第14話 シャボン玉
13:00。
俺は土日休み目掛けて懸命にタスクをこなしていた。
『今日頑張れば休み』。
なんて心地の良い響きなんだろう。
毎週のように思うけど、金曜日にだけ湧いてくるこの身体の軽さと無敵感は何なんだろうな。
渚からライヌで″Friday HAPPY″のスタンプが送られてきた。
渚も同じ気持ちらしい。
とりあえず同じスタンプを返しておこう。
毎日のように金曜くらいエネルギッシュになれたら、
もっと仕事の悩みも少なくて済むだろうに。
「時枝さん!お疲れ様ですっ」
「あ、鹿沼さんお疲れ様ー」
外出に出ていた鹿沼さんが戻った。今日は大きめな肩掛けカバンを持っているが、ずっしり重そうだ。
「取引先と交わすために持ち歩く書類が多くてかなり大変でした…7社とも大口だし」
「1回で7社も回ったの?すごいね」
「いやあ、本社だと普通みたいに言われてましたから」
「順調だったの?」
「それが接待の人がやたら嫌な感じの人が多くて…。山あり谷ありでした…」
「まじか。だいぶ大変だったね。言ってくれれば俺も手伝ったのに」
「いや!さすがにそれは悪いですから」
鹿沼さんはカバンをデスク横にドサッと置いて着席した。
「ところで時枝さん!私の事、うーって呼んでほしいんです」
「ああ。鹿沼さんの下の名前だよね。でもどうして突然?嫌じゃない?」
「え?嫌じゃないですよ、全然!え、えっと……ビジネスパートナーなるもの、下の名前で呼び合うことによって作業効率と業績が上がるという研究結果があるんです!……確か、多分」
「へー。流石色々知ってるんだね。そしたら、うーさんって呼ぼうかな」
「是非!てへへ〜」
子どもっぽく笑う鹿沼さん改めうーさんは鳴らしが終わって本格的に、
俺と日々の業務を一緒にこなす固定パートナーみたいな感じになりつつあった。
どこか雰囲気似た者同士、
通じ合うものがあるのかわりと仲良くなれてきたような気がしている。
うちの業務量は相変わらず膨大でなおもタスクは増え続けているはずだが、
うーさんが俺の倍以上のスピードで仕事をするので
業務が減ってるようにすら感じる。
本当に強力すぎる助っ人だ。
「うーさん、多分歳近いよね?いくつだっけ?」
「今年23です!」
まじか。うーさん、まさかのひとつ歳上だった。
「すいません。俺は今年22です。勝手に同い年か年下だと思って聞いちゃいました……」
「あ、いいんです。時枝さんにはタメで話して欲しいの!」
「え……いいんですか?」
「はいっ」
うーさんは嬉しそうに笑って返答した。それでいいならいいけど……。
「わ、私はひーくんって呼んでいいですか……?」
「それは初めて呼ばれた。もちろんいいよー」
「やった!!♫ ……あの、ひーくん!良かったらこの後私と一緒に」
次の瞬間何故かは本当に全く分からないけど、
うーさんのデスクの積みあがった書類がバランスを崩して倒れ、
ペットボトルがひっくり返って中のコーヒーをデスクにぶちまけた。
ペットボトルはゴポゴポと音を立てて中身を撒き散らしながらデスクの上を
ころころ転がり、うーさんのスーツをコーヒーまみれにして横にバチャンと落ちた。
「ぎゃーーーー!!」
「ああ!!うーさん!ダメだよスーツにコーヒー飲ませちゃ」
「ふふふ……私のスーツは味噌汁やコーヒーが大好きなの」
「そうなんだ。今度頭の上からかけてあげるね」
「うん」
「いや止めようよそこは」
「ひーくんも是非スーツに1杯どうぞ」
「いりません」
うーさんは事あるごとに災難に見舞われる子だった。
見ててたまにこっちが泣きたくなる。俺はうーさんと一緒にデスク周りを拭いた。
「本社にいる時、業務中に醤油とマヨネーズを全身に浴びた時は流石にその場から動く気力を失いました」
「どんなシチュエーションよそれ。てか、スーツそのままだと汚れるよ」
「大丈夫!この間みかちゃんにもらったウェットティッシュをカバンに入れてましたか…ら…」
うーさんはスーツを拭き取るためにウェットティッシュを取り出そうとデスク横の大きな肩掛けカバンを見るが、
ペットボトルはちょうどカバンに着地しており、苦労して取り交わしてきた取引先との重要書類が大量に入っているカバンの中にゴッポゴッポとコーヒーを吐き出し続けていた。
うーさんはひゅっと魂が抜けた顔で固まってしまった。
「あ………ああ………」
「だっ!だだ、大丈夫だよ!!取引先なんてまた行けばいいし、最悪郵送でも何とかなるじゃん!ね?は、はは!ははは!!」
「これ、全部もう納期今日中なんです……それが今朝になって報告上がってきて……」
「き……今日中……????」
俺とうーさんは光を失った目でカバンを見つめた。
あ、待てよ。
「うーさん。本当に最悪のパターンだけど、乾かしてコピー取っておいて、正式な控えは後日って葛木さんに土下座すれば何とかなるかもしれない!俺も一緒に謝りに行くよ」
「ひーくん…………!!天才!!かっこいい!!」
早速うーさんはカバンを開けて書類を手に取った。
しかし、コーヒーで柔らかくなったのと枚数の重みでびちゃっと音を立てて、全部びりびりに破れてしまった。
俺とうーさんは無表情で顔を見合わせた。
「………」
「………」
「は……はは……」
「あ、あは……はは!はははは!!」
「「あははははははは!!!!!」」
そういえば話は変わるが、
アフリカの子どもたちは栄養失調で6秒に1人が亡くなってるという。
それに対して別にどうこう言うつもりはないんだけど、
今この瞬間だけは彼らより俺らの方が不幸な自信があった。
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16:00。
とりあえず、残業が確定した。
金曜だからと浮かれた天罰とでもいうのだろうか。
俺とうーさんは手分けして
再び取引先を駆け回り、書類を回収してデスクに突っ伏していた。
今日、何回頭を下げただろう。
「ごめんなさい……本当に……迷惑かけました……」
「いや……大丈夫……だよ……」
うーさんは1日歩き回ったからか、
本当にキツそうな表情だった。
「ひーくん……私今日死ぬかもしれない……」
「死にはしないでしょ……」
経緯を考えてもあまりに可哀想だったので、
スポーツドリンクを買ってきて突っ伏すうーさんの肘の横に置いた。
「わ!ひーくん……ありがとう」
「水分取らないともたないから。もうカバンに落とすなよ?」
「絶対落とさないもん!!ついさっき!!トラウマになったからっ」
うーさんをいじると、涙目でほんの少しだけムキになって返事した。
スポーツドリンクをくぴくぴと飲むうーさんを見つめると、
言葉に言い表しようのないいじらしさを感じた。
あれ?そういえば俺ら、昼飯すら食ってないのでは……
落ち着いてようやく、自分が空腹という事に気づいた。
薄れゆく意識の中で、
ひとつふわふわと浮かぶシャボン玉が視界に入り込んできた。
…………え?シャボン玉が浮いてる。
いつぶりに見ただろう………じゃなくて。
なんで会社にシャボン玉浮いてるんだろう。
幻覚か?
あまりに疲れて土日が恋しすぎて、俺の頭はおかしくなっちゃったのかな。
「ふわふわ〜。うーちゃん!ひろし!」
「わぁ!みかちゃん〜!それに統括も!」
「よぉ。随分疲れてんなお前ら」
「うーちゃん、ひろし……かおいろわるいよ?だいじょうぶ?」
「あ、あはは……今日は沢山歩いたからかな」
シャボン玉が飛んできた方向を見ると、
ストローと容器を手に持った柳さんと葛木さんが立っていた。
葛木さんは退屈そうな表情でストローを吹いた。
辺りにはシャボン玉がぷかぷかと浮いている。
随分楽しそうなことしてるな……。
幼い時いつだったかはもう忘れたけど、
よく自分で飛ばしたシャボン玉を地面に着くか自然に割れる前に自らの手でスカスカと叩き割り、
満足感に浸っていた時期があった。
あの遊びはなんて言う名前なんだろうな。
「お疲れ様です〜。って!鹿沼さんと時枝さん……顔だいぶやつれてない〜??」
「すどうだ〜!おっつ〜」
「お疲れ様!ちょっとね今日はウォーキングしすぎたよ…」
どこからともなく現れた須藤さんが俺たちに会釈した。
本社組が3人集結し自然に会話を交わしている。
そして引き連れていたであろう、須藤の部下も10名ほどやってきた。ぞろぞろ人が増えてきたぞ。
部下の彼らから見ると俺ら全員が上長なので顔色から少し緊張が伺えた。
「葛木統括まで、こんな所に〜。ちょうど良かった。先日開発を依頼された製品の宣伝に関して少しご相談したいんですが〜…」
「買わねぇと靴下に毎日穴空く呪いかけるぞって言っといて」
指示が雑すぎる葛木さんを見て、いつも通りだな。と思った。
「統括。本社の皆さん。そして時枝さんお疲れ様です」
「鳴上!お疲れ」
「会議……では無さそうですが何か話があるんですか?皆さん集まってるようなので来ましたが」
鳴上を見た須藤さんは嬉々としてリアクションを取った。
「おお!我が親友ではないか!」
「友よ………こんな所で鉢合わせるとは、これもまた運命………」
「なるかみ!おつかれー。すどう…いつのまにしんゆうになったの?」
「ハッハッハ。まぁ色々ありまして〜」
ロリコン兄弟まで揃うとは。祭りでも始まるかの勢いだ。
たまにはこういう空気も悪くないな。
あれ?うーさんがいなくなってる。
そう思って不思議に思い辺りを見渡すと、
うーさんは青ざめた表情でカタカタ震えながら俺の陰に身を潜めて鳴上を見ていた。
明らかに鳴上に怯えとる。何があったんだろう……。
鳴上も意図的にか分からないけど、うーさんをガン無視している。
ここは相性悪そうだな………。
「大変だよなぁ毎日。お前らも一服して息抜きだほら」
葛木さんは俺たちに袋に入った新品のシャボン玉のストローと容器を手渡された。
いや、飛ばさんわ…。
「くずっち。あれしていい?」
「いいぞ」
柳さんは鳴上目掛けてシャボン玉を吹いた。
鳴上は不思議なものを眺めるように、目の前に飛んできたシャボン玉を見つめた。
「ひーくんも見てて。みかちゃんの特技」
「特技?」
うーさんは目をキラキラさせている。
何が始まるのか全く分からない。
柳さんは両手の人差し指と親指で輪っかをつくった。
そしてそれを両目に当てて眼鏡に見立て(?)、鳴上を見て言った。
「《おれはたたかいつづける。あのゆうひをのっとる、そのひまで…………》」
俺と鳴上はきょとんとした。
「なるかみはふぁいたーさんね。りふじんやあくをゆるさずたたかうしんねん。なにかをあいしてひびをたのしむ、つよいおもいがある。しょうじんしてくださいね」
「え、は、はい」
鳴上は少しきょどりながら返答した。正直、俺も驚いている。
柳さんと鳴上はほとんど同じフロアにいなかったはず。
なのに、きちんと本質をついている。ような気がする。
「鳴上!?いい感じじゃん。まさか……ついに彼女か?カノジョなのか……?」
「あ………はい。まあそんな感じです」
葛木さんの問いに鳴上は目を逸らしながら答えた。
そんな感じではないだろ。俺は心の中でツッコミを入れた。
「柳は本社での入社面接でもシャボン玉を使って新人を査定していたらしいぜ」
「だいぶ癖の強い面接ですね!?」
「私の入社の時も、みかちゃんが面接官であれやってもらったんだよ」
「そうなんだ??」
そして柳さん、うーさんの先輩だったんだな。
足を組み頭の後ろで両手を組んで座る葛木の顔目掛けて、柳はシャボン玉を吹いた。
柳は再び両手で輪っかを作り葛木を見て言った。
「きのうもみたけど、やっぱりおなじ………《さけ!たばこ!ぱちんこ!おんな!》!!!!!」
「ダッハハハ。人生はギャンブルの連続だぜ柳ぃ」
「くずっちはひゃくせんれんまのたよりになるおとこだけど、おくさんをあまりかなしませちゃだめ」
「大丈夫だよあいつそういうのじゃねえから」
うん。柳さんの言うことはかなり当たるようだ。
うーさんが好奇心旺盛なウキウキした表情で柳さんに呼びかける。
「みかちゃん!私ひーくんも気になるなあ」
「ひろしねー。まかせろ」
「時枝さんはどんな結果になるか、まだ全く予想が付きませんね〜……」
本社組含め、その場の視線が皆俺に集まった。
俺もやられるのかこれ。
柳さんは俺目掛けてシャボン玉を吹いた。
俺の体のまわりをシャボン玉がふわふわ浮いた。
一際大きなシャボン玉を見つめるとどこか幻想的で、
吸い込まれるような感覚を覚えた。
俺は思わず右手のひらでシャボン玉を包み込むと、パチンと弾けた。
幼かったあの日に一瞬戻った気がする。
虫取り網をもって駆け回る日々。あの日に戻れたら……。
「…………?」
両手で眼鏡を作って俺を見る柳さんは眉をひそめてて、やたら珍妙なものを眺める目だった。
え、どんな結果なんだろう。
俺は占い的なものに興味が無いフリをして興味がある人間なので、少し楽しみだなぁ。
柳は数秒押し黙って俺を凝視し、ようやく口を開いた。
「《hey yo。俺が世紀の大泥棒 365日いつでも健康。お前は病気のコケコッコー。貪り食えホウレンソウ しとけラジオ体操。俺の目の前の景色はビューティフォー。お前不健康 目の前土砂降りのイディオット。yeah》」
………………ん?んん?
辺りが騒然としだした。
「プクク…………ッ時枝殿………ッ」
「ひ、ひーくん……………」
「へ〜!時枝さんはラップが好きなんですね〜!正直かなり意外、でしたよ〜…………」
「らっぱー。わたしはひろしのこと、ごかいしていたぜ………」
おい。この場の全員が俺を哀れみの目で見ている。
どうしてこうなった。
え?俺ってもしかしてラップ好きなの?
いやそんな訳ないだろ。査定ミスだろ絶対。
「時枝…………………」
葛木さんすら哀れみの目で俺を見て押し黙っている。
ちょっと!?頼むから何か言ってくれ!!
「あの、ちょっと待っ」
「んじゃあ休憩終わりにすっか」
「ひろし………いや、たましいのらっぱー。これからも、よろしく」
「あっ!そういえば急ぎの別件もあったのを忘れてた。私たちはこのまま別室でミーティングしますよ〜」
おいおいおいおいおい!??
この空気で解散しようとしてるんだけど!??
葛木さんと柳さん、須藤さん達は別タスクのため解散した。
俺は鳴上、うーさんと共にその場に取り残された。
鳴上は俺の肩にポンと手を置いて言った。
「拙者だけは時枝殿の味方でござるよ……ップクク………ッ」
「おい殴っていいか?お前は全く悪くないけど殴っていいか?」
隣にいたうーさんも、釈然としなさそうだった。
「もしかして……シャボン玉割れちゃったからかも」
「割れたから?」
「ひーくん、外で右手で変なもの触らなかった?」
そういえば外出の帰り道、
会社近くの公共のベンチに食べ終わったジャンクフードのゴミや煙草の吸殻が放置されていて、
気分が悪かったので素手で拾い上げて掃除して……疲れてたから特に手も洗わなかった気がする。
「……心当たりしかない」
「また査定してもらお……」
「うん……」
うーさんはハッとして俺らを見た。
鳴上の視線が自身にあると気づいたっぽい。
「わ、私はちょっとお手洗い行きます!」
「あ、うん」
うーさんは風のように走り去っていった。
「鳴上……鹿沼さんと何かあったの?」
「いや、何も。初日軽く自己紹介しただけでござる。フレンドリーに接したつもりだったが、いつすれ違ってもあんな感じでござる」
「そっか……」
機会あればうーさんにも鳴上のコスプレショーを見せてあげるか。