第22話 母なる海はそう、まるで
9:00。
柳と共にY県での問題を解決し、大口取引先との契約を予定通り取り交わすことになった。
安堵するのもつかの間、今度はまた別の取引先との連絡がつかなくなった。
長く贔屓にしてもらっていた取引先であり、これを逃しても本社への勝ち筋は見えなくなる。そしてまた、葛木が会社を伺うも代表は不在だった。
「そういう訳だから時枝。頼んだぞ」
「そういう訳だからって。待ってください。強烈なデジャヴを感じてるんですが」
「すまんけど今度はS県だ。せっかくだし小遣いやるからお土産頼むゾ」
「まじっすかぁぁぁ!!!?」
S県。
広い海で岩に波が打ち付けてるイメージしかない。
というか、遠い、マジで。
昨日のY県の時点で相当疲れて、今朝寝坊しかけて焦ったんだけどな。渚に叩き起こしてもらえなかったら遅刻してた。
「ひろしならだいじょうぶよ。がんばって!」
「全然大丈夫な気がしないですよ!?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。わたしがみとめたおとこよ」
柳さんはいっつもこうだ。
俺に重いタスクを課されるのを見ると周りでぴょんぴょん跳んで激励してくる。
納期が色々立て込んでいるらしく、今回は俺に同行できないらしい。くぅ……。
厳しい表情のヒロに、葛木は立ち上がって両手をメロイックサインにし、変顔をしてシュバっと決めポーズをした。
「よろしく頼みMaster Piece!!!!!!!!!!」
………………。
ヒロと柳は変顔と手をプルプルと辛そうに維持している葛木を、無の表情で見つめた。
これ、マジで無視してええか?
前回は柳さんがいなかったら代表のところにすらたどり着けなかった……。というか、どうやって辿り着いたかも自分で分かってないし。
代表が縛られて倒れてたのも、ずっと引っかかっている。
取引先と次々に連絡が取れなくなっている現状が、どうにも偶然ではないような気がしてならないんだよなぁ。
俺1人じゃどう考えても厳しいぞ……。
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13:00。
「ウッホホホホホホーーーーーーーーイwwwwww」
「テンション上がるぞぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!」
バカ2人が運転席と助手席で騒いでんな……。
ヒロは後部座席から呆れながら、窓の外を眺めていた。
国道の海沿いに差し掛かり、綺麗な景色にテンションが上がったらしい。
結論、今回は鳴上と須藤がヒロに同行する事となった。
鳴上が運転。須藤は手慣れた感じでナビをいじっている。
飛行機に乗って移動すること2時間、更にレンタカーをぶっ放し始めて20分。
代表の家まであと40分くらいと言ったところか。
テンションが上がった2人は、レンタカーの運転席と助手席の窓を全開にしだした。
「ンン〜〜〜〜〜!!!!w 空気、うっま!w 産廃くせえどっかのT都の23区とはえらい違いでござるなァ〜〜〜〜〜!!!ww」
「あぁ、美しい………なんて美しいんだッ!!!w 母なる海はそう、まるで″″″″少女″″″″………!!!Eternal love betrayed me………see you………」
本当に代表のところに辿り着いて契約を取り付けてもらえるのか?
というか生きて帰れんのか?これ。
「昼飯、今ナビ見たら500m先くらいに良さげな海鮮屋があるからそこにしませんか〜!?」
「ちょうどホタテが食いたい気分だったからちょうどいいでござるゥ!!」
「時枝氏は海鮮大丈夫です〜?」
「あ、うん。好きだよー」
海鮮屋はそこそこ人がおり、賑わっていた。
久しぶりに海鮮なんてありつくなぁ。
今俺は結構ワクワクしている。
マグロ丼なるものがあるらしいので頼んでみる。
店員は総じて、急ぎ足で動いている。レジ打ちに食器の後片付け。目が回るように忙しいのは明らかだ。
飲食店に入ると自分があそこに立ったらと想像して、毎回ゾッとしてしまう。
「む。SSR排出率3%、コラボは5%」
「ということは720連×4。2880連とボーナス。完凸見込み額は24万」
「かなり渋いでござるな」
「最近の本ストキショくてついていけね〜っすよ!」
「そういって結局お主は引くでござろう」
「葛木さん見習って、パチンコ行きますか〜!ww」
「待て!早まるな!ww」
適当に暇を潰せればいいと思って2年前のサービス開始日にDLして始めた本ストは、いつの間にか知らない人が少ないくらいの大人気ゲームになっていた。
そして最近須藤とも本ストでフレンドになったがヒロだったが、ランカーの鳴上と同じくらいステータスが高かった。
俺の周り、本ストが強い人ばっかり集まりすぎだよ。
ん!?このマグロのジューシーな身に染み渡る、旨みと醤油の塩分。永久にこのまま噛み合わせたい。
「時枝氏。昨日の鳴上氏の話、しましたっけ?めっちゃ面白かったんですよ」
「何それ?聞いてないなー」
「む?何の話だったか思い出せんでござる」
「委託先の担当がひたすら値切ろうとしてきたの、全っ部華麗に話逸らしてて〜」
「ブッwww その件かw 彼奴がしつこすぎるのが悪いでござろうwww あの神経の図太さは想定してなかったでござるw」
「鳴上氏途中からムカつきだすし。相手の話遮るしテーブルぶっ叩き始めるから、慌ててお茶のお代わり持っていったんですよ」
鳴上と須藤さんはワハハ、と豪快に笑い声を上げた。
2人がいると会社の雰囲気も活気づく。
並ならぬ熱意で進む鳴上が時折周りが見えなくなるのを、須藤さんが冷静に上手く支えているようだ。
「拙者そんなムカついてたか?w だが漢と漢の真剣な対話に割って入ってくるのもどうなのか?」
「どう見てもムカついてたって!てかあんな対話ずっと続いたら普通に委託断られるだろw 感謝して欲しいくらいなんだが〜」
何でも平均以上でこなすことが出来るオールラウンダー。
本社組の3人の中でも、須藤さんの動きは特に弱点が見当たらない。
更に部下の統率や指揮力が優れている、というのが須藤さんに抱いている印象だ。
つまり、少女を語る時以外の須藤さんは、至って頼りになるということだ。
「ご馳走様でした〜」
「時枝殿。拙者らは先に行くでござる」
「え!?食べ終わるの早っ」
俺まだ半分しか食べ終わってないんだけど……。
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再びレンタカーを走らせる。
鳴上と須藤さんは満腹になったからか、さっきより少し落ち着いた様子だ。
「暇だし何か面白い話でもしますか〜」
「面白い話?拙者が甘目まどかの魔法少女記 2ndの神同人誌を全シリーズ購入したらレジの店員がその作家だった話などどうだ」
「鳴上氏……その話はもう1000回くらい聞いたよ」
「何回話しても足りぬ!!この感動、お主らには分からぬのだろうな……悔しい!!この気持ちを何故共有出来ぬのか」
あと30分くらいで到着か。
運転もナビもずっと2人に任せっきりで申し訳ないと思う反面、睡魔が襲ってきた。
うとうとして薄れゆく意識の中、ふとうーさんのことを思い出した。
うーさんはあの日以降、対面で話しててもライヌで話しててもずっとどこか元気がない。
心做しか、返信も遅い。
大丈夫かな……。ずっと、心がかりだ。
「鹿沼氏と柳氏。1日デートするならどっち選ぶか」
「な、何だと…………!?」
「片方しか選べず本当に1日中です。もちろん手繋いでキスもしないとダメ」
「え、選べぬ……!選べぬぞ!!」
「何で?巨乳を取るか、つるぺたを取るかという究極の選択だからか!??鳴上氏よ」
「Foooo………」
場にいるのが男だけだと9割方こういう話になることを、俺は知っている。
もちろん男側に悪気や貶す気が一切無いのは理解しているけど、俺はそういう会話が何となくずっと苦手だった。
会話の輪を避けていた学生時代を思い出して、ちょっとだけ耳を塞ぎたい気分になった。
月曜のあの出来事。
神松さんの態度と言葉。今思い出しても腹が立つ。
うーさんの事、なんで分かってやろうとしないんだよ。
「拙者は1年程前ハマっていたエロゲで『巨乳マスター』も『貧乳マスター』も獲得した漢。よって……どっちもいただき!www」
「ダメだよ」
「なぬ?ならばそう言う須藤殿はどっちを選ぶというのだ?」
「柳氏……………………″″″″″″″″″″一択″″″″″″″″″″」
「男前すぎる………」
聡明で訳分からないくらい賢くて。
でもたまに不器用で………。
不運に見舞われて涙目になっちゃうけど、それでも負けずに最後は笑って。
それだけ真っ直ぐで強い子なのに、何で分かんないんだ?
うーさんの真っ黒い瞳を思い出して、胸がジクジクと痛み出す。
仕事が出来て上の地位に立ったら、人の好きなものを否定していい訳が無いだろ。
ぶっ飛ばすぞ。
「ならば鹿沼氏に甘やかされながら膝枕で耳かきしてもらうのと、柳氏に罵倒されながらタイキックされるのどっちがいいか」
「拙者は圧倒的に後者でござる」
「流石鳴上氏……!!!趣味が合いますなぁ〜!!!」
「ウッホ〜〜〜〜〜〜〜!!!!www おさげロリっ子のタイキック………!!最高ォ〜〜〜〜〜!!!!wwwwww」
「Fooooooooooo!!!!!!」
おぉぉぉぉおい!?うるさいなこいつら!?
ちなみに俺は前者がいいですね。
甘やかされたい。痛いのはヤダ。
どうしたら、うーさんはまた元気になってくれるだろう?
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15:00。
ヒロ達一行はすんなりと代表宅を見つけることが出来、契約書まで取り交わして再び空港へレンタカーを走らせていた。
2人の交渉と進行はすごくスムーズで安心感があった。
かなり心臓をバクつかせていたが、代表はけろりと現れて何事も無く契約を取り交わしてくれた。
柳さんの時は色々とかなりヤバい状況に見舞われて本当にどうなるかと思ったが、今回は距離が遠いだけで道なりも単純で良かった………。
空港に戻るのにかかるのは1時間。
そして飛行機の出発は17:00のため、少し時間に余裕があった。
「1時間。この余裕があるようで、一瞬で過ぎ去る貴重で重要な時間をどう使うか心得ているでござるか?時枝殿」
「うーん。いざそう聞かれると迷うかな」
「土産をどこで買うか。そして遊び呆けて帰るのが遅れた時、葛木さんになんて言い訳するかを考えることが出来る」
「え?遊ぶ気満々なの?マジで?」
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「イヤッホォ〜〜〜〜〜〜〜〜wwwwww」
「海だァ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
絶対こうなると思ったよ、俺は。
仕方が無いのでレンタカーから降りて鳴上と須藤さんを追いかける。
てか何で海パン持ってきてんだよ!??
「何でそんなに元気なの?お前ら」
「走る理由など、ひとつしかなかろう。海が拙者を呼んでいる…………ただそれだけだァァーーーーッ!!!!」
「うるさいわ」
「時枝氏……。海を見つけたら飛び込む!!どう考えても世間の常識でしょう!!!?社会人にもなってそんな事も知らないのかッッ!?」
「そんなクソみたいな常識お前らだけだろ!?」
春の静かに揺れ動く波打ち際は、スーツの上からでも肌寒さを感じさせた。
「ヒャッホ〜〜〜〜〜〜〜〜イ!!!!wwwww 平日昼間仕事の時間、サボってる場合じゃないのに遊ぶ海、サイッコォ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!wwwwww」
広い広い海。
そしてあの果てのない地平線に、ロマンがあるのは確かだよな。
「遊んじゃいけない時間であればあるほど、遊んでる瞬間の脳は冴え渡る!!!!これはこの世の真理なのだァ〜〜〜〜〜〜〜!!!!wwww」
おぉぉぉぉい!?うるさいなマジであいつら!?
せっかく浸ってたロマンがアホ共の叫びで掻き消えてしまった。
波打ち際でふと鳴上が振り返り、ヒロに今更の質問をした。
「? 時枝殿。何故海パンを持ってきてないでござる?」
「いや。何で逆に海パン持ってんの?」
須藤さんがチッチッチ、と舌を鳴らしながらヒロの方へ歩み寄る。
「時枝氏。ダメだよそんなんじゃ。ここは″″論理的″″に考えないとねぇ?″″論理的″″に」
「具体的にどういう風によ」
「母なる海。それってつまり、″少女″だから」
「…………」
「以上」
「すげぇ論理だな!??びっくりだよ!!!」
鳴上と須藤さんは運動神経が良く、いつの間にか沖スレスレまで泳ぎに行っていた。
裸足になって裾を捲り、少し海水を手ですくうと、何か考える前に気づいたらそのまま後ずさってたくらいには冷たかった。
春の海は四季で1番冷たいという。
元気すぎるだろ、あいつら。
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19:30。
飛行機に乗って会社に帰りついた3人。
葛木に報告をしたら後は帰るのみだった。
「楽しかったでござるなァ〜!!」
「また今度は夏に行きましょ〜」
2人は未だにテンションが高い。
お土産の羊羹と駄菓子を持って支社総合管理室に入ると、葛木さんはかなり不機嫌そうに顔を顰めてパソコンの画面を眺めていた。
「お前ら。随分と楽しそうだが契約取れなかったみたいじゃねぇか。どういう事だ?」
ヒロ達3人は葛木が何を言ってるのか全く分からず、顔を見合わせた。
「馬鹿な!?」
「む、結びましたよ!!僕たちはちゃんと契約してきました!こちらが証拠です!!」
須藤は焦って葛木さんのもとへ走り、契約書を渡した。
葛木は契約書を隅々まで確認した。
「一応聞くけど時枝。お前も契約取り交わすのを見てたんだな?」
「はい。交渉から印を押すまでもスムーズで、代表と別れる最後まで違和感は無かったんですが……」
葛木さんは舌打ちをして契約書を脇におくと、はぁ、とため息をついた。
「悪かったな。3人ともありがとう。今日はもう帰っていいぞ」
「な、何かあったんですか?」
「………」
問いかけると葛木はヒロ達に手招きをして、パソコンの画面を見せてきた。
「この会社の契約、本社の実績になってやがるんだよ……」
鳴上と須藤は全く訳が分からないというように、顔を見合わせた。
何でだろう?俺は須藤さんが契約名義が支社になっている契約書で取り交わしたのをきちんと見てたし、今渡したのも間違いなく支社名義だ。
「間違いなく誰かさんの仕業だ。そっちがその気ならこっちもそのつもりで行かせてもらおうと思ったら、本社は顧客のデータを全部データベースから削除してやがった。マジでありえねぇ」
心底腹ただしい、という表情で葛木は椅子にもたれて天井を見上げた。
嫌な予感、的中してないか?
「実質的にはかなり良い勝負に持ち込めてるんだが、この数字基準なら倍以上の差を付けられてることになる。このままだと厳しいぞ」
あまりにも穏やかではない話に、ヒロはどうすればいいのか分からないままだった。
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20:00。
管理室。
「失礼します。葛木さん」
「おん」
「お願いされてた緊急の案件は、全部終わりました」
「お、了解。最後までありがとうな」
うーさんは静かに報告を終えて、去ろうとした。
「………………待て」
葛木は一瞬躊躇いつつも、うーさんを呼び止めた。
何ともなしに振り返るうーさん。その瞳は真っ暗闇の中に沈もうとしており、光はか細くなっていた。
表情は虚と、無に満ちている。
「おお………。昔のお前に戻っちまったな」
「?」
「想い人に2日会えなかっただけでそれかよ。お前……本当に好きなんだな」
「ご迷惑をお掛けしてましたか?」
「そうは言ってねぇ」
少し寂しそうな表情の葛木に、うーさんは表情を変えないまま明後日の方向を見て首を傾げた。
そして向き直ると、ぺこ、と頭を下げた。
「失礼します」
うーさんは無感情にそう言って、管理室を出た。
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支社を出たうーさんが帰ろうとすると、1台の白い車がその目の前に停まった。
後部座席の窓が開いていく。
そこから顔を覗かせたのは、神松だった。
「…………神松さん」
「鹿沼。…………クククッ!素晴らしいな!良いぞ。『その目』こそお前の在るべき姿だ。だが………″完成″まではあと一歩のようだ」
神松は頬をつりあげ、隣を指さした。
「乗れ。話がある」
うーさんは無表情のまま、神松と車を見つめていた。
そして決心したように車に乗り込もうとした時、決死の叫び声が聞こえた。
「ダメだ!!!うーさん!!!」
心のどこかでずっと、ずっと待ち焦がれたその声に、うーさんは揺れた瞳で振り返った。




