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第19話 罪な男だね

18:30。


仕事を終えたヒロは、うーさんに誘われて一緒に本屋に来ていた。


「ひーくん。ホントーホントーの新作あるよ」

「まじ!?休載だいぶ長かったよなー」


本を物色するうーさんは、本当に楽しそうだった。


態度ではっきり楽しそうと分かる訳ではなく、ほんの少し嬉しそうに上がる声のトーンとキラキラ輝く瞳で分かるのだ。


俺も学生時代は主に文学だの歴史だの哲学だのを暇さえあれば読み漁ったもんだけどなぁ……。


今となっては毎日仕事の疲れのせいで文字を読もうとしても前頭前野が爆発しそうになるヒロは、うーさんほど本にのめり込めないのが惜しい思いだった。


うーさんは、本当にどんな本でも読んだ。

特に目をキラキラさせてヒロに熱弁したのは、現代最新コンピューター等の科学技術、学生時代に熱中していた物理といった、バッチバチの理系の本。


あのアホみたいな問題解決能力と知識量は、理系の考え方から来てたのか……。


ヒロもそんなうーさんに影響され、理系の本を手に取った。しかし専門用語の多さに何が書いてあるのかさっぱり分からず、遠い目で静かに本を閉じたのだった。


漫画本を手に取りひらひらと表紙を見せて微笑んでいたうーさんは、何だか少し遠い目をしているヒロを見てきょとんとした。


「ひーくん。どうしたの?」


心底不思議そうに、顔を覗き込んでくるうーさんの顔と目を見れない。


もうはっきり分かった。気のせいじゃない。

うーさんはわざと、『俺が今興味のあるジャンル』で足並みを揃えている。


悔しいなぁ。


だけど………。そんな事でうーさんにいちいち心配をさせるのがあまりにもダルすぎる。


そう思ったヒロは、思いっきり背伸びする気持ちでそのままコンピュータサイエンスの本を手に取った。


「え!?ひーくんプログラミング興味あったっけ?」

「エッ!?ま、まぁちょっと?この間から何冊か読んでて?ちょ〜っと読み始めてちょ〜っと用語覚えたカモ〜?みたいな。なは。ナハハハ」


本当は1冊どころか2ページくらいしか読んでない上何も覚えてないし分からないけど……。


「う……嬉しい!!」


うーさんはこれまで何度もヒロに微笑みを見せたが、『今まで見せた中で1番』嬉しそうに目をキラキラと輝かせた。


「ひーくんと一緒にプログラミング……!えへへ」


冷や汗をかいているヒロの心情など知らず、うーさんはヒロの腕にぎゅっと抱きついた。


むにゅ。むにゅにゅ。


うーさんの大きな胸が主張激しく肘に押し付けられ、ヒロはびっくりして飛び上がる。


「ほげぁぁぁぁああああぁぁ!??」

「ひゃ!?ご、ごめんなさい……」

「え?いや」

「ごめんなさい。私。馴れ馴れしかったね」

「だ、大丈夫!大丈夫だよ。俺こそ叫んでごめん」


申し訳なさそうに縮こまるうーさんを横目に、ヒロは心臓をバクつかせ全く生きた心地がしなかったのだった。



------------------------------



19:30。


ヒロとうーさんは駅へ向かって、並んで一緒に歩いていた。


正直今日も疲れてフラフラしそうだけど……。


不思議と力が湧いて、意識しなくとも直立出来ている。間違いなく、うーさんが目いっぱいサポートしてくれているおかげだ。


彼女がいなかったら、きっと今頃も残業していただろう。


「うーさんは何でも知ってるし、何でも出来るよね。俺、尊敬してるんだ」

「はは……そんなことないよ。私、家事と料理がほんとに出来なくて。卵焼きから挑戦してるんだけど、何回試しても丸焦げになっちゃうから」

「そうなの?うーさんも可愛いところあるじゃん」


ヒロは笑って、何気なく思ったことを口にした。


しかしそれを聞いた途端にうーさんはバッと、ヒロから顔を背けてしまう。


「うーさん?」

「…………」


うーさんの耳が、真っ赤になってる……。

どうしたんだろう?


もしかして……怒らせた?


「違うよ、ごめんね。馬鹿にした訳じゃ」


慌ててヒロが弁解すると、うーさんはきょとんと目をまん丸にして振り向いた。


そしてしばらく考えると再びヒロの目を見つめ返して、いつものように微笑んで言った。


「ひーくんは、罪な男だね」


ヒロはうーさんの言葉の真意に気づけないまま、駅前にあるベンチに何となく一緒に腰掛けた。


「ひーくん、これ。面白いと思ったFtuber」

「お。もう見始めたの?」


うーさんが見せてきたスマホ画面を覗くと、きゅるんとした目に大きな黒い帽子を被った白髪の女の子が、あざとい立ち振る舞いでトークをしていた。


本を紹介しきってしまったヒロが次にうーさんに紹介したのは、バーチャルアイドルだった。


半ば遊び心で紹介したヒロだったが、あのうーさんが監査もほっぽって真剣な表情でどっぷりハマり始めたのを見て、ヒロは驚きを通り越して心配になっていた。


「この子、サナギちゃんていうんだよ。可愛いよね」

「ふむふむ。白髪に三つ編みというのがまたセンスありますな」

「いつも頑張る皆のためにって前置きして、ダンスを披露してくれるの。昨日はソーラン節で、一昨日はコンギョ」

「曲のチョイス尖り過ぎじゃない?」


バーチャルアイドルの自由奔放な雰囲気の雑談配信にのめり込むうーさん、すごく楽しそう。


音こそ消音にしてあるが、きっとこの子も楽しそうに喋って、見る人に夢を与えているのだろう。

俺も何度かこっそり見ていたFtuberの、前向きな言葉に救われたことがある。


そういえば渚も、Ftuberやるって言ってたような気がするな。結局、やり始めたのかな?


その時、1人の人物が俺らの目の前に立ち止まり、座っているヒロとうーさんを見下ろした。


ヒロはその人を見上げるが、全く身に覚えが無かった。


あれ。誰だろう?この人。


年齢は俺やうーさんより一回り上、といったところだろうか?


横を見るとうーさんはその女性を、恐怖に青ざめた表情でふるふると震えながら見つめていた。


「随分と楽しそうにしてるな?鹿沼」

「は……お久しぶりです、神松さん……」


冷酷で、支配的な雰囲気を一身から放つ女性。

細い眉に、スクエア型眼鏡の奥に覗く無機質な瞳から、感情は一切感じさせなかった。


髪型はうーさんと同じで、腰まで長い髪が1本に結われている。


きちんとしてて、全てに慢心がない立ち姿。

少し年季を感じる灰色のスーツを身にまとった彼女は1目見れば誰もがその道のエリート街道を突き抜けた人物とはっきり分かる風格があり、一挙一動の所作が洗練され、全てにおいて非の打ち所が無く、『完璧』そのものである。


正しさ、規律、常識の権化のような雰囲気。


表情こそ微笑んでいるが、なんだろう。

直感が強く告げている。

この人との会話は、早く切り上げた方がいい。

あと、心を開かない方がいい。


「心底驚かされたよ。まさかお前が、あんなに楽しそうな顔が出来る人間だったとはな。私としては泣く泣くお前を送り出したというのに、寂しい気持ちにさせるじゃないか」

「はひ……す、すみ……せ……」


葛木さんも威圧感があるけどそれとは全く別の、異質な存在感がある……。

挨拶した方がいいかなと思ったけど……。

あまりに空気が重圧過ぎて動けないし、喋れない。


神松さん。聞いたことがある。

葛木さんが何度か、電話で話してた……。


「………まさか、本社に戻りたくないと思ってるんじゃないだろうな?」

「い、いえ。そんな事はありません」

「そうですか。安心しましたよ。……………誰がお前に仕事を教えたのか、分かっているな?」

「はい………」


思い出した!セントラルマネージャーだ。

本社中枢から全社の現場と経営双方を管理する、葛木さんの上司。何でこんなところにいるんだ?


うーさんは明らかに声が震えてて、目に涙を浮かべている。だけど、神松さんから1秒も目を逸らさない。


違う。

恐らく……あまりの恐怖で、目を逸らせないんだ。


「何だ?それは」

「あっ」


神松はうーさんの手からスマホを取り上げた。

バーチャルアイドルがわちゃわちゃと身振り手振りをしている画面を、無表情で数秒眺めている。


ヒロは神松のうーさんに対する心無い態度を見て、胸をぷすりと刺されたかのような違和感を覚えた。


「これは?」

「そ、それは、その……」


うーさんは萎縮し切って、それ以上の言葉が詰まって出てこなかった。


神松はそれを見て、あろうことかうーさんのスマホをベンチ横の花壇にぽいと投げ捨てた。


ヒロは慌ててスマホを代わりにキャッチしようとするが、そのまま花壇の上にぽすっと落ちてしまった。


「『子供向け』………ハハ、違うな。『精神がお子様の人間』向けのコンテンツだ。だが、見てた限り『お前が』それを楽しんでいたな」

「ひっ」

「監査だからといって手を抜いて良いとは教えていないな。成績が本社の頃の半分以下になっているのも、この『幼稚なコンテンツ』が原因か?」

「…………」

「環境はいとも簡単に人を変えてしまう。やはり、お前のように『不出来で頭が悪い』人間は本社に居た方が良いようだ。明日にでも戻るよう、葛木統括に言っておこう」

「ひい」


ヒロは下唇を噛んで堪えていたが、我慢の限界を迎えて勢い良く立ち上がり叫んだ。


「ちょっと!!何言ってるんですか?」


神松は無表情のまま、無機質な目でヒロに目線を移し見つめた。


「ひ、ひーくん……!いいの。やめて……!」


しかし次の瞬間にヒロは、立ち上がり抵抗の意を見せたことを心の底から後悔した。


神松さんと目を合わせてる今なら、うーさんの気持ちがよく分かる。

血が逆流していくかのような感覚。心拍数が上がっていって、気持ちが悪い。死を目の前にしているかのように。


膝がガクつく。怖い。命乞いで足りるか、分からない。人と目を合わせているだけなのに、まるで絶望そのものを見ているようだ。


だけど…………!!

ここで怯んだら、標的がまたうーさんになってしまう。


「い………今したことはパワハラでしょう」

「ひーくん……」

「あ、……。あ、謝ってください………!!鹿沼さんに!」


神松さんは一切表情を変えることなく、ヒロをただただ、無言で見つめていた。


秒数が重なるほど恐怖と重圧が増していく。

あまりにも心地が悪いこの時間。


この無機質に見開かれた、光を感じない目。機械装置の方がまだ感情を感じる。

何だこの感じ。まさか………俺を面白がってる?

違う。『観察』してるんだ。俺を。

まるで『骨董品の価格の査定』でもするかのように………!?


話さなくたって分かる。

この人には欠けている。人として重要な、何かが。


神松はヒロの態度を数秒見つめ、フッ、と嘲笑するかのように鼻で笑い、再びうーさんに目線を移した。


「『仲良く』出来る同僚に出会ったようだな?鹿沼」


うーさんはヒロに手渡されたスマホを胸に抱いて、俯いた。


俯くうーさんを少し見つめた神松は再びヒロに向き直り、丁寧に頭を下げた。


「神松と申します。時枝君。以後、お見知り置きを」


本当に僅かにであるが微笑みを見せた神松。それでもヒロが受ける精神的な重圧は変わらないままだった。


それよりも、俺の名前を知ってる………!?


ヒロは心地の悪さで満たされた心臓を根性で立て直そうとしながら、震える身体を動かして深く頭を下げた。


「………ご挨拶が遅れ、すみません。時枝と申します。……俺を知ってるんですか」

「知っていますとも。そして君が『優秀』な男である事も、また知っている」


うーさんは心臓をバクバクさせながらも、何も言えずにヒロと神松を見つめていた。


優秀……?どういう意味だ?

神松さんは俺の、何かを見ている……。


「それでは、また」


そう言い残した神松は、コツコツと耳に残る足音を立てながら去っていった。


「ごめんなさい。ひー、くん。私が……うっ……ひっく」

「うーさん……」


俯いてぶるぶる震えるうーさんは、ほとんど話が出来る状態ではなかった。


「うーさん。あの人」

「いいの!私が我慢すれば……」


うーさんはヒロの話を遮った。

まるで神松の話をすること自体を、もう辞めて欲しいとでもいうように。


「!!」


ヒロは顔を上げたうーさんを見て目を見開き、言葉を失った。

いつもキラキラと輝いているうーさんの瞳が、無機質に、虚しく、真っ黒に澱んでいく。


その目と表情を見て、ヒロは一瞬過去の出来事が脳裏を掠めて頭痛がした。燃えるような熱さと、地獄のような光景。

しかし、完全に思い出すには至らなかった。


だけどその時覚えた感情だけは、呼び起こされた。

ヒロは激しく怒りが湧いてくるのを覚えた。


我慢すればいい?そんなわけ、ない。

うーさんのすごさも頑張りも理解しようとせず、コケにする人間が正しいわけない。


うーさんをこんな状態にするあの人が、信用出来るわけない………!


ヒロは激しい怒りと悔しさに駆られながら、力無くすすり泣くうーさんの背中を黙ってさすってあげる事しか出来なかった。




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