第25話 奇跡のときめき《エモーショナル》
19:30。
渚が『働きます』宣言をして、早くも2週間が経過した。
今日の仕事が終わった。
ここ数日定時上がりだったヒロとうーさんだが、この日は最後まで会社に残り、2人して朦朧とする意識の中フラフラとしていた。
本格的にヒロとうーさんのテンションはおかしくなりつつあった。
アクシデントや突発の外回り、体調不良の早退が相次いで次々と動けるメンバーが居なくなり、ヒロとうーさん以外いなくなるという異例の事態が発生した。
更に定時間際に特大クレームが3件入ったことを知らされたヒロとうーさんは、怒りを通り越して大爆笑してしまった。
ヒロとうーさんは直にその処理にあたり、結局1時間半という時間を要した。
「何でこんなヤバい状況の時に限って、定時間際に特大クレームが3件入ってくるんだよ」
「そうだね……駅まで歩くの、もうめんどくさいね」
「今日うーさんと並んで働いてて、本当に凄いなって改めて思ったよ。俺じゃ全然追いつけない」
「そうかな?もう、私とひーくんは大差ないと思うよ」
「え、は?いやいやいや。100%それは有り得ないから」
「私はひーくんこそ、本社で働くべき人材だと思う」
ヒロはそれを聞いて、目を丸めてうーさんを見つめた。
うーさんはにこ、と普段と変わらない微笑みを返す。
明らかにそれは有り得ないけど……。
俺にもっと自信を付けて欲しくての言葉、だろうか。
ここは素直に受け取って、今後の活力にしていこう。
うーさんを守る力を、付けるために………!
会社を出た2人。まだ春の肌寒さがあり、上着を貫通するタイプの冷風が寒がりのヒロの身体に深刻なダメージを与えた。
「びくち。びっくち」
「ひーくん。大丈夫?ティッシュあげる」
「うあ。ありがとー」
うーさんからもらったティッシュで鼻をかみながら、帰り道を歩く。
ふと横を見ると、うーさんが心配そうな眼差しで俺を見つめていた。
「どしたの?」
「ひーくん、連日あちこち出張してるし絶対疲れてるよね。それが身体に出てるのかも」
「あぁ。大丈夫だよ多分」
「ほんとに……?」
うーさんの瞳は心配な心の中を映したように、もやがかっていた。
あぁ……やっぱりうーさんは可愛いな。
「………待ってうーさん」
「へ?どうしたの?どこか痛む?」
「いや違くて。前。待って!!」
「?」
ガスッ。
「ぎゃふ!!」
ヒロは庇おうとしたが、1歩遅かった。うーさんは進行方向の電柱に耳からぶつかってしまった。左半身もやや強打している。
涙を堪えてきゅっと目を瞑り、しゃがんで左耳を抑えてうずくまった。
寒さが上乗せするタイプの鈍痛だなこりゃ……。
想像しただけで痛々しく可哀想になって、ヒロはうーさんの隣にしゃがんで左腕と耳をさすってあげた。
「ありがと……い……いたい……」
「俺の心配はいいんだってば」
「で、でも。ひーくんは出張で……」
「いっっっっっつも言ってるよね?俺じゃなくて自分の心配と注意をしろ?」
「あう…」
「分かりましたか?」
「は、はひ……ごめんなしゃい……」
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ヒロとうーさんはコンビニで絆創膏を買って、夜の空の下駅へ向かっていた。
お互いに無言のまま、繁華街を真っ直ぐに進んでいく。
「あ……あのさ。ひーくん」
「ん?どしたー?」
「えっとね。その。………土曜日か日曜日って空いて」
「そこの震える男女よ。お主らの求めるは心のオアシスか、暖房か………それとも拙者がここで『魂の乾布摩擦』を行い、″″″南国″″″を作り出すか………さぁ選ぶがいい」
なんだ?
うーさんの言葉は聞き取れなかったけど、なんか背後から誰かが訳の分からんことを言っている声は聞き取れたぞ……。
心做しか、俺らに話しかけているようにも聞こえる。
気のせいかな。
2人が無視して歩き続けていると、声の主であるデカい図体の男がヒロの腕に頭突きを仕掛けた。
攻撃までしてくるなんて。一体なんなんだコイツは!?
「って鳴上じゃん」
「ええ?今?普通に声で気づいておくれよ」
鳴上は何かを企んでいるように意味深に笑い、2人の前に立ちはだかった。
「ひぇ。鳴上さん」
「鹿沼殿。先日の足は大丈夫でござるか?」
「大丈夫ですよ!ありがとうございます」
うーさんは萎縮するように身体を縮込めた。
鳴上はくだけているが、うーさんはまだ少し鳴上に対して緊張しているようだ。
「どうであろうか?今日は金曜だし、ほんの少し寄り道でも。いい店を知ってるでござるよ」
「あぁ。うーさん、時間大丈夫?無理しなくていいけど」
「は………はい。行きます」
緊張をはらんだ声色ではあるものの、うーさんの表情は嫌ではなさそうだった。
夜空の星のように静かな光が、うーさんの瞳の奥に揺れていた。
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「いやここに来んのかい」
「いいか?鹿沼殿。フィギュアを幾つ購入するか。これは″″″″魂″″″″に問うでござる。なお、拙者は毎度10個購入している」
「……お、同じのを、でしょうか……?」
「その通りでござる。それでメーカーが儲かり次回作が出来ると言うのであれば、″″″″安い″″″″」
「は、はひ」
「あのさぁそして鳴上君。うーさんに訳分からんことを吹き込まないでくれませんかね」
ヒロ達3人は、例のアニメショップに来ていた。
甘目まどかシリーズの最新フィギュアコーナーに着いた途端、鳴上の目はギラギラと獲物を見定める野獣と化しており、ヒロとうーさんは無事にドン引きしたのだった。
しかし、この場所にうーさんがいるのは凄く新鮮だな。
「うーさんってアニメ見るの?」
「わたし、甘目まどかの魔法少女記昔好きだったんだ。BD買ったよ」
「え!そうなんだ」
「うん!最近はなかなかまとまった時間取れなくてアニメ自体、全然見れてないんだけどね……」
その次の瞬間、鳴上が熱い眼差しでうーさんの右手を両手で包容していた。
とてつもないスピードだったはずだが、優しく丁寧に両手でうーさんの右手を包み込んでいる。
「鹿沼殿……………何故そのようなひっじょお〜〜〜〜〜〜〜〜〜に″重要″なことを一番最初出会い頭に言わなかったのだ?」
「ひ、ひぇ!ごめんなさい」
「出会い頭に言うわけないだろ!?手を離せこら」
「ン〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!wwwww これこそが………いわゆる、奇跡のときめき………というやつですかな?ヌフ………」
何を言ってるのか全く分からないが、どうやら相当テンションが上がったようだ。
そして最近アニメを見れてないというところは聞こえていなかったようだ。
勝ちを確信したかのように、優雅に腰とこめかみに手を当ててポーズを決める鳴上。
うーさんは困惑し、いつもきらきらしている瞳の奥がグルグルしている。
「今日は時枝殿に、鹿沼殿というスペシャルゲストもいると来た。甘目まどかについて、これから朝の8時まで熱く語り明かそうではないか」
「長すぎるだろどう考えても」
「延長出来ても8時10分まででござる。シャワーを浴びねばならぬからな」
「何で8時までいる前提なんだよ。てか店閉まるて」
「語るには原作、アニメ、ゲーム、二次創作のラノベ……アッ!w コミケのお宝本も混じえなければなりませんなぁんフフw」
コミケのお宝本は要らないだろどう考えても!??
アカン。
鳴上のバカなアニメ語りに付き合わされてしまう。
「朝8時は無理ですけど、少しなら……」
「ほんとでござるかッ!?イヒャッホーーーーーイw」
鳴上は喜びのあまり、マ○オかってくらい高くジャンプして飛び上がった。
「ひーくんも一緒にいてくれる……?」
「もちろんいいよー」
「ありがとっ」
うーさんは嬉しそうにキラキラした目を細めて笑った。
俺はどこまででも行くし何でもします。
うーさんが喜ぶなら。
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相変わらずこのアニメショップは人がガラガラで話しやすい好環境だ。
ヒロたちはベンチに座って話し込み、話は結構盛り上がった。
「6話って……確か、『チョメリブ星人』が襲来してくるところでしたっけ……?」
「そうでござる。だがその時点でまどかは未覚醒、悪戦苦闘を強いられるのでござる」
「懐かしいですね。確かユニバースの交信が……」
うーさんは鳴上と打ち解けつつあった。
お互いに笑顔で話すことが出来ている。
この分だと、うーさんが会う度に緊張しちゃうのも治りそうだな。
「そうそう。そろそろ時間も無くなってきたし。ここでスペシャルゲストの鹿沼殿に依頼があるのでござる」
「ひぁ。わたしに?」
「……………黄身さやかのモノマネをして欲しいでござる」
「さやか?」
黄身さやかとは、魔法少女メンバーの1人。
この作品に登場する魔法少女メンバーは5人いるが、主人公のまどかを含め基本毒舌揃いであり、罵倒しながら悪役をボコす描写が多い。
そしてさやかはその中でも超絶群を抜いて毒舌であり、天然の辛辣を発動しまくるドS少女だ。
イメージカラーはレッド。外観のタレ目にほんわか優しそうな雰囲気かつ、その温厚な話し方からは想像も出来ないそのギャップに、1部の「大きなお友だち」から絶大な支持があるとか。
俺が知ってる限り、発言の8割は毒を吐いている。
あまり好きじゃないなぁ……。
しかし1度その魅力に取り込まれれば、さやかの家畜とならざるを得ないらしい。
「ど、どうして私が……?」
「理由は2つあるでござる。1つ目は純粋に似合いそうだなと。ふんわり優しそうな風貌が、マッチしているでござる」
「そうかな……」
確かに外見だけなら雰囲気はうーさんに近いかもな。
鳴上は指をパチンと弾き、ウインクをした。
「もうひとつの理由はッ!!!!!拙者がッ!!!!!鹿沼殿の罵倒を聞きたいからだァんッフフフフwwwww」
「うーさん。帰ろっか」
「う、うん……」
「待った!!w マッチ!!!w ちょっとマーーーーーーッチ!!!!ww 流石にそこで帰るのは拙者の心抉られますッチw」
鳴上は両手を合わせてうーさんに頼み込む。
お前……どんだけ罵倒されたいんだよ。
「頼むッ!拙者の命を救うと思って」
「い、命!?」
「ちょっとだけ!先っちょだけ!先っちょだけでいいでござるw」
「おいぃ!キモい交渉でうーさんを穢すんじゃねーーー!!」
うーさんは苦笑いをしている。
勘弁してくれ。本当に。
「さやかちゃん、確かに可愛いなーとはおもいますし、憧れはあるんですけど。わたしに出来るんでしょうか?」
「いける。いけるでござるよ。甘目まどか1期52周目、2期32周目、3期18周目突入1期セリフ全丸暗記の実績を持つこの拙者が言う以上間違いは無い」
「説得力あるのがまた腹立つな」
うーさんは困ったように天井を仰ぐ。
「うーん。あんまりよく分からないですけど………じゃあ、やってみますね」
「そう来なくては!!流石鹿沼殿」
「んー……。んーー………………」
うーさんは少し唸って、モノマネを披露した。
「そうやって一生ポテチ食ってろ。このでくのぼうっ」
「ウオオオオホホホハホホハハハヒーーーーーイ!!!ww」
「おおお」
強敵のデブデブ魔人を一瞬で灰にする、多くの視聴者を驚かせた名シーンのセリフだ。
うーさん……全く慣れてないから、トーンが最後上がって可愛らしい感じになってる。
これは、俺的にはアリ。
「いいか鹿沼殿。もう一押しでござる。声は全体をもっと低めに、そして最後は語気を強くして……」
「ひぇ!?は、はひ!」
鳴上の謎レッスンが始まった。
一体どうなってしまうんだろう。
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「なぁにモジモジしちゃってんの〜?……気持ち悪」
「うおお」
「あっ。腕出して?根性焼き入れたげるね」
「オホーーーーーーーーーー!!!!!wwww」
普段の様子や性格からは想像し得ないセリフがうーさんの口からポンポン吐き出されていくのを見て、鳴上はマッチョポーズを3つの角度からヒロとうーさんに披露した。
多分感動を現している。
すげぇぞこれ……!?
完全モノマネではあるものの、豆腐メンタルの俺がキュッと胸を締め付けられ、苦しい感覚を覚える程度には、うーさんの罵倒が完成されている………。
「拙者の目の前にいるのはさやかかと錯覚したぞ鹿沼殿。ありがとう………ありがとう………本当にありがとう………」
「ひぇ!?よ、喜んでもらえたなら何よりですっ」
「うーさん。お金取っていいよ」
「″″″お布施″″″せねばな!?」
「ひゃ!だ、大丈夫ですよ」
鳴上はあわあわと狼狽えるうーさんの両手を握り、涙を流して感謝している。
何だこれ。
まあ、皆笑顔ならそれでいいか。
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3:00。
緊急で連絡を受けたヒロは眠りを妨げられ若干不機嫌になったが、内容を聞いて背筋が凍った。
ヒロは全力疾走で病院へ向かっていた。
渚!!
倒れたって……!?何やってんだ……!
無事なのか………!?
辿り着いた深夜病棟から医師が去っていき、ヒロと渚だけになった。
渚の手を握り続けて、30分くらい経った。
今のところ穏やかな表情で静かに眠っていて、目を覚ます様子はない。
渚はストレスと過労が原因で、失神を引き起こしてしまった事を伝えられた。
症状の進行度は想定以上に重度であり、現状最低でも1ヶ月の入院治療を見込んでいるという。もっと早く通院してもらうことは出来なかったのか?と聞かれたヒロは頭が真っ白になった。
渚はあんなに元気だったはずなのに。
俺は一体何を見落としてしまったんだろう。
まさか、このまま目を覚まさないなんて事ないよな……?
「うーん……ヒロ?」
「っ!渚!!」
「ごめんね。私が起きるの待っててくれたんだよね?」
渚が意識を取り戻し、眠たさを堪えるように目を瞑ったままそう言った。
ヒロは思わず身を乗り出して渚の顔を見つめた。
「全然気にしなくて大丈夫。それよりちゃんと回復出来るように、安静にな」
「ん……分かった。ごめんね」
ひとまず、安心か……。だけど、油断は出来ないな。
ヒロは必死に不安を顔に出さないようにして、渚を見つめる。
「渚……何で無理なんかしたんだよ。お前は俺と同じで、体力無いだろ」
渚はそれを聞いてぱちりと目を開いて、布団から頭と目だけちょこんと出して俺を見つめだした。
ヒロの顔色の細かい変化まで見逃さないというように、目線ひとつ動かさない。
「………ヒロ。怒ってる」
「怒るっていうかさ。……うんまあ、怒ってるのもあるよ。心配になるし俺も」
「毎日ヒロが死に物狂いで働いてる。この間遊んだ女の子も一生懸命働いて活き活きしてて、素敵だなって思ったの。私だけ仲間外れになりたくないの」
「…………」
「ヒロが命削る勢いで頑張ってる事くらい、いつも隣にいたんだから知ってるよ。私はそんなヒロを見てながら、手を抜いて適当にやれっていうの?そんなの嫌だよ。頑張るヒロはかっこいいの。かっこいいんだもの」
そう言った渚の表情と目は柄にもなく弱々しくて、ヒロは言葉に詰まってしまった。
ヒロはコンビニで買ってきたカスタードシュークリームを2つ取りだして、1つ渚の顔の近くにそっと置いた。
「………あのなぁ……。いつだか一生懸命休めって説教してきたのはどこの誰だよ」
「…………」
「このバカタレが」
「………ひひ。ごめんね」
反省して欲しかったヒロは渚を強く突き放すように言うが、渚は何故か口元を手で抑えながら、熱を帯びて潤んだ目でヒロを見つめ返した。
もしかして、喜んでる?
俺は渚のことがたまによく分からなくなる。
「………………やっぱりヒロに怒られるの、好き」
チュン。チュン。
心地の良い鳥の鳴き声が聞こえる。
「? 渚。今なんて」
「幸せだなって言っただけ。それより、今日ほんとにお仕事行くの?」
「行くよ。1日も空けられないし。明日また来るわ」
「気をつけてね。……頑張ったらご褒美あげるー」
シュークリームを頬張りながら手を振る渚に背を向けて、ヒロは駆け足で病院を出た。
ヒロの日々の往復コースに病院という中間地点が加わり、働きながら渚のお見舞いに顔を出す日々が始まった。
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5:00。
ねっっっっっみぃなぁ……。
毎日この時間の起床は、結構負担だ……。
朝5時に起き、いつも通り満員電車に揺られて通勤。
馬車馬のように働いた後、まだ病院が開いてる時間なら渚のお見舞いに行く日々を送っていた。
不謹慎かもしれないがむしろ社畜の俺には、ひたすら家と会社の往復よりも新鮮に感じられていい気分転換にすらなった。
渚の顔色はどんどん良くなって、元々の表情と大差無くなってきた。
そんな生活を2週間ほど続けてあるお見舞いの日、差し入れを持っていくと渚はありがと、と一言だけ言って、ヒロにはろくに目をくれずにベッドに寝たままスマホを夢中になって操作していた。
入院前以来、集中して何かをしている渚を見ることが出来なかったから、ヒロはホッと胸を撫で下ろしていた。
一緒にいる間、交わすのは一言二言。
静かに、穏やかに2人の時間が流れて。
次の日もその次の日も、渚はスマホをたぷたぷと操作するばかりでほとんどヒロに目をくれなかった。
渚、趣味も充実してるからそっちの何かで忙しいのかな?
「何してんの?」
「うーん。まあゲーム?みたいな」
何かあれば何でもヒロに事細かに共有したがる渚にしてはかなり雑な返しであり、結局渚が何をしてるかはヒロにも分からなかった。
たまに目をやると、スマホを見ながら時折ふっと優しい笑顔になる事があった。
「そろそろ。行くわ。また来る!またね」
「うん。ヒロ!いつもありがとー」
渚は毎回必ず、病室に入った時と帰る時は俺を見て、笑って感謝を伝えてきた。
渚、あと2週間もすれば退院出来る訳だし、もう心配無さそうだな。
ヒロはその翌日から、仕事帰りに渚のお見舞いに行かなくなった。




