第16話 その前にドジを直した方がいい
12:30。
会社。金曜日。
『今日頑張れば休み』。
なんて心地の良い響きなんだろう。
毎週のように思うけど、金曜日にだけ湧いてくるこの身体の軽さと無敵感は何なんだろうな。
ライヌの通知が届いて、ヒロはスマホを開いた。
渚から″Friday HAPPY″のスタンプが送られてきていた。
渚。
お前と会えるから、毎日頑張れるよ。
とりあえず同じスタンプを返しておくか。
毎日のように金曜くらいエネルギッシュになれたら、仕事の悩みも少なくて済むだろうにな。
金曜日という事実によりブーストが掛かったエネルギッシュ加減が功を奏し、ヒロは過去最大級のパフォーマンスを発揮していた。
今の勢いであれば、定時上がりも夢ではない。
鹿沼は慣らしが完全に終わって、なんの違和感も無く支社で動いていた。
ヒロと鹿沼は傍から見れば誰から見ても息ぴったりの良いビジネスパートナーだったが、ヒロの主観では全く違っていた。
スピードだ。
確か質より早い完成にこだわれとかって、昔言われた気がするな。
あとは………。
ヒロは異動前を遥かに超えるパフォーマンスを発揮していたが、それでも鹿沼の動きには全く追いつけなかった。
ことある事にトラブルで止まる鹿沼だが、それを差し引いたとしてもあまりにも遠い差があった。
ダメだ。
支社に来たばっかりの鹿沼さんに全部リードされてる……。
「時枝さん。疲れてないですか?」
「は、はい」
わざわざ声をかけてきた鹿沼さん。
手を止めてわざわざ、じっと見られてる気がする。
ああ、もう昼休憩の時間だった……。
昼休憩だねと、俺が声掛けするのを待っているんだ。
気づいた上で俺に、声を掛けさせようとしてる。
俺は気づいてないふりをするようにしてるが、彼女と俺の成績の数字は『常にピッタリ同じで維持』されている。激務の現場内でそんな事をやってのけるのは、はっきり言って追い越すよりもずっと難しいだろう。
リードされてる上に、足並みを全部俺に合わせてるんだ。
一体どうしてそんな事をしてるんだろう?
あくまで俺のやり方と意思を尊重してるのか、はたまた別の理由か……。
「鹿沼さん!!腹減りましたね!?飯行きます!?はは!はっはははは!」
「ひぇぁ!は、はい!私もお腹すきましたっ」
バッと振り向いたヒロに声を掛けられて大慌てする鹿沼は、既に休憩札を手に持っていた。
そしてデスクにある資料は、明後日使うもの、1週間後使うもの、1ヶ月後使うものとぽつぽつ置いてあるが、今日使うものは置いてなかった。
やっぱりそうか………!
この子は、ずっとずっと先を見てるんだ。
今日この場を凌ぐことばかり考えてる俺と、全く動きが違って当然だ。
どうやったらこの子に追いつけるんだ?
あまりに経験と知識が足りない気がするけど……。
近くにいてくれてる間に、全部学ばないと!!
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13:00。
今日もなお、怒涛のインタビューと人だかりがヒロと鹿沼を足止めした。
いつになったら終わるんだ?これ。
切り抜けるのに、ヒロ達は休憩時間の半分を失ってしまった。
「社内食堂はやめた方がいいかも。インタビューで飯が食えなくなりそうだから」
「そうですね……そしたら、いい所がありますよ!」
提案を受け入れた鹿沼に連れられて、ヒロは会社裏の穴場という大衆食堂に一緒に入った。
まだ新しいのもあってか店内はびっくりするほど綺麗な上、びっくりするほど安く、びっくりするほど美味い。
ガラガラのカウンター席に並んで着席した。かなり広いので、ヒロ達が目立つことは無かった。
頼んだのは2人ともあっさりワカメの塩ラーメン。1杯300円なのに飛ぶ程美味い。
値段設定間違えすぎじゃない?
「鹿沼さん」
「あの……。嫌じゃなければ、私のこと『うー』って呼んでください。私の下の名前なんです」
「は。はい、……じゃあ、うーさんで」
うーさんはその返事を聞いて、満足そうに目をキラキラさせて塩ラーメンをズルズルと啜った。
何気なく横を見ると、ふとうーさんと目が合う。
そしてヒロを見て何も言わずにまたにこり、と微笑んだ。
これはThe・清楚。
眩しい。俺には眩しすぎる。
色んな人(主に男)を勘違いさせそうな、危ない感じがする。
困る。控えめに言ってかなり困る。
うーさんが何を考えて俺にそんなに笑いかけてくれるのかが全く分からないので、俺は思わず無言で目を逸らすしかない。
出会う人みんなにそういう感じなのかな。
やめた方がいいぞ……。
「足は大丈夫なんですか?ずっと本調子じゃないって」
ヒロは何気なくその質問を投げかけたつもりだったが、うーさんは今日一番の驚き顔で大きく目を見開き、バッとヒロに向き直った。
そしてどこか嬉しそうに、目線を下げてテーブル下で足をブラブラさせた。
「………はい。ありがとうございます。一応、どんどん良くはなってるんですけど」
「そうでしたか……。ご無理はなさらず」
「……時枝さん。あの時の、ことなんだけど。私ずっと」
「ああ!!先日の件ですよね!?身体触っちゃって本当にすいません……!!改めて謝ります!すいません!!何なら土下座を」
「えっと、先日じゃなくて」
「?」
ヒロは意味が全く分からず、きょとんとした。
うーさんはそんなヒロの目を見て、一瞬悲しそうに眉をひそめて、俯いた。
「やっぱり……。もう覚えてないですよね。私のこと」
?
受け入れるしかないけど受け入れられない。そう言うかのように、うーさんは寂しそうに目の前のラーメンの丼を見つめていた。
そういえば葛木さん、この子が『俺に会いたがってる』って……。
やっぱりこの子と俺は、会ったことがあるのか?
だけど……全然思い出せね〜〜〜!!
「ご、ごめんなさい。何でもないです。変な空気にしちゃった……私」
「いやーー!!!なんか、デザート足んないですよね!?あっ!見てください!!フルーツゼリー安くなってんだって!ほらほら!!ほら!奢ってあげますから!!!」
「はひゃ!?」
「ははっ!ははははは!!!甘いもの食べて元気になりましょう!!」
流石に俺が悪い。あんな悲しそうな顔見せられたら、流石に……!!
なんで思い出せないんだよ。俺。
というか、人違いかな?だけど人違いなら最初、俺の顔見て俺の名前を間違えずに呼ばないよな………?
ヒロは罪悪感のままにおかわり自由のフルーツゼリーをお皿に山盛りにして、足早にうーさんへ近づいていく。
「……時枝さん。もうひとつ私のワガママ、いいですか?」
「あ、はい!もちろん!何でもいいですよ!!なに………」
ガッ。
次の瞬間、ヒロは何故か何も無い所でつまづいた。
あっ待って。嘘だろ。
その時、走馬灯のようにとある記憶がヒロの脳内に蘇った。
まだ幼かったあの日。夜中に起きて、母親の化粧道具や美容グッズを全部練り混ぜた。
そして翌朝、得意げに『作品』を母親に見せたら見たこともない顔でびっくり仰天していた、あの時のことを。
母さん。
俺はあの時から成長、………出来たかな。
バシャーーーーーン!
すっ転んだヒロが顔を上げると、うーさんの頭には色とりどりのフルーツが乗っていた。
オマケに上から降ってきた大きなお皿が、前時代的お笑いのタライのようにうーさんの頭に落ちてスカンと痛そうな音を立てたのち、テーブルにカラカラと着地した。
スーツも上から下まで全部びちゃびちゃになって、ドロドロとしたゼリーが顔と髪から滴り落ちる。
うわーーーーーーーっ!!!!!
終わったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
申し訳なさ過ぎて息が詰まったヒロは、もはや謝罪の言葉すら出てこなかった。
しかしうーさんはそんな状況に対して嫌な顔をするどころか、表情ひとつすら変えずにゼリーとフルーツまみれになった自分の身体を静かに見つめていた。
太ももにべチャリと落ちたパイナップルをゆっくりと指で掴んで口に入れ、指についたゼリーをちゅる、と静かに舐めとる。
そしてキラキラと輝く目を細め、何だか照れくさそうにゼリーまみれの自分の手を見つめながら言った。
「時枝さんのこと。『ひーくん』って、呼んでいいですか……?」
「…………………は、はい。もちろん……」
それどころじゃないだろ………!?
ヒロは色んな意味の衝撃で、開いた口が塞がらないままだった。
見つめてる場合じゃないと頭で理解していても、なんか色っぽいうーさんから目を離せず、ずっと息を呑んで見つめていた。
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13:00。
うーさんは替えのスーツをいくつか常備しているようだ。
彼女の不運ぶりから考えれば、当然か……。
ヒロとうーさんが昼休憩から戻ると、現場は地獄と化していた。ミスの修正に追われて現場崩壊。そしてそこに、明らかに嫌な感じのクレームの来客がおり、受付の子が萎縮している。
「2ヶ月連絡が無いけど、君たちは一体どういう管理をしてるんだい?いけないね」
「す、少しお待ちください」
「責任取れる人は誰なのかな。いつ来てくれるの?急いでね時間無いから」
何だこれ?
前にもこんな事があった気がするけど、その時とは比にならないぞこれ。人数も、ミスの規模も全く違う。
「はわ……。これは」
「うーさん!!そっちの定期の方をお願いしていい?ちょっと行ってくる!」
「あっ。ひーくん!」
ここは俺があの面倒くさそうな人の相手だ………!
うーさんを前に出す訳にはいかない。
ヒロが受付に走ろうとすると、それを1人の男が止めた。
「鳴上?どうした」
「ここは拙者に任せよ。前回のリベンジが出来ておらぬのだ」
鳴上はそう言って、ヒロにキラーンと親指を立てた。
こいつ!?カッコよすぎんだろ。
ここは救世主鳴上様に任せて、他のバタついてるとこに加勢するか……。
意気揚々と受付へ向かっていく鳴上を見送ったヒロは、ふと振り返る。
うーさん、配下を呼んで何かの資料の説明をしてる。
あんなの今日の予定にあったっけ……?
その5分後。
前回以上の混沌と化す見込みだった現場は、何事も無かったかのようにいつも通りの風景に戻っていった。
「はいもしもし。………え?はい。………すいません。解決したみたいだから、帰ります」
「は」
堂々受付に立った鳴上だったが、クレーマーは1本の電話を受けたのを機にさっさと帰っていってしまった。
「?? どういう事でござる」
「分からん。この間とは比にならない騒ぎだったけど……」
ヒロと鳴上は普段通りになっていく現場の光景を眺めながら、呆然と立ち尽くしていた。
「おやおや。騒動と聞いたのですが、僕が出る幕も無かったみたいですね〜」
2人が振り返ると現場に戻ってきた須藤がいた。
ヒロは呑気に栄養ドリンクを飲み始める須藤に、咄嗟に走り寄る。
「須藤さん。逆に違和感があるスピードです。何か心当たりとかありますか」
「ふむ………。多分、鹿沼さんが動いたんでしょう」
まさかと思ったけど。
うーさん、何もしてないとばかり思ってたのに、あの騒ぎを10分で納めたのか……!?
予期してたのか?一体どうやって。
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13:10。
管理室。
「遅れて申し訳ございませんっ」
「よぉ?なーに余計なことしてんだよ。やっと面白ぇものが見れると思ってたのに」
「はひ」
深々と下げた頭を上げながら、うーさんは何を返答するか心底困り果てていた。
「そんなちゃんとしなくていいよ。元相棒同士な」
「いえ……。今は上下がありますから」
葛木は退屈そうに座りながら、表示されたクレーマーの対応完了報告と全てのミス修正報告を眺めて『残念』というように口を尖らせる。
「今日もご機嫌ですね、葛木さん。昔から変わらない感じ、見てて落ち着きます」
「鹿沼が楽しんでくれてるなら何よりだわ。もし何かあったらすぐ言えよ。……って、支社でそんな必要お前には無いかもしれねぇけどな」
「ひゃ……。そんなことはない、と思いますよ」
苦笑いするうーさんを見て、葛木はニヤニヤと笑い出す。
「ほーん。………お前も、恋愛とかするみてぇだな?」
襟を正しピンと背筋を伸ばしたまま、うーさんは目を大きく見開いて頬をかぁっと赤らめた。
少しだけ会話に間が空いて、冷たい管理室にジーッという機械音が静かに鳴り響く。
「な、何でそう思ったんですか?」
「明らかに変わったじゃん。スーツの着方。挨拶と会釈の仕方。表情の作り方も声のトーンも全然違うし、何より目の色が全く違う。さっきだってそうだ。お前があんな『丁寧な』仕事の仕方してるのを俺は一度も見たことがねぇ。無自覚か?」
「…………」
「成績の数字を意図的にピッタリ合わせてるのも、『意中の相手へのアピール』だったりすんのか?」
「…………!!!」
「その前にドジを直した方がいいと思うけどなぁ!?ナッハッハッハ」
腹から大笑いをかます葛木。
プチトマトみたいに真っ赤になってぷるぷると震えたうーさんは、耐えられずにぷいっと振り向いた。
「さ、さぁ……!?どうでしょうね!!葛木さんこそ、何でも手段選ばないとこは直した方がいいと思いますっ!」
バターン!!
勢いよく管理室を出たうーさんは陰で何度も深呼吸し、落ち着いてからヒロの元へ戻って行った。
管理室で1人になった葛木は、大きな音を立てて閉まった扉を見つめ、ふぅ。と息を吐き出して呟いた。
「お前も大概だけどな」
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13:30。
「ひーくん!お疲れ様っ」
「あ。うーさん、お疲れ様ー」
うーさんが席に戻ってきた。
お互いどこか雰囲気似た者同士であるにも関わらず、彼女と自分ではあまりにも格が違う事をヒロはひしひしと実感し始めていた。
強力な助っ人だが、あまりにも強力過ぎて申し訳なさを感じてしまう。
だけど、お世話になったで終わらせる訳にはいかない。
うーさんもびっくりするくらい、俺も実績を残せるようになるんだ。
仕事なんてこなせばいいと思っていたヒロの価値観は、うーさんを間近で見続ける中で少しずつ変わり始めていた。
ヒロはずっと気になっていた事をうーさんに質問した。
「うーさん。多分歳近いよね?いくつだっけ?」
「えっと。今年23です!」
まじか!?
うーさんはまさかのひとつ歳上だった。同い年か、年下だと思っていたヒロは失敗した!と思い咄嗟に頭を下げた。
「すいません。俺は今年22です。勝手に同い年か年下だと思って聞いちゃいました……」
「いいんだよ。ひーくんにはお固さ抜きで話して欲しいから」
「え……いいの?」
「うん。歳は関係なく今まで通りにお話してくれた方が嬉しいな」
うーさんは静かにそう言って、ヒロに優しく微笑みかけた。
あぁ。
なんていうか、すごく『お姉さん』って感じがする。
「それでいいなら、いいけど」
「そういえばひーくん。私も『ホントーホントー』読んだよ」
「あ、ほんと?面白かった?」
「凄く面白かった。世界観が独特だよね。気づいたら半分くらい読んじゃって。今日も読む気満々なんだ」
うーさんはそう言うと、漫画本を鞄から取り出してヒロにバッと嬉しそうに見せつけた。
本、本当に好きなんだな。
ヒロは嬉しそうなうーさんを見て、思わず微笑んでしまった。
気づいたら本を手に取って読んでいる程本が大好きだというので、敢えてうーさんに漫画本を勧めたのだ。
まさか翌日には既に読んできてるとは思わなかった……。
「お勧めの本……もっとたくさん紹介してね。ひーくん」
「うん。俺のお勧めでいいなら。学生の頃は文学とか哲学が好きだったよ」
「何でも読むよ、私。本はお互いの世界を共有出来るコミュニケーションなんだから」
うーさんはそう言って、はっとしたように両手に持った漫画本で口元を隠した。
何となくバツが悪そうに目を逸らしたうーさんを見て、思わずヒロも咄嗟に目を向こうに逸らす。
俺と、コミュニケーション取りたいってこと?
いや。流石にそんな訳……。
趣味に付き合ってあげてるだけ、だよな?
2人は何とも言えない空気とドキドキに支配されて、何も話せなくなった。
その時、静寂を切り裂いて鳴上が急ぎ足でこちらへやって来た。
「時枝殿。ここに居たか。ちょっと見て欲しい資料があるでござる」
「鳴上?何の資料だろう」
見ると定期の何でもない資料の話のようだった。
この内容なら、すぐに終わらせられそうだな。
その時背中に違和感を感じて、ヒロは後ろを振り返った。
するとうーさんがヒロの背中に隠れ、青ざめた表情でカタカタ震えながら鳴上を見つめていたのだ。
明らかに鳴上に怯えとる!!
何があったんだ………?
鳴上も意図的にか分からないけど、うーさんをガン無視している。
「ごめんなさい!!私はちょっとお手洗い行きます!」
「う、うん」
うーさんはさっきの様子とは豹変して、風のように走り去っていってしまった。
「鳴上……うーさんと何かあったの?」
「いや、何も。初日軽く自己紹介しただけでござる。フレンドリーに接したつもりだったが、いつすれ違ってもあんな感じでござる」
「そっか……」
ここは相性悪そうだな……。
だけど、ずっとそのままって訳にもいかないし。
機会あればうーさんにも鳴上のコスプレショーを見せてあげるか。




