第33話 岐路⑦
21:00。
渚はホテルの一室のベッドの上に横たわり、ヒロからの山のように届いているメッセージと電話の通知を、既読にすること無くずっと眺め続けていた。
もう、ヒロには会わない。連絡もしない。
当然じゃん。もう別れたし、私にヒロに会う資格なんてもう無いから。
「ヒロ。……ヒロ……」
自分の考えと行動が全く一致していないのを、渚は自覚していた。
今にも頭がおかしくなってしまいそうな程心が荒み果てているのを、ヒロからの通知を見つめることでなんとか平静を保っていた。
ヒロに連絡をずっと返してもらえなくて、それでも諦められなくて連絡し続けて、それでも何も返してもらえなくて。
そしてヒロ以外の人に『好き』と言った。
私は、ヒロを裏切る事を選んだ。
小圷君が真剣に私に向き合ってくれた事で、本当に心が楽になった。寂しさの海に溺れる私を助けてくれた。だからその手を気づいたら自然に取ってたし、快楽に身を委ねた。
だけど、小圷君にキスを迫られたあの時。桜の木の下でヒロに初めて呼び止められた、あの特別な光景がぼんやり頭に浮かんでいて。
それを守りたくて、私はその場で小圷君とキスをしない代わりにヒロに別れを告げた。
結局ヒロに会いたいっていう気持ちが、最後まで拭い切れてないんだって気づいた。
そして更に、その数時間後まるで思い出したかのように返ってきたヒロからの連絡。
『どこにいる!?』
『何で電話出てくれないの』
『体調、大丈夫なの?』
そんなメッセージと留守電の通知が届いたのを見て。そしてそれがこの連日、『絶え間なく頻繁に』届き続けているのを見て。私は深い深い後悔に飲まれていった。
『時枝殿は今かなり重要なプロジェクトを任されてしまったのだ』
いつもヒロの身近にいる鳴上君の言葉が頭をよぎる。
どうして鳴上君の言葉を信じてヒロの事を待ってあげなかったの。
ヒロはすごく忙しい時だったって、分かってたのに。
『好き』という言葉には、すごく大きな意味があった。
だから状況が状況とはいえ、一時的であっても、それをヒロ以外の異性に『本心から』口にしてしまった事実が、自分自身を永遠に出ることの出来ない地獄の檻の中に閉じ込めた。
最低最悪。もうこんな私なんて……。ヒロは必要としてないんだから。
だから小圷君の言いつけ通り、ヒロに会わないように自宅から遠く離れたホテルに泊まってるんじゃん。
もう、抵抗なんてやめるのがお互いの為。
そう頭の中で考えながらも、渚はヒロとのやり取りのトークルームを見つめるのをやめられない。そんな葛藤でもう1日が終わろうとしていた。
渚はふと、うーさんから届いた通知に気づいた。一緒に遊んだ時、穏やかで優しい雰囲気に癒された事を思い出して、胸がぽかぽかと暖かくなる。
カヌーさん。サナギちゃんねるが更新されないのを見て連絡してくれたんだ……。
だけど心の落ち着かない今は、返せない。ごめんね……。落ち着いたら必ず返すから。
これを機に渚は入院以降一度も開いていなかったyeartubeの、自身が運営するサナギちゃんねるのマイページを開いた。
適当に運営していたにも関わらず、いつの間にか登録者が100人に増えている事実に驚き目を見開いた。もう少し盛り上がったら、ヒロにもちゃんと教えてあげようかな?
そして、渚の胸がズキンと痛んだ。
そう。そもそも思い返せばこのサナギちゃんねるを始めたのも、ヒロがたまに可愛い女の子系のFtuber配信を見て鼻の下伸ばしてたのがムカついたからで。
ヒロは私がそれに気づいてないと思ってんだよなー……。あー。本当にムっカつく。ふざけんな。既にこんなに可愛い女が隣にいんだろ。私だけを見ろ………………。もう、分かるまで毎日そう言って聞かせようか?
次の瞬間、はっと現実に戻った渚は再び気分が落ち込み俯いた。
うーさんからの通知を見て渚の頭から少しの間だけ離れていた、ヒロを裏切り『既に別れた』事実。
そしてそれを再び頭が直視したその瞬間に、また胸がズキズキと痛み出す。
渚は手をきつく握り口をきゅっと締めて震えながら、目を涙で滲ませた。
あまりにも辛くて、苦しくて、もう、全部から逃げ出したい。ひたすら催す吐き気と気持ちの悪さ。全く湧かない食欲に、全く湧かない生きる希望。
……………もうこんな事なら、あの時小圷君とキスしておけば良かった。
完全にヒロを裏切れれば、こんなに辛い思いをしなくて済んだのに。
ヒロのバカ。ありえない。
キモ。どうぞ好きなだけ鼻の下でも伸ばしててください?
最低。
〇ね。
ウザいからもう二度と連絡してこないでくんないかな?
あんだけ私の連絡無視しておいて、また話したいとかさ。滑稽だよ。
「………………ぅぅぅぅ…………っ。ヒロぉ…………」
渚はそう思いながら気づけば、ヒロと一緒に撮った思い出のツーショットを開いていた。
ヒロと出会って、真摯に頑張る姿を尊敬して。
好きになって、たくさん話しかけて。高校卒業したあとも一緒にゲームして、色々な場所に一緒に遊びに行って。
両想いになれて、死んでもいいほど嬉しかったあの日。
ぽろぽろと目から涙が落ちるのを、止められなかった。
「また話したいよ…………。会いたい。一緒に遊びたいよぉ………………!!もう会えないなんて、そんなの嫌だぁぁぁぁぁっ!!!!!うわぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁっ!!!!!」
そして勢いよくベッドにうつ伏せになって顔を埋め、大声を上げて叫び泣いた。
渚は泣き続けた。
ベッドのシーツが瞬く間に涙と鼻水塗れになっても、渚はずっとずっと泣き続けた。
ピコン。
通知音に渚は顔を上げて、泣き呆け疲れきった顔でスマホ画面を見た。
「………小圷君からだ」
メッセージやり取りの末、明日の昼過ぎに再び会って遊ぶことになった。
私を紳士に大事に扱いエスコートしてくれる小圷君と一緒に遊ぶ時間は、楽しく嬉しい時間だった。
また一緒に遊べる。きっと恋人になっても幸せなんだろうな。
嬉しい事のはずなのに。
直感が告げている。次小圷君と遊んだら最後、もう本当にヒロには二度と会えない。
苦しくて辛い状況なのに、考えようとしたら頭も痛くなってきた。
こんなに苦しいのは全部ヒロのせいじゃん。ヒロをブロックして忘れればいい。
私は何を迷ってるの。絶対にヒロに連絡はしないし、会わない方がいいの。決まりきってるでしょ。
これはお互いのため。そうすれば必ずいい方向にいく。
そう何度心に言い聞かせても、渚は気づいた時にはヒロのトークの返信ボタンに指が伸びているし、通話開始前の確認画面まで開いてしまう。
その度に首を何度も横に振って、キャンセルした。
どうしたらいいのか、もう分からない。
「分かんない…………。もう、いいや……………」
渚は部屋を暗くして毛布を頭から被った。
もぞ。もぞもぞ。
「はぁ…………。………ぅぅ………っ。ヒロ…………ヒロぉ……」
渚はどうしたらいいのか分からないまま、更けていく夜と混沌に身を委ねた。
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23:00。うーさん宅。
傍から見ればそれは、明らかに怪しい何かに勤しむ様子であった。
「………………よし!ライヌ社のサーバーにバックドア入れられた……。初めてだから緊張したぁ〜……。次はなんだっけ……?バレたらマズいし、早くしないと……」
うーさんは自宅PCを巧みに使い、ヒロと渚のライヌトーク画面を盗み見る為に奮闘していた。
しかし、血眼になって探し出したほんの僅かな脆弱性も、あっという間にライヌ社セキュリティによりメンテナンスされてしまったのだった。
「……………!?きゃわ〜〜〜!??もうバレちゃったかも!?どんだけ強固なセキュリティなの………!?こ、これに対抗出来るウイルス持ってたっけ………?」
このままだと、うーさん自身が特定されてしまう。
「ま……不味い…………!そ、その前に糖分を……」
うーさんはガラガラガラ、とチョコボールを大量に頬張ると、目にも止まらぬスピードでPCを操作し、あと少しで完了の所まで進んだ。
「よし。よし。よし………!ここからここまであれば充分でしょう……。じゃ…………さようならっと!」
カタカタカタカタカタ!!
「ひゃ!?やばい!!……………てゃあああぁあぁぁぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ。
カタンッ!!
汗だくになったうーさんは緊張と迫真に満ちた表情で叫び、勢いよくEnterを押した。
ピシュン。
カチカチッ。
そして足跡を付けることなくサーバーを抜け出すのに成功した事を確認し、はぁ…………と深く安堵の息を吐いた。
カラカラカラ。カラカラカラカラカラ………。
うーさんが盗み出したのは、『膨大な量のデータの塊のうちの1部』だった。
盗み出した膨大な量のデータをうーさんはひたすら開封・検索し、その中に埋もれていると思われるヒロと渚のトークルームを探し続けた。
読みが正しければ、絶対この中………。
あんな心臓止まりそうなほど緊張する事もうやりたくないし、次またセキュリティを突破して盗めるかももう分からない。
お願い………。入ってて………!
ひたすらクリックとマウスのホイールが回転する音が鳴り響く。
そしてやがてうーさんは両腕をバッと上げて全身で喜びを表した。ヒロと渚のトークルームを盗み出す事に成功していたのだ。
「………………………やったぁ〜〜〜〜!!!取れてるっ!!ひーくんとサナギさんのライヌトーク!ごめんね……2人の為だからっ、と………」
実際にトークを開く直前まで操作をして、一旦呼吸を整えた。ここから見た事はあくまでも極秘、極秘……。
決意を固めてうーさんはトーク画面を開いた。
そして、渚がヒロに別れを告げるライヌを発見した。そもそもうーさんは2人に繋がりがある事に目を見開いて驚いた。
「………………えっ!??繋がってる!?2人が!?しかも………え?何これ………」
ひーくんがサナギさんに、1週間前に別れを告げられている?どういう事?
その直後からひーくんが返信と折電をしまくっている。この日って、ちょうどプロジェクトが激務だった時だよね……。ひーくん、ほんとにあの時頑張ってたから……。
それと同時に。
『ドンカンだしだらしないけど、私の人生を変えてくれた人だよー』
『仕事熱心。仕事終わった後疲れきってフラフラしてるとこはカヌーさんにちょっと似てるかも?』
サナギさんとふたりで遊んだ時言われたこと。ひーくんとの休憩室でのひーくんの態度と反応。その後の電話。
全部腑に落ちた。サナギさんの彼氏、ひーくんだったんだ。
でも、あんなに素敵な2人だもん。ぴったりだなって思っちゃうな……。ふふ。私、勝ち目のない勝負をしようとしてたって事なんだ。
ヒロと渚が恋人同士だった。その事実を知り、頭で必死に自分を納得させようとしても胸に黒いものが渦巻いて、うーさんは目頭を熱くした。そしてそれを必死に抑え込んで、続きのトークを眺めた。
サナギさんはひーくんにも私にも連絡を返さず、謎の人と直近でやり取りしまくっている。この人は誰だろう?
そしてうーさんは次の画面を見て、心臓が飛び跳ねた。
何これ!?ひーくんに別れを告げる直前の日時に、謎の人からサナギさん宛に、手を繋いでる写真が送られてる。…………これってまさか………。
ひーくんがずっと落ち込んでた理由、やっと分かった。サナギさんは、もう………。
直近のサナギさんと謎の人のやり取り……。
『明日やっとまた会えるよ。昼過ぎに、マンション前にいてね』
『うん。嬉しい』
『いっぱい可愛がってあげるからね』
『わーい!!楽しみ!』
うーさんは激しくショックを受けた。
まさか、サナギさんが浮気するなんて………!
あんなにキラキラしてた、私の憧れのサナギさんは一体どこへ行ったの?
落胆した。本当に落胆した。目標だったのに。大好きだったのに。信じてたのに。
ひーくんを裏切って傷つけて、こんな………。あなたが一方的にフったひーくんが毎日会社でどんな顔してるか知らないでしょ。
ふざけないで………。自分だけのうのうと。絶対許さない。また会ったって、口なんか聞いてやらないから。
うーさんは怒りに身体をふるふると震わせながら、更にライヌトークを隅々まで読み込んだ。
…………だけど、こうして改めてひーくんのトークを見ると、先に連絡を無視し始めたのはひーくんのように見受けられる。
長い間ひーくんの返信の頻度が落ちて、電話してもほんの1分程度。最後は数日連続で無視されて、サナギさんから別れを告げた、か……。
うーん。これ、ひーくんが黒にも見えるぞ……?いやでも。ひーくんはプロジェクトが。………あ〜〜!頭痛い!
うーさんは複雑な状況を必死に頭の中で整理・推測する中で、あるもうひとつの事実に気づいた。
………これ見る限りだけど。ひーくんは今、サナギさんと私以外にプライベートで会話してる女性はいないみたい………。
うーさんは胸の中にある黒く渦巻くものがしゅわしゅわと炭酸ジュースの泡のように消えていき、どこか風船のようにぷくーっと膨らんでいく期待と希望に。ごくりと唾を飲み込み、口角を上げてにやけざるを得なかった。
これは、ひーくんの為なの……。
そう。他でもなくひーくんの為。ひーくんの笑顔の為なんだから。
他意は無いの!!ひーくんの役に立って、あわよくば告白されちゃって彼女の座を奪い、そのまま2人で幸せのゴールへGO♡ だなんて、そんなお下劣でふしだらでけしからん事は当然考えてはいない。そんな事考えてないんだからっ!!
そして明日か………。ちょうど、セレモニーの日?
うーん。
確実に言えるのは、もうひーくんとサナギさんを近づけちゃならないっていうこと。
…………。
万全の状態に、しておかなくちゃ。
うーさんは明日の準備に取り掛かるため、立ち上がった。
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10:30。本社2F、大多目的ホール。
ヒロは未だに、渚と連絡が取れないままでいた。昨晩も粘り強く渚を夜遅くまで探し続けたが、やはり見つけられなかった。
本社の最重要儀式当日。
毎年2回しか行われることのない、うちの会社の最大かつ伝統ある行事。
俺は昨年から参加しているが、偉い人は当然のように全員が出席しており、非常に肩身が狭く緊迫感のあるセレモニーだ。
色々神松さんからの正式な賞の表彰や話がある他、正式な辞令も下される事になっている。俺と鳴上も今日、辞令を受けることになっている。
今日ここで、本社への異動が確定する。
本社、全支社社員が集まり盛大に行われるセレモニー。開始まであと30分。なん百人と入りそうなバカでかい会場のパイプ椅子は既に8割強が着席しており、活気と会話に満ち溢れていた。俺達は1番後方の列に座っており、うーさん達本社組は前方列に指定されているので離れ離れだ。
「ヌッフォーーーーー!!!!wwwww テンションが上がってしまいますぞ。アッ!シコw シコっていいでござるか?」
「いいぞ。じゃんじゃんシコってくれ」
「オホーーーーーwwwww 葛木さんの許可、折りちゃいましたッとォw オホホッ!w オホーツク海ッ!w」
俺の隣の鳴上と葛木さんでハナクソを取ったティッシュみたいな会話が一生繰り広げられている中、俺はずっと、渚のライヌトーク画面を見つめていた。
本社に異動すれば、もう渚を探すことは叶わなくなる。
もう一度……。もう一度だけ。
俺は一旦ホールを出て、渚に電話を掛けた。しかし、やはり渚は出なかった。俺が山のように送信したトーク達が既読になる気配も一切ない。
もう最悪、ブロックされてるかもしれないのか?
……………。
いっそこんなセレモニー、バックれてしまおうか。
『本社から監査で来てる3人もそのタイミングで戻ってもらう。ちなみに………給料は1.7倍増しだ。嬉しいだろ?』
『我々に怖いものなど無いでござるよ』
『良かったね!!ひーくん』
『こんかいのひろしのしょうしんは、うーちゃんがしゅになってていあんしたものなの』
『時枝氏なら、本社でも十全にやって行けるという証でもある』
……………だめだ。出来ない。
会社の皆が、心から祝ってくれたのが嬉しかった。一緒に本社に行けるのも嬉しい。だけど……。
項垂れたヒロの頭に、働きすぎて体調を崩し、入院した時の渚の言葉が蘇る。
『ヒロが命削る勢いで頑張ってる事くらい、いつも隣にいたんだから知ってるよ。私はそんなヒロを見てながら、手を抜いて適当にやれっていうの?そんなの嫌だよ。頑張るヒロはかっこいいの。かっこいいんだもの』
馬鹿…………。
じゃあ、隣に居てくれよ。
連絡返せなかったことに怒ってるならちゃんと謝るから、そう言ってくれよ……………。
何で、何で。『何一つ』連絡を返してくれないんだよ。
どうしたらいいか分からず頭も働かず、焦りのままに必死に指をトントンと動かして渚のトーク画面を昔昔まで遡った。
俺と渚が初めてライヌで繋がった、高校時代の会話がまだ残っていた。ひたすら純粋な俺と渚の、初々しい会話。
鮮明に蘇る、桜の木の下で渚を呼び止めた、あの日のまるで非現実的に美しい光景。
そして振り向いてくれた渚の表情は、いつまでも俺の胸の中に残っていたんだ。俺と渚の、大事な、何ものにも代えられない思い出。
俺はそれを捨てて、代償にしたんだ。
渚と共に歩む未来以外の、全ての幸せと引き換えに。
俺の目から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
止めようと思っても止められない………。こわれた蛇口みたいに、俺の感情は溢れ出てしまった。
「渚……………。うっ。うぅぅぅ…………。うわぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
ヒロは堪え切ることが出来ずスマホをガチャンと落とし、その場に泣き崩れ落ちてしまった。
5分くらい、ずっと崩れ落ち泣いていた。誰に変な目で見られてもヒロは気付かずに泣き続けた。
しばらく泣いていると、気づいたら誰かが俺の頭のすぐ側でしゃがみこんでいることに気づいた。
むにゅ。むにゅにゅ。
そして頭に、すごく柔らかくて大きいボールのような何かが2つ押し付けられた。頭頂部を最高級、極上の枕2つで挟まれているかのような心地よさに、俺はびっくりして何が何だか分からなくて、下を向いたまま片方を掴んだ。
むぎゅ。
「やんっ」
なんだこれ?って、うわぁ!
ぐにゅっ。ぐにゅ。ぐにゅ。
どさっ。
「あん♡ ひーくんっ………!だめぇっ」
「う……!うーさん!!ご、ごめん!!」
「う、ううん……。気にしないで」
ヒロはまたしも、うーさんの胸を鷲掴みにしてしまった。
しかもヒロは足が滑らせ、崩れた自分の体制をうまく整えられず体重をかけ倒れてしまい、仰向けに倒れたうーさんに馬乗りになっていた。
先日の休憩室の時もどうにか理性でこらえたが、本当に危なかった。あのタイミングで電話が来なかったら………。
そしてこれは内緒の話だが、俺は毎回毎回その素晴らしい大きさと感触に驚かされていた。まるで神の作った大芸術品。人類(主に男)は全てひれ伏すことになる。
って!!こんな状況で何考えてるんだ俺は………。
必死に謝りながら手を離し、お互いに立ち上がると、うーさんは慈しみの瞳で俺の頭を撫でてくれた。
「大変だったね。辛かったね。でも、今日さえ越えれば、落ち着いてるししばらく有給も取れるからっ!頑張ろう?ねっ」
「………あぁ。そうだな。ごめん、情けないところ見せちゃって…………くっ。ううう……」
「いいの。いいんだよひーくん」
うーさんはまるで″全てを分かっているかのように″、優しい声でそう言って再びヒロを抱き寄せた。
ヒロは何度も謝りながら、時間の許す限りうーさんの胸の中でわんわんと泣いていた。
ヒロを胸に抱きながら、うーさんが意味深にうっすらと笑みを浮かべている事に、ヒロは気づかないままだった。
ありがとう……。心が折れてしまっても、うーさんがいてくれるなら仕事だけは続けられるような気がする……。
「行こ」
「ああ」
俺とうーさんは2人で再び、会場入り口を見据えた。
そしてついに、岐路に足を踏み入れた。




