹿沼殿といい、一体何を食って」
「頼むから壇上でだけは勘弁してくれ」
ひそひそ話をしてきた鳴上の頭を引っ叩いたところで、いよいよ場の緊張感は最高潮に満ちた。
「辞令を言い渡す。優秀たる2名よ。受理してくれたまえ」
いよいよこの時が来た…………。
そう思ったその時、これまで全く鳴らなかったのが嘘のように俺のスマホが鳴った。
マナーモードだから音が聞こえる訳じゃないけど、確実に振動してる。バイブの長さから…………電話だ。
俺は神松さんの目の前で躊躇うことなくスマホを手に取って画面を見た。
渚からだ。
「…………?」
「時枝殿?何をしている?」
普通に考えて、誰がどう考えたって今出れる訳はない。
だけど俺はこいつと話したいことが山のように、いや星の数程にたくさんあるんだ。どんだけ連絡返してくるの待ってたと思ってんだよ。
もし出たら1分や2分で終わる電話じゃない。そもそも1分や2分で終わらせるからいいというものでもない。電話で今話したら、この辞令は剥奪されてしまうかもしれない。
だけどこれを逃したらどうなる?俺はもう一生渚と話せないかもしれない。一生後悔するかもしれない。
というか電話に出る事を選んでも出ない事を選んでも、選ばなかったどちらかを悔いて一生後悔するかもしれない。
「む……なんだ?何故電源を落としていない。格式あるセレモニーの最中だぞ」
「と………時枝殿!流石に電話は………」
岐路に立っていた。チャンスは一度きり、後退はできない。1度片方を選び進めば選ばなかった片方は全て崩れ落ちていく、別れ道の目の前に立っていた。
そしてどちらを選ぶか、今、この瞬間に決断しなければならない。
瞬時に心臓が痛い程の不安と焦燥の血液を身体中に循環させ、心地の悪さが細胞の全てを支配した。
「………………?」
「時ッ!!時枝殿ッッ!」
宝くじ当たってみたりプロジェクト大成功してみたり昇進したり、パッと見いいことばかり起きといて、今、これ?″凄い″ですね人生は。人生は素晴らしいって言った奴誰だ。出てこーい!
渚が電話してきてるタイミングも″凄い″よ。あいつは俺が今何してるか全く知らない訳で。他に数多とあるタイミングの中から今この瞬間を選んで電話してくんだもん。″凄い″。″凄ぇ″よ。
人生、どの道をいくのが正解か。俺にはどっちも不正解に見えるわ。
終わったなぁ。数時間後の俺、何してんだろうなぁ。はは。どっちも失って死んでるかもしれないな。
刹那の中で色々な思考が飛び交うが、結局答えは出なかった。最後は……。
『私嬉しいの。ひーくんの努力がちゃんと報われて』
うーさん。
『時枝氏……。あの賞は、其方の想像する以上に大きな賞なのだよ』
須藤。
『お主と出逢えて良かったと、拙者は心から思っている。本社でも変わらぬ仲で居たい』
鳴上。
俺だって本当は、みんなと一緒に本社に行きたいよ!!!!
……だけど。だけど………。
『いいか?『お前の好きに生きろ』。どこのどんな偉くて立派で魅力的で素敵な誰の言う事に従っても、そいつはお前の人生の責任は取らねぇ。誰も助けてはくれねぇのよ』
『何を悩んでるかは知らねぇよ?知らねぇし敢えて聞かねぇ。だが、『お前がどうしたいか』。これが『全て』だ』
葛木さんは、俺の判断を尊重してくれると信じている。
俺がどうしたいか。それが全て………。
『とってもドンカンなヒロに教えてあげる。……私、ヒロのことが好き』
『ヒロのこと、誰にも取られたくないの。ヒロが、他の女の子に優しくするのも、本当はイヤ』
『でも付き合ってもないのにそんな事言ったら、気持ち悪いからっ。だから……』
渚。
渚………。渚。
…………………何やってんだ?俺。
渚はあの時、勇気を出して咽び泣きながら俺に想いを伝えてくれたのに。
何で俺はブルって決断のひとつも出来ねぇんだよ!!!!!!
答えなんかもう決まってるだろうが!!!!
自分の臆病さと馬鹿馬鹿しさに、今本気で怒りを抱いている。
最後の最後は、柳さんの言葉が背中を押してくれた。
『おんなのこがほんきですきになるっていうのは、そういうことよ』
柳さん……………。
ありがとう。
ここまでで15秒。
俺は、応答ボタンを押して電話に出た。
『………!?ヒロ?ヒロっ!ヒロ!!』
「渚っ!!どこにいんだよ!別れるってどういう事だよ!!意味分かんねぇから!説明しろ今すぐに!こら!おい!」
神松はあからさまに呆れて声も出ないという顔でヒロを見つめていた。鳴上は完全に青ざめて頭を抱え、セレモニー会場は騒然としだした。
「お?おお?やっぱり時枝氏の落ち込んでいた理由は、彼女に振られていたからだったのかッ!w スクープスクープっと!w」
「ひろし!!だめ!いったんでんわをきって!とりかえしがつかなくなるわよ!!」
うーさんは電話のタイミングについてヒロと同じ事を考え、歯軋りをして身体をふるふると怒りに震わせていた。
「サナギ、さん…………。よりによって…………っ」
葛木は腕を組んで深く椅子に座り、天井を仰いでいる。
「俺しーらね。知らねぇぞー」
ヒロは必死をこいて頭を回転させた。
俺が傍から見て度し難い事をしているのはもう理解している。だったら、もう何としても渚を取るしかない。
「渚!!どこでいつなら会えるんだ!?」
『…………ひひ。あのね?私もう、ヒロの彼女失格なの』
「はーーーーーー!?ふざけんな!!失格にした覚えねえわ!!!!」
『ほんとは連絡するなって言われたんだけどね?………最後にどうしても、ヒロの声、聞きたいなって思って。正直、出てもらえると思わなかったー』
「………隣に誰かいるのか!?おい!!ふざけた事言ってる奴がもしいるなら電話代わって話させろ!!」
わなわなと震える神松は、痺れを切らしたように怒りに満ちた表情で大きな叫び声を上げた。
「葛木統括!!!!!これはどういう教育だっ!!!!今すぐに登壇し説明せよ!!!!」
場にいるヒロ以外の、何百人という全ての人間の視線が自分に集中していることに気づいた葛木はうっわ!めんどくせぇ………という表情で面倒くさそうに重たそうに腰を上げた。
「知らないでーす」
「ふざけるな!!!!これは創業以来必ず行われてきた、伝統のセレモニーなのはお前も承知しているだろう!!!」
「っセェな!!!!知らねぇって!!!言ってんだろボケェ!!!!!」
場は爆発的な騒動となり、もはやセレモニーの続行は不可となった。それを傍目に、ヒロは電話で会話を続ける。
『今日の13:00過ぎくらいに、またその人と会う約束してるの。その後は……………きっとヒロにはもう二度と会えない』
「今すぐ会いに行けばいいんだな!?!?今どこだ!!」
『っえ?………えっと。今はね、普通に私のマンションだよ』
「今すぐ行くから動くなよ!!!もし動いたらお前のマンションの前で首〇って呪縛霊になってやるからな!!!あ!?こら!!!」
『………!わかった♡ ……今度こそ、待ってるね?』
大きな舌打ちをして葛木に軽蔑の冷たい目線を送り睨みつけた神松は、ヒロの方を向き直り真剣な眼差しで見つめた。
「時枝君………。君は、葛木統括になにか変な事でも吹き込まれたんだろう?彼の野蛮さは理解している。同情するとも」
「てかお前連絡取れなかった間何してたんだよ。寝てたのか!?無事だったんだろうな!?」
「あの愚者の教えにより、君の人生も我が社のセレモニーも崩れ落ちるのは、私としては本意じゃない。君もそう思わないかね?」
「はぁ!?聞こえねぇから!!もっと元気に喋れよいつもみたいに!もっと俺が連絡返さなかった事に怒ったりしろって!何でそんなやたらしおらしいんだよ!!」
鳴上はもはやポカーーーンとしてヒロを見つめていた。神松の怒りのボルテージは更に高まっていき、コツ、コツと足を音を立てて電話に夢中のヒロへ近づいて行った。
「時枝君。まだ無礼を挽回するチャンスがあるが、本当にそれが君の″答え″か?」
「てか渚。そんなのいいから。体調悪いんだったら無理に出歩いたりすんなって」
とうとう目の前まで歩み寄った神松とその刺すような目線にヒロは気づいていた。しかし、電話に夢中過ぎてそれどころではなかった。
神松はヒロを見つめたまま怒りに顔を顰め、舌打ちをした。
「いいか?恥というものを知れ。君の行為は社会の一員として非常識であり、迷惑だ。しかし若さとは時に、真と虚や勇気と蛮勇を違えるもの。今直ちに電話を切り謝罪するのならば許」
「俺は大丈夫だって!いいから大人しく寝てろ!……は?ついでにポテチとコーラ!?おめーで買っとけや!!」
神松は堪えるにもとうとう堪えきれず、プチンと堪忍袋の緒が切れた。
「黙れーーーーーーーっ!!!!!!この常識知らずが!!!!貴様など!!もうこの会社に不要だーーーっ!!!!!」
叫び声を上げて指示棒をヒロに向かって勢いよく振り下ろした。
ヒロは渚との会話を遮る″ノイズ″に、堪忍袋の緒が切れた。
「るせーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!俺と渚の邪魔をするんじゃねぇーーーーーーー!!!!!!!!!」
ヒロは神松の指示棒を奪い取って、逆にフルスイングでその顔面に力いっぱい叩きつけた。
スカーーーーーン!!!!!!
渾身の一撃を喰らい宙に浮く神松。あ、やっべ。という顔をするヒロ。
開いた口が塞がらず呆然と眺める鳴上と柳。
嘘でしょ………!?と白目を剥いて硬直するうーさん。
面白いのですかさずスマホカメラで激写する須藤。
「それ、俺がやりたかったんだけどなァ………。全部持っていきやがって、あの野郎」
何だか寂しそうに腕を組んでその光景を眺める葛木。
ホール全体がスローモーションのように時が流れる。
神松はドサリ、と倒れて気絶してしまった。
「……………」
会場全員が呆気に取られて数秒後。
腫れ上がった頬に泡を吹いて倒れ気を失った神松を見て、ヒロは青ざめた表情で頭を抱え叫んだ。
「うわぁぁぁぁあああーーーーー!!!やっちまったー!!ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!」
そのままヒロは檀を降り、全力で駆け出した。
大混乱のホールを抜け出し、ヒロは再びスマホを耳に傾けた。
『ヒロ!?な……なんか、大丈夫……?』
「渚!もう俺走るから切るぞ!」
『うん……分かった。………気をつけて来てね?』
「当たり前だろ!!最後に1つ言っとく!!」
俺は息を最大まで吸い込んで、全力で叫んだ。
「忘れるなよ!!!俺はお前の事が!!!!大好きだ!!!!!渚!!!!!」
ヒロは叫び終えると通話を切って、出口へ向けて走り出した。
後戻り出来ない岐路を踏み込んだ。
それを分かっていたヒロは、前だけを見て振り返ることなく、全力疾走で駆け抜けた。




