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第32話 岐路⑥

17:00。会社。


ヒロはプロジェクトが終わってから途端に仕事が暇になった事により、逆に心が騒ぎ立っているのを感じていた。


せめて仕事が忙しければ心を誤魔化せるのに……。


『人生はその人の強く願った通りになる』という言葉。そしてそれを体現するかのように訪れた暇な時間。


しかし、あれ程渇望していたその時間がこんな形で訪れる事に、人生に対する強烈な皮肉を感じていた。


入金された宝くじの1000万円。確定した出世。暇な時間。全部、確かに心のどこかで望んでいたことのはずなのに。


何もかも全てが気持ち悪くて、心地が悪くて仕方がない。


渚………。何で連絡返してくれないんだよ。


「うかないかおね。ひろし」

「っ!!うお!?や!柳さん」


いつの間にか後ろに立っていた存在に、ヒロは飛び上がりそうな程驚いて振り向いた。柳は後ろに手を組んでヒロの目の前にとてとてとやって来て、顔を少しだけ傾けてにこっと笑った。


相も変わらずキュートだ。たまにちょっとサイコパスだけど。


「まさかとはおもうけど、ほんしゃにいかないつもり?」

「えっ?」

「ずっとまよってるじゃない。どうしてなの?またとない、あなたにとってのちゃんすでしょう」


確かに考えてみれば、普段だったら喜ばしい状況である事は間違いなかった。間違いなく出世の事実に鼻を伸ばし、この有り余る金を使おうと呑気に日帰り温泉や高い飯屋に行ったり無駄遣いをするだろう。


だけど、ここ最近夜はずっと渚のことを探していた。


どこに行ったんだろう。早く突き止めないと。そればかりをずっとずっと考えて。


寝ても覚めても渚のことばかり。もはや夢の中にも渚が出てくるようになっていた。


「こんかいのひろしのしょうしんは、うーちゃんがしゅになってていあんしたものなの」

「………!そうだったんですか」

「うん。ばしゃうまのようにがんばるあなたを、うーちゃんはずっとずっとしんぱいそうにみまもっていたのよ」


ヒロはうーさんとの休憩室での出来事を思い出した。


俺を心配して……。そうか。俺がうーさんを心配してるとばかり思ってた。まるで逆だったんだな。


「どんかんなあなたはきづいてないだろうからいうけど、うーちゃんはあなたのことがすきなのよ」

「……………!」

「でも、ほかにおもいびとがいるんでしょう」

「…………。はい。正直別に、隠してた訳でもないんですけど、……。特に聞かれなかったので」

「もしいたとき、それをしることじたいがこわかったからにきまってるでしょ。おんなのこがほんきですきになるっていうのは、そういうことよ」


記憶が頭に流れ込んでくる。仄暗くて、それでいて暖かくて、震える感情。


『とってもドンカンなヒロに教えてあげる。……私、ヒロのことが好き』


そう渚に言われたあの日の事を、今でもはっきりと思えている。


これで2回目だ。俺は人の感情や考えてることに敏感なくせに、自分に対する好意にだけはめっきり鈍感だった。


ヒロの決断出来ず煮え切らない、といった様子に、柳ははぁ、と小さくため息をついた。


「どうするつもりかわからないけど、こんかいのことはうーちゃんにきちんとおれいをいうことね」


もちろんそのつもりです。そう言おうとした時だった。

俺は次の瞬間本当にとんでもなくびっくりして目ん玉と心臓が飛び出そうになった。ふと足元を見たらいつの間にかすぐ側に、めちゃくちゃデカくてもふもふで凛々しくて賢そうな真っ白の犬がいたのだ。


「いきましょ♫ サリー。かんりしつよ」


ぐるる。


柳は尻もちをついたヒロを放って、犬の背中に乗って管理室へ行ってしまった。


会社で犬に乗っとる。やってんな………。


うーさん。ごめん………。俺はうーさんを、知らない間に傷つけていたのかもしれない。



------------------------------



13:00。会社は祝日休み。


ヒロは葛木に誘われ、プライベートで一緒にパチンコを打ちに来ていた。


ジャララララララ。ズドドドドドド。

キュイーーーーンキュルキュルキュルキュル。

ファーン!ファーン!ポキューーン!!

テンテレレンテンテンテン。テンテレレンテンテンテン。


何やってんだ………?俺はこんな所で。


「絶好調の時枝君。キミなら即4パチでも怖くないだろう」


パチンコ屋はゲームセンターの比でない程機械の音量が大きく、デカめの声を常に出さないとお互いの声が聞こえなかった。


「あの。何が何だかさっぱり分かんないんですけど。この後は何をすれば?」

「何もしなくていい。そのままずーっと当たり引くまでそうやって待ってりゃ良いんだよ」


初めてのパチンコの世界。


なんかよく分からないけど、お金があっという間に溶けていく事だけははっきりと分かる。


葛木さんと並び打ちしているピンク色に光るこの台は新台、『甘目まどかの照り照り魔法少女記 2nd 〜あなたが目玉焼きにかけるのは醤油?ケチャップ?私は塩だこの野郎〜 GIGA GALAXY ver.』。

30分ほど打ち続け早くも1万5000円ほど打っているが、何の音沙汰も無い。たまにちょっと当たりをほのめかす演出があるが、当然のようにハズレばかり。本当に当たりがあるんだろうか?こんな世界に葛木さんは身をどっぷり沈めているのか………。


しばらく2人は黙ってパチンコを打っていたが、ふと葛木が喋り始めた。


「いいか?時枝。本社はウチと比べ物にならんくらい過酷だ」

「はい………。正直、自信ないですよ。かつて、葛木さんはずっと本社だったらしいですよね」

「あぁ。何で俺が生き残って今の地位にいるか分かるか?」

「……………分かりません。ほんとに」


もったいぶってドヤ顔をする葛木。ヒロはムカついて軽く肩をどついた。


やれやれ………。とでもいうような顔で無言で見つめてきて、ヒロは更にムカついて2度どついた。


「しっかりと摂生していたからさ。過酷な環境では尚更、こういう風に摂生することが必要になって来るんだよ」

「これが葛木さんの摂生ですか?変わってますね」

「んな事ねぇから。仕事は上に行くほど責任がデカくなって、リスクを避けるあまりいずれ遊び心も一緒に忘れちまう。だからこそのこいつなのさ。こいつは確率を認知バイアスで楽しんでなんぼ。ワクワクをいつまでも忘れさせねぇ、大衆の遊びなんだよ」


何を言ってるのか全く分からないけど、金が減っていく事だけは今とりあえず理解した点だ。


「とりあえず、まどかが左下で金色の星を担いでたら言えよ。ラッシュ確定だから」

「………?それってこれですか?」

「……………は!?マジかよ!?早くね!?」


まどかが左下に突然現れ、こちらに向けて金色の星を差し出している。何だろう、これ……くらいしか思っていなかったが。


ボギュボギュボギューン!!ズゴゴゴゴゴゴゴゴ。ファーン!!ファーン!!ファーン!!ファーン!!


突然ヒロの打っていた台がけたたましく、そして激しく騒々しく虹色に光り鳴り響いた。


「来るぞ…………!しかもこの演出。0.005%でしか再現不可の、幻の『BOKENASU Rush』だ!!」

「何ですかその弱そうな奴の必殺技みたいなの……」


15:30。

ヒロは受付で交換した、山のように積み上がった赤いチップのようなものを手に持っていた。


そして葛木に連れて行かれた、いかにも怪しいお店らしきところの穴に入れると、カシャカシャカシャ、と数分怪しい音を立てたのち、スッ……といかにも怪しい32万円が出てきた。


「うぉぉぉぉぉ!?何ですかこれ!?え?どうするんですかこのお金」

「何言ってんだ。全部お前のだよ。早く取ってくんね?」

「え、えええええ!?いや!う、受け取れませんよこんな怪しいお金。2時間くらいずっとハンドル回してただけじゃないですか。……葛木さんにあげますよ。俺要らないでs」

「いいから受け取れボケ!!………チッ。ビギナーズラックにしてもまさかコンプリートするとはよぉ。俺だってした事ねぇぞ。こっちはボロ負けだってのに見せつけやがって」


葛木は心底機嫌悪そうに眉をしかめて、はぁ、とため息をついた。


一生待っても終わらないと感じさせる程長く続くけたたましい虹色の演出に、途中から隣で解説してくれていた葛木さんが白目を剥き始めた事は覚えている。どうやら俺は、勝ったようだ。


最近、おかしい。絶対におかしい。どうしてこんなにはたから見たらラッキーなことばかり起こるんだ?


ぼんやり、渚の事を再び思い出して胸がズキンと痛んだ。


渚の笑顔が、ずっとずっと俺の胸を締め付ける。


渚を探さないと……。


ヒロは宝くじを当てた時同様に、パチンコで勝った喜びも渚がいなくなってしまった問題に比べたらあまりにも小さすぎて、あっという間に胸から消えてしまったのだった。


ヒロは葛木と一緒に牛丼チェーン店に入った。


ここ……。渚が入院する直前に来たとこだ。


渚のことが頭を過ぎる度に胸がズキズキと痛みだす。葛木さんは奢らないとプライドが許さねぇとキレ気味に言ってくれたので、甘える事にした。


牛丼並。紅しょうがを乗せないと始まらないんだよな。


うん!美味い。牛丼は何でこんなに美味いんだ?


チーズ牛丼は頼まなかった。きっと、入院直前に渚と楽しく一緒に食べたのを思い出して、泣きそうになってしまう。


せっかく葛木さんと遊んでるのに、渚の事ばかり考えていた。なんか……申し訳ないな。


「お前さぁ。悩んでんだろ?」

「え?」

「顔見てりゃ分かるっつの……。ほんとは、本社になんか行きたくねぇ。そうなんじゃねぇの?」


葛木さんの突然の言葉に、ドクンと心臓が波打つ。


明日に控えた、本社でのセレモニー。そこで俺と鳴上の本社異動が『確定』する。


本社に異動すれば、時間的にも場所的にも、もう二度と渚を探すことは出来ない。


『絶対ひーくんなら本社でも活躍出来るよ。一緒に頑張ろうね』


『皆で共に、更なる地位を勝ち取ろうではないか!時枝殿』


うーさんと鳴上の言葉がヒロの頭をよぎる。


やっぱり……。鋭い人はとっくに俺が悩んでることに気づいているんだ。


いや、言及してくれる人が柳さんと葛木さんだけ、だったのかもしれない。ほんとは鳴上もうーさんも皆……俺の心のモヤモヤに、どこか気づいて。


「…………分かりません」


どうしたらいいのか、分からない。どうしたら現状を打破出来るのか、分からない。


ヒロは思ってることを、そのまま口に出してしまっていた。


ずっと、思い焦がれて望んでいるのは渚だけ。渚がいれば、俺は他にはなんにも………。


「………お前。そのままじゃせっかく昇進するってのに、んなツラしてたら不幸になっちまうぞ」

「…………。不幸、ですか」


ヒロは箸でご飯を掴んだまま、小さく俯いた。


もう、幸せや不幸が何なのかも分からない。


相次いで止まらないラッキー。幸せいっぱいともてはやされている俺。


だけど今の俺の胸の中はそのラッキーとは正反対に、ぽっかりと穴が空いたまま。


すごいと賞賛されることに憧れた。羨ましがられることに憧れた。しかし、今いざそうなってみても、今までこれは幸せだろうと感じていた感情は心の穴をジャブジャブと通過していって、結局空っぽのままだ。


「葛木さん。俺は既に不幸なんじゃないでしょうか」


葛木はネギ塩牛定食を勢いよくかきこむのをやめて、何を言い出すんだこいつは……という目でヒロの顔を見つめた。


「…………すいません。質問を変えます。不幸って、何なんですかね?」


質問を変えると、葛木はヒロから目を逸らしてムシャムシャとさっさと咀嚼し、飲み込んだ。


そしてしばらく考えて、話し出した。


「何を不幸とするかにもよるが、俺から言わせれば、全部中途半端な層だろうな。知識も経験も中途半端な奴は、外面だけの幸せを得て結局不幸になる。幸せに生きたいなら、自分が納得出来る道を行く事だ。そして納得出来る生き方をしたいなら、思いっきりバカになるか、天才ってくらい賢くなるかの2通りしかねえ」


全部中途半端。


外面だけの幸せ………。本当に俺の事を指してる気がする。


仕事は?死ぬ程真面目に頑張ってきたはず。


……………渚の、事は。


「時枝。何で俺は統括官なのに、本社じゃなくてわざわざ支社に来てっか分かるか?」

「………分かりません……。葛木さんが好きで、ですか?」

「そう」


1億%冗談を言ったつもりだったが、当ててしまったようだ。こんなところでラッキーを使っても困るという所でラッキーを使ってしまう病にでも掛かったのだろうか。


「神松のクソ野郎と関わりたくねぇから支社に来てる訳」

「…………」

「ちゃんと名目の理由は付けるぞ?本社の教育は充分行き届いているから、支社に自ら赴く方が効率が良いってな」


それって、普通に「ズル」って言うんじゃ………。


「お前、今ズルいなこいつだと思っただろ」

「え、え!?い。いやぁそれ程でも」

「褒めてねぇよ。図星でどんだけテンパってんだ」


渚にもホイホイ考えてることを当てられてしまう。俺って分かりやすいのかな?


「お前がズルと思っても、ちゃんと支社に赴いたことで数字を確実に上げてきたんだぞ」

「…………」

「いいか?『お前の好きに生きろ』。どこのどんな偉くて立派で魅力的で素敵な誰の言う事に従っても、そいつはお前の人生の責任は取らねぇ。誰も助けてはくれねぇのよ」

「…………」

「何を悩んでるかは知らねぇよ?知らねぇし敢えて聞かねぇ。だが、『お前がどうしたいか』。これが『全て』だ。分かったか?」


俺がどうしたいか………。そんなの…………。


ヒロの中では、とっくに答えは出ていた。


しかし、本社に行かないという選択をしようと一瞬でも考えれば、祝ってくれた会社の皆の言葉が、その思いを遮ろうとするかのように胸の奥にたちまち鳴り響く。


ヒロは結局、葛木の言葉に対して何も言えないままだった。


俺は、人に左右されて何も決められない、臆病者なんだ。


ヒロと葛木はご飯を平らげて、お店を出た。


沈んだ感情に揺さぶられる俺の横で、葛木さんは財布の中身を見て頭を抱えギョェー!!と叫び崩れ落ちていた。


明日、俺の運命は後戻り出来ない岐路を踏み込む。




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